さて、今日は私の誕生日でした。年齢の公表は控えさせていただきますが、私もすっかりいい歳になった。まだ二十代だから若いと思い込むことにしたけど、最近の体調不良とかその他諸々のことを考えれば、そうも言ってられないんでしょうね。いつまでも若くないなんて言葉、私としては使いたくもないし、私にとって十代だった頃はそれほど昔ではないと思ってるんだけど、悲しきかな時間というのは否応なしに流れていくものでして。それを私が意識していないといえば、多分嘘になるんでしょうね。

私だって自分が無駄に年を重ねてきたとは思ってないけど、じゃあ、その生涯賭けてなにをしてきたんだと言われれば、正直言葉に詰まる。だから、私にとって年齢に対する焦りというのは確かにある。時間は無限でも、人に分け与えられる分には限りがあるし、それをどのように使うかはその人次第であって、私は果たしてそれを上手く出来ているんだろうか。消費なのか、それとも浪費なのか。時間も金と同じで、不可抗力でもない限り使うことを決断するのは自分でしかないんですよ。いくら、人が人生という学問を学び続ける学生だとしても、積極的に学生でいられる時間は、そう長くはない。
人には誰しも叶えたい夢というものがあって、当然私にもそれはある。私はいつも、とある人の才能に嫉妬していた。羨んでいた。自分にないものを天才性を持っていたその人を超えたくて、同じようなことをしてみては失敗して……その度に自分の力の無さに絶望した。そんな自分を変えたくて、十代の終わりが近づきつつ合った頃、私はなにか一つの道だけでも極めようと思った。極められずとも、高みに行きたいと。多彩な才能を見せつける天才に対して、凡才以下であった私に出来たのはそれぐらいしかなかったから。
所謂プロという存在の門弟となって、私は文章の修行をし始めた。才能がないことは元々分かっていたけど、それでもなにかを掴みとりたくて、本当に必死だったと思う。一門には私なんかより文章の上手い奴がいくらでもいて、ハッキリ言って私なんて実力でいえば下の方だった。技術にしても同期が凄まじい物を書く中で、私のは良くてその切れ端程度。挫折や絶望はしなかったし、それが現実なんだとも思ったけど、不思議と対抗心や悔しさも抱かなかったんだよね。同期はあくまで同期であって、実力の差はあれど立場は同格だし、私の目標というのは別に合ったから。それに、私は古いタイプの本読みだったから、趣味嗜好も違ったしね。

昨年の話になるんだけど、偶然当時の同期たちが写っている写真を見つけました。まあ、小さい空間内でのことだから人数と呼べるほどの人間が集まっていたわけでもないんだけど、気が付いたら私の同期たちはみんないなくなっていた。どこかで生きてはいるんだろうけど、少なくとも作家になった奴はいないし、それ以外のものとなって業界にいる奴は一人もいない。実力も才能もなかった私だけが、何故か最後の最後に残ってしまった。兄弟子たちは同期の付き合いがあるけど、私の場合は私以外の人間が残ってないから……正確には一人だけいて、彼は私の親友だけど、今は文筆とは程遠い仕事に勤しんで、私とはたまに合う程度の関係です。
気にすることはない、そんなものだと師匠は言うし、私も別に思うところはないんだけど、周りから人が次々に消えて言ったことで、逆に道の険しさや厳しさを再実感したとでも言うのかな。なにを持っていたわけでもない私がこの業界に残っているのは、結局私にこれ以外のことが出来なかったからで、才能の欠片もない凡才は自分が学び得たことを活かすことしか、他にやれることがなかったんですよ。お前はこの業界でしか生きて行けないと思ったと師匠に言われたことがあるけど、それは多分事実以外の何物でもなかったんでしょう。
私は同期たちと比べて異才ではなく異質な人間だった。彼らがいまどきのエンターテイメント小説や、ライトノベルを熱く語り、それらを書くような作家になりたいと執筆をする中で、ひたすら私はSFやミステリーなど、ある種古典的なものに傾倒していた。ラノベを読まないわけじゃなかったけど、私にとっての小説というのはSF文庫などがそうだったのだ。そんな奴が他の人間と話が合うわけもないってんで、仲が悪くはないけど仲良くもないと、同期との関係なんてそんなものだったかも知れない。師匠も正統派SFファンが門を叩きに来たのは久しぶりだと言ってたし。

けれど、そんな同期たちも既に消えてしまい、私は最後の一人となってしまった。別に責任感や義務感があるわけじゃないし、そんなものはセンチメンタリズムにすらならないと思ってるけど、私までいなくなれば、私のいた時代そのものが消滅するかのような、そんな錯覚を覚えるんですよ。私みたいな劣等性が思い上がりも甚だしいのかも知れないけど、全滅なんて悲しすぎるじゃないか。
私はまた一つ年を重ね、しかし、まだ夢を叶えるには至っていないけど、目指すべきものがあるのだから逃げずに挑戦し続けようと思います。時が許してくれる限りは。

コメント