このアニメはアレですかね、エロというか肉欲しかないんですかね? 前回に続いて話はそれなりに面白かったんだけど、ヨスガノソラ穹ルート・穹シナリオと考えると、落胆せざるを得ない出来栄えだったと思う。私がハル×穹至上主義者ということを差し引いても、ヨスガノソラという作品の根幹やテーマをアニメ版は完全に履き違えているというか、意図的に改悪してしまった。だからこそ、例え話が面白かろうと作品そのものを楽しむことが出来ないんでしょう。

11話は性的な話でした。それは単純にハルと穹がセックスをするというだけではなく、登場するキャラクターの行動原理や、発想などが性愛を中心に構成されていたからです。最初の5分で奈緒との関係に自ら終止符を打ってしまったハル。これについて私はハルに対して同情します。キャラの改悪というのはもちろんそうですし、まさか恋人同士とはいえ、ハルにあそこまで強引な方法を取らせたアニメスタッフには嫌悪感しか湧きませんけど、それを抜きにしてもハルは果たして責められることをしたのでしょうか?
奈緒との二度目のデート、ハルは駅に現れた奈緒に対して服装を褒めました。けど、その服は前回のデートでも着ていたもので、特別新鮮さや真新しさを感じさせるものではありません。私は女子がデートに同じ服を着てくるものなのだろうかと首を捻りますが、このシーンで重要なのは、ハルが奈緒の服装を覚えていなかったということにあります。まあ、ハルにしたところで前回と同じ格好してますけど、既にこの時点でハルの頭の中は穹だけしか存在していないんです。水族館にいたときも、軽食を食べていたときも、ハルの脳裏には穹の自慰行為という扇情的で鮮烈な光景が焼き付いて離れない。そして奈緒もそれに気付きつつ合った。気付いていたけど触れなかった。触れてしまえば、自分たちの関係は終わってしまうから。現実味のない恋人関係であることを承知した上で、奈緒はハルのことを失いたくはなかったんでしょうね。それに奈緒はハルが想っている相手が穹なのではないかということを薄々ではあるけど感づいていたし、自分の考えを肯定することは、ハルと穹の間にある特殊な感情を認めることにもなりかねなかった。だから奈緒は我慢した、けれど遂に耐え切れなくなった。

ハルが強引に奈緒と肉体関係を結ぼうとしたのは、肉欲からではありません。奈緒ルートの悠はセックスしか考えていない愚か者でしたが、この場合は単なる逃避に過ぎません。ハルは奈緒とセックスをすることで、肉体的な繋がりを持って穹から逃げようとしたのです。そこには恋愛も性愛も存在しない、本当に形だけでしかない性行為。ホテルに連れ込まれる前に奈緒は拒めよと思ったけど、まあ、それは話の流れと勢いの問題だしね。仕方ないということにしておきましょう。それに奈緒だってまんざらでは……うーん、アニメ版のハルって手馴れてるのか手馴れてないのかよく分からないね、後々のシーンのときにもう一度触れるけど、なんというかあのまま続けていたとして、奈緒と致せたとは思えない。
奈緒がハルを直前になって拒んだのは、その豹変ぶりもさることながらハルが自分を愛していない、好きじゃないことを悟っていたから。逆レイプした女が性的なことでなにかあっても自業自得であり、ざまあみろとしか言えないでしょうけど、今回のハルの行動は強姦やレイプの類ですらないんです。何故ならハルは、性的な興奮を奈緒に覚えていない。自らの欲求を満たすためにセックスを行おうとしたわけじゃなく、偽りの愛をごまかし切るための虚しい行為。奈緒はおそらく、単純な性欲や肉欲が理由なら、ハルを受け入れていたでしょう。過去の自分がそうだったし、付けが回って来ただけの話です。でも、奈緒は気付いてしまった。ハルが自分のことを好きでもないのに抱こうとしていることを。それが奈緒には耐えられなかった。好きでもない相手に抱かれることが嫌なのではなく、愛してくれない相手から抱かれるのが堪らなく嫌だったのでしょう。だから奈緒は訊ねた。本当にハルは自分のことを好きなのかという、触れてはいけないはずの核心を。
アニメ版の奈緒というのは強い罪悪感を前提にしたキャラですから、そんな彼女が常に不安を抱えてハルと付き合っていたというのは普通に納得のいく話です。ハルの想い人が穹であるかはともかくとしても、奈緒はハルが自分のことを見ていない、自分を好きではないという事実に気付き、核心を抱きつつ合った。ハルは奈緒に対して好きだったといった。でも、今この瞬間も好きだとは、一言も言わなかった。それが意識的にか、無意識によるものなのかは分からない。だけど、ハルはおそらく言わなかったのではなく、言えなかったのでしょう。何故なら彼は一番、それが心にもない言葉であることを分かっていたから。嘘でも良いから言えばよかったのに、という意見は当然あるだろうけど、ハルは嘘でも言うことが出来なかったんですよ。穹に対する自分の想いを、すべて否定することはハルにとって不可能だったのだから。

デートから帰宅したハルが幾分か穏やかなのは、嘘で塗り固めていた自分自身を脱ぎ捨てたからでしょう。奈緒と付き合うことそれ自体が重荷であったといえば、これ以上に失礼な話はないのかも知れないけど、事実ハルにとって奈緒との関係は負担以外の何物でもなかった。自分を殺し、自身の気持ちに嘘を突き続けることに、ハルは疲れきっていたんです。それは仏間で洗濯物に囲まれて眠りに付く穹を見つけたときの、優しげな表情と声音からも分かります。結局、奈緒との関係はハルにとってなんの意味もなかった。穹の策略が介在していたにせよ、ハルは穹から、穹というより自分の本当の気持から逃げることが出来なかった。
ちなみにこのシーンに出てくる仏間の掛け軸が一期一会なのは、セーブ・ロード方式を指しているのでしょうが、今となっては皮肉にしか見えなかった。それと風呂場とトイレの正確な位置が分かったことで、以前に作られた間取り図が完全に正しかったことを裏付けましたね。
ハルは穹が洗濯をしたことに意外さを覚えつつも、元来そういう性格であることをちゃんと理解し、その成長を素直に喜びました。
「決めたの! ハルのことを、もっと大切にしようって。二人きりの、家族だから」
穹の言葉は、原作ユーザーである私にとってはそれなりに重たく響いたけど、アニメ版は両親の死について、その原因や要因を一切触れてこなかった。どうして奥木染に来たのか、そういった事情すらも説明されてない状態では、二人の関係性に生じる重さが伝わりにくいんじゃないだろうか。例えば原作とコミカライズでは、ハルと穹が奥木染に来た理由は大きく異なります。前者は両親の死とそれに纏わる心労に打ちのめされたハルが、穹に手を差し伸べられたことで田舎で少し休むために奥木染行きを決意するという、どちらかといえば自分自身の問題や理由というものが強いです。もちろん、穹を離れたくなかったという一面もありますし、穹を連れて逃げたという発言もありますが、それにしたってハル個人の都合でしかありません。現にハルは、穹の真意はともかくとしても自分の勝手やわがままに穹を巻き込んでしまったと述懐していますし。逆にコミカライズだと理由のほとんどは穹にあり、両親の死に絶望し、ハルと離れ離れになることを恐れ、すがりついた穹を守るため、穹とずっと一緒にいるために、ハルは奥木染行きを決めるのです。比べてみるとまるで違いますが、コミカライズはいい方向でハルに改変を加えてくれたから、まるで違和感がないんだよね。アニメ版におけるその辺の事情がどうなっているかは分かりませんけど、この分だと語られることはないんだろうな。

湖については今更書くこともないでしょうけど、これもまた唐突に出してきましたね。いや、瑛が禊ぎしてたから登場自体はしてますけど、歴史とか伝説とかさ、説明する暇がなかったから無理やり出してきた感じ。それと、これは後々登場する委員長にも言えることなんだけど、原作におけるキャラクターの魅力というものがアニメではまったく反映されてないよね。瑛の場合、彼女は作中で他のヒロインとは感性の面で一線を画す存在で、極めて達観した考えを持っています。ハルや穹に対する接し方や、二人の関係性に対してなど、ヨスガノソラの登場人物は委員長を除いて全員が心に抱え込んでいるものがありますが、瑛はそれを考慮しなくてもハルと穹を最初から受け入れていた。それは彼女の生まれ育った境遇も影響してるんでしょうけど、人格に磨きがかかってるんですよ。単純な包容力や懐の深さ以上に、瑛は目先の理屈や倫理観よりも感性や感覚、そして感情を優先するタイプだから。それを極端なまでに表現したのはコミカライズで、私は勝手にエスパー瑛と読んでますけど、超能力者と勘違いするぐらい相手の心を見透かしていると思う。
そんな瑛というとてつもなく大きい存在が、アニメでは一切描かれてないんだよね。二番目の攻略対象ヒロインってぐらいで、ハッキリ言うと魅力の欠片もない状態です。ハルにしてもそうだけど、アニメ版はキャラクターの元からあった性能というか、魅力を意図的に下げることでバランスを取ろうとしているきらいがあるよね。底上げしたコミカライズとは、まるで対照的です。瑛の人格的影響がない状態で、一体ハルと穹はどうやって周囲に関係性を認めてもらうというのか。そういった細かい部分まで、このスタッフはちゃんと考えているのだろうか? 正直、小手先の手法に囚われて大事なものが見えていないような気がする。

昨日の今日で近親婚や近親姦について調べ始めるハルは、前述のとおり吹っ切れてしまったんでしょうね。だからこそ、穹とのことについて前向きに考えるようになった。歴史書を紐解くことが正解かは知りませんが、過去にはそういうことも認められ、存在していたという事実で自分を納得させたかったのかも知りません。ふらっと現れた委員長ですけど、なんていうか委員長もまたキャラが随分変わってますよね。原作の穹ルートにおける委員長というのは、ハルに淡い恋心をいだいた、本当に純粋な恋する乙女でした。ハルになかなか話しかけることも出来ず、出来たとしても恥ずかしくて会話を続けることが出来ない、そんな少女です。アニメにしたって1話はかなりハルのことを意識していますし、OP映像の登校シーンで赤面しつつハルを見つめていることからも、委員長はハルに対して恋をしているはずでした。間違っても、気さくに気楽に話しかけてくるようなキャラではなかったんです。
やんわりと近親姦や近親愛を否定した委員長ですが、ハルに恋もしていなければ、穹の友人というわけでもない委員長が二人の関係に絡んできても、完全な第三者ではないですか。否定しようにも他人は引っ込んでいろと、そういうことになりかねない。仮に原作と同じような流れで行くのだとして、ハルのことが好きなわけでもない委員長との間になにが出来ますか? もちろん嫌いであろうはずはないけど、恋をしているようには全然見えません。その時点で、委員長という少女のキャラクター性と、本来合ったはずの魅力が綺麗さっぱり消え失せてしまいました。

高熱で倒れた穹と、看病をするハル。奈緒に最低限のことを頼み、それ以上の助力を断ったことについては、ハル本人も言うようにああいう別れ方をした相手に対する自分の図々しさを鑑みたのかも知れませんが、単純に穹の面倒は自分が観るという意識が現れていただけなのかも知れない。
ハルは汗をびっしょりとかいた穹の身体をタオルで拭きますが、穹は寝込んでしまったことを謝ります。ハルに迷惑を掛けるつもりはなかった、これに関しては原作にも近い感情や流れはありますけど、原作やコミカライズがそこを丁寧に掘り下げていたのに対し、アニメ版は今のところ洗濯物を洗って畳んだぐらいしかしていない。この後、色々なことをし始めてはいますけど、それはあくまで関係を結んだ後の話であって、原作では関係を結ぶ前の過程ですからね。この差は結構大きいですよ。
夕暮れとなり、看病疲れで居眠りをするハルに穹がキスをした。ハルが自分の素肌に触ったことで、遂に我慢できなくなったという穹。性愛のままに相手を求め、自分の想いを伝え、ハルもまたそれに応えてしまう。キスからはじまるセックスは、今までハルがしてきたものと明らかに違った。そもそもハルと穹はセックスというものに対する考えが、共に幼少期の体験の影響から一般と少し違うのだ。原作における穹の印象的な台詞の一つに、「私も同じことをすれば、好きになってもらえるの、かな……?」というのがあります。奈緒との過去を清算した後、ハルとのこれからを考えた際にポロリとこぼれた言葉ですが、何気ないでは済ませれない一言にハルはどうよし、心に波紋を呼んでいた。このことからも、ハルや穹にとってセックスは単なる快楽的行為ではないんです。相手に対する繋がりや、関係性を明確にするための、極めて貴重な確認手段と言うべきもの。そう考えれば、ハルが奈緒と強引に致そうとしたことも、少なからず納得が行くと思います。穹は前回から、ハルに対して積極的な性的アピールをしていました。それは穹にとっても性的な一面、そしてセックスがハルとの関係を決定づけるものであるとの核心があったからで、二人がそのことを確かめ合った瞬間、もう溺れる以外の道は残されてなかったんじゃないかなと。

さらに言えば奈緒に対するセックスと、穹に対するセックスの最大の差は、恋愛感情もさることながら、それが本人にとってどのような意味があるのか、ということです。穹については上記に書きましたが、では奈緒についてはどうでしょうか? ハルは奈緒に逃げることで穹から離れ、セックスをすることで嘘に塗り固められた関係を完全なものにしようとしました。これは完全な逃避ですが、そもそもかつての奈緒自身がセックスを一つの逃避手段としてハルに対して行っているのです。彼女の場合はいさかいが絶えない両親から逃げたわけですが、ハルと穹の性愛感や貞操観念、そしてセックスという行為に対する認識における奈緒の存在は、決して小さくはなかった。本人がそれを自覚しているかはともかくね。だからこそ、奈緒はハルと穹の関係性を否定することが出来ない。出来るわけがないんです。
ところで、穹の純潔を奪うシーンで、ハルがナニを入れ損なってますけど、その程度でよく奈緒とやろうとしたな……まあ、ちょっと可愛げがあって良かったけどさ。単純に緊張しているだけとも取れるけど、そもそも原作に置いてもハルは手馴れてるという指摘をよく受ける男です。それが都会での経験なのか、それとも奈緒の逆レイプによる体験だけで得られたものかは分かりませんが、私は後者の暗示だと思った。アニメのハルが都会でどういう生活を送っていたのかは不明ですが、幼少期から女子に人気があったという描写もあるぐらいです。告白をされたのも一度や二度じゃないでしょうし、その、なんですか、最近は色々早いといいますからね。原作の場合は都会での性生活及び、女性関係を否定していますけど、アニメだと果たしてどうなのか。もっとも、今までのルートにおける悠は夢の産物だから、性技の面で差があっても全然問題はないんだけどね。さすがにきつすぎるって? まあ、私もそう思うよ。

翌日、熱も下がったことで学校へ登校することにしたハルと穹。通学路で瑛や亮平、奈緒などと合流します。その際、瑛が体調のほうを穹に訊ねるわけですが、対する穹は笑顔で「うん、平気」と軽く答えます。それまでどこか鬱屈そうな表情や声音をしていた穹が、今や清々しいほどの明るさを全身から発している。ハルの表情もまた穏やかで優しげになっており、如何にもスッキリとした感じの2人がそこにはいたわけです。穹は長年の想いを果たしたわけだし、ハルもこれ以上自分の気持ちに嘘を付く必要がなくなった。互いの気持ちを確かめ合い、愛し合いながら夜を明かしたわけですし、そりゃあ精神的にも肉体的にもスッキリしているでしょう。特に穹の得意そうな顔ときたら。腕を組んだ際も、とにかく穹は嬉しさや喜びを隠そうとしないんですよね。奈緒は気付いてましたけど、彼女の場合は最初から2人の関係を疑っていましたし、倫理観や道徳観から半信半疑といった感じかな。確信を持つのは簡単だけど、常識という足枷がそれを否定しているといいますか。奈緒は原作でもそうですが、穹の気持ちというものを理解していなかった。元々、他人の気持ちに鈍感な面が奈緒にはあって、敏感すぎる瑛なんかとは事情が異なる。故にハルの本当の気持ちでさえ、実際に付き合ってからじゃないと気付くことが出来なかったわけです。
しかし、ハルと穹にとってもはや奈緒の存在など眼中にすら入っていなかった。愛は盲目とはまた違うだろうけど、今が幸せすぎる2人には他人のことなど気に止める必要もなかったんですね。それは余裕であると同時に油断でもあるんだけど、ハルと穹の場合は変わり方が急激すぎた。穹は少しでもハルと対等の存在になるために料理やなんだと頑張り始め、ハルは今まで遠回りをしてきた分の時間を埋めるため、穹の願いならなんでも聞くようになってしまった。穹がハルの為に朝食を作るというのは原作にもある話ですけど、なんだって関係を結んだ後に持ってくるのかな。2人で料理する描写もカットだし、そもそも春日野兄妹が料理できない設定になってるって言うのがね。ハルは基本的に弁当だし、穹は冷凍物をチンしただけ。朝からピザとコロッケとソーセージに、サラダとピラフにスープまで食べられるのかと思いましたけど、ちょっとずつ凄いものを作れるように頑張るという穹の健気さは良かったね。良かったけど、原作の描写やシチュエーションに比べると幾分か劣る感じがするのは否めない。
「ふふん、いい子でしょ? じゃあ、ご褒美」
家の中でキスをねだる穹は可愛いけど、まさしく人が変わったかのような可愛さを魅せつけてくるよね。ハルもそれにやられたのか、引きずられるように求めに応じてしまうわけだけど、既に溺れ始めているのが見て取れるわけです。それは人目も憚らずにイチャイチャしだしているシーンからも分かります。原作にもある流れですけど、アニメの方がより直接的だよね。相合傘での会話もそうだけど、一応それなりに人目を気にした上で、どこまでイチャつけるのかを考えているというか、穹が2人でお弁当を食べることに理由をでっち上げたのは少し驚きました。原作ではもう他のことが見えなくなってましたから、強引というよりはさも当然といった感じにハルと一緒にいますし。だから、形だけとはいえ2人で過ごすことに理由付けをしたのは意外だった。

そんなハルと穹の関係性に対して最初から違和感を抱いていたのは奈緒だけど、亮平たちもまた急に2人きりで過ごすことが多くなったことに疑問を持たないわけがありません。瑛は気にしてないようですけど、原作とキャラが違うからなにも考えていないだけかもね。もっとも敏感に反応したのは委員長ですけど、彼女の場合は先日ハルが図書室で近親婚に付いて調べていたのを知っていましたから、感付く部分があったんでしょう。原作は困惑に止めて具体的な言及は避けましたけど、アニメだと割と強気にハルを諭そうとしてきます。ベタベタしすぎという委員長の指摘は正しいですが、彼女がそこまで言うとは思わなかったというのが私の本音。亮平相手ならまだしも、ハルに対してここまで気の強い部分も見せるとは。大分、キャラが変わってしまったようだ。
でもまあ、別に委員長は間違ったことは言ってないですし、むしろ問題があるのはハルの方でしょう。行いそのものは仕方ないにしても、その言い訳がねぇ……穹のせいにしてしまうんだから。咄嗟にしては上手くだまくらかしたとは思うけど、自分たちの行いを穹のせいだけにするなよと。
ハルもさすがに動揺したのか、自宅で委員長の言葉を重く受け止めますが、穹はまったく気にしません。まさか、原作のフェラまで再現するとは思わなかったけど、その後教室のシーンはEDのあれですね。単なるギャグでしかなかったはずのEDから、これで3シーンも使われたわけだ。一度目は溺れたハルを奈緒が助けるところ。二度目は雨の降るバス停で穹と奈緒が対決し、雷が落ちるところ。そして三度目が机の下に潜り込んだ穹……では、四度目はあるのでしょうか? 例えば、湖で溺れたハルと穹を奈緒が助けるとかね。それをやったらもうアニメの穹ルートはその存在価値すらなくしてしまうけど、ここまでEDが本編に使われるとは思ってなかったので。1話が放送した段階では、あくまでギャグで作っているから深い意味はないと言っていたのに、製作中に方針が変わったのかな。
委員長の重かったはずの言葉は穹によって消し飛ばされ、ずるずるとハルは深みに嵌っていくわけだけど、止めようと思って止められるものでもなかったんでしょう。情欲と性愛のままにお互いを求め続ける2人には、もう歯止めが利かないんです。

家に帰ってすぐセックスを始める辺り、盛りのついた猫より酷いですけど、一方で委員長が動き始める。ハルが教室に忘れた携帯を届けるかどうか悩んでいたのです。この携帯を教室忘れるというアニメ独特の描写に関しては、結構深い意味があります。ハルは1話に置いても携帯を自宅に忘れ、穹に寂しい思いをさせました。学校に行っていなかった穹にとって、携帯は日中ハルと自分を繋ぐ大切なツールだったからです。では、そんな大切なモノをどうしてハルは平然と忘れたのかというと、それがもはや必要のないものだから。ハルの携帯に電話を掛けてくるのは、都会の親戚を除けば穹一人だけであり、その穹と常に一緒にいるなら、もう携帯なんてものはハルにとって必要ないんですよ。だって電話を掛ける必要も、メールをする必要もない、自分の隣に穹はいるのだから。教室での着信が電話かメールかは分かりませんが、相手は親戚でしょうか? まあ、相手なんてどうでも良いんですよ。ハルが携帯との存在を軽視したように、この場合は掛けてきた相手が誰であるかなんて問題ではない。
携帯を見つめて思い悩む委員長の前に、何故か奈緒が現れました。部活か委員会か、いずれかの理由で学校へ残っていたにせよ、どうして下級生の教室に現れるのか? たまたま通っただけにしても、少し不自然だよね。だって、ハルの教室って奈緒の教室より上にあるんだもの。その証拠に10話のとき、奈緒はお弁当を持って階段を上がってきましたから。別に下級生の教室が上の階にあることは不自然じゃないし、不自然なのはどうして奈緒がそんなところを彷徨いていたかということでしょう。
委員長は奈緒と会ったことで、携帯を奈緒に託すという選択が出来ました。なにせお隣りさんですし、自分よりも交流が深いであろう相手ですから、任せること自体に不思議はありません。では、どうして委員長はそれを選ばなかったのか? 単純な話、委員長はハルの家に行ってみたかったんですよ。憧れの人の自宅を見てみたいではなく、ハルと穹の関係、その真相を確かめるために。でなければ、携帯を前にあそこまで悩んだりはしません。着信があったとはいえ、放置しておいても別段問題はないんですから。むしろ、降って湧いたようにハルの家へ訪れるだけの理由が出来てしまったことに、委員長は迷っていたのではないかと。奈緒が自分で届けると言って預からなかった理由は分かりませんが、あるいは委員長が他にも用事があるとか、理由付けをしたのかも知れません。どちらにせよ、委員長はハルと穹の家に行きたかった。そして自分の中に渦巻く疑惑に対して、答えを出したかったのだと思います。

ハルと穹がセックスしているところに委員長が飛び込むという演出は、原作にあった穹の寒気がするほどの美しさを見事に損ねており、あまり良い描写であるとはいえません。穹がまさにイッた瞬間に扉を開けるというのも、狙っている感が強すぎてそれほどの衝撃も受けませんでしたしね。麻痺したというわけではないんだろうけど、エロが多い割にそれを上手く活かせていなかった気がする。限られた時間の中でよくまとめてあるとは思ったけど、結局は肉欲中心の内容となってしまったのがね。何度も言ってるけど、私はヨスガノソラがエロ重視で作られていることに未だ違和感を感じているから、穹ルートの良い部分を軒並み削ってオリジナル展開を挟み、尚且つエロだけしかないかのような展開には不満がある。確かに原作におけるハルが穹を避け始めるシーンなどは、アニメとしては少し単調かも知れない。エロゲは瞬間的にシーンが切り替わるからまだしも、アニメは事情が違う。けれど、そこは別ヒロインのシナリオを差し挟んで穹を放置気味にするとか、いくらでもやりようはあったはずなのだ。現にコミカライズはそうしていた。
話として面白いことが、全体的な楽しさに繋がるわけはなく、キャラクターに対する強烈な違和感など、私のアニメ版に対する評価は著しく低いです。それでもまあ、穹ルートに入って多少は観れた感じになってきたけど、だからといってアニメ版を認めることはないと思います。今までが今までだしね。手の平を返す準備はしていたけど、結局それすらも出来ないような、期待外れの作品でしたよ。

次回で最終回、長かったのか短かったのかも分からないほどあっという間でしたけど、私の予想では同時期にコミックスの2巻が出るはずなので、例えアニメがどんな結末を迎えようと、コミックスを読むことで視線をそらすことは可能です。まあ、スタッフは期待を裏切らないラストになったとか言ってますけど、今さらそんな言葉を信用する奴は一人もいないと思いますし、スタチャは自分たちが支持されていないということに気付きませんからね。あそこは昔からそういうところだし、エロ以外の部分で痛烈な批判を受けていることを、果たして分かっているのかどうか。エロにしたところで、エロいから否定されているのではなく、それをすることで原作の大事な部分を削ってしまったことが非難されているのだけど、まあ、その辺りの言い訳をハルキノソラでするのかどうか、多分次回更新であちらも最終回でしょうから。

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