スケッチブック(7) (ブレイドコミックス)
2010年10月13日 アニメ・マンガ
角川のサイトに残ってたヨスガのコミックスは在庫完売したみたいですね。日中に一度復活したんですけど、こうなってはもう重版待ちでしょう。秋葉原のメロンブックスがかき集めた在庫を放出してましたけど、それにしたって1日持つかどうか。全体的に見ればネット在庫や書店在庫が尽きたわけじゃないし、例えば啓文堂書店にはチェーン内にまだ何冊か残っているらしく、ネットでも注文することが出来ます。ただ、沢山の需要を満たせるわけもないし、角川にはさっさと重版をお願いしたい。初版本に拘る人がいるのかは知らないけど、欲しい人は根気よく探すことです。
さて、ヨスガのアニメが始まってから日記の内容がヨスガばかりになっていたので、たまには違うことを書くことにします。ネタが無いわけじゃないのですが、あんまり偏るのもどうかと思うし、スケブの新刊についてはどうしても触れておきたかったので。
マックガーデンはコミックブレイドで連載されている、小箱とたんのスケッチブック第7巻が発売されました。前巻から1年と少し、アニメから数えると丁度2年ぐらいですか。私が一番好きな4コマ漫画にして、ブレイドで創刊号から連載している最古参になります。あずまんが大王の登場と、その後のらき☆すた、ひだまりスケッチなどによって確立された所謂萌え4コマといわれるジャンルだけど、スケッチブックはそれとはまた違う、独自の空気を自然体で表している作品だと思う。確かにアニメ化はしたけど、別にそれは萌えアニメではなかったし、他作とは一線を画していた。
そんなスケブの最新刊なわけだけど、今回はアニメオリジナルキャラクターだった根岸みなもが漫画に登場するなど、一見するとアニメの影響が現れたかのような印象を受けます。みなも自体は作者である小箱とたんがデザインした娘ですし、著作権のがどこにあるのかは知りませんが、登場している以上は問題ないのでしょう。今では色々有名になった日笠陽子のデビュー作であり、宣伝のためかそれが帯にも記載されてましたが、けいおんを1話も見たことがない私は未だにみなも役で時が止まっているという……あぁ、後デジスタとか。ラジオだけど。
そんなこんなでアニメ色が強いかのように見える7巻だけど、私はまったく別の印象を受けた。全編通しで読んでみて、これはむしろアニメからの脱却を図っていると、そう感じたんです。
いくつかの理由や根拠はありますけど、そもそも小箱とたんはスケブのアニメをそれほど評価してはいなかったんじゃないかなと、前々からそんな風に感じていました。原作者という立場上、よっぽど出来が悪いとかでもない限りアニメを否定するような発言は出来ませんが、言葉の端々から実は思うところがあったんじゃないかと、そんな気がして。
第7巻は中表紙からしてアニメとの違いを見せつけられているようで、中表紙はいつも主人公である梶原空の描き下ろしなんですけど、いつになく活発そうな表情をしているんですよね。なにかに挑むような、少なくとも内向的な感じは欠片もしない、力強さすら感じる姿です。私はスケブでは空が一番好きだから違和感はないんだけど、ちょっとだけ驚いたのは事実です。だって、アニメの控えめな姿とは程遠いんだもの。まるで、本当の空はこういう娘なんだと訴えかけられているようで、それは作中から読み取ることが出来ます。色々ありますが、いくつか項目に分けて紹介してみましょう。
空の友達、美術部以外での人付き合い
まず、7巻の特徴として空のクラスメイトにして友人である、霧島渓と小木高嶺が登場します。渓は以前にモブとして出てきたことがありますけど、基本的には新キャラの女子2人です。アニメ版を見たことがある人は知ってると思うけど、アニメの空は人見知りで人と話すことが苦手な少女です。美術部の同期である麻生夏海や鳥飼葉月などとも、本当の意味で友人となったのは最終話だし、ハッキリ言うと友達というものがいない娘でした。逆に漫画版は口数こそ少ないものの人見知りというほどではなく、どこかふてぶてしさすら感じる性格をしており、内気というよりはのんびりとした性格をしています。良くいえばマイペース、言い方変えれば変わり者です。渓と高嶺はそういった空のことを理解しているのか、美術部で上手くやっているのかを気にかけており、美術部以外の空を知る者として空の違う一面を表す存在となっている。家族である青はともかく、空は作中での交友関係が美術部に限定されがちだったけど、ちゃんとクラスにも友人が普通にいるんだよと、それを示されてる感じがした。少なくともアニメの空は、美術部員以外に友人などいないでしょう。この時点で、漫画とアニメの空に大きな違いがあることが分かります。
みなもから見た美術部員の違い
唐突感のある登場をする根岸みなもですが、作者の小箱とたんは特にタイミングに意味はないといってます。私も登場時期にそれほど意味はないと思うけど、作者がみなもを使って表現しようとしたこと、伝えようとしたことには少々考えこんでしまった。例えば空と再会したとき、空はみなものことを=で、誰だっけ=とすっかり忘れていました。それに対してみなもは「やだなぁ、忘れるほどの時間は経ってないでしょう?」とツッコミます。実際には2年ほど経っているわけですけど、それはともかくとして空は=あぁ、根岸先輩の妹さん=と思い出します。でも、これってちょっとおかしいです。そもそも、アニメで空がみなもと出会ったのは彼女が根岸大地の妹であることが発覚する前ですし、空にとってみなもは違いの分かる、写真好きの中学生でした。根岸先輩の妹というのは後から付いてきた事実であり、空がその設定でみなものことを思い出すというのもおかしな話です。
また、みなもが佐々木樹々と再会したシーンも凄いです。佐々木さんがボケボケキャラだというのは漫画版の常識ですが、それにしたってボケまくりです。思わずみなもが、「このお姉さんは…でも、こんな人だったっけ?」と呆れと一緒に疑問を覚えています。そう、小箱とたんはまさにこれを訴えたかったんじゃないだろうか。みなもはアニメキャラですから、彼女の知っている佐々木さんは当然ながらアニメバージョンです。アニメの佐々木さんというのは原作と同じくギター好きながら、特にボケた風もなく普通になっています。この件について、作者である小箱とたんはアニメのムックであるスケッチブックパーフェクトワークブックにてアニメを見ての感想をヨロシクという質問の答えとしてこのように言っています。
一見すると普通の感想に見えるけど、後半は自分の中にあるイメージと、アニメ版の違いについて触れていることが分かります。空閑木陰の声はともかく、佐々木さんがマトモに見えるというのは、作者の中で佐々木さんがマトモなキャラではないという確かな認識があるからでしょう。故に作者はその違いを表現するために、敢えて佐々木さんをいつも以上にボケさせたのかも知れません。みなもに違和感を抱かせ、アニメと差異があることを印象づけるために。
そしてみなもが美術部から帰るシーン。みなもは空のことをアニメと同じように「お姉さん」と呼び、それに対して空は=空でいーよ=と返します。アニメの空ならまず想像できない気さくっぷりですが、驚くべきはこの次でしょう。空の嬉しい申し出に、「はいっ、それじゃあ空さん」と呼ぶことが出来たみなもですが、そんなみなものことを空は=んじゃね、みなもん=と愛称で呼びました。突然付けられた愛称にみなもはビックリしましたが、私も同じように驚きました。今まで猫に名付けを行うことはあった空ですが、年下とはいえ人にあだ名をつけるようなことはなかったし、そこまでの気軽さを空が持っていたとは思わなかった。そして、アニメ版の空ではまずあり得ないことでしょう。
今になってみなもが登場した理由は不明だけど、私には作者がみなもを使って、アニメとの違いを表現しているように思えてならない。私は根っからの原作好きだから構わないけど、アニメからスケブにはいったという人にはどう映るのか。完全否定ではないにしろ、違いを見せつけられたことには変わりないんだから。
表紙から見るキャラ同士の関係性
表紙に神谷朝霞が来たのはともかく、根岸大地も一緒に載っていたのはちょっとだけ驚いた。別にスケブは萌え4コマではないけど、男の子キャラが表紙に来るのは珍しいように感じたから。まあ、スケブの男子なんて根岸と部長を除けば、青と神谷の兄さんぐらいしかいないんだけど。
神谷と根岸は元々原作でも仲が良い方で、精神年齢が近いのかよく一緒に遊んだり、通学路が同じなのか一緒に帰ったりと、スケブの中では比較的絡みが多い異性コンビです。けれど、それはあくまで原作の話、アニメ版だと、この2人の接点や絡みはあまりありません。その理由として、アニメでの根岸は主に空閑と一緒にいることが多かったからです。この2人は同じクラスということもあって会話するシーンも多く、大体の人間には「さん付け」の空閑が何故か根岸に対してだけは「根岸ちゃん」とちゃん付けで呼ぶこともあって、それなりの中であることが分かります。現に原作初期ではエピソードも多かったし、アニメはそこを多少露骨に押したんですね。元々スケブには恋愛要素とか、カップリング要素的なものはありません。4コマなら特に必要もないのでしょうが、アニメだとそうもいかなかったのでしょう。根岸×空閑というほどではないにせよ、「私は貴方のこと嫌いじゃないわよ」と空閑が言ってしまいぐらいには、2人の関係性は強調されていたような気がします。
じゃあ、その間神谷はなにをしていたのかというと、主に部長と絡んでいました。もっとも、これは別に不自然なことではなく、神谷は原作でも部長に新しい工作を見せたりすることが多く、エピソードも複数存在します。アニメ版はそういう経緯から、美術部員の中で、神谷と最も接する機会が多いのは部長であるとし、根岸は2番目であると記述しています。別にどっちが1番でも私は構わないんだけど、部長との絡みを増やすために、本来なら根岸とのエピソードだった話を部長に置き換えたりと、結構意識的な改変があったのは事実です。
さて、アニメで根岸との恋愛要素を垣間見せた空閑ですが、実はこの娘も根岸と同じぐらい部長と接する機会が多く、この4人って結構複雑な関係です。なにせ、部長と根岸が話すことは多くても、空閑と神谷が話す機会ってあんまりないから。恋愛要素があったアニメ版に対するアンチテーゼではないにせよ、多少なりとも感じるところがあったのかなと、そんなことを考えてしまいます。まあ、そんなこと書きながら7巻で根岸と神谷って絡んでないんですけどね。根岸と空閑なら、2人きりではないにせよ幾つかエピソードあるんですけど。でも、結局のところスケブで恋愛がどうとか、カップリングがどうしたとか語る方がナンセンスだと思うんだよ、私は。
後、これは本当にびっくりしたんだけど、7巻には猫が出てきませんでした。いえ、タマだのニセだのといった三毛猫や、梶原家の飼い猫になった飯盒とかは出てきたんだけど、スケブでお馴染みのミケ、ハー、グレ、クマといった4匹が一切登場しなかったのです。7巻には16話ほど収録されており、4コマ単位で数えると100本は確実に超えるはずですが、それだけあるのに登場しないなんて……一体、なにがあったというのだろうか。まあ、5巻や6巻でこれでもかというぐらい描き下ろしとかあったから、バランス的には丁度いいのかも知れないけど。ミケたちは果たして元気でやっているのだろうか。
さて、ヨスガのアニメが始まってから日記の内容がヨスガばかりになっていたので、たまには違うことを書くことにします。ネタが無いわけじゃないのですが、あんまり偏るのもどうかと思うし、スケブの新刊についてはどうしても触れておきたかったので。
マックガーデンはコミックブレイドで連載されている、小箱とたんのスケッチブック第7巻が発売されました。前巻から1年と少し、アニメから数えると丁度2年ぐらいですか。私が一番好きな4コマ漫画にして、ブレイドで創刊号から連載している最古参になります。あずまんが大王の登場と、その後のらき☆すた、ひだまりスケッチなどによって確立された所謂萌え4コマといわれるジャンルだけど、スケッチブックはそれとはまた違う、独自の空気を自然体で表している作品だと思う。確かにアニメ化はしたけど、別にそれは萌えアニメではなかったし、他作とは一線を画していた。
そんなスケブの最新刊なわけだけど、今回はアニメオリジナルキャラクターだった根岸みなもが漫画に登場するなど、一見するとアニメの影響が現れたかのような印象を受けます。みなも自体は作者である小箱とたんがデザインした娘ですし、著作権のがどこにあるのかは知りませんが、登場している以上は問題ないのでしょう。今では色々有名になった日笠陽子のデビュー作であり、宣伝のためかそれが帯にも記載されてましたが、けいおんを1話も見たことがない私は未だにみなも役で時が止まっているという……あぁ、後デジスタとか。ラジオだけど。
そんなこんなでアニメ色が強いかのように見える7巻だけど、私はまったく別の印象を受けた。全編通しで読んでみて、これはむしろアニメからの脱却を図っていると、そう感じたんです。
いくつかの理由や根拠はありますけど、そもそも小箱とたんはスケブのアニメをそれほど評価してはいなかったんじゃないかなと、前々からそんな風に感じていました。原作者という立場上、よっぽど出来が悪いとかでもない限りアニメを否定するような発言は出来ませんが、言葉の端々から実は思うところがあったんじゃないかと、そんな気がして。
第7巻は中表紙からしてアニメとの違いを見せつけられているようで、中表紙はいつも主人公である梶原空の描き下ろしなんですけど、いつになく活発そうな表情をしているんですよね。なにかに挑むような、少なくとも内向的な感じは欠片もしない、力強さすら感じる姿です。私はスケブでは空が一番好きだから違和感はないんだけど、ちょっとだけ驚いたのは事実です。だって、アニメの控えめな姿とは程遠いんだもの。まるで、本当の空はこういう娘なんだと訴えかけられているようで、それは作中から読み取ることが出来ます。色々ありますが、いくつか項目に分けて紹介してみましょう。
空の友達、美術部以外での人付き合い
まず、7巻の特徴として空のクラスメイトにして友人である、霧島渓と小木高嶺が登場します。渓は以前にモブとして出てきたことがありますけど、基本的には新キャラの女子2人です。アニメ版を見たことがある人は知ってると思うけど、アニメの空は人見知りで人と話すことが苦手な少女です。美術部の同期である麻生夏海や鳥飼葉月などとも、本当の意味で友人となったのは最終話だし、ハッキリ言うと友達というものがいない娘でした。逆に漫画版は口数こそ少ないものの人見知りというほどではなく、どこかふてぶてしさすら感じる性格をしており、内気というよりはのんびりとした性格をしています。良くいえばマイペース、言い方変えれば変わり者です。渓と高嶺はそういった空のことを理解しているのか、美術部で上手くやっているのかを気にかけており、美術部以外の空を知る者として空の違う一面を表す存在となっている。家族である青はともかく、空は作中での交友関係が美術部に限定されがちだったけど、ちゃんとクラスにも友人が普通にいるんだよと、それを示されてる感じがした。少なくともアニメの空は、美術部員以外に友人などいないでしょう。この時点で、漫画とアニメの空に大きな違いがあることが分かります。
みなもから見た美術部員の違い
唐突感のある登場をする根岸みなもですが、作者の小箱とたんは特にタイミングに意味はないといってます。私も登場時期にそれほど意味はないと思うけど、作者がみなもを使って表現しようとしたこと、伝えようとしたことには少々考えこんでしまった。例えば空と再会したとき、空はみなものことを=で、誰だっけ=とすっかり忘れていました。それに対してみなもは「やだなぁ、忘れるほどの時間は経ってないでしょう?」とツッコミます。実際には2年ほど経っているわけですけど、それはともかくとして空は=あぁ、根岸先輩の妹さん=と思い出します。でも、これってちょっとおかしいです。そもそも、アニメで空がみなもと出会ったのは彼女が根岸大地の妹であることが発覚する前ですし、空にとってみなもは違いの分かる、写真好きの中学生でした。根岸先輩の妹というのは後から付いてきた事実であり、空がその設定でみなものことを思い出すというのもおかしな話です。
また、みなもが佐々木樹々と再会したシーンも凄いです。佐々木さんがボケボケキャラだというのは漫画版の常識ですが、それにしたってボケまくりです。思わずみなもが、「このお姉さんは…でも、こんな人だったっけ?」と呆れと一緒に疑問を覚えています。そう、小箱とたんはまさにこれを訴えたかったんじゃないだろうか。みなもはアニメキャラですから、彼女の知っている佐々木さんは当然ながらアニメバージョンです。アニメの佐々木さんというのは原作と同じくギター好きながら、特にボケた風もなく普通になっています。この件について、作者である小箱とたんはアニメのムックであるスケッチブックパーフェクトワークブックにてアニメを見ての感想をヨロシクという質問の答えとしてこのように言っています。
「なんだか不思議な気分で表現しにくいですねー。とりあえず思ったことは『ねこ可愛いー!』とか『背景綺麗ー』とか『空閑先輩って声高かったのかー!?』とか『さっささんがマトモに見える!?』とか。いろいろ楽しませてもらってます」
一見すると普通の感想に見えるけど、後半は自分の中にあるイメージと、アニメ版の違いについて触れていることが分かります。空閑木陰の声はともかく、佐々木さんがマトモに見えるというのは、作者の中で佐々木さんがマトモなキャラではないという確かな認識があるからでしょう。故に作者はその違いを表現するために、敢えて佐々木さんをいつも以上にボケさせたのかも知れません。みなもに違和感を抱かせ、アニメと差異があることを印象づけるために。
そしてみなもが美術部から帰るシーン。みなもは空のことをアニメと同じように「お姉さん」と呼び、それに対して空は=空でいーよ=と返します。アニメの空ならまず想像できない気さくっぷりですが、驚くべきはこの次でしょう。空の嬉しい申し出に、「はいっ、それじゃあ空さん」と呼ぶことが出来たみなもですが、そんなみなものことを空は=んじゃね、みなもん=と愛称で呼びました。突然付けられた愛称にみなもはビックリしましたが、私も同じように驚きました。今まで猫に名付けを行うことはあった空ですが、年下とはいえ人にあだ名をつけるようなことはなかったし、そこまでの気軽さを空が持っていたとは思わなかった。そして、アニメ版の空ではまずあり得ないことでしょう。
今になってみなもが登場した理由は不明だけど、私には作者がみなもを使って、アニメとの違いを表現しているように思えてならない。私は根っからの原作好きだから構わないけど、アニメからスケブにはいったという人にはどう映るのか。完全否定ではないにしろ、違いを見せつけられたことには変わりないんだから。
表紙から見るキャラ同士の関係性
表紙に神谷朝霞が来たのはともかく、根岸大地も一緒に載っていたのはちょっとだけ驚いた。別にスケブは萌え4コマではないけど、男の子キャラが表紙に来るのは珍しいように感じたから。まあ、スケブの男子なんて根岸と部長を除けば、青と神谷の兄さんぐらいしかいないんだけど。
神谷と根岸は元々原作でも仲が良い方で、精神年齢が近いのかよく一緒に遊んだり、通学路が同じなのか一緒に帰ったりと、スケブの中では比較的絡みが多い異性コンビです。けれど、それはあくまで原作の話、アニメ版だと、この2人の接点や絡みはあまりありません。その理由として、アニメでの根岸は主に空閑と一緒にいることが多かったからです。この2人は同じクラスということもあって会話するシーンも多く、大体の人間には「さん付け」の空閑が何故か根岸に対してだけは「根岸ちゃん」とちゃん付けで呼ぶこともあって、それなりの中であることが分かります。現に原作初期ではエピソードも多かったし、アニメはそこを多少露骨に押したんですね。元々スケブには恋愛要素とか、カップリング要素的なものはありません。4コマなら特に必要もないのでしょうが、アニメだとそうもいかなかったのでしょう。根岸×空閑というほどではないにせよ、「私は貴方のこと嫌いじゃないわよ」と空閑が言ってしまいぐらいには、2人の関係性は強調されていたような気がします。
じゃあ、その間神谷はなにをしていたのかというと、主に部長と絡んでいました。もっとも、これは別に不自然なことではなく、神谷は原作でも部長に新しい工作を見せたりすることが多く、エピソードも複数存在します。アニメ版はそういう経緯から、美術部員の中で、神谷と最も接する機会が多いのは部長であるとし、根岸は2番目であると記述しています。別にどっちが1番でも私は構わないんだけど、部長との絡みを増やすために、本来なら根岸とのエピソードだった話を部長に置き換えたりと、結構意識的な改変があったのは事実です。
さて、アニメで根岸との恋愛要素を垣間見せた空閑ですが、実はこの娘も根岸と同じぐらい部長と接する機会が多く、この4人って結構複雑な関係です。なにせ、部長と根岸が話すことは多くても、空閑と神谷が話す機会ってあんまりないから。恋愛要素があったアニメ版に対するアンチテーゼではないにせよ、多少なりとも感じるところがあったのかなと、そんなことを考えてしまいます。まあ、そんなこと書きながら7巻で根岸と神谷って絡んでないんですけどね。根岸と空閑なら、2人きりではないにせよ幾つかエピソードあるんですけど。でも、結局のところスケブで恋愛がどうとか、カップリングがどうしたとか語る方がナンセンスだと思うんだよ、私は。
後、これは本当にびっくりしたんだけど、7巻には猫が出てきませんでした。いえ、タマだのニセだのといった三毛猫や、梶原家の飼い猫になった飯盒とかは出てきたんだけど、スケブでお馴染みのミケ、ハー、グレ、クマといった4匹が一切登場しなかったのです。7巻には16話ほど収録されており、4コマ単位で数えると100本は確実に超えるはずですが、それだけあるのに登場しないなんて……一体、なにがあったというのだろうか。まあ、5巻や6巻でこれでもかというぐらい描き下ろしとかあったから、バランス的には丁度いいのかも知れないけど。ミケたちは果たして元気でやっているのだろうか。
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