昨日話題にしたアニメ版ヨスガノソラ同人誌「コズエノソラ」に付いてですけど、私は基本的に肯定派ですよ。内容がまだ分かりませんので絶賛はしてませんが、少なくとも倉永梢編の同人誌として出すことについては賞賛してるといってもいいです。アニメ版に対する言い様のない気持ちは今も昔も変わりませんし、それを隠したことだってありませんけど、だからといってコズエノソラを否定するつもりない。それとこれとは話が別というわけじゃないし、アニメ版の延長線上に存在する時点で次元は同じわけだけど……ふむ、少し詳しく書きましょうか。

委員長こと倉永梢というキャラクターは、アニメ版ヨスガノソラで一番割を食ったキャラクターです。原作の彼女はサブキャラでありながらも、穹シナリオの後半においてシナリオへ密接に絡んでくる重要な人物であり、ある意味ではヨスガノソラの鍵を握るキャラクターの一人です。主人公であるハルに一目惚れし、その友人として双子の妹の穹とも仲良くなる。委員長のキャラ考察は以前にもやったと思いますが、彼女存在は大雑把に言うと作品における否定者です。つまり、双子の近親相姦という非道徳的で倫理上問題のある行為に対し、常識的な観点と普通人の感覚から、明確な拒否反応を起こす存在。それが委員長こと倉永梢の役割。
彼女は穹シナリオを作るにあたって用意されたキャラであり、最初からハルと穹に対して否定的な面を投げかるために誕生したといっても過言ではありません。では何故、そんな必要があったのか? 他ヒロインではなく、わざわざサブキャラを作ってまでハルと穹を否定させたのか。これはそれほど難しい話じゃなくて、偏にヨスガノソラという物語の仕組みにまつわることですね。ヨスガは御存知の通り、追加ヒロインである乃木坂初佳を除いて各ヒロインのシナリオが対になっています。瑛と渚さん、穹と奈緒のように、それぞれが互いのシナリオに密接な関わりを持っている。そして各ヒロインは対となるヒロインにとって、なんらかの意味合いで否定者であることが多いんですよ。例えば瑛シナリオにおける渚さんは、瑛の自らを犠牲にする性格を危ぶみ、それを理由にハルへ協力をしますし、逆に渚さんシナリオの瑛は、自分に拘り過ぎる渚さんを受け入れることで突き放し、背中を押してあげています。互いに相手の一部分を否定した上で、その行動をより良い方向に導こうとしているわけですね。

同じように穹もまた、奈緒シナリオにおいては明確な対立者として存在します。過去に起こった逆レイプの一件から、穹が奈緒を許せないのは当然ですし、それを持ってハルとの関係を否定し、拒絶するというのはもっともな話です。原作が発売された当時も、「どうして穹とバスに乗ったまま町を出るルートがないんだ」なんて言われたぐらいだし。じゃあ、奈緒もまた穹ルートでは他ヒロインと同様に否定者なのかと言われると、ここで一つの問題が発生します。即ち、奈緒にだけはその資格がないということです。
他ヒロインたちが抱える問題というのは総じて複雑そのものですが、瑛と渚さんが本人同士とは関係のないしがらみ、親や世間などの問題を抱えているのに対し、奈緒のそれはあくまで個人の過ちであり罪です。要因は両親の不仲にあるといっても、別に親に言われてハルを逆レイプしたわけじゃあるまいし、これについてはあくまで奈緒自身の問題でしかない。だからこそ、奈緒は作中で唯一対になるヒロインである穹を、否定することができないんです。過去に逆レイプという罪を犯した奈緒では、どの面下げてもハルと穹の性的な関係を批難する資格がないんですよ。穹も言っていたじゃないですか、「同じことをすれば」とか「同じことをしただけ」だと。穹自身、奈緒にだけは言われたくないという気持ちは、常に抱いていたと思います。
じゃあ、他ヒロインの場合はどうなのか? 本筋に絡まないダメイドは論外としても、瑛や渚さんならどうでしょうか。瑛は元よりハルと穹の関係性に肯定的であり、積極的に後押ししているといっても良いですし、渚さんはそもそも自分か瑛のルートでなければハルとそれほど絡むキャラではありません。もっと言うと、穹とほとんど絡まないキャラであるが故に、役回りとしては不適当なんですよ。

ここで必要となってくるのは、ハルと穹の双方と中が良く、それでいて二人を否定し、拒絶するだけの理由があるキャラです。奈緒や他ヒロインに求められない以上、新たに用意するしか方法はない。そうして作り上げられたのが、委員長というわけなんですよ。委員長は穹シナリオの後半における対となる存在だったわけです。最初から役割が決められていたキャラというのも、ある意味では悲しい存在なのかも知れませんが、委員長はその役割を見事にこなします。彼女は明確な拒絶を持って、ハルと穹を否定したのですから。
委員長は前述のとおりハルに一目惚れをして、穹シナリオではなにかと距離を埋めるために行動を起こします。彼女は穹とも友人関係ではありますが、あくまでそれはハルに頼まれたからという部分も大きくて、実のところ打算的な感情も強いんですね。無論、彼女の性格からして穹を放っておけないという気持ちもあったんでしょうけど、どちらかと言えばハルとお近づきになるために、穹の世話を焼いていた感が強い。アニメではこの辺りが省略されてますから委員長が一方通行的に見られがちですけど、ハルも穹も十分に委員長を自分たちに巻き込んではいたんですよ。気の許せる友人として、だけどね。
恋焦がれていたハルと、良い友人になれると思っていた穹の関係を知ったとき、委員長は即座にそれを否定します。無理もないですし、当然のことだとも思うけど、これが作中における最後にして最大の、ハルカナソラにまで引きずる問題となるわけです。常識的に考えれば選択肢は肯定か否定の2つしかなく、瑛は既にそれを選んでいます。彼女の場合、自身の生い立ちや境遇故に、人間関係というものにある種達観していますし、非道徳的だからという理由で否定しては、不義の子である自分自身も否定しかねませんからね。またそれ以上に、瑛はハルと穹の双方が大好きで、一番の理解者でもあったから。
委員長だって、ハルと穹が好きだという気持ちは同じです。一方には愛を、もう一方には友好を示していたわけだけど、瑛と違うのは委員長が最後までハルへの恋愛感情を保ち続けていたということです。瑛は早い段階で、それこそ昔奥木染で会ったときから穹のハルに対する想いへ気付いていた節があり、自分のルートではこれを逆手にとって穹から攻略するという荒業でハルとの関係を成立させます。けど、穹のルートでは徹底的に裏方に回り、それとなく二人の想いや行いを肯定することで、背中を押そうとしているんですね。この辺りは、漫画版のほうがよりハッキリと書かれていますか。

委員長がハルと穹の関係を認めるということは、イコールで自分の恋愛の終わりを意味します。悲恋、失恋と言い方は色々ありますが、ハルカナソラで本人が言っていたように、委員長としてはその事実を許容することが出来なかったんでしょうね。なにせ彼女の感覚としては、それまでハルや穹とはいい関係を気づいてきたはずであり、自分とハルの関係もまさにこれからというときです。そんな彼女の純粋な想いが、あろうことが非現実的かつ非道徳的な関係性によって断ち切られようとしたのですから、混乱と動揺に足を取られ、悲鳴の一つだって上げたくなるでしょう。原作に関してだけ言えば、ハルと委員長、そして穹と委員長の関係を丁寧に書きましたから、彼女のそうした行動に唐突感がまるでないんですよね。
ハルと穹の関係はおよそ世間に認められるものではありませんし、本人達もその点に関しては意識しています。でも、せめて自分の身近な人たちには話しておく必要があると、ハルカナソラにおいて秘密を打ち明けるわけですが、当然その中に委員長も含まれます。既に事情を知っているというのもありますが、ハルや穹としては委員長に受け入れてもらえないことには、日常に復帰することができないんです。そして、それは委員長にしたところで同じでした。
委員長が単なる否定者として終わらないためには、作中においてハルと穹の関係を認めて、受け入れる必要がありました。ハルに恋をしていた彼女にとって、それは酷以上の何物でもありませんが、そうしないことには彼女自身、前に進むことができないのです。ヨスガノソラではまだ不十分だった。だからハルカナソラで決着を付けなければならなかった。そう考えると、蒼穹の果てにはある意味で、委員長のために、倉永梢という少女にとって必要な物語だった。

私がアニメ版ヨスガノソラで許せないのは、委員長が最後までハルと穹を否定したままラストを迎えてしまったことです。和解することも、歩み寄ることも出来ず、否定された二人はさっさと外国に逃げ出してしまった。原作と、そしてハルカナソラをなかったものとするような展開ですし、大した描写もないままにハルと穹の関係を拒絶して、物語の終盤を引っ掻き回すだけ引っ掻き回して、それで放置されてしまったのです。彼女の心は深く傷つき、癒えることもないままに、これからの一生を生きてかなければならないなんて、そんな馬鹿な話がありますか。不憫すぎるじゃないか。
アニメスタッフがなにを思って、ヨスガノソラという作品を否定の形で終わらせたのか、正直なところ私は分かりません。理解は多分出来てるんですけど、納得できない部分が大きくて、もっと言えばヒロインが辛い気持ちを抱えたままに終わるなんてあり得ないと思っています。どうしてラストを変えたのか、何故委員長こと倉永梢を救ってやらなかったのか。なにゆえ世界は、ハルと穹を受け入れなかったのか……前述のとおり、分かってはいるんですよ。穹シナリオに奈緒が多く出てきた理由とか、そういう細かい部分も含めて私は理解しているんだ。けれど、繰り返すように納得することができないんです。そんなことを剃る必要が、本当にあったのかと。誰かが泣いて終わるような話を、作らなければいけなかったのかと。私はそれを何度となく問うてきたけど、遂に明確な答えを得ることは出来なかった。

ヨスガノソラ同人誌「コズエノソラ」は、そうした不憫にして不遇な立ち位置でアニメ版の出演を終えた委員長の、救済シナリオとしての側面が強いものです。おおまかな事情はBD特典のブックレットにも書いてありますが、委員長は最初、もっと重要な役回りだったんですよ。でもそれが変更となってしまい、あんな形で終わったものだから、委員長好きである荒川稔久や一部スタッフに不満が溜まったんですね。彼としてはそもそもハル×穹×梢の三角関係話を望んでいたわけだし、あんなラストは不本意ではないにせよ、本意であるとも思えない。それ故に、同人誌を作ってまで梢編を書こうと、委員長を救済しようとしているのでしょう。
これ以上詳しい経緯は書けませんが、であるからこそ私も梢編の制作を認め、同人誌化することを賞賛するのです。倉永梢という少女には、そうさせるだけの資格があると確信しているから。この期に及んで梢編を書かずして、一体なにを出すというのか。
私はね、この発表に対して「どうして穹本じゃないんだ」とか、「なんで委員長なんだ」なんてことを平然と言っている輩を軽蔑するし、そういった人達には今回の同人誌を買って欲しくないとさえ思っています。委員長は本来、単独のOVAが作られたって不思議でないキャラなのに、数々の事情を理解しようともせず、ただ穹本を出せと騒いでいるような連中は湖の底にでも沈んでいればいいと思います。

長くなりましたけど、私のコズエノソラに対する想いと、今抱いている気持ちはこんな感じです。もしかすると、私は待っていたのかも知れないね。どういう形にせよ、委員長が救われるのを。同人誌という非公式な媒体であり、ルート分岐の法則に則っていけばパラレルでしかないのだけど、倉永梢が幸せになったっていいじゃないかと、そう思うんですよ。アニメ版の彼女には、救いの手が差し伸べられるべきだから。

コメント