Ⅲ
「よお、全然学校に来ないくせに、こんなときだけ来るんだな」
久しぶりに顔を出した大学の講堂は、卒業を間近に控えているとはいえ、閑散としていた。
僕はすぐに友人の楓と会った。
「お前が授業を休んでいる間に、ここの連中はみんなレジスタンスになっちまってるよ」
「レジスタンス?」
「こないだのテロ事件からこっち、誰もかれも反国連、月改修計画凍結のシュプレヒコールさ。朝からアジテーターが演説してたよ。『一部掌管専有断固反対! 改修計画は地球人民を見捨てる悪魔の計画だ!』今日は労働者を連れてデモンストレーションだって、皆出てったよ」
「楓は行かなかったのか?」
行くわけがないと分かってはいるが、クラスメイトも少なからず出向いているようだ。
「ばかげてるよ、着いてったのはろくな就職口がない落ちこぼればっかさ。連中は自分が月に行けなかったもんだから、移民した奴らを死ぬほど恨んでるんだ。口では綺麗事言ってるけど、結局インテリの逆恨みほど見苦しいものはないよ」
やれやれといった感じに楓は首を振る。
「本音は月なんて宇宙の彼方まで飛んでっちまえばいいって考えてるやつらさ」
テロ事件以来、僕はすっかり犠牲に疎くなっているようだった。
僕は自分でも気づかないうちに、深い混乱に足を取られてるのかもしれない。
頼木中尉は、憎しみと対立を止めることは出来ないといった。キトラがこのニュースを知ったら、彼女はどうするのだろう?
「国連も改修公社も、地球の失業者や労働者たちと和解しようなんて考えちゃいない。デモにいった連中が少しでも暴動を起こせば、力ずくで押さえつけようとするよ」
「そんなの誰でも知ってるさ。改修計画に不満がある奴らは、一辺この世界がムチャクチャになればいいと思ってるんだぜ?」
何を今更と言った感じに楓は言う。確かに今更の話だ。だが……
「悪いけど、失礼する」
「お、おい! お前も行く気かよ?」
「冗談、デモの連中は武器を持ってる。どこかに連中を組織化しようとしている奴がいるんだ。市民が暴動を起こせば、軍隊は必ず武力を使う、それをやめさせる」
「バカじゃないのか? 出来るわけないだろ。ぶっ殺されるぞ?」
キトラは必ずそこにいるという確信があった。あの少女は必ず、月改修公社に行く。
彼女みたいな子が、浮っついたインテリや、憎しみにわれを忘れた人々に引きずられていくのは、何としても止めなければならない。
Ⅳ
「改修公社までお願いします」
僕は大学を出るとタクシーを拾った。
郊外の大学から都心に向かう道は酷く渋滞していた。各地で労働者や学生のデモ隊がバリケードを組んでいたからだ。二週間あまりのうちに、東京はまったく別の街になってしまったみたいだった。
月改修公社極東本部前広場で、デモ隊と国連軍がにらみ合っていた。暴徒化した群衆の中には、銃器で武装した者もいて、これでは衝突は避けられそうもない。僕の気づかないところで、一体どれぐらいの憎悪が膨らんでしまっていたのだろう?
そして、激しい銃撃音が響く。
手遅れだ。僕が本部前の広場に辿り着いたとき目にしたのは、とても見ていられない地獄だった。国連軍の自動小銃が、容赦なく民衆をなぎ払っていた。暴徒化した労働者と学生が塊のようになって必死に抵抗を続ける。
軍の装備は彼らが初めから同じ人間じゃないかのように瞬く間に群集を駆逐していった。
次々と倒れていく、人、人、人――
塊が四散する。武装した労働者たちが旧式の銃で必死に応戦しているが、彼らも正規軍の火力の前に次々と倒れていく。
「所長も頼木中尉も何を考えているんだ!」
僕は思わず声に出して叫んだ。しかし、その声はこの広場に響くことはない。抵抗を続ける一部の人を除いて、群集は一斉に逃走を始めていた。
「こんな暴動を扇動する連中だって、みんなどうかしてる!」
僕は人波の中で、キトラを探した。
「キトラ!」
「……月本、さん?」
銃声や爆撃が鳴り響く中、僕はやっとの思いでキトラを探し出した。キトラは怪我をして動けないようだった。
「大丈夫か?」
そのときまた、一段と大きい音が聞こえた。国連軍の戦車砲の音のようだった。
「何でこんなところに着たんだ? みんなどうかしてる!」
「私も、私の両親も、一五〇年も苦しんできたのよ? 改修公社が消えなければ、私たちは幸せにはなれないわ。それはあなたにはわからないことなのよ! 何百年経ったってわからないわ!」
少女を支えると、僕の手の平に温かい血の感触があった。弾は少女の体を貫通していた。
大地にこぼれ落ちる血は、彼女の命そのものみたいに見えた。僕は少女を抱きしめたまま、けたたましい喧騒のなかで、一人、世界から遠く遠く離れていくような、奇妙な感覚に襲われていた。地球も、月も、僕には関係のない宇宙が寂しく回っていた。
僕は、生まれたての子どものように、何もわからず、ただ立っていた。僕は泣くことさえ許されていなかった。
僕は……とても一人だった。
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