Snedronningen
2010年6月3日 読書
不思議の国のアリスという作品は、多くの人のアイデンティティになっており、創作家の中でも影響を受けたという人は枚挙にいとまがない。あの世界的な偉人であるウォルト・ディズニーも原点として不思議の国と鏡の国を上げているし、日本でいえば漫画家の木下さくらなどがそれに当たるだろう。海外文学というのは児童書であっても翻訳の影響を強く受けるが、アリスのように様々な翻訳家が訳している作品だと、どの訳を読んだかで印象がだいぶ違うのではないだろうか? 例えば福島正実と村山由佳とか。もちろん、和田誠をはじめとした様々なイラストレーターから受ける印象も大きのだろうが。
私はアリスという作品にあまり思い入れがない。嫌いではないが、自分が創作をする上でそれほど強い影響を与えられたのかといえば、そんなものは毛ほども存在しないだろう。私にとってアリスとは課題作ではない。童話史に刻まれた最高傑作の一つではあると思うが、特別な存在として見たことは一度もないだろう。ルイス・キャロルは偉人であり偉大な作家だが、私にとっての神ではなかった。
ルイス・キャロルの生涯は66年間であり、彼は1898年に死んだ。彼は1900年代を生きることも、20世紀の作家として名を残すこともなかったが、彼が死去する23年前に一人の童話作家がこの世を去っている。ルイス・キャロルよりも27年早く生まれ、生涯年数でいえば4年長く生きたその作家の名は、ハンス・クリスチャン・アンデルセンという。
人魚姫、マッチ売りの少女、裸の王様……日本においてもアンデルセンの作品は、アンデルセン童話として親しまれ、みにくいアヒルの子や親指姫、赤い靴などは日本人でも読んだことがある人は多いのではないだろうか?
児童文学を将来の夢の一つに掲げている私の原点は、キャロルではなくアンデルセンである。ハンス・クリスチャン・アンデルセンこそ私にとっての神であり、自分自身の創作に多大なる影響を与えてくれた作家だった。そして私のアイデンティティにして、課題作となる作品、それこそがアンデルセンの代表作の一つ、「雪の女王」なのだ。
キャロルとアンデルセンには27歳の年の差が存在し、同時代に彼らが交流を持っていたという史実は存在しない。旅人であったアンデルセンは世界を放浪する中で、かのグリム兄弟やチャールズ・ディケンズなど、1800年代を代表する偉大な作家たちと交流を深めている。中でもディケンズとの間には数々の逸話が存在しており、彼がイギリス人であったことを考えれば、キャロルと知己になっていてもおかしくはなさそうであるが、実のところルイス・キャロルが不思議の国のアリスを発表し、作家として大成するのは1865年、アンデルセンが死去する10年前なのだ。それ以前のキャロルは所謂風刺作家、詩人としてそれなりに名が知られていたに過ぎず、同国人であるディケンズや、フランス史上最大の作家アレクサンドル・デュマなどとは実績も名声も比べものにならないほど低かった。
少し話外れるが、この1800年代というのは凄い時代である。キャロルやアンデルセンはもちろん、ディケンズやデュマ、オノレ・ド・バルザックにヴィクトル・ユーゴーまで同時代人だというのだから。無論、これは単なる偶然であり、そんなことをいえば1900年代にも2000年代にも名作、傑作、天才作家は存在しているのだから、なにも1800年代だけが特別ではないのだろうが、連ねられた偉大な作家たちの名前に息を呑んでしまうのは、私だけではないはずだ。
私がアンデルセンを敬愛し、自身の創作に置いてのアイデンティティとしているのは、単純にアンデルセン童話が好きだからであるが、もう一つ付け足すのならば、それが完全なる創作の上に成り立っているからだろう。グリム兄弟が民間伝承や民俗説話などを元に童話を作ったのと違い、アンデルセンはオリジナルの創作童話を数多く残した。決してグリム兄弟を下に見るわけではないが、アンデルセンは彼の若き日の苦悩や年老いてから得た悟りなど、そういった一個人としての生涯や生き様を、作家として作品に散りばめ続けたのだ。
アンデルセンは70歳の時に病で死去しているが、人生の最後までおとぎ話を書き続けた彼の死に、世界中の人々が嘆いたと言われている。その生涯は決して幸福に満たされていたわけではなかったが、アンデルセンの作品は今もアンデルセン童話として、日本を含めた世界中で愛されているのである。
雪の女王という作品について、私は当然のごとく色々書きたいことがある。少なくともアリス好きがアリスに対する思い入れを語るぐらいには、私にも雪の女王に対する思い入れがあり、語り尽くしたいほどの気持ちがあるのだが、長くなるので今回はやめておくことにしよう。物書きとしてあるまじきことを言えば、自分の想いや気持ちというものを、要点まとめて伝えられる自信がないのだ。
私がふいにこのような児童文学に付いての話を書いたのは、偶然にも不思議の国のアリスに付いて書かれた日記を読んだからであるが、言いたいことはただの一つだ。人にはそれぞれ思い入れの強い作品というものがあり、自身のアイディンティティやライフワークとなるべきものがある。誰もが認める名作の場合や、誰も知らないマイナーな作品ということもあるだろう。
人々がキャロルを愛することも、私がアンデルセンを敬愛することも、そしてこの日記を読んだ人が自分の一番好きな作家に捧げる想いも、本質としては変りないのだ。作品や作家が有名か無名かなど関係ない、肝心なのは自分がどれほど影響を受けたのか、それだけの話なのだから。
私はアリスという作品にあまり思い入れがない。嫌いではないが、自分が創作をする上でそれほど強い影響を与えられたのかといえば、そんなものは毛ほども存在しないだろう。私にとってアリスとは課題作ではない。童話史に刻まれた最高傑作の一つではあると思うが、特別な存在として見たことは一度もないだろう。ルイス・キャロルは偉人であり偉大な作家だが、私にとっての神ではなかった。
ルイス・キャロルの生涯は66年間であり、彼は1898年に死んだ。彼は1900年代を生きることも、20世紀の作家として名を残すこともなかったが、彼が死去する23年前に一人の童話作家がこの世を去っている。ルイス・キャロルよりも27年早く生まれ、生涯年数でいえば4年長く生きたその作家の名は、ハンス・クリスチャン・アンデルセンという。
人魚姫、マッチ売りの少女、裸の王様……日本においてもアンデルセンの作品は、アンデルセン童話として親しまれ、みにくいアヒルの子や親指姫、赤い靴などは日本人でも読んだことがある人は多いのではないだろうか?
児童文学を将来の夢の一つに掲げている私の原点は、キャロルではなくアンデルセンである。ハンス・クリスチャン・アンデルセンこそ私にとっての神であり、自分自身の創作に多大なる影響を与えてくれた作家だった。そして私のアイデンティティにして、課題作となる作品、それこそがアンデルセンの代表作の一つ、「雪の女王」なのだ。
キャロルとアンデルセンには27歳の年の差が存在し、同時代に彼らが交流を持っていたという史実は存在しない。旅人であったアンデルセンは世界を放浪する中で、かのグリム兄弟やチャールズ・ディケンズなど、1800年代を代表する偉大な作家たちと交流を深めている。中でもディケンズとの間には数々の逸話が存在しており、彼がイギリス人であったことを考えれば、キャロルと知己になっていてもおかしくはなさそうであるが、実のところルイス・キャロルが不思議の国のアリスを発表し、作家として大成するのは1865年、アンデルセンが死去する10年前なのだ。それ以前のキャロルは所謂風刺作家、詩人としてそれなりに名が知られていたに過ぎず、同国人であるディケンズや、フランス史上最大の作家アレクサンドル・デュマなどとは実績も名声も比べものにならないほど低かった。
少し話外れるが、この1800年代というのは凄い時代である。キャロルやアンデルセンはもちろん、ディケンズやデュマ、オノレ・ド・バルザックにヴィクトル・ユーゴーまで同時代人だというのだから。無論、これは単なる偶然であり、そんなことをいえば1900年代にも2000年代にも名作、傑作、天才作家は存在しているのだから、なにも1800年代だけが特別ではないのだろうが、連ねられた偉大な作家たちの名前に息を呑んでしまうのは、私だけではないはずだ。
私がアンデルセンを敬愛し、自身の創作に置いてのアイデンティティとしているのは、単純にアンデルセン童話が好きだからであるが、もう一つ付け足すのならば、それが完全なる創作の上に成り立っているからだろう。グリム兄弟が民間伝承や民俗説話などを元に童話を作ったのと違い、アンデルセンはオリジナルの創作童話を数多く残した。決してグリム兄弟を下に見るわけではないが、アンデルセンは彼の若き日の苦悩や年老いてから得た悟りなど、そういった一個人としての生涯や生き様を、作家として作品に散りばめ続けたのだ。
アンデルセンは70歳の時に病で死去しているが、人生の最後までおとぎ話を書き続けた彼の死に、世界中の人々が嘆いたと言われている。その生涯は決して幸福に満たされていたわけではなかったが、アンデルセンの作品は今もアンデルセン童話として、日本を含めた世界中で愛されているのである。
雪の女王という作品について、私は当然のごとく色々書きたいことがある。少なくともアリス好きがアリスに対する思い入れを語るぐらいには、私にも雪の女王に対する思い入れがあり、語り尽くしたいほどの気持ちがあるのだが、長くなるので今回はやめておくことにしよう。物書きとしてあるまじきことを言えば、自分の想いや気持ちというものを、要点まとめて伝えられる自信がないのだ。
私がふいにこのような児童文学に付いての話を書いたのは、偶然にも不思議の国のアリスに付いて書かれた日記を読んだからであるが、言いたいことはただの一つだ。人にはそれぞれ思い入れの強い作品というものがあり、自身のアイディンティティやライフワークとなるべきものがある。誰もが認める名作の場合や、誰も知らないマイナーな作品ということもあるだろう。
人々がキャロルを愛することも、私がアンデルセンを敬愛することも、そしてこの日記を読んだ人が自分の一番好きな作家に捧げる想いも、本質としては変りないのだ。作品や作家が有名か無名かなど関係ない、肝心なのは自分がどれほど影響を受けたのか、それだけの話なのだから。
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