久しぶりに職場へ行きました。先週はなんだかんだと4日間も休んでしまい、小心者の私は内心不安もあったんですけど、さすがに流行病ともなれば仕方がない的な感じで、まあ、温かく迎えてもらえたかも知れない。復帰早々仕事があるということで、居候中の出版社主催している新人賞に届いた原稿をチェックする、簡単なようで難しい仕事を一日中ずっとしてました。これがまた、数がそれほどでもないんだけど綴じ方とか原稿形態の規定が緩かったせいで、結構乱雑でね。要するに、手書き読みにくいって奴です。

一般的に新人賞の投稿作品といえば、まず下読みと呼ばれる方々に原稿が割り振られ、そこから選ばれた作品が初めて選考員や審査員といった人達の眼に触れるわけだけど、私がやったのはそんな下読みに送る原稿をチェックして、まあ、色々するという一番最初の段階です。私も立場的にその賞に少なからず関わっていたので、忙しい編集部に変わって雑用感覚で引き受けたのですが……さすがに1日で片付く量じゃなかった。ライトノベルではないから、投稿数は三桁とかその程度なんだけど、それを私含めて片手にも満たない人数で捌いていくわけですから、これが割と大変なんですよ。
それでまあ、原稿をチラ見程度に読んでいったわけだけど、正直なんとも言えない気分になった。よく、ラノベの新人賞は若い奴ばっかりが送ってくるから読めたもんじゃない作品ばかりだという意見があって、それはその通りなんだけど、ぶっちゃけると普通の文芸とかミステリーとかも大差ないな、と改めて実感した気がする。あんまり偉そうなことはいえないけど、年配層が多く投稿してくるような新人賞だからといって、文章的、もしくは内容的に必ずしも優れているわけじゃないんだよね。まあ、内容に関しては私の趣味も多分に含まれるのかも知れないけど、あれはちょっとなぁ。私も自分の原稿を紛れ込ませるぐらいしたかったのだけど、あいにくと立場的に出来なくて。この辺り、出版社に席を置いている人間のデメリットだよね。さすがに自分のところの賞には出せないだろう。
まあ、あの原稿の束に金の卵があるかどうかは、下読みや選考員に頑張って貰いたいところですが、それなりに読める感じの作品もチラホラあったから、なにかしら出るんじゃないでしょうか。該当作なしなんて珍しいことじゃないけど、やっぱりないと寂しいじゃないの。折角募集したのにさ。

新人賞ってのは大抵は半年以上の募集期間があって、例えば毎年開催のものは1年ぐらいの期間がありますよね? 勿論、作品は徐々に集まって来て、最終的に何百、何千通届きましたーって感じになるわけだけど、原稿の配達が集中する時期ってのがあったりします。一つは勿論、最終締切及びその付近。すべり込みの投稿って奴ですね。宅急便や郵便がどっと届くなんてことは、新人賞を開催している出版社だと珍しくもない光景です。
そしてもう一つは、意外に思われるかも知れませんが募集を掛けた直後です。早いものなら、募集期間の初日に届くものだってある。どうしてそんなことが可能なのかというと、その手の原稿は所謂書きためという奴で、予め用意してあった投稿用作品です。作家志望の場合、そういうのを常にいくつか持っていたりするんですよ。別に問題があるわけじゃないし、よく書けていれば全然構わないんだけど、後から届く作品と決定的に違うものがそれらの原稿にあります。後から送られてくる原稿は、当然ながらその新人賞に送るため書かれた作品であり、募集要項やそのレーベルの色合いなどを少なからず意識したものになっています。というか、大抵の投稿作品ってのはそういうものでしょう。しかし、書きための原稿を送るというのはどんな出版社にも送れるように書かれているものが多いため、そのレーベルっぽさに欠けることが多いのです。当たり前の話、出版社としては自分の会社にあった作品を選びますし、うちに合う合わないというのは確かに存在します。
だから、書きためた原稿を所有している人はここに送っても問題はないではなくて、ここに送ったほうがいいという賞を探したほうが思う。広義のファンタジーとかSFとか書いてあるし大丈夫だよね、なんていう考えはあまり喜ばれないから。

原稿の量が相当なので、今週はこの仕事に縛られっぱなしだと思いますけど、原稿を読む側の立場になってみると、送る側はこうしたほうが良いというのが分かって、かなり勉強になりますね。まあ、こういう仕事するの初めてじゃないけど、簡単に言うと送る側が考える、受け取る側、読む側に対する配慮なんてものは全然役に立たないってこと。原稿は紐で縛ってないほうが嬉しいし、発送手段はレターパックが一番楽。そしてなにより、手書きよりワープロ原稿じゃないと読む気がしない。手書きOKなんてのは、今や建前でしかない時代なんでしょうね。まあ、達筆ならまだしも、ノートに鉛筆書きの原稿とか送ってこないでください。

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