珍しく一週間置きに物書きの集まりがあったので、新宿は山珍居の近くまで行ってきた。山珍居というのは知る人ぞ知る文芸家や作家たちの聖地で、あのSF作家クラブ発足の地でも知られています。私はあまり新宿に縁がないのと、偉大すぎる店を前に入る勇気がないので未だに来店したことはないのですが、普通に台湾料理屋としても美味しいらしい。

顔を出した集まりでは作家も幾人か来てたけど、その中の一人であるラノベ作家が、今年から刊行を始めたシリーズを打ち切られた旨を報告、いや、ほとんどあれは愚痴だったかな。今年から始めたという時点で刊行数なんてたかが知れてるんだけど、ラノベってのは売れないと1冊ないし2冊で切り捨てますからね。よくあることです。
ラノベって華やかな世界に見えるけど、そんなことは全然ないんですよ。苦労して新人賞とって、本が出せたと思ったら即打ち切り。それにショックを受けて辞める奴もいれば、へこたれずに頑張る奴もいる。デビュー作でヒットする人もいれば、例えば野村美月みたいに何作か書いてやっとヒットに恵まれたなんて人もいるわけで。高橋弥七郎なんかも、デビュー作がウケなかったからシャナ書いたわけだしね。
私はどちらかと言えば、デビュー作から大ヒットするのは良い傾向じゃないと思うんですよね。西尾維新みたいのは別としても、例えばおかゆまさきとか、デビュー作が個性際立った作品過ぎると、後が続かないじゃない? 1作目を超える2作目を書くのは難しく、だからこそあかほりさとるなんかは女性声優に作家と結婚する場合は、2作目もヒットしている奴にしろ、なんて言うわけで。
何作か書いた後にヒットをつかみとった人は、なにせ下積みが長いからちょっとやそっとじゃヘコタレない。1つの作品が評価されれば前の作品も再評価され始めるし、それによって次の作品にもつなげることが出来る。処女作しか持っていない作家とは、手持ちの数が違うんですよ。鎌池和馬のヘビーオブジェクトが売れてるのかはしらないけど、あれにしたってファンはヘビーよりも禁書の新作を強く望んでいるわけだし、大ヒットを飛ばしすぎるというのも、それはそれで考えものです。ヒット作に縛られるから。

愚痴っていたラノベ作家が打ち切りにショックを受けていたのかはしりませんが、こういうのは割り切らないとダメです。ラノベに限らずですが、本は作品であると同時に商品であることを理解しないといけない。好きなものをひたすら書いていたいなら同人誌でも作っていろという話で、自分の書きたいものだけ書いて金を儲けようなんて、本来はおこがましいことなんですよ。この日記でも何度か書いてるけど、大御所や大家はまだしも、新人作家に好きな作品を書く自由なんてないからね? 一発当てたならそのシリーズを書き続けなきゃいけないし、鳴かず飛ばずだとしても今度は売れるものを書けと編集から指示が飛ぶ。そうやって何年、何十年かの年月を経て、やっと自分の書きたいものを書かせてもらえるようになるんです。西尾維新とかあの辺は、特別なんです。
自分の中で何年も温めてきた作品があるとして、それこそ学生の頃から広げ続けてきた世界観があるとする。その思い入れの強い作品で賞を取り、本も出した。しかし売れなくて、僅か2巻で打ち切りとなった。自分の作品が世界が、人々によって否定されたのだ。そんな作家の末路と言ったらない。なにせその作品を書くためだけに作家になったようなものだから、後が続かないのだ。書きたいものを世に出して、それがあっさり打ち切られると、途端に書けなくなってしまう。こんな風に潰れていったラノベ作家が本当に多い。
まあ、今回愚痴っていた知り合いは一度や二度打ち切られたぐらいでへこたれるような奴ではないと思うが、ラノベなんて売れないなんだと再認識させられた。あんまり悲しくないのは、他人事以前に打ち切られた作品が好きじゃなかったからだろうか。あれは人を選ぶって。ああいう突き抜けた作品は。次回作では方向修正するらしいけど、ガラリと雰囲気を変えたら変えたで、それまでついてきた読者が戸惑うよな気がしないでもない。レーベルの色合いってのもあるし、私はあのレーベルでお固いものを書いてもウケないと思うんだけどな。軽い作品が駄目だったから固くしようなんて、少々短絡的すぎやしないか。

なんにせよ不景気な話題ですよ。PHPのスマッシュ文庫は何年持つかという酷い予想をしてきたけど、その場にいる誰もがあれは長続きしないものと考えているんだよね。ラノベレーベルもラノベも無駄に乱立されているけど、生き残れるのはほんの一握りでしかないのです。私は立場上、あんまりラノベと関係ない人になっているけど、それでも無視出来るような状況ではなくなってきてる。どこから破綻するのか、電撃文庫はあのままでいいんだろうかね、本当に。

コメント