名優に相応しい、名作の登場
2011年7月26日 読書
風のうわさで、CSのAXNミステリーが刑事コロンボよ、永遠に ピーター・フォーク追悼特集と題した特別企画を組んでいるとの情報を入手しました。ピーター・フォークといえば、タイトルの通り刑事コロンボのコロンボ警部役で知られるアメリカの名俳優ですが、今年の6月に心臓発作でこの世を去りました。私はコロンボというかピーター・フォークという役者が好きで、彼の伝記本を持っている程度には思い入れのある人物です。亡くなったときは、重度のアルツハイマー病を患っていたという話を数年前に聞いていたので、それほど衝撃もなかったのですが、こうして特集を組まれると、もういないんだということがしみじみと感じられてしまいますね。
刑事コロンボよ永遠に、なんて言ってますけど、AXNの特集自体はピーター・フォーク本人に焦点を当てているものだから、コロンボに限らず主演映画とか関連作品なんかも放送するらしい。それだけならよくある追悼特集だけど、凄いのは50時間ぶっ続けという過去に例を見ない長さであること。9月16日金曜日の午後8時から、18日の午後10時までとは、結構な長さではないでしょうか。まあ、それほどの時間をかけるだけの価値がピーターという役者に存在していることの表れでもあるんだけど、いくら土日を挟むとは言え、私はさてぶっ通しで観ることが出来るのかなw
一応、50時間分のHDD容量は確保してみたけど、9月まではまだ時間があるし、夏アニメが終わる頃にまたダビングとかしないとダメかな。あんまり焼き過ぎると暇なときに観るものがなくなるから、ある程度は残しておきたいんだけど……と、話がずれましたね。まあ、ダビン用BDの買い置きはいくらでもあるから大丈夫ですけど、あれってアニメは26話とか入らなかったりするんですよね。最近は長くても24話ぐらいで終わるのが多いから助かってますけど、25Gだとなかなかどうした。1クールアニメに慣れすぎたせいか、最近じゃ2クールさえ長く感じてしまって困る……と、話が戻ってませんね。日記書くのも久しぶりだから、感覚がいまいち取り戻せてないのかも知れない。何事もなかったのかのように平然と日記を再開させてますけど、実質1ヵ月は放置していた気がするからなぁ。その辺の話はまた今度書きますけど。
ピーター・フォークの話をすると、今回は50時間放送すると言っても前述のとおり刑事コロンボを50本流すわけでもなく、視聴者が選ぶベストエピソードを募集して、上位10作品を流すという感じらしい。既にAXNのサイトでは応募が始まっていて、刑事コロンボ全69話の中から好きなものを1つ選べる形になっています。
URL:http://mystery.co.jp/present/columbo/
私は比較的どの話も好きだけど、敢えて1本選ぶとしたらどれかな……奇を衒わずに言うならば、52話の完全犯罪の誤算とか印象深いですね。タイトル通りほぼ完全犯罪だったんだけど、たった一欠片の見落としがすべてを覆したというなかなかの名作で、吹き替えの久米明がいい味出してるんですよ。1話前のだまされたコロンボと比較すると正統派な作品で、犯人である弁護士役のパトリック・マクグーハンとの間に交わされるやりとりは見事なものがあった。ピーター・フォークの伝記には、このエピソードを作るにあたっての裏話が克明に記されていて、ネタバレになるので詳細は書けないが、コロンボが犯人を上げる決定的な証拠の元ネタなどを、コロンボ役であるピーター本人が考えた話なのである。ピーターが主演として作品作りや脚本に関わることは決して珍しいことではないのだけど、伝記に描かれた裏話はニヤリとくる軽妙さがあり、私は感心してしまった。
ここで重要なのは元々好きだったエピソードの裏話を、後から読む機会を得たということであり、裏話を知ったから好きになったわけではないということだ。伝記読了後に完全犯罪の誤算を見たことはないけれど、もし今回の特集で放送する可能性があるというのなら、私は一票投じてみたいものである。
まあ、9月まではまだ時間もあるので編成情報などをしっかりチェックしつつ、放送に備えたいと思います。ただ、問題はHDDの容量ばかりでなくて、この50時間放送の中で他局はなにを放送するかってことなんですよね。アニメチャンネルも土日は特別番組を組んでくることが多いですし、1回きりしか放送しない映画とかだったら、少し迷ってしまうかも知れない。また、50時間もぶっ通しで取るほど、うちにあるスカパチューナーは強くない……なんとかするしかないんだけどさ。兎にも角にも、私は放送が楽しみです。
刑事コロンボよ永遠に、なんて言ってますけど、AXNの特集自体はピーター・フォーク本人に焦点を当てているものだから、コロンボに限らず主演映画とか関連作品なんかも放送するらしい。それだけならよくある追悼特集だけど、凄いのは50時間ぶっ続けという過去に例を見ない長さであること。9月16日金曜日の午後8時から、18日の午後10時までとは、結構な長さではないでしょうか。まあ、それほどの時間をかけるだけの価値がピーターという役者に存在していることの表れでもあるんだけど、いくら土日を挟むとは言え、私はさてぶっ通しで観ることが出来るのかなw
一応、50時間分のHDD容量は確保してみたけど、9月まではまだ時間があるし、夏アニメが終わる頃にまたダビングとかしないとダメかな。あんまり焼き過ぎると暇なときに観るものがなくなるから、ある程度は残しておきたいんだけど……と、話がずれましたね。まあ、ダビン用BDの買い置きはいくらでもあるから大丈夫ですけど、あれってアニメは26話とか入らなかったりするんですよね。最近は長くても24話ぐらいで終わるのが多いから助かってますけど、25Gだとなかなかどうした。1クールアニメに慣れすぎたせいか、最近じゃ2クールさえ長く感じてしまって困る……と、話が戻ってませんね。日記書くのも久しぶりだから、感覚がいまいち取り戻せてないのかも知れない。何事もなかったのかのように平然と日記を再開させてますけど、実質1ヵ月は放置していた気がするからなぁ。その辺の話はまた今度書きますけど。
ピーター・フォークの話をすると、今回は50時間放送すると言っても前述のとおり刑事コロンボを50本流すわけでもなく、視聴者が選ぶベストエピソードを募集して、上位10作品を流すという感じらしい。既にAXNのサイトでは応募が始まっていて、刑事コロンボ全69話の中から好きなものを1つ選べる形になっています。
URL:http://mystery.co.jp/present/columbo/
私は比較的どの話も好きだけど、敢えて1本選ぶとしたらどれかな……奇を衒わずに言うならば、52話の完全犯罪の誤算とか印象深いですね。タイトル通りほぼ完全犯罪だったんだけど、たった一欠片の見落としがすべてを覆したというなかなかの名作で、吹き替えの久米明がいい味出してるんですよ。1話前のだまされたコロンボと比較すると正統派な作品で、犯人である弁護士役のパトリック・マクグーハンとの間に交わされるやりとりは見事なものがあった。ピーター・フォークの伝記には、このエピソードを作るにあたっての裏話が克明に記されていて、ネタバレになるので詳細は書けないが、コロンボが犯人を上げる決定的な証拠の元ネタなどを、コロンボ役であるピーター本人が考えた話なのである。ピーターが主演として作品作りや脚本に関わることは決して珍しいことではないのだけど、伝記に描かれた裏話はニヤリとくる軽妙さがあり、私は感心してしまった。
ここで重要なのは元々好きだったエピソードの裏話を、後から読む機会を得たということであり、裏話を知ったから好きになったわけではないということだ。伝記読了後に完全犯罪の誤算を見たことはないけれど、もし今回の特集で放送する可能性があるというのなら、私は一票投じてみたいものである。
まあ、9月まではまだ時間もあるので編成情報などをしっかりチェックしつつ、放送に備えたいと思います。ただ、問題はHDDの容量ばかりでなくて、この50時間放送の中で他局はなにを放送するかってことなんですよね。アニメチャンネルも土日は特別番組を組んでくることが多いですし、1回きりしか放送しない映画とかだったら、少し迷ってしまうかも知れない。また、50時間もぶっ通しで取るほど、うちにあるスカパチューナーは強くない……なんとかするしかないんだけどさ。兎にも角にも、私は放送が楽しみです。
MLW式萌えキャラ名鑑 第1回「ひよひよ劇場で奏でられる男女の仲」
2011年4月1日 読書
溜め込んでいる日記を書こうということで、ネタが続く限りMLW式萌えキャラ名鑑でもやろうかと思います。要は私が好きなアニメ、漫画、エロゲのキャラクターについて延々と語ろうというコーナーで、私が大昔開いていたHPで似たようなコンテンツがありましたね。自分がこれまで入れ込んだキャラはどれだけいるのかっていう話でもあるけど、私は基本的に俺の嫁という考えが理解出来ない人なので、普通のキャラ語りとは違いますし、基本はカップリング重視になるのかな。
第1回目に取り上げるヒロインは、数年前までガンガンで連載していた探偵漫画、スパイラル~推理の絆~のヒロイン、結崎ひよのです。作品の第1話から登場した月臣学園の深部部長を務める女生徒で、見た目からは分かりにくいですが2年生と主人公の鳴海歩より学年が上の先輩になります。所謂、年上ヒロインという奴ですが、行動や言動からそれを感じさせるものは殆ど無く、また、歩自身先輩に対する敬意なんてものは欠片もなかったので、この二人は対等かどうかも怪しい関係でした。もっとも、年上キャラとしては歩の義姉であるまどかさんの方が印象強かったので、それによって霞んでしまったというのもあるんでしょうね。少なくとも、ひよのを先輩ないし年上として好きだと思っている人は、ほとんどいなかったのではないでしょうか?
愛嬌ある性格をしながら、新聞部の部長として各種情報に精通しているひよのは、学生たちは愚か教師たちからも恐れられる存在であり、裏世界の人間たちとも対等に渡り合える胆力を持っている少女です。警察官でありながら、夫である清貴が失踪していることもあり、どこか弱い部分を見せるまどかさんとは大局に近い形があり、ひよのが自分の弱さを見せたのは、結局最終回の一歩手前ぐらいでした。私はその強いところと、どんなことがあっても歩を信じ続ける一途さに退かれ、今でも歩ひよはベストカップリングの一つであると信じています。この二人には、それぐらいの魅力があったんですね。当時も大分熱狂していた記憶があるけど、スパイラルオンリーとかよく言ったっけ。ガンガン作品としては、特に女性人気も高かったしね。
ひよのの魅力は語り尽くせないほど多いのですが、実はひよのは原作者的に作品のヒロインではなかったとされている。スパイラルの作者は城平京というミステリ作家崩れですが、この人はどうにも年上好みらしく、当初スパイラルのヒロインはひよのではなく、義姉のまどかさんであるという認識のもとに書いていたらしいです。考えて見れば歩の初恋の相手ですし、要所要所で出てくるのはいつもまどかさんでしたっけ。私は姉というジャンルが好きではないから興味がなかったんだけど、漫画ファンというのは正直なもので、外見的可愛らしさも相成って、ひよのの方が人気でちゃったんですよね。最初、原作者はひよのを大したキャラとは考えておらず、外見的にも地味な存在で設定したらしいのですが、編集の指示なのか作画担当の水野英多が、かなり可愛い娘に仕上げちゃったんですよ。可愛い娘の人気が上がらないわけはないってことで、原作者としてはほとんど予想外なほどの人気キャラになってしまう、それ故の方向転換に迫られたとかなんとか。
スパイラルという作品の壮大なネタバレになってしまうので深くは語れないんですけど、私は原作者がいうところの「歩とひよのを対等な立場にしてあげたかった」というのは嘘だと思ってます。だって、城平京は多分ひよののこと嫌いだもん。自分で、水野英多の絵に負けたと言ってしまうぐらい、まどかさんに対する思い入れが強く、ひよのに対する恨みのような感情を持ってたから。まあ、最終回は一応歩ひよで落ち着かせましたけど。
沈着冷静な鳴海歩に対して、天真爛漫にして傍若無人とも言えるひよのがズケズケと踏み込んでくる辺り、私はこの二人が結構釣り合い取れてると思うんですよ。原作者の後期に出したノベライズで、歩のパートナーして最も相応しいのは、なんだかんだ言ってひよのであると認めてますから。正直、鳴海清隆最大の誤算は、歩がひよのを自分に惚れさせてしまったことだと思うんですよ。歩は無意識なんだろうけど、ひよのは最後まで歩を信じていたからこそ、自分の役目を果たすことができたんだと思う。最終回の後がどうなったのかは分かりませんが、このまま連れ立って逃げ出して欲しいとさえ、当時は考えていました。色々な意味で幸せとは程遠かった二人ですし、最後ぐらいは、それをつかんでもいいんじゃないかと思いました。
第1回目に取り上げるヒロインは、数年前までガンガンで連載していた探偵漫画、スパイラル~推理の絆~のヒロイン、結崎ひよのです。作品の第1話から登場した月臣学園の深部部長を務める女生徒で、見た目からは分かりにくいですが2年生と主人公の鳴海歩より学年が上の先輩になります。所謂、年上ヒロインという奴ですが、行動や言動からそれを感じさせるものは殆ど無く、また、歩自身先輩に対する敬意なんてものは欠片もなかったので、この二人は対等かどうかも怪しい関係でした。もっとも、年上キャラとしては歩の義姉であるまどかさんの方が印象強かったので、それによって霞んでしまったというのもあるんでしょうね。少なくとも、ひよのを先輩ないし年上として好きだと思っている人は、ほとんどいなかったのではないでしょうか?
愛嬌ある性格をしながら、新聞部の部長として各種情報に精通しているひよのは、学生たちは愚か教師たちからも恐れられる存在であり、裏世界の人間たちとも対等に渡り合える胆力を持っている少女です。警察官でありながら、夫である清貴が失踪していることもあり、どこか弱い部分を見せるまどかさんとは大局に近い形があり、ひよのが自分の弱さを見せたのは、結局最終回の一歩手前ぐらいでした。私はその強いところと、どんなことがあっても歩を信じ続ける一途さに退かれ、今でも歩ひよはベストカップリングの一つであると信じています。この二人には、それぐらいの魅力があったんですね。当時も大分熱狂していた記憶があるけど、スパイラルオンリーとかよく言ったっけ。ガンガン作品としては、特に女性人気も高かったしね。
ひよのの魅力は語り尽くせないほど多いのですが、実はひよのは原作者的に作品のヒロインではなかったとされている。スパイラルの作者は城平京というミステリ作家崩れですが、この人はどうにも年上好みらしく、当初スパイラルのヒロインはひよのではなく、義姉のまどかさんであるという認識のもとに書いていたらしいです。考えて見れば歩の初恋の相手ですし、要所要所で出てくるのはいつもまどかさんでしたっけ。私は姉というジャンルが好きではないから興味がなかったんだけど、漫画ファンというのは正直なもので、外見的可愛らしさも相成って、ひよのの方が人気でちゃったんですよね。最初、原作者はひよのを大したキャラとは考えておらず、外見的にも地味な存在で設定したらしいのですが、編集の指示なのか作画担当の水野英多が、かなり可愛い娘に仕上げちゃったんですよ。可愛い娘の人気が上がらないわけはないってことで、原作者としてはほとんど予想外なほどの人気キャラになってしまう、それ故の方向転換に迫られたとかなんとか。
スパイラルという作品の壮大なネタバレになってしまうので深くは語れないんですけど、私は原作者がいうところの「歩とひよのを対等な立場にしてあげたかった」というのは嘘だと思ってます。だって、城平京は多分ひよののこと嫌いだもん。自分で、水野英多の絵に負けたと言ってしまうぐらい、まどかさんに対する思い入れが強く、ひよのに対する恨みのような感情を持ってたから。まあ、最終回は一応歩ひよで落ち着かせましたけど。
沈着冷静な鳴海歩に対して、天真爛漫にして傍若無人とも言えるひよのがズケズケと踏み込んでくる辺り、私はこの二人が結構釣り合い取れてると思うんですよ。原作者の後期に出したノベライズで、歩のパートナーして最も相応しいのは、なんだかんだ言ってひよのであると認めてますから。正直、鳴海清隆最大の誤算は、歩がひよのを自分に惚れさせてしまったことだと思うんですよ。歩は無意識なんだろうけど、ひよのは最後まで歩を信じていたからこそ、自分の役目を果たすことができたんだと思う。最終回の後がどうなったのかは分かりませんが、このまま連れ立って逃げ出して欲しいとさえ、当時は考えていました。色々な意味で幸せとは程遠かった二人ですし、最後ぐらいは、それをつかんでもいいんじゃないかと思いました。
俺の妹がこんなに可愛いわけがない〈7〉 ((電撃文庫))
2010年11月5日 読書
私は色々な事情から千代田区にある出版社の編集部に居候しているのですが、会社から徒歩で行けるほど秋葉原や神保町は近い場所にあります。なのでここ数年はよく行くことも多いのですが、昼頃にTwitterを見ていたら書泉ブックマートで電撃文庫の新刊が売っているというのを見たので、ちょっと出掛けてみることにしました。私はそれほど電撃文庫を読まないというか、ラノベ自体そんなに読まなくなってしまったんだけど、例えば灼眼のシャナとかは惰性で買い続けている作品の一つです。ただ、どうしてか書泉ではシャナを見つけることが出来なかったので、他に関心があった作品を買って帰ることに。
元々、俺妹という作品に対する私の評価はそれほど高くないというか、正直言って好きでもなんでもないんだけど、最新刊である7巻は少し内容が面白そうだったので早売りを買ってみることに。情報では文化の日より前には手に入ったらしいけど、最近早いですね。私はあの界隈の早売り書店をすべて網羅してますけど、秋葉原では書泉のみならずメロンブックスやとらのあなでも販売が開始されていたようだし、本来の発売日は10日のはずだから、1週間以上前か。角川系列は全体的に早い印象があるね。文庫、コミックス問わず。
私が最新刊を買った理由は、主に黒猫なんですけど、まさかストレートにこういう展開を持ってくるとは思わなかった。誰になるかとは思っていたし、黒猫だろうとは思ってたけど……アニメ放送している最中によく書いたなって感じではある。別にそこを特別褒めているわけでもないんだけど、要するに私の趣味と一致したんだろうね。以前にも書いた気がするけど、私の創作物における恋愛観ってのは少し変わっていて、必ずしも主人公とメインヒロインがくっつく必要はないと思っているので。言ってしまえば、後から出てきた女が主人公かっさらう展開が好きなんだけど、それはなにもNTRではなくて、移りゆく恋とでも言うの? あるじゃない、そういうの。最初はこっちだったと思われていたものが、実はそっちだったとかさ。行き着く先、ゴール、着地点にして終着点。まあ、今回の俺妹はまだゴールでもなんでもないけど、一つの結果や結論として、良い判断をしたんじゃないかなと思って。
私は俺妹という作品を、所謂近親愛がテーマの作品だとは思ってません。兄妹における禁断の愛とか、作中では妹系のエロゲがいくつか出てきますけど、出てくるからこそエロゲのような展開や話にはならないし、なっちゃいけないのではないかなと、そう思っているので。7巻において桐乃は遠回しとも直接的とも取れる行動や言動で、兄への想いが恋愛感情であることを読者にハッキリと知らしめています。それはもう序盤というか、始まった瞬間から書かれているようなもので、前巻のラストで自分の恋人になって欲しいと兄に告げた桐乃の感情がどういうものだったのかを、正確に読み取ることが出来る。
話だけ読み進めていくなら、桐乃は京介に彼氏の振りを頼んだ。けれど、桐乃の本心からすれば本気で彼氏になって欲しい、恋人になって欲しいと思っていたことが分かる。でなければ、その申し出にどん引きした京介の反応に、顔面蒼白にはならないからだ。いくつかの点から考えて、桐乃が京介のことを恋愛対象として好きであるのは間違いない。そして、京介もまた自分のことが好きなのではないかと、そういう錯覚を彼女はしていた。エロゲのやり過ぎだと言えばそれまでだけど、京介の発言にも問題があった。京介がシスコンだからこそ、シスコン=恋愛という構図が桐乃の頭の中には出来ていたのだ。だからこそ彼女は期待もしていたし、今ならいけると自分の気持ちをぶつけてみた。けれどそれは勘違いに過ぎなくて、故に桐乃は話をでっち上げなくてはならなかった。
7巻は随所に桐乃が京介を恋愛面で意識している描写が散見しており、終盤の偽彼氏騒動はその極みだと思います。でも、それに対して京介が出した答えは、兄としての姿だけだった。この時点で桐乃は、自分には完全に脈がないことへ気付いたのか? いや、脈とかそれ以前の問題だったわけだが、少なくとも桐乃は自分の気持ちに区切りをつけるときが来たんでしょう。
私は桐乃の京介に対する恋愛感情そのものが、ある種の錯覚だと思っています。そしてその錯覚を解いて、如何に正常な兄妹の関係性を取り戻していくかが話のテーマだと思っているので……まあ、兄妹仲をテーマにしたホームドラマみたいなものですね。そこに恋愛が絡む必要はないし、近親愛にしてしまうと作品が成り立たなくなってしまう。そのために、黒猫の存在は重要になってくるのではないか?
少し長くなったので、黒猫の話は明日に回すとしましょう。正直、桐乃について書いてきたけど、メインは黒猫なので。一見すると第7巻は桐乃の話であり、最後の最後に黒猫が持って行った感じがするけど、私は十分に黒猫活躍というか、見せ場があったと思いますし。1つの話で2回も告白して、結果をつかみ取ったわけですからね。もう黒猫は既刊含めて何回告白してるんだよって感じですが、果たしてこのまま成熟した想いを完遂することが出来るのか。まあ、詳しい話はまた明日。
元々、俺妹という作品に対する私の評価はそれほど高くないというか、正直言って好きでもなんでもないんだけど、最新刊である7巻は少し内容が面白そうだったので早売りを買ってみることに。情報では文化の日より前には手に入ったらしいけど、最近早いですね。私はあの界隈の早売り書店をすべて網羅してますけど、秋葉原では書泉のみならずメロンブックスやとらのあなでも販売が開始されていたようだし、本来の発売日は10日のはずだから、1週間以上前か。角川系列は全体的に早い印象があるね。文庫、コミックス問わず。
私が最新刊を買った理由は、主に黒猫なんですけど、まさかストレートにこういう展開を持ってくるとは思わなかった。誰になるかとは思っていたし、黒猫だろうとは思ってたけど……アニメ放送している最中によく書いたなって感じではある。別にそこを特別褒めているわけでもないんだけど、要するに私の趣味と一致したんだろうね。以前にも書いた気がするけど、私の創作物における恋愛観ってのは少し変わっていて、必ずしも主人公とメインヒロインがくっつく必要はないと思っているので。言ってしまえば、後から出てきた女が主人公かっさらう展開が好きなんだけど、それはなにもNTRではなくて、移りゆく恋とでも言うの? あるじゃない、そういうの。最初はこっちだったと思われていたものが、実はそっちだったとかさ。行き着く先、ゴール、着地点にして終着点。まあ、今回の俺妹はまだゴールでもなんでもないけど、一つの結果や結論として、良い判断をしたんじゃないかなと思って。
私は俺妹という作品を、所謂近親愛がテーマの作品だとは思ってません。兄妹における禁断の愛とか、作中では妹系のエロゲがいくつか出てきますけど、出てくるからこそエロゲのような展開や話にはならないし、なっちゃいけないのではないかなと、そう思っているので。7巻において桐乃は遠回しとも直接的とも取れる行動や言動で、兄への想いが恋愛感情であることを読者にハッキリと知らしめています。それはもう序盤というか、始まった瞬間から書かれているようなもので、前巻のラストで自分の恋人になって欲しいと兄に告げた桐乃の感情がどういうものだったのかを、正確に読み取ることが出来る。
話だけ読み進めていくなら、桐乃は京介に彼氏の振りを頼んだ。けれど、桐乃の本心からすれば本気で彼氏になって欲しい、恋人になって欲しいと思っていたことが分かる。でなければ、その申し出にどん引きした京介の反応に、顔面蒼白にはならないからだ。いくつかの点から考えて、桐乃が京介のことを恋愛対象として好きであるのは間違いない。そして、京介もまた自分のことが好きなのではないかと、そういう錯覚を彼女はしていた。エロゲのやり過ぎだと言えばそれまでだけど、京介の発言にも問題があった。京介がシスコンだからこそ、シスコン=恋愛という構図が桐乃の頭の中には出来ていたのだ。だからこそ彼女は期待もしていたし、今ならいけると自分の気持ちをぶつけてみた。けれどそれは勘違いに過ぎなくて、故に桐乃は話をでっち上げなくてはならなかった。
7巻は随所に桐乃が京介を恋愛面で意識している描写が散見しており、終盤の偽彼氏騒動はその極みだと思います。でも、それに対して京介が出した答えは、兄としての姿だけだった。この時点で桐乃は、自分には完全に脈がないことへ気付いたのか? いや、脈とかそれ以前の問題だったわけだが、少なくとも桐乃は自分の気持ちに区切りをつけるときが来たんでしょう。
私は桐乃の京介に対する恋愛感情そのものが、ある種の錯覚だと思っています。そしてその錯覚を解いて、如何に正常な兄妹の関係性を取り戻していくかが話のテーマだと思っているので……まあ、兄妹仲をテーマにしたホームドラマみたいなものですね。そこに恋愛が絡む必要はないし、近親愛にしてしまうと作品が成り立たなくなってしまう。そのために、黒猫の存在は重要になってくるのではないか?
少し長くなったので、黒猫の話は明日に回すとしましょう。正直、桐乃について書いてきたけど、メインは黒猫なので。一見すると第7巻は桐乃の話であり、最後の最後に黒猫が持って行った感じがするけど、私は十分に黒猫活躍というか、見せ場があったと思いますし。1つの話で2回も告白して、結果をつかみ取ったわけですからね。もう黒猫は既刊含めて何回告白してるんだよって感じですが、果たしてこのまま成熟した想いを完遂することが出来るのか。まあ、詳しい話はまた明日。
Snedronningen
2010年6月3日 読書
不思議の国のアリスという作品は、多くの人のアイデンティティになっており、創作家の中でも影響を受けたという人は枚挙にいとまがない。あの世界的な偉人であるウォルト・ディズニーも原点として不思議の国と鏡の国を上げているし、日本でいえば漫画家の木下さくらなどがそれに当たるだろう。海外文学というのは児童書であっても翻訳の影響を強く受けるが、アリスのように様々な翻訳家が訳している作品だと、どの訳を読んだかで印象がだいぶ違うのではないだろうか? 例えば福島正実と村山由佳とか。もちろん、和田誠をはじめとした様々なイラストレーターから受ける印象も大きのだろうが。
私はアリスという作品にあまり思い入れがない。嫌いではないが、自分が創作をする上でそれほど強い影響を与えられたのかといえば、そんなものは毛ほども存在しないだろう。私にとってアリスとは課題作ではない。童話史に刻まれた最高傑作の一つではあると思うが、特別な存在として見たことは一度もないだろう。ルイス・キャロルは偉人であり偉大な作家だが、私にとっての神ではなかった。
ルイス・キャロルの生涯は66年間であり、彼は1898年に死んだ。彼は1900年代を生きることも、20世紀の作家として名を残すこともなかったが、彼が死去する23年前に一人の童話作家がこの世を去っている。ルイス・キャロルよりも27年早く生まれ、生涯年数でいえば4年長く生きたその作家の名は、ハンス・クリスチャン・アンデルセンという。
人魚姫、マッチ売りの少女、裸の王様……日本においてもアンデルセンの作品は、アンデルセン童話として親しまれ、みにくいアヒルの子や親指姫、赤い靴などは日本人でも読んだことがある人は多いのではないだろうか?
児童文学を将来の夢の一つに掲げている私の原点は、キャロルではなくアンデルセンである。ハンス・クリスチャン・アンデルセンこそ私にとっての神であり、自分自身の創作に多大なる影響を与えてくれた作家だった。そして私のアイデンティティにして、課題作となる作品、それこそがアンデルセンの代表作の一つ、「雪の女王」なのだ。
キャロルとアンデルセンには27歳の年の差が存在し、同時代に彼らが交流を持っていたという史実は存在しない。旅人であったアンデルセンは世界を放浪する中で、かのグリム兄弟やチャールズ・ディケンズなど、1800年代を代表する偉大な作家たちと交流を深めている。中でもディケンズとの間には数々の逸話が存在しており、彼がイギリス人であったことを考えれば、キャロルと知己になっていてもおかしくはなさそうであるが、実のところルイス・キャロルが不思議の国のアリスを発表し、作家として大成するのは1865年、アンデルセンが死去する10年前なのだ。それ以前のキャロルは所謂風刺作家、詩人としてそれなりに名が知られていたに過ぎず、同国人であるディケンズや、フランス史上最大の作家アレクサンドル・デュマなどとは実績も名声も比べものにならないほど低かった。
少し話外れるが、この1800年代というのは凄い時代である。キャロルやアンデルセンはもちろん、ディケンズやデュマ、オノレ・ド・バルザックにヴィクトル・ユーゴーまで同時代人だというのだから。無論、これは単なる偶然であり、そんなことをいえば1900年代にも2000年代にも名作、傑作、天才作家は存在しているのだから、なにも1800年代だけが特別ではないのだろうが、連ねられた偉大な作家たちの名前に息を呑んでしまうのは、私だけではないはずだ。
私がアンデルセンを敬愛し、自身の創作に置いてのアイデンティティとしているのは、単純にアンデルセン童話が好きだからであるが、もう一つ付け足すのならば、それが完全なる創作の上に成り立っているからだろう。グリム兄弟が民間伝承や民俗説話などを元に童話を作ったのと違い、アンデルセンはオリジナルの創作童話を数多く残した。決してグリム兄弟を下に見るわけではないが、アンデルセンは彼の若き日の苦悩や年老いてから得た悟りなど、そういった一個人としての生涯や生き様を、作家として作品に散りばめ続けたのだ。
アンデルセンは70歳の時に病で死去しているが、人生の最後までおとぎ話を書き続けた彼の死に、世界中の人々が嘆いたと言われている。その生涯は決して幸福に満たされていたわけではなかったが、アンデルセンの作品は今もアンデルセン童話として、日本を含めた世界中で愛されているのである。
雪の女王という作品について、私は当然のごとく色々書きたいことがある。少なくともアリス好きがアリスに対する思い入れを語るぐらいには、私にも雪の女王に対する思い入れがあり、語り尽くしたいほどの気持ちがあるのだが、長くなるので今回はやめておくことにしよう。物書きとしてあるまじきことを言えば、自分の想いや気持ちというものを、要点まとめて伝えられる自信がないのだ。
私がふいにこのような児童文学に付いての話を書いたのは、偶然にも不思議の国のアリスに付いて書かれた日記を読んだからであるが、言いたいことはただの一つだ。人にはそれぞれ思い入れの強い作品というものがあり、自身のアイディンティティやライフワークとなるべきものがある。誰もが認める名作の場合や、誰も知らないマイナーな作品ということもあるだろう。
人々がキャロルを愛することも、私がアンデルセンを敬愛することも、そしてこの日記を読んだ人が自分の一番好きな作家に捧げる想いも、本質としては変りないのだ。作品や作家が有名か無名かなど関係ない、肝心なのは自分がどれほど影響を受けたのか、それだけの話なのだから。
私はアリスという作品にあまり思い入れがない。嫌いではないが、自分が創作をする上でそれほど強い影響を与えられたのかといえば、そんなものは毛ほども存在しないだろう。私にとってアリスとは課題作ではない。童話史に刻まれた最高傑作の一つではあると思うが、特別な存在として見たことは一度もないだろう。ルイス・キャロルは偉人であり偉大な作家だが、私にとっての神ではなかった。
ルイス・キャロルの生涯は66年間であり、彼は1898年に死んだ。彼は1900年代を生きることも、20世紀の作家として名を残すこともなかったが、彼が死去する23年前に一人の童話作家がこの世を去っている。ルイス・キャロルよりも27年早く生まれ、生涯年数でいえば4年長く生きたその作家の名は、ハンス・クリスチャン・アンデルセンという。
人魚姫、マッチ売りの少女、裸の王様……日本においてもアンデルセンの作品は、アンデルセン童話として親しまれ、みにくいアヒルの子や親指姫、赤い靴などは日本人でも読んだことがある人は多いのではないだろうか?
児童文学を将来の夢の一つに掲げている私の原点は、キャロルではなくアンデルセンである。ハンス・クリスチャン・アンデルセンこそ私にとっての神であり、自分自身の創作に多大なる影響を与えてくれた作家だった。そして私のアイデンティティにして、課題作となる作品、それこそがアンデルセンの代表作の一つ、「雪の女王」なのだ。
キャロルとアンデルセンには27歳の年の差が存在し、同時代に彼らが交流を持っていたという史実は存在しない。旅人であったアンデルセンは世界を放浪する中で、かのグリム兄弟やチャールズ・ディケンズなど、1800年代を代表する偉大な作家たちと交流を深めている。中でもディケンズとの間には数々の逸話が存在しており、彼がイギリス人であったことを考えれば、キャロルと知己になっていてもおかしくはなさそうであるが、実のところルイス・キャロルが不思議の国のアリスを発表し、作家として大成するのは1865年、アンデルセンが死去する10年前なのだ。それ以前のキャロルは所謂風刺作家、詩人としてそれなりに名が知られていたに過ぎず、同国人であるディケンズや、フランス史上最大の作家アレクサンドル・デュマなどとは実績も名声も比べものにならないほど低かった。
少し話外れるが、この1800年代というのは凄い時代である。キャロルやアンデルセンはもちろん、ディケンズやデュマ、オノレ・ド・バルザックにヴィクトル・ユーゴーまで同時代人だというのだから。無論、これは単なる偶然であり、そんなことをいえば1900年代にも2000年代にも名作、傑作、天才作家は存在しているのだから、なにも1800年代だけが特別ではないのだろうが、連ねられた偉大な作家たちの名前に息を呑んでしまうのは、私だけではないはずだ。
私がアンデルセンを敬愛し、自身の創作に置いてのアイデンティティとしているのは、単純にアンデルセン童話が好きだからであるが、もう一つ付け足すのならば、それが完全なる創作の上に成り立っているからだろう。グリム兄弟が民間伝承や民俗説話などを元に童話を作ったのと違い、アンデルセンはオリジナルの創作童話を数多く残した。決してグリム兄弟を下に見るわけではないが、アンデルセンは彼の若き日の苦悩や年老いてから得た悟りなど、そういった一個人としての生涯や生き様を、作家として作品に散りばめ続けたのだ。
アンデルセンは70歳の時に病で死去しているが、人生の最後までおとぎ話を書き続けた彼の死に、世界中の人々が嘆いたと言われている。その生涯は決して幸福に満たされていたわけではなかったが、アンデルセンの作品は今もアンデルセン童話として、日本を含めた世界中で愛されているのである。
雪の女王という作品について、私は当然のごとく色々書きたいことがある。少なくともアリス好きがアリスに対する思い入れを語るぐらいには、私にも雪の女王に対する思い入れがあり、語り尽くしたいほどの気持ちがあるのだが、長くなるので今回はやめておくことにしよう。物書きとしてあるまじきことを言えば、自分の想いや気持ちというものを、要点まとめて伝えられる自信がないのだ。
私がふいにこのような児童文学に付いての話を書いたのは、偶然にも不思議の国のアリスに付いて書かれた日記を読んだからであるが、言いたいことはただの一つだ。人にはそれぞれ思い入れの強い作品というものがあり、自身のアイディンティティやライフワークとなるべきものがある。誰もが認める名作の場合や、誰も知らないマイナーな作品ということもあるだろう。
人々がキャロルを愛することも、私がアンデルセンを敬愛することも、そしてこの日記を読んだ人が自分の一番好きな作家に捧げる想いも、本質としては変りないのだ。作品や作家が有名か無名かなど関係ない、肝心なのは自分がどれほど影響を受けたのか、それだけの話なのだから。
Ⅲ
週末、僕は休暇を取り、旅支度を整え、リゾート地湯河原に向かった。東海道線の車両は人いきれでむせ返るようであった。僕のような休暇旅行のようなものは見あたらない。リゾートを楽しめるような人々は、皆月に登った。列車の中は、ほとんどが東から西へ向かう労働者たちだ。
病院は駅からバスで三十分ばかりの海沿いの場所に建っていた。小さくて小奇麗な、白い建物だった。
まるで、彼女の水族館みたいじゃないか。
構内の葉桜が朝の光を反射して眩しい。もう、春も終わりに近づいているのだ。
「体の調子はどう?」
「悪くはないわ。一週間前からリハビリを始めたところよ。何とか歩けるようにはなったの」
僕はキトラが入院している個室へと見舞いに来ていた。
「ありがとう……でも、あなたには都合が悪いんじゃない?」
「歩けるようになったら、また戦場に行くの?」
「さあ、どうかしかしら?」
おそらく、答えは決まっているのだろう。
「好きにすればいいさ。君の思うようにすればいい」
「随分な転向ね。平和主義も、すっかり匙を投げてしまったの? それとも、あなたもレジスタンスに入っちゃったのかしら」
意外そうだが、どこか楽しげにキトラは訊いてくる。
「そうじゃない。多分、そうじゃないと思う」
僕は否定する。そしてキトラは、少し寂しげな声を出す。
「私がまた鉄砲に撃たれたら、また助けに来てくれる?」
「行くさ、何百回だってね」
だから僕は、ハッキリと答える。
「千五百キロも離れてるかもしれない、上海で撃たれるかもしれないのよ?」
「きっとね、そういう時は、何故か僕も上海に居るんだ」
「ふーん……」
キトラは僕の答えに、少し考えながら、窓のほうに目をやった。
「ねえ、外に出ましょうよ。ここからじゃ海がよく見えないし、毎日天井を眺めているのは、気が滅入るわ」
「海が好きなの?」
「海が嫌いな人が居ると思うの? あなたは時々、本当につまらないことを言うのね」
Ⅳ
「あー、気持ちいいー。この海にも生き物が居るのかしら?」
「この季節だと、クラゲが沢山居るだろうね」
僕とキトラは、病院からすぐの海岸へと来ていた。キトラはまだ自由に歩ける段階ではなく、車イスで出てきた。
「海の生物はどんどん絶滅してるのでしょう?」
「クラゲは、見た目によらずとても生命力の強い生き物なんだ。どんな海だって生きていける。友達の女の子が教えてくれた」
「クラゲみたいに何も考えず、どんなところにも行けたらいいのにね」
「悩みながら生きるのも、それほど捨てたものではないさ。人のこととか、地球や月のことまで抱え込んで引きずられている姿は、ある意味ではとても幸せかもしれない……もしかしたらクラゲにだって悩みはあるかもしれないし、家族や、居なくなってしまった仲間を、とても心配しているクラゲも居るかもしれない」
クラゲのことを言っているようで、僕やキトラにも十分当てはまることだった。
「ねぇ、少し私のことを話しても良い?」
「ああいいとも」
海を見つめる少女の瞳には出会ったときや、僕の家で過ごしていたときと違って、光が宿っているように見えた。感情という、光が。
「私は父が事故で死んでから、地区の長老の家に里子に出されたの。新しい父は随分おじいちゃんだったけど、街の労働者のリーダーで、私のような子供をこっそり匿って月や、改修公社と戦うときのための兵士として育てていたの」
それは僕の知らない世界、知らない現実、見てこなかった事実。
「家にはたくさんの子供が居たわ。町の人たちも彼の活動に協力していたから、私たちは地区のみんなに育てられたようなものね」
「それで、君に銃を持たせてテロをやらせたのか?」
「強制されたわけじゃないのよ? 行かなかった子だって居たわ。でも、私はそうすることが当然だと思ったし、今でもそう思ってるわ」
主義でも思想でもない、それは信念。
「でも、もう町のみんなは私は死んじゃったと考えているでしょうね……ねぇ、みんなは私のこと心配していると思う? 私が死んでしまったと思って悲しんだと思う?」
「心配してるさ。それに、君が居なくなって、とても悲しんだと思う。君に友達は居る?」
「居るわ、たくさん」
「だったら、君は君の町に、また帰るべきだと思う」
「……そうね、歩けるようになったらそうさせて貰うわ。そして、多分また戦場に行くことになるでしょうね。私は私の友達や、育ててくれた人たちのために戦いたいと思ってるのよ。私のことの手で。あなたはいやがる? 馬鹿げてると思うのかしら?」
どこか寂しげなその問いは、キトラという少女の純粋な気持ちと、その生き方が籠められているように思えた。
「いや、君は君の信じるように生きればいいと思う。君は小さな間違いはたくさんするかもしれないけど、大きく迷子になることはないと思う。それに、危なくなったら五百キロ離れてたって僕が助けに行く」
「上海にいても?」
「上海にいても」
「……馬鹿ね」
「でも、町に帰る前にしばらく僕に付き合って欲しい。連れてきたいところがたくさんあるんだ。着せたい服がある。観覧車にも乗りたいし、アイスクリームも一緒に食べたい。北海道に行けば泳げる海岸だってある」
「意外と陳腐なのねぇ。いいわよ? 高等遊民の生活だって何かの勉強になるんだわ」
キトラは嬉しそうにこちらを見る。その笑顔は、とても可愛らしかった。
「ねぇ、あなたはどうして地球に残ったの? あなたの大切な物って、一体何かしら?」
それは親友の楓が、旅だった同級生が、軍人の頼木中尉が、幼なじみの桐華が、たくさんの人が、僕に訊いてきた質問。
「さぁ……多分それを探していて、月に乗り損ねたんだと思う」
「地球にそれがあると思ったから?」
「……多分」
「そういうのを優柔不断って言うのよ? で? それは見つかったのかしら?」
「多分ね」
キトラの問いに、僕は曖昧な答えを返した。優柔不断な、その答えを。
「……私があなた家でニュースを見て、我を忘れて改修公社に行ったときの話なんだけど」
「ああ」
「改修公社に着いて、貧しい人たちやら学生やらが必死で大声で叫んでいて、石や卵なんかを投げていて……私は後ろからそれを見て、何だかみんなが凄く馬鹿みたいに思えたの」
「馬鹿みたいに?」
意外な発言に僕は聞き返す。
「みんな周りが見えなくなっていて、凄く一生懸命で、何だかとても滑稽な風景だったわ。女の子とアイスクリームを食べたいなんて考えている人は一人もいなかった。でも、別にその人たちを軽蔑しているわけでも、私のことを棚に上げているわけでもないのよ?」
「わかるよ」
「ねぇ、そのとき、きっと私はあなたの気持ちになっていたんだと思うの。あなたの眼で、あなたが見るように暴力的な人たちを眺めていたんだわ……不思議ね、どうしてそんな風に景色が見えたのかしら?」
「それは、君の肺に、まだ僕の家の空気が残っていたからじゃないかな? 僕は世界を外から眺めて、分かっていたような気になっていたし、僕の家は多分二三次元ぐらいの場所にあるからね」
「当てつけで言ってるんじゃないのよ? あぁ、こういう物の見方もあるんだって、私は驚いたの。あなたのような人も、世界には必要だと思うのよ。この不安定な地球を、バランス良く回すためにも、改修公社で働いても、レジスタンスになっても、あなたはこの星を良くしていくことが出来るわ。それは、ほんの少しかもしれないけど」
実際に世界は変えられる。でも、違う。何百年だって――
かつて、頼木中尉はこういった。誰だって世界は変えられるし、救えると考える。そしてそれは大きさの問題ではなく、もっと別のことなのだろう。
「ねぇ、お願いしてもいいかしら? ここで歩いてみる練習をしたいんだけど」
「もちろん」
「まだ一人で立てないの。手に、捉まってもいい?」
「どうぞ」
僕はキトラへゆっくりと手を差し出す。
「んっ」
キトラは力を込め僕の腕を掴み、立ち上がろうとする。
「――っ、結構重いね」
「痛っ!」
「痛いの?」
「痛いに決まってるじゃない。あなたは何でそんな間抜けなことばかり言うの? んっ……もう手を離しても大丈夫よ」
「いや、危ないからこのままでいいよ」
見た目ほど、キトラはまだ回復していないようだった。どこか無理をしているんじゃないだろうかと、心配してしまう。
「実はまだ、歩く練習はしてないのよ」
「大丈夫なの?」
「大丈夫……歩いてみるね」
キトラは右足を前に出す。砂浜は、彼女の足を柔らかく受け止める。
「痛っ……歩いたわ!」
「次は左足」
「んっ! 結構、残酷なことを言うのね~」
キトラは一歩一歩、サクリと音を立てながら砂浜を歩く。
「ふぅ、もういいわ……あ~っ、気持ちいい」
キトラは海を見つめ、両手を広げて立っている。
「……その一歩は、小さな一歩だ」
「昔話」
「…………」
僕が無意識に言葉に出していたそれは、確かに昔話の一部だった。僕とキトラは、声を出して笑った。
「ねぇ、私、あなたのこと好きよ? あなたのことが好きなの」
夕焼けで海が茜色に染まってきた頃に、キトラはそう切り出してきた。それは僕の人生の中で、二度目の告白だった。
「銃で撃たれとき、私は夢中であなたを捜したのよ。何故かしら、あなたがきっと居ると思ったの。そしたらあなたは目の前にいたの。凄いしかめ面をして、あなたは私の名前を呼んだわ。私はあなたの名前を呼んだ。私は嬉しかったの。本当は、私はとても嬉しかったのよ? ねっ、あなたは天使を信じる?」
「どうだろう……多分、信じていないんじゃないかな?」
「私はそのとき思ったの。あぁ、もしこの世に天使が居るなら、あなたみたいな人なんじゃないかなって。しかめ面をして、優柔不断で、少し理屈っぽくて、いつも退屈そうで、でも、あたしを助けに来てくれる」
「随分情けない天使だね」
「自信家で話の上手い天使なんてやじゃない? あたしは褒めてるのよ?」
「でもよく、つまらない昔話を始める」
「フフッ、昔話を始める……つまらない話は天使になるために必要な要素なのよ」
それからというもの、僕は言わなくても良い冗談と、つまらない昔話をやたらめったら喋り続けた。少女はそれを軽くたしなめながら、ずっと笑って聴いていたのだけど、終いにはやはり退屈して、あくびを始めてしまった。
Ⅴ
――前略、桐華様。
お元気そうで何よりです。そして、メールの返事が遅れてごめん。
地球の改修公社も、いよいよ戦争を始めるようです。恐がりなのは、月も地球も同じようなのです。現実には地球のあちこちで小さな内乱が起こっていて、国連軍と改修公社軍、ついに、改修公社も軍隊を持ったのです。彼ら地球を守る軍隊は戦車やミサイルで、反乱軍の鎮圧を始めています。
改修計画も、地球再生計画も、理想は高いのだけど、地球はいよいよ黄昏のときを迎えているようです……。
卒業おめでとう。そして就職も。僕はてっきり、君は水族館に就職するものだと思っていました。水族館で働く君の姿は、何故だかとても似合っているように思えていたから。
イスを作る話は、もちろん憶えています。君の口ぶりだと卒業制作は、あまり納得のいく物じゃなかったみたいですね。
でも、きっと大丈夫です。君はきっと、誰からも愛される素敵なイスを作り上げることが出来ると思う。君が言うように、今はまだ勉強の時期なのでしょう。まだ、全てが始まる前なのです。多分、僕にとっても。
自信を持ってください。君の毒舌で落ち込むことが、僕の楽しみでもあるのだから。
……僕は君のことをとても羨ましく思っています。僕は君がとても羨ましい。君が月へ行ったときも、水族館の話をするときも、正直言って、しんどいぐらい羨ましかった。僕は君みたいになれないことが自分でも分かっていたから……本心では、月に行きたくても行けなかったんだと思う。
僕は大学を卒業して、月改修公社に就職しました。多分、改修計画終了後も、ここに残ることになると思う。でも、きっとそれで良いんだと思います。君が去った後、一人で地球に残ったことで僕は新しい眼で地球を見、そして、新しい人たちに会うことが出来ました。それは君が知っているような、相変わらずひねくれた眼や出会いなのだけど、最近少しずつ分かってきた。
僕はこの地球に残りたい。僕はこの黄昏の星でここに残る人たちの暮らしを見続けていたい。月に旅立ちもせず、鎌倉の二三次元の家でただ日々をやり過ごしていた僕は、所長や友達の言葉にただ相づちを打つだけだった僕は、逃げていただけだ。僕が目をそらすことが出来ないものに、見えないふりをしていただけだった。僕はずっと、僕にしか見えないものを見ていると。
遠くで、銃声が聞こえます。
僕はその音のする方に進もうと思います。戦争に行くという意味ではありません。僕は、僕にしかできないやり方で、人間を救いたい。 それがどんな方法かはわからない。でも、きっとそういうものがあるんです。この地球に、確かにそれを感じるのです。
……何だか、つまらない話をしているな。桐華は月で今まで通り元気にしていてください。桐華のことを考えると、僕はとても励みになります。
月は相変わらず僕の憧れです。そして、多分桐華とセットでそう思うのでしょう。
別れの挨拶のようになってしまったけど、実はもうすぐ出張で一度月に行くことになりそうです。そのときは君が働いていた水族館でも案内してください。楽しみにしています。
長くなってしまったけど、この辺で。
桐華はきっと、素晴らしいイス職人になれます。たくさんの食卓で、学校で、レストランで、オフィスで、大人も、子供も、老人も、恋人たちも、桐華の作ったイスに気持ちよく腰掛けることでしょう……期待しています。頑張って、君は全ての幸運が、味方しているのだから。
では、また――
END
Ⅰ
――お久しぶりです。すっかり、ご無沙汰になってしまいました。元気にしてますか?
全然連絡がないので、ちょっと心配しています。地球はいま、大変そうですね。月の人も、戦争が始まりそうだって、みんなそわそわしています。
若い人の間では、軍隊に入るのがトレンドみたいです。これは冗談で言うのではないのですよ? 大学を卒業して兵隊になった同級生が何人もいるの。美大卒の兵隊なんて、なんか、全時代的でいやな感じです。カイくんもそう思うでしょう? 卒業式で、マシンガンを抱えて記念撮影している人がいたけど、そういうのに限って、芸術の才能はサッパリなんでしょう。
フフッ、きっとそうです♪
あたしはなんだか暗たんたる気分だわ。月の人たちはきっとすごく怖がりなんだと思います。地球を長く離れすぎて、地球の人たちのこと全然わからなくなってるのです。
あたしにしたって、もう一年も月に住んでいて、多分もう地球では住めなくなってるから。カイくんも知ってると思うけど、月の六分の一の重力で暮らしていると、筋肉とか、心拍機能とかがどんどん弱くなって、地球の重力に耐えられない体になってしまいます。どんどん頭でっかちな人間になっていくしね。
だから、地球に住む人々がみんな凶暴な野蛮人みたいに見えてしまうのでしょう。キトラの人はみんな、地球人がナイフを持って襲ってくると思っていて、本気でおびえているのですよ? ニュースによると、たくさんの宇宙戦艦が作られているみたいです。
あたしは、なんだか悲しくなってしまいす。
いきなり暗い話でごめんね。あたしは今、大学を卒業して、小さなデザイン事務所でアルバイトをしています。大学の講師の人がやっているオフィスで、毎日、広告のチラシとかを作っているのだけど、日々勉強って感じで、なかなか充実してると思う。うん。
昔言った、椅子のデザイナーになるっていう夢も、まだ捨てていませんよ。うん、いつか、誰からも愛されるような、素敵なイスが作れたらなぁと、夢のまた夢の話です。
カイくんは、元気にしていますか? あたしはずいぶん見当違いなこともあるけど、一応元気です。後半年で、月は火星に旅立ちます。でも、月と地球の距離が、火星と地球の距離になっても、あたしはカイくんを友達だと思っているのですよ。
さよなら、またメールします。桐華より――
Ⅱ
「楓少尉、入ります」
「楓? 何でお前がここに?」
僕を見ると、楓は嬉しそうに、軍服を着る自分を誇るように口を開く。
「去年の暴動騒ぎ以来だもんなー。お前、卒業式にも来なかったし。俺もここに入所したのよ! しかも特務部隊配属! 演習が半分終わって、この度少尉になったわけよ」
僕は、四月から月改修公社極東本部に勤務していた。父のコネクションを期待されたのだろう、所長室秘書官という異例の好待遇で迎えられた。
「月本君も知っての通りだが、月改修公社は更なる民衆の暴動から地球と月のシステムラインを守るため、自衛軍を組織する事になった。楓くんは、軍の方で働いてもらっているんだ。まだ新人研修中だがね」
所長の言葉に、頼木中尉もうなずく。
「国連軍はありゃ官僚組織ですからね。動きは遅いわ、やることはトンチンカンだわ」
「改修公社軍は元国連軍の士官と、改修公社の特務職員によって指揮して貰ってる。君たちの一刻も早い結束が、この混乱を早期に収拾することになるだろう」
「まっかせてくださいよ! 地球の平和は私が守ります!」
楓が明るい口調で叫ぶ。そこに人を殺す軍人になったという印象は受けない。
「やれやれ、この少尉殿、ずっと妙に張り切ってて、疲れるの何のって」
本当に疲れたような声を出しながら、頼木中尉は所長に向き直る。
「それより所長、こりゃいよいよ戦争になりますね」
「戦争? この日本でですか?」
僕は思わず声を張り上げる。
「改修公社の管轄外は、日本でも外国みたいなもんさ……この国の半分は、すぐにでもレジスタンスになっちまうよ。巧妙に群衆を組織化する奴が五万と居るんだ。外国スパイの陰もチラホラと見えている」
僕のあずかり知らぬところで、事態はどんどんと悪い方向へ進んでいる。取り返しの付かない方向へと。
「国連は、途上国の反感を恐れて弱腰だからね。無知蒙昧の跳梁許すものだ。去年の暴動騒ぎは、むしろ僥倖だったよ。公社は、改修作戦前に私軍を組織することが出来た」
「しかし、この事が内乱を助長させる可能性は?」
改修公社を恨んでいる人間は多い。その公社が自衛のためとはいえ、軍を組織すればその反感は計り知れない物になる。
「向こうさんが攻めてくるんだぜ? ここに戦車が入ってきたら、国連の警備だけで何が出来るよ」
楓の口調は、心底意外そうで、不思議そうだった。
「内乱の助長ならば、むしろ月政府の方が心配だな。月の政治家は、どうも酷い恐がりのようで困る。地球の衛星軌道に軍艦を並べて、地球人を威嚇するつもりらしい」
「そんなことをしたら、地球に残った人の反感を、ますます煽るだけなのに……」
「彼らが恐れているように、月にだって乗り込まれかねん。月本君には近々私の代わりに月に行って貰うことになる。電話では要領をえんことが多くてね。君の父上は改修計画の強力な推進者だ。作戦前の火種は彼が一番憂いてるだろう。それに、首相補佐官のコネクションで君に会って貰いたい人物が何人か居るのでね」
「父に、混乱の収拾をと?」
「そして、改修作戦の計画通りの実行をだ。月には、一刻も早く火星に行って貰わねばならない。地球の環境と生活を管理し守っていくのは我々改修公社だ。いつまでも彼らに空から見下ろされるのは迷惑だ。それに、月が地球の空から消えない限り、人々はいつまでもを夢を見る」
みんな、月に行きたがる。
「だから、自分から地球を壊すような真似をする」
所長と、それに続く頼木中尉の言葉には重みと現実味があった。
「そうだ。月が在ろうと無かろうと、地球の人々に残された光はいよいよ少ない。私たちは彼らを導いていかなければならないのだよ」
改修公社は、その為の組織なのだから。所長の目はそう告げている。それは、支配者の瞳であった。
Ⅲ
「よお、全然学校に来ないくせに、こんなときだけ来るんだな」
久しぶりに顔を出した大学の講堂は、卒業を間近に控えているとはいえ、閑散としていた。
僕はすぐに友人の楓と会った。
「お前が授業を休んでいる間に、ここの連中はみんなレジスタンスになっちまってるよ」
「レジスタンス?」
「こないだのテロ事件からこっち、誰もかれも反国連、月改修計画凍結のシュプレヒコールさ。朝からアジテーターが演説してたよ。『一部掌管専有断固反対! 改修計画は地球人民を見捨てる悪魔の計画だ!』今日は労働者を連れてデモンストレーションだって、皆出てったよ」
「楓は行かなかったのか?」
行くわけがないと分かってはいるが、クラスメイトも少なからず出向いているようだ。
「ばかげてるよ、着いてったのはろくな就職口がない落ちこぼればっかさ。連中は自分が月に行けなかったもんだから、移民した奴らを死ぬほど恨んでるんだ。口では綺麗事言ってるけど、結局インテリの逆恨みほど見苦しいものはないよ」
やれやれといった感じに楓は首を振る。
「本音は月なんて宇宙の彼方まで飛んでっちまえばいいって考えてるやつらさ」
テロ事件以来、僕はすっかり犠牲に疎くなっているようだった。
僕は自分でも気づかないうちに、深い混乱に足を取られてるのかもしれない。
頼木中尉は、憎しみと対立を止めることは出来ないといった。キトラがこのニュースを知ったら、彼女はどうするのだろう?
「国連も改修公社も、地球の失業者や労働者たちと和解しようなんて考えちゃいない。デモにいった連中が少しでも暴動を起こせば、力ずくで押さえつけようとするよ」
「そんなの誰でも知ってるさ。改修計画に不満がある奴らは、一辺この世界がムチャクチャになればいいと思ってるんだぜ?」
何を今更と言った感じに楓は言う。確かに今更の話だ。だが……
「悪いけど、失礼する」
「お、おい! お前も行く気かよ?」
「冗談、デモの連中は武器を持ってる。どこかに連中を組織化しようとしている奴がいるんだ。市民が暴動を起こせば、軍隊は必ず武力を使う、それをやめさせる」
「バカじゃないのか? 出来るわけないだろ。ぶっ殺されるぞ?」
キトラは必ずそこにいるという確信があった。あの少女は必ず、月改修公社に行く。
彼女みたいな子が、浮っついたインテリや、憎しみにわれを忘れた人々に引きずられていくのは、何としても止めなければならない。
Ⅳ
「改修公社までお願いします」
僕は大学を出るとタクシーを拾った。
郊外の大学から都心に向かう道は酷く渋滞していた。各地で労働者や学生のデモ隊がバリケードを組んでいたからだ。二週間あまりのうちに、東京はまったく別の街になってしまったみたいだった。
月改修公社極東本部前広場で、デモ隊と国連軍がにらみ合っていた。暴徒化した群衆の中には、銃器で武装した者もいて、これでは衝突は避けられそうもない。僕の気づかないところで、一体どれぐらいの憎悪が膨らんでしまっていたのだろう?
そして、激しい銃撃音が響く。
手遅れだ。僕が本部前の広場に辿り着いたとき目にしたのは、とても見ていられない地獄だった。国連軍の自動小銃が、容赦なく民衆をなぎ払っていた。暴徒化した労働者と学生が塊のようになって必死に抵抗を続ける。
軍の装備は彼らが初めから同じ人間じゃないかのように瞬く間に群集を駆逐していった。
次々と倒れていく、人、人、人――
塊が四散する。武装した労働者たちが旧式の銃で必死に応戦しているが、彼らも正規軍の火力の前に次々と倒れていく。
「所長も頼木中尉も何を考えているんだ!」
僕は思わず声に出して叫んだ。しかし、その声はこの広場に響くことはない。抵抗を続ける一部の人を除いて、群集は一斉に逃走を始めていた。
「こんな暴動を扇動する連中だって、みんなどうかしてる!」
僕は人波の中で、キトラを探した。
「キトラ!」
「……月本、さん?」
銃声や爆撃が鳴り響く中、僕はやっとの思いでキトラを探し出した。キトラは怪我をして動けないようだった。
「大丈夫か?」
そのときまた、一段と大きい音が聞こえた。国連軍の戦車砲の音のようだった。
「何でこんなところに着たんだ? みんなどうかしてる!」
「私も、私の両親も、一五〇年も苦しんできたのよ? 改修公社が消えなければ、私たちは幸せにはなれないわ。それはあなたにはわからないことなのよ! 何百年経ったってわからないわ!」
少女を支えると、僕の手の平に温かい血の感触があった。弾は少女の体を貫通していた。
大地にこぼれ落ちる血は、彼女の命そのものみたいに見えた。僕は少女を抱きしめたまま、けたたましい喧騒のなかで、一人、世界から遠く遠く離れていくような、奇妙な感覚に襲われていた。地球も、月も、僕には関係のない宇宙が寂しく回っていた。
僕は、生まれたての子どものように、何もわからず、ただ立っていた。僕は泣くことさえ許されていなかった。
僕は……とても一人だった。
Ⅰ
――大ニュースです! あたしの水族館で、もうすぐクジラの赤ちゃんが生まれるのです。お父さんは、もう三〇歳になるおじいちゃんクジラです。名前は一四号。実は、名前がないの。お相手は、三歳の若いお母さんの一九号。出産が近づいたお母さんクジラというのは、それは、それは見ものなんですよ? 水面におなかを出してぷかぷか浮かんだり、ひっくり返って、勢い良く潮をプシューって噴出したり。それは、それは、リラックスして出産の準備をしているのです。
だらしなく、ふにゃふにゃしたクジラというのは、見ていて飽きる事がありません。あたしは、ちょくちょく仕事をサボって、クジラの水槽の前でボーっと見惚れています。あんまりだらしなくて、おしっこなんてものすごいから、それはかなり辟易なのだけど。
新しい命が生まれるというのは、本当に当たり前のことだけど、凄くドキドキするのです。カイくんは、月の水族館にクジラ居ることのほうが驚きでしょうか? 月にだってクジラは居るのですよ?
……カイくんが、助けた女の子のお話は、何だかあたしにはしんどかったです。その子にとっては、あたしなんか一〇〇回でも殺したくなるような、いやな女なんでしょうね。
地球のことを考えると、そんなことやらなにやらで、とても落ち込む事があります。結局、あたしたちはとても恵まれていて、ある意味ではとても思い上がっているのでしょう。
でも、そんなふうに落ち込んで見せるのもなんだかね。
あたしは月へ来たのだし、毎日精一杯楽しく生きようって思って、立ち直っています。その子がテロリストになったように、あたしは、あたしの問題に、一生懸命になるしかないんじゃないかな? なんてね♪ あまりなにも考えてないだけかも。人間の抱えているものなんて、どんな人でも大差ないのかもって思うのが、あたしの哲学です。
カイくんは、ちょっと人の問題を抱え込みすぎるきらいがあるので、それがちょっと心配です。君が地球に残ったのも、そんな君の性格のせいなんじゃないのかなって、そう思うのです。違うかな?
またメールします。なんか、ちょっとお説教みたいになっちゃって、焦りすぎの桐華からでした。リラックス、リラックス。
桐華は僕の幼なじみで、親同士が親しかったこともあって、小さな頃からよく色々な話をした。彼女は半年前に月に移民して、月の都キトラに住んでいる。今は、彼女とは時々こうしてボイスメールを使って話をする。
Ⅱ
綺麗な日の光が、レースのカーテン越しに室内へと入ってくる。
広いリビングと、フローリングの床に反射するその光は、リビングに入ってきたパジャマ姿の少女を照らした。
その少女に僕は挨拶をする。
「おはよう」
東京の月改修公社のテロ事件で、僕が助けた少女の傷は、回復に向かっていた。少女は立ち上がり、物珍しそうに家中を歩き回り、食事をし、そして良く眠る。
ただ、彼女は一言も口をきかなかった。
「朝食を食べながらでいいんだけど、少し話しをしてもいいかな?」
僕は向かいの席に座る少女を見る。少女は少しばかり反応してこちらを見たが、特に関心を示そうとはしない。
「中国の昔話に母親の遺言で、西の砂漠に生き仏を探しにいく貧乏な青年の話がある」
カキン、とフォークを置く音がする。少女が、手に持ったフォークを置いたのだ。
「お釈迦様に会ってお前が幸せになる方法を教えてもらいなさいと母親は言うんだ。母親の死後、青年は西の方に向かって旅に出る」
少女は朝食に手を付けることもなく、僕のほうを黙ってみていた。その視線からは何の感情も読み取れない。
「旅の途中で、青年はものを喋らない少女に出会う。そして彼女の母親に頼まれる『もし仏様に会ったら、この子に声を戻す方法を、いっしょに聞いてくれないかね?』と。僕は何を話してるんだろうな? それからも、いろんな人や、生き物の頼みごとを背負い込みながら、中国の青年は旅を続けるんだ。蛇とか木樵とか、そういったもののね」
少女の瞳に戸惑いの色が映る。
なぜ、僕がこんな話をしているのか分からないからだろう。
「……ようやく青年は西の砂漠で生き仏を見つけて、少女の声のことを話すんだけど、生き仏はこういうんだ。『彼女のことを本当に愛するものが現れたら、少女の口は自然と開くだろう』って」
沈黙を続けていた少女が口を挟んだ。
「面白くないわ。その男が女の子を愛し、めでたし、めでたし、二人は幸せに暮らしました」
「二人は幸せに暮らしました、か……この話の良いところはね、青年は少女の母親や、ヘビや木こりの願い事はちゃんと仏様に伝えるんだけど、ついつい自分の願い事、どうやって幸せになればいいかってことが、聞き忘れちゃうところなんだ」
少女は不満そうで、不思議そうな表情を僕に向けている。
「でも中国の青年は、少女の声に気づくことで、幸せを手に入れる。まあ普通の、ささやかな幸せだけどね。幸せになるのに答えなんか必要なかったんだ。旅をして、旅を成し遂げることで青年は誰よりも救われ、このお話にはそういう種類の教訓が含まれているんだ」
「あなたは、いつも唐突に昔話を始めたりするの?」
「君みたいな娘と話すのに、慣れていないんだ……自分のことをずいぶんなやつだとも思うしね。そして、君とこうして朝食を食べているのが、嬉しくもある」
何はともあれ、少女が話をしてくれることが、僕には嬉しかった。
「あなたは、一人でこの家に住んでるの?」
少女が身の緊張をほぐすように質問する。
「父も母も、月へ行ってしまってね。一年前から一人暮らしだ」
「ふーん……」
少女は興味を示すように反応する。
「一人暮らしを続けてると、何故かみんな、スパゲッティの味に凝り始める。口に合うといいんだけど」
「ありがとう。こんな美味しいものを食べたのは生まれて初めてよ」
少女はスパゲッティをすくい、一口食べる。
「……あなたには感謝してるわよ? でも、ここに長く居る気はないわ」
暫く沈黙が続いたが、食事が終わると、少女がまた口を開いた。
「あなたの名前を教えてくれる?」
「カイ、月本カイ」
「……素敵な名前だと思う」
「カイ少年は、雪の女王のソリに乗って雪原をすべり出しました。少年は恐ろしくなって聖書の言葉を思い出そうとしましたが、何故か浮かんでくるのは、九九の暗算表ばかりでした。カイは何千回も九九を唱えたまま、雪の女王の住む氷の城に閉じ込められてしまいました」
「それはなに?」
「雪の女王、昔の物語だ」
少女は、少し呆れたような声を出した。
「何だか間抜けだわ。あなたは昔の物語が好きなのね。そんな話、月でやればいいのよ」
今度は僕から少女に質問を投げかけた。
「君の名前を、まだ知らない」
「キトラ」
「月の都……君のご両親は、月の人なの?」
「父も母も、月になんか行ったことはないわ。父は軌道エレベーターの建築現場で二〇年働いて、墜落事故で死んだ」
お母さんは? と、聞くことは出来なかった。聞いてはいけないような気がした。
「でも、君の名前は素敵だと思う。きっと君のご両親は、月に行きたかったんだ」
月に行ける権利がありながら、それを放棄した僕なのだが。
「ねぇ、あなたは悪い人じゃないと思う。きっともの凄く良い人なんだと思うの。でも、あたしはこの家に長く居るつもりはないわ」
Ⅳ
僕が四月から勤める月改修公社は、月を火星に送るために設立された国連の外部組織だ。月への人類の移民と、物資輸送のためのハイパーハイウェイの管理を主業務とする。しかし、この組織は実質的に地球環境の管理と人口統制の全権を有していて、こと地球上の問題に関しては国連を凌ぐ発言権を持っている。
僕は、月改修公社の所長室を尋ねていた。勤務は四月からだが、その前の挨拶と言う奴だ。所長室にはデスクに中年の男性と、その傍に迷彩服を着た軍人がいた。軍人は肩からライフル銃を提げていた。
「お父さんは元気かね?」
月改修公社、新井所長はそう訊ねてきた。四十代の後半でこの地位についた割には、穏やかな雰囲気を持っている人だ。
「えぇ、いつも電話で、議会の分からず屋たちの愚痴を聞かされますよ」
父は、月のキトラ政府の首相補佐官で、月改修計画の推進者の一人だ。
……父は、僕が地球に残ることを望んではいない。
「お父さんには、君を責任もって預かると私からも伝えておこう。君も知っているように、人類は今、かつてない大きな岐路に立っている。月を火星に送る改修計画は何としてでも成功させなければならない。火星のテラフォーミングは人類を救うための最後に残された方法だからね。そして、第二の地球が我々を迎えてくれるまでこの星を守っていくのは、君のようなここに残る優秀な若者たちだよ」
新井所長は、デスク越しに僕をジッと見つめる。その視線に僕は少し気押される。
「少し、怖くなりますね。僕にそんな力があるのか」
「弱気は困るねぇ。しかし、月の改修計画完了の後は、地球の管理はこの改修公社が負うことになる。産業の育成、人口統制、内乱、宗教、飢餓、疫病、我々の責務はいよいよ重いものになる。君はこの星でお父さんの志を継がなければならない」
「所長は、地球の再生についてどうお考えなのでしょうか?」
「……私は、人はまた豊かな農耕と採取の生活に戻るべきだと考えている。科学と資本主義は、確かに人の英知と暮らしを良くしたのかもしれない。しかし結局のところとめどない上昇は全ての人を救い上げてはくれないんだよ。その結果が、現在のこの地球だ。人はあまりにも多く、物はあまりにも少ない。緩やかに人口を減少させ、この星が受け入れられる数の人々が、自らを養えるだけのものを作り、自然を愛で、芸術を愛し、生きる。我々改修公社の科学は、これからそれをスムーズに移行させるために機能するだろう。それが、ここに残る我々の義務だろうと思う」
所長はそこで言葉を切った。
「僕もそう在りたいと思います……ところで、そちらの軍人は?」
僕は所長の言葉に賛同すると、僕らの会話を黙って聴いていた軍人の方に目を向ける。年のころは二十代後半といったところか、その軍人は僕らの会話に何の興味も示してはないようだった。
「そうそう、中尉の紹介が遅れたね。この施設の警備をしてもらっている国連軍の」
「頼木です。よろしく」
「あ、月本カイです」
所長の言葉に割り込んで軍人が名乗る。そして不躾にこう質問、いや、確認をしてきた。
「ところで、君の血液型はA型だろ?」
「……A型ですが、それが?」
「A型は、物事をきちんと整理して考えようとする傾向がある。考えすぎは体に毒だよ」
「はぁ?」
何て失礼な奴なんだ。
「あぁ、でも、俺はAB型だから、きっと気が合うと思うよ?」
「は、はぁ」
つかみ所のない、奇妙な男だ。
「仲良くしてくれよ。これからの地球には君たちのような若者が必要になる」
「はい、それが父の望でも――」
突然だった、所長の言葉に僕が応えたとき、聴いたこともないような爆発音が耳に響いた。
そして流れる非常警報音。全ては一瞬のことだった。
「何事だ!」
所長が立ち上がりデスクの通信装置にスイッチを入れる。
「恐らく改修公社に反対する奴らの暴動でしょう。あいつら最近動きが活発ですからなぁ……国連軍でも手のつけようのない」
まるで他人事のように頼木中尉は答える。この事態にまったく動じていないようだ。しかし、それは所長も同じようで、冷静に指示を出す。
「改修計画をよく思わない連中は山ほどいるからな……後は頼む」
「任されましょう! すぐに収拾して見せますよ。あー、月本君と言ったっけ。君も来なさい」
「は、僕もですか?」
「お坊ちゃん育ちは、こういうのも見ておいたほうがいいってね……怖いかい?」
「行きますよ!」
やや憮然としながら僕は答える。中尉の人を試すかのような物言いに、僕はついつい反発してしまった。
Ⅴ
「あいにくエレベーターは止めちまったもんでね。階段を下りたことはあるかい?」
頼木中尉がどこか楽しそうに言う。今改修公社ではでは改修計画に反対する人々と、中尉のように施設の警備をする軍人が戦闘を行っているのと言うのに、何故この人はこんな口調で、こんな表情が出来るんだろう?
「子ども扱いしないでください」
「ははっ、すまない、すまない。あー、君はどうもあんまり普通の世界に慣れていないような気がしたもんでね」
からかっているのか、それとも本当にそう見えるのだろうか?
既に激しい銃撃戦が始まり、機関銃の銃声が僕の耳にも届く。身近で聞くのは初めてのはずなのに、不思議と恐怖はない。
「頼木さん」
「なんだい?」
頼木中尉は、辺りを見回しながら面倒くさそうに答える。
「地球の貧しい人たちが、豊かな人々を憎む気持ちは分かります。でも、月へ行く豊かな人々は、この地球を貧しい人たちに返して、火星へ行こうとしてるんでしょう? 彼らが改修計画に反対する気持ちがわかりません。中尉も所長の理想を聞いたでしょう? これから彼らの世界になるというのに」
中尉は辺りを見回しながら、口を開く。
「どんな理想を掲げられたって、奴らの恨みは消えやしないさ。二〇〇億の人々は、自分らが置き去りにされたと思ってる。金持ちどもが自分だけ地獄から逃げ出してしまったと。
理屈じゃないんだ。話をして分かり合えるような問題じゃない」
「僕は自分なりに考えて、この世界を理解しようとしているつもりですし、地球に残る貧しい人たちの気持ちだってわかろうと努力しています。こんなテロまがいのことは馬鹿げてます。それを力で押さえつけるのも、憎しみを広げるだけです。ちゃんと話し合って、」
「あーあ、だから学生さんは」
中尉は完全にこちらを馬鹿にしていた。口調が、目線が、それを物語っている。
「馬鹿にしないでください!」
「君は! 自分がこの世界を変えられると思っているかい?」
中尉の人を馬鹿にした口調に思わず声を張り上げるが、中尉も口調を強くした。
「……そうありたいと思っています」
「誰だって、自分は世界を変えられる、救えるんだって考える。そして、実際世界は変えられるんだ。でも、違う。何百年もかかる。そのために俺らのような軍隊が、で、給料が貰える」
「ちゃかさないでください!」
「自分が正しいことをしていると思ったら、妥協はするな。負けたら、正義も何もないからな……」
頼木中尉は不意に真剣な顔になった。その声は、どこか疲れたような声は、僕の胸に響いてくる。
銃声が爆発音に変ってきた頃、頼木中尉と僕は、ドアの前に立っていた。
「さあ、ここからテストだ。このドアは、非常用の脱出口になっていて、ここから施設の外に直通で出られる……帰るかい?」
「いやですよ……中尉は?」
「こととなれば人殺しだよ? やっこさんは武器を持ち出して襲ってきたんだ。そうでもしなきゃもう収まりが付かないだろう?」
「あなたは――」
おどけるような顔の中尉に、僕が言葉を発しようとした時、
「っ! 危ない!」
中尉が僕を押しのけた。僕が後ろを見ると、一人の少女が銃を片手に立っていた。
「月は私たちのもの。悪魔は月と地球から去れ!」
銃声。初めて、目の前で聴く音。
少女が銃を構えるより早く、中尉のライフルが少女の肩を貫いた。
中尉は物も言わず倒れた少女の前に駆け寄り銃口を心臓に下ろす。
「ちょっ、ちょっと待って中尉! まだ子どもじゃないですか!」
何でこんな子どもがテロリストまがいのことをやってるんだ!
「気を失ってるじゃないですか。殺すことはない! この子は悪意ばかりに洗脳されて、何も分かってないんです!」
「これが改修計画の現実なんだよ。わかる? こんな子供だって、俺らを殺したいぐらいに憎んでる。地球の再生だとか、火星の田園だとかは、こいつらの苦しみには何の救いにもなりゃしないんだ」
頼木中尉の銃は、少女の肩を掠っただけのようだった。少女はショックで気を失っている。中尉はそれを確認するとこちらに顔を向ける。
「月本くん」
「はい」
「未来の地球の担い手として、君に命令する。この娘を連れて、脱出口から外に出なさい。君も男なら、姫君を守る義務があるからね」
「はい! わかりました」
「階段を下りて地下通路を抜けると駅に出る。この娘がテロリストだと割れないように慎重に外に出るんだ……月の改修計画は、君が思っているようなものじゃない。このどうしようもない世界の終わりに、誰かが思いついた、浮っついた夢みたいなもんさ」
頼木中尉の言葉には、言い様のない重みと、寂しさが含まれていた。
僕は少女を抱え、扉の前に立つ。中尉がキーコードを入力するとドアのロックが外れ、扉がゆっくりと開く。
「中尉……ありがとうございます」
「ところでさ、聞いてなかったんだけど、君は何で地球に残ったんだ? お父さんは月のお偉いさんなんだろう?」
「それは――」
頼木中尉が言ったとおり、脱出口は地下に繋がっていて暗い扉を開くとそこは地下鉄のホームだった。僕は少女を背負ったまま改札を出て、タクシーに乗り、鎌倉の我が家へと向かった。住民の大半が月に旅立った無人の街に。
一二月の冷たい空気のせいで、タクシーの中でもしばらく少女の小刻みな息遣いが、車内にきしろ、不確かな形をつむいでいた。
――月は私たちの物、月は私たちの物。月を奪い人たち、皆、死んでしまえばいいのに
少女のそんな声が、聴こえるようだった。
氷の城で、僕は君を待っている。
積み木遊びにも飽きてしまった。
氷の城で、君を待っている。
もう永い時間が過ぎた。僕は吹雪の中で、凍え、うずくまっていた。
それは軽蔑の言葉であっても構わない。今僕を、ここから連れ出して欲しいと願う。
幼い頃の夢を、僕には幼馴染の女の子がいた。少女はいつも屋根伝いに僕の部屋の窓を叩いた。でも僕には少女の遊びが、一つとして理解できなかった。
十三歳の冬、街に雪の女王がやってきたとき、僕は彼女の理知の力に、目を奪われ、それを喜んで迎えた。
そして僕は、永い旅に出る。
飢えや貧しさ、悲しみ、孤独、喜び、幸せ、全ての謎の答えを探すため、氷の城で僕は待っている。
本当は誰も信じない。僕が欲しいのは、真理の正しさ。凍結湖に散らばった、このパズルピースを紡ぎ合わせるための永遠の、一つの、答えの地図だけだ。
僕は優しさを信じない。
今、吹雪の間の扉を開いた君のことも、何もかも忘れてしまった。
世界はとても小さくて、僕はまだ幼く、目が覚める前のことを、僕は少女と遊んでいたような気がする。夢の中では二人は手を繋ぎ、世界を駆け、笑っていたような気がする。
心の奥に深い悩みが紛れ込んでいる。
見てはいけないものを、考えてはいけないものを、何故、夢の中の僕はあんなに楽しそうなのだろう?
何故、僕は少女に向かって笑っているのだろう?
分からない。僕は何も思い出せない。
Moon Flag
――あたしの通う水族館は、とてもとても小さくて、外から見ると、ちょっと何をやっているか分からない秘密の研究所みたいな具合に、無愛想で、とても小さいのです。
あたしはバスに三〇分も揺られて、これはこのキトラでは、ものすごーく、遠いところなんだって、カイくんには想像して欲しいのだけど、街はずれのその秘密研究所に通っています。それでも、ここでのアルバイトはとても楽しくて、あたしは毎日驚きの連続なのです。
水族館のアルバイトって、何をしてるか分かりますか? なんて、毎日お魚さんたちにご飯をあげたり、水槽の温度を点検したり、お客さんたちに、「このクラゲは地球のなんとか海岸に住んでいました」って具合にもっともらしく解説したり、そんなことばかりしているのですけどね。
でも、海には何てたくさんの生き物が住んでいたんでしょう。これが驚きその一です。この小さな月の水族館は、地球の生き物たちが絶滅しないように大切に保存しておく、タイムカプセルでもあるのです。水族館の地下にはお魚たちの種を保存する、大きな、大きな倉庫があって、あたしは一度見せてもらった事があるのだけど、それは、それは不思議な景色でした。でも、この話はまた今度ね。
大学にも勿論行ってますよ。ご心配なく。毎週のように転校生がやってきて、お祝いにもちょっぴりくたびれてしまうくらいです。
最近は、よく地球のことを思い出してます。五月病なのかな? ま、あたしは年中五月病みたいなものだけど。
何だか幸せの塊みたいな転校生たちを見ていると、ものすごーく疲れちゃったりするのが、正直な偽らざる気持ちなのです。
……カイくん、月へいらっしゃい。
無愛想で殺風景な作りかけの月の都は、カイくんを彷彿と思い出させるものがあります。
うん、この街は、君みたいな街なのです。
そして君がいないと、あたしはちょっと退屈です。君のしかめ面と、素っ頓狂なお話は、人を安心させるものがあります。
こんなことをいったら、カイくんはまた一晩眠れないことでしょう。
キトラはとても良いところよ。
月へいらっしゃい、カイくん。月へいらっしゃい――
Ⅱ
骨董品じみた、二〇世紀以来のレールトレインに揺られていると、車窓からの風景が、嘘みたいに美しく見える。誰もが、地球を捨てて宇宙へ旅立とうとする、こんな黄昏の街でさえ。
西暦二二〇〇年。地球は人口爆発と環境汚染、相次ぐ疫病の流行によって、静かな終わりのときを迎えている。
二一世紀の後半に頭打ちになった生産力は、高度資本主義と民主主義を急速に衰退させ、貧富の格差は一部の特権階級が数百億の貧困民を奴隷として使役する、歪な社会を作り出していた。富める者は、この星の残り少ない土地と恵みを独占し、貧しい人々は、永遠に続く飢えと労働の煉獄を生きる。
これが、僕が生きるこの星の現在。
月の改修計画について話そう。
誰が思いついたのかは知らないけど、地球をこの絶望的状況から救い出す、夢のような計画の話を。
一言で言ってしまえば、改修計画は月を地球の衛星軌道から、火星圏へ送る作戦だ。遠心力と核エネルギーで月をスピンオフさせ、巨大な宇宙船として、この荒れ果てた地球から脱出させる。月が人類と、その英知の全てを乗せ火星軌道に入れば、試算では数百年のうちにテラフォーミングが進行し、火星は数億の人が住める星になる。
……まったく夢のような話だ。
もっとも、月に建造される人工都市で、自給自足できる人間の数は限られているから、二〇〇億の地球人口のうち、この宇宙船に乗り込めるのはほんの限られた人々だけだ。つまり、人類の科学と文明を代表する一部の先進国市民だけだ。三〇〇年たって火星に田園を作り上げた後、彼らは再び地球へ戻ってくる。地球を再生させる新しいテクノロジーと、第二の母星と、地球環境では生き永らえることの出来なかった数億種の動植物の種を持って。
……まったく夢のような話じゃないか。
多くの幸運な人々はこの計画を、世界を救う唯一つの方法だと信じていた。それぐらい地球もそこの住む人々の心も疲弊し、荒廃しきっていた。もちろん僕だって信じていたと思う。月改修計画によって蘇る、未来の世界を。
月での生活、そして月をスピンオフさせるためにエネルギー源として必要になる大量な水や資源は、ハイパーハイウェイと呼ばれる巨大な繊維のケーブルを使って地球から宇宙に運ばれる。ハイパーハイウェイはいくつかのジャンクションを経由しながら有線で月に接続している。最初のハイウェイは一〇〇年前に建造され、今や一三〇〇本を超えるケーブルが地球から月へ、そのエネルギーを絶えず輸送し続けている。
レールトレインの車窓からどこか寂しげな海が見える。そして、海上を切り裂き、天空へと昇る無数のハイパーケーブルは僕にちょうど、へその緒のようなものを連想させる。海は無力な赤子に、外の世界で生きていく生命を与え、傷ついた母のように見える。
『まもなく、第二東京宇宙空港、第二東京宇宙空港。お降りの方はお忘れ物のないよう、お気をつけください。まもなく、第二東京宇宙空港、第二東京宇宙空港。お降りの方はお忘れ物のないようお気をつけください』
Ⅲ
「月に行っても、絶対忘れないからね。キトラから手紙を書くから、元気でね! 私も頑張るからね!」
月を火星に送る改修計画の開始を一年後に控え、僕の通う大学からも毎週のように同級生たちが月へ移民していく。彼女もその一人で、旅立つ者も、地球へ残る者も、こうして宇宙空港のロビーで別れの言葉を交わす。
「まったく、こう毎週だとやんなっちゃうよな。月本、お前もたまには学校顔だせよ」
同級生の楓は、地球に残ることを決めた一人だ。彼のように特権階級の子弟で地球に残留するものは、軍や政府の要職につき、この星を管理する事になる。
「あーあ、俺も月に行っとけば良かったかな」
楓は今更のように深いため息をつく。
「この間、宇宙酔いとカプセル食なんて最悪だって言ってなかったか?」
「地球に残った方が、面白いことがあると思ったんだよ……。でも現実は厳しいつーか、何つーか、来る日も来る日も就職活動よ。お前は良いよなぁ、親父さんのコネで改修公社には入れてさぁ。月改修公社っていったら、エリート中のエリートだぜ? 地球環境と全人類を監督する地球の支配者、自分がどれだけ恵まれているか自覚ないんじゃないの?」
「お前だって受験したんじゃなかったか?」
僕の言葉に楓は呆れたような顔をする。
「ハッ、これだからまったくエリート坊ちゃんは……あそこ採用までにいくつ試験があるか知らないの? 二〇個だぜ、二〇個! フリーパスで入れるお前とは違うよ。くーっ、羨ましい! 俺も地球を動かすような仕事してみてぇ!」
「そうよ、月本君は選ばれた人なんだから。あなたのような人が、この星を少しでも良くしていかなければいけないわ」
楓の言葉に、旅立つ同級生も同意を示すが、僕は顔を背ける。
「難しいね」
そう一言だけ答えた。
「光栄な義務だぜ? 月人は月で、俺たちは地球で世界を立て直すのだ!」
楓がいかにも学生らしい発言をしたところで、同級生が乗るシャトルの搭乗時間を告げるアナウンスが流れて来た。
「あぁ、私、もうそろそろ行かなきゃいけないから……じゃあね、あなたはとても良い力を持っているわ。自信を持って!」
同級生は僕を見つめながら言う。その瞳は、どこまでも真剣だった。
「幸運を祈るよ」
クラスメイトたちが、それぞれの夢と希望を持って月へ登り、あるいは故郷へ残る。
僕は地球に残り、何がしたいんだろう?
時折、そんな問が僕の胸を酷くざわつかせた。そこには、とても大切なものがあるような気がして、それを思い出すことが出来ない。
それは僕のとても近くで、それはとても少しずつ、壊れていく。
積み木遊びにも飽きてしまった。
氷の城で、君を待っている。
もう永い時間が過ぎた。僕は吹雪の中で、凍え、うずくまっていた。
それは軽蔑の言葉であっても構わない。今僕を、ここから連れ出して欲しいと願う。
幼い頃の夢を、僕には幼馴染の女の子がいた。少女はいつも屋根伝いに僕の部屋の窓を叩いた。でも僕には少女の遊びが、一つとして理解できなかった。
十三歳の冬、街に雪の女王がやってきたとき、僕は彼女の理知の力に、目を奪われ、それを喜んで迎えた。
そして僕は、永い旅に出る。
飢えや貧しさ、悲しみ、孤独、喜び、幸せ、全ての謎の答えを探すため、氷の城で僕は待っている。
本当は誰も信じない。僕が欲しいのは、真理の正しさ。凍結湖に散らばった、このパズルピースを紡ぎ合わせるための永遠の、一つの、答えの地図だけだ。
僕は優しさを信じない。
今、吹雪の間の扉を開いた君のことも、何もかも忘れてしまった。
世界はとても小さくて、僕はまだ幼く、目が覚める前のことを、僕は少女と遊んでいたような気がする。夢の中では二人は手を繋ぎ、世界を駆け、笑っていたような気がする。
心の奥に深い悩みが紛れ込んでいる。
見てはいけないものを、考えてはいけないものを、何故、夢の中の僕はあんなに楽しそうなのだろう?
何故、僕は少女に向かって笑っているのだろう?
分からない。僕は何も思い出せない。
Moon Flag
――あたしの通う水族館は、とてもとても小さくて、外から見ると、ちょっと何をやっているか分からない秘密の研究所みたいな具合に、無愛想で、とても小さいのです。
あたしはバスに三〇分も揺られて、これはこのキトラでは、ものすごーく、遠いところなんだって、カイくんには想像して欲しいのだけど、街はずれのその秘密研究所に通っています。それでも、ここでのアルバイトはとても楽しくて、あたしは毎日驚きの連続なのです。
水族館のアルバイトって、何をしてるか分かりますか? なんて、毎日お魚さんたちにご飯をあげたり、水槽の温度を点検したり、お客さんたちに、「このクラゲは地球のなんとか海岸に住んでいました」って具合にもっともらしく解説したり、そんなことばかりしているのですけどね。
でも、海には何てたくさんの生き物が住んでいたんでしょう。これが驚きその一です。この小さな月の水族館は、地球の生き物たちが絶滅しないように大切に保存しておく、タイムカプセルでもあるのです。水族館の地下にはお魚たちの種を保存する、大きな、大きな倉庫があって、あたしは一度見せてもらった事があるのだけど、それは、それは不思議な景色でした。でも、この話はまた今度ね。
大学にも勿論行ってますよ。ご心配なく。毎週のように転校生がやってきて、お祝いにもちょっぴりくたびれてしまうくらいです。
最近は、よく地球のことを思い出してます。五月病なのかな? ま、あたしは年中五月病みたいなものだけど。
何だか幸せの塊みたいな転校生たちを見ていると、ものすごーく疲れちゃったりするのが、正直な偽らざる気持ちなのです。
……カイくん、月へいらっしゃい。
無愛想で殺風景な作りかけの月の都は、カイくんを彷彿と思い出させるものがあります。
うん、この街は、君みたいな街なのです。
そして君がいないと、あたしはちょっと退屈です。君のしかめ面と、素っ頓狂なお話は、人を安心させるものがあります。
こんなことをいったら、カイくんはまた一晩眠れないことでしょう。
キトラはとても良いところよ。
月へいらっしゃい、カイくん。月へいらっしゃい――
Ⅱ
骨董品じみた、二〇世紀以来のレールトレインに揺られていると、車窓からの風景が、嘘みたいに美しく見える。誰もが、地球を捨てて宇宙へ旅立とうとする、こんな黄昏の街でさえ。
西暦二二〇〇年。地球は人口爆発と環境汚染、相次ぐ疫病の流行によって、静かな終わりのときを迎えている。
二一世紀の後半に頭打ちになった生産力は、高度資本主義と民主主義を急速に衰退させ、貧富の格差は一部の特権階級が数百億の貧困民を奴隷として使役する、歪な社会を作り出していた。富める者は、この星の残り少ない土地と恵みを独占し、貧しい人々は、永遠に続く飢えと労働の煉獄を生きる。
これが、僕が生きるこの星の現在。
月の改修計画について話そう。
誰が思いついたのかは知らないけど、地球をこの絶望的状況から救い出す、夢のような計画の話を。
一言で言ってしまえば、改修計画は月を地球の衛星軌道から、火星圏へ送る作戦だ。遠心力と核エネルギーで月をスピンオフさせ、巨大な宇宙船として、この荒れ果てた地球から脱出させる。月が人類と、その英知の全てを乗せ火星軌道に入れば、試算では数百年のうちにテラフォーミングが進行し、火星は数億の人が住める星になる。
……まったく夢のような話だ。
もっとも、月に建造される人工都市で、自給自足できる人間の数は限られているから、二〇〇億の地球人口のうち、この宇宙船に乗り込めるのはほんの限られた人々だけだ。つまり、人類の科学と文明を代表する一部の先進国市民だけだ。三〇〇年たって火星に田園を作り上げた後、彼らは再び地球へ戻ってくる。地球を再生させる新しいテクノロジーと、第二の母星と、地球環境では生き永らえることの出来なかった数億種の動植物の種を持って。
……まったく夢のような話じゃないか。
多くの幸運な人々はこの計画を、世界を救う唯一つの方法だと信じていた。それぐらい地球もそこの住む人々の心も疲弊し、荒廃しきっていた。もちろん僕だって信じていたと思う。月改修計画によって蘇る、未来の世界を。
月での生活、そして月をスピンオフさせるためにエネルギー源として必要になる大量な水や資源は、ハイパーハイウェイと呼ばれる巨大な繊維のケーブルを使って地球から宇宙に運ばれる。ハイパーハイウェイはいくつかのジャンクションを経由しながら有線で月に接続している。最初のハイウェイは一〇〇年前に建造され、今や一三〇〇本を超えるケーブルが地球から月へ、そのエネルギーを絶えず輸送し続けている。
レールトレインの車窓からどこか寂しげな海が見える。そして、海上を切り裂き、天空へと昇る無数のハイパーケーブルは僕にちょうど、へその緒のようなものを連想させる。海は無力な赤子に、外の世界で生きていく生命を与え、傷ついた母のように見える。
『まもなく、第二東京宇宙空港、第二東京宇宙空港。お降りの方はお忘れ物のないよう、お気をつけください。まもなく、第二東京宇宙空港、第二東京宇宙空港。お降りの方はお忘れ物のないようお気をつけください』
Ⅲ
「月に行っても、絶対忘れないからね。キトラから手紙を書くから、元気でね! 私も頑張るからね!」
月を火星に送る改修計画の開始を一年後に控え、僕の通う大学からも毎週のように同級生たちが月へ移民していく。彼女もその一人で、旅立つ者も、地球へ残る者も、こうして宇宙空港のロビーで別れの言葉を交わす。
「まったく、こう毎週だとやんなっちゃうよな。月本、お前もたまには学校顔だせよ」
同級生の楓は、地球に残ることを決めた一人だ。彼のように特権階級の子弟で地球に残留するものは、軍や政府の要職につき、この星を管理する事になる。
「あーあ、俺も月に行っとけば良かったかな」
楓は今更のように深いため息をつく。
「この間、宇宙酔いとカプセル食なんて最悪だって言ってなかったか?」
「地球に残った方が、面白いことがあると思ったんだよ……。でも現実は厳しいつーか、何つーか、来る日も来る日も就職活動よ。お前は良いよなぁ、親父さんのコネで改修公社には入れてさぁ。月改修公社っていったら、エリート中のエリートだぜ? 地球環境と全人類を監督する地球の支配者、自分がどれだけ恵まれているか自覚ないんじゃないの?」
「お前だって受験したんじゃなかったか?」
僕の言葉に楓は呆れたような顔をする。
「ハッ、これだからまったくエリート坊ちゃんは……あそこ採用までにいくつ試験があるか知らないの? 二〇個だぜ、二〇個! フリーパスで入れるお前とは違うよ。くーっ、羨ましい! 俺も地球を動かすような仕事してみてぇ!」
「そうよ、月本君は選ばれた人なんだから。あなたのような人が、この星を少しでも良くしていかなければいけないわ」
楓の言葉に、旅立つ同級生も同意を示すが、僕は顔を背ける。
「難しいね」
そう一言だけ答えた。
「光栄な義務だぜ? 月人は月で、俺たちは地球で世界を立て直すのだ!」
楓がいかにも学生らしい発言をしたところで、同級生が乗るシャトルの搭乗時間を告げるアナウンスが流れて来た。
「あぁ、私、もうそろそろ行かなきゃいけないから……じゃあね、あなたはとても良い力を持っているわ。自信を持って!」
同級生は僕を見つめながら言う。その瞳は、どこまでも真剣だった。
「幸運を祈るよ」
クラスメイトたちが、それぞれの夢と希望を持って月へ登り、あるいは故郷へ残る。
僕は地球に残り、何がしたいんだろう?
時折、そんな問が僕の胸を酷くざわつかせた。そこには、とても大切なものがあるような気がして、それを思い出すことが出来ない。
それは僕のとても近くで、それはとても少しずつ、壊れていく。
灼眼のシャナ〈19〉 (電撃文庫)
2009年9月9日 読書 コメント (2)
最近は発売日の前日、前々日にはもう電撃文庫の新刊を買える店が多くなってきましたね。19巻目ですか、電撃文庫のシリーズとしては長い方ですけど、これも惰性で買い続けている作品の一つかな。初期というか、10巻ぐらいまでは面白かったと思うんだけど、後はもうなんていうか……まあ、好みは人それぞれということで。
メロンブックス横浜店で買ったんですけど、この頃はあそこに行くのが凄い辛くって。というのも、いつかの日記で店先にハルカナソラと夏ノ雨の巨大POPが置いてあるのを書いたと思うんですが……行くたびに凄い欲しくなるのよ。もう、自分でも限界だなって分かるぐらいにあれが欲しい。けど、ギリギリの理性が働いて踏みとどまっているというか、なにも奪い去りたいとかそういう気持ちを抑えているわけじゃなくて、ハッキリ言ってあれを手に入れるために交渉して、上手くいくならまだしも失敗したら気まずいだけじゃないですか。断られればすっぱり諦めるだろうけど、それでもやっぱり未練は残るし少しは食い下がるかも知れない。そうやって拗れれば私は単なる迷惑な客でしかないわけで、そんな自分になり下がるのが嫌なのよ。みっともないとか情けないとか、かっこ悪いとか恥ずかしいとか、そういうことじゃなくて、自分の中にある一種のルール―、思考的決定に反するのではないかと。具体的にどんなものか説明するのは難しいけど、今の私と昔の私じゃ根本的な考え方が違うから、それを為すことへの抵抗感のようなものがいつの間にか生まれてしまった。
大人と子供の違い、昔は若ければなんでもできると思っていたからな。今だって十分若いけど、大人になるということは理性や常識の芽生えですからね。現在の私にとっては足枷のようなものですが、無視して取りはらうほどの勇気はない。精神的な箍が外れきってないから、これ以上踏み出すことを身体ではなく心が拒んでいる。なんとかしない方がいいんだろうけど、なんとかするべきなのだろうか。
凄い複雑で長ったらしいこと書いてるけど、原因が穹の限りなく等身大に近いであろう特大POPを手に入れるにはどうすればいいのだろうかだから、私も相当アレな男ですね。元からか? 元からだよなぁ……うん。
灼眼のシャナに関しては、前述のとおり10巻以降はどうにも面白くない。戦闘がメインとなったのが原因なんだろうけど、高橋弥七郎ってのは元々戦闘描写に定評がない作家だから、基本的に戦闘はつまらないんだよね。この人の持ち味は言ってしまえばセリフ回しとか、キャラの掛け合いで、A/Bエクストリームシリーズに見られるアンディとボギーのようなやり取りは凄く良く出来てると思います。灼眼のシャナにおいてはそれがフレイムヘイズと契約している紅世の王に変わるわけですけど、イマイチ薄っぺらいというか、キャラに関する奇妙な説得力が欠けてしまっている。特に主役であるシャナがまだ子供、小娘というのが高橋弥七郎の持つ独特な文体とセリフ回し、ハッタリの利いた勢いを殺してしまっているといいますか。そう考えるとカムシンは素敵というか、キアラとサーレのカップルは最高だ。今回の話は見るべきところも少なかったけど、キアラとサーレが参戦したのは待ってましたと言わんばかり。
全体的な話をすればやはり面白くないというか、前の巻と同じく薄っぺらい内容なんだけど、あれですかね、シャナが悠二に告白するシーンは泣き所、萌え所なんですかね? 正直、失笑しか出てこなかったというか、感動の欠片もなかったのは何故なんだろう。あぁ、そもそも悠二が嫌いだからか。シャナもそんなに好きじゃないし。
キャラが乱立し過ぎたってのもあるんだけど、全然視覚的じゃないんだよね、文章が。ライトノベルに関しては、如何に視覚的イメージを文章で表現するか、作り出せるかだと思ってて、この映像技術が発達した現代社会では重要なことなんですよ。特にシャナのように一度ならずアニメ化してしまった作品の場合は、それが顕著に求められる。作者の力量があれば問題ないけど、足りないときは悲惨なことになります。
シャナもあと何巻続くのか、既に全盛期の勢いはないですし、今更のように再アニメ化しても売れないと思うんですけどねぇ。ハルヒを御覧なさい、酷いものでしょう。いとうのいぢのブランド的価値が下がってきているのか、私は元々好きな絵でもないから良く分からないんだけど、シャナというハードな作風、特に今みたいに戦争でドンパチやってる展開だと、のいぢじゃキツイものがあるよね。まあ、こうなってしまった以上は変えようがないし、どうせ後数冊もすれば終わるんだろうから良いけどさ。
個人的にはA/Bエクストリームシリーズを復活させてもらいたいですね。SF好きとしては。
メロンブックス横浜店で買ったんですけど、この頃はあそこに行くのが凄い辛くって。というのも、いつかの日記で店先にハルカナソラと夏ノ雨の巨大POPが置いてあるのを書いたと思うんですが……行くたびに凄い欲しくなるのよ。もう、自分でも限界だなって分かるぐらいにあれが欲しい。けど、ギリギリの理性が働いて踏みとどまっているというか、なにも奪い去りたいとかそういう気持ちを抑えているわけじゃなくて、ハッキリ言ってあれを手に入れるために交渉して、上手くいくならまだしも失敗したら気まずいだけじゃないですか。断られればすっぱり諦めるだろうけど、それでもやっぱり未練は残るし少しは食い下がるかも知れない。そうやって拗れれば私は単なる迷惑な客でしかないわけで、そんな自分になり下がるのが嫌なのよ。みっともないとか情けないとか、かっこ悪いとか恥ずかしいとか、そういうことじゃなくて、自分の中にある一種のルール―、思考的決定に反するのではないかと。具体的にどんなものか説明するのは難しいけど、今の私と昔の私じゃ根本的な考え方が違うから、それを為すことへの抵抗感のようなものがいつの間にか生まれてしまった。
大人と子供の違い、昔は若ければなんでもできると思っていたからな。今だって十分若いけど、大人になるということは理性や常識の芽生えですからね。現在の私にとっては足枷のようなものですが、無視して取りはらうほどの勇気はない。精神的な箍が外れきってないから、これ以上踏み出すことを身体ではなく心が拒んでいる。なんとかしない方がいいんだろうけど、なんとかするべきなのだろうか。
凄い複雑で長ったらしいこと書いてるけど、原因が穹の限りなく等身大に近いであろう特大POPを手に入れるにはどうすればいいのだろうかだから、私も相当アレな男ですね。元からか? 元からだよなぁ……うん。
灼眼のシャナに関しては、前述のとおり10巻以降はどうにも面白くない。戦闘がメインとなったのが原因なんだろうけど、高橋弥七郎ってのは元々戦闘描写に定評がない作家だから、基本的に戦闘はつまらないんだよね。この人の持ち味は言ってしまえばセリフ回しとか、キャラの掛け合いで、A/Bエクストリームシリーズに見られるアンディとボギーのようなやり取りは凄く良く出来てると思います。灼眼のシャナにおいてはそれがフレイムヘイズと契約している紅世の王に変わるわけですけど、イマイチ薄っぺらいというか、キャラに関する奇妙な説得力が欠けてしまっている。特に主役であるシャナがまだ子供、小娘というのが高橋弥七郎の持つ独特な文体とセリフ回し、ハッタリの利いた勢いを殺してしまっているといいますか。そう考えるとカムシンは素敵というか、キアラとサーレのカップルは最高だ。今回の話は見るべきところも少なかったけど、キアラとサーレが参戦したのは待ってましたと言わんばかり。
全体的な話をすればやはり面白くないというか、前の巻と同じく薄っぺらい内容なんだけど、あれですかね、シャナが悠二に告白するシーンは泣き所、萌え所なんですかね? 正直、失笑しか出てこなかったというか、感動の欠片もなかったのは何故なんだろう。あぁ、そもそも悠二が嫌いだからか。シャナもそんなに好きじゃないし。
キャラが乱立し過ぎたってのもあるんだけど、全然視覚的じゃないんだよね、文章が。ライトノベルに関しては、如何に視覚的イメージを文章で表現するか、作り出せるかだと思ってて、この映像技術が発達した現代社会では重要なことなんですよ。特にシャナのように一度ならずアニメ化してしまった作品の場合は、それが顕著に求められる。作者の力量があれば問題ないけど、足りないときは悲惨なことになります。
シャナもあと何巻続くのか、既に全盛期の勢いはないですし、今更のように再アニメ化しても売れないと思うんですけどねぇ。ハルヒを御覧なさい、酷いものでしょう。いとうのいぢのブランド的価値が下がってきているのか、私は元々好きな絵でもないから良く分からないんだけど、シャナというハードな作風、特に今みたいに戦争でドンパチやってる展開だと、のいぢじゃキツイものがあるよね。まあ、こうなってしまった以上は変えようがないし、どうせ後数冊もすれば終わるんだろうから良いけどさ。
個人的にはA/Bエクストリームシリーズを復活させてもらいたいですね。SF好きとしては。
タルト・タタンの夢 (創元クライム・クラブ)
2009年8月20日 読書
身内が読んでいたのを借りました。東京創元社は主に創元SF文庫を中心に読んでいるのですが、近藤史恵の著作を読むことはほとんどありません。女流作家が嫌いな分けじゃないんですけど、私と身内では作家に対する趣味や好み、感性に大きなズレがあるので、身内が好きな作家と言うことは、私が読んで面白いものではないだろうと避ける傾向にありました。だから、薦められたところで読む本が多いことを理由に断っていたと思うんですが、身内が一言、「物凄く、料理と食事が美味しそうに書かれていた」と教えてくれた瞬間、一転して読むことを決意。短編連作集だったので一日で読み終わりました。
創元社による紹介文はこんな感じ。私なりにあらすじを書こうと思ったんですけど、やっぱり編集が書いているあらすじほど判りやすいものはないですね。
この話は要するに、下町にあるフランス料理屋を舞台にした、そこを訪れる客たちの抱える悩みや問題、過去などを料理人兼探偵役である三舟シェフが鮮やかに紐解き、解決させていく様を、ギャルソン、日本風に言えば給仕である語り部の高築の視点で読んでいくと言ったものです。ミステリー小説において舞台を固定しているものは結構多く、短編なら尚更なんですけど、ここまでそれを徹底している作品を読んだのも久しぶりで、フランス料理と人間ドラマを巧く絡めているところは、さすが近藤史恵だと思います。
作中、フランス料理と言うことでお高いイメージがあり、敬遠してしまうといった一般人が出てきますけど、この本それ自体にもそんなところがあり、フランス料理屋が舞台で、テーマもフランス料理ともなれば、一般的な読者は少し気後れしてしまうのではないかと。しかし、本書の探偵役である三舟シェフが作る料理は、気取らないフランス料理であり、使う食材がどれほど高級であっても、庶民の口を満足させることが出来ます。それと同じで、フランス料理屋という庶民が一般的に行きそうにない場所を、如何に判りやすく、気軽に書いているか、フランス料理なんて判らないし、食材なんてみたことも食べたこともない、そんな読者でも気楽に読める一冊に本書は仕上がって、調理されています。
作中に粕屋という客が登場して、この人はフランス料理屋の常連のくせに大の偏食家という変わり種なんですけど、実は私も凄い、いや、酷い偏食もちです。野菜は全く食べられないし、魚介類は貝類をはじめイカやタコは一切ダメ、肉も臭みの強いのは苦手だし、よくもまあ今日まで生きてこれたもんだというぐらい偏った食生活を送っています。
トンカツ屋に行ってキャベツに一切手を付けずに食事を終えるような男が、フランス料理屋などに行ったことがあるわけもなく、親の職業上、かろうじて知識があるといった程度です。それでも、このタルト・タタンの夢を夢を読んでみると、「あぁ、フランス料理って美味しそうだなぁ」なんて思えるから不思議。上にも書きましたけど、あからさまな高級感とか気取ったところが一切なくて、フレンチを如何に庶民的に調理しているか、という感じなんですよね。作中には女流のエッセイストが出てくるんですけど、例えばあの人のような切り口や感性でこの作品を書いたら、読了後は胃もたれをしそうな気がします。まあ、エッセイストと小説家を対等に考えてはいけませんけど、あ、中村のうさぎおばちゃんはともかくですよ? この作品は小説として判りやすく、丁寧にフランス料理というものを書いていったから、読了後の後味がとても美味しいものにとなったのではないかと。
創作技術の話になりますけど、小説において飯を食う描写って凄い難しいんですよ。調理描写もそうですけど、出来た料理を食べるのってかなり視覚的な表現を要求されるので、私は文章表現においてそれが出来る人間を尊敬しますし、それが出来ている作品はほとんど無条件で素晴らしいと思っています。例えばライトノベル作家では、大正野球娘の神楽坂淳が上げられますね。原作を読めば分かりますけど、あの人の食べ物の書き方と、それを食べるシーンというのは良くできていて、凄く美味そうに書いてくれるんですよ。私、あの作品で重要なのは野球ではなくて食事のシーンだと考えていますから。
このタルト・タタンの夢は、美味しい小説というものを久しぶりに食べさせてくれた、そんな一冊です。映像は元より、漫画にも劣るであろう小説における料理や食事というものを、ミステリーに絡めて巧く、美味しく書き上げている。あぁ、洋食が食べたくなってきた。
下町の小さなフレンチ・レストラン、ビストロ・パ・マル。風変わりなシェフのつくる料理は、気取らない、本当にフランス料理が好きな客の心と舌をつかむものばかり。そんな名シェフは実は名探偵でもありました。常連の西田さんはなぜ体調をくずしたのか? 甲子園をめざしていた高校野球部の不祥事の真相は? フランス人の恋人はなぜ最低のカスレをつくったのか? ……絶品料理の数々と極上のミステリ7編をどうぞご堪能ください。
創元社による紹介文はこんな感じ。私なりにあらすじを書こうと思ったんですけど、やっぱり編集が書いているあらすじほど判りやすいものはないですね。
この話は要するに、下町にあるフランス料理屋を舞台にした、そこを訪れる客たちの抱える悩みや問題、過去などを料理人兼探偵役である三舟シェフが鮮やかに紐解き、解決させていく様を、ギャルソン、日本風に言えば給仕である語り部の高築の視点で読んでいくと言ったものです。ミステリー小説において舞台を固定しているものは結構多く、短編なら尚更なんですけど、ここまでそれを徹底している作品を読んだのも久しぶりで、フランス料理と人間ドラマを巧く絡めているところは、さすが近藤史恵だと思います。
作中、フランス料理と言うことでお高いイメージがあり、敬遠してしまうといった一般人が出てきますけど、この本それ自体にもそんなところがあり、フランス料理屋が舞台で、テーマもフランス料理ともなれば、一般的な読者は少し気後れしてしまうのではないかと。しかし、本書の探偵役である三舟シェフが作る料理は、気取らないフランス料理であり、使う食材がどれほど高級であっても、庶民の口を満足させることが出来ます。それと同じで、フランス料理屋という庶民が一般的に行きそうにない場所を、如何に判りやすく、気軽に書いているか、フランス料理なんて判らないし、食材なんてみたことも食べたこともない、そんな読者でも気楽に読める一冊に本書は仕上がって、調理されています。
作中に粕屋という客が登場して、この人はフランス料理屋の常連のくせに大の偏食家という変わり種なんですけど、実は私も凄い、いや、酷い偏食もちです。野菜は全く食べられないし、魚介類は貝類をはじめイカやタコは一切ダメ、肉も臭みの強いのは苦手だし、よくもまあ今日まで生きてこれたもんだというぐらい偏った食生活を送っています。
トンカツ屋に行ってキャベツに一切手を付けずに食事を終えるような男が、フランス料理屋などに行ったことがあるわけもなく、親の職業上、かろうじて知識があるといった程度です。それでも、このタルト・タタンの夢を夢を読んでみると、「あぁ、フランス料理って美味しそうだなぁ」なんて思えるから不思議。上にも書きましたけど、あからさまな高級感とか気取ったところが一切なくて、フレンチを如何に庶民的に調理しているか、という感じなんですよね。作中には女流のエッセイストが出てくるんですけど、例えばあの人のような切り口や感性でこの作品を書いたら、読了後は胃もたれをしそうな気がします。まあ、エッセイストと小説家を対等に考えてはいけませんけど、あ、中村のうさぎおばちゃんはともかくですよ? この作品は小説として判りやすく、丁寧にフランス料理というものを書いていったから、読了後の後味がとても美味しいものにとなったのではないかと。
創作技術の話になりますけど、小説において飯を食う描写って凄い難しいんですよ。調理描写もそうですけど、出来た料理を食べるのってかなり視覚的な表現を要求されるので、私は文章表現においてそれが出来る人間を尊敬しますし、それが出来ている作品はほとんど無条件で素晴らしいと思っています。例えばライトノベル作家では、大正野球娘の神楽坂淳が上げられますね。原作を読めば分かりますけど、あの人の食べ物の書き方と、それを食べるシーンというのは良くできていて、凄く美味そうに書いてくれるんですよ。私、あの作品で重要なのは野球ではなくて食事のシーンだと考えていますから。
このタルト・タタンの夢は、美味しい小説というものを久しぶりに食べさせてくれた、そんな一冊です。映像は元より、漫画にも劣るであろう小説における料理や食事というものを、ミステリーに絡めて巧く、美味しく書き上げている。あぁ、洋食が食べたくなってきた。