最近、親がレンタルビデオにはまっておりまして、まあ、借りてきてるのはビデオじゃなくてDVDなんですけど、最近はどこも100円で1週間とか借りることが出来るらしいですね。私は幼少時に物の貸し借りはあまり宜しいことではないと教えられてきたので、必然的にレンタル屋を利用することって少なく、また、形として手元に残らない物に金を使うのがあまり好きではないから滅多に利用することはないんだけど、親がはまってたらどうしようもない気がするよ。まあ、うちの親はテレビ信者なところがあってテレビみないと死んじゃうみたいな人だから、それが変化しただけでもマシなんでしょうがね。

家族が借りてきた相棒-劇場版Ⅱ-を観ているときに、私は自室でCSI:マイアミのシーズン2を観てたんですが、地デジに移行してからというもの東京MXが映るようになって便利ですね。私は基本的にテレビはアニメと海外ドラマ、それにテレ東の経済ニュースとNHKの歴史秘話ヒストリアぐらしか観ませんし、後はCSばっかりなんだけど、CSIはやっぱり格別だね。長く続いているシリーズだけあって、スピンオフであっても安心して観ることが出来る。
マイアミ第2シーズンの1話は、ひき逃げにあって志望した女性が、実は意図的に殺されたのではないかという疑惑から始まる殺人事件を取り扱ってるんだけど、犯人はなんと合衆国政府から特権を与えられている某国の兄弟で、科学捜査で如何に追い詰めようとも、逮捕することが出来ない。しかし、マイアミ一厄介な男であるホレイショ・ケインは、政府の意向を無視して犯人逮捕の可能性に最後まで賭ける……と、1話から凄い感じですが、このエピソードはラストの逆転劇がとても爽快で、勿論犯罪や犯行内容自体はクズもクズなんだけど、最後のどんでん返しがあるから後味もそう悪いものではなくなっているんです。こういう最終的な救いってのは結構大事で、例えば小説の場合は「最初の1ページで読者の心をつかみ、ラスト3行で納得させれば中身はなくても大丈夫」なんて言われるぐらいです。逆に言えば、中身がどんなに充実していても、始めが面白くなければ読まれないし、最後がつまらなければ批判もされるでしょう。そう考えると、緻密な計算によって成り立っている海外ドラマはよく出来ていますね。

私がCSIを観ていて面白いなと思ったのは、この話が結果として合衆国の利益に背く行為になったことです。アメリカ人というのは特に愛国心の強い国民性ですから、基本的に自国の利益や意思を最優先に動きがちです。24 -TWENTY FOUR-なんかでも、ジャック・バウアーは組織からはみ出しつつも、なんだかんだ言って合衆国を守るために戦っているわけですから、そこら辺は一貫性がありますよね。これはスーパーマンとバットマンが誕生した頃から言われていることですが、アメリカでは合衆国の正義を追求するものが英雄となり、逆に個人の正義を守るものがダークヒーローとして扱われることが非常に多い。つまり、合衆国的にジャック・バウアーは正義のヒーロー、英雄になるわけですが、ホレイショ・ケインは必ずしもそうではない、むしろアンチ・ヒーローに分類されてしまうのです。民主主義の見地から考えれば随分な話だけど、アメリカでは国を守ることこそ合衆国に住む者の使命みたいな感じなんでしょう。
では、日本ならどうでしょうか? 家族の観ていた相棒の劇場版は今度の敵は国家であるなどと銘打って、警察組織の上層部とやりあっていましたが、日本の刑事ドラマではそれほど珍しい光景ではありません。特に最近の作品によく観られる傾向ですが、話も終盤になれば必ず警察や国の大物の犯罪が絡んできて、それに所轄ないし警視庁の一組織が対決していくなんて展開が多いです。相棒はそれが顕著であり、シリーズの最後は必ず警視庁や警察庁、あるいは他の省庁などに絡んだ犯罪がラストに来ますよね。劇場版Ⅱはそのスケールが大きくなったぐらいのもので、私はあまり目新しさを感じませんでした。
ただ、面白いなと感じたのは、日本の場合だと国家に立ち向かう刑事たちは一貫して正義の味方であり、アメリカのようにアンチ・ヒーローやダークヒーローの類として書かれてはいないとうことです。これは国家と敵対することが悪だと言う発想が、ないからだと思います。

事件のスケールが違いすぎることもあるんだろうけど、日本の刑事ドラマで「日本の平和や利益のために戦います!」なんてシーンは早々拝めるものではない。いや、刑事ドラマに限らず、漫画でもラノベでも、明確に日本を守ることをテーマにしている作品はそれほど多いわけではない。せいぜい、大怪獣ゴジラから国を守る特撮物ぐらいなもので、創作のテーマや発想として、日本を守るというものが存在しないのだ。故にホワイトハウスのようなドラマはこの国で作れないし、そもそもとして政治ドラマはウケが悪く人気もない。杉下右京を始めとした国家に対立する刑事たちが、純粋な正義のヒーローとして書かれるように、日本という国を悪く書くことへの抵抗がないのだろう。
それは何故か? アメリカの場合、国に尽くすことは自身の中にある愛国心を表現する方法として酷く単純な、分かりやすいやり方だ。しかし、日本はかつて「お国のために戦います」といって戦争を行い、敗戦した過去があります。あまり政治的、歴史的に微妙な例題は使いたくないですが、その後の所謂自虐教育によって日本の戦争行為は徹底的に否定されましたから、自然と国のために戦う=悪いことという認識が植えつけられてしまったのではないでしょうか? だから逆転的思考として、国家相手に戦うことこそ正義であるという発想に至ってしまったのではないか……考え過ぎかな。
24 -TWENTY FOUR-を観れば分かるけど、あれは例え黒幕が大統領であっても、合衆国と大統領を切り離した上で捕まえてますから、合衆国がイコールで悪とはならないんですね。その辺の差が、やっぱり国民性とか愛国心とか、そういったものの影響で現れるのかなぁと思っていたりします。

まあ、私はスーパーマンよりバットマンが好きですし、ホレイショ・ケインみたいな主人公は大好きなんで暇があればCSIは視聴継続するつもりです。それに引き換え最近の日本ドラマ、特に刑事モノはダメですね。いや、個人の正義や個人の利益を最大限に尊重するのは、民主国家としてごく当たり前の行為なんだろうけど、そのための対立図式が単純化されすぎたというか、単調なんですよ。日本でもたまには、アメリカンヒーローみたいな自国を守るキャラクターが、特撮以外から生まれるといいんですがね。よっぽどのことがないと、無理な話なのかな。

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