世間様は台風で酷いことになって、私も仕事が飛んだりしたのだけど、地元はまあ奇跡的に何事もなく夜明けを迎えることが出来たので、今日は映画を観てきました。相鉄線が平常通り運行していたのは驚いたけど、丁度横浜に出た辺りで上野東京ライン……と言っても東京までだから東海道線か。それも動き出したので、川崎へ行くことが出来たんですね。
行きの横浜駅は12時過ぎても百貨店や駅ビルが営業していないシャッター街。勿論、昨日だってそうだったんでしょうけど、昨日は外に出てないから、何だか新鮮でした。
そんな訳で、川崎チネチッタでアニメ映画「空の青さを知る人よ」を鑑賞してきました。超平和バスターズによる第3作、心は叫びたがってるんだから数えて4年振りになりますか。監督と脚本家だけなら間に鉄血のオルフェンズとかありますけど、まあ、ガンダムは関係ないので置いときましょう。
今年はアニメ映画が多い年で、3年前の君の名はによって産まれた一種のブームが、色々な企画にGOサインを出した結果だと言われています。劇場アニメは作るのに時間掛かりますから、今年になって完成したり、公開に漕ぎ着けた作品が多かったと言うことですね。奇しくも、ある日は必然か、君の名はの次作にあたる天気の子も夏に上映されたことで、そういった有象無象は大分忘れ去られた感がありますけど、本作「空の青さを知る人よ」は、天気の子の公開後に上映された作品なので当然ながらちょっと立ち位置が違います。
パンフレットによると、企画自体はここさけの制作終盤から次作も出来ることが決まっていたようですが、公開まで4年掛かったのはやっぱりガンダムがあったから……なんでしょうかね? 詳しいことは分かりませんが、私はここさけが結構好きというか、何であんなに劇場通ったのか、今となっては分からないほどリピーターをやっていたので、空の青さを知る人よが発表された当時、迷わず観に行くことを決めてました。ちなみにあの花に関しては本放送時、圧倒的に「C」の方が好きだったから、ちゃんと観たのは少し後になってからでした。なので、私の超平和バスターズは、ここさけから始まってるんですね。
空の青さを知る人よは、何度も書いているとおり4年振りの新作です。シリーズ物というわけではありませんが、同じ座組の作品で、なまじ1作目からヒットしているともなれば、その真価を問われるのは3作目だと私は思います。
つまり、2作目のここさけは「あの花スタッフが送る」という宣伝文句が使えて、その効果によるヒットというのもある程度はあったと思うんですね。だから、ここさけの作中にはあの花のキャラクター……と言ってもメインではないですが、それがちょっとは出てきましたし、あの花の存在を匂わせたり、強く出したりすることが必要だった。
けど、3作目ともなるといつまでもそれに頼っているわけにもいかず、同じ秩父が舞台の作品でも、過去作とは違うアプローチが必要になってくる。なので、どんな作品を出してくるのかと楽しみにしていたのですが……そこに広がっていたのは、意外なほど爽やかで、シンプルな物語でした。
私はここ最近、映画はそれほど事前情報を集める方じゃなくて、この作品も劇場予告とTVCM、あとは公式HPをチラッと見たぐらいで、けれど、たったそれだけで大体の内容が分かってしまうほどには、さっぱりしてたんですよね。別に彗星とか降ってこないし、東京が水没したりもしないし、幼馴染みの女の子が死んで幽霊になって出てきたりとか、呪いで喋れなくなった女の子が失恋したりもしない。
言ってしまえば、非常に明るい作風で、それが物語の分かりやすさに繋がっているというか。
私はてっきり、この映画はあおいが主人公で、あおいの成長物語だと思ってました。慎之介とあかねが全面に出されているのは、中の人による宣伝効果を狙ってのものだ、と。確かにそれは合ったと思います。
けど、鑑賞を終えてみると、なるほど、これは確かに慎之介とあかね、そしてしんのの物語で、あおいは語り部や視点とも言えるキャラクターなんですね。
確かに彼女はしんのが初恋で、生き霊となって現れたしんのに二度目の初恋をするわけですけど、それは実のところ主軸じゃないんです。だから、彼女は慎之介の存在に幻滅して失望はするけど、自分で彼と向き合うことはない、何故ならそれはヒロインであるあかねの役目であり、主人公であるしんのの務めだから。
あおいの進学や、音楽にしても、たとえばここさけならば順の拓実に対する想いや、地域交流会のミュージカルなどが物語における大きな軸になってくるわけですが、今作ではしんのとの恋愛や、あおいと慎之介がベースやギターを弾く音楽祭そのものは話の終着点、つまり、ラストにはなりません。なにせ、イベントそのものが開催する前に物語は終わり、EDの写真という形で描かれただけですから、本筋はそこじゃないんです。
じゃあ、どこなのか? それはあおいとあかねの姉妹愛であり、あかねと慎之介の再会であり、しんのと慎之介の対峙ではないか。特にあおいとあかねの姉妹愛はメインと言ってもよく、あおいが最終的に秩父を出ない選択肢を選んだらしいことからも分かります。
あおいは姉の青春を犠牲にした負い目があって、慎之介も元カノに対するばつの悪さがある。だから、あおいは秩父を出て行きたかったし、慎之介は秩父に帰りたくなかった。
あおいはしんのに恋をするけど、彼の存在が永遠でないことも頭の中で分かっていて、それでいてあかねが今も慎之介を好きで、何よりしんのがあかねを好きなことも知っていたから、身を引くと言うよりは自分の中でしっかりと飲み込んで区切りを付けます。
故に、しんのが消えてしまうこと自体は、物語上における大きな事件ではないんですよ。だから、ラストで彼はあっさりと消えてしまうのです。あおいだけが一陣の風で彼がいなくなったことを悟ったけど、それで良いんです。
そう考えたとき、彼女が経験するのは失恋ではなくて、悲恋なんですね。
土砂崩れも人死にやけが人が出るようなものではなく、たとえばここさけの終盤なんかに比べると痛々しさがありません。又、慎之介があかねを押し倒そうとするシーンもあるにはありますが、あかねは軽く交わしますから、静的に生々しい部分もない。一瞬、慎之介は千佳と関係を持ったのかと動揺しましたが、千佳に手を出さなかったのが慎之介の中にあるあかねへの未練を強く印象づけました。
これが少女漫画とか、いや、前作なら確実に手を出してましたよ。うん。
千佳と正嗣のキャラも良かったですね。千佳はあおいの単なるクラスメートで、別に仲は良くなかった。嫌い合っていたわけではないにせよ、学友からバンドに誘われたときの態度や、勉学に精を出していないことなど、あおいは学校生活にあまり楽しみを見出していなかったタイプでしょう。
対する千佳は都会に憧れる女子高生で、バンドマンの彼氏が欲しい、秩父を出たいなど、まあ、ギャル系といやギャル系です。硬派なところがあるあおいとは真逆と言っても良く、慎之介の件で複雑な気持ちを抱いていた彼女から良く思われないのは当然なんですね。
けど、千佳の面白いところは慎之介から相手にされなかったからと言って、別に音楽祭への関わりをやめたりはしないんですよ。あおいから酷いこと言われても、自分がうざったい絡み方をしていたことを自覚した上で、ぶつかり合ったりしない。妙なところでサッパリした部分があるし、そうした本質が分かったからこそ、あおいは彼女に対する認識を軟化させて、EDでも分かるように友人関係を築く。
そして正嗣は、まあ、最初に出てきたときからバレバレでしたが、あおいのこと好きで、彼女の存在を自分の人生プランに組み込んで生きている大人びた少年です。彼の想いが報われてたのかは分かりませんけど、あおいは正嗣に対してはかなり気を許しているというか、お堂での練習でも側に置いてますし、逃げ込む先として選んだりなど、あかねの次に近しい存在なんですね。普通なら学校の友達とかになるんでしょうが、そうじゃないのが面白い。
正嗣にしてみれば、11歳の小学生男子が高校生のお姉さん、それも結構可愛いに惚れない理由はないですし、始終冷静で、小学生離れしたクールな彼が、しんのの登場で心を乱していくのは当然の流れと言えるでしょう。けど、正嗣の良いところは焦ってあおいに告白するのではなくて、恋敵であるしんのに自分の想いを告げることろですよね。正嗣は賢いから、小学生の自分が高校生のあおいに告白しても失恋どころか、相手にされないことを分かっている。だから彼は、自分がどのタイミングで彼女に告白するか、結婚まで持ち込むかを入念に考えているわけですよ。
あおいの夢が東京でバンドやることなら、彼女を守ってやれる社会的地位なり、お金なりを稼げる大人になると。それは子供の夢物語なのかも知れないけど、本質的にはしんのと、ビッグになってあかねを迎えに来るんだと誓った彼と同じと言えるでしょう。誤算があるとすれば、おそらくあおいは東京でバンドやるのではなくて、秩父で進学して成人を迎えたことでしょうが……どうでしょうね、あおいにとっての正嗣がどういう存在なのか、その描写は結構薄かったし、EDでも描写されなかったから、ここの決着だけはちょっとその後が観たいです。多分、フラれると思いますけど。
最終的な感想としては、シンプルで、分かりやすい現代劇でした。青春映画と言うには恋愛してないし、ホームドラマというにはちょっと違うけど、それぞれのキャラクターがきちんと立っていて、私はやっぱりこういう映画好きですね。
ここさけほどではないにせよ、リピーターになるとは思いますが、音楽映画としての側面もあるにはあるので、LIVE ZOUNDは結構合ってるんじゃないかな。
そういや、RGBレーザーも初体験でしたけど、流石に綺麗でしたね。本当なら、京アニとか天気の子で観た方が良いのかも知れませんが、この作品でも十分堪能できました。
とりあえず、次を観に行く前に小説版を買っておこうかな。
行きの横浜駅は12時過ぎても百貨店や駅ビルが営業していないシャッター街。勿論、昨日だってそうだったんでしょうけど、昨日は外に出てないから、何だか新鮮でした。
そんな訳で、川崎チネチッタでアニメ映画「空の青さを知る人よ」を鑑賞してきました。超平和バスターズによる第3作、心は叫びたがってるんだから数えて4年振りになりますか。監督と脚本家だけなら間に鉄血のオルフェンズとかありますけど、まあ、ガンダムは関係ないので置いときましょう。
今年はアニメ映画が多い年で、3年前の君の名はによって産まれた一種のブームが、色々な企画にGOサインを出した結果だと言われています。劇場アニメは作るのに時間掛かりますから、今年になって完成したり、公開に漕ぎ着けた作品が多かったと言うことですね。奇しくも、ある日は必然か、君の名はの次作にあたる天気の子も夏に上映されたことで、そういった有象無象は大分忘れ去られた感がありますけど、本作「空の青さを知る人よ」は、天気の子の公開後に上映された作品なので当然ながらちょっと立ち位置が違います。
パンフレットによると、企画自体はここさけの制作終盤から次作も出来ることが決まっていたようですが、公開まで4年掛かったのはやっぱりガンダムがあったから……なんでしょうかね? 詳しいことは分かりませんが、私はここさけが結構好きというか、何であんなに劇場通ったのか、今となっては分からないほどリピーターをやっていたので、空の青さを知る人よが発表された当時、迷わず観に行くことを決めてました。ちなみにあの花に関しては本放送時、圧倒的に「C」の方が好きだったから、ちゃんと観たのは少し後になってからでした。なので、私の超平和バスターズは、ここさけから始まってるんですね。
空の青さを知る人よは、何度も書いているとおり4年振りの新作です。シリーズ物というわけではありませんが、同じ座組の作品で、なまじ1作目からヒットしているともなれば、その真価を問われるのは3作目だと私は思います。
つまり、2作目のここさけは「あの花スタッフが送る」という宣伝文句が使えて、その効果によるヒットというのもある程度はあったと思うんですね。だから、ここさけの作中にはあの花のキャラクター……と言ってもメインではないですが、それがちょっとは出てきましたし、あの花の存在を匂わせたり、強く出したりすることが必要だった。
けど、3作目ともなるといつまでもそれに頼っているわけにもいかず、同じ秩父が舞台の作品でも、過去作とは違うアプローチが必要になってくる。なので、どんな作品を出してくるのかと楽しみにしていたのですが……そこに広がっていたのは、意外なほど爽やかで、シンプルな物語でした。
私はここ最近、映画はそれほど事前情報を集める方じゃなくて、この作品も劇場予告とTVCM、あとは公式HPをチラッと見たぐらいで、けれど、たったそれだけで大体の内容が分かってしまうほどには、さっぱりしてたんですよね。別に彗星とか降ってこないし、東京が水没したりもしないし、幼馴染みの女の子が死んで幽霊になって出てきたりとか、呪いで喋れなくなった女の子が失恋したりもしない。
言ってしまえば、非常に明るい作風で、それが物語の分かりやすさに繋がっているというか。
私はてっきり、この映画はあおいが主人公で、あおいの成長物語だと思ってました。慎之介とあかねが全面に出されているのは、中の人による宣伝効果を狙ってのものだ、と。確かにそれは合ったと思います。
けど、鑑賞を終えてみると、なるほど、これは確かに慎之介とあかね、そしてしんのの物語で、あおいは語り部や視点とも言えるキャラクターなんですね。
確かに彼女はしんのが初恋で、生き霊となって現れたしんのに二度目の初恋をするわけですけど、それは実のところ主軸じゃないんです。だから、彼女は慎之介の存在に幻滅して失望はするけど、自分で彼と向き合うことはない、何故ならそれはヒロインであるあかねの役目であり、主人公であるしんのの務めだから。
あおいの進学や、音楽にしても、たとえばここさけならば順の拓実に対する想いや、地域交流会のミュージカルなどが物語における大きな軸になってくるわけですが、今作ではしんのとの恋愛や、あおいと慎之介がベースやギターを弾く音楽祭そのものは話の終着点、つまり、ラストにはなりません。なにせ、イベントそのものが開催する前に物語は終わり、EDの写真という形で描かれただけですから、本筋はそこじゃないんです。
じゃあ、どこなのか? それはあおいとあかねの姉妹愛であり、あかねと慎之介の再会であり、しんのと慎之介の対峙ではないか。特にあおいとあかねの姉妹愛はメインと言ってもよく、あおいが最終的に秩父を出ない選択肢を選んだらしいことからも分かります。
あおいは姉の青春を犠牲にした負い目があって、慎之介も元カノに対するばつの悪さがある。だから、あおいは秩父を出て行きたかったし、慎之介は秩父に帰りたくなかった。
あおいはしんのに恋をするけど、彼の存在が永遠でないことも頭の中で分かっていて、それでいてあかねが今も慎之介を好きで、何よりしんのがあかねを好きなことも知っていたから、身を引くと言うよりは自分の中でしっかりと飲み込んで区切りを付けます。
故に、しんのが消えてしまうこと自体は、物語上における大きな事件ではないんですよ。だから、ラストで彼はあっさりと消えてしまうのです。あおいだけが一陣の風で彼がいなくなったことを悟ったけど、それで良いんです。
そう考えたとき、彼女が経験するのは失恋ではなくて、悲恋なんですね。
土砂崩れも人死にやけが人が出るようなものではなく、たとえばここさけの終盤なんかに比べると痛々しさがありません。又、慎之介があかねを押し倒そうとするシーンもあるにはありますが、あかねは軽く交わしますから、静的に生々しい部分もない。一瞬、慎之介は千佳と関係を持ったのかと動揺しましたが、千佳に手を出さなかったのが慎之介の中にあるあかねへの未練を強く印象づけました。
これが少女漫画とか、いや、前作なら確実に手を出してましたよ。うん。
千佳と正嗣のキャラも良かったですね。千佳はあおいの単なるクラスメートで、別に仲は良くなかった。嫌い合っていたわけではないにせよ、学友からバンドに誘われたときの態度や、勉学に精を出していないことなど、あおいは学校生活にあまり楽しみを見出していなかったタイプでしょう。
対する千佳は都会に憧れる女子高生で、バンドマンの彼氏が欲しい、秩父を出たいなど、まあ、ギャル系といやギャル系です。硬派なところがあるあおいとは真逆と言っても良く、慎之介の件で複雑な気持ちを抱いていた彼女から良く思われないのは当然なんですね。
けど、千佳の面白いところは慎之介から相手にされなかったからと言って、別に音楽祭への関わりをやめたりはしないんですよ。あおいから酷いこと言われても、自分がうざったい絡み方をしていたことを自覚した上で、ぶつかり合ったりしない。妙なところでサッパリした部分があるし、そうした本質が分かったからこそ、あおいは彼女に対する認識を軟化させて、EDでも分かるように友人関係を築く。
そして正嗣は、まあ、最初に出てきたときからバレバレでしたが、あおいのこと好きで、彼女の存在を自分の人生プランに組み込んで生きている大人びた少年です。彼の想いが報われてたのかは分かりませんけど、あおいは正嗣に対してはかなり気を許しているというか、お堂での練習でも側に置いてますし、逃げ込む先として選んだりなど、あかねの次に近しい存在なんですね。普通なら学校の友達とかになるんでしょうが、そうじゃないのが面白い。
正嗣にしてみれば、11歳の小学生男子が高校生のお姉さん、それも結構可愛いに惚れない理由はないですし、始終冷静で、小学生離れしたクールな彼が、しんのの登場で心を乱していくのは当然の流れと言えるでしょう。けど、正嗣の良いところは焦ってあおいに告白するのではなくて、恋敵であるしんのに自分の想いを告げることろですよね。正嗣は賢いから、小学生の自分が高校生のあおいに告白しても失恋どころか、相手にされないことを分かっている。だから彼は、自分がどのタイミングで彼女に告白するか、結婚まで持ち込むかを入念に考えているわけですよ。
あおいの夢が東京でバンドやることなら、彼女を守ってやれる社会的地位なり、お金なりを稼げる大人になると。それは子供の夢物語なのかも知れないけど、本質的にはしんのと、ビッグになってあかねを迎えに来るんだと誓った彼と同じと言えるでしょう。誤算があるとすれば、おそらくあおいは東京でバンドやるのではなくて、秩父で進学して成人を迎えたことでしょうが……どうでしょうね、あおいにとっての正嗣がどういう存在なのか、その描写は結構薄かったし、EDでも描写されなかったから、ここの決着だけはちょっとその後が観たいです。多分、フラれると思いますけど。
最終的な感想としては、シンプルで、分かりやすい現代劇でした。青春映画と言うには恋愛してないし、ホームドラマというにはちょっと違うけど、それぞれのキャラクターがきちんと立っていて、私はやっぱりこういう映画好きですね。
ここさけほどではないにせよ、リピーターになるとは思いますが、音楽映画としての側面もあるにはあるので、LIVE ZOUNDは結構合ってるんじゃないかな。
そういや、RGBレーザーも初体験でしたけど、流石に綺麗でしたね。本当なら、京アニとか天気の子で観た方が良いのかも知れませんが、この作品でも十分堪能できました。
とりあえず、次を観に行く前に小説版を買っておこうかな。
小悪魔すいっち (BAVEL COMICS)
2018年2月27日 アニメ・マンガ
まうめんさんの新刊にして、初単行本「小悪魔すいっち」が発売されました。まうめんさんはヨスガノソラ時代から交流のある友人で、結構古い付き合いの方です。商業漫画家や美少女ゲームの原画家をされており、今はコミックバベルで描かれることが多いですが、かつては今はなきポプリクラブなどでも作品が掲載されていました。そんなまうめんさんの、デビュー5年目にして初の単行本ということでこの日記でも取り上げたいと思います。
前述の通り、まうめんさんはポプリクラブ等でも描かれていた経験があるので、この小悪魔すいっちにはポプリ誌上で発表された作品や、失楽天に掲載された作品なども収録されています。表紙の女の子からして、2015年のポプリクラブに掲載された「二度目の告白」のヒロイン、咲ちゃんですから、古くから追いかけていた人には嬉しいサプライズですよね。
ちなみに私は、二度目の告白の次に載った「かもめかもめ」のヒロイン、かもめが好きなんですが……その話はまた後でにしますか。長くなる。
全体の割合としてはバベルの作品が7本、ポプリクラブと失楽天がそれぞれ2本ずつと、計11作品が収録されています。巻頭を飾ったのは、コミックバベル2016年1月号に載った「水着彼女の極上えっち」で、これがまた良い作品というか、めちゃくちゃエロいのよ。まうめんさんは女の子のエロい肉感を出すのが美味いというか、一見すると女の子には不釣り合いなムチムチとした肉感とか、大きなおっぱいとか、それがまったく違和感なく描かれていて。この作品のヒロイン、美鈴ちゃんは特にその点が顕著! 巨乳がピチピチとしたスク水で更に際立ってるんだけど、もう登場シーンからして「ゆさっ」て揺れてるからね。いや、正確には登場シーンじゃないんだけど、おっぱい! スク水! ピチピチでムチムチ!の三拍子が揃った子なので、トップバッターとしては申し分ないでしょう。ちなみに、メロンブックスの店舗特典クリアファイルや、没表紙ラフに描かれているのもこの子になります。
「小悪魔ageまんっ♥」は昨年コミックバベルに掲載された作品で、今回の単行本ではサンプルページとして読めるやつです。なので、とりあえず読んで貰った方が早いのだけど、いつの時代も需要がある褐色お姉さんをヒロインに、とらのあなの特典にも採用されるなど、なかなかの注目度だと思います。褐色お姉さんはレイさんという名前なんですが、この人は姉の友人って立場で、実の姉に「おっぱい揉ませてくれ!」と頼み込んできたお馬鹿な弟=主人公を誘惑し、そのままヤってしまう王道タイプのお話。年上のお姉さんに翻弄されて……と思いつつも、攻めと受けの転換は激しく、繰り返すようだけどサンプル読んで! と、声を大にして言いたい。だって、このお姉さん乳首が……
「お届け♥ぎゃるめいどっ!」は、単行本の数日前に発売されたバベルに載ってる、今のところ一番新しい作品ですね。ノリと勢いのおバカ系で、ああ、エロ漫画のギャルってこんなだよなぁという緩さを感じさせてくれて、尚且つぐいぐいぐいっと攻めていく感じ。話としてはシンプルなんだけど、これまたエロ漫画らしくライトに楽しめますね。続く「発情うさぎにご用心」もそうなんですけど、バベルが何を求めて、どんな作風を押しているのかというのが分かりやすく出ている気がします。しかし、メイドとバニーが続くのは強烈だなぁw
うさぎの方も今年のバベルに載ってる作品で、これでもかってぐらいのコス系作品なんだけど、これまた結構おバカな系。けど、エロい。エロいんだ……!
「ナカヨシコヨシ」は昨年2017年のバベルに掲載されてますが、「小悪魔ageまんっ♥」よりも更に幼い、所謂おねショタと呼ばれるジャンルの作品。こちらもギャル系のヒロインなんだけど、非常にサバサバした感じにJKって感じで、対する主人公は……うん、幼い見た目かなw
古い言い方をすれば、逆年齢差カップルという奴だけど、物語の始まった時点ではカップルでもないんでもない、親戚又は知り合いの子供を押しつけられてうんざりしている女の子と、年上のお姉さんと二人きりで戸惑っている男の子って感じ。この男の子は別に先ほどの弟君と違ってエロガキって訳じゃないんだけど、そういうことに興味がないわけでもなくて、どちらかと言えばむっつりタイプ。そんな少年を筆下ろししようって漫画なんだから、こんなのエロいに決まってるじゃん……しかも、JKの方はほんの暇つぶし、いたずら心を出してみた程度のつもりだったのが嵌まってしまい、みたいな感じで、もうこんな深みならいくらでも嵌まってやりますよ。
同じく2017年掲載の「押しかけ♥Lady」は許嫁を名乗るお嬢様が、一人暮らしの男の家に住み着いてと、しおらしくてかいがいしい、けれどもウブなお嬢様が可愛い作品。このお嬢様はどうして主人公に惚れているのか、その説明はまあ為されてないわけだけど、昔からの知り合いって感じでもない。でもまあ、細かいことは良いよね! 朝立ちを拒否してしまうほどウブなのに、主人公に対する想いは本物で、それ故に思い切りも良い。強引に事を進める割に世間知らずってのもなかなかどうした、可愛いもんですねぇ……こんなおっぱい大きくて、けなげなお金持ちお嬢様とか、不満を覚える方が贅沢ってもんだ。
さて、ここまでがコミックバベル掲載作品なわけですが、ここからは懐かしのポプリクラブの作品が収録されています。ポプリも休刊になってから、今年で3年ぐらい。何だかすっかり昔な気がしますね。エロ漫画雑誌って結構数ありますけど、それぞれに雑誌の色や作風があって、ポプリにはやっぱりポプリの可愛さ観たいのがあったように思う。
そんなポプリクラブからは、2015年8月号に掲載された「かもめかもめ」の登場です! いやもう、私はこの作品が、ヒロインのかもめがホント好きでね! 大好きなんですよ。まうめんさんが商業で描かれたヒロインの中で特に思い入れの強い娘というか、別になんか凄いキャラとかじゃないんですよ。ちょっと不思議なところのある、かといってミステリアスというほどクールでもない家出娘。白い帽子に白いセーラー服で海辺の堤防を歩いていたところ、主人公と出くわして家に転がり込んだ訳だけど、話としては凄いシンプルで、かもめの家出理由とかそういうのは出てこないんですよ。
女の子慣れしてないのに連れ込んじゃった主人公の悶々とした葛藤と、それを承知の上で彼に実は惹かれていたかもめの何だよ、お前ら両想いかよ! と叫びたくなるような、甘い関係が可愛くってね。かもめの一見すると何考えているか分からないようで、実は何もかも分かった上で嫌いじゃない、好きだから受け入れる姿は何ともまあひたすら可愛がりたい!!
しかも、かもめもまたおっぱい大きいというね。まあ、まうめんさんの描くヒロインは基本的に大きい子ばかりなのだけど、かもめは不思議ちゃん+巨乳だから破壊力が違う。後、手を出す前はお尻から触ってる辺り、他の作品とちょっと違う部分もあったりしてね。でまあ、これが茜新社辺りの作品なら二人の関係が壊れてとか、そんなシリアスな展開になるのかも知れないけど、そういうのないんで。もうひたすらイチャイチャして、しかも、このイチャイチャはまだ始まったばかりという。
今回の単行本で唯一残念後頃があるとすれば、かもめの描き下ろしがなかったことですけど、それはまあ私の趣味だから仕方ない。一応、色紙があるにはあるけど……当たるかなぁ。当たると良いなぁ。
「二度目の告白」は最初に描いたとおり、ヒロインの咲ちゃんがこの単行本の表紙にも採用された作品です。意外だったのはバベルコミックなのに、表紙をポプリ時代のヒロインから取ったことで、美鈴なんかも候補だったみたいですけど思い切った選択なのかなって。
ただ、ヒロインとしてはかもめの方が好きだけど、お話としては二度目の告白の方が好みだったりするかなぁ。タイトルから分かるとおり、この作品のテーマは告白にあるわけだけど、誰が誰に告白するのか? というのは、やっぱり読んで貰いたいかなって。簡単に触れると、主人公は今まさに思い人から振られたばかりの男で、咲はそんな彼の女友達……つまりは、嫌いじゃないにせよ、恋愛対象という意味では外れた子なんですね。
それじゃあ、咲はどうなのかと言えば、彼女は彼女で主人公に思うところ合って、その心境は複雑で。
何か詳しく説明するのが野暮ったいというか、エロ漫画的な話をするとこの子もおっぱい大きくて、しかもカバー通りの裸マフラーですからね。しかも、ゴムを口で付けてくれるんですよ!? そんな子が「赤ちゃんできちゃうっ」とかヤバすぎますよ。かもめもそうだけど、これを機にこのタイプの女の子もう一度描いて貰いたいですねぇ。最近はほら、バベルという雑誌の特性上、等身大の女の子って少ない気がするし。
失楽天からは「居眠りティーチャー」と「許して! sister♥」が収録されました。収録順で言えば間にバベルの作品が一つ入ってるんですが、まあ、折角だしセットで紹介しましょうか。快楽天の姉妹紙で、所謂コンビニで買えるエロ漫画雑誌の一種ですね。まうめんさんの商業作品としては、この失楽天での作品が最も古いですが、流石に全部収録というわけにもいかないので、2作のみの収録となっています。
私の記憶が確かなら、失楽天の掲載作品はお姉さん系が多かった気がしますし、今回の居眠りティーチャーもそうなんですけど、許して! sisterの方は妹キャラがヒロイン。もう4~5年前ですから、個人的には懐かしい作品ですね。ポプリよりも失楽天の方が作品数はあるんでしょうけど、色々な理由から見送ったものもあるとかで、後、これは権利が取れなかったのか、コミックアンリアルの作品は一つも載ってないです。サキュバスとか、TSFとか、催眠ネタもありましたっけ。まあ、これらは電子書籍で読めるからDMM辺りで買いましょう。
巻末作品は「許して! sister♥」なんだけど、間に挟まれた最後のバベル作品は「ワスレナイキミ」という双子の従姉妹が出てくる作品。従姉妹といってもどちらも年下の姉妹で、タイトルロゴに編集又は制作のちょっとした遊び心を感じます。
私は元来、双子という属性に弱いんですけど、内向的な方がおっぱい大きくて、活発な方がちっぱいという法則が発動しており、しかもどっちも主人公のことが昔から大好きという。この単行本では唯一の3Pですけど、活発な花蓮がリードしつつ、実はどエロな雪菜とかこんな双子に愛されたい人生だった……尤も、私が好きな双子って男女の双子だったりもするのだけど、それでも同じ顔をした姉妹ってのは背徳感と興奮が凄い。だって現実にはまずあり得ないじゃん? いや、どれだったらあり得るんだよって話でもあるが。
この作品は2016年だから……ああ、もう一昨年になるのかぁ。
色々あってとらのあなだけで5冊ほど購入している私ですが、メロンやDMM、それにオータムリーフなどもあるので、もう少し積む予定です。全体的にエロく、可愛く、せつなく、おバカで、勢いあってと多様な作品、ヒロインが楽しめると思いますし、まうめんさんの描く女の子とおっぱいを楽しむには十分すぎるほどの1冊だと思うので、是非読んで貰いたいですね。
まうめんさんの5年以上の月日が詰まった小悪魔すいっち。今年オススメのえっちぃ漫画です。
前述の通り、まうめんさんはポプリクラブ等でも描かれていた経験があるので、この小悪魔すいっちにはポプリ誌上で発表された作品や、失楽天に掲載された作品なども収録されています。表紙の女の子からして、2015年のポプリクラブに掲載された「二度目の告白」のヒロイン、咲ちゃんですから、古くから追いかけていた人には嬉しいサプライズですよね。
ちなみに私は、二度目の告白の次に載った「かもめかもめ」のヒロイン、かもめが好きなんですが……その話はまた後でにしますか。長くなる。
全体の割合としてはバベルの作品が7本、ポプリクラブと失楽天がそれぞれ2本ずつと、計11作品が収録されています。巻頭を飾ったのは、コミックバベル2016年1月号に載った「水着彼女の極上えっち」で、これがまた良い作品というか、めちゃくちゃエロいのよ。まうめんさんは女の子のエロい肉感を出すのが美味いというか、一見すると女の子には不釣り合いなムチムチとした肉感とか、大きなおっぱいとか、それがまったく違和感なく描かれていて。この作品のヒロイン、美鈴ちゃんは特にその点が顕著! 巨乳がピチピチとしたスク水で更に際立ってるんだけど、もう登場シーンからして「ゆさっ」て揺れてるからね。いや、正確には登場シーンじゃないんだけど、おっぱい! スク水! ピチピチでムチムチ!の三拍子が揃った子なので、トップバッターとしては申し分ないでしょう。ちなみに、メロンブックスの店舗特典クリアファイルや、没表紙ラフに描かれているのもこの子になります。
「小悪魔ageまんっ♥」は昨年コミックバベルに掲載された作品で、今回の単行本ではサンプルページとして読めるやつです。なので、とりあえず読んで貰った方が早いのだけど、いつの時代も需要がある褐色お姉さんをヒロインに、とらのあなの特典にも採用されるなど、なかなかの注目度だと思います。褐色お姉さんはレイさんという名前なんですが、この人は姉の友人って立場で、実の姉に「おっぱい揉ませてくれ!」と頼み込んできたお馬鹿な弟=主人公を誘惑し、そのままヤってしまう王道タイプのお話。年上のお姉さんに翻弄されて……と思いつつも、攻めと受けの転換は激しく、繰り返すようだけどサンプル読んで! と、声を大にして言いたい。だって、このお姉さん乳首が……
「お届け♥ぎゃるめいどっ!」は、単行本の数日前に発売されたバベルに載ってる、今のところ一番新しい作品ですね。ノリと勢いのおバカ系で、ああ、エロ漫画のギャルってこんなだよなぁという緩さを感じさせてくれて、尚且つぐいぐいぐいっと攻めていく感じ。話としてはシンプルなんだけど、これまたエロ漫画らしくライトに楽しめますね。続く「発情うさぎにご用心」もそうなんですけど、バベルが何を求めて、どんな作風を押しているのかというのが分かりやすく出ている気がします。しかし、メイドとバニーが続くのは強烈だなぁw
うさぎの方も今年のバベルに載ってる作品で、これでもかってぐらいのコス系作品なんだけど、これまた結構おバカな系。けど、エロい。エロいんだ……!
「ナカヨシコヨシ」は昨年2017年のバベルに掲載されてますが、「小悪魔ageまんっ♥」よりも更に幼い、所謂おねショタと呼ばれるジャンルの作品。こちらもギャル系のヒロインなんだけど、非常にサバサバした感じにJKって感じで、対する主人公は……うん、幼い見た目かなw
古い言い方をすれば、逆年齢差カップルという奴だけど、物語の始まった時点ではカップルでもないんでもない、親戚又は知り合いの子供を押しつけられてうんざりしている女の子と、年上のお姉さんと二人きりで戸惑っている男の子って感じ。この男の子は別に先ほどの弟君と違ってエロガキって訳じゃないんだけど、そういうことに興味がないわけでもなくて、どちらかと言えばむっつりタイプ。そんな少年を筆下ろししようって漫画なんだから、こんなのエロいに決まってるじゃん……しかも、JKの方はほんの暇つぶし、いたずら心を出してみた程度のつもりだったのが嵌まってしまい、みたいな感じで、もうこんな深みならいくらでも嵌まってやりますよ。
同じく2017年掲載の「押しかけ♥Lady」は許嫁を名乗るお嬢様が、一人暮らしの男の家に住み着いてと、しおらしくてかいがいしい、けれどもウブなお嬢様が可愛い作品。このお嬢様はどうして主人公に惚れているのか、その説明はまあ為されてないわけだけど、昔からの知り合いって感じでもない。でもまあ、細かいことは良いよね! 朝立ちを拒否してしまうほどウブなのに、主人公に対する想いは本物で、それ故に思い切りも良い。強引に事を進める割に世間知らずってのもなかなかどうした、可愛いもんですねぇ……こんなおっぱい大きくて、けなげなお金持ちお嬢様とか、不満を覚える方が贅沢ってもんだ。
さて、ここまでがコミックバベル掲載作品なわけですが、ここからは懐かしのポプリクラブの作品が収録されています。ポプリも休刊になってから、今年で3年ぐらい。何だかすっかり昔な気がしますね。エロ漫画雑誌って結構数ありますけど、それぞれに雑誌の色や作風があって、ポプリにはやっぱりポプリの可愛さ観たいのがあったように思う。
そんなポプリクラブからは、2015年8月号に掲載された「かもめかもめ」の登場です! いやもう、私はこの作品が、ヒロインのかもめがホント好きでね! 大好きなんですよ。まうめんさんが商業で描かれたヒロインの中で特に思い入れの強い娘というか、別になんか凄いキャラとかじゃないんですよ。ちょっと不思議なところのある、かといってミステリアスというほどクールでもない家出娘。白い帽子に白いセーラー服で海辺の堤防を歩いていたところ、主人公と出くわして家に転がり込んだ訳だけど、話としては凄いシンプルで、かもめの家出理由とかそういうのは出てこないんですよ。
女の子慣れしてないのに連れ込んじゃった主人公の悶々とした葛藤と、それを承知の上で彼に実は惹かれていたかもめの何だよ、お前ら両想いかよ! と叫びたくなるような、甘い関係が可愛くってね。かもめの一見すると何考えているか分からないようで、実は何もかも分かった上で嫌いじゃない、好きだから受け入れる姿は何ともまあひたすら可愛がりたい!!
しかも、かもめもまたおっぱい大きいというね。まあ、まうめんさんの描くヒロインは基本的に大きい子ばかりなのだけど、かもめは不思議ちゃん+巨乳だから破壊力が違う。後、手を出す前はお尻から触ってる辺り、他の作品とちょっと違う部分もあったりしてね。でまあ、これが茜新社辺りの作品なら二人の関係が壊れてとか、そんなシリアスな展開になるのかも知れないけど、そういうのないんで。もうひたすらイチャイチャして、しかも、このイチャイチャはまだ始まったばかりという。
今回の単行本で唯一残念後頃があるとすれば、かもめの描き下ろしがなかったことですけど、それはまあ私の趣味だから仕方ない。一応、色紙があるにはあるけど……当たるかなぁ。当たると良いなぁ。
「二度目の告白」は最初に描いたとおり、ヒロインの咲ちゃんがこの単行本の表紙にも採用された作品です。意外だったのはバベルコミックなのに、表紙をポプリ時代のヒロインから取ったことで、美鈴なんかも候補だったみたいですけど思い切った選択なのかなって。
ただ、ヒロインとしてはかもめの方が好きだけど、お話としては二度目の告白の方が好みだったりするかなぁ。タイトルから分かるとおり、この作品のテーマは告白にあるわけだけど、誰が誰に告白するのか? というのは、やっぱり読んで貰いたいかなって。簡単に触れると、主人公は今まさに思い人から振られたばかりの男で、咲はそんな彼の女友達……つまりは、嫌いじゃないにせよ、恋愛対象という意味では外れた子なんですね。
それじゃあ、咲はどうなのかと言えば、彼女は彼女で主人公に思うところ合って、その心境は複雑で。
何か詳しく説明するのが野暮ったいというか、エロ漫画的な話をするとこの子もおっぱい大きくて、しかもカバー通りの裸マフラーですからね。しかも、ゴムを口で付けてくれるんですよ!? そんな子が「赤ちゃんできちゃうっ」とかヤバすぎますよ。かもめもそうだけど、これを機にこのタイプの女の子もう一度描いて貰いたいですねぇ。最近はほら、バベルという雑誌の特性上、等身大の女の子って少ない気がするし。
失楽天からは「居眠りティーチャー」と「許して! sister♥」が収録されました。収録順で言えば間にバベルの作品が一つ入ってるんですが、まあ、折角だしセットで紹介しましょうか。快楽天の姉妹紙で、所謂コンビニで買えるエロ漫画雑誌の一種ですね。まうめんさんの商業作品としては、この失楽天での作品が最も古いですが、流石に全部収録というわけにもいかないので、2作のみの収録となっています。
私の記憶が確かなら、失楽天の掲載作品はお姉さん系が多かった気がしますし、今回の居眠りティーチャーもそうなんですけど、許して! sisterの方は妹キャラがヒロイン。もう4~5年前ですから、個人的には懐かしい作品ですね。ポプリよりも失楽天の方が作品数はあるんでしょうけど、色々な理由から見送ったものもあるとかで、後、これは権利が取れなかったのか、コミックアンリアルの作品は一つも載ってないです。サキュバスとか、TSFとか、催眠ネタもありましたっけ。まあ、これらは電子書籍で読めるからDMM辺りで買いましょう。
巻末作品は「許して! sister♥」なんだけど、間に挟まれた最後のバベル作品は「ワスレナイキミ」という双子の従姉妹が出てくる作品。従姉妹といってもどちらも年下の姉妹で、タイトルロゴに編集又は制作のちょっとした遊び心を感じます。
私は元来、双子という属性に弱いんですけど、内向的な方がおっぱい大きくて、活発な方がちっぱいという法則が発動しており、しかもどっちも主人公のことが昔から大好きという。この単行本では唯一の3Pですけど、活発な花蓮がリードしつつ、実はどエロな雪菜とかこんな双子に愛されたい人生だった……尤も、私が好きな双子って男女の双子だったりもするのだけど、それでも同じ顔をした姉妹ってのは背徳感と興奮が凄い。だって現実にはまずあり得ないじゃん? いや、どれだったらあり得るんだよって話でもあるが。
この作品は2016年だから……ああ、もう一昨年になるのかぁ。
色々あってとらのあなだけで5冊ほど購入している私ですが、メロンやDMM、それにオータムリーフなどもあるので、もう少し積む予定です。全体的にエロく、可愛く、せつなく、おバカで、勢いあってと多様な作品、ヒロインが楽しめると思いますし、まうめんさんの描く女の子とおっぱいを楽しむには十分すぎるほどの1冊だと思うので、是非読んで貰いたいですね。
まうめんさんの5年以上の月日が詰まった小悪魔すいっち。今年オススメのえっちぃ漫画です。
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過ぎ去らない人々を眺めながら
2018年1月3日 アニメ・マンガいつの間にか2018年になってました。というのも、私があまり正月気分を感じていないのもあるんだけど、考えてみれば昨年はコミケ明けは病に伏せって寝正月を過ごしていたし、まともに三が日を迎えたのも久しぶりなのかも知れません。一応、川崎大師に初詣へ出かけたり、映画を見に行ったりとを正月休みっぽいことをしてみたり、おせちとかお雑煮も食したんですが、何か実感がわかない。元々、正月ボケと無縁の精神だったけど、それだけに正月を意識することもないのだろうか?
まあ、2017年は色々あった年でした。現代人は自分の居場所というのを幾つも持っていて、代表的なのはリアルとネット。どちらも現実には変わりないけど、そこに広がる世界や人間関係は又違ったものがあります。特に日本のネットは匿名文化ですから、私の場合は「MLW」ですか。リアルの自分とは同じだけど別の存在になるんですね。
そう考えるとコミケとか電気外とか、MLWとして参加するイベントはある意味で2.5次元の空間と言えるのかも知れませんが、17年はそうした場所において知り合いですとか、友人とですとか、そういった存在が増えたのを実感する年でもありました。それはせかぽじのヤバイ勢だったり、ミノラーだったり、美少女ゲーム関係の繋がりが主でしたけど、友達100人とは言わないまでも、あ、何か友達増えたな? と思えるほどには楽しく過ごしていたんじゃないかなと。
私自身は16年に続いてラジオの投稿を中心に活動してましたけど、こちらはひとまず一段落したのかな。メイドインラジオが終了して、ラジオ事件簿がフェイクだったからゆいちゃんの番組は今のところ何もないし、聴いてるのはあじこのまんまとちゃおびぐらい。しばらくはまったりすることにします。
同人活動は……後述するリアルでのこともあって思うようにいかないことが本当に多くて、終盤は身体を壊したりと年取ったなぁと打ちのめされたり。友達が増えたって書いたけど、ヤバイ勢にしろ、ミノラーにせよ、二十代も若い子が中心だから、やっぱり自分の年齢を意識する部分は増えたよね。ある程度になると途端にガタが来るとはよく聞くけど、私はまだまだそんなことないと思っていただけに年末のリタイアは結構ショックでした。
娯楽は美少女ゲームばかりで、アニメを殆ど観なかった年でもあったのかな。気になったのはAmazonプライムビデオで追っかけるというのがパターンになっていて、ちゃんとテレビ付けて観たのはキノの旅ぐらいだったかも知れません。
リアルでは色々じゃ済まないぐらい大変なことがあって、春夏秋冬何かしらの事件に追われていたと思います。私だけの問題じゃないというか、私が核となる話ではなかっただけマシだったのかも知れませんが、まあ、それでも役目や立場というのがありますから、無視することも出来ない。
人生それなりに生きてきて、やがてはこんな日が来るのかも知れないと考えたことは一度ならずあるんですけど、同じぐらい流石にそうはならないだろうと高をくくっていた自分もいたので、実際に直面するとやっぱり堪えますね。まあ、私は私に出来ることをするしかないのだけど、それさえも挫けてしまったところがあって、正直しんどい1年でした。
問題は年を越したからと言って水に流れたわけでもなく、現在進行形だという事実なんでしょうけど、どうしたって改善しようのないことなので、少し視点を変えてプライドに拘らない最善策を取ろうと思います。結局、人が人として、人間らしく生きることが出来ない時点で、そこに人並みの感情を持ち込むのがよくないんでしょうね。間違ってはいないんだろうし、気持ちの上では後退するかも知れないけど、私も周囲も疲れたというのが本音なので。
本人が何をしたいか、どうしたいかというのはイマイチ見えてこなくて、口で言っていることがそのまま真実であると思うほど私はお人好しではないから、口先だけで終わることが多いあの人に対して、どのように向き合っていくかだよね。時間とお金は去年たっぷり掛けた。でも、目立った改善は観られなかった。そうなってくるともう、逆の方向性を模索するしかないのかなと。人間的な営みとはかけ離れてしまうのかも知れないけど、それもまた生き方って奴でしょう。
他にも問題と呼ぶべきものは山積みになっていて、一つ一つ処理していたのでは間に合わないものも多いのだけど、なるようにしかならんからね。ただ、自分の中で手一杯と感じている部分も沢山あるから、煩わしいと思ったものは少し武断的に排除してもいいかなぁと考えていたり。まあ、そんなこと言ってると自分に跳ね返ってきそうな気もするんだけど。
限界を感じた瞬間は多々あって、それでも自分がこうして生きて新年を迎えたことを考えると、あるいは限界を突破したのかと前向きに捉えることも出来るけど、とりあえずは去年の忘れ物を片付けることから始めたいものです。
まあ、2017年は色々あった年でした。現代人は自分の居場所というのを幾つも持っていて、代表的なのはリアルとネット。どちらも現実には変わりないけど、そこに広がる世界や人間関係は又違ったものがあります。特に日本のネットは匿名文化ですから、私の場合は「MLW」ですか。リアルの自分とは同じだけど別の存在になるんですね。
そう考えるとコミケとか電気外とか、MLWとして参加するイベントはある意味で2.5次元の空間と言えるのかも知れませんが、17年はそうした場所において知り合いですとか、友人とですとか、そういった存在が増えたのを実感する年でもありました。それはせかぽじのヤバイ勢だったり、ミノラーだったり、美少女ゲーム関係の繋がりが主でしたけど、友達100人とは言わないまでも、あ、何か友達増えたな? と思えるほどには楽しく過ごしていたんじゃないかなと。
私自身は16年に続いてラジオの投稿を中心に活動してましたけど、こちらはひとまず一段落したのかな。メイドインラジオが終了して、ラジオ事件簿がフェイクだったからゆいちゃんの番組は今のところ何もないし、聴いてるのはあじこのまんまとちゃおびぐらい。しばらくはまったりすることにします。
同人活動は……後述するリアルでのこともあって思うようにいかないことが本当に多くて、終盤は身体を壊したりと年取ったなぁと打ちのめされたり。友達が増えたって書いたけど、ヤバイ勢にしろ、ミノラーにせよ、二十代も若い子が中心だから、やっぱり自分の年齢を意識する部分は増えたよね。ある程度になると途端にガタが来るとはよく聞くけど、私はまだまだそんなことないと思っていただけに年末のリタイアは結構ショックでした。
娯楽は美少女ゲームばかりで、アニメを殆ど観なかった年でもあったのかな。気になったのはAmazonプライムビデオで追っかけるというのがパターンになっていて、ちゃんとテレビ付けて観たのはキノの旅ぐらいだったかも知れません。
リアルでは色々じゃ済まないぐらい大変なことがあって、春夏秋冬何かしらの事件に追われていたと思います。私だけの問題じゃないというか、私が核となる話ではなかっただけマシだったのかも知れませんが、まあ、それでも役目や立場というのがありますから、無視することも出来ない。
人生それなりに生きてきて、やがてはこんな日が来るのかも知れないと考えたことは一度ならずあるんですけど、同じぐらい流石にそうはならないだろうと高をくくっていた自分もいたので、実際に直面するとやっぱり堪えますね。まあ、私は私に出来ることをするしかないのだけど、それさえも挫けてしまったところがあって、正直しんどい1年でした。
問題は年を越したからと言って水に流れたわけでもなく、現在進行形だという事実なんでしょうけど、どうしたって改善しようのないことなので、少し視点を変えてプライドに拘らない最善策を取ろうと思います。結局、人が人として、人間らしく生きることが出来ない時点で、そこに人並みの感情を持ち込むのがよくないんでしょうね。間違ってはいないんだろうし、気持ちの上では後退するかも知れないけど、私も周囲も疲れたというのが本音なので。
本人が何をしたいか、どうしたいかというのはイマイチ見えてこなくて、口で言っていることがそのまま真実であると思うほど私はお人好しではないから、口先だけで終わることが多いあの人に対して、どのように向き合っていくかだよね。時間とお金は去年たっぷり掛けた。でも、目立った改善は観られなかった。そうなってくるともう、逆の方向性を模索するしかないのかなと。人間的な営みとはかけ離れてしまうのかも知れないけど、それもまた生き方って奴でしょう。
他にも問題と呼ぶべきものは山積みになっていて、一つ一つ処理していたのでは間に合わないものも多いのだけど、なるようにしかならんからね。ただ、自分の中で手一杯と感じている部分も沢山あるから、煩わしいと思ったものは少し武断的に排除してもいいかなぁと考えていたり。まあ、そんなこと言ってると自分に跳ね返ってきそうな気もするんだけど。
限界を感じた瞬間は多々あって、それでも自分がこうして生きて新年を迎えたことを考えると、あるいは限界を突破したのかと前向きに捉えることも出来るけど、とりあえずは去年の忘れ物を片付けることから始めたいものです。
歩く道、駆ける道、迷う道
2017年11月6日 アニメ・マンガ先日、悠木碧の無銭イベントを観に水道橋のLaQuaまで行ってきた。
東京ドームには野球観戦などで何度か足を運んだことがあり、水道橋も文京シビックホールに通っていた時期があるので別段珍しくもないのだが、よくよく考えたらLaQuaに行くのは初めてかもしれない。というか、初めてだろう。私が幼少期、あの辺りはまだ後楽園ゆうえんちであって、今のような東京ドームシティではなかった訳だが、実は「後楽園ゆうえんちでぼくと握手」をしたことがない子供だった。
よみうりランドに行ったのも大人になってからだし、所謂ヒーローショーを観たのは地元の祭りや水族館のステージ、それに学園祭ぐらいだろう。今にして思えば、地元の祭りやどこぞの学園祭に戦隊やメタルヒーローが来ていたのは驚きだが、お金のある時代だったのかもしれない。
まあ、そんな特撮話は色々な事情から不愉快になるだけなのでやめておくが、このところ表の声優は牧野由依ぐらいしか興味なかった私が水道橋に行ったのは幾つかの理由がある。一つはここ最近のマイブームがpetit miladyだからなのだが、これまた先々月に川崎のラゾーナで行われた無銭イベントを観た際に興味を抱いたのだ。元々はその現場を訪れていた友人に預かり物を渡すために行ったのだが、無銭だし、イベントも観ておくかとタダに惹かれて観覧して……これがなかなか良かった。まず、petit miladyのイベントはニューアルバムの宣伝で、このアルバムは童話モチーフをテーマに作られていた。私は童話を始め児童文学や児童書に傾倒しているから、コンセプトを知った時点でタダ見のイベントに対する見方が変わり、披露された3曲ばかりの楽曲を聴き終わったときにはアルバムの購入を決めてしまった。あの手のイベント、特にユニットタイプのライブを観るのが久しぶりで新鮮だったこともあるのだろう。殊更、悠木碧や竹達彩奈のファンだったわけではないのだが、ああ、この音楽は良いなと惹き込まれたのだ。
そこから先は結構早くて、数日後に開催されたせかぽじ公録の後、秋葉原のソフマップでアルバムを購入し、店舗特典だったリリースイベントに申し込んで当選し、封入特典だったライブに申し込んで当選したのが先月のことだ。前者のリリースイベントは先月下旬に池袋のツーファイブ近くにある学校のホールを借りて行われたが、オリンピック等の関係で箱がない時代に、まあ、色々なホールを探してくるものである。美容学校の中にある500人規模のホールで無料イベントを昼夜2回というのもなかなか太っ腹な話だが、こちらのイベントも初めてなりに結構楽しめたからマイブームというのは不思議なパワーを持っているように思う。
別段ファンになったわけではないものの、そうした流れもあって今回の水道橋に繋がったのだが、個人的な試みとしてLaQuaまでは徒歩で行った。無論、自宅からではなく秋葉原から、正確には末広町の某タコス屋前から歩いたのだが、東京なんてのは狭いもので道なりにてくてく歩いていくと30分も経たずに着いてしまったのだから面白い。地図で見る限り、東京大学なんてのも歩けそうな距離にあるが、こちらは御徒町や上野から歩いたほうが近そうだ。東大も昔声優のイベントで行ったのだが、電車に乗っていると自分が地図上のどこに居るのかなんて気にしないもんで、秋葉原から割りと近くなんてことを知ったのは本当につい先日だった。
あるいはちよくるにでも乗れば水道橋も10分、15分程度だったのかもしれないが、月額会員でなければ30分150円取られるし、秋葉原から水道橋までの電車賃が133円であることを考えれば、利用する理由は特にないだろう。
徒歩でたどり着いたLaQuaは、ステージがフードコートやムーミンカフェ、それにメリーゴーランドなどを備える広場的なところにあったからか家族連れをはじめとした多様な人々で溢れていた。この点、ショッピングモールのラゾーナに近い部分はあるが、頭上でジェットコースターの轟音と悲鳴が飛び交うなかでのイベントというのは、いつか行ったお台場のガンダム側でのイベント以上に印象的な場所だった。
私が到着したのは14時も少し過ぎたぐらいで、丁度ステージ上では公開リハーサルが行われていた。必然的に公開リハになるのが屋外イベントの良いところだが、赤いコートを着た小柄な悠木碧が歌っている姿を見て、少し早く付きすぎたという気持ちはすっかり消えてしまった。ニューシングル「永遠ラビリンス」は悠木碧のソロ活動復帰後1枚目のCDで、楽曲としてはアニメのタイアップになっている。悠木碧が出演している今季のアニメと言えば、私はキノの旅を好んで視聴しているのだが、同じ主演であっても当然ながらそちらではない。楽曲的には本人も下ネタが強いと言っており、音泉でやっているラジオもそれがテーマになっているのだが、その楽曲を子供の多い広場で歌おうというのだから日本コロムビアも強気なものである。
イベント自体は15時からだが、前述のように、そして悠木碧本人も無銭イベントと言ってはいるものの、お台場のように優先観覧エリアが設けられており、その場でCDを購入して尚且つ「抽選に当たった人」が入場して後のハイタッチ会にも参加できるという仕組みを取っていた。ハイタッチ会が握手会やポスターお渡し会でも成立する形態だが、ポイントは抽選方式なのでCDを買っても当たらない場合があることだろうか? 熱心なファンは参加券ガチャをしたのかもしれないが、私は余裕がなかったのでタダ見をした。
簡単なトークと2曲歌うミニライブで、イベント自体は20分といったところだろうか? 病み上がりやトラブルなどもあって本人はあまり納得の出来ではなかったようだが、私としてはメリーゴーランド待ちのお子たちが興味深そうに眺めている様子がなかなか愉快で、結構楽しめた。子供も、そして親も恐らく歌詞などいちいち聴いてなかったとは思うが、何となく手を振ったりしているのが屋外イベントならではの光景だったといえる。まあ、それでなくともタダで見ているのだから文句など言ってはバチが当たるというものだ。もとより文句などないけど。面白かったのはいざハイタッチ会ということになって、病み上がりで菌を保菌しているのでタッチしたらさっさと手を洗えと言っていたことか。
イベント後は折角のLaQuaだし少し見て回ろうかとも思ったが、ムーミンカフェは列待ちがあったし、併設のパン屋もそれほど気を引かれるものではなかったので歩いて秋葉原まで戻った。普段は意識しないことだが、散歩がてら歩いてみると東京もいつもと違ったものを見せてくれる。そういった意味でも参加してよかったと思えるイベントだった。
サラリと書いたが12月のpetit miladyライブも当選はしているし、チケット代も払ってはいるので参加しようとは思っている。一度、豊洲PITに行ってみたいというのもあるのだが、年内に済ませておけば年明けに引きずることなく離脱できるだろうという考えもないわけではない。マイブームなんてそんなものだ。
東京ドームには野球観戦などで何度か足を運んだことがあり、水道橋も文京シビックホールに通っていた時期があるので別段珍しくもないのだが、よくよく考えたらLaQuaに行くのは初めてかもしれない。というか、初めてだろう。私が幼少期、あの辺りはまだ後楽園ゆうえんちであって、今のような東京ドームシティではなかった訳だが、実は「後楽園ゆうえんちでぼくと握手」をしたことがない子供だった。
よみうりランドに行ったのも大人になってからだし、所謂ヒーローショーを観たのは地元の祭りや水族館のステージ、それに学園祭ぐらいだろう。今にして思えば、地元の祭りやどこぞの学園祭に戦隊やメタルヒーローが来ていたのは驚きだが、お金のある時代だったのかもしれない。
まあ、そんな特撮話は色々な事情から不愉快になるだけなのでやめておくが、このところ表の声優は牧野由依ぐらいしか興味なかった私が水道橋に行ったのは幾つかの理由がある。一つはここ最近のマイブームがpetit miladyだからなのだが、これまた先々月に川崎のラゾーナで行われた無銭イベントを観た際に興味を抱いたのだ。元々はその現場を訪れていた友人に預かり物を渡すために行ったのだが、無銭だし、イベントも観ておくかとタダに惹かれて観覧して……これがなかなか良かった。まず、petit miladyのイベントはニューアルバムの宣伝で、このアルバムは童話モチーフをテーマに作られていた。私は童話を始め児童文学や児童書に傾倒しているから、コンセプトを知った時点でタダ見のイベントに対する見方が変わり、披露された3曲ばかりの楽曲を聴き終わったときにはアルバムの購入を決めてしまった。あの手のイベント、特にユニットタイプのライブを観るのが久しぶりで新鮮だったこともあるのだろう。殊更、悠木碧や竹達彩奈のファンだったわけではないのだが、ああ、この音楽は良いなと惹き込まれたのだ。
そこから先は結構早くて、数日後に開催されたせかぽじ公録の後、秋葉原のソフマップでアルバムを購入し、店舗特典だったリリースイベントに申し込んで当選し、封入特典だったライブに申し込んで当選したのが先月のことだ。前者のリリースイベントは先月下旬に池袋のツーファイブ近くにある学校のホールを借りて行われたが、オリンピック等の関係で箱がない時代に、まあ、色々なホールを探してくるものである。美容学校の中にある500人規模のホールで無料イベントを昼夜2回というのもなかなか太っ腹な話だが、こちらのイベントも初めてなりに結構楽しめたからマイブームというのは不思議なパワーを持っているように思う。
別段ファンになったわけではないものの、そうした流れもあって今回の水道橋に繋がったのだが、個人的な試みとしてLaQuaまでは徒歩で行った。無論、自宅からではなく秋葉原から、正確には末広町の某タコス屋前から歩いたのだが、東京なんてのは狭いもので道なりにてくてく歩いていくと30分も経たずに着いてしまったのだから面白い。地図で見る限り、東京大学なんてのも歩けそうな距離にあるが、こちらは御徒町や上野から歩いたほうが近そうだ。東大も昔声優のイベントで行ったのだが、電車に乗っていると自分が地図上のどこに居るのかなんて気にしないもんで、秋葉原から割りと近くなんてことを知ったのは本当につい先日だった。
あるいはちよくるにでも乗れば水道橋も10分、15分程度だったのかもしれないが、月額会員でなければ30分150円取られるし、秋葉原から水道橋までの電車賃が133円であることを考えれば、利用する理由は特にないだろう。
徒歩でたどり着いたLaQuaは、ステージがフードコートやムーミンカフェ、それにメリーゴーランドなどを備える広場的なところにあったからか家族連れをはじめとした多様な人々で溢れていた。この点、ショッピングモールのラゾーナに近い部分はあるが、頭上でジェットコースターの轟音と悲鳴が飛び交うなかでのイベントというのは、いつか行ったお台場のガンダム側でのイベント以上に印象的な場所だった。
私が到着したのは14時も少し過ぎたぐらいで、丁度ステージ上では公開リハーサルが行われていた。必然的に公開リハになるのが屋外イベントの良いところだが、赤いコートを着た小柄な悠木碧が歌っている姿を見て、少し早く付きすぎたという気持ちはすっかり消えてしまった。ニューシングル「永遠ラビリンス」は悠木碧のソロ活動復帰後1枚目のCDで、楽曲としてはアニメのタイアップになっている。悠木碧が出演している今季のアニメと言えば、私はキノの旅を好んで視聴しているのだが、同じ主演であっても当然ながらそちらではない。楽曲的には本人も下ネタが強いと言っており、音泉でやっているラジオもそれがテーマになっているのだが、その楽曲を子供の多い広場で歌おうというのだから日本コロムビアも強気なものである。
イベント自体は15時からだが、前述のように、そして悠木碧本人も無銭イベントと言ってはいるものの、お台場のように優先観覧エリアが設けられており、その場でCDを購入して尚且つ「抽選に当たった人」が入場して後のハイタッチ会にも参加できるという仕組みを取っていた。ハイタッチ会が握手会やポスターお渡し会でも成立する形態だが、ポイントは抽選方式なのでCDを買っても当たらない場合があることだろうか? 熱心なファンは参加券ガチャをしたのかもしれないが、私は余裕がなかったのでタダ見をした。
簡単なトークと2曲歌うミニライブで、イベント自体は20分といったところだろうか? 病み上がりやトラブルなどもあって本人はあまり納得の出来ではなかったようだが、私としてはメリーゴーランド待ちのお子たちが興味深そうに眺めている様子がなかなか愉快で、結構楽しめた。子供も、そして親も恐らく歌詞などいちいち聴いてなかったとは思うが、何となく手を振ったりしているのが屋外イベントならではの光景だったといえる。まあ、それでなくともタダで見ているのだから文句など言ってはバチが当たるというものだ。もとより文句などないけど。面白かったのはいざハイタッチ会ということになって、病み上がりで菌を保菌しているのでタッチしたらさっさと手を洗えと言っていたことか。
イベント後は折角のLaQuaだし少し見て回ろうかとも思ったが、ムーミンカフェは列待ちがあったし、併設のパン屋もそれほど気を引かれるものではなかったので歩いて秋葉原まで戻った。普段は意識しないことだが、散歩がてら歩いてみると東京もいつもと違ったものを見せてくれる。そういった意味でも参加してよかったと思えるイベントだった。
サラリと書いたが12月のpetit miladyライブも当選はしているし、チケット代も払ってはいるので参加しようとは思っている。一度、豊洲PITに行ってみたいというのもあるのだが、年内に済ませておけば年明けに引きずることなく離脱できるだろうという考えもないわけではない。マイブームなんてそんなものだ。
Character1に参加してきたという話
2017年4月30日 アニメ・マンガCOMIC1とCharacter1に参加してきました。コミ1の話はまた別にするとして、キャラ1も今年で3回目……ですかね? コミ1との掛け持ちになりますが、何とか行くことが出来ました。私は同人サークルをやっており、同人誌の収拾も趣味としている関係上、同時開催のキャラ1には最初から参加できなくて、エロゲーマーでもある身としては、何とも言えない歯がゆさを毎年感じています。過去にあったDreamPartyなどは末期を除けば開催日がずれてましたし、ある程度の余裕があったんですよね。まあ、ぶっちゃけ私はドリパ嫌いだったんですけど。一番好きだったのはキャラフェスかなぁ。随分前の話になるけど、あの頃はエロゲが今よりも新鮮で、何だかとても輝いて見えたよ。
まあ、それはともかくキャラ1なんですけど、思っていた以上に今年は人が少なかったですね。東7・8ホールは仮設ですし、殊更広い空間ではないはなずんだけど、それでも電気外などに比べたら余裕があるし、コミケの企業ブースほど混雑もしてなかったから、かなり広々としていたように思います。私がコミ1の会場……東456ホールですけど、そこからキャラ1の会場に移ったのは11時過ぎでしたけど、キャラ1はサポーターズチケットという、有料の優先入場券を販売している関係上、実質的な開場時間は、通常の11時よりも1時間早い、10時なんですね。これは以前のドリパが似たような仕組みを導入してましたが、あちらが単に早く入場できるだけ、つまり、一般より先に入って会場を見て回るか、早々に目当ての企業ブースへ買い物のために並ぶかするだけの権利だったのに対し、キャラ1の差ポー他図チケットは3箇所のみという制限はあるものの、何と10時の入場時点で買い物もできて、更には特典としてタペストリーまで貰えてしまうという画期的な仕組みでした。
当然、10時から11時までは1時間もあるわけですから、その間にグッズが完売してしまうブランドも予想され、現にALcotなどはかなり早い段階で一部グッズの完売ツイートが流れてましたけど……まあ、それぐらいでしたね。私も当然、幾つかのブースで買い物を刷る予定ではあったし、それにと尾内チェックリストも作ってましたが、意図的に外したというか、チェックはしたけど、ここはまず買えないだろうと思っていたところが二つありました。ぱれっとと、サガプラネッツです。
ぱれっとはご存じ、人気原画家の和泉つばすを擁するCLEARRAVE系の代表ブランドで、姉妹ブランドとしてオトメ*ドメインのぱれっとクオリアや、しゅがてんのRecetteなどがあります。オトメ*ドメインは昨年の作品ながらも未だ根強い人気があり、しゅがてんは2月発売、そして何よりぱれっと本体の9-nine-ここのつここのかここのいろ-が僅か一昨日に発売したばかり。コミケの企業ブースで、スロープ下まで待機列が伸びることでも有名ですが、そんなブランドが直近発売の作品からグッズを持ってくるのだと言うから、参加者が押しかけないわけがない。
そして、サガプラネッツはビジュアルアーツ系のFCブランドで、近年は若者向けのライトな恋愛ゲームで大成功を収め、昨年の電気外祭りではminoriさえ圧倒しそうな待機列を形成するなど、こちらもとにかく凄い人気の持ち主です。
サポーターズチケットで早めに購入もできて、尚且つ新作グッズを持ってくる。抱き枕はないけどタペストリーはあるし、これはもう私が着く頃にはスッカラカンだと思っていたんですが……意外や意外、どちらも買えちゃったんだよね。ぱれっとは会場の入口付近にブースがあったんですけど、列がないのを見て、「待機列は別の場所か、あるいはもう皆完売したのかな?」と思ってよくよく見ると、なんと列もないのに最後尾の看板が! 何かの間違いかと驚いたけど、なんとビックリ、これが現実と言うことで、買う予定のなかった、というか、買えると思ってなかった、しゅがてんのタペストリーとサウンドトラックを購入しました。
そして、その後に幾つかのブースを巡った後、これまたサガプラネッツブースで列がないのを発見。一体全体どうしたんだと思いつつ、七緒のタペストリーとフロフロのグッズセットを買うなど、電気外やコミケではまず買えないだろうブランドを、あっさり済ませちゃいました。あるいは両ブランドが途方もない数のグッズを持ってきていた、という可能性もあり得なくはないですが、おそらくイベントの規模がそれほどでもなかったんじゃないかなぁと。競合イベントは、勿論コミ1だってそうですが、ニコニコ超会議やM3と被っていたとも思えないし、単純にGW時期の集客力がお盆や年末年始ほどではなかった、ということなんだろうか。いや、人が少なかったわけじゃないんですよ? 多くもなかっただけで。
列が延びているブランドもありましたけど、CLIP☆CRAFTがやたらと延びていたのは、アイテム数が10点以上にも関わらず、レジが一つとかいう酷い状態で販売していたからであって、今回残念だったのはここかな。
私は物販の購入と、後は企業への挨拶回り見たいのをしてましたけど、イベントにも一応参加をして、たとえばUnicoЯnで開催された、「エリーのお友達証明書発行会」という名の、美咲桃子さんのサイン会は良かったですね。「あなたはお友達料を払ったので、わたしのお友達として認めてあげます」と書かれた証明書にサインを貰ったのですが、参加資格のお友達料は、グッズを1万円分購入と、流石の貴族価格でした。某人が言ってましたけど、恋愛教室のサイン会が3000円で3人からサイン貰えたのに比較すると、ちょっとお高かったかな?
eRONDOのトークショーも見ましたけど、そういや、こいちゃのおっぱいマスパッドは結局通販じゃなくても買えたね。まあ、買えるとは思ってたんだけど、こればっかりは仕方ない。テックジャイアンブースで雪月のタペストリーも買えましたが、買えなくて参った、失敗したというのがなかったのも今回の特徴かも知れない。そういや、minoriブースはトリノEDITIONを持ってきたそうだけど、あの3万円のデカ物を即金で買った人たちが結構な数いるようで、あれは正直凄いと思った。だって、3万円だよ? 3万あったらもっと他にも色々グッズと買えるでしょ。よく会場でそこまで出せるよね。公式だって売り切れることはないと言ってただけに、まさかの結果だったことでしょう。
キャラ1では色々な人に会いましたけど、閉会後はUnicoЯnのユーザー達と新宿に繰り出してオフ会をしました。私はコミ1と掛け持ちだったから幹事はやらなかったんだけど、お店選びだけはさせて貰って、オフ会らしいオフ会を楽しむことが出来たかなと。界隈の内容は覚えてない……じゃなかった、言えないことも多いので、ここでは書けませんが、二次会として、声優の早瀬やよいさんが毎週日曜日にやってる声優Barにも行ったものの、ここで疲れが吹き出したのか体調を崩してしまい、一足先に帰宅してその日の活動は幕を閉じました。
Character1はCOMIC1と一緒に秋にもやるそうだけど、ドリパと同じ道を進んでいるようで、今後がちょっと気になるかなと。今回だって、そこまでの規模ではなかったから。
まあ、それはともかくキャラ1なんですけど、思っていた以上に今年は人が少なかったですね。東7・8ホールは仮設ですし、殊更広い空間ではないはなずんだけど、それでも電気外などに比べたら余裕があるし、コミケの企業ブースほど混雑もしてなかったから、かなり広々としていたように思います。私がコミ1の会場……東456ホールですけど、そこからキャラ1の会場に移ったのは11時過ぎでしたけど、キャラ1はサポーターズチケットという、有料の優先入場券を販売している関係上、実質的な開場時間は、通常の11時よりも1時間早い、10時なんですね。これは以前のドリパが似たような仕組みを導入してましたが、あちらが単に早く入場できるだけ、つまり、一般より先に入って会場を見て回るか、早々に目当ての企業ブースへ買い物のために並ぶかするだけの権利だったのに対し、キャラ1の差ポー他図チケットは3箇所のみという制限はあるものの、何と10時の入場時点で買い物もできて、更には特典としてタペストリーまで貰えてしまうという画期的な仕組みでした。
当然、10時から11時までは1時間もあるわけですから、その間にグッズが完売してしまうブランドも予想され、現にALcotなどはかなり早い段階で一部グッズの完売ツイートが流れてましたけど……まあ、それぐらいでしたね。私も当然、幾つかのブースで買い物を刷る予定ではあったし、それにと尾内チェックリストも作ってましたが、意図的に外したというか、チェックはしたけど、ここはまず買えないだろうと思っていたところが二つありました。ぱれっとと、サガプラネッツです。
ぱれっとはご存じ、人気原画家の和泉つばすを擁するCLEARRAVE系の代表ブランドで、姉妹ブランドとしてオトメ*ドメインのぱれっとクオリアや、しゅがてんのRecetteなどがあります。オトメ*ドメインは昨年の作品ながらも未だ根強い人気があり、しゅがてんは2月発売、そして何よりぱれっと本体の9-nine-ここのつここのかここのいろ-が僅か一昨日に発売したばかり。コミケの企業ブースで、スロープ下まで待機列が伸びることでも有名ですが、そんなブランドが直近発売の作品からグッズを持ってくるのだと言うから、参加者が押しかけないわけがない。
そして、サガプラネッツはビジュアルアーツ系のFCブランドで、近年は若者向けのライトな恋愛ゲームで大成功を収め、昨年の電気外祭りではminoriさえ圧倒しそうな待機列を形成するなど、こちらもとにかく凄い人気の持ち主です。
サポーターズチケットで早めに購入もできて、尚且つ新作グッズを持ってくる。抱き枕はないけどタペストリーはあるし、これはもう私が着く頃にはスッカラカンだと思っていたんですが……意外や意外、どちらも買えちゃったんだよね。ぱれっとは会場の入口付近にブースがあったんですけど、列がないのを見て、「待機列は別の場所か、あるいはもう皆完売したのかな?」と思ってよくよく見ると、なんと列もないのに最後尾の看板が! 何かの間違いかと驚いたけど、なんとビックリ、これが現実と言うことで、買う予定のなかった、というか、買えると思ってなかった、しゅがてんのタペストリーとサウンドトラックを購入しました。
そして、その後に幾つかのブースを巡った後、これまたサガプラネッツブースで列がないのを発見。一体全体どうしたんだと思いつつ、七緒のタペストリーとフロフロのグッズセットを買うなど、電気外やコミケではまず買えないだろうブランドを、あっさり済ませちゃいました。あるいは両ブランドが途方もない数のグッズを持ってきていた、という可能性もあり得なくはないですが、おそらくイベントの規模がそれほどでもなかったんじゃないかなぁと。競合イベントは、勿論コミ1だってそうですが、ニコニコ超会議やM3と被っていたとも思えないし、単純にGW時期の集客力がお盆や年末年始ほどではなかった、ということなんだろうか。いや、人が少なかったわけじゃないんですよ? 多くもなかっただけで。
列が延びているブランドもありましたけど、CLIP☆CRAFTがやたらと延びていたのは、アイテム数が10点以上にも関わらず、レジが一つとかいう酷い状態で販売していたからであって、今回残念だったのはここかな。
私は物販の購入と、後は企業への挨拶回り見たいのをしてましたけど、イベントにも一応参加をして、たとえばUnicoЯnで開催された、「エリーのお友達証明書発行会」という名の、美咲桃子さんのサイン会は良かったですね。「あなたはお友達料を払ったので、わたしのお友達として認めてあげます」と書かれた証明書にサインを貰ったのですが、参加資格のお友達料は、グッズを1万円分購入と、流石の貴族価格でした。某人が言ってましたけど、恋愛教室のサイン会が3000円で3人からサイン貰えたのに比較すると、ちょっとお高かったかな?
eRONDOのトークショーも見ましたけど、そういや、こいちゃのおっぱいマスパッドは結局通販じゃなくても買えたね。まあ、買えるとは思ってたんだけど、こればっかりは仕方ない。テックジャイアンブースで雪月のタペストリーも買えましたが、買えなくて参った、失敗したというのがなかったのも今回の特徴かも知れない。そういや、minoriブースはトリノEDITIONを持ってきたそうだけど、あの3万円のデカ物を即金で買った人たちが結構な数いるようで、あれは正直凄いと思った。だって、3万円だよ? 3万あったらもっと他にも色々グッズと買えるでしょ。よく会場でそこまで出せるよね。公式だって売り切れることはないと言ってただけに、まさかの結果だったことでしょう。
キャラ1では色々な人に会いましたけど、閉会後はUnicoЯnのユーザー達と新宿に繰り出してオフ会をしました。私はコミ1と掛け持ちだったから幹事はやらなかったんだけど、お店選びだけはさせて貰って、オフ会らしいオフ会を楽しむことが出来たかなと。界隈の内容は覚えてない……じゃなかった、言えないことも多いので、ここでは書けませんが、二次会として、声優の早瀬やよいさんが毎週日曜日にやってる声優Barにも行ったものの、ここで疲れが吹き出したのか体調を崩してしまい、一足先に帰宅してその日の活動は幕を閉じました。
Character1はCOMIC1と一緒に秋にもやるそうだけど、ドリパと同じ道を進んでいるようで、今後がちょっと気になるかなと。今回だって、そこまでの規模ではなかったから。
「ドールズハウス」感想その2 末娘と人形たち
2016年10月13日 アニメ・マンガ先日観劇したドールズハウスが千秋楽を迎えたので、ネタバレを避けるために書いてなかった部分を追記しよう……と思ったのだけど、予想以上に長くなったので新規に書くこととしました。私、この日記で後日に書くとか言ったものは大体書かないことが多いんだけど、今回は一つ前の日記を書いた直後、即座に取りかかっているので大丈夫です。
で、何が書き足りないかというと、登場人物、つまりはキャラクターについて。私はこのお芝居、物語性よりもキャラクター性を重視していると思っているのだけど、これがまあ、実に魅力的だった。要するに、あのキャラ可愛かったよね? という話を書きたい。
演者としての目当てだった本田さんはともかくとして、私が登場人物で心惹かれたのは四女のリナと、彼女の人形である海賊のビアンカでした。どちらもメインキャラと言って差し支えないのだけど、リナだけは人形たちに対してある種の好意というか、期待感のようなものを滲ませてるんですね。
「私の人形もあるの?」とわざわざ確認を取った辺りから、それまで姉たちに対して小憎たらしい末っ子だった彼女に、可愛げのようなものが帯び始めます。彼女は昔から性格が変わらないのか、人形たちにとっては暴君みたいなもので、再会した途端にいじめられると騒がれるんですが、リナはそんな彼女たちを即座に従えてしまう。人形たちの存在に戸惑い困惑する姉たちと違って、リナだけは比較的人形たちと目線が近いんですね。暴君でありながら対等な存在を求めているというか、ハッキリ言ってしまえば友達を望んでいるんです。
いじめられてたという割に、彼女の人形たちは根性ひん曲がったところもなく、心が擦れているどころか、実に楽しそうな描写が目立ちます。楽しく遊び、楽しく踊り、ボスはともかくとして、昔からリナに虐げられてきたというなら、こうはならないでしょう。リナは姉からも言及されるように現実世界で友達がいないんだと思います。分かりやすい孤独感を抱えているが故に、それを埋めるために人形たちとの再会を欲して望んだ。
ここがウララとの違いでもあるんですが、それは一先ず置いておくとして、次はビアンカの話。
海賊人形のビアンカは、リナが持つ人形たちどころか、全体的な登場人物の中でも一際目立つ、謂わば人形側の主役ともいうべき子です。一番の秘密が隠されているのはマリーだけど、実際に動いていたのはこの子で、姉妹たちの橋渡しではないけど、彼女たちの心理的影響を揺さぶる役目を負ったのが、ビアンカな訳だ。
リナにいじめられていたとは言っても、彼女はリナを騙す……というより、傷付けた自らの行いに強い罪悪感を覚えています。リナは姉妹たちの中で唯一、自分から人形に縋り付いた娘で、横暴ながらも人形たちに対して少々ひん曲がってはいるけど、好意的でした。彼女にとって人形は今も昔も友人がいなかった自分にとって、数少ない、気を許せる友達代わりだったようなところがあったのでしょう。彼女の人形だけ7体と、他の姉妹に比べて多いことからもそれが伺えます。おそらく、新しい友達を増やしていく感覚で増やしていったに違いない。
終盤に登場するとある人物に対して、自分は母親からパンケーキ一つ作って貰えなかったと吐露するリナは、根本的な愛情に飢えている娘です。そんな彼女が、自ら再会を望んだ人形たちから拒絶されるのというのは、文字通りイヤなことであり、ショックも大きかった。
そして、とある人物から命令された際のビアンカの反応からして、ビアンカはそれがリナを傷付けてしまう行為だと悟っていたわけですね。だからこそ、罪悪感に打ちのめされてしまった。
もっとも、これはあくまで精神的な話。いくらでも取り返しは付くように思えますが、逆に物理的な意味で傷付いたのはジェーンであって、こちらは猫によってズタボロにされてますから、洒落になってないんですが、このジェーンの悲劇が起きたのは、リナとウララの人形に対する接し方と考え方の違いからでしょうね。
リナは人形たちから割とあっさり、自分たちの持ち主であるリナであることを受け入れられます。それは彼女の性格があまり変わってなくて、他の姉妹……レオナやサラと違って邪険にせず、自分からその輪に入ったことが大きいんでしょうけど、これが三女のウララになると少し話が変わってきます。
ウララは遺産相続にはありがちなお金に執着する娘として書かれており、人形に言わせれば子供の頃と一番性格が変わっています。子供の頃の彼女がどのような存在だったかは断片的にしか分かりませんが、無頓着ではないにせよ、お金に対する執着は一般的な子供と同じだったと考えていいでしょう。あるいは昔はお人形遊びに、後は花や蝶が好きだった娘なのかも知れない。
お金が好きだという情報を与えられたばかりに困惑する彼女の人形たちと、その事実を認めてしまったウララ。そしてそれを真に受けたが故に、ジェーンは猫という危険が待っている庭へと、コインを取りに行ってしまう。ジェーン以外の人形が大人になったウララを本当に持ち主なのかと疑う中で、ジェーンは敢えて、彼女が喜ぶと信じた道を選んだんですね。何故なら開き直ったサラや、最初からどこか楽しげに人形と接するリナと違って、ウララは受け入れられないファンタジーを前に、人形たちとの距離感と接し方が歪だった。
だからこそ、自分のために命を掛けてしまったジェーンの存在も又、彼女には受け入れられないものだった。故に彼女は、リナ以上に人形たちと破局してしまうわけです。
一つ残念なのは、姉妹の和解が優先されたことで、リナやウララが人形たちと和解するシーンがなかったことでしょうか。些細な喧嘩みたいなリナはともかく、持ち主ではないと否定されたウララが人形たちと和解できたのかは、ちょっと気になります。勿論、あのドールズハウスがレオナの家になった時点で、時間は幾らもであるのでしょうが。まずは、猫を庭から追い出すことから始めましょう。
このドールズハウスは総勢20名以上の役者が出演している、小劇場とは思えない大所帯なんですけど、一人として欠けてはいけないように思えた。無駄にも邪魔にも、余り物にもなってない。勿論、メインとサブの違いや差はあれど、あの小さなステージで、20名以上キャラクターを活かしきるってのは、相当なものじゃないだろうか。物販で台本が売っていたので読んだんですけど、構成や演出がね、よく考えられてますよ。
あと、失礼ながら役者陣は殆ど知らない人ばっかりだったけど、それだけに先入観を持たず、登場人物の一人として観られたのが良かったのかも知れない。これが知ってる人なら、まあ、今回の場合は本田さんですか? 彼女が演じたユーミーが出てくると、「ああ、本田さんだなぁ」と思ってしまうから、そういった意味で新鮮さに違いはあったかも。本田さんは良い演技されてましたけどね。
今年はあと2つ、観たいと思っている芝居があるのだけど、果たして行けるのかどうか。時間はあまりないですが、検討していきたいものです。
で、何が書き足りないかというと、登場人物、つまりはキャラクターについて。私はこのお芝居、物語性よりもキャラクター性を重視していると思っているのだけど、これがまあ、実に魅力的だった。要するに、あのキャラ可愛かったよね? という話を書きたい。
演者としての目当てだった本田さんはともかくとして、私が登場人物で心惹かれたのは四女のリナと、彼女の人形である海賊のビアンカでした。どちらもメインキャラと言って差し支えないのだけど、リナだけは人形たちに対してある種の好意というか、期待感のようなものを滲ませてるんですね。
「私の人形もあるの?」とわざわざ確認を取った辺りから、それまで姉たちに対して小憎たらしい末っ子だった彼女に、可愛げのようなものが帯び始めます。彼女は昔から性格が変わらないのか、人形たちにとっては暴君みたいなもので、再会した途端にいじめられると騒がれるんですが、リナはそんな彼女たちを即座に従えてしまう。人形たちの存在に戸惑い困惑する姉たちと違って、リナだけは比較的人形たちと目線が近いんですね。暴君でありながら対等な存在を求めているというか、ハッキリ言ってしまえば友達を望んでいるんです。
いじめられてたという割に、彼女の人形たちは根性ひん曲がったところもなく、心が擦れているどころか、実に楽しそうな描写が目立ちます。楽しく遊び、楽しく踊り、ボスはともかくとして、昔からリナに虐げられてきたというなら、こうはならないでしょう。リナは姉からも言及されるように現実世界で友達がいないんだと思います。分かりやすい孤独感を抱えているが故に、それを埋めるために人形たちとの再会を欲して望んだ。
ここがウララとの違いでもあるんですが、それは一先ず置いておくとして、次はビアンカの話。
海賊人形のビアンカは、リナが持つ人形たちどころか、全体的な登場人物の中でも一際目立つ、謂わば人形側の主役ともいうべき子です。一番の秘密が隠されているのはマリーだけど、実際に動いていたのはこの子で、姉妹たちの橋渡しではないけど、彼女たちの心理的影響を揺さぶる役目を負ったのが、ビアンカな訳だ。
リナにいじめられていたとは言っても、彼女はリナを騙す……というより、傷付けた自らの行いに強い罪悪感を覚えています。リナは姉妹たちの中で唯一、自分から人形に縋り付いた娘で、横暴ながらも人形たちに対して少々ひん曲がってはいるけど、好意的でした。彼女にとって人形は今も昔も友人がいなかった自分にとって、数少ない、気を許せる友達代わりだったようなところがあったのでしょう。彼女の人形だけ7体と、他の姉妹に比べて多いことからもそれが伺えます。おそらく、新しい友達を増やしていく感覚で増やしていったに違いない。
終盤に登場するとある人物に対して、自分は母親からパンケーキ一つ作って貰えなかったと吐露するリナは、根本的な愛情に飢えている娘です。そんな彼女が、自ら再会を望んだ人形たちから拒絶されるのというのは、文字通りイヤなことであり、ショックも大きかった。
そして、とある人物から命令された際のビアンカの反応からして、ビアンカはそれがリナを傷付けてしまう行為だと悟っていたわけですね。だからこそ、罪悪感に打ちのめされてしまった。
もっとも、これはあくまで精神的な話。いくらでも取り返しは付くように思えますが、逆に物理的な意味で傷付いたのはジェーンであって、こちらは猫によってズタボロにされてますから、洒落になってないんですが、このジェーンの悲劇が起きたのは、リナとウララの人形に対する接し方と考え方の違いからでしょうね。
リナは人形たちから割とあっさり、自分たちの持ち主であるリナであることを受け入れられます。それは彼女の性格があまり変わってなくて、他の姉妹……レオナやサラと違って邪険にせず、自分からその輪に入ったことが大きいんでしょうけど、これが三女のウララになると少し話が変わってきます。
ウララは遺産相続にはありがちなお金に執着する娘として書かれており、人形に言わせれば子供の頃と一番性格が変わっています。子供の頃の彼女がどのような存在だったかは断片的にしか分かりませんが、無頓着ではないにせよ、お金に対する執着は一般的な子供と同じだったと考えていいでしょう。あるいは昔はお人形遊びに、後は花や蝶が好きだった娘なのかも知れない。
お金が好きだという情報を与えられたばかりに困惑する彼女の人形たちと、その事実を認めてしまったウララ。そしてそれを真に受けたが故に、ジェーンは猫という危険が待っている庭へと、コインを取りに行ってしまう。ジェーン以外の人形が大人になったウララを本当に持ち主なのかと疑う中で、ジェーンは敢えて、彼女が喜ぶと信じた道を選んだんですね。何故なら開き直ったサラや、最初からどこか楽しげに人形と接するリナと違って、ウララは受け入れられないファンタジーを前に、人形たちとの距離感と接し方が歪だった。
だからこそ、自分のために命を掛けてしまったジェーンの存在も又、彼女には受け入れられないものだった。故に彼女は、リナ以上に人形たちと破局してしまうわけです。
一つ残念なのは、姉妹の和解が優先されたことで、リナやウララが人形たちと和解するシーンがなかったことでしょうか。些細な喧嘩みたいなリナはともかく、持ち主ではないと否定されたウララが人形たちと和解できたのかは、ちょっと気になります。勿論、あのドールズハウスがレオナの家になった時点で、時間は幾らもであるのでしょうが。まずは、猫を庭から追い出すことから始めましょう。
このドールズハウスは総勢20名以上の役者が出演している、小劇場とは思えない大所帯なんですけど、一人として欠けてはいけないように思えた。無駄にも邪魔にも、余り物にもなってない。勿論、メインとサブの違いや差はあれど、あの小さなステージで、20名以上キャラクターを活かしきるってのは、相当なものじゃないだろうか。物販で台本が売っていたので読んだんですけど、構成や演出がね、よく考えられてますよ。
あと、失礼ながら役者陣は殆ど知らない人ばっかりだったけど、それだけに先入観を持たず、登場人物の一人として観られたのが良かったのかも知れない。これが知ってる人なら、まあ、今回の場合は本田さんですか? 彼女が演じたユーミーが出てくると、「ああ、本田さんだなぁ」と思ってしまうから、そういった意味で新鮮さに違いはあったかも。本田さんは良い演技されてましたけどね。
今年はあと2つ、観たいと思っている芝居があるのだけど、果たして行けるのかどうか。時間はあまりないですが、検討していきたいものです。
久しぶりにお芝居を観てきた。それも、小劇場の聖地、サブカルチャーの殿堂ともいえる下北沢で。私は所謂芝居小屋や小劇場で行われるような舞台や芝居を好んでみることが多いのだが、下北沢での観劇経験は、実のところそれほど多くはない。同じサブカルでも、私は学生時代の多くを早稲田や神保町などの古書店街と、後は秋葉原で過ごしていたような人間だから、それよりも多少はお洒落な雰囲気を持った下北沢に抵抗感があった……訳ではない、別に。
単純に芝居を観るにしても、贔屓の劇団とかが下北沢では公演してなかっただけで、私自身、出向いてまで開拓と言うほどではなかっただけの話だ。そこに深い意味などないのだろう。
そんな私が何故、今回下北沢の地に出向いたのかと言えば、まあ、上記のように芝居を観に行ったんですけど、私が贔屓にしている……といっていいのか、とにかく贔屓にしている声優事務所にガジェットリンクってところがあるんだけど、そこに所属している本田愛美さんという声優さんが初舞台に立つというので、少し興味が湧いて。本田さん自身、知らない人って訳でもなかったし。
でまあ、本当だったら12日の水曜日に観る予定でチケットを取ったんですよ。平日だけど有給残ってますし、有給ってのは特に用事があろうとなかろうと消化して良いものだと最近知ったので。そうしたらなんですか、会社に初めて却下されましてね。私の仕事は問題なかったんですが、別工程で遅れていたというか、まあ、来るはずの仕事が来なくて延期になって、12日にやって欲しいみたいな状況になりまして。
まあ、有給申請後だったら突っぱねましたけど、残念なことにまだだったから、仕方なく劇団へと連絡して日程を振り替えて貰うことに。幸いこれは上手くいって、三連休の最終日である今日観てきたというわけです。
久しぶりの下北沢ということで、私もお洒落にランチとかしたかったんだけど、生憎と家を出た時間が遅くて、着いた頃には13時前と、自由席なことも考えたら既に並んでないといけない時刻。なくなく、某ピザ屋に行くのを諦めて劇場へと赴きました。下北沢は今、カレーフェスがやっているらしくて、それで盛り上がっている若者が結構いましたね。カレーというと神保町のイメージだけど、下北沢にも専門店ではないにせよ、カレーを提供する店は結構あるらしい。
13時半になって開場して、振替の手続きも上手くいっていたのか、私は結構すんなり入れました。50人入れるかどうかみたいな芝居小屋という印象を受けたのですが、後で劇団の方から教えてもらったところ、実際には85名ほどの観客がいたらしく、見た目以上の広さらしい。そんな劇場内には演者の親戚か何かか、ご年配の方も結構いましたね。私の隣に座っていたのも年配の……といったら失礼かな、とにかくそんな方々でしたけど、こちらは前述の本田愛美さんの関係者だったようで、終演後に私がアンケート書いている横で挨拶に来られてました。
まあ、それは良いとしてお芝居です。この芝居は決して観客参加型ではないのだけど、観客にも一つの役割というか、役所を与えられていて、それが葬儀の参列者というものです。世界的な歌手が亡くなって、そのお葬式に参列したのが観客である我々なんですね。勿論、お葬式ってのは厳かなものですから、声など上げませんし、芝居その物に関わったりもしません。
物語は、そんなお葬式の席で亡くなった歌手の忘れ形見……実子である四姉妹の長女が発した言葉をきっかけに始まっていきます。
ジャンルがブラックファンタジーで、登場人物というか主役が仲の悪い四姉妹ともなれば、話の流れや結末なんてのは容易に想像しやすく、ハッピーエンドかバッドエンドか、そのどちらかだと思います。そういった意味ではこのドールズハウスは非常に分かりやすい物語だったんだけど、シンプルなだけ合って、テーマ性というか、お芝居を通して訴えたいことと、伝えたいことが、非常にダイレクトなんだよね。直球で投げてきて、受け止めることを許さずにそのままぶつけてくるというか。こういう書き方をすると乱暴に感じるかも知れないけど、四姉妹が内に抱えているものってのは、遠回しに回りくどくやっても解決する問題じゃなくて、多少強引でなければどうにもならないってのを良く現していたように思う。
それでいてまあ、ドールズハウスというぐらいですから人形が結構出てくるんですけど、この人形たちがとても個性的なんですよ。まるでミュージカルを思わせるような音楽演出の中で、まあ、人形なりに楽しく生きてる訳なんだけど、これが又可愛いのよ。人形って、それぞれ何の人形であるか、って分かれてるじゃないですか。男なのか女なのか、王子様なのかお姫様なのか、海賊なのか兵隊なのか、それとも……みたいに、人形ってのは生まれてきたそのときから、常に何かしらの個性を持ってるんですよね。
その際立った個性を、役者陣が上手く演じていて、人形というからには人と違う価値観と時間の流れを持ってるんだけど、これが楽しくもあり切なくもありと、忘れ去られても変わらなかった者たちの輝きと悲哀がそこにはあった。特に三女と四女は、分かりやすいぐらいにその辺りのことが描かれていたんじゃないかな。
オチも本当にシンプルで、あっと驚かされたり、やられた! と思うような部分はなくて、シンプルイズベストを突き詰めたかのようなお芝居だったけど、それだけに観やすかったし、考えさせられるとか、突き動かされるとかじゃなくて、混じり気のない純粋さがそこにはあった。奇想天外とか、シュールを求めてる人には合わないかも知れないけど、平凡ながら少し不思議な物語を楽しみたいという人にはオススメかも。あんまり平凡っていい言葉じゃないんだけど、このお芝居に関しては褒め言葉と受け取って欲しいなぁ……奇を衒うような話じゃなかったし、それでいて伝えたいことがハッキリしていたから。
私が12日のチケットを取ったのはそもそもアフタートーク目当てだったんですが、それも流れてしまったので、終演後はアンケートを書いて、物販を覗いたらそそくさと帰りました。そういえば、本田愛美さん宛に届いていた花に小説家のあかほりさとる先生がいましたけど、あかほりさんの名前とか久しぶりに見たなぁ。昔々に少しだけ世話になったんだけど、本田さんってあかほりさくひんとか出ていたかしら。お花を贈るってことはそう薄い縁ってことはないんだろうが。
ちなみに行きに寄れなかったピザ屋、帰りにも覗いたら17時45分から再開だったので諦めました。なかなかどうした、上手くいかないもんですね。
単純に芝居を観るにしても、贔屓の劇団とかが下北沢では公演してなかっただけで、私自身、出向いてまで開拓と言うほどではなかっただけの話だ。そこに深い意味などないのだろう。
そんな私が何故、今回下北沢の地に出向いたのかと言えば、まあ、上記のように芝居を観に行ったんですけど、私が贔屓にしている……といっていいのか、とにかく贔屓にしている声優事務所にガジェットリンクってところがあるんだけど、そこに所属している本田愛美さんという声優さんが初舞台に立つというので、少し興味が湧いて。本田さん自身、知らない人って訳でもなかったし。
でまあ、本当だったら12日の水曜日に観る予定でチケットを取ったんですよ。平日だけど有給残ってますし、有給ってのは特に用事があろうとなかろうと消化して良いものだと最近知ったので。そうしたらなんですか、会社に初めて却下されましてね。私の仕事は問題なかったんですが、別工程で遅れていたというか、まあ、来るはずの仕事が来なくて延期になって、12日にやって欲しいみたいな状況になりまして。
まあ、有給申請後だったら突っぱねましたけど、残念なことにまだだったから、仕方なく劇団へと連絡して日程を振り替えて貰うことに。幸いこれは上手くいって、三連休の最終日である今日観てきたというわけです。
久しぶりの下北沢ということで、私もお洒落にランチとかしたかったんだけど、生憎と家を出た時間が遅くて、着いた頃には13時前と、自由席なことも考えたら既に並んでないといけない時刻。なくなく、某ピザ屋に行くのを諦めて劇場へと赴きました。下北沢は今、カレーフェスがやっているらしくて、それで盛り上がっている若者が結構いましたね。カレーというと神保町のイメージだけど、下北沢にも専門店ではないにせよ、カレーを提供する店は結構あるらしい。
13時半になって開場して、振替の手続きも上手くいっていたのか、私は結構すんなり入れました。50人入れるかどうかみたいな芝居小屋という印象を受けたのですが、後で劇団の方から教えてもらったところ、実際には85名ほどの観客がいたらしく、見た目以上の広さらしい。そんな劇場内には演者の親戚か何かか、ご年配の方も結構いましたね。私の隣に座っていたのも年配の……といったら失礼かな、とにかくそんな方々でしたけど、こちらは前述の本田愛美さんの関係者だったようで、終演後に私がアンケート書いている横で挨拶に来られてました。
まあ、それは良いとしてお芝居です。この芝居は決して観客参加型ではないのだけど、観客にも一つの役割というか、役所を与えられていて、それが葬儀の参列者というものです。世界的な歌手が亡くなって、そのお葬式に参列したのが観客である我々なんですね。勿論、お葬式ってのは厳かなものですから、声など上げませんし、芝居その物に関わったりもしません。
物語は、そんなお葬式の席で亡くなった歌手の忘れ形見……実子である四姉妹の長女が発した言葉をきっかけに始まっていきます。
ジャンルがブラックファンタジーで、登場人物というか主役が仲の悪い四姉妹ともなれば、話の流れや結末なんてのは容易に想像しやすく、ハッピーエンドかバッドエンドか、そのどちらかだと思います。そういった意味ではこのドールズハウスは非常に分かりやすい物語だったんだけど、シンプルなだけ合って、テーマ性というか、お芝居を通して訴えたいことと、伝えたいことが、非常にダイレクトなんだよね。直球で投げてきて、受け止めることを許さずにそのままぶつけてくるというか。こういう書き方をすると乱暴に感じるかも知れないけど、四姉妹が内に抱えているものってのは、遠回しに回りくどくやっても解決する問題じゃなくて、多少強引でなければどうにもならないってのを良く現していたように思う。
それでいてまあ、ドールズハウスというぐらいですから人形が結構出てくるんですけど、この人形たちがとても個性的なんですよ。まるでミュージカルを思わせるような音楽演出の中で、まあ、人形なりに楽しく生きてる訳なんだけど、これが又可愛いのよ。人形って、それぞれ何の人形であるか、って分かれてるじゃないですか。男なのか女なのか、王子様なのかお姫様なのか、海賊なのか兵隊なのか、それとも……みたいに、人形ってのは生まれてきたそのときから、常に何かしらの個性を持ってるんですよね。
その際立った個性を、役者陣が上手く演じていて、人形というからには人と違う価値観と時間の流れを持ってるんだけど、これが楽しくもあり切なくもありと、忘れ去られても変わらなかった者たちの輝きと悲哀がそこにはあった。特に三女と四女は、分かりやすいぐらいにその辺りのことが描かれていたんじゃないかな。
オチも本当にシンプルで、あっと驚かされたり、やられた! と思うような部分はなくて、シンプルイズベストを突き詰めたかのようなお芝居だったけど、それだけに観やすかったし、考えさせられるとか、突き動かされるとかじゃなくて、混じり気のない純粋さがそこにはあった。奇想天外とか、シュールを求めてる人には合わないかも知れないけど、平凡ながら少し不思議な物語を楽しみたいという人にはオススメかも。あんまり平凡っていい言葉じゃないんだけど、このお芝居に関しては褒め言葉と受け取って欲しいなぁ……奇を衒うような話じゃなかったし、それでいて伝えたいことがハッキリしていたから。
私が12日のチケットを取ったのはそもそもアフタートーク目当てだったんですが、それも流れてしまったので、終演後はアンケートを書いて、物販を覗いたらそそくさと帰りました。そういえば、本田愛美さん宛に届いていた花に小説家のあかほりさとる先生がいましたけど、あかほりさんの名前とか久しぶりに見たなぁ。昔々に少しだけ世話になったんだけど、本田さんってあかほりさくひんとか出ていたかしら。お花を贈るってことはそう薄い縁ってことはないんだろうが。
ちなみに行きに寄れなかったピザ屋、帰りにも覗いたら17時45分から再開だったので諦めました。なかなかどうした、上手くいかないもんですね。
昨日、神戸に行ってました。思いったたら突然にとか、旅行とか、そういうのではなくて、私だと珍しいイベント遠征です。THE IDOLM@STER CINDERELLA GIRLS 4thLIVE TriCastle Storyの神戸初日公演がチケット取れてしまったので、まあ、折角だし参加しようかなって。デレステをプレイし始めたことで、デレマス熱がそれなりに高まっていたのも理由の一つなんだけど、ちょこたんとゆっちが出る、というのも大きかったかも。
私はアイマスとかデレマスのライブやコンサートに参加したことがないので、コンテンツとしての規模と出演者の数から長くて4時間、最低でも3時間半はやるんじゃないかと思い、宿を確保したんですよ。新神戸からの新幹線は終電が21時8分という話だし、21時終演じゃまず間に合わないだろうから。まあ、2日目参加するわけでもないのに1泊することへの抵抗感や疑問もあるにはあったんだけど、野宿というわけにもいかないし。
そんな判断の下に動いたのだけど……まさか、3時間10分しかやらないとは思わなかったなぁ。多分、押してこの時間なんだろうから、予定では3時間ぐらいの公演だったんでしょうね。17時からの3時間で20時終演、終電にも間に合うし、なるほど、ベストな時間です。
わざわざ宿を確保した身としては、完全に見誤ったということになるんだろうけど、これもまあ、勉強代ですかね。最近、金の使い方が極端に下手くそで、このままではいけないと思いつつも、修正できていない自分がいます。ちょっとした旅行気分で考えれば良かったのかもしれないけど、実は夏コミ明け一週間後ぐらいから風邪を引いて、それをこじらせた状態での遠征だったから、あんまり自分に余裕がなかったというのもある。
まあ、今となってはどういう選択が一番正しかったのかはわからないのだけど、私が遠征に不慣れというのを差し引いても、やっぱり日帰りの方が性に合ってるんだろうなと。あるいは、一人旅というものに向いていないか。行く前はそれなりにテンション上がっていた気もするんだけどね。やっぱり、病み上がりですらない状態での遠征には無理があったのかもしれない。今更キャンセルできなかったから仕方がないのだけど。
神戸自体は一昨年の秋ごろにも個人的な旅行で行っていて、そのときは連れ合いもいたので比較的楽しかった記憶があります。今回は一人で、それもコンサート参加が主な目的でしたから、どこか淡々とした、予定を消化していくだけの流れになった感はあるかも。新幹線は経費節約のためのぞみではなくひかりにしたけど、デレステプレイしていたらいつの間にか着いていたし、以前行ったときよりも感覚的に近くなっていた気がする。
新幹線ではひたすらデレステやっていたので、これといって特筆することはないのだけど、特に駅弁とか買ってないので、旅情気分は沸かなかったかも。新神戸についたのが……13時20分ぐらいですか。市営地下鉄で三宮に移動して、まずは腹ごしらえと、グリル十字屋なる洋食屋に入りました。適当にネットで選んだお店でしたけど、昼飯時を外したとはいえ、土曜日の観光地にある店にしては結構空いてましたね。空席の方が多いぐらいだった。
神戸は洋菓子とか洋食文化が盛んな街で、以前三宮を訪れたときも洋食は食べたんだけど、今回も又ビーフカツを試してみました。都内では最近、特に秋葉原で牛かつの店が流行ってますけど、私はビーフカツの方が好きなつもりで、ちょっと高いけど折角来たんだしと頼んだのですが……まあ、普通だったかな。美味しいし、肉も柔らかかったけど、感動的な何かがある訳でもなく。何でもデミグラスソースを掛けてしまう文化は、少し勿体無い気がしないでもない。
食後もホテルのチェックインまで時間があったので、アーケードをぶらぶらしながらメロンブックス神戸店だったり、ゲーマーズ三宮店を始めとしたらアニメショップ密集地を散策していました。メロンブックスだけ少し離れたところにあるんだけど、そういや、アニメイトを見かけませんでしたね。どこにあったんだろうか。カフェはあったけど。
店舗のイメージとしては……一番良かったのはとらのあなかな。フロアの作りが一番分かりやすかったというのもあるけど、ゲマ屋とかメロンは地元が2フロアあるタイプなので、なんかしっくり来なかった。特にゲマ屋はどこに行っても、ゲマ屋らしい作りが感じられなくて、店それぞれにこせがあるというより、統一された個性のない、無個性なチェーンってイメージが強かったりする。
メロンブックスでBugBugを購入して特典がないなぁとかガッカリした後は、ゲマ屋三宮からすぐ近くにあるホテルにチェックイン。ホテルケーニヒスクローネという、洋菓子屋のチェーンがやってるホテルなんだけど、一昨年来たときも止まったところです。あのときは、こんなにアニメショップとかが近場にあるとは思ってなかったのだけど、この2年で変わったのか、それとも移転してきたのか。
前回は連れ合いがいたので広めのツインルームだったけど、今回は一人だったのでセミダブルの部屋。まあ、手狭だけど1泊ぐらいならこんなものでしょう。洋菓子屋がやってるから観光ホテルっぽいけど、意外とリーマンの出張需要もあるらしい。ビジネスプランみたいのも存在するから、多様な使い方が出来るんでしょうね。
部屋に荷物を置いた後は、さて、コンサート会場へ……行く前に、宿泊特典であるウェルカムスイーツ&ウェルカムドリンクのサービスを受けました。ホテル自慢のクローネ&ダブルソフトクリームに、ホットとアイスを選べるコーヒーor紅茶、それとは別に選べるドリンクのスパークリングワインorブラッドオレンジジュース。結構なボリュームですけど、時間がなかったので手早く済ませて移動。もう少し、ゆっくり味わいたかった。
ポートライナーはこちらで言うところのゆりかもめみたいなもんで、一度に乗れる人数も一般的な電車に比べると少なかったから、これは帰り大変そうだなと思いつつ、まあ、宿取ってあるんだから良いかと10分程度ですかね、それぐらいの距離を移動しました。考えてみると、新橋辺りから国際展示場に行くより、断然早く付きましたね。
到着した市民広場駅は所謂Pで溢れかえってましたけど、物販や、前日に築城したお城などはワールド記念ホールではなく広場方面で展開していました。城では大型ビジョンでPVや、壁面のアイドルがPVごとに切り替わるといった凝った演出がされていたんですけど、何とビックリ、城の中に入ることが出来ました。内部でも特別なデレステPVが流れており、なかなかどうした、会場外でも凝った演出がなされています。SSAでも、けやき広場辺りに築城されるんでしょうか。
物販は完売もそこそこあれど、結構なんでも買えるぐらいには空いてましたね。まあ、お金もなかったので除くだけにしましたが、ちら見したパンフレットは声優の写真などが掲載されており、キャラクターを全面に押し出していた、先日のガルパンイベントのパンフに比べると、なんか対照的。
私は今回アリーナ席だったんだけど、列は43列目とかなり後ろ。ワールド記念ホールは収容キャパ8000人ということだから、おそらく固定の座席よりもアリーナ部分の方が席数多いのでしょう。のろのろと入場したけど、43列目は出入り口の直ぐ側にあって、迷うことなく着席することが出来ました。まあ、予想はしていたんだけど、見づらい席だったね。そもそもアリーナ席は段差というものが存在せず、城を築城していている関係からか、ステージもそんなに背が高くなかったので、肉眼では背伸びをしないとろくに見えなかった。だから、シンデレラたちを見て楽しむというよりは、場の空気を体感するというのに近かったかな。一度、トイレ行くためにスタンド席まで上がったんだけど、スタンドの方が俯瞰で観やすかったと思う。距離があるにしてもね。
コンサート自体はデレステ一周年に引っ掛けて、デレステの楽曲を中心に行われたから、知らない曲がなかったというのが個人的には助かったかも。サプライズとか新曲とか、後で知った2日目の内容と少し差があるんじゃないかと思わないでもなかったけど、まあ、それは仕方がないのかなとも思ったり。ただ、自分の心が強く突き動かされるほど何かや、感動を覚えたかと言われると、周囲との温度差はちょっとあったかなと。まあ、そこら辺はにわかだからかもしれないけど。
終演後は三宮に戻って、BKで夕食を購入してホテルに戻りました。神戸のホテルは近くに有馬温泉があるからか大浴場というものが基本的に存在せず、仕方がないので部屋でひとっ風呂浴びた後はすることもないので寝ることに。しかし、咳の発作で目を覚まし、結局朝までニコ生とか見たりしながらボーッとしてました。
朝食はよくあるバイキングで、洋菓子屋が経営しているだけあって、パンとケーキの種類が豊富でした。けどまあ、おかずの種類が少ないので2泊したら飽きる内容かもしれない。美味しかったけどね。焼きたてパンやケーキの味は流石だと思った。
チェックアウト後は新幹線に乗って横浜へ帰還。行きと同じくデレステをやってたらすぐ着きました。朝食を食べ過ぎたわけでもないのに、あまりお腹すいてなかったので、やはり駅弁などは買わずに。最初から最後まで淡々とした遠征でしたとさ。
次があったら、どうしようかなとは思っている。そこまでデレマス、デレステ熱が続いているかは分からないんだけど。
私はアイマスとかデレマスのライブやコンサートに参加したことがないので、コンテンツとしての規模と出演者の数から長くて4時間、最低でも3時間半はやるんじゃないかと思い、宿を確保したんですよ。新神戸からの新幹線は終電が21時8分という話だし、21時終演じゃまず間に合わないだろうから。まあ、2日目参加するわけでもないのに1泊することへの抵抗感や疑問もあるにはあったんだけど、野宿というわけにもいかないし。
そんな判断の下に動いたのだけど……まさか、3時間10分しかやらないとは思わなかったなぁ。多分、押してこの時間なんだろうから、予定では3時間ぐらいの公演だったんでしょうね。17時からの3時間で20時終演、終電にも間に合うし、なるほど、ベストな時間です。
わざわざ宿を確保した身としては、完全に見誤ったということになるんだろうけど、これもまあ、勉強代ですかね。最近、金の使い方が極端に下手くそで、このままではいけないと思いつつも、修正できていない自分がいます。ちょっとした旅行気分で考えれば良かったのかもしれないけど、実は夏コミ明け一週間後ぐらいから風邪を引いて、それをこじらせた状態での遠征だったから、あんまり自分に余裕がなかったというのもある。
まあ、今となってはどういう選択が一番正しかったのかはわからないのだけど、私が遠征に不慣れというのを差し引いても、やっぱり日帰りの方が性に合ってるんだろうなと。あるいは、一人旅というものに向いていないか。行く前はそれなりにテンション上がっていた気もするんだけどね。やっぱり、病み上がりですらない状態での遠征には無理があったのかもしれない。今更キャンセルできなかったから仕方がないのだけど。
神戸自体は一昨年の秋ごろにも個人的な旅行で行っていて、そのときは連れ合いもいたので比較的楽しかった記憶があります。今回は一人で、それもコンサート参加が主な目的でしたから、どこか淡々とした、予定を消化していくだけの流れになった感はあるかも。新幹線は経費節約のためのぞみではなくひかりにしたけど、デレステプレイしていたらいつの間にか着いていたし、以前行ったときよりも感覚的に近くなっていた気がする。
新幹線ではひたすらデレステやっていたので、これといって特筆することはないのだけど、特に駅弁とか買ってないので、旅情気分は沸かなかったかも。新神戸についたのが……13時20分ぐらいですか。市営地下鉄で三宮に移動して、まずは腹ごしらえと、グリル十字屋なる洋食屋に入りました。適当にネットで選んだお店でしたけど、昼飯時を外したとはいえ、土曜日の観光地にある店にしては結構空いてましたね。空席の方が多いぐらいだった。
神戸は洋菓子とか洋食文化が盛んな街で、以前三宮を訪れたときも洋食は食べたんだけど、今回も又ビーフカツを試してみました。都内では最近、特に秋葉原で牛かつの店が流行ってますけど、私はビーフカツの方が好きなつもりで、ちょっと高いけど折角来たんだしと頼んだのですが……まあ、普通だったかな。美味しいし、肉も柔らかかったけど、感動的な何かがある訳でもなく。何でもデミグラスソースを掛けてしまう文化は、少し勿体無い気がしないでもない。
食後もホテルのチェックインまで時間があったので、アーケードをぶらぶらしながらメロンブックス神戸店だったり、ゲーマーズ三宮店を始めとしたらアニメショップ密集地を散策していました。メロンブックスだけ少し離れたところにあるんだけど、そういや、アニメイトを見かけませんでしたね。どこにあったんだろうか。カフェはあったけど。
店舗のイメージとしては……一番良かったのはとらのあなかな。フロアの作りが一番分かりやすかったというのもあるけど、ゲマ屋とかメロンは地元が2フロアあるタイプなので、なんかしっくり来なかった。特にゲマ屋はどこに行っても、ゲマ屋らしい作りが感じられなくて、店それぞれにこせがあるというより、統一された個性のない、無個性なチェーンってイメージが強かったりする。
メロンブックスでBugBugを購入して特典がないなぁとかガッカリした後は、ゲマ屋三宮からすぐ近くにあるホテルにチェックイン。ホテルケーニヒスクローネという、洋菓子屋のチェーンがやってるホテルなんだけど、一昨年来たときも止まったところです。あのときは、こんなにアニメショップとかが近場にあるとは思ってなかったのだけど、この2年で変わったのか、それとも移転してきたのか。
前回は連れ合いがいたので広めのツインルームだったけど、今回は一人だったのでセミダブルの部屋。まあ、手狭だけど1泊ぐらいならこんなものでしょう。洋菓子屋がやってるから観光ホテルっぽいけど、意外とリーマンの出張需要もあるらしい。ビジネスプランみたいのも存在するから、多様な使い方が出来るんでしょうね。
部屋に荷物を置いた後は、さて、コンサート会場へ……行く前に、宿泊特典であるウェルカムスイーツ&ウェルカムドリンクのサービスを受けました。ホテル自慢のクローネ&ダブルソフトクリームに、ホットとアイスを選べるコーヒーor紅茶、それとは別に選べるドリンクのスパークリングワインorブラッドオレンジジュース。結構なボリュームですけど、時間がなかったので手早く済ませて移動。もう少し、ゆっくり味わいたかった。
ポートライナーはこちらで言うところのゆりかもめみたいなもんで、一度に乗れる人数も一般的な電車に比べると少なかったから、これは帰り大変そうだなと思いつつ、まあ、宿取ってあるんだから良いかと10分程度ですかね、それぐらいの距離を移動しました。考えてみると、新橋辺りから国際展示場に行くより、断然早く付きましたね。
到着した市民広場駅は所謂Pで溢れかえってましたけど、物販や、前日に築城したお城などはワールド記念ホールではなく広場方面で展開していました。城では大型ビジョンでPVや、壁面のアイドルがPVごとに切り替わるといった凝った演出がされていたんですけど、何とビックリ、城の中に入ることが出来ました。内部でも特別なデレステPVが流れており、なかなかどうした、会場外でも凝った演出がなされています。SSAでも、けやき広場辺りに築城されるんでしょうか。
物販は完売もそこそこあれど、結構なんでも買えるぐらいには空いてましたね。まあ、お金もなかったので除くだけにしましたが、ちら見したパンフレットは声優の写真などが掲載されており、キャラクターを全面に押し出していた、先日のガルパンイベントのパンフに比べると、なんか対照的。
私は今回アリーナ席だったんだけど、列は43列目とかなり後ろ。ワールド記念ホールは収容キャパ8000人ということだから、おそらく固定の座席よりもアリーナ部分の方が席数多いのでしょう。のろのろと入場したけど、43列目は出入り口の直ぐ側にあって、迷うことなく着席することが出来ました。まあ、予想はしていたんだけど、見づらい席だったね。そもそもアリーナ席は段差というものが存在せず、城を築城していている関係からか、ステージもそんなに背が高くなかったので、肉眼では背伸びをしないとろくに見えなかった。だから、シンデレラたちを見て楽しむというよりは、場の空気を体感するというのに近かったかな。一度、トイレ行くためにスタンド席まで上がったんだけど、スタンドの方が俯瞰で観やすかったと思う。距離があるにしてもね。
コンサート自体はデレステ一周年に引っ掛けて、デレステの楽曲を中心に行われたから、知らない曲がなかったというのが個人的には助かったかも。サプライズとか新曲とか、後で知った2日目の内容と少し差があるんじゃないかと思わないでもなかったけど、まあ、それは仕方がないのかなとも思ったり。ただ、自分の心が強く突き動かされるほど何かや、感動を覚えたかと言われると、周囲との温度差はちょっとあったかなと。まあ、そこら辺はにわかだからかもしれないけど。
終演後は三宮に戻って、BKで夕食を購入してホテルに戻りました。神戸のホテルは近くに有馬温泉があるからか大浴場というものが基本的に存在せず、仕方がないので部屋でひとっ風呂浴びた後はすることもないので寝ることに。しかし、咳の発作で目を覚まし、結局朝までニコ生とか見たりしながらボーッとしてました。
朝食はよくあるバイキングで、洋菓子屋が経営しているだけあって、パンとケーキの種類が豊富でした。けどまあ、おかずの種類が少ないので2泊したら飽きる内容かもしれない。美味しかったけどね。焼きたてパンやケーキの味は流石だと思った。
チェックアウト後は新幹線に乗って横浜へ帰還。行きと同じくデレステをやってたらすぐ着きました。朝食を食べ過ぎたわけでもないのに、あまりお腹すいてなかったので、やはり駅弁などは買わずに。最初から最後まで淡々とした遠征でしたとさ。
次があったら、どうしようかなとは思っている。そこまでデレマス、デレステ熱が続いているかは分からないんだけど。
C90参加情報 聖鍵遣いの命題本「反理想郷症候群」
2016年8月13日 アニメ・マンガ
夏コミの情報を書きます。といっても、サークルHP、pixiv、ツイッター、その他諸々で宣伝と告知は既にしているので、この日記に書くのは最後の締めみたいなものですね。昨年の夏コミは落選しましたから、約1年ぶりの参加ですか。まあ、コミケ自体は冬コミに参加してるし、去年の夏も一般で参加してますから、久しぶりって程でもないんだけど……というか、これを書いてる時点で既に2日目参加してきた直後なのよね。
その話も書いたら書いたで面白そうな気がするものの、兎にも角にも自サークルのことをまとめておかないことには始まらないから、以下が今回の出し物になります。
さて、ヨスガ本の在庫をどうするか迷ったんですが、BOOTHで販売中のものが残り僅かだったため、夏コミ会場には持ち込まないことにしました。ヨスガ本欲しい、という人がいたら、BOOTHの方で買って下さい→http://t.co/zeCci6bhmc
新刊はPCゲーム「聖鍵遣いの命題」の小説本になる訳ですが……いや、これが結構面白いエロゲなんですよ。ゲーム単体としてもそうだけど、メディア展開って言うのかな? 主としては音泉でやってるラジオだけど、それも最高に楽しくて。
最初は、サキ・アイハラ役としてくすはらゆいが出演することからチェックしていた作品なのだけど、気付いてみれば作品全体を好きになっていたなぁ。こういうのを箱推しって言うんでしょうか? 何だか長い付き合いになりそうなジャンルになりそうです。書いてて書きやすかった、というのは烏滸がましいけど、スッと作品に入って行けた気がします。肌に合ってるのかな。
既刊はコミ1で発行したくすはらゆい本2ですが、こちらもあまり在庫がありません。片手程度しかないと思ってください。再版の予定も特にない本ですから、ここで売り切ってしまえば終わりです。
実は、新刊は事前納品分があったので既にチェック済みなんですが、細かい表記のブレとかがちょっとあったかなと。ガッツリした小説本は久しぶりだったので、腕が鈍ったかも知れません。いつまでも細々と小説本だけ書いてれば良いのかなって気はするし、そもそも同人活動をいつまでやるのか見たいな気持ちはあるんだけど、こればっかりは楽しさと、ある種の拘りみたいなのがあるからね。まだしばらくは続けてみようかなと。
それでは、当日は宜しくお願いします。
その話も書いたら書いたで面白そうな気がするものの、兎にも角にも自サークルのことをまとめておかないことには始まらないから、以下が今回の出し物になります。
イベント名:コミックマーケット90
参加日:2016年8月14日(日)
会場:東京ビッグサイト
スペース№:東2ホールP-49b シャリテクロワール
新刊
聖鍵遣いの命題-プロポジション-反理想郷症候群(と書いて、フツーの日常)
ジャンル:聖鍵遣いの命題
価格:500円
サイズ:A5判
備考:主にメインヒロインが中心の「ハルトの恋愛事情」、スピアーノが主役の「スピアーノの休日」を収録。基本的に主人公、メインヒロイン、サブヒロインは全員出てます。
pixivにてサンプル公開中→http://t.co/JUBBL3w06i
既刊
くすはらゆいData Book-Vol.2-
ジャンル:声優
イベント価格:500円
総ページ数:40P
サイズ:B5判
収録内容
声優・くすはらゆいさんの2015年出演作品を中心に、ラジオ、CD、雑誌連載情報なども掲載しているお仕事まとめ本。
収録作品
鯨神のティスティラ、ソレヨリノ前奏詩、ぜったい征服☆学園結社パニャニャンダー!!、花の野に咲くうたかたの、なついろレシピ、円交少女、ロリポップファクトリー、エッチでヘンタイ! ヤキモチお嬢様!!、くりぃみぃパイ 1、アンラッキーリバース、マジカル☆ディアーズ、ここから夏のイノセンス!、魔女こいにっき Dragon×Caravan等。
スペースでの諸注意
当日は釣り銭不足が予想されます。小銭をしっかり用意して、釣り銭の出ないように宜しくお願い致します。
また、サークル主のMLWは午前中スペースを不在にすることが多いです。ご用の方は午後か、あるいは知り合いに限り売り子に呼び出して貰って下さい。
さて、ヨスガ本の在庫をどうするか迷ったんですが、BOOTHで販売中のものが残り僅かだったため、夏コミ会場には持ち込まないことにしました。ヨスガ本欲しい、という人がいたら、BOOTHの方で買って下さい→http://t.co/zeCci6bhmc
新刊はPCゲーム「聖鍵遣いの命題」の小説本になる訳ですが……いや、これが結構面白いエロゲなんですよ。ゲーム単体としてもそうだけど、メディア展開って言うのかな? 主としては音泉でやってるラジオだけど、それも最高に楽しくて。
最初は、サキ・アイハラ役としてくすはらゆいが出演することからチェックしていた作品なのだけど、気付いてみれば作品全体を好きになっていたなぁ。こういうのを箱推しって言うんでしょうか? 何だか長い付き合いになりそうなジャンルになりそうです。書いてて書きやすかった、というのは烏滸がましいけど、スッと作品に入って行けた気がします。肌に合ってるのかな。
既刊はコミ1で発行したくすはらゆい本2ですが、こちらもあまり在庫がありません。片手程度しかないと思ってください。再版の予定も特にない本ですから、ここで売り切ってしまえば終わりです。
実は、新刊は事前納品分があったので既にチェック済みなんですが、細かい表記のブレとかがちょっとあったかなと。ガッツリした小説本は久しぶりだったので、腕が鈍ったかも知れません。いつまでも細々と小説本だけ書いてれば良いのかなって気はするし、そもそも同人活動をいつまでやるのか見たいな気持ちはあるんだけど、こればっかりは楽しさと、ある種の拘りみたいなのがあるからね。まだしばらくは続けてみようかなと。
それでは、当日は宜しくお願いします。
カスタムプロジェクト第3回公演「吹雪の山荘にて」感想
2016年5月8日 アニメ・マンガ5月5日の続き。秋葉原を後にした私は、総武線から中央線に乗り換えて新宿を目指しました。そこから更に京王線に乗り換えるのだけど、ちょっと時間が合ったので、先頃オープンしたというメロンブックス新宿店を覗いてみることに。何となく場所は知ってたんだけど、探しても見つからないのでグーグルマップを起動すると、やはり自分がいる付近のビルにあるはずなんですよね。しかし、見つからないので困っていたら、何と看板の類が一切無いだけで、目の前のビルに入っていたというオチが。
どうやらビルの決まりで外に看板を置けないらしいんですが、ビルそのものに目印になるよなものがなくて、ビルの中に入ってテナントを確認しないと分かりっこないという、かなり不親切で不便な感じでした。実際、私の次にやってきた団体さんも相当探しまわっていたようで、立地の悪さはもとより、あの目標のなさはどうにかした方がいいと思う。店内は……オープンしたてということもあってお祝いの色紙が沢山あったけど、何となく無個性だと思った。新宿西口という場所柄をよく表しているといえばそれまでなんだが、あそこにわざわざ同人誌とかエロゲとか、商業誌を買いに来る奴はいるんだろうか。多少無理をしてでも、東口の方が良かったんじゃないかな。
まあ、メロンブックスの今後はともかくとして、京王線に乗って目指したのは仙川という駅で、スーパーマーケットなどの小売業が充実している街です。クイーンズ伊勢丹とか、そういうやつ。そんなところになんの用があったのかといえば、せんがわ劇場で開催されるお芝居を観に行く予定を立てていたから。
私は頻度こそ少ないですが、結構観劇が好きな方で、大小様々な舞台を観に行くことがあります。それはお芝居だったり、あるいはミュージカル、オペラや歌舞伎の場合も稀にあるけど、今回はミステリー仕立てのお芝居でした。
どちらかと言えば喜劇やSFを好むタイプなので、ミステリーというのはあまり縁のあるジャンルではなかったのだけど、贔屓の役者が数年ぶりに舞台へ出演するということもあって、観劇を決めた感じです。単に縁がないというだけで、ミステリーそのものに抵抗があった訳でもないからね。
「吹雪の山荘にて」と題されたお芝居は、せんがわ劇場の決して広くはない舞台上において、結構面白い趣向というか、演出が施されていました。たとえば登場人物の一人が山荘に向かうシーンとか、あるいは殺人犯による凄惨な犯行が行われるシーンとか、そういうのは全て映像で処理されるんですよね。映像内で車が走り、映像内で凶器が光る。舞台演劇でありながら、映像描写に頼ることを恐れないとでもいうのか、なるほど上手いなと思った。
たとえば容疑者たちのアリバイを検証するシーンでも、映像で表を出して細かく解説していくことで、観客に対しての分かりやすさ、伝え易さを優先してるというか。
この芝居には他にも挑戦的というか斬新な部分が多々あって、最大の特徴は観客参加型であること。勿論、観客が壇上に上がっていきなり芝居をするとか、そういうことではなくて、ミステリーの肝である犯人を推理する時間があるんです。予め、入場時に捜査資料や解答用紙が渡されて、舞台の合間、まあ、要するに休憩時間なんですけど、その間に犯人と根拠……つまりはトリックですね。アリバイ崩しを含めて、整合性のある答えを書くことができたら正解と、そんな感じ。
お話自体はそこまで大掛かりなものじゃなくて、人が行き来できない吹雪の山荘で連続殺人が行われて、全員死んで一人行方不明だけど、じゃあ、誰が犯人なのか……という、極々平凡なもの。だけど、ミステリーってのはシンプルな方が却って思考の沼にハマりやすくて、また、舞台観劇特有の先入観もあって、私は見事に答えを外しました。
フェアかアンフェアか、あるいは新本格論争みたいな結末ではあったけど、私はしてやられたという気持ちが強い半面、単純に芝居として面白かったと思う。勿論、私にもっと卓越した推理力があれば解答に辿りつけたんだろうけど、辿りつけたとしたら、それは物語の底が見えてしまうことになりますから、驚きや意外性は半減してしまう気がする。言ってしまえば、私が名探偵ならぬ迷探偵だからこそ、楽しめたんじゃないかなと。
まあ、見事推理して見せれば、それはそれで、又別の喜びや達成感が待っていたのかもしれないけど。
私が観たのは都合により千秋楽だったけど、種明かしの後にもう一回見直したいと思ったのと、もっと多くの人に観てもらいたいこともあって、再演か円盤化を希望したい。たまにはミステリーというのもいいものですね。
どうやらビルの決まりで外に看板を置けないらしいんですが、ビルそのものに目印になるよなものがなくて、ビルの中に入ってテナントを確認しないと分かりっこないという、かなり不親切で不便な感じでした。実際、私の次にやってきた団体さんも相当探しまわっていたようで、立地の悪さはもとより、あの目標のなさはどうにかした方がいいと思う。店内は……オープンしたてということもあってお祝いの色紙が沢山あったけど、何となく無個性だと思った。新宿西口という場所柄をよく表しているといえばそれまでなんだが、あそこにわざわざ同人誌とかエロゲとか、商業誌を買いに来る奴はいるんだろうか。多少無理をしてでも、東口の方が良かったんじゃないかな。
まあ、メロンブックスの今後はともかくとして、京王線に乗って目指したのは仙川という駅で、スーパーマーケットなどの小売業が充実している街です。クイーンズ伊勢丹とか、そういうやつ。そんなところになんの用があったのかといえば、せんがわ劇場で開催されるお芝居を観に行く予定を立てていたから。
私は頻度こそ少ないですが、結構観劇が好きな方で、大小様々な舞台を観に行くことがあります。それはお芝居だったり、あるいはミュージカル、オペラや歌舞伎の場合も稀にあるけど、今回はミステリー仕立てのお芝居でした。
どちらかと言えば喜劇やSFを好むタイプなので、ミステリーというのはあまり縁のあるジャンルではなかったのだけど、贔屓の役者が数年ぶりに舞台へ出演するということもあって、観劇を決めた感じです。単に縁がないというだけで、ミステリーそのものに抵抗があった訳でもないからね。
「吹雪の山荘にて」と題されたお芝居は、せんがわ劇場の決して広くはない舞台上において、結構面白い趣向というか、演出が施されていました。たとえば登場人物の一人が山荘に向かうシーンとか、あるいは殺人犯による凄惨な犯行が行われるシーンとか、そういうのは全て映像で処理されるんですよね。映像内で車が走り、映像内で凶器が光る。舞台演劇でありながら、映像描写に頼ることを恐れないとでもいうのか、なるほど上手いなと思った。
たとえば容疑者たちのアリバイを検証するシーンでも、映像で表を出して細かく解説していくことで、観客に対しての分かりやすさ、伝え易さを優先してるというか。
この芝居には他にも挑戦的というか斬新な部分が多々あって、最大の特徴は観客参加型であること。勿論、観客が壇上に上がっていきなり芝居をするとか、そういうことではなくて、ミステリーの肝である犯人を推理する時間があるんです。予め、入場時に捜査資料や解答用紙が渡されて、舞台の合間、まあ、要するに休憩時間なんですけど、その間に犯人と根拠……つまりはトリックですね。アリバイ崩しを含めて、整合性のある答えを書くことができたら正解と、そんな感じ。
お話自体はそこまで大掛かりなものじゃなくて、人が行き来できない吹雪の山荘で連続殺人が行われて、全員死んで一人行方不明だけど、じゃあ、誰が犯人なのか……という、極々平凡なもの。だけど、ミステリーってのはシンプルな方が却って思考の沼にハマりやすくて、また、舞台観劇特有の先入観もあって、私は見事に答えを外しました。
フェアかアンフェアか、あるいは新本格論争みたいな結末ではあったけど、私はしてやられたという気持ちが強い半面、単純に芝居として面白かったと思う。勿論、私にもっと卓越した推理力があれば解答に辿りつけたんだろうけど、辿りつけたとしたら、それは物語の底が見えてしまうことになりますから、驚きや意外性は半減してしまう気がする。言ってしまえば、私が名探偵ならぬ迷探偵だからこそ、楽しめたんじゃないかなと。
まあ、見事推理して見せれば、それはそれで、又別の喜びや達成感が待っていたのかもしれないけど。
私が観たのは都合により千秋楽だったけど、種明かしの後にもう一回見直したいと思ったのと、もっと多くの人に観てもらいたいこともあって、再演か円盤化を希望したい。たまにはミステリーというのもいいものですね。
生クリームに沈みながら
2016年5月5日 アニメ・マンガ今日は一日掛けて色々なところに行きました。まあ、どこも始めていくところではないどころか、日常的に行ってるところまで含まれてるんだけど、移動とかイベント回しが好きじゃない私としては、結構珍しいことをしたのかなって。昔は良くアクティブだとか言われたし、今でもそれなりに瞬発力見たいのはあるものの、やっぱり一時期に比べると面倒くさいなと思うことが多くなって。それが先日のコミ1とキャラ1の同時開催に対して感じた、疲れなのだろうか? まあ、あれはあれで役得も合ったんだけどね。
世間的にはこどもの日……と言っても、雛祭ほどに端午の節句ってイベント感がなくて、五月人形ぐらいは家にもありましたけど、今はどこでどうなっているやら。百貨店でひな祭り用のケーキを見かけることは合っても、端午の節句ケーキなんて見たいこともないし、まあ、どこかしら流行ってるのかもしれないが、殆どは母の日にシフトしているような気はします。
まあ、そんな鯉のぼりトークは良いんですけど、そんなこどもの日に何をしていたかというと、まずはビッグサイトに行ってコミティアへ参加してました。
つい数日前もコミ1で行ったばかりの場所ですけど、まあ、GW期間はイベントが多いですからね。以前は、例えばDreamPartyなどもありましたから、それこそ足繁く通うなんてことが起こっていたわけです。
コミティアは創作オンリー、つまりオリジナルメインの同人誌即売会で、コミケやコミ1とは違った独特の空気感が好きなんだけど、毎年、この時期はコミ1明けの資金不足から、あまり買い物ができなかったりする。今回もそれは変わらなかったんだけど、それ以上に時間がなくて。実は12時から秋葉原でイベントがあって、しかも、列形成は11時半から。コミティアの開場時間が11時ってことを考えると、移動はもう不可能なレベル。
一応、開演が12時だからそれに間に合う計算というか、算段は立てたんだけど、まあ、早々上手くいくわけもなく。イヅミヤと、贔屓のサークルに顔出したら、すぐに会場を飛び出したんですけどね。なかなかどうした、ビッグサイトが工事中ということもあって、いつもより入場に時間を取られたような気がする。コミケなんかと違い、30分前到着で十分間に合うんだけど、それでも入場までに10分は掛かったんじゃないかな。単に私が急いでいたから、長く感じただけかもしれないけど。
東京ビッグサイトを離れた後は、一路秋葉原へ。大井町での乗り換えで可能な限り、最短ルートで向かったけど、それでも会場のアキバ☆ソフマップ1号店についたのは12時10分ぐらいだったかな……? ここで助かったのは、イベントが10分推しスタートになっていたことで、開場時間には間に合わなかったけど、開演には間に合ったということ。他にも色々回りたかった島中とかをフイにした甲斐が、少しはあったんですかね。
ソフマップで行われていたのは、V.I.Pと言われるビジュアルアーツのイベントで、銀色、遥かのトークショー&ライブだったために参加を決めました。情報それ自体はニコ生や、雑誌、その他諸々から入手していたので、特別新しいことはないだろうなとは思っていたんだけど、ちょっとした打算もありまして。
イベント自体は作品紹介と、後は主題歌アーティストによるミニライブ。こちらは手違いでフルコーラスの披露となり、ちょっと得した気分になりました。いい歌ですけど、銀はるってクソ長い作品なのに、所謂主題歌って一つなんでしょうか? たとえば中学編、学園編、アフター編にそれぞれ楽曲があっても良いような気がするけど、そこは各キャラのイメージソングが割り当てられるのかな。
未公開のCG以外にこれといった新規情報はなかったけど、質問コーナーで私の書いたアンケートが読まれまして、マチ★アソビ限定ムービーについての詳細を知ることが出来ました。徳島でやってる……やってたと表記した方が良いのかな? マチ★アソビで銀はるの限定ムービーが流れてるということで、情報が少なくてどんなものか分からなかったんだけど、どうやらニコ生の延長線上らしい。
うっかり、概念や雪月の新録でもあろうものなら、即座に東京駅から新幹線だっただけに一安心でした。
イベント終わりにはお土産として、キャラ1で配布された小冊子を貰いました。実はこれ、結構期待していたところがあって、前述の打算はまさしくこの冊子の存在だった。キャラ1のtときは忙しくて貰いそびれていたから、何とかなって良かったです。
ソフマップでのイベントが終わり、次の移動先まで時間が合ったから、フローラル・フローラブのコラボカフェに行きました。13時半ぐらいに行って、14時からの整理券が取れたんだったかな? あまりコラボカフェの類は興味が無いのだけど、そこでしか貰えないシールがないと応募できないものがあると言われては、流石に行かざるを得ません。
それでまあ、適当に時間を潰して14時。コラボカフェが開催されているCafe&Bar Sixteenは、エロゲ関係だとお馴染みの場所ですね。3階だったかのイベントフロアみたいな場所で、月末にはエロゲ関係のイベントが開催されており、VA系なら円交少女なんかのトークショーもここでしたか。まあ、カフェ自体は2階なんですけどね。
料金先払で食べたいメニューを頼んで、待ち札を貰って待つ。コラボメニューということでそこそこ値が張ってるんだけど、内容自体はなんてことない、ココアパウダーでキャラの絵を描いたパンケーキだったり、既成品のケーキだったり、キャラをイメージしたとか言うドリンクだったりと、まあ、よくある感じの奴です。特にパンケーキはここのコラボだと毎回あるような気がしますけど、単にキャラの絵を降りかけるだけの、使い回しみたいなものだね。
注文はドリンクが最初に来るのは良いんだけど、次に来たのはケーキと、デザートっぽいのが先に来ました。まあ、パンケーキだってクリーム添えだからスイーツには違いないけど、これは要するに、ケーキは既成品だから、ケースから出すだけで提供できる、それ故の速さでしょうね。まあ、ケースか冷蔵庫かは知りませんけど、反面、パンケーキは業務用のを解凍して、ヒロインの顔をデコレーションしなければならないので、多少の時間が掛かるのでしょう。
味はまあ……メイドカフェレベルかなぁ。いや、最近メイドカフェ行ってないので何とも言えないんだけど、普段カフェとバー営業してるとは思えない程度のレベルだったかな。ufotable並とは言わないが、もうちょっとクオリティの高いものを期待していた。
秋葉原って、まあ、有象無象のメイドカフェはともかく、カフェとか喫茶店のレベルがそこそこ高いんですよ。それに、折角金払ってるなら美味いもの食べたいじゃないですか。スタチャカフェとかさ、なかなか創意工夫に富んだところもあるんだから、もうちょっと何とかして欲しいなぁと。ケーキはまだしも食べられる味だったけど、パンケーキの方は……うん。アキバは結構ホットケーキも美味い土地柄だから、あんなの出してるようじゃ、ただのオタク騙しだよ。しかし、カツカレー始めました、という張り紙はちょっと気になる。どんなカツカレーを出してくるんだろうか。
そんなことを考えながらフロフロカフェを後にして、最後の目的地に向かうのだけど、長くなったので明日の日記で書くことにします。
世間的にはこどもの日……と言っても、雛祭ほどに端午の節句ってイベント感がなくて、五月人形ぐらいは家にもありましたけど、今はどこでどうなっているやら。百貨店でひな祭り用のケーキを見かけることは合っても、端午の節句ケーキなんて見たいこともないし、まあ、どこかしら流行ってるのかもしれないが、殆どは母の日にシフトしているような気はします。
まあ、そんな鯉のぼりトークは良いんですけど、そんなこどもの日に何をしていたかというと、まずはビッグサイトに行ってコミティアへ参加してました。
つい数日前もコミ1で行ったばかりの場所ですけど、まあ、GW期間はイベントが多いですからね。以前は、例えばDreamPartyなどもありましたから、それこそ足繁く通うなんてことが起こっていたわけです。
コミティアは創作オンリー、つまりオリジナルメインの同人誌即売会で、コミケやコミ1とは違った独特の空気感が好きなんだけど、毎年、この時期はコミ1明けの資金不足から、あまり買い物ができなかったりする。今回もそれは変わらなかったんだけど、それ以上に時間がなくて。実は12時から秋葉原でイベントがあって、しかも、列形成は11時半から。コミティアの開場時間が11時ってことを考えると、移動はもう不可能なレベル。
一応、開演が12時だからそれに間に合う計算というか、算段は立てたんだけど、まあ、早々上手くいくわけもなく。イヅミヤと、贔屓のサークルに顔出したら、すぐに会場を飛び出したんですけどね。なかなかどうした、ビッグサイトが工事中ということもあって、いつもより入場に時間を取られたような気がする。コミケなんかと違い、30分前到着で十分間に合うんだけど、それでも入場までに10分は掛かったんじゃないかな。単に私が急いでいたから、長く感じただけかもしれないけど。
東京ビッグサイトを離れた後は、一路秋葉原へ。大井町での乗り換えで可能な限り、最短ルートで向かったけど、それでも会場のアキバ☆ソフマップ1号店についたのは12時10分ぐらいだったかな……? ここで助かったのは、イベントが10分推しスタートになっていたことで、開場時間には間に合わなかったけど、開演には間に合ったということ。他にも色々回りたかった島中とかをフイにした甲斐が、少しはあったんですかね。
ソフマップで行われていたのは、V.I.Pと言われるビジュアルアーツのイベントで、銀色、遥かのトークショー&ライブだったために参加を決めました。情報それ自体はニコ生や、雑誌、その他諸々から入手していたので、特別新しいことはないだろうなとは思っていたんだけど、ちょっとした打算もありまして。
イベント自体は作品紹介と、後は主題歌アーティストによるミニライブ。こちらは手違いでフルコーラスの披露となり、ちょっと得した気分になりました。いい歌ですけど、銀はるってクソ長い作品なのに、所謂主題歌って一つなんでしょうか? たとえば中学編、学園編、アフター編にそれぞれ楽曲があっても良いような気がするけど、そこは各キャラのイメージソングが割り当てられるのかな。
未公開のCG以外にこれといった新規情報はなかったけど、質問コーナーで私の書いたアンケートが読まれまして、マチ★アソビ限定ムービーについての詳細を知ることが出来ました。徳島でやってる……やってたと表記した方が良いのかな? マチ★アソビで銀はるの限定ムービーが流れてるということで、情報が少なくてどんなものか分からなかったんだけど、どうやらニコ生の延長線上らしい。
うっかり、概念や雪月の新録でもあろうものなら、即座に東京駅から新幹線だっただけに一安心でした。
イベント終わりにはお土産として、キャラ1で配布された小冊子を貰いました。実はこれ、結構期待していたところがあって、前述の打算はまさしくこの冊子の存在だった。キャラ1のtときは忙しくて貰いそびれていたから、何とかなって良かったです。
ソフマップでのイベントが終わり、次の移動先まで時間が合ったから、フローラル・フローラブのコラボカフェに行きました。13時半ぐらいに行って、14時からの整理券が取れたんだったかな? あまりコラボカフェの類は興味が無いのだけど、そこでしか貰えないシールがないと応募できないものがあると言われては、流石に行かざるを得ません。
それでまあ、適当に時間を潰して14時。コラボカフェが開催されているCafe&Bar Sixteenは、エロゲ関係だとお馴染みの場所ですね。3階だったかのイベントフロアみたいな場所で、月末にはエロゲ関係のイベントが開催されており、VA系なら円交少女なんかのトークショーもここでしたか。まあ、カフェ自体は2階なんですけどね。
料金先払で食べたいメニューを頼んで、待ち札を貰って待つ。コラボメニューということでそこそこ値が張ってるんだけど、内容自体はなんてことない、ココアパウダーでキャラの絵を描いたパンケーキだったり、既成品のケーキだったり、キャラをイメージしたとか言うドリンクだったりと、まあ、よくある感じの奴です。特にパンケーキはここのコラボだと毎回あるような気がしますけど、単にキャラの絵を降りかけるだけの、使い回しみたいなものだね。
注文はドリンクが最初に来るのは良いんだけど、次に来たのはケーキと、デザートっぽいのが先に来ました。まあ、パンケーキだってクリーム添えだからスイーツには違いないけど、これは要するに、ケーキは既成品だから、ケースから出すだけで提供できる、それ故の速さでしょうね。まあ、ケースか冷蔵庫かは知りませんけど、反面、パンケーキは業務用のを解凍して、ヒロインの顔をデコレーションしなければならないので、多少の時間が掛かるのでしょう。
味はまあ……メイドカフェレベルかなぁ。いや、最近メイドカフェ行ってないので何とも言えないんだけど、普段カフェとバー営業してるとは思えない程度のレベルだったかな。ufotable並とは言わないが、もうちょっとクオリティの高いものを期待していた。
秋葉原って、まあ、有象無象のメイドカフェはともかく、カフェとか喫茶店のレベルがそこそこ高いんですよ。それに、折角金払ってるなら美味いもの食べたいじゃないですか。スタチャカフェとかさ、なかなか創意工夫に富んだところもあるんだから、もうちょっと何とかして欲しいなぁと。ケーキはまだしも食べられる味だったけど、パンケーキの方は……うん。アキバは結構ホットケーキも美味い土地柄だから、あんなの出してるようじゃ、ただのオタク騙しだよ。しかし、カツカレー始めました、という張り紙はちょっと気になる。どんなカツカレーを出してくるんだろうか。
そんなことを考えながらフロフロカフェを後にして、最後の目的地に向かうのだけど、長くなったので明日の日記で書くことにします。
千の刃濤、桃花染の皇姫 体験版感想
2016年5月3日 アニメ・マンガCharacter1でオーガストの無料配布列に並びました。普段は冊子を配っていて、これはユーザー登録しておけば自動的に送られてくるものなのでスルーしてるんですが、今回は新作の先行体験版だから、ちょっと興味があって。流石、オーガストは配り慣れてるというか、特に混乱することもなく爆速で配布を終えていました。私は物販なんかも割とセット販売とかを許容する方なので、バラ売りでダラダラやるよりも、サッと終わってくれた方が嬉しいんだよね。
今回もあったでしょ、バラ売りで点数多すぎて捌ききれず、そのくせブースイベントをやるからって理由で列形成を打ち切ったメーカーが。どことは言わないが。
まあ、そんな訳でオーガストの新作千の刃濤、桃花染の皇姫の体験版になります。体験版というと、とかくCDケースやトールケース、あるいは紙ケースに入ったものなどを思い浮かべますが、今回は紙ケースで、長い紙を何枚も折りたたんだ、古風な書みたいな作りになっていました。紙テープで封印が施されており、何だか密書みたいですね。
私は公式サイトをチラ見して、後はキャストを確認するぐらいしか新作の情報を集めてなかったんだけど、雰囲気から和風ファンタジーみたいなものだと思っていたし、けよりなよりはユースティアに近いと感じていた。とはいえ、ストーリーを詳しく把握してなかったから、どんな話なのかというのは知らなかったんだよね。
だから、体験版を初めていきなり戦争の描写から始まったのは驚いたし、ああ、こんなにハードな話なのかと、少し身構えてしまった。前作の大図書館がユースティアの反動で、かなりライトな学園モノに仕上がっていたから、今度はもう一度シリアスに戻って、ということなんだろうか?
ただ、その戦争パートで驚いたのが、作品の世界観なんですよ。見た目が和風ですから、例えばうたわれるものですとか、そういうものをイメージしていたら、いきなりマシンガンが火を噴くは、爆撃で街は壊滅させられるはで、近代的というか現代的な描写が出てくるんですよね。果ては、本編パートだと街に自動車が走っていて、部屋には薄型テレビがあるは、テレビでは人気アイドル歌手が歌を披露してる始末。
どうやら主人公とメインヒロインの属する皇国が呪術などを信仰する、信仰するっていうか現実の力として存在する国家だったのに対し、攻め込んできた敵国が現代兵器を多用する科学国家だったようで。つまり、和風に見せかけて、実はそうでもなかったと言うこと。
事前に調べてなかったのもあるけど、マシンガンや車には驚きましたね。普通の白いバンが走っている和風ファンタジー世界ってなにさ、みたいな。それでいて主人公達のメイン装備は刀だっていうんだから、その刀で車をぶった斬ったりするんだから、なんとも不思議な世界観を構築したものですよ。
主人公は武人といわれる役職……身分といった方が良いか? とにかく刀を持って戦う人なんだけど、物語の序盤に颯爽と登場して、圧倒的な強さでメインヒロインを守ります。立ち振る舞いも声も大人びていて、職業軍人みたいなものだから、たとえばユースティアのカイムみたいな、どことない少年っぽさを残す顔立ちに比べると、青年将校みたいな雰囲気を感じ取ることが出来た。
おお、今回の主人公は大人の男か! と、感心した野も束の間。
何とビックリ、主人公はメインヒロインと一緒に学院に通い始めたんですね。いえ、元々主人公が通っていた学院に、メインヒロインが通い始めたというのが正しいんだけど、え、お前、その形と声で学生だったの!?と、それはそれはもうビックリしましたよ。
エロゲってのは画一的な世界観が多いし、好まれるので、オーガストはかなり大胆な物を作ってきたな、というのが今現在の感想です。話は確かにシリアスだけど、ユースティアほど陰惨ではなく、一応は戦後の話ですから、奇妙な安定感の中にある。正直、オーガストの作品でなければ購入を検討するには至らないだろうな、と思うほどには無理があるように感じます。確かに要所要所は面白いし、体験版のラストも、続きが気になる終わり方ではあるんだけど、何かこう、あらゆるものが中途半端といいますか。
戦争物をやりたいのか、学園モノをやりたいのか、アクション活劇をやりたいのか、よく分からない。とりあえずはそんな印象です。
そして私は、共和国の一兵士としてエルザ様の下で戦いたいと、そう思いました。
今回もあったでしょ、バラ売りで点数多すぎて捌ききれず、そのくせブースイベントをやるからって理由で列形成を打ち切ったメーカーが。どことは言わないが。
まあ、そんな訳でオーガストの新作千の刃濤、桃花染の皇姫の体験版になります。体験版というと、とかくCDケースやトールケース、あるいは紙ケースに入ったものなどを思い浮かべますが、今回は紙ケースで、長い紙を何枚も折りたたんだ、古風な書みたいな作りになっていました。紙テープで封印が施されており、何だか密書みたいですね。
私は公式サイトをチラ見して、後はキャストを確認するぐらいしか新作の情報を集めてなかったんだけど、雰囲気から和風ファンタジーみたいなものだと思っていたし、けよりなよりはユースティアに近いと感じていた。とはいえ、ストーリーを詳しく把握してなかったから、どんな話なのかというのは知らなかったんだよね。
だから、体験版を初めていきなり戦争の描写から始まったのは驚いたし、ああ、こんなにハードな話なのかと、少し身構えてしまった。前作の大図書館がユースティアの反動で、かなりライトな学園モノに仕上がっていたから、今度はもう一度シリアスに戻って、ということなんだろうか?
ただ、その戦争パートで驚いたのが、作品の世界観なんですよ。見た目が和風ですから、例えばうたわれるものですとか、そういうものをイメージしていたら、いきなりマシンガンが火を噴くは、爆撃で街は壊滅させられるはで、近代的というか現代的な描写が出てくるんですよね。果ては、本編パートだと街に自動車が走っていて、部屋には薄型テレビがあるは、テレビでは人気アイドル歌手が歌を披露してる始末。
どうやら主人公とメインヒロインの属する皇国が呪術などを信仰する、信仰するっていうか現実の力として存在する国家だったのに対し、攻め込んできた敵国が現代兵器を多用する科学国家だったようで。つまり、和風に見せかけて、実はそうでもなかったと言うこと。
事前に調べてなかったのもあるけど、マシンガンや車には驚きましたね。普通の白いバンが走っている和風ファンタジー世界ってなにさ、みたいな。それでいて主人公達のメイン装備は刀だっていうんだから、その刀で車をぶった斬ったりするんだから、なんとも不思議な世界観を構築したものですよ。
主人公は武人といわれる役職……身分といった方が良いか? とにかく刀を持って戦う人なんだけど、物語の序盤に颯爽と登場して、圧倒的な強さでメインヒロインを守ります。立ち振る舞いも声も大人びていて、職業軍人みたいなものだから、たとえばユースティアのカイムみたいな、どことない少年っぽさを残す顔立ちに比べると、青年将校みたいな雰囲気を感じ取ることが出来た。
おお、今回の主人公は大人の男か! と、感心した野も束の間。
何とビックリ、主人公はメインヒロインと一緒に学院に通い始めたんですね。いえ、元々主人公が通っていた学院に、メインヒロインが通い始めたというのが正しいんだけど、え、お前、その形と声で学生だったの!?と、それはそれはもうビックリしましたよ。
エロゲってのは画一的な世界観が多いし、好まれるので、オーガストはかなり大胆な物を作ってきたな、というのが今現在の感想です。話は確かにシリアスだけど、ユースティアほど陰惨ではなく、一応は戦後の話ですから、奇妙な安定感の中にある。正直、オーガストの作品でなければ購入を検討するには至らないだろうな、と思うほどには無理があるように感じます。確かに要所要所は面白いし、体験版のラストも、続きが気になる終わり方ではあるんだけど、何かこう、あらゆるものが中途半端といいますか。
戦争物をやりたいのか、学園モノをやりたいのか、アクション活劇をやりたいのか、よく分からない。とりあえずはそんな印象です。
そして私は、共和国の一兵士としてエルザ様の下で戦いたいと、そう思いました。
イージーモードな人生
2016年3月13日 アニメ・マンガ人生のイージーモードというものには、2通りのパターンが存在する。
1つめは生まれながらにしてのイージー。
家柄や環境に恵まれ、所謂「育ちのいい」人間。あるいは勉学や、運動神経など、人が生きていく上で重要な才能を持って生まれた天才。
2つめは自分で選択したイージー。
山や谷をかぎ分ける能力に長けて、迫り来る困難や逆境への遭遇を回避する、所謂「世渡り上手」という奴だ。
同じイージーモードな人生ではあるが、この2つには決定的な違いがある。
前者は言ってしまえばRPGで最初からレベル10……いや、レベル30ぐらいの状態で始まる人生であり、後者はひたすらはじまりの街とその付近を彷徨っているような人生だ。
最近気付いたのが、後者のイージーモードにはストーリー制限がある。
このモードではこれ以上先のお話には進めません、レベルが、経験が足りませんというのだ。
言ってしまえば低レベルで如何に楽して進んでいくかを追求している訳だから、当然、それが通用しなくなる場面は幾らでもある。
しかし、そもそも。
後者のイージーモードは、進めば進むほど、そういった「展開」と遭遇することがなくなってくるのだ。
レベルも低い、困難な道を通ったこともない、そんな人間にはドラマが生まれない。
イージーモードではない、ノーマルモードを歩んできた者よりも、物語性においては圧倒的に劣っている。
自ら選んだイージーは、生まれ持ったイージーと同じモードを遊べる訳ではない。
ましてや対等の立場になることは、永遠にないだろう。
そして、ノーマルモードやハードモードを歩んできた人達ともまた、対等ではあり得ない。
自分で選択したイージーモード。
そろそろ、選び直すときが来たのではないだろうか?
1つめは生まれながらにしてのイージー。
家柄や環境に恵まれ、所謂「育ちのいい」人間。あるいは勉学や、運動神経など、人が生きていく上で重要な才能を持って生まれた天才。
2つめは自分で選択したイージー。
山や谷をかぎ分ける能力に長けて、迫り来る困難や逆境への遭遇を回避する、所謂「世渡り上手」という奴だ。
同じイージーモードな人生ではあるが、この2つには決定的な違いがある。
前者は言ってしまえばRPGで最初からレベル10……いや、レベル30ぐらいの状態で始まる人生であり、後者はひたすらはじまりの街とその付近を彷徨っているような人生だ。
最近気付いたのが、後者のイージーモードにはストーリー制限がある。
このモードではこれ以上先のお話には進めません、レベルが、経験が足りませんというのだ。
言ってしまえば低レベルで如何に楽して進んでいくかを追求している訳だから、当然、それが通用しなくなる場面は幾らでもある。
しかし、そもそも。
後者のイージーモードは、進めば進むほど、そういった「展開」と遭遇することがなくなってくるのだ。
レベルも低い、困難な道を通ったこともない、そんな人間にはドラマが生まれない。
イージーモードではない、ノーマルモードを歩んできた者よりも、物語性においては圧倒的に劣っている。
自ら選んだイージーは、生まれ持ったイージーと同じモードを遊べる訳ではない。
ましてや対等の立場になることは、永遠にないだろう。
そして、ノーマルモードやハードモードを歩んできた人達ともまた、対等ではあり得ない。
自分で選択したイージーモード。
そろそろ、選び直すときが来たのではないだろうか?
失われた未来を求めて第13話「失われた夏休みを求めて」 考察
2015年8月29日 アニメ・マンガ
失われた未来を求めての13話を繰り返し視聴していた気付いたのだけど、アニメ本編や原作と比較しても違和感ない、つまり、影響がないと思われたこの話、実は大きな見落としというか、可能性が存在するかもしれない。というのも、13話の時間軸におけるゆいは佳織を助けることが出来るのではないか? という疑問に行き当たったのです。一見すると、本編には全く関係ないエピソードだけど、そこに一つの盲点というか、落とし穴というか、逆転のウルトラCに繋がるのではないかと。
どういう事なのか説明していくと、まず、失われた未来を求めての本編におけるゆいの設定と目的、そしてヒロインである佳織の因果と宿命について書く必要がありますね。
先に佳織の話になりますが、彼女は内浜学園に通っていた学生時代、不慮の事故によって植物人間状態となり、目覚めぬままに十数年、あるいは数十年の時を過ごします。そんな佳織を目覚めさせるため、主人公の奏を始めとした友人たちは医学に科学に奔走し、佳織のクローン体から作った少女、古川ゆいを過去に送るのです。
佳織のクローン体は元々自分たちの時代に存在した古川ゆいを解剖・研究して作り上げたもので、たとえゆいが失敗しても、彼女は自動停止モードに入り、やはり奏と仲間たちが別のゆいを作り上げて過去に送るという、無限ループになっています。ループの始まりがどこであったのかは明らかにされてませんが、佳織を救わない限り、ゆいは永遠に同じ時を遡行し続ける運命を科せられているという訳です。
過去に遡行したゆいは当然、佳織を助けるためにあらゆる手を尽くします。ループの始まりと目される世界と、本編のメインとなった時間軸において、佳織はバスの暴走に巻き込まれて植物人間状態になるのですが、たとえば事故に遭う時間、佳織を部室なりに閉じ込めたり、あるいはゆいが佳織と一緒に帰ることで暴走に巻き込まれるのを回避したりしようとするのだけど、その尽くは失敗して、佳織はバス事故以外の原因で帰らぬ人……いえ、目覚めぬ人になります。
ゆいはこの事象を因果の鎖と定義しており、形はどうあれ、佳織は10月14日に何らかの事故で重症を負い、植物人間状態となるのが運命づけられているのです。因果の鎖は強力で、上記したあらゆる回避法が通用しないばかりか、回を重ねるごとによりひどい結果になっているという悪循環。ただし、10月14日の事故を回避することが出来れば、佳織は助かるというのが条件になっていることから、ファイナル・デスティネーションシリーズのようなその場では助かっても死の運命は追いかけてくるという、そういう設定がないのも特徴です。
本編ではゆい、佳織、奏の恋愛模様を交えつつ、ゆいが奏と結ばれることで、逆に言えば佳織が奏に対して失恋することで事故が回避され、佳織が事故に合わなかった世界として時間が経過していきます。その影響で本編のメインの時間軸で事故にあった佳織も目覚めるのですが……まあ、それは本編の話なので今は関係ありません。
一見すると、これが佳織を事故の宿命から救う唯一の方法に思えますが、実は13話のカラクリを利用すれば、上記以外でも佳織を助けることは可能なんじゃないか? というのが今回の本題。
昨日の感想では敢えて触れませんでしたが、13話は一種のタイムリープ、時間遡行が後半のテーマになっており、天文学会の一行は訪れた工場の跡地で、何と80年前に存在した、当時の軍事工場へと迷いこんでしまうのです。それはゆいの存在とAIユニットが大きく関わっているのだけど、AIユニットを扱うことが出来るゆいは、おそらく意図的に過去と未来を繋げることが出来ます。彼女が幽霊の正体と邂逅したことがその証拠で、あのとき、あの空間は間違いなく80年前の過去だった、と言えるでしょう。それは凪沙先輩たちが聞いた旧式ラジオから流れる、戦時中の配給放送からも見て取れます。
そして、このカラクリ、あるいはロジックを利用することで、佳織を救うことが出来るかもしれないのです。
佳織が因果の鎖によって10月14日に事故で眠り姫になるのであれば、10月14日に佳織を存在させなければ、佳織は助かる可能性がある。物理的に隔離しても通用しないのは本編の描写から分かっていますが、時空的に存在しないのであれば、因果の鎖といえど、手出しは出来ないのではないか。13話における軍事工場、あそこは間違いなく80年前の世界ですから、ゆいが再びAIユニットを使って過去に佳織を遡行させることで、現代の10月14日から彼女の存在を一時的に消失させてしまえば、少なくとも佳織の事故は発生しないことになります。
しかも、因果の鎖はあの年の10月14日に佳織が事故に遭うという宿命で、それ以前や、それ以降に影響しないことは本編や原作によって明らかです。であるならば、佳織が10月14日の間、80年前に存在している限り、因果の鎖は彼女に届くことはありません。
これなら佳織は失恋することなく14日を超えることが出来ますし、ゆいや奏が変わりに巻き込まれることもないので、かなり平和的に解決できます。しかも、軍事施設とはいえ、工場の地下部分は比較的綺麗に残っていましたから、80年前が戦中といっても、1日程度ならいても問題じゃないでしょう。今年が戦後70年なのに、80年前って、われめては西暦何年の話なんだとか、そういう疑問は新たに出てきますけど、それはともかくとしても、何故13話の時間軸にいるゆいは、この方法を取らなかったのか? という疑問の方が圧倒的に大きい。
13話は後付なんだから仕方ないと言ってしまえばそれまでだけど、佳織の人生が掛かっていることですから、文化祭前とはいえ、どうにかして説得して、軍事工場に再び連れて行くことは不可能じゃないでしょう。AIユニットは凪沙が所持していますし、時間遡行についても問題ありません。
一つの可能性として、時間遡行中は現代において時間経過が起こってないのではないか? というのがありますけど、作之進とワインセラーで遭遇した描写を見る限り、ゆいたちが過去にいる間も、現代は時間が進行していたと考えるのが自然です。
因果の鎖に対向する唯一の手段は時空間への逃避だった……仮説に過ぎませんが、SF的に格好いいので、私はこの説を押して行きたいと思います。
どういう事なのか説明していくと、まず、失われた未来を求めての本編におけるゆいの設定と目的、そしてヒロインである佳織の因果と宿命について書く必要がありますね。
先に佳織の話になりますが、彼女は内浜学園に通っていた学生時代、不慮の事故によって植物人間状態となり、目覚めぬままに十数年、あるいは数十年の時を過ごします。そんな佳織を目覚めさせるため、主人公の奏を始めとした友人たちは医学に科学に奔走し、佳織のクローン体から作った少女、古川ゆいを過去に送るのです。
佳織のクローン体は元々自分たちの時代に存在した古川ゆいを解剖・研究して作り上げたもので、たとえゆいが失敗しても、彼女は自動停止モードに入り、やはり奏と仲間たちが別のゆいを作り上げて過去に送るという、無限ループになっています。ループの始まりがどこであったのかは明らかにされてませんが、佳織を救わない限り、ゆいは永遠に同じ時を遡行し続ける運命を科せられているという訳です。
過去に遡行したゆいは当然、佳織を助けるためにあらゆる手を尽くします。ループの始まりと目される世界と、本編のメインとなった時間軸において、佳織はバスの暴走に巻き込まれて植物人間状態になるのですが、たとえば事故に遭う時間、佳織を部室なりに閉じ込めたり、あるいはゆいが佳織と一緒に帰ることで暴走に巻き込まれるのを回避したりしようとするのだけど、その尽くは失敗して、佳織はバス事故以外の原因で帰らぬ人……いえ、目覚めぬ人になります。
ゆいはこの事象を因果の鎖と定義しており、形はどうあれ、佳織は10月14日に何らかの事故で重症を負い、植物人間状態となるのが運命づけられているのです。因果の鎖は強力で、上記したあらゆる回避法が通用しないばかりか、回を重ねるごとによりひどい結果になっているという悪循環。ただし、10月14日の事故を回避することが出来れば、佳織は助かるというのが条件になっていることから、ファイナル・デスティネーションシリーズのようなその場では助かっても死の運命は追いかけてくるという、そういう設定がないのも特徴です。
本編ではゆい、佳織、奏の恋愛模様を交えつつ、ゆいが奏と結ばれることで、逆に言えば佳織が奏に対して失恋することで事故が回避され、佳織が事故に合わなかった世界として時間が経過していきます。その影響で本編のメインの時間軸で事故にあった佳織も目覚めるのですが……まあ、それは本編の話なので今は関係ありません。
一見すると、これが佳織を事故の宿命から救う唯一の方法に思えますが、実は13話のカラクリを利用すれば、上記以外でも佳織を助けることは可能なんじゃないか? というのが今回の本題。
昨日の感想では敢えて触れませんでしたが、13話は一種のタイムリープ、時間遡行が後半のテーマになっており、天文学会の一行は訪れた工場の跡地で、何と80年前に存在した、当時の軍事工場へと迷いこんでしまうのです。それはゆいの存在とAIユニットが大きく関わっているのだけど、AIユニットを扱うことが出来るゆいは、おそらく意図的に過去と未来を繋げることが出来ます。彼女が幽霊の正体と邂逅したことがその証拠で、あのとき、あの空間は間違いなく80年前の過去だった、と言えるでしょう。それは凪沙先輩たちが聞いた旧式ラジオから流れる、戦時中の配給放送からも見て取れます。
そして、このカラクリ、あるいはロジックを利用することで、佳織を救うことが出来るかもしれないのです。
佳織が因果の鎖によって10月14日に事故で眠り姫になるのであれば、10月14日に佳織を存在させなければ、佳織は助かる可能性がある。物理的に隔離しても通用しないのは本編の描写から分かっていますが、時空的に存在しないのであれば、因果の鎖といえど、手出しは出来ないのではないか。13話における軍事工場、あそこは間違いなく80年前の世界ですから、ゆいが再びAIユニットを使って過去に佳織を遡行させることで、現代の10月14日から彼女の存在を一時的に消失させてしまえば、少なくとも佳織の事故は発生しないことになります。
しかも、因果の鎖はあの年の10月14日に佳織が事故に遭うという宿命で、それ以前や、それ以降に影響しないことは本編や原作によって明らかです。であるならば、佳織が10月14日の間、80年前に存在している限り、因果の鎖は彼女に届くことはありません。
これなら佳織は失恋することなく14日を超えることが出来ますし、ゆいや奏が変わりに巻き込まれることもないので、かなり平和的に解決できます。しかも、軍事施設とはいえ、工場の地下部分は比較的綺麗に残っていましたから、80年前が戦中といっても、1日程度ならいても問題じゃないでしょう。今年が戦後70年なのに、80年前って、われめては西暦何年の話なんだとか、そういう疑問は新たに出てきますけど、それはともかくとしても、何故13話の時間軸にいるゆいは、この方法を取らなかったのか? という疑問の方が圧倒的に大きい。
13話は後付なんだから仕方ないと言ってしまえばそれまでだけど、佳織の人生が掛かっていることですから、文化祭前とはいえ、どうにかして説得して、軍事工場に再び連れて行くことは不可能じゃないでしょう。AIユニットは凪沙が所持していますし、時間遡行についても問題ありません。
一つの可能性として、時間遡行中は現代において時間経過が起こってないのではないか? というのがありますけど、作之進とワインセラーで遭遇した描写を見る限り、ゆいたちが過去にいる間も、現代は時間が進行していたと考えるのが自然です。
因果の鎖に対向する唯一の手段は時空間への逃避だった……仮説に過ぎませんが、SF的に格好いいので、私はこの説を押して行きたいと思います。
失われた未来を求めて第13話「失われた夏休みを求めて」 感想
2015年8月28日 アニメ・マンガ
われめてこと、失われた未来を求めての全巻購入有償特典Blu-rayDISCが本日届きました。所謂、TV未放送話という奴ですが、われめての場合は最終巻に収録とかではなく、BDを全巻購入した上で、定額小為替を同封しての有償申込という形式を取っており、定額小為替とかいつの時代の同人誌通販だよ! と、思った記憶があります。
最終巻が発売されたのは5月末、申込締切は6月下旬だったはずだから、約2ヵ月後の到着になりますけど、推定されるBDの売り上げ枚数から考えると、やや遅くなったかな? 公式も7月の中旬に、ツイッターで発送の遅れを詫びてましたし。
あるいは9月到着などの延期もあり得ると覚悟してたんだけど、昨日でしたか、ヤマト運輸から荷物お届けのメールが来ましてね。ヤマトのメンバーに登録していたから良かったようなものの、公式サイトもツイッターも一切告知なしですから、中には突然届いたという人もいたんじゃないでしょうか? 宅急便の品名はシンプルに作品名が書かれており、まあ、宅配テロと言うほどではなかったにせよ、この辺り、キングは少し適当ですね。
特典の仕様としてもこれといって際だった部分はなく、流石に本編のBDと同じくデジパックやスリーブケースというわけではなかったし、最近よくある、漫画やラノベといった書籍にBDが同梱される際に使われる、ありふれた白ケースでした。もっとも、これに関しては紙ジャケットという可能性や、BDに不向きな不織布ケースなんてこともあり得ただけに、むしろ、2200円のクオリティとしてはちゃんとしてくれた方なのかなと思います。
パッケージ自体は作品のキービジュアルとを使用しており、特典の内容に沿ったキャッチーな描き下ろしとかではないものの、まあ、許容範囲内かなと。勿論、個人的な希望をいえば描き下ろしが良かったし、この作品は結構オーディオコメンタリーが面白かったので、そういうのも欲しかったけど……あまり多くを望んでも仕方ないでしょう。
それに、想像していたよりも特典の内容が、これまで書いたとおり仕様という意味ではありませんが、未放送話の新作アニメとしては、かなり出来が良かったので、私自身が好意的になっているのかも知れません。
特典の内容は前述のオーディオコメンタリーなどでも少し触れられていましたが、キャッキャウフフな話と聞いていたから、本編では出来なかったサービス回が来るものだと思っていました。近年のアニメにおけるサービス回とは、ヒロインたちが海やプールで水着姿になったり、温泉などに全裸で……温泉なんだから裸になるのは当たり前ですが、とにかく入浴シーンなどを披露する、主に男性視聴者に対して昔ながらのエロを提供する話です。
まあ、喜ぶのが男性だけとは限らないけど、そういう事例については置いといて、この失われた未来を求めては、所謂エロゲを原作とするアニメでありながら、本編中にそういったサービスシーンが殆どないんですよね。一度だけ、ゆいと凪沙先輩が風呂に入りましたけど、まあ、それぐらいでしょうか。本編のメインストーリーが濃くて、内容がギッシリしてるのと、原作の時期が文化祭の開催される秋口で、海やプールにいったりするイベントがなかった、というのも大きいのかな?
元々、エロゲ原作だからエロが多いのかと言えば、そんなことは全然なくて、ヨスガノソラがアニメで改悪されたから誤解されがちだけど、TVアニメ化するようなエロゲ作品は、拘りがあるかないかはともかく、そこまでエロを重視した作品でもないんですよ。まあ、われめてとヨスガは製作も制作も同じ会社なんですけどね。
だから、この手の特典アニメで、本編において不足していたエロ成分を補うというのはよくある話で、われめてと同時期に放送されていたグリザイアなどは、あからさまなエロを前面に押し出したショートアニメが円盤の特典に付いてたりしますから、手法、あるいは商法としては極めて典型的な、テンプレートみたいなものなのでしょう。それを否定するつもりはないし、私にしたところで、今回の特典にそういうのを期待していた一面はあったから、13話のタイトルが「失われた夏休みを求めて」だったときは、やはり来たか、という気分になりました。
さて、第13話「失われた夏休みを求めて」なのですが……いや、エロかったですよ。ヒロインたちによる脱衣所での脱衣シーンから始まり、温泉に入浴、翌日は海に水着と、これでもかというぐらい前半に詰め込んできました。
私が非常に感心したのは、エロいこと以上に、そのエロの魅せ方でした。こういうアニメのサービス回だと、作り手はとかく勘違いしがちというか、とりあえず乳首と裸を出しておけばいいみたいな風潮があって、やれ乳首券が発行されたとか、湯気や光が消えたとか、そんな話ばっかりですよね? まあ、それは本編映像の修正ですし、われめてにもありましたけど、新規の映像特典だと、主人公とエロいことをしていればいい、ラッキースケベを超えた絡みを見せておけば……というのが非常に多くて。私はそれを安易だと思ってるし、エロってそんな単純かな? と、考えてもいたわけです。
われめてが優れていたのは、そんなエロに対するテンプレートを踏襲するわけでもなく、如何にヒロインたちをエロく魅せるかに拘っている点が、強く伝わってきたからです。主人公とのエロハプニングシーンや、もっといえば実際に致しちゃうようなこともせず、入浴時や水着姿におけるアングルですとか、どう描けばヒロインたちはエロく映るのかという、角度への挑戦があったように思う。ロリ巨乳をお持ちの凪沙先輩が主な対象だったけど、いや、水着の際どさもさることながら、凪沙先輩の角度エロは本当に見事だった。脱いでる入浴シーンよりも断然にエロいってのが、本当に素晴らしい。だって、特に主人公と絡んでエロいことしてるわけでもないんですよ? 浜辺で寝てたり、ゆいと話したりしてるシーンだけで、あそこまで凪沙先輩のエロスを醸し出せるとか、はいはい、乳首券嬉しいねーとか擦れていた私には、結構な衝撃でした。
そして何より、こうしたサービス回はあくまで物語の前半であって、本編あるいは本題ともいうべき話は、ちゃんと別個に用意されていました。てっきり、主人公の奏がひたすらヒロインたちにとイチャイチャエロエロするようなものを予想していた身としては、良い意味で裏切られたというか、期待していた以上ものがやってきた感じでした。
勿論、本編や原作には海へ行くようなエピソードはないわけですから、完全オリジナルなんですけど、これが大変丁寧に作られていて、エロければいいんでしょ、みたいな適当さが全く感じられなかったのが凄く嬉しいんです。だって、話に中身があったんだもの。
先に設定の方を書いておくべきでしたが、上記した通り、われめての舞台というか季節は、アニメ本編や原作だと文化祭の開催される秋口で、海に行くような季節じゃないんですが、13話だと、ゆいがAIユニットに触れて記憶を取り戻した時点で、何故か7月13日と夏休み直前になっており、彼女が本来現れなければ行けない時間軸から、3ヵ月以上もズレが存在します。当然これは海に行くためのオリジナル展開ですが、ゆいは真面目だから、この大幅にずれた時間軸で、自分はどうすれば良いのか悩むんだけど、別に何故ゆいは7月に来てしまったのか? とか、そういう謎を解明する話ではありません。むしろ、ゆいは周囲の勧めというか、流れもあって、自分が経験したことがない夏休みというものを満喫してみようと思い、そこから海で遊んだりに繋がっていく訳です。
天文学会の合宿……といっても、彼らの中でまともに星を観たりするのは奏だけですから、殆ど旅行なのですけど、その名目で凪沙先輩というか、華宮家が所有する別荘を訪れる一行。別荘とはいうものの、元々は凪沙先輩の曾祖母が住んでいたところで、別荘というには立派すぎる、大邸宅やお屋敷の部類に入ります。モデルはおそらく、東京都の旧古河庭園。古河財閥の3代目当主で、男爵だった方の邸宅ですね。今は国有財産として、都立公園になっているはず。古川ゆいと名前を引っかけたのだろうか。
凪沙先輩の曾祖母は原作にも登場しないオリジナルの設定になるわけですが、彼女は華宮研究所の創設者で、当時としては珍しい女性の研究者だったと回想されていました。別荘の近くには軍事工場があり、大日本帝国軍向けの技術開発が行われていたようです。近代の華宮家は女流の家系だったようで、案外、凪沙先輩の許嫁云々も入り婿なのかも知れませんね。別荘に飾ってあった軍刀を観る限り、曾祖父は軍人だったようですが、果たして……
海を満喫する天文学会一行ですが、そこに生憎の雨が降ってきて、雨宿りとして件の軍事工場へと避難します。ここからが後半というか、この話のメインストーリーになるわけです。冒険心から工場内を探検していると地下への入口を発見、侵入するのだけど……戦時中の軍事工場で、地下室ならぬ広大な地下フロアとか、もう、人体実験の一つも行われてたって不思議じゃないですよね。
実際、この地下部分が何をするものだったのかは明かされてませんが、愛理はその深さから防空壕だったのではないかと推察してますし、広さは某総統地下壕か、それ以上はあるでしょう。しかも、まだ電気が通っている。
多分、地上が軍事工場ということから考えるに、地上部分が空爆なりで吹っ飛ばされた場合でも、研究が続けられるよう二重構造の施設にしていた、というのが正解なのではないでしょうか? あるいは地上施設を建造や製造に当てて、地下は研究と開発に使っていたとかね。妄想は広がるけど、明確な答えを出さないまま、奏やゆいたちは施設内を見て回ります。
牢屋のような鉄格子の部屋もあれば、医務室のような部屋もあって、御手洗いの蛇口は水が滴ってたけど、何十年も放置されていた施設にしては不可解ですよね。電気が通っていたり、水道があることは良いのだけど、電球が切れていないのは不自然だし、捻ってもいない蛇口から水が滴るのはおかしいです。奏たちはそれほど深く考えてなかったけど、実はこれにも理由があったのだと、後々になって分かる。そういう、一つ一つの描写が細かくて、ちゃんと話と映像が作り込まれているんだよね。
施設内を見て回る最中、奏たちは自分たち以外の人影を、幻影と表記してもいいものを視線の端に捉えたり、佳織に至ってはマジマジと見てしまう。幽霊かと騒ぐ一行なのだけど、ゆいだけは一つの確信があって……彼女は遂に幽霊の正体を突き止める。
前半のキャッキャウフフなサービス回から、よくもまあ、ここまでホラーとSFを意識した展開に持って行けるものだけど感心しました。話として物凄く面白いし、作りが非常に丁寧で。われめては本編が複雑なSFだけど、それに対して違和感のない、本編や原作と並べても遜色ない物語を作ってきたのはかなり評価できると思います。
幽霊の正体は本編にも原作にも登場しないオリジナルキャラクターになるわけですが、ゆいと彼女の出会いや会話にも良かったし、出会いと邂逅に対する意味の持たせ方も、非常に好きな流れだった。
更に、ラストシーンを未来組が締めるってのもにくい演出でしたよ。序盤だけど花梨も登場したし、出てなかったのは佳織ママンの詩織さんぐらいか。パケ裏にはクレジットされてたんだけどね。
AIユニットは意外なほど長い歴史を持つものだということも判明して、それこそ数百年単位の歴史があってもおかしくはないみたいだけど、ゆいの言っていたとおりオーパーツとして解明には今後も長い年月を有するのでしょう。本編で、最初のゆいを作ったのは詩織さんだと言われていて、AIユニットから作り上げたのではないかと奏は推測していたけど、じゃあ、そのAIユニットはどこから来たのか? 誰が作ったのか、という話には踏み込んでなかったからね。華宮家に先祖代々伝わる宇宙人の秘密道具ぐらいに考えていた方が、夢があるのかも知れません。
そういえば、合宿のお目付役、あるいは保護者役として華宮家の執事、本城作之進が同行していましたね。凪沙の曾祖母について語ってましたけど、彼が曾祖母と同世代ってのはあり得ないし、戦前又は戦時中の生まれだとも思えないけど、華宮家の曾祖母が凪沙の生まれた少し後まで存命だったことを考えれば、面識があっても何ら不思議ではない。年齢から言って、凪沙の祖父世代、父祖の代から使えている人だろうからね。
元より好きな作品で、楽しみにしていたとは言え、ここまで大満足できる内容だとは思ってなかったから、今はとても気分が良いです。好きな作品を好きだと言えることは、本当に嬉しいものだよね。
そういえば、同封の用紙にBD全巻購入のお礼と特典申込のお礼、それから得点層藤木の贈れに対するお詫び状みたいのが入ってたけど、締めの文章が今後とも、「失われた未来を求めて」の応援をどうぞよろしくお願い致しますになっていて、思わず、「え、これ以上なにか展開あるの?」とか考えちゃいました。勿論、定型文だというのは分かってますが、好きな作品ですから、ムック本の一つでも出ればそれだけで嬉しいし、続編や2期はないだろうけど、なにかしらの形で続いてくれたら良いなと、そんな希望を抱きました。
私はやっぱり、何だかんだでスタチャっ子なのかな。逃げられないものです。
最終巻が発売されたのは5月末、申込締切は6月下旬だったはずだから、約2ヵ月後の到着になりますけど、推定されるBDの売り上げ枚数から考えると、やや遅くなったかな? 公式も7月の中旬に、ツイッターで発送の遅れを詫びてましたし。
あるいは9月到着などの延期もあり得ると覚悟してたんだけど、昨日でしたか、ヤマト運輸から荷物お届けのメールが来ましてね。ヤマトのメンバーに登録していたから良かったようなものの、公式サイトもツイッターも一切告知なしですから、中には突然届いたという人もいたんじゃないでしょうか? 宅急便の品名はシンプルに作品名が書かれており、まあ、宅配テロと言うほどではなかったにせよ、この辺り、キングは少し適当ですね。
特典の仕様としてもこれといって際だった部分はなく、流石に本編のBDと同じくデジパックやスリーブケースというわけではなかったし、最近よくある、漫画やラノベといった書籍にBDが同梱される際に使われる、ありふれた白ケースでした。もっとも、これに関しては紙ジャケットという可能性や、BDに不向きな不織布ケースなんてこともあり得ただけに、むしろ、2200円のクオリティとしてはちゃんとしてくれた方なのかなと思います。
パッケージ自体は作品のキービジュアルとを使用しており、特典の内容に沿ったキャッチーな描き下ろしとかではないものの、まあ、許容範囲内かなと。勿論、個人的な希望をいえば描き下ろしが良かったし、この作品は結構オーディオコメンタリーが面白かったので、そういうのも欲しかったけど……あまり多くを望んでも仕方ないでしょう。
それに、想像していたよりも特典の内容が、これまで書いたとおり仕様という意味ではありませんが、未放送話の新作アニメとしては、かなり出来が良かったので、私自身が好意的になっているのかも知れません。
特典の内容は前述のオーディオコメンタリーなどでも少し触れられていましたが、キャッキャウフフな話と聞いていたから、本編では出来なかったサービス回が来るものだと思っていました。近年のアニメにおけるサービス回とは、ヒロインたちが海やプールで水着姿になったり、温泉などに全裸で……温泉なんだから裸になるのは当たり前ですが、とにかく入浴シーンなどを披露する、主に男性視聴者に対して昔ながらのエロを提供する話です。
まあ、喜ぶのが男性だけとは限らないけど、そういう事例については置いといて、この失われた未来を求めては、所謂エロゲを原作とするアニメでありながら、本編中にそういったサービスシーンが殆どないんですよね。一度だけ、ゆいと凪沙先輩が風呂に入りましたけど、まあ、それぐらいでしょうか。本編のメインストーリーが濃くて、内容がギッシリしてるのと、原作の時期が文化祭の開催される秋口で、海やプールにいったりするイベントがなかった、というのも大きいのかな?
元々、エロゲ原作だからエロが多いのかと言えば、そんなことは全然なくて、ヨスガノソラがアニメで改悪されたから誤解されがちだけど、TVアニメ化するようなエロゲ作品は、拘りがあるかないかはともかく、そこまでエロを重視した作品でもないんですよ。まあ、われめてとヨスガは製作も制作も同じ会社なんですけどね。
だから、この手の特典アニメで、本編において不足していたエロ成分を補うというのはよくある話で、われめてと同時期に放送されていたグリザイアなどは、あからさまなエロを前面に押し出したショートアニメが円盤の特典に付いてたりしますから、手法、あるいは商法としては極めて典型的な、テンプレートみたいなものなのでしょう。それを否定するつもりはないし、私にしたところで、今回の特典にそういうのを期待していた一面はあったから、13話のタイトルが「失われた夏休みを求めて」だったときは、やはり来たか、という気分になりました。
さて、第13話「失われた夏休みを求めて」なのですが……いや、エロかったですよ。ヒロインたちによる脱衣所での脱衣シーンから始まり、温泉に入浴、翌日は海に水着と、これでもかというぐらい前半に詰め込んできました。
私が非常に感心したのは、エロいこと以上に、そのエロの魅せ方でした。こういうアニメのサービス回だと、作り手はとかく勘違いしがちというか、とりあえず乳首と裸を出しておけばいいみたいな風潮があって、やれ乳首券が発行されたとか、湯気や光が消えたとか、そんな話ばっかりですよね? まあ、それは本編映像の修正ですし、われめてにもありましたけど、新規の映像特典だと、主人公とエロいことをしていればいい、ラッキースケベを超えた絡みを見せておけば……というのが非常に多くて。私はそれを安易だと思ってるし、エロってそんな単純かな? と、考えてもいたわけです。
われめてが優れていたのは、そんなエロに対するテンプレートを踏襲するわけでもなく、如何にヒロインたちをエロく魅せるかに拘っている点が、強く伝わってきたからです。主人公とのエロハプニングシーンや、もっといえば実際に致しちゃうようなこともせず、入浴時や水着姿におけるアングルですとか、どう描けばヒロインたちはエロく映るのかという、角度への挑戦があったように思う。ロリ巨乳をお持ちの凪沙先輩が主な対象だったけど、いや、水着の際どさもさることながら、凪沙先輩の角度エロは本当に見事だった。脱いでる入浴シーンよりも断然にエロいってのが、本当に素晴らしい。だって、特に主人公と絡んでエロいことしてるわけでもないんですよ? 浜辺で寝てたり、ゆいと話したりしてるシーンだけで、あそこまで凪沙先輩のエロスを醸し出せるとか、はいはい、乳首券嬉しいねーとか擦れていた私には、結構な衝撃でした。
そして何より、こうしたサービス回はあくまで物語の前半であって、本編あるいは本題ともいうべき話は、ちゃんと別個に用意されていました。てっきり、主人公の奏がひたすらヒロインたちにとイチャイチャエロエロするようなものを予想していた身としては、良い意味で裏切られたというか、期待していた以上ものがやってきた感じでした。
勿論、本編や原作には海へ行くようなエピソードはないわけですから、完全オリジナルなんですけど、これが大変丁寧に作られていて、エロければいいんでしょ、みたいな適当さが全く感じられなかったのが凄く嬉しいんです。だって、話に中身があったんだもの。
先に設定の方を書いておくべきでしたが、上記した通り、われめての舞台というか季節は、アニメ本編や原作だと文化祭の開催される秋口で、海に行くような季節じゃないんですが、13話だと、ゆいがAIユニットに触れて記憶を取り戻した時点で、何故か7月13日と夏休み直前になっており、彼女が本来現れなければ行けない時間軸から、3ヵ月以上もズレが存在します。当然これは海に行くためのオリジナル展開ですが、ゆいは真面目だから、この大幅にずれた時間軸で、自分はどうすれば良いのか悩むんだけど、別に何故ゆいは7月に来てしまったのか? とか、そういう謎を解明する話ではありません。むしろ、ゆいは周囲の勧めというか、流れもあって、自分が経験したことがない夏休みというものを満喫してみようと思い、そこから海で遊んだりに繋がっていく訳です。
天文学会の合宿……といっても、彼らの中でまともに星を観たりするのは奏だけですから、殆ど旅行なのですけど、その名目で凪沙先輩というか、華宮家が所有する別荘を訪れる一行。別荘とはいうものの、元々は凪沙先輩の曾祖母が住んでいたところで、別荘というには立派すぎる、大邸宅やお屋敷の部類に入ります。モデルはおそらく、東京都の旧古河庭園。古河財閥の3代目当主で、男爵だった方の邸宅ですね。今は国有財産として、都立公園になっているはず。古川ゆいと名前を引っかけたのだろうか。
凪沙先輩の曾祖母は原作にも登場しないオリジナルの設定になるわけですが、彼女は華宮研究所の創設者で、当時としては珍しい女性の研究者だったと回想されていました。別荘の近くには軍事工場があり、大日本帝国軍向けの技術開発が行われていたようです。近代の華宮家は女流の家系だったようで、案外、凪沙先輩の許嫁云々も入り婿なのかも知れませんね。別荘に飾ってあった軍刀を観る限り、曾祖父は軍人だったようですが、果たして……
海を満喫する天文学会一行ですが、そこに生憎の雨が降ってきて、雨宿りとして件の軍事工場へと避難します。ここからが後半というか、この話のメインストーリーになるわけです。冒険心から工場内を探検していると地下への入口を発見、侵入するのだけど……戦時中の軍事工場で、地下室ならぬ広大な地下フロアとか、もう、人体実験の一つも行われてたって不思議じゃないですよね。
実際、この地下部分が何をするものだったのかは明かされてませんが、愛理はその深さから防空壕だったのではないかと推察してますし、広さは某総統地下壕か、それ以上はあるでしょう。しかも、まだ電気が通っている。
多分、地上が軍事工場ということから考えるに、地上部分が空爆なりで吹っ飛ばされた場合でも、研究が続けられるよう二重構造の施設にしていた、というのが正解なのではないでしょうか? あるいは地上施設を建造や製造に当てて、地下は研究と開発に使っていたとかね。妄想は広がるけど、明確な答えを出さないまま、奏やゆいたちは施設内を見て回ります。
牢屋のような鉄格子の部屋もあれば、医務室のような部屋もあって、御手洗いの蛇口は水が滴ってたけど、何十年も放置されていた施設にしては不可解ですよね。電気が通っていたり、水道があることは良いのだけど、電球が切れていないのは不自然だし、捻ってもいない蛇口から水が滴るのはおかしいです。奏たちはそれほど深く考えてなかったけど、実はこれにも理由があったのだと、後々になって分かる。そういう、一つ一つの描写が細かくて、ちゃんと話と映像が作り込まれているんだよね。
施設内を見て回る最中、奏たちは自分たち以外の人影を、幻影と表記してもいいものを視線の端に捉えたり、佳織に至ってはマジマジと見てしまう。幽霊かと騒ぐ一行なのだけど、ゆいだけは一つの確信があって……彼女は遂に幽霊の正体を突き止める。
前半のキャッキャウフフなサービス回から、よくもまあ、ここまでホラーとSFを意識した展開に持って行けるものだけど感心しました。話として物凄く面白いし、作りが非常に丁寧で。われめては本編が複雑なSFだけど、それに対して違和感のない、本編や原作と並べても遜色ない物語を作ってきたのはかなり評価できると思います。
幽霊の正体は本編にも原作にも登場しないオリジナルキャラクターになるわけですが、ゆいと彼女の出会いや会話にも良かったし、出会いと邂逅に対する意味の持たせ方も、非常に好きな流れだった。
更に、ラストシーンを未来組が締めるってのもにくい演出でしたよ。序盤だけど花梨も登場したし、出てなかったのは佳織ママンの詩織さんぐらいか。パケ裏にはクレジットされてたんだけどね。
AIユニットは意外なほど長い歴史を持つものだということも判明して、それこそ数百年単位の歴史があってもおかしくはないみたいだけど、ゆいの言っていたとおりオーパーツとして解明には今後も長い年月を有するのでしょう。本編で、最初のゆいを作ったのは詩織さんだと言われていて、AIユニットから作り上げたのではないかと奏は推測していたけど、じゃあ、そのAIユニットはどこから来たのか? 誰が作ったのか、という話には踏み込んでなかったからね。華宮家に先祖代々伝わる宇宙人の秘密道具ぐらいに考えていた方が、夢があるのかも知れません。
そういえば、合宿のお目付役、あるいは保護者役として華宮家の執事、本城作之進が同行していましたね。凪沙の曾祖母について語ってましたけど、彼が曾祖母と同世代ってのはあり得ないし、戦前又は戦時中の生まれだとも思えないけど、華宮家の曾祖母が凪沙の生まれた少し後まで存命だったことを考えれば、面識があっても何ら不思議ではない。年齢から言って、凪沙の祖父世代、父祖の代から使えている人だろうからね。
元より好きな作品で、楽しみにしていたとは言え、ここまで大満足できる内容だとは思ってなかったから、今はとても気分が良いです。好きな作品を好きだと言えることは、本当に嬉しいものだよね。
そういえば、同封の用紙にBD全巻購入のお礼と特典申込のお礼、それから得点層藤木の贈れに対するお詫び状みたいのが入ってたけど、締めの文章が今後とも、「失われた未来を求めて」の応援をどうぞよろしくお願い致しますになっていて、思わず、「え、これ以上なにか展開あるの?」とか考えちゃいました。勿論、定型文だというのは分かってますが、好きな作品ですから、ムック本の一つでも出ればそれだけで嬉しいし、続編や2期はないだろうけど、なにかしらの形で続いてくれたら良いなと、そんな希望を抱きました。
私はやっぱり、何だかんだでスタチャっ子なのかな。逃げられないものです。
明日、今日の君に逢えなくても (MF文庫J) 感想
2015年8月26日 アニメ・マンガ
今年はライトノベルに驚かされることが多い。一時期、月刊で150冊は出ていると言われたライトノベルだが、私はこのところあまり買ってないし、読んでいるのも継続して購入しているシリーズか、贔屓の作家が出す新作ぐらいだ。最初にMF文庫のサイトを覗いたとき、私が知りたかったのは僕は友達が少ないの最終巻に関する情報だったし、別に新刊を漁るのが目的ではなかった。故に、私がこの作品と出会ったのは全くの偶然か、はたまた何かの運命がもたらした必然だったのだろう。先程読み終えたばかりだが、感想を書かずにはいられない、久しぶりにそんな心境になったのだから。
前述の通り、私がコミケ明けからしばらくして、ふと、MF文庫のサイトを開いたのははがないの最終巻が遂に出る、という話を耳にしたからだ。はがないに関してはこの日記の本題と関係ないので割愛するが、MF文庫の新刊案内ページというのは、他のレーベルと違って至ってシンプルな掲載順だった。普通なら話題作や人気シリーズなどを優先して目立つ場所に配置しそうなものだが、MF文庫はそうではない。何と、作品名の五十音順なのだ。
たとえば今月の新刊には、何度も書いているがはがないの最終巻や、アニメの二期も発表された緋弾のアリアの最新刊などが刊行されているわけだが、両作品とも作品名の頭文字がは行であることから、掲載位置はかなり下、というか、下から二番目と三番目だ。別にそのこと自体は珍しいと感じただけで、それ以上でもないのだけど、そういった掲載順だからこそ、この作品が目に止まったのかと思うと、少し感じ入るところがありまして。
だって、この作品ってあ行じゃないですか。つまり、余程のことがない限り先頭に掲載されるんですよ。ページ開いて、真っ先に飛び込んでくる作品って、やっぱり印象に残りますよ。
勿論、私の目に止まったのは掲載順が最初だったからでもなくて、表紙のイラストが高野音彦さんだったから、というのもあります。この方は古くからライトノベルでイラストを描かれている方で、有名どころでは電撃文庫のリバーズ・エンドや、桜庭一樹の推定少女、あまり知られてはいませんが、米澤穂信の古典部シリーズ、2巻目に当たる愚者のエンドロール、これの雑誌掲載時のイラストや初版刊行時のカバーなども担当されてるんですよね。
今はすっかりカバーも差し替えられてしまったので、高野版カバーは幻になっていますが、私からすれば、00年代におけるラノベブームの黎明期を代表するイラストレータ一人なんだと思います。
近年はイラストの活動をそれほどされてなくて、本人も久しぶりにラノベの挿絵を担当したとブログ等で書かれてましたが、それだけに珍しく、私の心がひかれたのだと思います。元より高野さんが描かれるイラストは好きでしたが、所謂黎明期から10年以上経った今でも、その色褪せることない魅力に心奪われたのかも知れません。
これだけ書くと、なんだ、イラストが好きで買っただけかと思われそうですが、確かに作品のことを知る切欠と、入口になったのは認めます。ですが、それと同等に作品のあらすじに興味を抱いたのも事実だったりします。そこにSFの香りを感じ取ったから、とでも言いますか……
前置きが長くなりましたが、そろそろ作品の話に入りましょうか。毎回、前置きが長くて全然本題に入らない私ですが、今回は発売したばかりの作品ながら、やや踏み込んだ話を、ネタバレに近い感想という奴を書きます。ここまで読んで、是非作品を購入したいと考えているそこの貴方、そんな人がいるのかは分かりませんが、ここから先は自己の判断で読んで下さい。
上記の通り、この「明日、今日の君に逢えなくても」という作品は、大分類ではSFに位置する物語だと私は考えます。勿論、作者の意図しているジャンルは分かりませんし、MF文庫での紹介は青春群像劇と、ありがちな、あるいは当たり障りのない表現になっています。
ですが、青春群像劇という言葉、もしくは表現は、作品を語る上で、この上ないものだと、読了後の私は思うのです。
本作は、という解離性同一障害、所謂、多重人格をモチーフとした架空の病気が物語のキーとなっています。何故、世間的にも有名な多重人格ではなく、わざわざ架空の病気を設定したのかは、勿論、それがデリケートなことだからと言うのもあるのでしょうが、結論的な理由はあとがきに記されてました。まあ、これは書かなくても良いでしょう。
シノニムという病気の説明は、MF文庫のサイトで無料公開されている立ち読み、つまり、作品の冒頭部分で詳しく解説されていますが、ここで簡単に紹介すると、勝手に治る多重人格です。お医者様による治療法がないだけで死ぬような病ではないし、ある特定の条件が揃えば別人格は消えてしまう、そんな設定。多重人格ほど深刻な理由で発症するわけではなく、その元となった傷、または心残りや悔やみのようなものが解消されれば、主人格はシノニムの人格を必要とせず、必要となくなった人格はいなくなってしまうと、まあ、そういうことです。
物語のヒロインは、このシノニムを患っており、しかも、とある事情からすぐ治るはずの病が完治せず、長期にわたって複数人格を維持しているという状態。ヒロインが多重人格という作品は、それほど数があるとは思えませんが、前例がないこともなく、やや例えとするにはライトすぎる気もしますが、ケロロ軍曹の西澤桃華などが有名でしょうか? 彼女の場合、表と裏、どちらの人格も主人公である冬樹くんのことが好きで、奪い合いなどはせず、時には協力し合って恋路を進んでいます。これがラブコメなら、あるいは複数の人格同士が主人公を奪い合って……なんて展開があるのかも知れませんが、この「明日、今日の君に逢えなくても」の凄いところは、そのどちらにも該当しないことなのです。
「明日、今日の君に逢えなくても」には3人のヒロインが登場します。藍里、茜、蘭香という少女達ですが、ヒロインはイコールで別人格となるため、人間の個体としては1人になります。
それぞれの少女を簡単に紹介すると、藍里は少しあどけなさを残した、可憐な少女らしい少女。茜はスポーティで陸上に打ち込む元気っ子、蘭香はクールで、軽音楽部に所属するロック志向と、まさに三者三様の人格を持っており、作中ではこのいずれかが主人格とされるも、彼女たち自身、記憶を失っているため、誰が主人格か分からない。結果としてシノニムが長引いている……ということらしい。
そんな少女達に対する主人公は、と言えば、ここがこの作品において、私が感心した箇所になるのですが、主人公もまた一人ではないのです。主人公も多重人格なのかと言えばそうではなくて、各ヒロイン(人格)に対する主人公が違うという、これまた珍しい設定なのです。
たとえば、ロックンロールな蘭香編における主人公は、軽音楽部の先輩、男子生徒の悠であり、弾丸少女の茜編では、幼馴染みの少女瑞希が主人公となります。各編の主人公達は、ヒロインを相手に恋や友情の物語を展開していくわけですが、ごく一般的なラノベにおいて、複数のヒロインに対する主人公は大体一人です。
主人公に対するヒロインが複数人いる、ある種のハーレム展開がラノベの常であって、別のキャラとくっつくような娘がいれば、それはヒロインではなくサブキャラになります。勿論、例外は幾らでもあるのでしょうが、そう数は多くないと思います。
ある種の決まり事、あるいはヒロインの法則を無視したかのような話作りは、しかし、読んでみるとごく自然に受け入れることが出来、複数人格の一つでしかない少女達が、確かに生きて、そして、それぞれの日常があることを読者に教えてくれました。登場するキャラも、語り部も、全てを代えることによって、同じ身体を持つ少女達の、個性や独立性を強調した。これは正直、そんな方法があったのかと、目から鱗が落ちました。
しかも、各編の主人公は自分が相対するヒロインに対しての興味のみが強くて、たとえば悠は蘭香のことは好きだけど、茜や藍里には恋愛感情を抱いていないし、瑞希は幼馴染みだから藍里や蘭香のことを知らないわけじゃないけど、まず第一に親友と考えているのは茜だったりと、人格と肉体をキッチリ区別しているんですね。だから、他のヒロインの物語に深く関わってくることはないし、あくまで1対1の物語が描かれています。
シノニムは治る病気ですから、それぞれのヒロインが物語を進めていく過程で、多重人格の彼女たちは消えゆく運命にあります。そんな儚い命とも言うべきヒロインと向き合い、どのような答えを出していくのか? 主人格は一体誰なのか?
物語はやがて、残された主人格と最後の主人公に委ねられるわけですが、
話の展開としては非常に分かりやすい、読書量の多い人なら容易に想像が付くものだと思います。実在の多重人格者、ビリー・ミリガンと、彼に定義されたスポットをシノニムのモデルにしているという時点で、私も話のオチ自体は見えていました。もっと言えば、あらすじの段階で勘づいた部分もあった。
物語の構成としても、1冊で複数人ヒロインの話、その全てを書かなければいけない都合上、少なからず駆け足に感じる部分はあったし、終盤のイベントなども唐突な気がしたけど、それがまったく、不快でもなければ不満にもならないというぐらいには、読み応えのある内容だった。
淡々と、そして静かな物語進行を考えれば、むしろこれぐらいが丁度良い速さなのだと、そんな気がするんだよね。飛び飛びのように感じる話運びも、過程よりも結末を、少女の最後の煌めきを優先した、とでも言うのだろうか。
イラストに関しても見事で、この作品には、所謂挿絵が存在しません。カバーと口絵はありますけど、一般的なラノベにある挿絵……ヒロインのセクシーショットだったり、主人公の見せ場みたいのを描いたイラストが一切なくて、代わりに各章ごとの表紙となる扉絵があるのです。同じ手法を使っているもので、イリヤの空がありますけど、間に視覚的な補助の役割を果たす挿絵を挟まないというのは、正に文章で勝負してる感じが伝わってきて、非常に好感が持てる。
勿論、イラストレーターとイラストの存在をないがしろにしているのではなく、作品世界を鮮やかにする、美しい色彩として、高野乙彦の静かなイラストは、非常にマッチしてるんですよね。これ以上にない、適材適所とも言える起用だったと思います。
物語の最終的な結末は、敢えて結論を語っていないけど、それすらも書く必要性を感じない、書いてしまえば、それこそ蛇足になるだろうと思います。物語の終わりとは、未来や将来に関する決定ではなく、希望や展望といった含みを持たせた方が良いのだと、私は考えるから。
最近のラノベは娯楽性の強い、文章力や技術力、あるいは構成力などとはかけ離れた、あるいはそれらを必要としない、文字通りのラノベが主流となりつつあります。以前、高名なラノベ作家が「最近のラノベは小難しすぎる」とぼやいていたことがありますけど、今のラノベはそういう次元ですらなくて、そもそも読み物なのか? と感じることが、最近の私に多かったのも事実です。
具体的な作品名は避けますが、そういった流れに対する抵抗感や、意地のようなものが、私からラノベを遠ざけていたのだけど、2015年になって、単発モノではありますが、まだまだ読ませる作品は、良い読書が出来る作品はラノベからも着実に生まれているんだということを実感できて、なんだか今は幸せな気持ち。
しかし、単発作品だからメディアミックスなどの展開はないだろうけど、このままふらっと刊行された一冊で終わるのはなんとも勿体ないですね。ラノベはただでさえ冊数が多いですから、脚光を浴びることが出来なかった名作、傑作の類いがどれほどあるのか私には検討も付きませんが、「明日、今日の君に逢えなくても」に関していえば、今の時代によく出せたと感じざるを得ない良作だと思うし、新刊案内の先頭に載せて、周知させるべき作品だったのでしょう。五十音順とはいえ、これもまた一つの運命なのですよ。多分、きっと。
このまま埋もれるのかは分かりませんけど、仮に何かしらの展開があるなら、私は映像作品よりも音声媒体の方が良いと思う。たとえば、青春アドベンチャーとかのラジオドラマで、ちょっと長めの15回~20回ぐらいにすれば、上手くまとまるんじゃないかって。まあ、私がラジオドラマ好きなのもあるけど。
ちなみに私の中でヒロインの脳内CVは、どうでもいい話ですが、某くすはら又は彼女とそっくりな声の人になってました。あの人なら、見事に複数人格を演じ分けられる気がする。いや、本当にどうでもいいことですが。
ところで、ビリー・ミリガンの本を執筆したダニエル・キイスが昨年亡くなったのは知ってたけど、まさか、ビリー・ミリガン本人も昨年末にこの世を去っていたとは……あとがき読んで、初めてその事実に触れました。いや、ビックリした。
前述の通り、私がコミケ明けからしばらくして、ふと、MF文庫のサイトを開いたのははがないの最終巻が遂に出る、という話を耳にしたからだ。はがないに関してはこの日記の本題と関係ないので割愛するが、MF文庫の新刊案内ページというのは、他のレーベルと違って至ってシンプルな掲載順だった。普通なら話題作や人気シリーズなどを優先して目立つ場所に配置しそうなものだが、MF文庫はそうではない。何と、作品名の五十音順なのだ。
たとえば今月の新刊には、何度も書いているがはがないの最終巻や、アニメの二期も発表された緋弾のアリアの最新刊などが刊行されているわけだが、両作品とも作品名の頭文字がは行であることから、掲載位置はかなり下、というか、下から二番目と三番目だ。別にそのこと自体は珍しいと感じただけで、それ以上でもないのだけど、そういった掲載順だからこそ、この作品が目に止まったのかと思うと、少し感じ入るところがありまして。
だって、この作品ってあ行じゃないですか。つまり、余程のことがない限り先頭に掲載されるんですよ。ページ開いて、真っ先に飛び込んでくる作品って、やっぱり印象に残りますよ。
勿論、私の目に止まったのは掲載順が最初だったからでもなくて、表紙のイラストが高野音彦さんだったから、というのもあります。この方は古くからライトノベルでイラストを描かれている方で、有名どころでは電撃文庫のリバーズ・エンドや、桜庭一樹の推定少女、あまり知られてはいませんが、米澤穂信の古典部シリーズ、2巻目に当たる愚者のエンドロール、これの雑誌掲載時のイラストや初版刊行時のカバーなども担当されてるんですよね。
今はすっかりカバーも差し替えられてしまったので、高野版カバーは幻になっていますが、私からすれば、00年代におけるラノベブームの黎明期を代表するイラストレータ一人なんだと思います。
近年はイラストの活動をそれほどされてなくて、本人も久しぶりにラノベの挿絵を担当したとブログ等で書かれてましたが、それだけに珍しく、私の心がひかれたのだと思います。元より高野さんが描かれるイラストは好きでしたが、所謂黎明期から10年以上経った今でも、その色褪せることない魅力に心奪われたのかも知れません。
これだけ書くと、なんだ、イラストが好きで買っただけかと思われそうですが、確かに作品のことを知る切欠と、入口になったのは認めます。ですが、それと同等に作品のあらすじに興味を抱いたのも事実だったりします。そこにSFの香りを感じ取ったから、とでも言いますか……
前置きが長くなりましたが、そろそろ作品の話に入りましょうか。毎回、前置きが長くて全然本題に入らない私ですが、今回は発売したばかりの作品ながら、やや踏み込んだ話を、ネタバレに近い感想という奴を書きます。ここまで読んで、是非作品を購入したいと考えているそこの貴方、そんな人がいるのかは分かりませんが、ここから先は自己の判断で読んで下さい。
上記の通り、この「明日、今日の君に逢えなくても」という作品は、大分類ではSFに位置する物語だと私は考えます。勿論、作者の意図しているジャンルは分かりませんし、MF文庫での紹介は青春群像劇と、ありがちな、あるいは当たり障りのない表現になっています。
ですが、青春群像劇という言葉、もしくは表現は、作品を語る上で、この上ないものだと、読了後の私は思うのです。
本作は、という解離性同一障害、所謂、多重人格をモチーフとした架空の病気が物語のキーとなっています。何故、世間的にも有名な多重人格ではなく、わざわざ架空の病気を設定したのかは、勿論、それがデリケートなことだからと言うのもあるのでしょうが、結論的な理由はあとがきに記されてました。まあ、これは書かなくても良いでしょう。
シノニムという病気の説明は、MF文庫のサイトで無料公開されている立ち読み、つまり、作品の冒頭部分で詳しく解説されていますが、ここで簡単に紹介すると、勝手に治る多重人格です。お医者様による治療法がないだけで死ぬような病ではないし、ある特定の条件が揃えば別人格は消えてしまう、そんな設定。多重人格ほど深刻な理由で発症するわけではなく、その元となった傷、または心残りや悔やみのようなものが解消されれば、主人格はシノニムの人格を必要とせず、必要となくなった人格はいなくなってしまうと、まあ、そういうことです。
物語のヒロインは、このシノニムを患っており、しかも、とある事情からすぐ治るはずの病が完治せず、長期にわたって複数人格を維持しているという状態。ヒロインが多重人格という作品は、それほど数があるとは思えませんが、前例がないこともなく、やや例えとするにはライトすぎる気もしますが、ケロロ軍曹の西澤桃華などが有名でしょうか? 彼女の場合、表と裏、どちらの人格も主人公である冬樹くんのことが好きで、奪い合いなどはせず、時には協力し合って恋路を進んでいます。これがラブコメなら、あるいは複数の人格同士が主人公を奪い合って……なんて展開があるのかも知れませんが、この「明日、今日の君に逢えなくても」の凄いところは、そのどちらにも該当しないことなのです。
「明日、今日の君に逢えなくても」には3人のヒロインが登場します。藍里、茜、蘭香という少女達ですが、ヒロインはイコールで別人格となるため、人間の個体としては1人になります。
それぞれの少女を簡単に紹介すると、藍里は少しあどけなさを残した、可憐な少女らしい少女。茜はスポーティで陸上に打ち込む元気っ子、蘭香はクールで、軽音楽部に所属するロック志向と、まさに三者三様の人格を持っており、作中ではこのいずれかが主人格とされるも、彼女たち自身、記憶を失っているため、誰が主人格か分からない。結果としてシノニムが長引いている……ということらしい。
そんな少女達に対する主人公は、と言えば、ここがこの作品において、私が感心した箇所になるのですが、主人公もまた一人ではないのです。主人公も多重人格なのかと言えばそうではなくて、各ヒロイン(人格)に対する主人公が違うという、これまた珍しい設定なのです。
たとえば、ロックンロールな蘭香編における主人公は、軽音楽部の先輩、男子生徒の悠であり、弾丸少女の茜編では、幼馴染みの少女瑞希が主人公となります。各編の主人公達は、ヒロインを相手に恋や友情の物語を展開していくわけですが、ごく一般的なラノベにおいて、複数のヒロインに対する主人公は大体一人です。
主人公に対するヒロインが複数人いる、ある種のハーレム展開がラノベの常であって、別のキャラとくっつくような娘がいれば、それはヒロインではなくサブキャラになります。勿論、例外は幾らでもあるのでしょうが、そう数は多くないと思います。
ある種の決まり事、あるいはヒロインの法則を無視したかのような話作りは、しかし、読んでみるとごく自然に受け入れることが出来、複数人格の一つでしかない少女達が、確かに生きて、そして、それぞれの日常があることを読者に教えてくれました。登場するキャラも、語り部も、全てを代えることによって、同じ身体を持つ少女達の、個性や独立性を強調した。これは正直、そんな方法があったのかと、目から鱗が落ちました。
しかも、各編の主人公は自分が相対するヒロインに対しての興味のみが強くて、たとえば悠は蘭香のことは好きだけど、茜や藍里には恋愛感情を抱いていないし、瑞希は幼馴染みだから藍里や蘭香のことを知らないわけじゃないけど、まず第一に親友と考えているのは茜だったりと、人格と肉体をキッチリ区別しているんですね。だから、他のヒロインの物語に深く関わってくることはないし、あくまで1対1の物語が描かれています。
シノニムは治る病気ですから、それぞれのヒロインが物語を進めていく過程で、多重人格の彼女たちは消えゆく運命にあります。そんな儚い命とも言うべきヒロインと向き合い、どのような答えを出していくのか? 主人格は一体誰なのか?
物語はやがて、残された主人格と最後の主人公に委ねられるわけですが、
話の展開としては非常に分かりやすい、読書量の多い人なら容易に想像が付くものだと思います。実在の多重人格者、ビリー・ミリガンと、彼に定義されたスポットをシノニムのモデルにしているという時点で、私も話のオチ自体は見えていました。もっと言えば、あらすじの段階で勘づいた部分もあった。
物語の構成としても、1冊で複数人ヒロインの話、その全てを書かなければいけない都合上、少なからず駆け足に感じる部分はあったし、終盤のイベントなども唐突な気がしたけど、それがまったく、不快でもなければ不満にもならないというぐらいには、読み応えのある内容だった。
淡々と、そして静かな物語進行を考えれば、むしろこれぐらいが丁度良い速さなのだと、そんな気がするんだよね。飛び飛びのように感じる話運びも、過程よりも結末を、少女の最後の煌めきを優先した、とでも言うのだろうか。
イラストに関しても見事で、この作品には、所謂挿絵が存在しません。カバーと口絵はありますけど、一般的なラノベにある挿絵……ヒロインのセクシーショットだったり、主人公の見せ場みたいのを描いたイラストが一切なくて、代わりに各章ごとの表紙となる扉絵があるのです。同じ手法を使っているもので、イリヤの空がありますけど、間に視覚的な補助の役割を果たす挿絵を挟まないというのは、正に文章で勝負してる感じが伝わってきて、非常に好感が持てる。
勿論、イラストレーターとイラストの存在をないがしろにしているのではなく、作品世界を鮮やかにする、美しい色彩として、高野乙彦の静かなイラストは、非常にマッチしてるんですよね。これ以上にない、適材適所とも言える起用だったと思います。
物語の最終的な結末は、敢えて結論を語っていないけど、それすらも書く必要性を感じない、書いてしまえば、それこそ蛇足になるだろうと思います。物語の終わりとは、未来や将来に関する決定ではなく、希望や展望といった含みを持たせた方が良いのだと、私は考えるから。
最近のラノベは娯楽性の強い、文章力や技術力、あるいは構成力などとはかけ離れた、あるいはそれらを必要としない、文字通りのラノベが主流となりつつあります。以前、高名なラノベ作家が「最近のラノベは小難しすぎる」とぼやいていたことがありますけど、今のラノベはそういう次元ですらなくて、そもそも読み物なのか? と感じることが、最近の私に多かったのも事実です。
具体的な作品名は避けますが、そういった流れに対する抵抗感や、意地のようなものが、私からラノベを遠ざけていたのだけど、2015年になって、単発モノではありますが、まだまだ読ませる作品は、良い読書が出来る作品はラノベからも着実に生まれているんだということを実感できて、なんだか今は幸せな気持ち。
しかし、単発作品だからメディアミックスなどの展開はないだろうけど、このままふらっと刊行された一冊で終わるのはなんとも勿体ないですね。ラノベはただでさえ冊数が多いですから、脚光を浴びることが出来なかった名作、傑作の類いがどれほどあるのか私には検討も付きませんが、「明日、今日の君に逢えなくても」に関していえば、今の時代によく出せたと感じざるを得ない良作だと思うし、新刊案内の先頭に載せて、周知させるべき作品だったのでしょう。五十音順とはいえ、これもまた一つの運命なのですよ。多分、きっと。
このまま埋もれるのかは分かりませんけど、仮に何かしらの展開があるなら、私は映像作品よりも音声媒体の方が良いと思う。たとえば、青春アドベンチャーとかのラジオドラマで、ちょっと長めの15回~20回ぐらいにすれば、上手くまとまるんじゃないかって。まあ、私がラジオドラマ好きなのもあるけど。
ちなみに私の中でヒロインの脳内CVは、どうでもいい話ですが、某くすはら又は彼女とそっくりな声の人になってました。あの人なら、見事に複数人格を演じ分けられる気がする。いや、本当にどうでもいいことですが。
ところで、ビリー・ミリガンの本を執筆したダニエル・キイスが昨年亡くなったのは知ってたけど、まさか、ビリー・ミリガン本人も昨年末にこの世を去っていたとは……あとがき読んで、初めてその事実に触れました。いや、ビックリした。
コミケの情報を収集していく中で、ふと、ご注文はうさぎですか?の新刊や新作グッズを出すサークルが、それなりにいる、ということに気付きました。まんがタイムきららMAXにて連載中の作品で、同雑誌ではきんモザと並ぶ二枚看板ですけど、アニメは昨年放送でしたか。昨今は二次創作の対象も消耗品のごとく消費されており、なかなか長く続くジャンルというのはないんですが、それを考えるとごちうさは、アニメの二期が決まっているとはいえ、息が長いですね。
所謂、まんがタイムきらら系の作品ってのは、あまり二次創作が盛り上がらないことで知られています。元々が四コマ雑誌だし、アニメは日常系が殆どですけど、これはどの作品についても同じことで、きんモザや、古くはひだまりでさえ、同人ジャンルとしてはさほどの人気、あるいは勢力は持っていませんでした。
唯一の例外にけいおんがありますけど、あれはきらら作品というよりは、京アニ作品という分類になり、アニメも決して日常系一辺倒ではありませんでしたから、ちょっと事情が違うんですね。特別なものというのは、どんなところにもあるものなんです。
まあ、それはともかくとしても、ごちうさの話。ごちうさはきらら系の同人ジャンルとしては異例と言ってもいいヒットが起こっており、大手や中堅、あるいはピコも含めて、結構なサークルが本を書いています。たとえば、このほどアニメの第二期が終了したばかりの、きんいろモザイク。こちらのジャンルの本がとらのあなにどれぐらいあるのか? 在庫のないものも含めて検索した結果、52件ほどヒットしました。対してごちうさの場合、こちらはアニメが終了してから1年以上、コミックスの4巻も未だ出ていませんが……検索ヒット数は122件と、一気にきんモザの倍以上の数になりました。
アニメ化以前はうちのサークル以外に本など出していませんでしたから、僅か1年と少しの間に100冊もの同人誌が出て、あるいはこの夏に出る予定がある、ということな訳で、ジャンルとしての成長ぶりはなかなかのものではないでしょうか?
ごちうさは、一般的なきらら系漫画に比べると、やや毛色が違う作品です。勿論、きらら系とて5~6誌もある訳ですから、そこには様々な作品が連載されているのだけど、アニメ化した作品に絞って考えてみると、それなりの共通点を見出すことが可能です。
これは上記では除外したけいおんにも言えることですが、きらら系アニメというのは総じて学園モノであることが多く、ひだまりだって、Aチャンネルだって、キルミーベイベーだって、その大半が学園を舞台にしています。
けいおんやハナヤマタのように部活動をメインに据えているものもありますし、逆に学園、学校を舞台にしていない作品といえば、ドージンワークや、後は夢喰いメリーぐらいなものではないしょうか? この2作品にしても主人公は学生なんですけど、前者は同人活動、後者は夢魔と呼ばれる敵との戦いが主軸であって、学園がその舞台になってないんですね。
ごちうさもまた、登場人物は全員学生ですけど、学校で物語が展開されることは驚くほど少なく、ハッキリ言って殆ど無いと思います。精々、ティッピーのコーヒー占いにおける災難がココアに降りかかったときぐらいで、後はラビットハウスや甘兎庵、それからフルールといったバイト先か、もっぱら木組みの家と石畳の街全体が、ごちうさという物語の舞台になってるんだよね。これはごちうさについて言及した日記で何度も書いてきたことだけど、ごちうさは街そのものがお話の舞台だからこそ、有り体な学園モノという体裁にはならず、作品の世界観そのものを広げていると思うんですよ。
これが、学園モノという狭い空間にとらわれない作品として、ある種の新鮮さを与えたのではないかなと。
似たような傾向として、きらら系ではありませんが、のんのんびよりにも同じことが言えます。あの作品の登場人物も基本的に学生ですが、学校生活は作品における一部分でしかなく、全体的に見れば田舎暮らしがメインですよね。田舎町そのものが作品の舞台として成立しており、そこからもたらされる様々なイベント、それはほんの日常の1ページに過ぎないかもしれないけど、読者、視聴者にとっては今までにないものとして新鮮味を受けるのでしょう。
とまあ、ここまで書いてきたのはあくまで作品の魅力であって、同人ジャンル云々の話ではないですね。ただ、私は作品としての魅力の高さが同人ジャンルの価値に結びつくこともあるだろうと考えているので、登場キャラクター達の可愛らしさもさることながら、そういった部分でごちうさは高く評価されたのではないか。後はまあ、単純に同人ジャンルとしての向き不向きもあるんだろうけど、要は二次創作の意欲どれだけ刺激できるかですよ。
今現在放送ているきらら系のアニメはがっこうぐらしと城下町のダンデライオンで、後者も又学園モノとは言いづらい作品だけど、夏コミでどの程度の発狂があるのかは気になるところ。
まあ、私は小説同人の人だったから、視覚的にあの作品の可愛らしさを表現することが出来なくて、ジャンルからは撤退気味なんだけど、又何かの機会があったら書いてみたいものです。最近は二次創作についての向き合い方も少なからず分かってきたので、冬までには色々と立て直したいと思う。どんな形にせよ、冬コミには参加したいから。
所謂、まんがタイムきらら系の作品ってのは、あまり二次創作が盛り上がらないことで知られています。元々が四コマ雑誌だし、アニメは日常系が殆どですけど、これはどの作品についても同じことで、きんモザや、古くはひだまりでさえ、同人ジャンルとしてはさほどの人気、あるいは勢力は持っていませんでした。
唯一の例外にけいおんがありますけど、あれはきらら作品というよりは、京アニ作品という分類になり、アニメも決して日常系一辺倒ではありませんでしたから、ちょっと事情が違うんですね。特別なものというのは、どんなところにもあるものなんです。
まあ、それはともかくとしても、ごちうさの話。ごちうさはきらら系の同人ジャンルとしては異例と言ってもいいヒットが起こっており、大手や中堅、あるいはピコも含めて、結構なサークルが本を書いています。たとえば、このほどアニメの第二期が終了したばかりの、きんいろモザイク。こちらのジャンルの本がとらのあなにどれぐらいあるのか? 在庫のないものも含めて検索した結果、52件ほどヒットしました。対してごちうさの場合、こちらはアニメが終了してから1年以上、コミックスの4巻も未だ出ていませんが……検索ヒット数は122件と、一気にきんモザの倍以上の数になりました。
アニメ化以前はうちのサークル以外に本など出していませんでしたから、僅か1年と少しの間に100冊もの同人誌が出て、あるいはこの夏に出る予定がある、ということな訳で、ジャンルとしての成長ぶりはなかなかのものではないでしょうか?
ごちうさは、一般的なきらら系漫画に比べると、やや毛色が違う作品です。勿論、きらら系とて5~6誌もある訳ですから、そこには様々な作品が連載されているのだけど、アニメ化した作品に絞って考えてみると、それなりの共通点を見出すことが可能です。
これは上記では除外したけいおんにも言えることですが、きらら系アニメというのは総じて学園モノであることが多く、ひだまりだって、Aチャンネルだって、キルミーベイベーだって、その大半が学園を舞台にしています。
けいおんやハナヤマタのように部活動をメインに据えているものもありますし、逆に学園、学校を舞台にしていない作品といえば、ドージンワークや、後は夢喰いメリーぐらいなものではないしょうか? この2作品にしても主人公は学生なんですけど、前者は同人活動、後者は夢魔と呼ばれる敵との戦いが主軸であって、学園がその舞台になってないんですね。
ごちうさもまた、登場人物は全員学生ですけど、学校で物語が展開されることは驚くほど少なく、ハッキリ言って殆ど無いと思います。精々、ティッピーのコーヒー占いにおける災難がココアに降りかかったときぐらいで、後はラビットハウスや甘兎庵、それからフルールといったバイト先か、もっぱら木組みの家と石畳の街全体が、ごちうさという物語の舞台になってるんだよね。これはごちうさについて言及した日記で何度も書いてきたことだけど、ごちうさは街そのものがお話の舞台だからこそ、有り体な学園モノという体裁にはならず、作品の世界観そのものを広げていると思うんですよ。
これが、学園モノという狭い空間にとらわれない作品として、ある種の新鮮さを与えたのではないかなと。
似たような傾向として、きらら系ではありませんが、のんのんびよりにも同じことが言えます。あの作品の登場人物も基本的に学生ですが、学校生活は作品における一部分でしかなく、全体的に見れば田舎暮らしがメインですよね。田舎町そのものが作品の舞台として成立しており、そこからもたらされる様々なイベント、それはほんの日常の1ページに過ぎないかもしれないけど、読者、視聴者にとっては今までにないものとして新鮮味を受けるのでしょう。
とまあ、ここまで書いてきたのはあくまで作品の魅力であって、同人ジャンル云々の話ではないですね。ただ、私は作品としての魅力の高さが同人ジャンルの価値に結びつくこともあるだろうと考えているので、登場キャラクター達の可愛らしさもさることながら、そういった部分でごちうさは高く評価されたのではないか。後はまあ、単純に同人ジャンルとしての向き不向きもあるんだろうけど、要は二次創作の意欲どれだけ刺激できるかですよ。
今現在放送ているきらら系のアニメはがっこうぐらしと城下町のダンデライオンで、後者も又学園モノとは言いづらい作品だけど、夏コミでどの程度の発狂があるのかは気になるところ。
まあ、私は小説同人の人だったから、視覚的にあの作品の可愛らしさを表現することが出来なくて、ジャンルからは撤退気味なんだけど、又何かの機会があったら書いてみたいものです。最近は二次創作についての向き合い方も少なからず分かってきたので、冬までには色々と立て直したいと思う。どんな形にせよ、冬コミには参加したいから。
傾向と対策は常に前向き
2015年8月4日 アニメ・マンガ
今年は夏コミに行かないのもありかな、と思っていた私だけど、一転して参加を検討しています。しかも、3日間のフル参加で。理由は色々ありますが、まあ、第一にやっぱり欲しいものがあるというのと、サークルとして落ちたからといって参加しないのは、流石にどうなんだろうなっていう迷いがありまして。3日間フルなのは、単純に2日目参加の友人知人のサークルが少なからずいるからで、究極的に言うと私はバカなので、5年ぶりの一般参加に対して、自分がどこまでやれるか試したいというのもあった。
先週の話になりますけど、コミケが開催される東京ビッグサイトとから程近い、というより、ほとんど徒歩圏内にある、ダイバーシティ東京に行ってきました。最寄り駅はりんかい線の東京テレポートで、ゆりかもめだと台場……あるいは船の科学館や、青梅からも歩けるのかな? あの辺は空間的に狭いですから、割りと数駅程度なら歩けるんだよね。
まあ、それはともかくとして、何でコミケ前にそんなところまで言ったのかというと、声優の上坂すみれさんの新曲リリースイベントがありまして。ダイバーシティー内の、フェスティバル広場でしたか? シティー内と書いちゃいるけど、実際は屋外スペースで、有名な等身大ガンダム像の裏手に当たる場所、そこで開催されたイベントに行ってきました。
テイクアウト専門のガンダムカフェとか、そういうのも近くにあったんですが、まあ、屋外だからとにかく暑いわけですよ。しかも、公開リハーサルをイベント開始1時間前ぐらいからやるので、それも観ようと思ったら、開演2時間ぐらい前には現地入りしていないといけないわけです。正直、悩んだのだけど、最近はすみぺがマイブームということもあって、13時開始のイベントに対して……11時過ぎぐらいですか? 一般エリアの最前列で待機することに。
何もそこまでしなくても、という気がするけど、実はこれってある種の実験を兼ねていて、ずばり今の自分はどれぐらい炎天下、直射日光の下に要られるのか?というのを試してみたかったんですよ。また馬鹿なことをと言われそうだし、実際に言われたんだけど、自分を知るために、個人的には重要な事だった。
11時から12時ってのは都内における一番日が高い時間帯と言いますし、13時や14時も最高気温になるだろうときです。しかも、待機場所は屋外、雲ひとつない青空の下で、直射日光が降り注ぎます。カンカンと照りつけられた太陽の光は暑く、さしもの私もぐったりしそうな感じでしたが、意外とぶっ倒れはしませんでした。
勿論、やっていることは馬鹿ですが、何の対策もしていかないほどアホになった覚えもありませんから、装備はそれなりに用意していきました。コミケ並ではないけどね。コミケと同レベルにしなかったのは、かさばるからってのもあるけど、敢えて一ランク程度落とすことで、当日の装備を調整したかったのと、本番はこれより重装備だという安心感を自分に与えたかったから。たとえば、最初からコミケ用の装備で行って、酷暑にぐったりしてしまうと、「やっぱり、コミケに一般参加とかないわー」になってしまうけど、最初から自分に余裕を作ることで、精神的な落ち着きを維持したわけですね。
それで結局どうなったのかというと、イベントが楽しかったのもありますが、前述のとおり、何とか切り抜けることは出来ました。こればっかりは昔取った杵柄みたいなもんで、暑さに対する対処法を知っているかどうかなんだろうね。自分を過信するつもりはなサラサラないけど、年齢面での不安はある程度払拭できたかなと思う。
ただ、今回は一般参加ですから、いつも以上にお金が掛かります。当然の話、サークルと一般では持っていくものが違いますし、言ってしまえば自分のスペースで休むことが出来るサークル参加者と、そうでない一般参加者の間には、アドバンテージ的な意味での差がありますし、荷物を全部スペースにおいてサークル回りしてくるぜ! という訳にもいかないのが実情です。
その辺りのことを考えつつ、ここ5年分の一般参加における状況を調べようかなと思ってるんですが、コミケの情報ってのは水物ですからね。参加者は大体腐ってますけど、情報に関しては鮮度が命なところがありますから、当日参加してみて、更に修正と調整を加える必要があるかもしれない。いつもなら2日目にそれが出来るんだけど、今年は2日目も参加するつもりだから、いやはやどうなることやら。もう、時間はあまりない。
先週の話になりますけど、コミケが開催される東京ビッグサイトとから程近い、というより、ほとんど徒歩圏内にある、ダイバーシティ東京に行ってきました。最寄り駅はりんかい線の東京テレポートで、ゆりかもめだと台場……あるいは船の科学館や、青梅からも歩けるのかな? あの辺は空間的に狭いですから、割りと数駅程度なら歩けるんだよね。
まあ、それはともかくとして、何でコミケ前にそんなところまで言ったのかというと、声優の上坂すみれさんの新曲リリースイベントがありまして。ダイバーシティー内の、フェスティバル広場でしたか? シティー内と書いちゃいるけど、実際は屋外スペースで、有名な等身大ガンダム像の裏手に当たる場所、そこで開催されたイベントに行ってきました。
テイクアウト専門のガンダムカフェとか、そういうのも近くにあったんですが、まあ、屋外だからとにかく暑いわけですよ。しかも、公開リハーサルをイベント開始1時間前ぐらいからやるので、それも観ようと思ったら、開演2時間ぐらい前には現地入りしていないといけないわけです。正直、悩んだのだけど、最近はすみぺがマイブームということもあって、13時開始のイベントに対して……11時過ぎぐらいですか? 一般エリアの最前列で待機することに。
何もそこまでしなくても、という気がするけど、実はこれってある種の実験を兼ねていて、ずばり今の自分はどれぐらい炎天下、直射日光の下に要られるのか?というのを試してみたかったんですよ。また馬鹿なことをと言われそうだし、実際に言われたんだけど、自分を知るために、個人的には重要な事だった。
11時から12時ってのは都内における一番日が高い時間帯と言いますし、13時や14時も最高気温になるだろうときです。しかも、待機場所は屋外、雲ひとつない青空の下で、直射日光が降り注ぎます。カンカンと照りつけられた太陽の光は暑く、さしもの私もぐったりしそうな感じでしたが、意外とぶっ倒れはしませんでした。
勿論、やっていることは馬鹿ですが、何の対策もしていかないほどアホになった覚えもありませんから、装備はそれなりに用意していきました。コミケ並ではないけどね。コミケと同レベルにしなかったのは、かさばるからってのもあるけど、敢えて一ランク程度落とすことで、当日の装備を調整したかったのと、本番はこれより重装備だという安心感を自分に与えたかったから。たとえば、最初からコミケ用の装備で行って、酷暑にぐったりしてしまうと、「やっぱり、コミケに一般参加とかないわー」になってしまうけど、最初から自分に余裕を作ることで、精神的な落ち着きを維持したわけですね。
それで結局どうなったのかというと、イベントが楽しかったのもありますが、前述のとおり、何とか切り抜けることは出来ました。こればっかりは昔取った杵柄みたいなもんで、暑さに対する対処法を知っているかどうかなんだろうね。自分を過信するつもりはなサラサラないけど、年齢面での不安はある程度払拭できたかなと思う。
ただ、今回は一般参加ですから、いつも以上にお金が掛かります。当然の話、サークルと一般では持っていくものが違いますし、言ってしまえば自分のスペースで休むことが出来るサークル参加者と、そうでない一般参加者の間には、アドバンテージ的な意味での差がありますし、荷物を全部スペースにおいてサークル回りしてくるぜ! という訳にもいかないのが実情です。
その辺りのことを考えつつ、ここ5年分の一般参加における状況を調べようかなと思ってるんですが、コミケの情報ってのは水物ですからね。参加者は大体腐ってますけど、情報に関しては鮮度が命なところがありますから、当日参加してみて、更に修正と調整を加える必要があるかもしれない。いつもなら2日目にそれが出来るんだけど、今年は2日目も参加するつもりだから、いやはやどうなることやら。もう、時間はあまりない。
流れ戻って、流れ行く
2015年7月1日 アニメ・マンガ6月も終わって2015年も下半期になりました。7月ということで季節としては夏なんでしょうが、外は連日の雨とまだまだ梅雨を感じさせますね。上半期は全然日記を更新しなかった……というか、年々更新頻度は落ちてるんですが、、まあ、1年も半分が終わったということで、コミケのこととか、キンスパのことも含めて、振り返ってみようかなと。
実はキンスパのこととか自分の現状、色々なことを6月中に書こう、書こうと努力はしていて、時間作って書き出したりもしたんだけど、何か自分の文章にしっくり来なくて。
まずはコミケのこと。先月、コミケの当落があった訳ですが、5年ぶりに落選しました。2008年頃から個人サークルでの活動を始めて、初のコミケサークル参加は2009年でしたか。一度だけ落ちたんですけど、2010年以降はずっと当選してまして、最後に一般参加したのは何時だろうって感じになりつつ合ったんですが、その記録も遂に潰えました。
このところは毎回受かっていたとはいえ、そういうこともあるとは理解していたし、今回はちょっと小細工を弄したという自覚もあったので、仕方のない結果だと思っています。しかし、まあ、東館に戻りたくてジャンルコード変えたのに、ギャルゲージャンルが東館配置になったのは、手痛い皮肉ですね。
正直、どこかのサークルに委託をお願いしてまで新刊を作ろうとは思わないし、書店委託もやってないサークルですから、今年の夏は本を作らない予定です。誰かしらに手を貸してくれと言われたら動きますけど、サークル・シャリテクロワールは冬までお休み。
去年辺りから、何か空回っているというか、慢性的なネタ切れを起こしていたので、潮時かな……と、考えていたりもしたんですよね。同人誌って、私は売れ線とか、ゴロとか、イナゴではないから、そのとき自分が好きな作品で、二次創作をしてみたいって思うものだから、限界を感じていたというのが本音で。コミ1は声優のデータブックだったからまだしも、同人小説については、色々と見つめ直してみる期間も必要かなって。
そんなこんなで、コミケに落選したことは冷静に受け止めていたつもりというか、ショックは少なかったんだけど、あのカタログとポスターが公開された今となっては、結構堪えてます。最初はこれ以上のネタはもうない、コミケットはなんて素晴らしいんだとか言って盛り上がったけど、翌々考えてみると、そんな素晴らしいカタログに自分のサークルは載ってないわけですから、流石に堪えますよ。何か、一気に来てしまった。
キンスパについて。これは先月、6月20日及び、21日の土日に開催されたKING SUPER LIVE 2015のことですね。
このフェスに関しては個別に書こうと思ってて、今でも書きたいと考えているんだけど、上手く言葉にならないから、ひとまずここでまとめてしまうと、物凄く楽しかったのですよ。大きいイベントというか、声優ファン、アニメ系アーティストのファンから一線を退いた、横文字で書けばセミリタイアですか? それをした私にとっては久しぶりの大規模フェスだったんだけど、何かもう、本当に楽しかった。
林原めぐみを始めとしたキングレコードの歴史を語る上では外せない出演者の数々に魅了され、何だろうね、90年代当時の青春時代を思い出したといいますか。キングレコードやスタチャにはここ数年、思うところは確かにあったのだけど、それがどうでも良くなってしまうほどに楽しい2日間だった。
細かい不満とか、これはどうかな? と、感じる部分もあったけど、それは100%が120%に届かなかったぐらいの差であって、コミケ落選以降、「さて、これからどうしようかな」と迷いを感じていた自分、心にポッカリと穴の開いていた私に、凄まじい衝撃を与えてきたといいますか。
終わった直後は、確かに楽しいフェスだったけど、これで自分に何か変化があるとか、そういうことはないだろうと思っていたのに、後からじわじわと影響が出てきたというか、一つのターニングポイント、運命の分かれ道や分岐点になった気がする。大袈裟かもしれないけど、コミケの落選という結果が、ここ数年間の自分を強制終了したのも事実で、そこにキンスパはちょっと刺激が強すぎたのかもしれません。
今現在とこれからの私――どんな理由であれコミケには落選して、ここ5年か続けてきた私の同人活動はストップしました。冬コミには出る予定ですが、何を出すかとか、見通しは何もないし、そもそも受かるかも分かりません。サークルを畳むことはないと思いますけど、今一つ積極さを欠いているのも正直なところです。
じゃあ、最近の私が何をしているのかといえば、このところはラジオを聴いてます。キンスパで所謂レジェンドたちを見てきたのと同時に、今活躍し始めた若手たちを見たことで、少なからず感じ入るところがあって、「ああ、こういう世界あったよな」と、自然な感じで4~5年前の自分を思い出し始めたのかなと。
私が俗に言う声オタ、声優ファンを積極的にやっていたのは4年ぐらい前までで、3年ほど前には完全に一線から退いてました。理由は色々あるけど、多分、前述のコミケと同じで、自分の中に限界が来ていたんだと思う。同人活動が楽しくなっていた時期でもあったし、趣味の方向性がシフトしたんだろうね。
久しぶりに超A&G+とか聴いてるわけだけど、番組の構成とかラインナップは様変わりしても、文化放送は文化放送だなって安心感があった。元々はキンスパを消化する目的で、何か感想とか話さないかなって上坂すみれとか、小松未可子のラジオを聴いてみたのが始まりなんだけど、帯番組だったし、Lady Go!!はてさぐれシリーズとのコラボもしていたから、そのまま視聴を続けている感じです。
キンスパの消化自体は、上記の番組だったり、めぐさんのTBNで大分スッキリした感じがします。特にTBNは、それこそ10年ぶりぐらいに聴いた気がするけど、全く変わりがなくて、声優ラジオの枠を超えた、ラジオの完成形の一つだよなと実感してみたりして。
勿論、声優に対する興味が再燃したのは他にも理由があって、てさぐれシリーズを通して声優の存在を再認識する機会を得たとか、色々と理屈を並べることはできるし、理屈と膏薬はどこへでもつくといいますけど、結局のところ答えはいつもシンプルで、楽しかったんだよね。この項目の最初に書いた通り、物凄く楽しかった。それが理由で、いいじゃない。
しかし、QRはQRのままだからいいとしても、若手声優、あるいは新人声優ですか? 情報量が多いですね。ツイッターでも呟きましたけど、流行りの声優を一人調べるだけで、膨大な情報、媒体、番組なんかが出てくるわけですよ。昔はそれこそアニメにラジオ、それから声優雑誌が1~2冊という時代でしたから、ネットがないという不便さはあれど、追いかける側は楽だったと思う。
それが今では週末のイベント、午前とお昼と夜で違うものに出演した後は、ラジオの生放送やニコ生があるよ、なんてのも珍しくないわけで、浦島太郎ってほどじゃないけど、僅か数年で随分と幅が広がったなと。特にニコ生ですか、某声優によれば若手の必須事項みたいになっているそうで、やっぱりネットの力は凄いもんですよ。BBQRでバッファに悩まされていた時代の人間からすれば、映像配信が主体になるとか、何か信じられませんね。そういや、BBQRなくなったみたいですね。まあ、超A&G+がある今、殊更あれを残す必要もなかったとは思うけど、何か感慨深い……
唐突に私が持っている携帯電話の話をしますけど、スマホじゃなくてガラケーね? 今の機種を選んだ理由って、FMラジオと、デジタルラジオを聴くことが出来たからなんだよね。前者は解説の必要もないけど、後者は4年ぐらい前まで存在していたラジオ媒体で、まあ、昔で言うところのBSQRみたいなものですよ。文化放送が力入れて参加したら、事業そのものが終了しちゃったといういつものパターンで、デジタルラジオに関しては元々試験放送だったらしいけど、それをネットラジオという形で仕組みごと残したのが、今の超A&G+というわけさ。
ラジオを聴ける、それだけのために携帯を選んでいたぐらいだから、当時は相当にQRとかアニラジ、声優ラジオに思い入れがあったんだろうけど、前述のようにデジタルラジオは終了してしまったし、ネットラジオは仕組みが違うから受信できないということで、携帯はただの携帯になりました。まあ、FMラジオはまだ聴けるんだけど、あれは電波の受診が難しくてね。そこまでして聴きたい番組もないし。
けれど、それもスマホが主流となった時代では何の問題もないんだよね。私はauのAndroid使ってますけど、超A&G+はアプリで聴けるし、AMラジオもradikoで聴けて、FMラジオは何と全国の放送がLISMO WAVEとやらで聴き放題。ラジカセ抱えて冬の寒さの中、ベランダで電波拾っていた世代からは考えられない……いい加減、くどいかな。
情報量に対する選択肢も、相対的に増えたよねと思う。確かに技術の発達でツールは色々増えたけど、一個人が費やせる時間、資金、その他諸々には必ず限界があって、たとえば今の若い子は対応出来てるのだろうか? 一人の声優、あるいはアーティストから発信される膨大な情報を、全て受信できてる人って、そんなにいないんじゃなかな。
勿論、各々が興味や関心を持っている事柄は違うから、たとえば水樹奈々を引き合いに出すけど、彼女の歌手活動は追いかけてるけどアニメは見てないとか、ラジオは好きだから聴いているなんて「選択」している場合も多いは思う。そうした選択肢が、勿論対象の人気に比例することではあるけど、今の時代は本当に増えたなと。
まあ、色々とだらだら書いてきましたけど、暫くは自分の興味や関心が向いた方向に歩いてみようと思います。日々着実に若さを失っていく身ですから、そんなにのんびりともしていられないんだけど、ラジオ聴きつつ、イベントとか出かける生活もたまには良いのかなって。何だか5年ほど前に戻った気がしますけど、次の自分が現れるまでは、これで行ってみることにします。
実はキンスパのこととか自分の現状、色々なことを6月中に書こう、書こうと努力はしていて、時間作って書き出したりもしたんだけど、何か自分の文章にしっくり来なくて。
まずはコミケのこと。先月、コミケの当落があった訳ですが、5年ぶりに落選しました。2008年頃から個人サークルでの活動を始めて、初のコミケサークル参加は2009年でしたか。一度だけ落ちたんですけど、2010年以降はずっと当選してまして、最後に一般参加したのは何時だろうって感じになりつつ合ったんですが、その記録も遂に潰えました。
このところは毎回受かっていたとはいえ、そういうこともあるとは理解していたし、今回はちょっと小細工を弄したという自覚もあったので、仕方のない結果だと思っています。しかし、まあ、東館に戻りたくてジャンルコード変えたのに、ギャルゲージャンルが東館配置になったのは、手痛い皮肉ですね。
正直、どこかのサークルに委託をお願いしてまで新刊を作ろうとは思わないし、書店委託もやってないサークルですから、今年の夏は本を作らない予定です。誰かしらに手を貸してくれと言われたら動きますけど、サークル・シャリテクロワールは冬までお休み。
去年辺りから、何か空回っているというか、慢性的なネタ切れを起こしていたので、潮時かな……と、考えていたりもしたんですよね。同人誌って、私は売れ線とか、ゴロとか、イナゴではないから、そのとき自分が好きな作品で、二次創作をしてみたいって思うものだから、限界を感じていたというのが本音で。コミ1は声優のデータブックだったからまだしも、同人小説については、色々と見つめ直してみる期間も必要かなって。
そんなこんなで、コミケに落選したことは冷静に受け止めていたつもりというか、ショックは少なかったんだけど、あのカタログとポスターが公開された今となっては、結構堪えてます。最初はこれ以上のネタはもうない、コミケットはなんて素晴らしいんだとか言って盛り上がったけど、翌々考えてみると、そんな素晴らしいカタログに自分のサークルは載ってないわけですから、流石に堪えますよ。何か、一気に来てしまった。
キンスパについて。これは先月、6月20日及び、21日の土日に開催されたKING SUPER LIVE 2015のことですね。
このフェスに関しては個別に書こうと思ってて、今でも書きたいと考えているんだけど、上手く言葉にならないから、ひとまずここでまとめてしまうと、物凄く楽しかったのですよ。大きいイベントというか、声優ファン、アニメ系アーティストのファンから一線を退いた、横文字で書けばセミリタイアですか? それをした私にとっては久しぶりの大規模フェスだったんだけど、何かもう、本当に楽しかった。
林原めぐみを始めとしたキングレコードの歴史を語る上では外せない出演者の数々に魅了され、何だろうね、90年代当時の青春時代を思い出したといいますか。キングレコードやスタチャにはここ数年、思うところは確かにあったのだけど、それがどうでも良くなってしまうほどに楽しい2日間だった。
細かい不満とか、これはどうかな? と、感じる部分もあったけど、それは100%が120%に届かなかったぐらいの差であって、コミケ落選以降、「さて、これからどうしようかな」と迷いを感じていた自分、心にポッカリと穴の開いていた私に、凄まじい衝撃を与えてきたといいますか。
終わった直後は、確かに楽しいフェスだったけど、これで自分に何か変化があるとか、そういうことはないだろうと思っていたのに、後からじわじわと影響が出てきたというか、一つのターニングポイント、運命の分かれ道や分岐点になった気がする。大袈裟かもしれないけど、コミケの落選という結果が、ここ数年間の自分を強制終了したのも事実で、そこにキンスパはちょっと刺激が強すぎたのかもしれません。
今現在とこれからの私――どんな理由であれコミケには落選して、ここ5年か続けてきた私の同人活動はストップしました。冬コミには出る予定ですが、何を出すかとか、見通しは何もないし、そもそも受かるかも分かりません。サークルを畳むことはないと思いますけど、今一つ積極さを欠いているのも正直なところです。
じゃあ、最近の私が何をしているのかといえば、このところはラジオを聴いてます。キンスパで所謂レジェンドたちを見てきたのと同時に、今活躍し始めた若手たちを見たことで、少なからず感じ入るところがあって、「ああ、こういう世界あったよな」と、自然な感じで4~5年前の自分を思い出し始めたのかなと。
私が俗に言う声オタ、声優ファンを積極的にやっていたのは4年ぐらい前までで、3年ほど前には完全に一線から退いてました。理由は色々あるけど、多分、前述のコミケと同じで、自分の中に限界が来ていたんだと思う。同人活動が楽しくなっていた時期でもあったし、趣味の方向性がシフトしたんだろうね。
久しぶりに超A&G+とか聴いてるわけだけど、番組の構成とかラインナップは様変わりしても、文化放送は文化放送だなって安心感があった。元々はキンスパを消化する目的で、何か感想とか話さないかなって上坂すみれとか、小松未可子のラジオを聴いてみたのが始まりなんだけど、帯番組だったし、Lady Go!!はてさぐれシリーズとのコラボもしていたから、そのまま視聴を続けている感じです。
キンスパの消化自体は、上記の番組だったり、めぐさんのTBNで大分スッキリした感じがします。特にTBNは、それこそ10年ぶりぐらいに聴いた気がするけど、全く変わりがなくて、声優ラジオの枠を超えた、ラジオの完成形の一つだよなと実感してみたりして。
勿論、声優に対する興味が再燃したのは他にも理由があって、てさぐれシリーズを通して声優の存在を再認識する機会を得たとか、色々と理屈を並べることはできるし、理屈と膏薬はどこへでもつくといいますけど、結局のところ答えはいつもシンプルで、楽しかったんだよね。この項目の最初に書いた通り、物凄く楽しかった。それが理由で、いいじゃない。
しかし、QRはQRのままだからいいとしても、若手声優、あるいは新人声優ですか? 情報量が多いですね。ツイッターでも呟きましたけど、流行りの声優を一人調べるだけで、膨大な情報、媒体、番組なんかが出てくるわけですよ。昔はそれこそアニメにラジオ、それから声優雑誌が1~2冊という時代でしたから、ネットがないという不便さはあれど、追いかける側は楽だったと思う。
それが今では週末のイベント、午前とお昼と夜で違うものに出演した後は、ラジオの生放送やニコ生があるよ、なんてのも珍しくないわけで、浦島太郎ってほどじゃないけど、僅か数年で随分と幅が広がったなと。特にニコ生ですか、某声優によれば若手の必須事項みたいになっているそうで、やっぱりネットの力は凄いもんですよ。BBQRでバッファに悩まされていた時代の人間からすれば、映像配信が主体になるとか、何か信じられませんね。そういや、BBQRなくなったみたいですね。まあ、超A&G+がある今、殊更あれを残す必要もなかったとは思うけど、何か感慨深い……
唐突に私が持っている携帯電話の話をしますけど、スマホじゃなくてガラケーね? 今の機種を選んだ理由って、FMラジオと、デジタルラジオを聴くことが出来たからなんだよね。前者は解説の必要もないけど、後者は4年ぐらい前まで存在していたラジオ媒体で、まあ、昔で言うところのBSQRみたいなものですよ。文化放送が力入れて参加したら、事業そのものが終了しちゃったといういつものパターンで、デジタルラジオに関しては元々試験放送だったらしいけど、それをネットラジオという形で仕組みごと残したのが、今の超A&G+というわけさ。
ラジオを聴ける、それだけのために携帯を選んでいたぐらいだから、当時は相当にQRとかアニラジ、声優ラジオに思い入れがあったんだろうけど、前述のようにデジタルラジオは終了してしまったし、ネットラジオは仕組みが違うから受信できないということで、携帯はただの携帯になりました。まあ、FMラジオはまだ聴けるんだけど、あれは電波の受診が難しくてね。そこまでして聴きたい番組もないし。
けれど、それもスマホが主流となった時代では何の問題もないんだよね。私はauのAndroid使ってますけど、超A&G+はアプリで聴けるし、AMラジオもradikoで聴けて、FMラジオは何と全国の放送がLISMO WAVEとやらで聴き放題。ラジカセ抱えて冬の寒さの中、ベランダで電波拾っていた世代からは考えられない……いい加減、くどいかな。
情報量に対する選択肢も、相対的に増えたよねと思う。確かに技術の発達でツールは色々増えたけど、一個人が費やせる時間、資金、その他諸々には必ず限界があって、たとえば今の若い子は対応出来てるのだろうか? 一人の声優、あるいはアーティストから発信される膨大な情報を、全て受信できてる人って、そんなにいないんじゃなかな。
勿論、各々が興味や関心を持っている事柄は違うから、たとえば水樹奈々を引き合いに出すけど、彼女の歌手活動は追いかけてるけどアニメは見てないとか、ラジオは好きだから聴いているなんて「選択」している場合も多いは思う。そうした選択肢が、勿論対象の人気に比例することではあるけど、今の時代は本当に増えたなと。
まあ、色々とだらだら書いてきましたけど、暫くは自分の興味や関心が向いた方向に歩いてみようと思います。日々着実に若さを失っていく身ですから、そんなにのんびりともしていられないんだけど、ラジオ聴きつつ、イベントとか出かける生活もたまには良いのかなって。何だか5年ほど前に戻った気がしますけど、次の自分が現れるまでは、これで行ってみることにします。
スケッチブック 11 (BLADE COMICS)
2015年5月11日 アニメ・マンガ
秋葉原に神田祭の見物に行ったとき、丁度発売日だったのでゲマ屋やとらで購入しました。毎月、Web版を読んでいる割にはコミックスの発売日を把握してなくて、殆ど偶然見つけたんですけど、無事特典付きを購入できてよかったです。まあ、特典がWonderGOOを除いて全部みなもんなのは笑ってしまいましたが……最近は所謂特典サイトが更新を停止してしまったので、特典情報を拾うのも大変ですね。出版社が載せている場合は良いのですが、きらら系とか数が多いのに載せてないなんてのもありますし。
スケッチブックも11巻目ということで、8巻ぐらいから続いていた初回限定版は存在せず、通常版のみの発売となりました。100話、10巻などの大台を主人公・梶原空のように「何となく」乗り越えてきた作品ではありますが、お祝い事も一頻り済んだら通常進行という辺り、この作品らしいですよね。
ただ、10巻と11巻の間には結構大きな出来事があって、作品外のことではありますが、コミックブレイドの刊行が終了しました。スケブの連載誌だった訳ですが、紙媒体としての発行を終えて、Web版に移行したんですね。何だか某コミックラッシュを思い出す展開ですが、同時に新しい雑誌「コミックガーデン」も創刊されており、スケブはWebのブレイドと、このコミックガーデンの両誌に掲載される形で移籍を果たしました。
ちなみに雑誌としてのコミックブレイド最終刊、こちらの表紙を担当したのもスケッチブックであり、創刊号から連載していた作品として、堂々と雑誌のラストを飾った形になります。雑誌と一緒に完結する可能性もあっただけに、連載が続いてくれたのは嬉しいですが、ブレイドは比較的好きな雑誌だっただけに、刊行が終了してしまったのは残念でもあります。
スケブは所謂、ガンガン等からの移籍組ではないブレイド内での叩き上げですが、それが結果として雑誌を代表する作品になり、100話や最終刊など、作品や雑誌の節目でカラー表紙を担当してきたのは、何だか感慨深いです。
前置きが長くなりましたが、そんなスケブも11巻。表紙は根岸みなもんですが、今回はまさしく彼女の巻だった、と言えてしまうほどには沢山登場します。アニメからの逆輸入キャラではありますが、原作初登場からこっち、そこまで出番が多かった訳でもないだけに、今回は破竹の勢いで連続登場してました。特に、主要キャラでは青より先に表紙デビューを果たしていますね。これに関しては空のクラスメートである渓や高嶺もそうですが、彼女たちは一応4巻が初登場ということになってますから、青より早くてもまあ問題は……ないのか?
スケブは基本的に最初の1ページ、扉のネタは空で始まることが多かったのだけど、最近はその縛りも無くなったのか、空以外のキャラで始まることも増えてます。今回はみなも尽くしと言ってもいい話でしたが、彼女もすっかり原作の空気に染まったのか、なかなかにいい性格を見せるシーンが目立ちますね。空のふてぶてしさに感化されたわけじゃないけど、意図的な無邪気を露わにしており、美術部やその関係者を翻弄しています。少なくとも、兄貴よりは上手なんじゃないかと。
他に特筆すべき事として、梶原家の家族構成が若干ですが垣間見えましたね。前述の青が家事、特に料理が得意なので何となく予想はしていましたが、梶原家にはどうやら母親が不在らしく、11巻にして初めて父親の存在が言及されました。登場こそしてませんが、テーブルの上に大量の小銭を置いて、「これで何か食べよ」と子供たちに書き置きを残していました。文章から伝わってくるニュアンスが何となく空に似ていますが、どうやら性格も空に似ているらしく、小銭を大量に持っているのはレジで小銭を出すのが遅く、後方のプレッシャーに負けてお札で払うことが多いかららしい。それを聞いた空も小銭で重くなった財布を取り出す辺り、やはり娘は父親に似るんですかね。
「これで何か食べよ」を、「これで美味しいもの食えってさ」に変換する青は結構ちゃっかりしている気もしますが、出かけてくるとしか書いてない書き置きを見て、「父さんは遊びに行ったみたいだよ。ひとりで」と言ったり、割り箸袋に残された書き置きの趣旨を正確に察する辺り、親子だけあって色々慣れてるのかもしれません。
一人でフラッと遊びに行くなんて、それこそ空の専売特許みたいなものですが、この親にしてこの子ありという感じなのかな。姉と父親がふてぶてしくものんびりした性格なだけ、長男がしっかり者になったということか。
みなもの登場で原作とアニメの違いが明確化されたスケブだけど、青のキャラクターだけはそんなに差がなくて、姉に振り回されつつも卒なくこなす辺りは、本当によく出来た弟さんです。ただ、和風を好む姉とは逆に、嗜好の上では洋風を好んでおり、11巻でもホワイトシチューを作った際、具に入れるマッシュルームの買い出しを姉に頼んだのにも関わらず、売り切れで椎茸を買ってくるという外れっぷり。青は椎茸じゃマッシュルームの代わりにならないと言いますが、入れてみると意外にイケる。いつかの蒲鉾素麺もそうですが、組み合わせによってはそう悪くないものが出来たりするんだよね。
「でも姉ちゃん関わるとなんかいつも和風になっちゃうなぁ」という青のボヤキは、姉の個性を尊重しつつも自分の嗜好に対する拘りも見られる。煎餅とかいりことかが好きな姉に対して、青はドーナツとか洋菓子が好きですから、和風一辺倒なところがある姉に対して、思うところもあるんでしょう。まあ、それだってポテチやアイスを食べることはあるけども。
お茶漬けを料理と言いはる、包丁を使う料理は簡単と言わない、空の言い分も理解は出来ますが、葉月がはまっているというお茶漬けはちょっと興味ありますね。序盤の方であった栗原さんのお刺身講座もそうだけど、スケッチブックは食に対する記述も結構豊富で、作者の多彩っぷりをよく表していると思います。
11巻はみなもや青といったキャラが印象的な活躍をしていましたが、その反面、佐々木さんメインのネタがほぼなかった気もする。根岸ちゃんと空閑先輩の絡みもなかったけど、そういや朝霞はやっぱり、根岸くんと通学路が同じなんですかね。あの雰囲気から察するに。
まあ、キャラも増えてきたからそのとき動かしやすいキャラがメインを張っていくことになるのだろうけど、Web版やコミックガーデンでも平穏無事に連載を続けて欲しいものです。
それではまた来年、次巻を楽しみにしてましょう。
スケッチブックも11巻目ということで、8巻ぐらいから続いていた初回限定版は存在せず、通常版のみの発売となりました。100話、10巻などの大台を主人公・梶原空のように「何となく」乗り越えてきた作品ではありますが、お祝い事も一頻り済んだら通常進行という辺り、この作品らしいですよね。
ただ、10巻と11巻の間には結構大きな出来事があって、作品外のことではありますが、コミックブレイドの刊行が終了しました。スケブの連載誌だった訳ですが、紙媒体としての発行を終えて、Web版に移行したんですね。何だか某コミックラッシュを思い出す展開ですが、同時に新しい雑誌「コミックガーデン」も創刊されており、スケブはWebのブレイドと、このコミックガーデンの両誌に掲載される形で移籍を果たしました。
ちなみに雑誌としてのコミックブレイド最終刊、こちらの表紙を担当したのもスケッチブックであり、創刊号から連載していた作品として、堂々と雑誌のラストを飾った形になります。雑誌と一緒に完結する可能性もあっただけに、連載が続いてくれたのは嬉しいですが、ブレイドは比較的好きな雑誌だっただけに、刊行が終了してしまったのは残念でもあります。
スケブは所謂、ガンガン等からの移籍組ではないブレイド内での叩き上げですが、それが結果として雑誌を代表する作品になり、100話や最終刊など、作品や雑誌の節目でカラー表紙を担当してきたのは、何だか感慨深いです。
前置きが長くなりましたが、そんなスケブも11巻。表紙は根岸みなもんですが、今回はまさしく彼女の巻だった、と言えてしまうほどには沢山登場します。アニメからの逆輸入キャラではありますが、原作初登場からこっち、そこまで出番が多かった訳でもないだけに、今回は破竹の勢いで連続登場してました。特に、主要キャラでは青より先に表紙デビューを果たしていますね。これに関しては空のクラスメートである渓や高嶺もそうですが、彼女たちは一応4巻が初登場ということになってますから、青より早くてもまあ問題は……ないのか?
スケブは基本的に最初の1ページ、扉のネタは空で始まることが多かったのだけど、最近はその縛りも無くなったのか、空以外のキャラで始まることも増えてます。今回はみなも尽くしと言ってもいい話でしたが、彼女もすっかり原作の空気に染まったのか、なかなかにいい性格を見せるシーンが目立ちますね。空のふてぶてしさに感化されたわけじゃないけど、意図的な無邪気を露わにしており、美術部やその関係者を翻弄しています。少なくとも、兄貴よりは上手なんじゃないかと。
他に特筆すべき事として、梶原家の家族構成が若干ですが垣間見えましたね。前述の青が家事、特に料理が得意なので何となく予想はしていましたが、梶原家にはどうやら母親が不在らしく、11巻にして初めて父親の存在が言及されました。登場こそしてませんが、テーブルの上に大量の小銭を置いて、「これで何か食べよ」と子供たちに書き置きを残していました。文章から伝わってくるニュアンスが何となく空に似ていますが、どうやら性格も空に似ているらしく、小銭を大量に持っているのはレジで小銭を出すのが遅く、後方のプレッシャーに負けてお札で払うことが多いかららしい。それを聞いた空も小銭で重くなった財布を取り出す辺り、やはり娘は父親に似るんですかね。
「これで何か食べよ」を、「これで美味しいもの食えってさ」に変換する青は結構ちゃっかりしている気もしますが、出かけてくるとしか書いてない書き置きを見て、「父さんは遊びに行ったみたいだよ。ひとりで」と言ったり、割り箸袋に残された書き置きの趣旨を正確に察する辺り、親子だけあって色々慣れてるのかもしれません。
一人でフラッと遊びに行くなんて、それこそ空の専売特許みたいなものですが、この親にしてこの子ありという感じなのかな。姉と父親がふてぶてしくものんびりした性格なだけ、長男がしっかり者になったということか。
みなもの登場で原作とアニメの違いが明確化されたスケブだけど、青のキャラクターだけはそんなに差がなくて、姉に振り回されつつも卒なくこなす辺りは、本当によく出来た弟さんです。ただ、和風を好む姉とは逆に、嗜好の上では洋風を好んでおり、11巻でもホワイトシチューを作った際、具に入れるマッシュルームの買い出しを姉に頼んだのにも関わらず、売り切れで椎茸を買ってくるという外れっぷり。青は椎茸じゃマッシュルームの代わりにならないと言いますが、入れてみると意外にイケる。いつかの蒲鉾素麺もそうですが、組み合わせによってはそう悪くないものが出来たりするんだよね。
「でも姉ちゃん関わるとなんかいつも和風になっちゃうなぁ」という青のボヤキは、姉の個性を尊重しつつも自分の嗜好に対する拘りも見られる。煎餅とかいりことかが好きな姉に対して、青はドーナツとか洋菓子が好きですから、和風一辺倒なところがある姉に対して、思うところもあるんでしょう。まあ、それだってポテチやアイスを食べることはあるけども。
お茶漬けを料理と言いはる、包丁を使う料理は簡単と言わない、空の言い分も理解は出来ますが、葉月がはまっているというお茶漬けはちょっと興味ありますね。序盤の方であった栗原さんのお刺身講座もそうだけど、スケッチブックは食に対する記述も結構豊富で、作者の多彩っぷりをよく表していると思います。
11巻はみなもや青といったキャラが印象的な活躍をしていましたが、その反面、佐々木さんメインのネタがほぼなかった気もする。根岸ちゃんと空閑先輩の絡みもなかったけど、そういや朝霞はやっぱり、根岸くんと通学路が同じなんですかね。あの雰囲気から察するに。
まあ、キャラも増えてきたからそのとき動かしやすいキャラがメインを張っていくことになるのだろうけど、Web版やコミックガーデンでも平穏無事に連載を続けて欲しいものです。
それではまた来年、次巻を楽しみにしてましょう。