駆け抜けて、飛び越えて
2009年8月10日 アニメ・マンガ昨日、コミケで売り子やってくれる友人と都内で打ち合わせしました。COMIC1のときと同じ人だけど、同人とか全然興味ないのに付き合ってくれます。持つべき物は友人ですね。今回は本の種類も多いし、搬入部数も桁違いなので果たしてどうなるか。まあ、半分以上は委託本なんですけど、規模的にはCOMIC1の3倍以上ですからね……正直、やりすぎじゃないかと不安にさえなってきますw
コミケにサークル参加者として参加するというのは、私にとってはどこか不思議な感覚で、違和感というほどではないにしろ、まだまだ慣れません。私は一般参加者であり、サークル参加者となった今でもそれは変わらず、サークル参加者としての自分自身というものがまだ見えていなくて、感覚的にはサークル参加もしている一般参加者という枠組みにいるんですよね。当然ではあるけど、一般参加の介す通計兼の方がずっと多く、長いんだから。
でも、こういう流れはある意味では普通なのかも知れないと思う。コミケなどの場で創作物に触れることで、創作物を作ることに対しての興味や関心を抱き、創作者としての道を見出そうとする。まあ、コミケに行くこと自体が普通じゃないと言われればそれまでだけど、創作に対する気持ちの芽生えってのは、こういう風に生まれてくるんじゃないかなと。
私はまだまだ若輩者で、経験も全然足りてないけど、続けていけばいつかは気持ちも切り替わるんだろうか。創作者としての意識というものは今でも持ってるけど、それが当たり前であり、当然のことになってくるぐらいに。
物書きの真似事が単なる真似事じゃなくなる日は来るのか、来るとして、それはいつなのか。こればっかりは自分では判らないし、誰にも判らないでしょう。
そういえばコミケ関連の話題として、昨日恩師にもあったんですけど、恩師曰く米澤記念図書館の進行具合はまずまずといったところらしい。恩師は米澤さんと親しかった関係で、良くその手の話題を持ってくるのですが、驚いたのは明治大学への寄贈図書10万冊の他に、まだそれと同じぐらいの蔵書が米澤家にはあるということ。最近、引っ越しをなさったそうなんですけど、新居の地下室が10万冊以上の本で埋め尽くされてるとか。全部寄贈するのかと思いましたが、半分は残しておくつもりのようです。というか、よくもまあ個人で20万冊も集められたもんだ。作家という人種は総じて本読みでもあるわけだから、数万冊単位での蔵書など当たり前の話ですが、それでも5~6万冊が平均的数字であり、20万冊というのは文字通り桁と次元が違う話です。私なんて1万冊も持ってないというのに。
しかし、本にしろグッズにしろ、コレクションという物は集めるのは楽しいですけど、管理や維持ということを考えると、はしゃいでばかりもいられません。例えば1万冊の本を持っている独身男性がいたとして、彼の死後、膨大な本はどこにいくのでしょうか? まさか一緒に火葬したり、墓に入れるわけにもいかない。米澤さんの場合は母校の図書館に寄贈という形を取りましたけど、やっぱり自分が居なくなった後、自分の持ち物がどうなるかというのはみんなが抱えている不安でしょう。一部出版社などと親交がある人はそこに寄贈して管理を任せるというのも一つの手ですが、それにしたってすべてをすくい上げることなど出来ませんからね。
私が興味あるのは10万冊を自宅保管したとして、その後どうするんだろうってことかなぁw
いやだって、現実的に考えて個人管理できる量じゃないよ。一般的に2000冊超えると自分がなに持ってるのか判らなくなるって言うけど、20倍は持っていたわけでしょ? 半分減ったとはいえ……あぁ、でも蔵書の管理はコミケットの得意分野か。コミケもどうするんでしょうね、終了とか解散とか言う話になったら。回収した見本誌返してくれるのかな。今は寄贈分以外、すべて倉庫管理してるけど、あの倉庫もいい加減溜まってきてるしねぇ。維持費も管理費も馬鹿にならないでしょう。かといって明治の図書館だって収容能力には限度ってものがあるわけだし、それを考えると見本誌たちの行く末も決して明るくはないですよね。個人管理なら、それをどうするかも勝手に決められますけど、そうじゃないだけにめんどくさいというか難しいんじゃないかと思う。
さて、コミケの準備もあらかた終わったと思っていたんですが、どうしたことか直前になってなにやら動き始めています。もう、日記を飛ばして今なにが起こっているのかをすぐにでも書きたいのですが、果てさてどうするか。連日更新に拘りすぎると、それによって足下救われますからね。先に木曜日の日記を更新して、後から火曜日と水曜日を埋めるか。それも一つの手かな。とりあえず、更新しないことには話が始まらない。急遽作っている会場得点第3段についても、更新が必要だしね。
コミケにサークル参加者として参加するというのは、私にとってはどこか不思議な感覚で、違和感というほどではないにしろ、まだまだ慣れません。私は一般参加者であり、サークル参加者となった今でもそれは変わらず、サークル参加者としての自分自身というものがまだ見えていなくて、感覚的にはサークル参加もしている一般参加者という枠組みにいるんですよね。当然ではあるけど、一般参加の介す通計兼の方がずっと多く、長いんだから。
でも、こういう流れはある意味では普通なのかも知れないと思う。コミケなどの場で創作物に触れることで、創作物を作ることに対しての興味や関心を抱き、創作者としての道を見出そうとする。まあ、コミケに行くこと自体が普通じゃないと言われればそれまでだけど、創作に対する気持ちの芽生えってのは、こういう風に生まれてくるんじゃないかなと。
私はまだまだ若輩者で、経験も全然足りてないけど、続けていけばいつかは気持ちも切り替わるんだろうか。創作者としての意識というものは今でも持ってるけど、それが当たり前であり、当然のことになってくるぐらいに。
物書きの真似事が単なる真似事じゃなくなる日は来るのか、来るとして、それはいつなのか。こればっかりは自分では判らないし、誰にも判らないでしょう。
そういえばコミケ関連の話題として、昨日恩師にもあったんですけど、恩師曰く米澤記念図書館の進行具合はまずまずといったところらしい。恩師は米澤さんと親しかった関係で、良くその手の話題を持ってくるのですが、驚いたのは明治大学への寄贈図書10万冊の他に、まだそれと同じぐらいの蔵書が米澤家にはあるということ。最近、引っ越しをなさったそうなんですけど、新居の地下室が10万冊以上の本で埋め尽くされてるとか。全部寄贈するのかと思いましたが、半分は残しておくつもりのようです。というか、よくもまあ個人で20万冊も集められたもんだ。作家という人種は総じて本読みでもあるわけだから、数万冊単位での蔵書など当たり前の話ですが、それでも5~6万冊が平均的数字であり、20万冊というのは文字通り桁と次元が違う話です。私なんて1万冊も持ってないというのに。
しかし、本にしろグッズにしろ、コレクションという物は集めるのは楽しいですけど、管理や維持ということを考えると、はしゃいでばかりもいられません。例えば1万冊の本を持っている独身男性がいたとして、彼の死後、膨大な本はどこにいくのでしょうか? まさか一緒に火葬したり、墓に入れるわけにもいかない。米澤さんの場合は母校の図書館に寄贈という形を取りましたけど、やっぱり自分が居なくなった後、自分の持ち物がどうなるかというのはみんなが抱えている不安でしょう。一部出版社などと親交がある人はそこに寄贈して管理を任せるというのも一つの手ですが、それにしたってすべてをすくい上げることなど出来ませんからね。
私が興味あるのは10万冊を自宅保管したとして、その後どうするんだろうってことかなぁw
いやだって、現実的に考えて個人管理できる量じゃないよ。一般的に2000冊超えると自分がなに持ってるのか判らなくなるって言うけど、20倍は持っていたわけでしょ? 半分減ったとはいえ……あぁ、でも蔵書の管理はコミケットの得意分野か。コミケもどうするんでしょうね、終了とか解散とか言う話になったら。回収した見本誌返してくれるのかな。今は寄贈分以外、すべて倉庫管理してるけど、あの倉庫もいい加減溜まってきてるしねぇ。維持費も管理費も馬鹿にならないでしょう。かといって明治の図書館だって収容能力には限度ってものがあるわけだし、それを考えると見本誌たちの行く末も決して明るくはないですよね。個人管理なら、それをどうするかも勝手に決められますけど、そうじゃないだけにめんどくさいというか難しいんじゃないかと思う。
さて、コミケの準備もあらかた終わったと思っていたんですが、どうしたことか直前になってなにやら動き始めています。もう、日記を飛ばして今なにが起こっているのかをすぐにでも書きたいのですが、果てさてどうするか。連日更新に拘りすぎると、それによって足下救われますからね。先に木曜日の日記を更新して、後から火曜日と水曜日を埋めるか。それも一つの手かな。とりあえず、更新しないことには話が始まらない。急遽作っている会場得点第3段についても、更新が必要だしね。
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