今日で公開終了だというから、今更ですがレイトショーで観てきました。暇つぶしが苦手だからレイトショーってそんなに好きじゃないんだけど、まあ、川崎なら時間を潰せないこともないかと思ってぶらぶら過ごす。マグマニが無くなってからこっち、アニメイトぐらいしかソッチ系のショップはないわけだが、アニメイト川崎店ってどちらかというとアニブロゲーマーズに近い内装をしているよね。まあ、入っている施設的に旧来の内装では適してなかったのかも知れないけど。
感想としては世間の評判と大して変わらないかなぁ。SF映画としてはそれなりに観るべき点があったというか、地球侵攻を企む異星人とそれを防ごうとする地球軍艦隊の大会戦というのは、王道だけに燃え上がる展開だったとは思う。ただ、ガンダム映画として考えるなら、これもまた評判通り微妙だったと言わざるをえない。話が人間対人外になったのはともかく、モビルスーツ同士の戦闘が対してあるわけでもなく、主役機の……クアンタでしたっけ? あれなんて、ほぼ戦ってないも同然ですからね。公開して随分経ってるからネタバレありで書きますけど、従来のガンダム映画を期待していくと肩透かし以上に不満が残る作品であるのは間違いないと思う。
私は近年のガンダムというのは、ストーリーやメカニックよりもキャラクターが先行していると考えていて、最初から女性層を強く意識ている時点で、所謂キャラ萌えのようなものがあることは疑いない気がする。それはキャラ萌えを全面的に押し出したSEEDの商業的成功もあるんだろうけど、今回の映画ではどうだったんだろうか? 私もカップリングというものには相応の拘りがあって、わざわざ劇場版を観に行ったのも、刹那とフェルトの関係がどんな風に描かれているのかに興味があったからでした。いや、刹フェルとか最高じゃないですか。ああいう、割と唐突感のある関係性って結構好きなんですよね。
まあ、しかし、カップリングの観点から言っても既に成立しているものはともかくとして、曖昧なところは曖昧なままに終わらせた感が強いかなぁ。別にフェルトは刹那を諦めたわけじゃないと思うけど、だからといって自分の想いを達せられたわけでもないし、ヒロインとしてのマリナが大きかったからね。けど、私は所謂刹マリ好きの人らが、劇場版のラストである老婆となったマリナとの再会という結末をどうのように受け入れているのか、それとも受け入れきれずに否定しているのかが凄い気になる。
私が常々考えていることの一つに、我々は別にそのキャラクターの人生や一生を知りたいわけではないってのがあります。アニメでも漫画でもそれは同じことで、歴史上に存在する偉人の伝記とかならまだしも、ことフィクションに関して言えばそのキャラの生誕から死去までを観ることはまずない。大抵、そのキャラがもっとも活動的だった頃の一文を切り抜いて見せるものばかりで、数年後ならともかく、キャラクターの数十年後の姿が描かれることはまずないといっていい。例えばエロゲが顕著であるが、建前抜きで話せば学園モノエロゲの場合は主に十代の恋愛や性愛をメインに書いている。主人公とヒロインが恋をして結ばれて、それが話の結末になるわけで、結婚して子どもが生まれて……という部分まで各作品は、実のところそんなに多いわけではない。これは結婚という確定的事実と、妊娠出産による子供の存在を出してしまうと、そのヒロインの存在がどうしても強くなってしまうからだが、それ以外の理由として別にそこまで見たくないというのがある。つまり、我々ユーザーが見たいのはそのキャラクターの将来とか生涯じゃなくて、十代の頃、ヒロインとイチャイチャしているほんの数ヵ月、あるいは数年という人生の中ではほんの一瞬にも等しい期間に過ぎないのだ。夢のないことを言えば、年月を重ねていって恋人関係が解消されたり、必ずしも結婚などのゴールに結びつくとは限らないけど、そういう現実的な部分は関係ない。今この瞬間にそのキャラが幸せな恋愛をしていれば、それでいいのだ。どんな関係性のカップルにせよ、我々が彼らの将来を気にしても仕方ないし、それは意味のないことなんだから。
そう考えると、私は劇場版ガンダムOOのラストは凄いと思うんですよ。観ている人間があまり望まないであろうヒロインの数十年後の姿を描くなんて、普通は出来ませんよ。この作品に限らず、主人公やヒロインの老いさらばえた姿なんて、誰も見たくはないでしょう? 結婚にしてもそうだけど、そういう現実的な一面をアニメファンは嫌う傾向にあると思うから。まあ、アニメに限らずだとは思うけど、ルリルリが11歳から16歳になっただけで抵抗がある奴らばかりなんだから、さすがにヨボヨボの老女はきつかったろう。
しかし、フェルトはあの数十年後の世界でなにをしているのかな。刹那を待つつもりがあったなら、イノベイターにでもなっていそうな気もするけど……あぁ、それとアンドレイとグラハムの勇姿に乾杯。この2人が一番かっこよかったよ。
感想としては世間の評判と大して変わらないかなぁ。SF映画としてはそれなりに観るべき点があったというか、地球侵攻を企む異星人とそれを防ごうとする地球軍艦隊の大会戦というのは、王道だけに燃え上がる展開だったとは思う。ただ、ガンダム映画として考えるなら、これもまた評判通り微妙だったと言わざるをえない。話が人間対人外になったのはともかく、モビルスーツ同士の戦闘が対してあるわけでもなく、主役機の……クアンタでしたっけ? あれなんて、ほぼ戦ってないも同然ですからね。公開して随分経ってるからネタバレありで書きますけど、従来のガンダム映画を期待していくと肩透かし以上に不満が残る作品であるのは間違いないと思う。
私は近年のガンダムというのは、ストーリーやメカニックよりもキャラクターが先行していると考えていて、最初から女性層を強く意識ている時点で、所謂キャラ萌えのようなものがあることは疑いない気がする。それはキャラ萌えを全面的に押し出したSEEDの商業的成功もあるんだろうけど、今回の映画ではどうだったんだろうか? 私もカップリングというものには相応の拘りがあって、わざわざ劇場版を観に行ったのも、刹那とフェルトの関係がどんな風に描かれているのかに興味があったからでした。いや、刹フェルとか最高じゃないですか。ああいう、割と唐突感のある関係性って結構好きなんですよね。
まあ、しかし、カップリングの観点から言っても既に成立しているものはともかくとして、曖昧なところは曖昧なままに終わらせた感が強いかなぁ。別にフェルトは刹那を諦めたわけじゃないと思うけど、だからといって自分の想いを達せられたわけでもないし、ヒロインとしてのマリナが大きかったからね。けど、私は所謂刹マリ好きの人らが、劇場版のラストである老婆となったマリナとの再会という結末をどうのように受け入れているのか、それとも受け入れきれずに否定しているのかが凄い気になる。
私が常々考えていることの一つに、我々は別にそのキャラクターの人生や一生を知りたいわけではないってのがあります。アニメでも漫画でもそれは同じことで、歴史上に存在する偉人の伝記とかならまだしも、ことフィクションに関して言えばそのキャラの生誕から死去までを観ることはまずない。大抵、そのキャラがもっとも活動的だった頃の一文を切り抜いて見せるものばかりで、数年後ならともかく、キャラクターの数十年後の姿が描かれることはまずないといっていい。例えばエロゲが顕著であるが、建前抜きで話せば学園モノエロゲの場合は主に十代の恋愛や性愛をメインに書いている。主人公とヒロインが恋をして結ばれて、それが話の結末になるわけで、結婚して子どもが生まれて……という部分まで各作品は、実のところそんなに多いわけではない。これは結婚という確定的事実と、妊娠出産による子供の存在を出してしまうと、そのヒロインの存在がどうしても強くなってしまうからだが、それ以外の理由として別にそこまで見たくないというのがある。つまり、我々ユーザーが見たいのはそのキャラクターの将来とか生涯じゃなくて、十代の頃、ヒロインとイチャイチャしているほんの数ヵ月、あるいは数年という人生の中ではほんの一瞬にも等しい期間に過ぎないのだ。夢のないことを言えば、年月を重ねていって恋人関係が解消されたり、必ずしも結婚などのゴールに結びつくとは限らないけど、そういう現実的な部分は関係ない。今この瞬間にそのキャラが幸せな恋愛をしていれば、それでいいのだ。どんな関係性のカップルにせよ、我々が彼らの将来を気にしても仕方ないし、それは意味のないことなんだから。
そう考えると、私は劇場版ガンダムOOのラストは凄いと思うんですよ。観ている人間があまり望まないであろうヒロインの数十年後の姿を描くなんて、普通は出来ませんよ。この作品に限らず、主人公やヒロインの老いさらばえた姿なんて、誰も見たくはないでしょう? 結婚にしてもそうだけど、そういう現実的な一面をアニメファンは嫌う傾向にあると思うから。まあ、アニメに限らずだとは思うけど、ルリルリが11歳から16歳になっただけで抵抗がある奴らばかりなんだから、さすがにヨボヨボの老女はきつかったろう。
しかし、フェルトはあの数十年後の世界でなにをしているのかな。刹那を待つつもりがあったなら、イノベイターにでもなっていそうな気もするけど……あぁ、それとアンドレイとグラハムの勇姿に乾杯。この2人が一番かっこよかったよ。
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