川崎で上映終了したと思ったら、次の日にはTOHOシネマズららぽーと横浜で上映が始まったらしい。ららぽーとってのは大型のショッピングセンターチェーンだけど、その手の商業施設の例に漏れず、車による来店を想定して作られているから、電車で行くにはやや遠い場所にある。私の感覚で言えば川崎の方が近いとさえ思えるが、まあ、実際に鴨居まで電車で行ったことはないからあくまで想像の上の話だ。私はショッピングセンターとか、ショッピングモールといった大型複合商業施設の類が大好きなので今度行ってこようかなと思います。ハルヒの消失にしても、後2~3回は見ておいても損はしない映画だと思うから。

長門が残してくれたヒントを手に入れたキョンですが、短い文面がなにを意味するのか、その正確な意味をつかむことが出来ない。少し考えればそれがなんであるのかなんて分かりそうなものだけど、鑑賞者だからこその意見だろうか。キョンは他の本もひっくり返して他にもヒントはないか探しますが、これといって残されているものはありません。日も落ちる頃まで粘りますが収穫はなく、仕方無ないので帰ることに。それをみた長門も帰り支度を始めますが、キョンは長門が自分が帰るまで待っていてくれたことを意外に思います。SOS団の活動の場合、大抵は長門が帰るタイミングを測って本を閉じてくれるので、長門が待っているということがキョンには新鮮だったのでしょう。既に辺りは暗くなっており、キョンは必然的に長門を家まで送ることに。対有機生命体コンタクト用ヒューマノイド・インターフェースならまだしも、ただの女の子を一人で帰すほどキョンは男としてダメダメではありません。
帰り道、何気なく一人暮らしをしていることに触れたりするキョンを、長門が自宅へと誘います。キョンがさほど動揺を見せなかったのは、そこが初めて行く場所ではなかったからでしょう。今の長門の部屋を確認しておきたい、という考えもあったのかも知れません。その証拠に、以前自分が時間凍結されていた部屋を除いたりしましたから。
訪れた長門の家は、当然のごとく時間凍結された部屋も存在せず、リビングにはこたつがあるなど内装面での違いがあった。そこで長門はキョンに黙っていた事実を、自分がキョンと会ったことがあるという話をした。5月頃、市立図書館で自分に貸し出しカードを作ってくれたという、確かにキョンにも同じような記憶はありますが、それが目の前にいる長門の想い出とは違うことぐらい判っています。ここからも見て取れるように、長門はキョンにある程度の好意を持っていて、だからこそ文芸部室へ押入った時もさしたる抵抗を見せなかったのでしょう。それどころか、自分の読んでいる本が市立図書館で借りたものであることをアピールし、キョンと自分は会ったことがあるという事実を思い出させようともしました。けれど、キョンにはその記憶が、想い出が無いのです。故にキョンは、明確な答えを返すことが出来ない。
そんな折り、長門の家に次なる訪問客が現れます。同じマンションの階下、5階に住んでいるらしい朝倉涼子です。鍋を両手に抱えて、夕食のおすそ分け……ではなく、夕食を作って持ってきてくれたという感じでしょうか。本人曰く、長門が放っておくとろくなものを食べないらしい。判るような気がする。本物の、という表現はおかしいだろうが、キョンのよく知る長門にしたところで、不純物などいくらでも身体から排出出来るわけだから、意外と栄養とかには拘ってなさそう。細胞というか肉体維持のための最低限の食事しかとらないとか。
朝倉がご近所付き合いしていることはともかく、相変わらず苦手なことに変わりがないキョンとしてはさっさとお暇しようとしますが、そこに三人分の器を抱えた長門が戻ってきます。帰ろうとするキョンの袖を掴んで引き止める、いじらしいじゃないですか。本当に女の子なんだなぁと、そう思います。朝倉が一人暮らしかは分かりませんが、鍋料理は結構美味しかったらしい。けれど、キョンにとってはそれもSOS団に対する哀愁にしかならない。だからこそでしょうか、朝倉に長門が好きなのかと問われたとき、長門が実に普通の女の子らしい笑みを見せたとき、キョンには驚きや戸惑いの方が強かった。

次の日、長門のヒントに書かれていたタイムリミット。キョンは打つ手なしの状態に悩みますが、一作日の狂乱を人づてに聞いた谷口が、何気なく、本当に何気なく涼宮ハルヒの名前を口に出しました。そう、谷口はハルヒと中学時代のクラスメイトだったのです。この世界にハルヒが存在していることを知ったキョンは慌てて学校を飛び出しますが、よく考えればどの学校も今は授業中。元々がお嬢様校である光陽学園には守衛もおり、仕方なくキョンは下校時間まで待つことに。
そして、ハルヒは確かにそこにいた。古泉一樹を隣に伴い、けれどキョンのことをまったく知らない他人として。勇気を振り絞ってハルヒと再開することに成功したキョンですが、相手のことをまったく知らないハルヒは怪しむばかり。けれど、キョンの口からこぼれでた古い事実に、過去の記憶を呼び起こされます。ジョン・スミスと名乗ったキョンに、ハルヒは心を動かされたのです。
ファミレスで事情を聞くハルヒと古泉。極々自然な流れから進学校へと進学したハルヒと、同じような理由でそこへ編入した古泉。当然ですが、古泉もまた超能力者ではなく、機関などという組織のことは知らなかった。ある意味では異世界人とも言えるキョンの立場に興味を示したハルヒは、忘れかけていた感情を呼び起こされて活気に充ち溢れます。ハルヒのことが好きだという古泉はそれが少し複雑で、無条件でハルヒに気に入られたキョンの存在もまた、さほど好ましくは思っていない様子。古泉がハルヒのことを好きというのは、キョンにとっての現実でも変わらないような気がしますが、それは総括にて書くとしましょう。
行動力を発揮させたハルヒは北高へと乗り込み、書道部にいたみくるを拉致すると、一気に文芸部室へ乗り込みます。驚長門を尻目に話を勧めるハルヒは、なんとこの世界でもSOS団を立ち上げようと考える。当面の活動目的は、キョンを元の世界に帰すことだと言いながら。どこの世界でも、ハルヒはハルヒなんだと思わせられるシーンです。
そのとき文芸部室のパソコンが急に立ち上がって、長門のいうプログラムを起動させる鍵が揃ったことが分かります。SOS団の面々とは、わかりやすい限りです。パソコンのエンタキーを押せば、この世界から脱出することが出来る。実はこのとき、原作でのキョンはこんなことを考えています。この世界においても、SOS団としての活動は続けることが可能であると。確かにその通りです。ハルヒの行動力を見れば判るように、流石に毎日とは行かないでしょうがSOS団らしきものを繰り広げることが不可能ではないでしょう。規模や形は変わっても、近いものは出来るはずです。
けれど、それでもキョンは迷わなかった。キョンは長門に、入部届けを返します。それは決別の証であり、キョンがなにを選択したのか、その態度を明確にした瞬間でもありました。長門は嘆き悲しみますが、キョンは元々ここの住人だったことを伝え、エンターキーを押します。ありえたかも知れない未来を、すべて捨て去って。

脱出した世界は3年前、丁度原作で言うところの笹の葉ラプソディの時間軸でした。ここには大人の朝比奈みくると大気中の長門有希が存在しており、力を借りれそうな人物が二人もいることにキョンは奮い立ちます。すぐに大人の朝比奈みくると合流して、状況の確認を行う。そして、先程までいた世界が異世界やパラレルワールドの類ではなく、改変された世界であることを知りました。
中学生ハルヒに向かって叫び、北高へ進むことを諭すかのような言葉を投げかけるキョン。ハルヒはジョン・スミスに二度会ったという、これがその種明かし。それを済ませたら、すぐに長門が住んでいるマンションへと向かいます。キョンのよく知る、調度品などがない簡素な室内。時間凍結された部屋もちゃんと存在します。事情を知った長門は、今回の一件が涼宮ハルヒによるものではないことを突き止め、対抗策をキョンへと授けます。そして、事件の犯人が誰なのかも、告げるのでした。
信じることの出来ないキョンですが、大人の朝比奈みくるは事実を知っている。彼女にとってこれは、過去に起こった出来事でしかないのだから。大人の朝比奈みくるの力で時間を跳んだキョンは、時空改変が行われる寸前の世界へと降り立ちます。彼の役目は、改変が行われた直後に、改変者に向かって再修正プログラムの短針銃を撃ち込むこと。

そして現れた一連の事件の犯人。涼宮ハルヒから世界を改変させる能力を奪い、自らを変革させた自分つの正体は……長門有希だった。

三年前の長門は、何故自分にバグがたまり暴走したのかが分からないと言った。説明しようの無いエラーだと。けれど、キョンにはそれが判る。長門は感情を、自我を持ち始めたのだと。暴走の原因も、自らを変えようとした理由も、そこにあると。キョンは短針銃など使わず、対話によっての解決を試みようとしました。しかし、既に改変された世界において長門は単なる少女でしかなかった。なにを言っても無駄だという大人の朝比奈みくるの言葉に従い、キョンは短針銃を向けた。
そこに、朝倉涼子がナイフを突き立ててきた。復活を遂げた朝倉の役目は、長門の障害を排除する守護者だった。長門を害するものは許さないという狂気の前に、キョンは倒れます。キョンは暴走した長門の作り出したものだから、暴走しているのだと解釈しますが、あるいは長門は意図的に朝倉を作り替えたのかも知れない。
死の痛みに意識を朦朧とさせるキョンですが、トドメをさそうとする朝倉を、別の存在が遮ります。驚く朝倉を尻目に、次に現れたのは子供の朝比奈みくる。実は大人と子供が初めて同じ空間にいたわけだけど、死にかけているキョンに動揺する子供の朝比奈みくるはそれに気づいていない様子。
消えかかる意識の中で、誰かが語りかけます。語りかけながら短針銃を拾い上げ、そして――

目覚めたときそこは病室で、古泉一樹がリンゴを剥いていました。彼の口から自分が階段から転んで落ち、ずっと寝込んでいたことを知らされるキョン。果たしてその事実がそういった部類の事実なのか、一応辻褄は合うと感じながら、キョンは一人の姿を探します。ほかでもない、涼宮ハルヒの姿を。
ハルヒという存在を、SOS団というものを受け入れたキョンにとって、ハルヒとの本当の再会がどれほど嬉しいものだったのか。ハルヒだって嬉しいのでしょうが、キョンはそれ以上でしょう。キョンの穏やかさに、ハルヒが戸惑いを覚えてしまうぐらいですから。見舞いに訪れたみくるはわんわん泣き出していますし、やっとすべてが終わったという感じがします。
でも、まだひとつだけ残っていました。目覚めて即退院というわけにもいかないキョンは、夜になって病院の屋上へと上がりました。そして、そこで長門有希と再会します。ハルヒと同じぐらい、キョンが会いたかった少女。三年前から自分がこうなることを知っていた長門に、何故相談をしてくれなかったのかというキョン。そうしたところで結果は同じだったと語る長門は、それでも自分に出来る限りのことをしたのだった。
キョンは情報統合思念体について苦言を呈します。どうして長門をこんな欝な少女にしたのかと。クラスで人気者になれるような朝倉みたいなインターフェースを作れるのに、どうして長門だけこんな感情表現生薄な少女にしてしまったのかと。もっともな意見ではあるけど、私は必ずしも賛同しない。長門の役目は監視であり、そうした任務を行うに適した存在を情報統合思念体は作ったに過ぎず、中でも長門は1万云千回のループにも耐え切れるほどの耐久力を見せた。これがキョンの例に出した朝倉だったらどうだろうか? 彼女が長門のバックアップとしてどれほどの既刊活動をしてきたのかはしらないが、入学して割とすぐに変化のない現状に耐え切れなくなるほど、忍耐力のない性格だった。当然、彼女がエンドレスエイトなんて体験した日には、10回のループも耐えられないだろう。
だからこそ長門はこういう性格と性能が必要だったわけだが、それを抜きにしてもキョンの憤りはもっともだろう。処分を検討しているという情報統合思念体に反発し、ハルヒの力を使ってでも彼女を守ろうと誓うのは納得の行く姿勢である。キョンにとって、長門の存在もまたSOS団の大切な仲間なのだから。

退院して、クリスマス・イブ当日。SOS団の部室からは芳しい香りが漂っている。ハルヒ手製の鍋だろう。キョンはいずれ自分が三度過去へ飛ばなければいけないことを自覚しつつも、鍋を食うぐらいなら世界も待てるだろうと部室へ、ハルヒと仲間たちのいるSOS団へと足を踏みれたのでした。自分の選んだ、世界に向かって。


ざっと書いただけなのですが、最低でも後1回は見ようかと思っています。私の感想としては、よく出来たアニメ映画でした。前日に見たいばらの王はバイオレンスSFだったわけだけど、二つの相反する娯楽映画を観た、という感じ。別に消失は芸術性が高いとか、そういう作品ではないと思うんだけど、私はハルヒシリーズの中で消失は映画としてみたい作品だとずっと思っていたので、その望みが果たされた感じでした。角川はわかってるね。
憂鬱と消失は劇場版として耐えうる作品だと思っているけど、やはり消失の方がグッと来るものがあるよね。京アニもまあ、さすがにいい仕事してますよ。
次に見る映画はトライガンかコナンと決めていますが、おそらくコナンが先になるか……トライガンもまたチネチッタで見る予定だけど、上手く日程が合えばいいなぁ。ホットドッグが思いの外上手かったので、今度はナチョスで食べてみようかな。金があれば。トライガンはいばらの王ともハルヒとも違うアクションSFなわけで、どのように娯楽の違いを魅せてくれるのか今から楽しみでなりません。あぁ、早く見たいものです。

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