華やかな死は、運命の末に
2012年1月18日 アニメ・マンガ
最近、ふしぎ遊戯を見る機会があったので「ときめきの導火線」をエンドレスで聴いている私ですけど、少女向けアニメってのは昔から結構好きでね。少年向けとはまったく違う切り口で、それでいて独自の面白さがあるとでも言うのでしょうか? 近頃はこの手の作品って少なくなりましたよね。少女漫画自体で減っているかは知りませんけど、アニメでは確実になくなった。女児向けアニメはプリキュア始め多いけど、後はもう乙女系の女性向けになっちゃいますからね。
女の子向けアニメ代名詞といえば、まあ、昔の魔女っ子はともかくとして、今はプリキュアになるんですかね? 私は以前、何代か前のプリキュアが放送していた当時に、電車内でプリキュアの主題歌を歌い続ける男児を目撃して以来、あの作品の対象層というのが分からなくなっているのですが、私なんかの世代だとセーラームーンがそれに当たるのだろうか。あれも少女漫画原作で、美少女戦士というカテゴリーではありますけど、少女向けアニメだったのかと言われると、ちょっと迷う気がする。
ふしぎ遊戯のアニメは今から17年ほど前にテレビ東京で放送していた夕方アニメの一つです。年数調べて、自分でもそんなに前だったのかと驚いていますけど、話としてはかいつまんで言うと四神天地書という本を開いた主人公の女の子が、本の世界、つまりは異世界へと飛ばされ、そこで朱雀の巫女となり、過酷な運命と宿命に仲間たちと共に立ち向かっていくという感じなんだけど……いや、流石にかいつまみすぎか? 朱雀の巫女にはそれを補佐する七星士という仲間がいまして、その名の通り七人の男性からなる集団なんですが、まあ、彼らとの恋愛模様、友情、そういうのを含めて主人公が成長していくという話でもある。メインは七星士の一人である鬼宿との恋愛になりますが、今ではあり得ない4クールアニメだったから、これがまあじっくりと描かれるわけですよ。
そして、主人公の親友である女の子が同じく青龍の巫女として四神天地書の世界に迷いこんでしまったことで話は複雑化し、すれ違いから親友同士で対立していくという少女漫画によくあるドロドロっぷり。しかも、敵味方お構いなく朱雀七星士も、青龍七星士も容赦なく死んでいくという有様です。
この辺り、セーラームーンなど他の作品にも言えることではあるんですが、少女漫画ってのは割りとあっさり人が死にます。人の死が一種の起点となっていると言っても過言ではなく、ネタに困った少女漫画家が編集から「じゃあ、誰か殺せば?」などとアドバイスを貰うのは、今はどうだか知りませんが昔は日常茶飯事だったとも。別にふしぎ遊戯はそうしたアドバイスのもとに七星士を殺していったわけじゃないだろうけど、人気キャラが敵のどうでもよさそうなキャラと戦って死んだり、そのどうでもよさそうなキャラも味方に殺されたりと、とにかくバッタバッタと倒れていく。少女漫画ってのは少年漫画と作り方がまるで違いますから、死に関する考え方、もうちょっと言うとキャラクターの殺し方がまるで違うんですね。その躊躇いのなさは、少年漫画や男性向け作品に慣れ親しんだ人からすれば、衝撃的といってもいいでしょう。
私は今時の少女漫画というものを知らないので、あくまで古い作品を元に先入観や、偏見に近いことを書いているのかも知れないけど、両媒体をグラフかなんかにしてみると、作品構成の違いがよく分かったりします。文章で書ける範囲で書くと……例えば最近の少年漫画、ライトノベル、総じて男性向け作品としますけど、これには未だに昔ながらの落ち物系が使われていますね。つまり、ある日どこからか女の子が落ちてくるないし、現れるという奴で、まあ、例がありすぎて上げ切れないほどだと思います。
これらの作品に共通することは、実は主人公が最初からヒロインに対して好意を持っているということで、それが尊大な態度の美少女でも、物静かな雰囲気の美少女でも、グラマラスだろうとスレンダーだろうと関係有りません。ある日突然、自分の前に美少女が現れた時点で、主人公は彼女に好意を持っているのです。
逆に少女漫画は、主人公たるヒロインが学校へ遅刻しそうなときに、角で同じ学校の男子生徒とぶつかるというのは王道中の王道だと言われていますが、その際は必ず言い合いの喧嘩になります。「どこ見て歩いてるのよ!」、「そっちがぶつかってきたんだろ?」みたいな感じに。つまり、相手に対する好感度がかなり低い段階から始まってるんですね。故にそこから先の作り方というのがまるで違うし、結果として話の展開や使われる手法なんかも、大きく異なるのです。
さて、私は昔「少女漫画は男性向けの20年先を行っている」という意見を目にしたことがあります。おそらく、それは事実に近いことなのでしょうが、だとすれば後3年後にふしぎ遊戯みたいな作品を男性向けとして発表すれば、大ヒット間違いなしってことでしょうかね? もう、あれだけのクオリティを持つ少女漫画はでてこないだろうし、かといって男性向けで再現できるほど簡単な話でもないんでしょうけど……いやはやなんともはや、興味深い話です。
女の子向けアニメ代名詞といえば、まあ、昔の魔女っ子はともかくとして、今はプリキュアになるんですかね? 私は以前、何代か前のプリキュアが放送していた当時に、電車内でプリキュアの主題歌を歌い続ける男児を目撃して以来、あの作品の対象層というのが分からなくなっているのですが、私なんかの世代だとセーラームーンがそれに当たるのだろうか。あれも少女漫画原作で、美少女戦士というカテゴリーではありますけど、少女向けアニメだったのかと言われると、ちょっと迷う気がする。
ふしぎ遊戯のアニメは今から17年ほど前にテレビ東京で放送していた夕方アニメの一つです。年数調べて、自分でもそんなに前だったのかと驚いていますけど、話としてはかいつまんで言うと四神天地書という本を開いた主人公の女の子が、本の世界、つまりは異世界へと飛ばされ、そこで朱雀の巫女となり、過酷な運命と宿命に仲間たちと共に立ち向かっていくという感じなんだけど……いや、流石にかいつまみすぎか? 朱雀の巫女にはそれを補佐する七星士という仲間がいまして、その名の通り七人の男性からなる集団なんですが、まあ、彼らとの恋愛模様、友情、そういうのを含めて主人公が成長していくという話でもある。メインは七星士の一人である鬼宿との恋愛になりますが、今ではあり得ない4クールアニメだったから、これがまあじっくりと描かれるわけですよ。
そして、主人公の親友である女の子が同じく青龍の巫女として四神天地書の世界に迷いこんでしまったことで話は複雑化し、すれ違いから親友同士で対立していくという少女漫画によくあるドロドロっぷり。しかも、敵味方お構いなく朱雀七星士も、青龍七星士も容赦なく死んでいくという有様です。
この辺り、セーラームーンなど他の作品にも言えることではあるんですが、少女漫画ってのは割りとあっさり人が死にます。人の死が一種の起点となっていると言っても過言ではなく、ネタに困った少女漫画家が編集から「じゃあ、誰か殺せば?」などとアドバイスを貰うのは、今はどうだか知りませんが昔は日常茶飯事だったとも。別にふしぎ遊戯はそうしたアドバイスのもとに七星士を殺していったわけじゃないだろうけど、人気キャラが敵のどうでもよさそうなキャラと戦って死んだり、そのどうでもよさそうなキャラも味方に殺されたりと、とにかくバッタバッタと倒れていく。少女漫画ってのは少年漫画と作り方がまるで違いますから、死に関する考え方、もうちょっと言うとキャラクターの殺し方がまるで違うんですね。その躊躇いのなさは、少年漫画や男性向け作品に慣れ親しんだ人からすれば、衝撃的といってもいいでしょう。
私は今時の少女漫画というものを知らないので、あくまで古い作品を元に先入観や、偏見に近いことを書いているのかも知れないけど、両媒体をグラフかなんかにしてみると、作品構成の違いがよく分かったりします。文章で書ける範囲で書くと……例えば最近の少年漫画、ライトノベル、総じて男性向け作品としますけど、これには未だに昔ながらの落ち物系が使われていますね。つまり、ある日どこからか女の子が落ちてくるないし、現れるという奴で、まあ、例がありすぎて上げ切れないほどだと思います。
これらの作品に共通することは、実は主人公が最初からヒロインに対して好意を持っているということで、それが尊大な態度の美少女でも、物静かな雰囲気の美少女でも、グラマラスだろうとスレンダーだろうと関係有りません。ある日突然、自分の前に美少女が現れた時点で、主人公は彼女に好意を持っているのです。
逆に少女漫画は、主人公たるヒロインが学校へ遅刻しそうなときに、角で同じ学校の男子生徒とぶつかるというのは王道中の王道だと言われていますが、その際は必ず言い合いの喧嘩になります。「どこ見て歩いてるのよ!」、「そっちがぶつかってきたんだろ?」みたいな感じに。つまり、相手に対する好感度がかなり低い段階から始まってるんですね。故にそこから先の作り方というのがまるで違うし、結果として話の展開や使われる手法なんかも、大きく異なるのです。
さて、私は昔「少女漫画は男性向けの20年先を行っている」という意見を目にしたことがあります。おそらく、それは事実に近いことなのでしょうが、だとすれば後3年後にふしぎ遊戯みたいな作品を男性向けとして発表すれば、大ヒット間違いなしってことでしょうかね? もう、あれだけのクオリティを持つ少女漫画はでてこないだろうし、かといって男性向けで再現できるほど簡単な話でもないんでしょうけど……いやはやなんともはや、興味深い話です。
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