そらのおとしものf NOT モテ男 クリスマス
2010年12月25日 アニメ・マンガ
クリスマス・イヴの夜からクリスマスの朝にかけて開催されたそらのおとしものfのオールナイトイベント、NOT モテ男 クリスマスに参加してきました。聖夜の六本木ヒルズなんて場違いも甚だしかったんですが、本当にカップルしかいない街だった。地下鉄の駅からエスカレータで地上目指して上ってたんだけど、隣の下りにはカップルしか乗ってないのね。男女、男女、男女、男女、何かの流れ作業みたいに下りてきて、さすがにアウェイを感じずにはいられなかった。まあ、それを含めてのネタイベントなんだけど。
イベント自体は先日放送終了したそらのおとしものf全12話を一挙に上映するというシンプルなものなんだけど、司会進行に仮面プロデューサーが現れたり、ゲストに監督である斎藤久さんやキャラデザの渡邊さんなどが登場して、結構豪華な顔ぶれになりました。上映の合間に雑談という名の各話解説コーナーみたいのがあったんだけど、これが意外と真面目な話も結構あって、色々と興味深かったです。当人らは何気なく話してるつもりなんでしょうけど、聞いている側は思わず驚いてしまうような、そんな情報もあったりしました。
12月24日は公式でイカロスとニンフの誕生日ということになっていて、事前の告知通り2人の誕生日を祝いました。その際に1期13話の映像が使われたんですが、仮面P曰く「所謂ハッピーバースデートゥーユーは1回歌うごとに金が発生する」とのことで、本編では歌うことが出来なかったらしい。なんでも、この歌は著作権が結構複雑らしく、日本では2007年に消滅しているものの海外では生きているとかで、海外販売が出来なくなるということにギリギリのところで気付いて止めになったらしい。本当に収録直前まで声優陣に歌ってもらう予定だったそうなんですが、そんな事情があったとは。仮面Pが言うには、日本での権利が生きてた頃はアニメでおいそれと歌える曲じゃなかったらしいんだけど、あんまりそういう印象ないよね。というか、この歌に著作権があること自体、それほど知られてないんじゃないだろうか。結婚行進曲並に自然なものというか、まあ、これはクラシックですからとっくに権利消えてますが。
そして始まる上映会なわけだけど、2話ずつ上映して10分休憩を挟み、その休憩時間に各話の解説を行っていくという感じで、最初の1話、2話に関しては、やはりOPとEDに話になりましたね。俺のベルはともかくとして、ハートの確率でイカロスたちがそれぞれ異なる水場にいることに関しては斎藤監督から解説があって、まずイカロスは智樹への愛に目覚め、想いが溢れ出ていることから激流とも言うべきダム。ニンフは1期で羽根を失い、全体的に淀んだ気持ちを引きずっているので水たまり。そしてアストレアは馬鹿だから、よく分からないけど上を見つめているということで、とりえず上流の方を向いているという構図らしい。確かにそらおとfは最終回にいたるまで、水場ないし水そのものに関する話が多かったよね。9話が代表的だけど、例えばアストレアは川を居住地にしてますし。
2話のEDに関しては、やはりそらおと自体、1期の2話で名を上げたという自覚があったので、それを越えるものを作らなければいけないという意識みたいなものがあったらしい。原作のオチからどう広げようかという考えから始まって、祭りをやればいいじゃんという結論に至ったらしい。ちなみに納品したら突っ返されたそうですが、本編の内容でもED映像でもなく、サブタイが引っかかったとか。巨乳ってサブタイトルで使えないんですね。性的な単語としては生やさしい部類だと思うけど、なんでなんだろ? 上映会で流しているのはDVD 版でしたから、当然サブタイは修正されていないものでした。
ただ、会場が液晶スクリーンだったこともあってか、やや白がキツメなのが気になった。仮面Pも色々調整してもらったらしいんだけど、それも限界があるというか、映像を楽しむという意味では割と見辛かったと思う。まあ、TVアニメを劇場で流しているわけだから、その辺は仕方ないのかもしれませんが、普通に大きいスクリーンでのそらおとを楽しみに行った身としては、少し残念だったかなと。
第3話のプライドある戦いに関しては、まずプロレスの描写に付いてどのように描くべきかという議論があったそうです。つまり、制作側の世代である昔のプロレスを描くべきなのか、今のK-1など総合格闘技風のプロレスにするべきなのかということで、これは確かに悩むべきところですね。まあ、結局本編ではあんな感じになってましたが、即興で作られた会場の2階席、3階席はベニヤ板で作られた観客の絵だったりと、結構細かいネタが散見していた。ハイライトでは1期のキャラをほとんど出したとかね。あれは静止画ではなく動画としてやりたかったらしいんだけど、アニメとしての限界があったとかで出来なかったようです。
そはらがレフェリーとしてなにをしていいのか分からず、適当な動きをしているところとか、そらおとにはとにかくネタや設定が多いというのが斎藤監督や渡邊さんの感想だった。仮面Pの悪乗りも多いらしいけど、これがまだ序の口と言うんだからそらおとは凄いよ。
第4話はなんといっても合戦のシーン、と思わせておいて、実は最初の方にあった矢が刺さるシーンに監督は以上な拘りを見せていたらしい。タイミング的なものがあったらしく、何回も作り直したとかなんとか。まあ、ニンフが会長にいじめられたり、会長と守形が色々あったりするわけだけど、原作では守形関連の話って掘り下げられるか分からないんでしたっけ? これは12話を上映する前に解説されたんだけど、守形と会長がイチャイチャしていると主に女性ファンが喜ぶらしいです。だから、もしかするとアニメの方でこの2人の関係などが語られるかもしれませんね。女性人気があるというのも、まあ、なんとなくわかる話ですし私も嫌いじゃないです。ある種、悟りきった間柄とでもいうのか、結構どんよりとした事情があるんだろうね。
5話と6話に関しては、やっぱり5話の守形とそはらがシナプスを探索する部分の解説ですか。守形がシナプスの上空を飛行する中で、ちゃんと智樹がダイダロスと会っている場所も存在していたり、智樹は自分の夢じゃないと言ってましたが、実際には夢であり現実でもあるんですよね。こだわりのシーンとしてはオレガノが守形達の後ろを歩いているシーンで、2人が足を止めたから初めて存在に気づくことが出来たというアニメならではの演出だそうです。細かいようだけど、そういうところが丁寧に作られてるよね。漫画では表現しきれなかったシナプスの全容……というよりは一部分ですけど、2期では最初のシリアスパートということもあって、結構気を使っていたみたい。風音日和が初登場したのも5話ですけど、この辺りのSF的設定は原作読んだ当時に愕然とした記憶がある。SFにおいて夢と現実は割とオーソドックスなテーマで、言ってしまえば古典的なものです。最近はネット系のガジェットが発達してきたから仮想現実のほうが主流になってますけど、現実とは誰かの見ている夢である、なんてのは誰もが一度は考えることだと思う。だからこそ、それを今の時代に堂々とやったことに私は感銘を受けたし、ジャンルとしては縮小気味のSF漫画という媒体で、ちゃんとSFやっていることは素直に好感を持てた。
風音日和については後で書くとして、守形がニンフした「俺は現実か?」という質問は怖いよね。守形自身、自分の仮説の恐ろしさを理解していたし、確認することそれ自体に相当の勇気が必要だったと思う。ニンフは守形を現実の存在だといってくれたけど、じゃあ他のみんなは? 智樹やそはら、会長はどうなのか。自分の見ているもの、過ごしている日常が一変してしまうような事実だけに、守形が受けた衝撃はかなりのものだったでしょう。でも、気付くべき要素は存在していたんだよね。1話で大分ゲームが出てきたとき、ニンフは「シナプスで昔流行っていた」と言いました。じゃあ、どうして今は流行ってないのか? 単にブームが過ぎたからではなく、それ以上のものが生まれてしまったから。5話は劇場版の伏線でもあるから、見直すのも悪くないと思います。
7話はカオスが本格的に登場してくるということで、全体的にホラー映画を意識した演出を心がけたそうです。いきなり蝉の死骸がアリの軍隊に運ばれていくシーンから始まり、行き倒れているアストレアに目を奪われがちですが、この時点で既に異様さを出し始めているとのこと。分かりやすいところでは部室のジェイソンとか、会長がカオスとすれ違うシーンでカオスの影に翼のシルエットが浮かび上がったり、EDの水撒きもそうですね。ギャグでありながら随所に細かい演出があって、カオスという存在が現れたことを示しているわけです。智樹に化けたカオスとか、異様であり恐怖の対象であるカオスを印象づけるための演出ですか。ちなみに黙示録編というのは仮面Pが付けたタイトルらしいです。まあ、9話や10話のどこがアポカリプスなんだって話だけど。
8話、「空に響くウタヒメの声」の解説では、一番興味深い話が聞けたかな。前半も中盤も原作と相違ない話だけど、終盤の収拾のつけ方、ウラヌスシステムの登場には賛否どころか反対意見しかなかったらしい。仮面Pをはじめ、ほぼ全員が反対して、原作者の水無月すうもまたやんわりとだけど、「一方が武器を持っていて、片方が持っていない状況はどうなんだろう」みたいな感じに否定的だったそうです。ウラヌスシステムを使うことにこだわっていたのは斎藤監督であり、「意思を持たない機械が助ける」という流れをどうしても描きたかったらしい。結果、イカロスはカオスと心中するつもりだったということを話して水無月すうを納得させたらしいけど、実は監督的にウラヌスシステムを足枷に感じ始めていたとかで、一旦排除したかったとかなんとか。個人的には水無月すうが反対というか否定的だったというのに少し驚いたかな。8話のアニメオリジナル展開は、原作者がしたくても出来なかった演出だという意見が多かっただけに、本当は嫌がっていたということに割とビックリ。個人的には監督と同意見で、良い演出だったと思うんですけどね。仮面Pも「結果としてアームさん大人気になった」とのことだから、監督の意図は伝わってるんだと思う。
後、作画的なことではイカロスの肩部分で問題が発生したらしい。というのも、イカロスは空の女王モードで肩パーツがあるバージョンと無いバージョンがあって、あるバージョンの場合、肩の辺りまで腕の黒い部分で包まれているそうなんですよ。で、カオスを海中に沈めたときに肩パーツ壊れるわけだけど、その際、肩は黒があるバージョン、無いバージョンのどちらを描くのかっていうことで意見が分かれたとか。結局、素肌にしてましたけど。
9話に関してはシリアスが一転してギャグ回なわけですが、トモ子を登場させたことに付いてはまあ、諸般の事情ということで。ただ、シリーズ構成兼全話の脚本を担当している柿原優子が「私、智樹の『風がうんちゃら、潮がうんちゃ』って台詞好きなんですよねー」と言ったため、この台詞に関してはトモ子にそのまま言わせればいいじゃんということで採用されたらしい。
女子に浮輪モドキを付けたのもまた諸般の事情らしいですが、キャラデザの渡邊さん曰く、あれで本当に浮くかどうかは分からないとか。ギャグだけど、イカロスにとって最終話までのテーマであるプロポーズが出てきたのもこの辺ですし、愛に対して思い悩み始めた話でもあるから、重要といえば重要だったりします。そはらが生徒会の書記という設定を再び出したのは11話に向けての準備らしいけど、数字を打ち間違えたことに意味はなかったらしい。だから、11話で大分ゲームの機械を操作するシーンで打ち間違えがあるのではないかと思われたのは、そう思われても仕方ない描写だったと言ってました。
海中にいるカオスのシーンですけど、ウラヌスシステムは一応ダイダロスによって回収されたらしいです。Wikipediaとか見てると海中に放置されたままと解釈されているみたいだけど、実際はダイダロスが修理中らしい。カオスの「あ、光ってる……消えちゃった」というのはウラヌスシステムのこと言っているわけですね。
10話は原作の細かい話を纏め上げているわけだけど、ニンフは当然、アストレアの心境の変化とか、イカロスの溜まりに溜まった智樹への想いとか、記憶の消去はアニメオリジナルですが、良い演出だったのではないかと。敢えてそういう展開にしたと斎藤監督は言ってましたが、話を盛り上げる意味ではこれ以上にないでしょう。ちなみにラストにまた登場した一部の人が喜んだり悲しんだりした成長したカオスですけど、これに関してはサラリとばらしてましたが原作にもある設定だったそうです。なんでも、水無月すう曰くカオスは二段階の変身をするキャラで、最初はニンフほどの大きさまで成長し、次にイカロス並になるという、まるでセルみたいな存在だったとか。ただ、仮面Pの補足では水無月すうはよく設定や展開を変えることがあるので、原作のカオスに変身というか成長設定が残っているとは限らないらしい。ただ、最新号の展開を考えると……カオスが進化する可能性というのは、なくはないと思う。いい意味でも悪い意味でも、子供だから。
11話に関しては、仮面Pにしろ斎藤監督にしろ、結構不満というかそれほど出来に対して納得してないみたいです。もちろん、放送してしまった手前、ハッキリとした表現こそ使ってませんでしたが、まあ、世間的な評価もそれほど高くないですからね。その辺りのことも気にはしているみたい。ただ、2話に伸ばすほどの話ではないと思ったし、1話にまとめたことそれ自体は悪くはなかったのではないかと、そういう感じらしい。足枷だったウラヌスシステムを外したことで、エンジェロイドの共闘とそれぞれの戦いを描きたかったという言葉も、分からないではない話です。イカロスは消え行く記憶と智樹への愛、ニンフは失った羽根を取り戻すこと、そしてアストレアは勝つことが出来なかったカオスへの雪辱戦。ただ、私が微妙に感じる描写として、智樹がニンフだけではなくアストレアのマスターにもなると言ったシーンがあります。別にアストレアのマスターになること自体は良いんですけど、ニンフが智樹の言葉を「どれだけ聴きたかったか」と涙をながすのに対し、アストレアが「ですよね!」と応じるのはどうなのかと。だって、ニンフとアストレアでは智樹に対する想いの度合いが違うじゃないですか。ニンフが智樹が自分のマスターなら、と考えていたのはそれこそ1期の頃からですし、アストレアとは年季が違うよ。仮にアストレアの言葉がニンフの想いを汲みとってのものだとしても……いや、あの馬鹿にそれはないか。
ここでカオスの声優に付いて触れておくと、演じている豊崎愛生はオーディションで決まったらしいです。なんでもアストレアと同時にオーディションをして、アストレアは福原香織ともう一人が激しく争っていたそうです。それが誰だったのかはさすがに明かされませんでしたが、福原香織がキャスティングされた時点でアストレアのキャラがわかりそうなものだという発言はどうなんだろうねw そしてカオスの声優ですけど、重要視したのは誰が一番怖いのかということで、豊崎愛生は満場一致で決まったらしいです。確かに、恐怖の塊みたいな演技ですもんね。
最終話についてですが、元々は1期も14話をラストに持ってきたかったのが色々あって駄目になったそうで、最後は明るく終わりたいって気持ちがスタッフの中にはあるらしい。ウェディングドレスに付いては仮面Pの発案らしくて、当初は昔の香港映画みたいに智樹が花嫁姿のイカロスたちに囲まれるないし追いかけられるなりして、「もう勘弁してくれー!」なんていうオチを考えていたそうなんですが、さすがにそれではアレということで斎藤監督があのような形でまとめたらしい。でも、仮面Pの案も悪くないと思いますけどね? 結局、智樹は答えを出さずに終わってしまいましたから、いっそギャグで締めても良かったんじゃないだろうか。まあ、引っ張ってきたプロポーズに対する一つの答えではあるんだろうけど、イカロスに取っては少し複雑というか、可哀想な結果かな、とも思う。ちなみに会長が予約済みというのは先に書いた、というか本当はこの時に解説されたんですが、守形と会長が絡むと嬉しい女性ファン向けのサービスみたいなものらしい。カオスをあのような形で再登場させたことは、原作との整合性から良いのだろうかとは思うけど、まあ、そらおとスタッフなら上手くやるでしょう。すっかり邪気が抜けてますけど、この辺りは原作のほうがいいかなと思わないでもない。
EDのアイコンに付いてですが、これも直前になって決まったことらしい。最初はそらおとfに引っ掛けて、「f」を入れようとしたらしいんですが、それだと文字的に大きいので、キャラに関係するアイコンを入れてみたんだそうです。後、EDテーマに対して、「作品の趣旨と合ってないのでないか、という質問があった」とのことですが、イカロスbotにその疑問をぶつけたのは他でもない私だったりする。けどまあ、イベントで触れられるぐらいだから、同じような質問多かったのかな。いや、私もED曲当てクイズのときは迷ったんですよ。ヒントが出た際、まっさきに思い浮かんだ曲ではあったんだけど、歌詞に「愛なんて言葉は捨てろ」みたいなのがあって、ここまで愛というものに対してずっと考えてきたのに捨てろはないんじゃないかってことで候補から外したんだけど……監督的には歌詞も爽やかだし違和感ないらしい。まあ、いい歌ではあると思うけど。
特報というか映画化に付いて。さすがにこの時期だと話せることも少なかったんだけど、情報の公開がやけに早かったことは質問コーナーでも指摘されてましたが、一応の理由はあったらしい。普通なら放送の終了と同時に発表するようなもんだけど、なんでも仮面P曰く「ノリで3期より早く映画の企画書を立ててしまった」とのことで、なんとプロデューサーのノリで始まったことらしい。ほとんどダメもとで、どうせ却下されるだろうなーと思ってたら、「予算を組め」と言われたらしく、企画が始まったとか。ちなみに保志総一朗へ映画化が決まったことを伝えたら、「映画はいいですけど3期は?」と当たり前のツッコミを受けたらしい。ここで重要なのは、3期の代わりに映画化を選んだわけではないということですね。BDの売り上げもあるんでしょうが、映画以外の続編も十分に狙えるというわけです。
そして、映画化の企画が通った時期と同じくニュータイプの表紙が決まって、スタッフ的にはこれが凄い意外というか、驚くべきことだったらしい。いくら角川原作とはいえ、ニュータイプの表紙はないだろうと思っていたとかで。斎藤監督は嘘かホントか田舎に何冊か送ったと言ってました。それでまあ、折角ニュータイプの表紙になるわけだし、こんな機会二度もあるとは限らないから、まだなにも決まってないけど発表してしまおうかと、そういう流れだったそうです。
特報に付いては、始め単なるCMを作る予定だったのが、監督たちがどうせなら特報にしてしまえということで深夜にキャッチコピーを仮面Pのところに考えるよう電話してきて、「そらおと史上最大の~とかでいいんじゃ?」と答えたら、出来上がったの見たら「智樹ついにモテ期到来!!」と全然違うものになっていたらしい。
まあ、原作読んでいる人にはどこが映画化されるのか分かりきっているようなものですがと前置きした上で、それを如何に劇場作品に仕上げていくかというのが今後の課題らしい。でも、どういう形になるにせよ、そらおとのスタッフなら大丈夫なんじゃないかと、そんな安心感を与えてくれる作品だと私は思っています。
上映会の後はプレゼントコーナーがあって、なんと渡邊さんが上映中に描き上げたイカロス、ニンフ、アストレアの色紙が3枚出たりと、色々豪華でした。特にニンフは青色がなかったとかで、今回きりの緑髪。欲しかったけど、さすがに当たらなかった。意外とこういう抽選回は当たる確率高いんだけどなーとか思ってたら、最後のほうでグッズが当たってしまいました。イカロスのトートバッグでしたか、普通に売っているようなグッズでしたけど、なんかこういうのが当たると参加した甲斐があったという気になって嬉しいよね。ちなみに当日になって物販も決定して、サイリウムとかアストレアテレカが売ってました。サイリウムなんてなにに使うんだということでテレカを購入しておきました。
実はオールナイトの上映会って初めてで、トークショーとかは経験合ったんだけど、好きなアニメを一晩掛けて観るってのは楽しいものですね。次の機会があるのかは分かりませんが、参加してよかったです。映画はまだまだ先ですけど、3期も視野にはいれているそうだから、今後の展開に期待してこれからもそらのおとしものという作品を応援し続けましょう!
イベント自体は先日放送終了したそらのおとしものf全12話を一挙に上映するというシンプルなものなんだけど、司会進行に仮面プロデューサーが現れたり、ゲストに監督である斎藤久さんやキャラデザの渡邊さんなどが登場して、結構豪華な顔ぶれになりました。上映の合間に雑談という名の各話解説コーナーみたいのがあったんだけど、これが意外と真面目な話も結構あって、色々と興味深かったです。当人らは何気なく話してるつもりなんでしょうけど、聞いている側は思わず驚いてしまうような、そんな情報もあったりしました。
12月24日は公式でイカロスとニンフの誕生日ということになっていて、事前の告知通り2人の誕生日を祝いました。その際に1期13話の映像が使われたんですが、仮面P曰く「所謂ハッピーバースデートゥーユーは1回歌うごとに金が発生する」とのことで、本編では歌うことが出来なかったらしい。なんでも、この歌は著作権が結構複雑らしく、日本では2007年に消滅しているものの海外では生きているとかで、海外販売が出来なくなるということにギリギリのところで気付いて止めになったらしい。本当に収録直前まで声優陣に歌ってもらう予定だったそうなんですが、そんな事情があったとは。仮面Pが言うには、日本での権利が生きてた頃はアニメでおいそれと歌える曲じゃなかったらしいんだけど、あんまりそういう印象ないよね。というか、この歌に著作権があること自体、それほど知られてないんじゃないだろうか。結婚行進曲並に自然なものというか、まあ、これはクラシックですからとっくに権利消えてますが。
そして始まる上映会なわけだけど、2話ずつ上映して10分休憩を挟み、その休憩時間に各話の解説を行っていくという感じで、最初の1話、2話に関しては、やはりOPとEDに話になりましたね。俺のベルはともかくとして、ハートの確率でイカロスたちがそれぞれ異なる水場にいることに関しては斎藤監督から解説があって、まずイカロスは智樹への愛に目覚め、想いが溢れ出ていることから激流とも言うべきダム。ニンフは1期で羽根を失い、全体的に淀んだ気持ちを引きずっているので水たまり。そしてアストレアは馬鹿だから、よく分からないけど上を見つめているということで、とりえず上流の方を向いているという構図らしい。確かにそらおとfは最終回にいたるまで、水場ないし水そのものに関する話が多かったよね。9話が代表的だけど、例えばアストレアは川を居住地にしてますし。
2話のEDに関しては、やはりそらおと自体、1期の2話で名を上げたという自覚があったので、それを越えるものを作らなければいけないという意識みたいなものがあったらしい。原作のオチからどう広げようかという考えから始まって、祭りをやればいいじゃんという結論に至ったらしい。ちなみに納品したら突っ返されたそうですが、本編の内容でもED映像でもなく、サブタイが引っかかったとか。巨乳ってサブタイトルで使えないんですね。性的な単語としては生やさしい部類だと思うけど、なんでなんだろ? 上映会で流しているのはDVD 版でしたから、当然サブタイは修正されていないものでした。
ただ、会場が液晶スクリーンだったこともあってか、やや白がキツメなのが気になった。仮面Pも色々調整してもらったらしいんだけど、それも限界があるというか、映像を楽しむという意味では割と見辛かったと思う。まあ、TVアニメを劇場で流しているわけだから、その辺は仕方ないのかもしれませんが、普通に大きいスクリーンでのそらおとを楽しみに行った身としては、少し残念だったかなと。
第3話のプライドある戦いに関しては、まずプロレスの描写に付いてどのように描くべきかという議論があったそうです。つまり、制作側の世代である昔のプロレスを描くべきなのか、今のK-1など総合格闘技風のプロレスにするべきなのかということで、これは確かに悩むべきところですね。まあ、結局本編ではあんな感じになってましたが、即興で作られた会場の2階席、3階席はベニヤ板で作られた観客の絵だったりと、結構細かいネタが散見していた。ハイライトでは1期のキャラをほとんど出したとかね。あれは静止画ではなく動画としてやりたかったらしいんだけど、アニメとしての限界があったとかで出来なかったようです。
そはらがレフェリーとしてなにをしていいのか分からず、適当な動きをしているところとか、そらおとにはとにかくネタや設定が多いというのが斎藤監督や渡邊さんの感想だった。仮面Pの悪乗りも多いらしいけど、これがまだ序の口と言うんだからそらおとは凄いよ。
第4話はなんといっても合戦のシーン、と思わせておいて、実は最初の方にあった矢が刺さるシーンに監督は以上な拘りを見せていたらしい。タイミング的なものがあったらしく、何回も作り直したとかなんとか。まあ、ニンフが会長にいじめられたり、会長と守形が色々あったりするわけだけど、原作では守形関連の話って掘り下げられるか分からないんでしたっけ? これは12話を上映する前に解説されたんだけど、守形と会長がイチャイチャしていると主に女性ファンが喜ぶらしいです。だから、もしかするとアニメの方でこの2人の関係などが語られるかもしれませんね。女性人気があるというのも、まあ、なんとなくわかる話ですし私も嫌いじゃないです。ある種、悟りきった間柄とでもいうのか、結構どんよりとした事情があるんだろうね。
5話と6話に関しては、やっぱり5話の守形とそはらがシナプスを探索する部分の解説ですか。守形がシナプスの上空を飛行する中で、ちゃんと智樹がダイダロスと会っている場所も存在していたり、智樹は自分の夢じゃないと言ってましたが、実際には夢であり現実でもあるんですよね。こだわりのシーンとしてはオレガノが守形達の後ろを歩いているシーンで、2人が足を止めたから初めて存在に気づくことが出来たというアニメならではの演出だそうです。細かいようだけど、そういうところが丁寧に作られてるよね。漫画では表現しきれなかったシナプスの全容……というよりは一部分ですけど、2期では最初のシリアスパートということもあって、結構気を使っていたみたい。風音日和が初登場したのも5話ですけど、この辺りのSF的設定は原作読んだ当時に愕然とした記憶がある。SFにおいて夢と現実は割とオーソドックスなテーマで、言ってしまえば古典的なものです。最近はネット系のガジェットが発達してきたから仮想現実のほうが主流になってますけど、現実とは誰かの見ている夢である、なんてのは誰もが一度は考えることだと思う。だからこそ、それを今の時代に堂々とやったことに私は感銘を受けたし、ジャンルとしては縮小気味のSF漫画という媒体で、ちゃんとSFやっていることは素直に好感を持てた。
風音日和については後で書くとして、守形がニンフした「俺は現実か?」という質問は怖いよね。守形自身、自分の仮説の恐ろしさを理解していたし、確認することそれ自体に相当の勇気が必要だったと思う。ニンフは守形を現実の存在だといってくれたけど、じゃあ他のみんなは? 智樹やそはら、会長はどうなのか。自分の見ているもの、過ごしている日常が一変してしまうような事実だけに、守形が受けた衝撃はかなりのものだったでしょう。でも、気付くべき要素は存在していたんだよね。1話で大分ゲームが出てきたとき、ニンフは「シナプスで昔流行っていた」と言いました。じゃあ、どうして今は流行ってないのか? 単にブームが過ぎたからではなく、それ以上のものが生まれてしまったから。5話は劇場版の伏線でもあるから、見直すのも悪くないと思います。
7話はカオスが本格的に登場してくるということで、全体的にホラー映画を意識した演出を心がけたそうです。いきなり蝉の死骸がアリの軍隊に運ばれていくシーンから始まり、行き倒れているアストレアに目を奪われがちですが、この時点で既に異様さを出し始めているとのこと。分かりやすいところでは部室のジェイソンとか、会長がカオスとすれ違うシーンでカオスの影に翼のシルエットが浮かび上がったり、EDの水撒きもそうですね。ギャグでありながら随所に細かい演出があって、カオスという存在が現れたことを示しているわけです。智樹に化けたカオスとか、異様であり恐怖の対象であるカオスを印象づけるための演出ですか。ちなみに黙示録編というのは仮面Pが付けたタイトルらしいです。まあ、9話や10話のどこがアポカリプスなんだって話だけど。
8話、「空に響くウタヒメの声」の解説では、一番興味深い話が聞けたかな。前半も中盤も原作と相違ない話だけど、終盤の収拾のつけ方、ウラヌスシステムの登場には賛否どころか反対意見しかなかったらしい。仮面Pをはじめ、ほぼ全員が反対して、原作者の水無月すうもまたやんわりとだけど、「一方が武器を持っていて、片方が持っていない状況はどうなんだろう」みたいな感じに否定的だったそうです。ウラヌスシステムを使うことにこだわっていたのは斎藤監督であり、「意思を持たない機械が助ける」という流れをどうしても描きたかったらしい。結果、イカロスはカオスと心中するつもりだったということを話して水無月すうを納得させたらしいけど、実は監督的にウラヌスシステムを足枷に感じ始めていたとかで、一旦排除したかったとかなんとか。個人的には水無月すうが反対というか否定的だったというのに少し驚いたかな。8話のアニメオリジナル展開は、原作者がしたくても出来なかった演出だという意見が多かっただけに、本当は嫌がっていたということに割とビックリ。個人的には監督と同意見で、良い演出だったと思うんですけどね。仮面Pも「結果としてアームさん大人気になった」とのことだから、監督の意図は伝わってるんだと思う。
後、作画的なことではイカロスの肩部分で問題が発生したらしい。というのも、イカロスは空の女王モードで肩パーツがあるバージョンと無いバージョンがあって、あるバージョンの場合、肩の辺りまで腕の黒い部分で包まれているそうなんですよ。で、カオスを海中に沈めたときに肩パーツ壊れるわけだけど、その際、肩は黒があるバージョン、無いバージョンのどちらを描くのかっていうことで意見が分かれたとか。結局、素肌にしてましたけど。
9話に関してはシリアスが一転してギャグ回なわけですが、トモ子を登場させたことに付いてはまあ、諸般の事情ということで。ただ、シリーズ構成兼全話の脚本を担当している柿原優子が「私、智樹の『風がうんちゃら、潮がうんちゃ』って台詞好きなんですよねー」と言ったため、この台詞に関してはトモ子にそのまま言わせればいいじゃんということで採用されたらしい。
女子に浮輪モドキを付けたのもまた諸般の事情らしいですが、キャラデザの渡邊さん曰く、あれで本当に浮くかどうかは分からないとか。ギャグだけど、イカロスにとって最終話までのテーマであるプロポーズが出てきたのもこの辺ですし、愛に対して思い悩み始めた話でもあるから、重要といえば重要だったりします。そはらが生徒会の書記という設定を再び出したのは11話に向けての準備らしいけど、数字を打ち間違えたことに意味はなかったらしい。だから、11話で大分ゲームの機械を操作するシーンで打ち間違えがあるのではないかと思われたのは、そう思われても仕方ない描写だったと言ってました。
海中にいるカオスのシーンですけど、ウラヌスシステムは一応ダイダロスによって回収されたらしいです。Wikipediaとか見てると海中に放置されたままと解釈されているみたいだけど、実際はダイダロスが修理中らしい。カオスの「あ、光ってる……消えちゃった」というのはウラヌスシステムのこと言っているわけですね。
10話は原作の細かい話を纏め上げているわけだけど、ニンフは当然、アストレアの心境の変化とか、イカロスの溜まりに溜まった智樹への想いとか、記憶の消去はアニメオリジナルですが、良い演出だったのではないかと。敢えてそういう展開にしたと斎藤監督は言ってましたが、話を盛り上げる意味ではこれ以上にないでしょう。ちなみにラストにまた登場した一部の人が喜んだり悲しんだりした成長したカオスですけど、これに関してはサラリとばらしてましたが原作にもある設定だったそうです。なんでも、水無月すう曰くカオスは二段階の変身をするキャラで、最初はニンフほどの大きさまで成長し、次にイカロス並になるという、まるでセルみたいな存在だったとか。ただ、仮面Pの補足では水無月すうはよく設定や展開を変えることがあるので、原作のカオスに変身というか成長設定が残っているとは限らないらしい。ただ、最新号の展開を考えると……カオスが進化する可能性というのは、なくはないと思う。いい意味でも悪い意味でも、子供だから。
11話に関しては、仮面Pにしろ斎藤監督にしろ、結構不満というかそれほど出来に対して納得してないみたいです。もちろん、放送してしまった手前、ハッキリとした表現こそ使ってませんでしたが、まあ、世間的な評価もそれほど高くないですからね。その辺りのことも気にはしているみたい。ただ、2話に伸ばすほどの話ではないと思ったし、1話にまとめたことそれ自体は悪くはなかったのではないかと、そういう感じらしい。足枷だったウラヌスシステムを外したことで、エンジェロイドの共闘とそれぞれの戦いを描きたかったという言葉も、分からないではない話です。イカロスは消え行く記憶と智樹への愛、ニンフは失った羽根を取り戻すこと、そしてアストレアは勝つことが出来なかったカオスへの雪辱戦。ただ、私が微妙に感じる描写として、智樹がニンフだけではなくアストレアのマスターにもなると言ったシーンがあります。別にアストレアのマスターになること自体は良いんですけど、ニンフが智樹の言葉を「どれだけ聴きたかったか」と涙をながすのに対し、アストレアが「ですよね!」と応じるのはどうなのかと。だって、ニンフとアストレアでは智樹に対する想いの度合いが違うじゃないですか。ニンフが智樹が自分のマスターなら、と考えていたのはそれこそ1期の頃からですし、アストレアとは年季が違うよ。仮にアストレアの言葉がニンフの想いを汲みとってのものだとしても……いや、あの馬鹿にそれはないか。
ここでカオスの声優に付いて触れておくと、演じている豊崎愛生はオーディションで決まったらしいです。なんでもアストレアと同時にオーディションをして、アストレアは福原香織ともう一人が激しく争っていたそうです。それが誰だったのかはさすがに明かされませんでしたが、福原香織がキャスティングされた時点でアストレアのキャラがわかりそうなものだという発言はどうなんだろうねw そしてカオスの声優ですけど、重要視したのは誰が一番怖いのかということで、豊崎愛生は満場一致で決まったらしいです。確かに、恐怖の塊みたいな演技ですもんね。
最終話についてですが、元々は1期も14話をラストに持ってきたかったのが色々あって駄目になったそうで、最後は明るく終わりたいって気持ちがスタッフの中にはあるらしい。ウェディングドレスに付いては仮面Pの発案らしくて、当初は昔の香港映画みたいに智樹が花嫁姿のイカロスたちに囲まれるないし追いかけられるなりして、「もう勘弁してくれー!」なんていうオチを考えていたそうなんですが、さすがにそれではアレということで斎藤監督があのような形でまとめたらしい。でも、仮面Pの案も悪くないと思いますけどね? 結局、智樹は答えを出さずに終わってしまいましたから、いっそギャグで締めても良かったんじゃないだろうか。まあ、引っ張ってきたプロポーズに対する一つの答えではあるんだろうけど、イカロスに取っては少し複雑というか、可哀想な結果かな、とも思う。ちなみに会長が予約済みというのは先に書いた、というか本当はこの時に解説されたんですが、守形と会長が絡むと嬉しい女性ファン向けのサービスみたいなものらしい。カオスをあのような形で再登場させたことは、原作との整合性から良いのだろうかとは思うけど、まあ、そらおとスタッフなら上手くやるでしょう。すっかり邪気が抜けてますけど、この辺りは原作のほうがいいかなと思わないでもない。
EDのアイコンに付いてですが、これも直前になって決まったことらしい。最初はそらおとfに引っ掛けて、「f」を入れようとしたらしいんですが、それだと文字的に大きいので、キャラに関係するアイコンを入れてみたんだそうです。後、EDテーマに対して、「作品の趣旨と合ってないのでないか、という質問があった」とのことですが、イカロスbotにその疑問をぶつけたのは他でもない私だったりする。けどまあ、イベントで触れられるぐらいだから、同じような質問多かったのかな。いや、私もED曲当てクイズのときは迷ったんですよ。ヒントが出た際、まっさきに思い浮かんだ曲ではあったんだけど、歌詞に「愛なんて言葉は捨てろ」みたいなのがあって、ここまで愛というものに対してずっと考えてきたのに捨てろはないんじゃないかってことで候補から外したんだけど……監督的には歌詞も爽やかだし違和感ないらしい。まあ、いい歌ではあると思うけど。
特報というか映画化に付いて。さすがにこの時期だと話せることも少なかったんだけど、情報の公開がやけに早かったことは質問コーナーでも指摘されてましたが、一応の理由はあったらしい。普通なら放送の終了と同時に発表するようなもんだけど、なんでも仮面P曰く「ノリで3期より早く映画の企画書を立ててしまった」とのことで、なんとプロデューサーのノリで始まったことらしい。ほとんどダメもとで、どうせ却下されるだろうなーと思ってたら、「予算を組め」と言われたらしく、企画が始まったとか。ちなみに保志総一朗へ映画化が決まったことを伝えたら、「映画はいいですけど3期は?」と当たり前のツッコミを受けたらしい。ここで重要なのは、3期の代わりに映画化を選んだわけではないということですね。BDの売り上げもあるんでしょうが、映画以外の続編も十分に狙えるというわけです。
そして、映画化の企画が通った時期と同じくニュータイプの表紙が決まって、スタッフ的にはこれが凄い意外というか、驚くべきことだったらしい。いくら角川原作とはいえ、ニュータイプの表紙はないだろうと思っていたとかで。斎藤監督は嘘かホントか田舎に何冊か送ったと言ってました。それでまあ、折角ニュータイプの表紙になるわけだし、こんな機会二度もあるとは限らないから、まだなにも決まってないけど発表してしまおうかと、そういう流れだったそうです。
特報に付いては、始め単なるCMを作る予定だったのが、監督たちがどうせなら特報にしてしまえということで深夜にキャッチコピーを仮面Pのところに考えるよう電話してきて、「そらおと史上最大の~とかでいいんじゃ?」と答えたら、出来上がったの見たら「智樹ついにモテ期到来!!」と全然違うものになっていたらしい。
まあ、原作読んでいる人にはどこが映画化されるのか分かりきっているようなものですがと前置きした上で、それを如何に劇場作品に仕上げていくかというのが今後の課題らしい。でも、どういう形になるにせよ、そらおとのスタッフなら大丈夫なんじゃないかと、そんな安心感を与えてくれる作品だと私は思っています。
上映会の後はプレゼントコーナーがあって、なんと渡邊さんが上映中に描き上げたイカロス、ニンフ、アストレアの色紙が3枚出たりと、色々豪華でした。特にニンフは青色がなかったとかで、今回きりの緑髪。欲しかったけど、さすがに当たらなかった。意外とこういう抽選回は当たる確率高いんだけどなーとか思ってたら、最後のほうでグッズが当たってしまいました。イカロスのトートバッグでしたか、普通に売っているようなグッズでしたけど、なんかこういうのが当たると参加した甲斐があったという気になって嬉しいよね。ちなみに当日になって物販も決定して、サイリウムとかアストレアテレカが売ってました。サイリウムなんてなにに使うんだということでテレカを購入しておきました。
実はオールナイトの上映会って初めてで、トークショーとかは経験合ったんだけど、好きなアニメを一晩掛けて観るってのは楽しいものですね。次の機会があるのかは分かりませんが、参加してよかったです。映画はまだまだ先ですけど、3期も視野にはいれているそうだから、今後の展開に期待してこれからもそらのおとしものという作品を応援し続けましょう!
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