昔、私が物書きになるための修行をしていた頃、文章作法を教えてくれていた先生が本は本屋で買うものだというのをしきりに唱えていた。既に故人となってしまったが、御三家の一人に師事し、その愛弟子として名高かった人で、違う門派に属していた私にも厳しく指導をしてくれたのがとても印象残っている。私はその人の言っていた本は本屋で買うという意見には大いに賛成であり、本読みならそれが当たり前であると思っていた。実際、未だにAmazon等ネット書店で本を買うのは苦手だし、年に1度使うか使わないかといったところだ。しかし、そんな私にとっての当然は、単に感覚が古いだけなのではないかと最近になって考えるようになった。

私は今、とある老舗出版社に居候をしており、何故か編集部に席があるので編集者たちに混じって仕事をしているのだが、本を出す側である彼ら、もしくは彼女らは本を買う際にもっぱらAmazonやbk1などネット書店を利用することがほとんどなのだ。資料集めに神保町へ行くということもなくはないし、今すぐ読みたい雑誌などは近所の書店に出向いて買うこともあるのだが、例えば今日は必要ないが明日は使う本などの場合、本屋には出向かずAmazonなどでポチっと押して済ませてしまう。あまり使わないから詳しい仕組みは分からないのだが、有料会員ならお急ぎ便とか言って送料無料で次の日には届いてしまうなんてシステムがあるらしいんだけど、それを使って会社に送るように設定しておけば、わざわざ本屋なんて行かなくてもいいと、まあ、そういう感じらしい。出版社の編集部である以上、本が嫌いという人はいるわけもなく、ジャンルに対する趣味はあっても大抵がなにかしらの読書家だ。そんな一番本に身近な人達が、本は本屋でなくネット書店で買えばいいという発送を持っていることが私には何故だか新鮮であり、意外でもあった。
勿論、理屈としては分からない話でもない。出版社が資料として使うような本が、常に近所の本屋に置いてあるとも限らないし、確実に手に入れるならある程度大きなところに行かなければならい。東京駅の周辺であれば丸善の本店がなんでも揃っている印象だが、東京にオフィスがあるならまだしも、例えば秋葉原とか神田、新橋や浜松町と言った場所なら、どうしたって交通費がかかる。電車賃にして往復300円未満であるが、それでも書籍代以外に金がかかるというのは大きい。その点、Amazonは年会費はとられても送料は発生しないわけで、しかも一日待てば手元に来るのだから、これではわざわざ本屋に行く気が起きないのも無理はないのかもしれない。

ネット書店というものを私が利用しないのは、本を買う上での拘りもそうだが、それ以上けち臭いからではないかと思う。つまり、実際に本屋で手に取り、立ち読み出来るなら立ち読みをした上で購入するか否かの最終判断を行うのだ。本屋に着くまでは絶対に買う気でいた本も、いざ手に取ってみるとそうでもなくなるなんてことが過去に何度もあった。逆にネット書店の場合、基本的に発送後のキャンセルは不可であるから、届いたのを読んでみて微妙に感じた、買うほどのものではなかったと思うことが多い。それはなにも本に限ったことではないし、むしろ本を読む上での醍醐味ではないかと言う人もいるだろうけど、根がケチである私としてはその金銭的消費や負担は看過出来ないものがある。言ってしまえば、その本を買う金で別のもっと面白い本が買えたかもしれないわけであり、みみっちいと言われようが私にとっては大事なことなのだ。
例えば、内容は良いのだが表紙や判型が微妙だったとか、使っている紙質や紙色、手触りが好みじゃないなんてことも少なくはないし、私はそれらを総合した上で良い本というのは成り立っていると考えているので、やはり実際に自分の目で見て、手で触れることが肝心なのではないかと思うのである。それは文庫本やコミック一つとってもそうだし、雑誌なんかもそうだ。まあ、人によって感じ方はそれぞれかも知れないが、私はまだ本屋で買うことに意味はあると、そう信じている。

出版不況や本屋の閉店が問題になっていると言うが、私が行くようなところは地元を除けば駅ビルに入店しているような、比較的なの知れたところばかりなので、休日などは人で賑わっている印象がとても強い。先日、ブレイドを買いに本屋巡りをしたときにも書いたが、本はまだまだ人を惹きつけるだけの魅力がある娯楽なのだろう。出版社などにいると、どうしても商品としての本を意識しがちになってしまうが、ここらで読み物としての本を再認識するのも悪くないのかもしれない。私は編集部という場所に、編集者たちとはまったく違う理由で存在しているわけだけど、作り手としての空気は吸いつつも、読み手としての感覚は失わずにやっていきたいものだ。小賢しいことを考えて読む本ほど、面白くないものはないのだから。

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