劇場版「TRIGUN Badlands Rumble」
2010年5月1日 アニメ・マンガ
本日の映画1本目、劇場版「TRIGUN Badlands Rumble」を見てきました。海外ファンの熱心な声に動かされての続編ということだけど、一体海外のどういった層が支持してるんですかね? やっぱり、西部劇とかが好きな人達なんでしょうか。正直、それほど迫力がある作品じゃないし、派手さがあるわけでもないし……あ、映画版の話ね? メリケン人ってのは、とにかく派手なアクションやガジェットを好むものだと理解しているので、そう考えると少し物足りないんじゃないかなーと。
アニメ版のトライガンが1998年ですから、そこから数えて12年ですか。まさか12年ぶりにトライガンが復活するとは思ってなかったけど、長く愛される作品というのはいいものですね。私としては映画版の脚本も黒田洋介に書いてもらいたかったんだけど、スタッフロールを見る限りは小林靖子でした。なるほど、だからあんなにも王道した話の内容だったのか。
実にトライガンらしい話だったというか、オリジナルなので原作の本筋に絡むような話ではありませんでした。劇場版オリジナルキャラである大強盗ガスバッグと、彼の賞金を目当てに集まった賞金稼ぎの一人、アメリアという少女を軸に、ヴァッシュやウルフウッドといったお馴染みのキャラクターが絡んでくる、という感じでしょうか。保険屋の二人も当然出てきます。それぞれが別の箇所というか勢力との繋がりを持っていて、例えば主人公であるヴァッシュがアメリアと絡んでいれば、ウルフウッドはとある恩からガスバッグの護衛をやっている。そして保険屋はガスバッグが狙う街の市長だか誰だかのところにいて、やがてそれらがひとつになって……とまあ、90分と少しの映画と考えれば、やりたいことが上手く表現されていたようにも思える。凄く面白いって程ではないにしろ、ファンには懐かしいものであるだろうし、十分に楽しめたんじゃないかな。
そういやゲストキャラであるアメリアの声は坂本真綾だったけど……真綾ってこういう使い方されることが本当に多い。まあ、悪い演技じゃなかったけど、キャラの容姿とかイメージからすると、真綾だと少し声が高い感じがしないでもない。まあ、そんなこといったら雪野五月があれか。
トライガンが終わった後は御茶ノ水に移動して、全電通ホールでやっているSFセミナーへ。SF大会ほどメジャーではないけど、結構長くつづいているSFのイベントです。私は一般参加だけど、知り合いが数多く参加しているもんで、午後からでも参加しようかなと。本当は午前中の小川一水の講演も見たかったんだけど、ついついトライガンを優先させてしまった。小川一水はライトノベル作家として扱われることが多いけど、その実はSF作家クラブに所属するSF作家です。ライトな作風で書かれている作風も多いけど、明確にライトノベル作家であるとするのは、笹本祐一をそうであるというぐらいに間違っている気もする。
私はイカロスの誕生日が好きだけど、近年はハードSFである第六大陸の評価が高いのかな? あれも星雲賞とりましたよ。一体どんな話をしたのか、時間がなくてその場にいた知り合いに詳しく話を聞けなかったけど、その他の講演というかなんというかも結構楽しかった。
特に、アリグザンダー・O・スミスによる海外のラノベ・漫画・ゲーム翻訳事情なんかはなかなか興味深く、ラノベは海外市場においてさっぱり売れていないらしい。当たり前だと思うけど、果たしてなにが悪いのか、試しにありがちながら表紙の絵をアメリカ向けに変えてみたら、既についているファンから猛反発を食らったらしく、けれど売上は少し上がったそうで、多分日本人のオタクが好むライトノベルの作風や絵柄と、アメリカ人が好むような作風がマッチしてないんでしょうね。まあ、貧相惰弱な少年が主人公のラノベなんて、売れるわけがないといえばその通りなんだけどさ。連中はヒーロー願望の元に成り立ってるから、普段は冴えない青年ないし少年だけど、というのならまだだしも、ラノベの主人公は基本的に性格は良いけど、優しいけど、というのが基本で、戦闘力は皆無なことが多いですから。
個人的にはとある魔術の禁書目録が海外市場で受けているのかどうか、というのが気になるけど、最近のライトノベルはどれもヒットと言えるようなものはないらしいから、どんな作品にしたってダメなんだと思う。
後、東浩紀が最後に登場していつもながらよくしゃべってましたけど、あの人合宿にはよく参加してるけど、本会に登場したのってなにげに初めてなんだよね。相変わらず、よくもまあ話すことが付きないものだと思ったけど、ツイッターの話と小説を書くようになった動機については結構唸るものがあった。私は東浩紀をオタクの鑑だとか、そんな馬鹿げた考えは持ってないけど、あの独特な理論はやっぱり面白いよ。自分の実力を客観的に見れているところとかも、それが完璧じゃないにしろ大したものだと思う。
SF大会が終わった後はハルヒの2回目ともう一つの映画を観るためにららぽーと横浜へ移動。これが意外に遠くて、下手すれば間に合わないんじゃないかとひやひやした。チケット発券システムの一つが故障していて、それに時間を取られたりしたしね。まあ、ハルヒは2回目だから多少遅れても大丈夫だったんだけど……今回の席はなぁ。結構いい位置を確保したと思ってたんだけど、隣が子供だったんですよ。それこそ、幼稚園児ぐらいの。父親に連れてこられたんでしょうね、劇場の来場者特典をいそいそとカバンにしまう父親の横でポップコーン食べてましたけど、あまりにも場違いでさ。しかも、話し声を聴く限り映画館に来るのも二度目とか、それぐらいらしいんですよ。
これはもう嫌な予感すらしなかったというか、別に騒ぎはしなかったよ? 泣きもしなかったさ。けど、質問ばっかなのよ。うん、当たり前だ。幼稚園児が涼宮ハルヒなんて知ってる訳ないし、ある程度の事前知識がないと見たことある人だってわかりにくい、取っ掛かりにくい作品だよ。理解できない幼稚園児が父親に色々ものを尋ね、質問するのも無理はないですよ。けど、隣に座っている身としてはうるさいし、気が散るわけでね。結構声も大きかったし。いちいち答える父親の態度にも、思うところはあった。
とはいえ、初見ならまだしも二度目だし、幼稚園児相手に怒るのも大人気ないし、注意するにもあれぐらいの年の子は怒られることがトラウマになりかねないから、さてどうしたものかと思ってたら、堪りかねた私以外の客が注意をしてしまって。キョドった親父に比べると、子供の方はそれほど気にならなかったみたいだけど、別に子供は悪くないと思う。連れてきた親がいけないんですよ、この場合。
あくまで私の個人的な考えだけど、子供と映画館にきたんだったら、親に観たい作品があるのだとしても、私は子供を優先して考えるべきだと思うんですよ。古戸の質問に全部答えられたところを見て、父親はハルヒに詳しいのでしょう。となれば、アニメだからと間違えてみてしまった可能性は低い。館内では国民的アニメであるコナンもクレしんもやってたし、子供に観せるなら普通にこちらを選択するべきで、それなのにハルヒを観たというのは親のほうが観たいからという、それ以外の何物でもないと思う。
私はそんな親の行いを非難するし否定するし、自分がコナンやクレしんに興味がない、もしくは好きじゃないのだとしても、そこは子供に付き合ってそれらの作品を見ることが、私は親の勤めだと思うわけ。それが親ってものなんだとね、断言もしてしまう。映画館に来るのが二度目の幼稚園児に、内容もよく分からない2時間50分という長時間の映画を観せるなんて、それは親のすることじゃないですよ。なにを考えているのか、馬鹿じゃないかと、私は正直言ってやりたかった。子供が楽しむこともできず、自分だけヘラヘラ笑って、注意させることで子供を傷つけて、自分は慌てふためいて、全くアホじゃないのかと。上映が終わったら気まずいのか逃げるようにその場から逃げ去っていったけど、本当に子どもが可哀想でならなかった。私は結構幼少期の体験を引きずるほうなので、あの幼稚園児にはトラウマ等を抱えてもらいたくはないですね。
ちなみにどうして私が隣の子供が幼稚園児だと気づいたいのかというと、その子どもが上映中にこんな質問を父親にしていたからです。「終業式ってなに?」と。
小学生以上にはあるけど、幼稚園にはないですからね。とりあえず、ハルヒは後1回だけ観ようと思います。今回はなんか、観た気がしなかった。
アニメ版のトライガンが1998年ですから、そこから数えて12年ですか。まさか12年ぶりにトライガンが復活するとは思ってなかったけど、長く愛される作品というのはいいものですね。私としては映画版の脚本も黒田洋介に書いてもらいたかったんだけど、スタッフロールを見る限りは小林靖子でした。なるほど、だからあんなにも王道した話の内容だったのか。
実にトライガンらしい話だったというか、オリジナルなので原作の本筋に絡むような話ではありませんでした。劇場版オリジナルキャラである大強盗ガスバッグと、彼の賞金を目当てに集まった賞金稼ぎの一人、アメリアという少女を軸に、ヴァッシュやウルフウッドといったお馴染みのキャラクターが絡んでくる、という感じでしょうか。保険屋の二人も当然出てきます。それぞれが別の箇所というか勢力との繋がりを持っていて、例えば主人公であるヴァッシュがアメリアと絡んでいれば、ウルフウッドはとある恩からガスバッグの護衛をやっている。そして保険屋はガスバッグが狙う街の市長だか誰だかのところにいて、やがてそれらがひとつになって……とまあ、90分と少しの映画と考えれば、やりたいことが上手く表現されていたようにも思える。凄く面白いって程ではないにしろ、ファンには懐かしいものであるだろうし、十分に楽しめたんじゃないかな。
そういやゲストキャラであるアメリアの声は坂本真綾だったけど……真綾ってこういう使い方されることが本当に多い。まあ、悪い演技じゃなかったけど、キャラの容姿とかイメージからすると、真綾だと少し声が高い感じがしないでもない。まあ、そんなこといったら雪野五月があれか。
トライガンが終わった後は御茶ノ水に移動して、全電通ホールでやっているSFセミナーへ。SF大会ほどメジャーではないけど、結構長くつづいているSFのイベントです。私は一般参加だけど、知り合いが数多く参加しているもんで、午後からでも参加しようかなと。本当は午前中の小川一水の講演も見たかったんだけど、ついついトライガンを優先させてしまった。小川一水はライトノベル作家として扱われることが多いけど、その実はSF作家クラブに所属するSF作家です。ライトな作風で書かれている作風も多いけど、明確にライトノベル作家であるとするのは、笹本祐一をそうであるというぐらいに間違っている気もする。
私はイカロスの誕生日が好きだけど、近年はハードSFである第六大陸の評価が高いのかな? あれも星雲賞とりましたよ。一体どんな話をしたのか、時間がなくてその場にいた知り合いに詳しく話を聞けなかったけど、その他の講演というかなんというかも結構楽しかった。
特に、アリグザンダー・O・スミスによる海外のラノベ・漫画・ゲーム翻訳事情なんかはなかなか興味深く、ラノベは海外市場においてさっぱり売れていないらしい。当たり前だと思うけど、果たしてなにが悪いのか、試しにありがちながら表紙の絵をアメリカ向けに変えてみたら、既についているファンから猛反発を食らったらしく、けれど売上は少し上がったそうで、多分日本人のオタクが好むライトノベルの作風や絵柄と、アメリカ人が好むような作風がマッチしてないんでしょうね。まあ、貧相惰弱な少年が主人公のラノベなんて、売れるわけがないといえばその通りなんだけどさ。連中はヒーロー願望の元に成り立ってるから、普段は冴えない青年ないし少年だけど、というのならまだだしも、ラノベの主人公は基本的に性格は良いけど、優しいけど、というのが基本で、戦闘力は皆無なことが多いですから。
個人的にはとある魔術の禁書目録が海外市場で受けているのかどうか、というのが気になるけど、最近のライトノベルはどれもヒットと言えるようなものはないらしいから、どんな作品にしたってダメなんだと思う。
後、東浩紀が最後に登場していつもながらよくしゃべってましたけど、あの人合宿にはよく参加してるけど、本会に登場したのってなにげに初めてなんだよね。相変わらず、よくもまあ話すことが付きないものだと思ったけど、ツイッターの話と小説を書くようになった動機については結構唸るものがあった。私は東浩紀をオタクの鑑だとか、そんな馬鹿げた考えは持ってないけど、あの独特な理論はやっぱり面白いよ。自分の実力を客観的に見れているところとかも、それが完璧じゃないにしろ大したものだと思う。
SF大会が終わった後はハルヒの2回目ともう一つの映画を観るためにららぽーと横浜へ移動。これが意外に遠くて、下手すれば間に合わないんじゃないかとひやひやした。チケット発券システムの一つが故障していて、それに時間を取られたりしたしね。まあ、ハルヒは2回目だから多少遅れても大丈夫だったんだけど……今回の席はなぁ。結構いい位置を確保したと思ってたんだけど、隣が子供だったんですよ。それこそ、幼稚園児ぐらいの。父親に連れてこられたんでしょうね、劇場の来場者特典をいそいそとカバンにしまう父親の横でポップコーン食べてましたけど、あまりにも場違いでさ。しかも、話し声を聴く限り映画館に来るのも二度目とか、それぐらいらしいんですよ。
これはもう嫌な予感すらしなかったというか、別に騒ぎはしなかったよ? 泣きもしなかったさ。けど、質問ばっかなのよ。うん、当たり前だ。幼稚園児が涼宮ハルヒなんて知ってる訳ないし、ある程度の事前知識がないと見たことある人だってわかりにくい、取っ掛かりにくい作品だよ。理解できない幼稚園児が父親に色々ものを尋ね、質問するのも無理はないですよ。けど、隣に座っている身としてはうるさいし、気が散るわけでね。結構声も大きかったし。いちいち答える父親の態度にも、思うところはあった。
とはいえ、初見ならまだしも二度目だし、幼稚園児相手に怒るのも大人気ないし、注意するにもあれぐらいの年の子は怒られることがトラウマになりかねないから、さてどうしたものかと思ってたら、堪りかねた私以外の客が注意をしてしまって。キョドった親父に比べると、子供の方はそれほど気にならなかったみたいだけど、別に子供は悪くないと思う。連れてきた親がいけないんですよ、この場合。
あくまで私の個人的な考えだけど、子供と映画館にきたんだったら、親に観たい作品があるのだとしても、私は子供を優先して考えるべきだと思うんですよ。古戸の質問に全部答えられたところを見て、父親はハルヒに詳しいのでしょう。となれば、アニメだからと間違えてみてしまった可能性は低い。館内では国民的アニメであるコナンもクレしんもやってたし、子供に観せるなら普通にこちらを選択するべきで、それなのにハルヒを観たというのは親のほうが観たいからという、それ以外の何物でもないと思う。
私はそんな親の行いを非難するし否定するし、自分がコナンやクレしんに興味がない、もしくは好きじゃないのだとしても、そこは子供に付き合ってそれらの作品を見ることが、私は親の勤めだと思うわけ。それが親ってものなんだとね、断言もしてしまう。映画館に来るのが二度目の幼稚園児に、内容もよく分からない2時間50分という長時間の映画を観せるなんて、それは親のすることじゃないですよ。なにを考えているのか、馬鹿じゃないかと、私は正直言ってやりたかった。子供が楽しむこともできず、自分だけヘラヘラ笑って、注意させることで子供を傷つけて、自分は慌てふためいて、全くアホじゃないのかと。上映が終わったら気まずいのか逃げるようにその場から逃げ去っていったけど、本当に子どもが可哀想でならなかった。私は結構幼少期の体験を引きずるほうなので、あの幼稚園児にはトラウマ等を抱えてもらいたくはないですね。
ちなみにどうして私が隣の子供が幼稚園児だと気づいたいのかというと、その子どもが上映中にこんな質問を父親にしていたからです。「終業式ってなに?」と。
小学生以上にはあるけど、幼稚園にはないですからね。とりあえず、ハルヒは後1回だけ観ようと思います。今回はなんか、観た気がしなかった。
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