イモウトノカタチ-清宮真結希編-機械少女の再来
2012年9月4日 イモウトノカタチ
イモウトノカタチ感想レビュー、神志那真幸シナリオの2回目になります。最終ルートだけあって書くことが多く、おそらく今回で書き上がることもないかと思います。この日記は1日につき2万文字を打つことが出来るはずなんですが、実際は1万9500文字も打ったらエラーが発生してしまい、正確に2万文字というわけじゃないんですね。それでも通常時の日記の10倍は書いているわけだから、この作品でよくもまあそんなに書くことがあるなと言う感じです。
ハイキングの翌日、真結希は昨日の今日で激しいリハビリを行っていました。ミータが機能を停止してから1週間、彼女が収集したデータは着実に真結希の中へ蓄積されており、そのノウハウは急速に実を結び始めました。つい先日まで指先しか動かすことが出来なかったというのに、僅かながら体を動かすレベルにまで回復していたのです。
真結希が疲れを無視してリハビリに勤しむ理由には、兄である雪人のことがありました。ずっと憧れていたお兄ちゃんに出会ったことで、彼女には頑張らねばならない理由が出来たのです。けど、本当にそれは真結希自身の気持ちなのだろうか? 雪人に憧れ、恋し、体を捧げたのは真結希ではなくミータです。ミータの行動原理に真結希の意思が介在しないことは、真結希本人が明言したことでもあります。けれど、なにかしら引きずられるところは合ったんじゃないでしょうか? でなきゃ、雪人なんかに惚れるはずがありませんから。
真結希の努力の根底には、美優樹への嫉妬心もありました。妹として、健常者として、雪人と同じ学校に通い、同じ寮で暮らし、親善大使の仕事を共にこなす美優樹の存在は、未だに歩くことすらままならない真結希にとっては、コンプレックスもいいところです。双子なのにどうして自分だけと、運命を呪うこともあったでしょう。だから真結希は頑張るし、美優樹に対して遠慮も容赦もしません。
先にキスをしたのは私と、ちっぽけな優越感を握りしめる真結希は、美優樹が雪人に憧れを抱いているのを察していました。察した上で、美優樹に大胆な行動をする勇気がないことを見抜き、自ら積極的な行動に出たのです。兄妹としての倫理観か、それとも別の理由か、いずれにせよ美優樹は自分の想いを表に出すつもりがない。真結希の推測は当たっていますが、彼女は美優樹に何があったのかを知りません。既に失恋していることや、雪人に女としてみられていないことを知らないのです。
美幸ちゃんが、お兄ちゃんの時間を独り占めするなら、私はお兄ちゃんの気持ちを、独り占めするんだ。
真結希の野望は、既に妹としての範疇を超えているものでした。彼女は美優樹に対してどこかキツい態度を見え隠れさせることが多かったのですが、それは冗談やイタズラ心などではなく、単純に美優樹への嫉妬心があったから。恨んだり、あるいは憎んだりしているかは判断着きませんが、真結希の行動に対する原動力が、そうした負の感情から生まれていることは確かです。主治医である律佳が、そうした真結希の内面にまで気付いてくれていれば良かったのですが、彼女は真結希の症状の方を気に掛けていたからか、真結希の中で渦巻くものの存在を、察知することが出来なかったのかも知れません。
お兄ちゃんたちは、ミータちゃんがいなくなった寂しさを私に会うことで埋めようとしている。
真結希は、雪人や美優樹の目的が、本当のところ自分にないことを感づいていました。美優樹の方はどうか分かりませんけど、雪人に関して言えば、なにせ真結希をミータだと思ってキスしたほどの男です。口にも出しかけていましたし、あの距離なら、真結希が聴いていたとしても不思議じゃない。
突然、双子の妹だと言われても、すぐにそう実感できるわけがない。私みたいに、ずっと会うことに焦がれていたわけじゃないのだから。
その明察は正しく、真結希は雪人がキスをしてくれた理由が、ミータを失った寂しさから来るものであることも看破していました。あのキスがミータに向けたものであることさえ、真結希は承知していたのです。兄が人の心を欠片も理解できないのに比べ、妹はなんという洞察力でしょうか。
でも、私はそれで良いと思っている。
真結希が雪人に向ける想いも、半分はミータに貰ったものだと言います。何故なら、彼女の体が覚えていることは、すべてミータから与えられたものだから。
雪人のこと大好きだと言い切る真結希。しかし、彼女は自分の中に疼いている感情を雪にとぶつけることへ、躊躇いを覚えていました。理性でも道徳でも、ましてや倫理観でもない。ただ、後ろめたいという気持ち。それは、美優樹に対してではありません。
「ミータちゃんは、今後どうなるんですか?」
答えにくかったら答えてくれなくてもいいと前置きした上で、真結希はミータの今後について尋ねました。その質問に意外さを覚えないではない律佳でしたが、それは答えにくいと言うより、聞かせにくい部類のもの。ミータが元の状態で復帰することは絶望的であり、真結希のリハビリが始まった以上はその必要がありません。既にミータは完全分解が始まっており、残されたデータを取っている最中なのだと言います。
そしてそれが終われば、真結希用に載せたシステムを取り払い、本来の使用に戻して介護ロボットとして運用するか……あるいは、別の患者向けに新たなシステムを搭載するか。律佳は、後者の方が可能性は高いといいました。どちらにせよ、ミータが持っていた性格や記憶は残りません。ロボットなのだからそれは当然であり、解体処分されないだけでもマシな方なのかも知れませんが、ミータを人と同じように扱っていた雪人などには、納得出来ない話でしょう。あやか辺りなら、案外すんなり受け入れると思いますが。
真結希にとってそれらは概ね予想通りの答えであり、だからこそ、後ろ暗さは消えなかったのでした。そう、真結希が意識していたのは、後ろめたさや躊躇いを感じていたのは、美優樹ではなくミータに対してでした。既にいないロボットを、かつて雪人を愛した存在を、真結希は気に掛けていたのです。これから自分がしようとしていることを、考えながら。
一方で、美優樹が悩み続けていました。雪人が真結希に、あるいは真結希が雪人にした口付け。家族なら、兄妹ならそれはあり得ないことであり、美優樹の認識から大きく外れた、常識外の行動。それを自らの兄がしたというのだから、信じられるはずもないのでしょう。当たり前の話です。
「お兄さんは非常識です。出会った時からそうでしたけど、今回ばかりは非常識すぎです」
そんな相手に何故惚れたのかと言いたくなりますが、雪人の頭がおかしいことは、今に始まったことじゃないのはその通り。彼には最低限の常識さえも欠如しているんですね。他にも色々ありますが、主人公としてというより、人間として必要なものが、彼には存在しないんです。
「言い訳はいりません。あんな不潔なこと……」
みっともなく言い訳をする雪人に対し、美優樹はハッキリと不潔であると言い切りました。箱入りで、お嬢様学校に通っていた美優樹らしい言葉ですが、それ以上に、家族や兄妹でそんなことをしてはいけないという、倫理観や道徳観もあったのでしょう。
「とにかく、もう二度とあんな真似はしないでください」
美優樹にしてみれば当然の忠告、いえ、警告ですが、それに対する雪人の返答は常軌を逸していました。
「気をつけてはみる」
普通であれば、はっきり「しない」と答える場面です。それが筋であり、道理というものです。でも、雪人は美優樹に責められても、怒鳴られても、曖昧にしか答えませんでした。だって、彼にはそんなこと無理だから。真結希とのキスに、目をそらせないほどの喜びを感じてしまった雪人には、約束なんて出来るはずもないのです。更に言えば、彼は自分の所業をそれほど深刻に考えていませんでした。兄妹喧嘩かと心配するあやかと晴哉に、美優樹は「兄妹ゲンカなんて、それほどのことじゃありません」と虚勢を張ります。実際、悪いのは雪人であって、美優樹に非はありません。対等でない以上は、喧嘩と言うには少し違います。けれど、雪人は――
「俺がやらかしちゃったのは確かなんだけどね」
軽薄な雪人の言動は、美優樹にとって許せないものでした。
「やらかしたって……そんな程度じゃないよね!?」
ムキになって怒鳴り散らす美優樹は、それによってクラス中の注目を受ける羞恥にも耐えねばなりませんでした。しかも、真結希の存在は秘密であるから、親しい友人たちに相談することも出来ない。兄である雪人が、妹の真結希に劣情を催すという事実を。
「本当にいやらしい気持ちでしたんじゃ、ないんだよね?」
何度も何度も、確認を取らずにはいられない美優樹。彼女は雪人と真結希の間に二人だけの世界が築かれつつあるのを知っていたから、自分が置いてけぼりにされるような、そんな不安を抱えていたのです。正直、もう実家に帰りなよと言いたいですが、美優樹はあくまで折角見つかった家族との関係を優先しようとします。だからこそ、それを壊しかねない雪人の異常な行動が見過ごせないのです。
「だから違う! ……と思う……って、何度も言ってるじゃないか」
この期に及んで、雪人は曖昧な答えを崩しません。彼が真に妹たちのことを、家族のことを考えているなら、ここは嘘でも否定するべき所でした。少なくとも、目の前にいる美優樹を救うには、それが一番いい答えだったはずです。
「その曖昧な言い方が引っ掛かるの。はっきり否定してくれれば私もこんなに言わなくてすむのに……」
美優樹はまだ、雪人のことを信じていました。兄のことを、かつて自分が想っていた相手を疑いたくはないと、彼女の常識と倫理観からそう思っていたのでしょう。これは何かの間違いで、間違いでなくてはいけないのだと。でも、そんな妹に対して雪人はどこまでも卑劣な男でした。
「……はっきり肯定した場合は……?」
もはや雪人は、真結希を意識せずにはいられなかったのです。だからこそ、彼は曖昧どころか、もっとも美優樹が望んでいない言葉を口にしてしまった。けど、それこそが彼の本心でもあったのです。
「お兄さん……そんなこと、本気で言ってるの……?」
愕然とする美優樹に対し、雪人はごまかすように視線を逸らします。美優樹の不安は、的中していたのです。だけど、彼女には確認しておかなければ、確かめておかなければ行けないことがありました。
「妹にそんな感情を抱くなんて……まさか、私も……」
美優樹の言葉は、雪人に対する不潔感以外のものが混じっていました。あるいはその答えによっては、美優樹は雪人を許していたかも知れない。
「だ、大丈夫だって。美幸にはそういうの感じないし……」
雪人の口から咄嗟に出た言葉は、紛れもなく彼の本音でした。彼は既に、美優樹を千毬と同レベル程度にしか思っていなかったから。
「私にはって、感じないって……じゃあ、真幸には……!?」
「あ……」
美優樹の追求に本音を漏らした雪人は、それが失言だったことに気付きました。口では曖昧なことを言いながら、結局彼は真結希に劣情を催していたのです。だけど、美優樹がショックを受けたのは、それだけじゃありません。雪人が真結希に向けてい異常とも言える感情、それが自分に向けられないことに、美優樹は激しいショックを覚えていたのです。無理もありません、どんなに雪人のクズっぷりが発覚しようと、美優樹が雪人を好きだったのは、変えようのない事実なのですから。
雪人はこれ以上の追求を避けるために、美優樹を連れて真結希の元に向かいました。真結希の前でなら美優樹は怒らないだろうという、卑怯としか言い様がない計算をした上で、雪人は真結希と美優樹を引き合わせようとしたのでした。全ては自分のため。自分が、これ以上美優樹からなにも言われないため。彼はそのために、真結希さえも利用したのです。二人を引き合わせることでどうなるかなど、雪人は当然考えていません。彼が考えていたのはただ一つ、自分の気持ちが整理できていないことだけであり、この男はどこまでもいつまでも、自分のことだけを優先させていたのです。美優樹が家族幻想に囚われていなかったら、あるいは雪人を見限るのは今だったかも知れません。そうすれば、雪人は一人家族の輪を離れた美優樹を非難するでしょう。自分のことも顧みず、こいつはそういう奴です。
でも、美優樹にはそれが出来なかった。優しい彼女に、実の家族を見捨てることなんて、出来るわけもなかったのです。
美優樹の気持ちを散々踏みにじった雪人は、その自覚をしないままに真結希の病室を訪れます。思った通り、雪人の目論見通りに、美優樹は真結希の前で感情を高ぶらせたりはしませんでした。一々確認する辺り、もうこいつは天然でも何でもないですね。動揺する妹を振り回し、無理矢理ここまで引っ張ってきて。こいつは、妹をなんだと思っているんだろうか?
既に雪人の眼中に、美優樹はいないのかも知れない。彼が見ているのは、病室に入ったその瞬間から、真結希だけになっていた。兄貴面をして着替えを手伝おうとしたり、つい先程まで美優樹から真結希に対する劣情を指摘されていたにも関わらず、遂に人の気持ちを理解できないだけではなく、人の言葉すら分からなくなってしまったんでしょうか? だとしたら、丁度良いことに病院ですし、医者に掛かった方がいいと思いますけど。
リハビリの疲れから赤みがかった頬をした真結希は、雪人がドキッとするほど可愛いものであり、彼がもはや真結希に対する気持ちを隠していないことにも繋がります。美優樹には一欠片だって感じないことを、真結希に対しては素直なまでに発露している。しかし、それは……間違っても雪人が純粋だからじゃありません。
真結希は雪人と美優樹の間にあったやりとりを知りません。知らないからこそ、彼女は自らが抱く野望に乗っ取り、積極的な攻勢を二人に仕掛けます。何気ない言葉に混ぜ込んだ挑発。美優樹も薄々とは気付いているんだろうけど、常識人である彼女にとって、それはあり得ないことです。けれど、こういう言い方をするとあれですが、真結希はそれほど性格がいい娘ではありません。純真無垢に見えるのは、あくまで外見だけの話であって、冷静に考えてみれば、14,5年間ずっと機械に繋がれて、無理矢理生かされていた少女が、まともな性格をしているわけがないんです。一度殺した心が歪みなく再生するものでしょうか? 後に自分で自分のことを肉塊とまで言い切った真結希は、何度も何度も死にたい気持ちを抱えていた全身麻痺の少女は、とっくに壊れていたんじゃ、ないだろうか。
真結希の前であることから、美優樹はなるたけ平静を取り繕います。真結希は言葉の端々で挑発行為を続けますが、雪人は馬鹿なのでよく分かっていませんし、美優樹もさほど気にしてはいない。けど、そのとき廊下で何事かあって、確認のため美優樹は席を外してしまうのです。病室内に居づらかった、というのもあるんでしょうが、真結希と会話することで気持ちがほぐれた部分もあったのでしょう。昨日、あんなことがあったにも関わらず、美優樹は雪人と真結希を二人きりにしてしまいました。これは美優樹らしくない、手痛い失敗でしたね。もっとも、雪人に確認を行わせたところで、彼が要領得ないことは明白なんですけど。
逃げ出した美優樹の心理を難なく察した真結希は、二人きりであるのをいいことに、積極的な攻勢を仕掛け続けます。既に、彼女の中で美優樹は敵ですらないのかも知れません。
「私とキスするのって、そんなにおかしいですか?」
雪人は自分の中かから消えつつある、最初から存在していたかも分からない倫理観を、真結希に求めていました。自分には無理だから、出来ないから、相手にそれをして欲しい。美優樹を黙らせるために真結希を利用したように、雪人はここでも、自分の中にある欲望や衝動の抑え役として、真結希の方から自制するよう望んだのです。
けれど、真結希がそんな役目を引き受けるわけがありません。彼女には野望があり、既に美優樹から雪人を奪い取ることは、彼女の中で決まっていたのだから。
おでこでもいいからとキスを要求する真結希に、雪人は抗うことが出来ません。元々壊れ気味だった人格が、崩壊寸前に達していたのでしょう。彼にはもう理性的な判断はおろか、なにが正しくて、なにが間違っているのかさえ理解できない、いや……そもそも、そういったことを考えていないのではないかとさえ思います。
結局、美優樹が戻ってきたことで事なきを得ますが、彼女が席を外した原因である、外の騒動は分からずじまいでした。病院だし、大方急患かなにかだろうと言うことで落ち着きましたが、雪人は美優樹が戻ってきたのをいいことに、今度は真結希から逃げだそうとします。元々、美優樹の怒りを静め、黙らせるために真結希を利用しに来たというのに、今度はその真結希に対して、雪人は自分を抑えられなくなっていらのです。それを全く拒まない真結希にも問題があるのは事実だけど、雪人は真結希が拒まないからこそ、自分は引かれているのだと勝手に怖がっています。馬鹿じゃないかと思いましたが、そういや雪人は馬鹿でした。
慰霊祭を間近に控え、親善大使としての仕事が忙しくなった雪人と美優樹は、真結希のお見舞いに行くことが出来なくなりました。仕事なんだから仕方ない話ですが、そもそも二人が親善大使になったのはお互いの家族を探すためであり、生き別れとなった真結希さえも見つかった以上は、実のところあまり意味がないものになっているんですよね。美優樹は真面目ですからともかく、雪人はそれをどう思っているのか。馬鹿だから、そうした事実にも気付いていない可能性はありますが。
やっと時間を作れたのは、慰霊祭を明後日に控えた土曜日でした。真結希はすっかりへそを曲げていましたが、美優樹から雪人が真結希のことばかり気にしていたと言われると、機嫌を直します。
「一人になるといつも『真幸-、真幸ー』って、壊れた音楽プレイヤーみたいに呟いてるんだよ?」
美優樹はどうしてその壊れたゴミを、焼却炉に投げてこなかったんでしょうか? 明らかに狂っていますが、バケツの水をぶっかけるなり、平手打ちの1ダースぐらいは食らわしてやるべきではないか。それとも美優樹は、兄が異常者であることに対して諦めてしまったんでしょうか?
寂しかったなどと、子供みたいな表現を使う雪人ですが、美優樹も少なからず寂しかったのは事実です。しかし、そこに真結希からこんな指摘が入りました。
「私はとっても寂しかったのに……美幸ちゃんは少しだけだったんだ?」
「そ、そういうことじゃ……」
「そうだよね、美幸ちゃんはお兄ちゃんが側にいてくれるし、寂しくなんてないよね」
真結希がチラリと見せた、鋭い牙。美優樹は自分に対して向けられた、憎悪にも似た嫉妬心を悟りますが、雪人はそれに気付くことが出来ません。冗談だといってはぐらかす真結希ですが、それが本音であることぐらい、誰が見ても分かることでした。ただ一人、雪人だけは気のせいで済ませましたが。
週明けの慰霊祭に向けて土日はしっかりと休息を取る意味も兼ねて、親善大使の仕事は休みでした。けれど、大事な行事に向けてのおさらいなどをしなければ行けませんし、休みとは言え、明日も真結希のお見舞いに来るのは難しい。真結希はそれに対して特に不平は漏らしませんでしたが、そうなると慰霊祭も挟んで次に会えるのは三日後になります。
いっそ、真結希を慰霊祭に招待することは出来ないか? と雪人は考えますが、真結希はなにせ存在が秘匿されています。事情が許すはずもありません。それでも自分と美優樹の晴れ舞台を家族に見て貰いたいと思う雪人の気持ちも、まあ、分からないではないです。他意は、ないと思いますし。
雪人にとっては一生に一度あるかないかの晴れ舞台だという美優樹に、雪人はあのコンテストならもう一回出ても何とかなると余裕を見せます。
「お兄さんはなにもしてなかったよね? 全部私に押しつけてたよね?」
もう二度と出たくないという美優樹の言葉は、彼女の本心でしょう。あの頃は雪人が実の兄であることを知らず、知らなかったからこそ、彼の無茶苦茶な性格にも許せるところがあった。でも、今は状況が違います。全部私に押しつけた、という美優樹の言葉は、雪人の性格や行動を端的に表しています。確かに、振り返ってみても雪人はなにもしていませんし、努力したのも、頑張ったのも美優樹です。兄妹となって、雪人の異常性に気付きつつあった美優樹には、例え同じコンテストでも、以前のような力は出せないと思っていたのかも知れない。それはまったくもって、正しい認識だと思うけど。
真結希はミータの中にいたこともあってか、美優樹がコンテストの際に苦労していたことを知っていました。まあ、すべてミータがやらかしたことなので当然と言えば当然ですが、半分は自分がしたことのようなものだと真結希は言います。半分は……真結希はミータとのことを話すに当たって、この表現を多用しますが、これは感覚として彼女がミータの記憶を自身の想い出として、分かち合っていると認識しているからでしょう。そういった意味では、真結希はミータなのかも知れません。
律佳に外出許可が貰えないか聞いてくると、美優樹はまた雪人と真結希を二人きりにしてしまいます。親善大使としての激務が、美優樹を油断させていたんでしょうか? しかし、これが完全に、おそらく彼女の人生において最大の失敗だったのです。
「……良かった、二人っきりになれて……」
都合よく美優樹がいなくなったことから、真結希はお願いの前借りと称して、とあることを要求します。
「うん、私、お兄ちゃんとデートがしたいです。私とお兄ちゃんだけで。美幸ちゃんには内緒で」
デートは構わないけど、何故美優樹を? と、雪人が問いただすよりも前に、明日はダメかと聞いてくる真結希。彼女が、勝負に出た瞬間でした。真結希には甘すぎる雪人にとって、それは断れるようなお願いではありませんでした。律佳には言っておくから、こっそり抜け出してきてと言われ、雪人はそれを了承してしまうのです。美優樹がいると真結希は目一杯甘えられないからなどと言い訳をしていますが、彼の中で、既に美優樹への隠し事や嘘は不誠実ではないという認識なんでしょうね。それが彼の言うところの家族なんだからになるのかは知りませんが、雪人はこれでもかと言うぐらいに美優樹を蔑ろにしており、しかも、それ自体に悪意はないんです。何故なら彼は、それを悪いことだとすら思っていないのだから。
律佳は慰霊祭に真結希を連れ出すにしても、面倒を見る人間がいないことから難色を示します。それでもまあ、家族のことですから、上に掛け合ってみると、自分が付添人となることを前提に考えてくれるそうです。真結希は当然喜びますが、美優樹は一つ不自然な点を見いだしました。
「……真幸の外出許可って、女医さんが出してるんじゃないの? 主治医は女医さんなんじゃ…・…?」
小声だったため、その疑問は誰にも聞かれることがありませんでした。馬鹿で脳天気な雪人は気にも留めませんでしたが、律佳が真結希の主治医であることは、本人たちが言ったことであり、疑う余地はありません。ですが、にもかかわらず、真結希の外出には主治医である律佳より上の人間から、許可を貰わねばならないという。それは一体誰なのか? そもそも何故真結希は存在が秘匿されているのか? これもまた、大きな伏線の一つだと思います。
明けて翌日、美優樹は明日に控えた慰霊祭のおさらいをしつつ、今日はどこにも出掛けずゆっくり休むことにしました。彼女は日記をつける習慣があり、親善大使になってからのページを読み返しながら、雪人が兄となったこと、ミータがいなくなったことなどを振り返ります。そして勿論、真結希の存在も。
親善大使になってから1ヵ月、真結希と出会ってからは2週間でしょうか? 色々なことがありすぎて、未だに美優樹は全てを受け止めきれないでいました。真結希に対して家族として接することは出来るようになったものの、自分の中における立ち位置が見出せていないのです。なにせ真結希は双子だから姉も妹もないと、誰かを思い出す発言で煙に巻いていますし、彼女の挑発的な言動もあってか、美優樹は心がささくれ立っています。美優樹は真結希が何度もからかったように真面目であり、常識人ですから、真結希の危うさすら感じる態度や言動が、理解できないのでしょう。雪人と違って馬鹿でないからこその苦悩。雪人なんてきっとなにも考えていないだろうと、美優樹は苦笑します。
親善大使の仕事がなければ、おそらく美優樹は人格的に亀裂が走っていたでしょう。彼女は仕事に逃げることで、真結希のことを始めとした色々な問題から目を背けてきました。逆に仕事がなければ、とっくに限界を迎えて実家に帰っていたかも知れません。彼女にとってはその方が良かったと思いますが、美優樹はそれでも実の家族に未練がありました。結局のところ、美優樹にも神志那の血が流れているわけですから、どこかしらおかしいところはあるのでしょう。それでも義理の両親である瀬名家の人がまともだったからか、こうして常識人に育つことが出来たのだけど、雪人は……
明日の打ち合わせをしようと雪人を探す美優樹ですが、寮長である静夏から今朝から姿を見かけないと言われます。てっきり美優樹と一緒に出掛けたのかと思っていたが、美優樹がいるなら寝坊だろうと言うことで、特に確認もしないまま昼近くになりました。そして美優樹は気付くのです。今日この日が、鵠見市に来てから雪人と会わない初めての日であることに。
雪人は当然のごとく、寝坊などしていませんでした。彼は彼の密約を、真結希との約束を果たすために彼女と出掛けていたのです。美優樹には内緒で、寮の誰にも気付かれないよう朝早く。秘密にお出かけと言えば聞こえはいいかもしれませんが、彼は確実に美優樹を裏切っているのは違いありません。でも、きっと雪人には分からないんでしょうね。彼にとってこれは、裏切るとか裏切らないじゃないんです。だって、美優樹は家族なんだから。雪人は度々、兄妹の意味を調べた方がいいと美優樹に忠告されていました。それは冗談めかした言葉ではあったものの、実は彼にもっとも必要な事だったのかも知れません。
思えば、登場した当初から雪人の家族観、兄妹観は人とずれており、明らかにおかしいものでした。それがどんどん増幅されて、遂にここまで酷くなってしまったのだけど、彼は本当に、家族というものが分かっていないんでしょうね。まあ、実際に家族がいなかったんだから仕方ないのかも知れないけど、分からない、仕方ないで済ませるのもまた雪人ですから、結局彼は自分の理想や勝手な想像を他者に押しつけ、結果として美優樹は振り回されている。もはや真結希よりも、美優樹の方が哀れな存在になりつつありました。
まんまと美優樹を出し抜いた真結希は、自分語りや思い出話をし始めます。律佳に憧れていることや、彼女が災害時に研修医だったこと、その経験を元に、ミータを始めとした各種システムを開発したことなどを話します。もっとも、ミータに関してはあくまで真結希用ではありましたが。
特別な患者だった真結希に、律佳は『君は私の希望だ。必ず治してみせる。だから生きてくれ』と言い続けたそうです。それはまだ真結希の治療法も分からない、つまり彼女が口も聞けなかった頃の話であり、真結希が寝ていると思い込んでいた時に、寝言かうわごとのように言っていた言葉らしい。普段のクールな姿も相成って、真結希はどこかおかしかったそうですが、その言葉に生きる希望を与えられたのも事実です。律佳を一番尊敬しているというのも分かりますし。ですが……
「私も、この人みたいに立派な、誰かのためにいきられるような人になりたいな、って」
真結希の決意は素晴らしいものですが、ならば何故、真結希は今現在暴走をしているのだろうか? 律佳のような聡明な生き方も、出来たはずなのに。
冷静に考えれば、15年間学校に通うことも出来なかった真結希が、医者になれるはずなどありません。普通の職業だって無理でしょう。しかし雪人は馬鹿ですから、自分たちと同じ学校に入ればいいと、理事長が優しいので大丈夫だと、人任せなのを良いことに勝手なことを言い出します。
「……私、今、美幸ちゃんの苦労がわかった気がしました」
美優樹の苦労というか、雪人に対してウンザリしている部分というのは、まさにこういうところなんでしょうけど、真結希はまだ我慢できる範疇のようでした。というより、そんなことで真結希は行く道を引いていられないのです。だって彼女をは、今日という日に勝負を賭けに来たのだから。
1週間のリハビリの成果、自力で車椅子を、僅かではあるも動かせるようになった真結希。レジャーシートを引いて、以前よりも見栄えの良い弁当を作ってきた真結希。全ては雪人のため、彼に見せるためであり、食べさせるためにやったこと。まるで恋人のように、お互いに頬を染めながら食べさせ合う二人。私は、このシーンになにかを思い出しました。でも、そんなはずはないとその考えを打ち消しました。だってそれは、あり得るはずのないことですし。
食事の後、散歩を続ける雪人と真結希。なにを話して良いのか分からない雪人に、真結希はこんな風に切り出しました。
「私には……お兄ちゃんしかいないんです」
兄がいること、それだけを頼りに今まで生きてきたという真結希。ですが彼女は、先程律佳のことを尊敬していると言ったはずです。
「律佳さんを一人の人間としてみることができたから、自分と同じなんだと思えるようになったから、だから尊敬できるようになったんです。」
「それまでは、私は人間じゃなかったから……ただ息をするだけの肉の塊で……そんな私に生きる意味を、人間であることを教えてくれたのがお兄ちゃんです」
正確には、兄がいるという事実が、真結希と同じ境遇で、自分を想ってくれている人がいることが、彼女に生きる意味を与えてくれたと言います。しかし、同じ境遇というなら、美優樹も同じではないのか?
「美幸ちゃんはずるい」
静かに、吐き出すように、それでいて感情のこもらない声。真結希は美優樹がいない今だからこそ、双子の姉妹に向ける憎悪にも似た嫉妬心をさらけ出します。
「なにもしなくてもお兄ちゃんと居られる。お願いなんてしなくても、お兄ちゃんとお出かけできる」
15年間寝たきりだった少女に、普通の人生を歩んできた姉妹に対して、憎しみや恨みの感情を持つなと言うほうが無理なのでしょう。それは誰のせいでもない、でも、運命のいたずらで片付けるには、大きすぎるもの。真結希の持っていないものを、美優樹は全て持っているのだから。歪んでいるようで、真結希は当然の感情を美優樹に向けているのです。
だから彼女は、美優樹から雪人を奪おうとしている。もう待つだけの生活は嫌だから、重なり合わない自分と雪人を結びつけるには、自分がその場所に行くしかないから。雪人が一欠片も理解していなかった、真結希の頑張る理由。人の心情や感情を読み取ることが出来ない雪人には、真結希の抱える不安が分かっていませんでした。彼女がどれほどの孤独を抱え、どれだけの想いを雪人に向けていたのか。こうやって面と向かって、ハッキリ言われるまで、雪人は気付くことが出来なかったのです。
「どうして……どうして私の脚は……動かないの……」
悔しさに涙を流す真結希。それはきっと、雪人や美優樹には理解したくても出来ないものです。程度の差はあるにせよ、15年間を幸せに過ごしてきた二人と、無理矢理生かされ続けてきた真結希には、絶望的なまでに距離があります。そして、生き続けてしまったからこその苦しみが、今も続いているのです。
「いつも思うの……私にしてくれたのと、同じことを美幸ちゃんにも、してるんじゃないか? って」
美優樹がその場に居れば、杞憂であると悲しげに笑ったことでしょう。真結希は、雪人が美優樹を女として見ていない、その事実を知りません。だから焦っているし、急いで雪人の心を奪おうとしている。でも、美優樹にしてみれば自分は雪人にとってただの妹でしかなかったから、寂しく笑う以外に、なにも出来なかったことでしょう。
「好きなの」
留まることを知らない真結希の感情。それが濁流となって雪人を流していく。
「初めて会ったときから……再会したときから、兄だなんて思ったことなかった」
「この人じゃなきゃだめなんだって、私にはこの人しかいないんだって、ずっと思ってた」
ミータの中で、それを見ているだけで真結希は幸せだった。ミータに向けられる笑顔や、叱られているときの言葉さえも自分に向けられているようで、
「お兄ちゃんと一緒にいられるミータちゃんが羨ましくて、途中から割り込んできた美幸ちゃんが憎らしくて」
明確に美優樹が憎いと言い切る真結希。ミータに対して羨ましいと言っているのとは、随分と差がありますけど、なにせミータは自分の半身だし、そもそも機械です。機械に嫉妬する人間など、いるはずはない。
「でも……ミータちゃんが、お兄ちゃんに抱かれて……幸せが伝わってきて……」
ミータのことであるとは言え、やっと雪人と一つに、彼の特別になれたと思った真結希。でも、現実の彼女は、ミータじゃなかった。
「だけど再会したらただの兄と妹で……なんで……大好きなのに……会えたのに、なんで遠いの……なんでなの……」
暴走を続ける真結希は、遂に言ってはいけないことを口にしてしまいます。元々そのつもりで、そうなることを望んでいたことには違いないのだろうけど、彼女は過ちを犯した。
「抱いてよぉ……また抱いてよ……ミータちゃんみたいに抱き締めて……女の子にしてよ……」
「……二度と……離さないで……私をどこにも行かせないで……」
必死で悲痛な訴え。常識や倫理、道徳など全て投げ打った真結希の叫びに、雪人は何故か彼女とミータを重ねていました。この期に及んでも彼は、真結希の中にミータを見つけようとしていました。同じところなんてないと分かっているくせに、ただ、瞳の奥にあるすがってくるような輝きだけが、彼の求めている瞳だったのです。
雪人は自分から、真結希にキスをしました。そして彼は、妹を抱きました。
真結希にとって、ミータとは自身の半身にも近い存在であり、ミータにとって、真結希とは自分の中身とも言うべき存在でした。けれど、その関係は一方的なものであり、片方は相手を知っていたけど、もう片方は相手を知らなかった。故に対等な関係とは言い難く、真結希がミータに後ろめたさを感じていたのは、そうした部分もあったのでしょう。雪人に抱かれたとき、真結希は自分なら寂しさを埋めることが出来ると言いました。何故なら、自分はミータの半身だったから。いなくなった辛さは自分も同じだと言いました。
その言葉は、間違いではないのでしょう。真結希の心に、機能停止したミータという機械に対する、哀悼の意があっても不思議はありません。だけど、真結希はそうした状況と事実を最大限に利用したんです。この子は雪人が自分を通してミータを見ていたことを知っている。自分の中に見出したミータの影を追い、故に自分とキスをしたことも見抜いていました。だから、真結希はミータになったんです。自らミータと重なり合い、傷心の雪人に真結希はミータなのだと錯覚させることで、ぽっかりと空いた彼の心に潜り込んでしまった。
真結希は恐ろしい娘です。彼女は雪人がミータを失った喪失感が、美優樹やあやかなどと言った友人たちとは比べものにならないぐらい大きいことを理解した上で、自分がそれに成り代わろうとした。しかも、雪人はミータに対する罪悪感を覚えると同時に、目の前に居る真結希に対しても、ミータと同じに扱ってしまうことへも罪悪感を感じていたから、その心理を読み取って、徐々にミータから自分に視線と心を移すように誘導したんですね。自らの処女と、体を捧げてまで。その効果は絶大でした。雪人はミータを忘れ、真結希に心を傾けようと思った。真結希をまるで、俺のために用意されていたような、女の子とまで言い切る雪人ですが、それは正しい認識です。ただ、彼が理解していなかったのは、真結希自らがそうなるように仕向けたという事実だけです。
慰霊祭当日。約束通り、真結希は律佳に連れられて会場へとやってきました。美優樹は雪人が真結希と前日に会っていたのではないか、そこまで行かなくても、密かに連絡を取っていたのではないかと思いましたが、親善大使としてのスピーチがあるため、それを表に出すことが出来ません。雪人は既に割り切ったのか、それとも美優樹の存在をこの問題から除外することにしたのか、どちらにせよ彼は取り返しの付かないことをしたのです。流石に自分の行いを誰かのせいにするようなことはしませんでしたが、まさか律佳も、真結希が処女を喪失しているとは思わなかったでしょう。
不信感を抱く美優樹ですが、それを吹き飛ばすような出来事が起きました。会場に、夏場だというのに雪が降ってきたのです。ここに来て明かされる新事実ですが、なんとイモウトノカタチの世界では雪という減少はもう何十年も確認されておらず、雪人たちの世代でそれを見たことがある物はいないというのです。雪のメカニズムを考えるに、そんなことはあり得ないはずなんですが、北国とか、世界的にはどうなってるんでしょうか? まさか、この世界は地球ですらなかったのか。
まあ、そこはあくまでSF設定だろうと考えるにしても、更に信じられないような光景が、雪人と美優樹、そして真結希の前に訪れました。
「はーっ、はっ、はっ、はっ! なにを騒いでおるか、愚民共!」
それはあり得ない、もう聞こえるはずがない声。
「余の復活を祝う式典はここか? くっくっく、ならばなぜ余を待たぬのか? くくく、くはーっはっはっは!!」
文章だけだと、いきなり超ファンタジー世界が出現したかのような印象を受けますが、そんなはずはありません。
「主賓を待ちきれずに始めてしまうとは、それほどまでに私を焦がれていたですか?」
これは、この台詞は。
「ミータっ!!」
「ミータさん!!」
「ミータちゃん!!」
神志那三兄妹が同時に叫んだその人物、いや、ロボットこそ、機能を停止したずのミータだったのです。
切りも良いので、今回はこの辺りにしておきましょうか。多分、次でラストになると思います。まさかミータが復活するとは思いませんでしたが、それだと事前の雑誌情報にあった3P要員が誰になるのか分かりませんでしたし、ある程度の予想はしていたのかも知れない。まだ聴いてないけど、ソフマップ特典のドラマCDを聴くと、結構あからさまだったみたいですね。どうしてミータは復活したのか? 彼女は機能停止したのではなかったのか? 色々な謎は次回に持ち越しだけど、先に言えることがあるとすれば、私の個人的な感想としてこれだけは言っておかなければならない。
ミータは復活するべきじゃなかった。そしてこのシナリオはここから大きく狂いだしたのだ、と。
ハイキングの翌日、真結希は昨日の今日で激しいリハビリを行っていました。ミータが機能を停止してから1週間、彼女が収集したデータは着実に真結希の中へ蓄積されており、そのノウハウは急速に実を結び始めました。つい先日まで指先しか動かすことが出来なかったというのに、僅かながら体を動かすレベルにまで回復していたのです。
真結希が疲れを無視してリハビリに勤しむ理由には、兄である雪人のことがありました。ずっと憧れていたお兄ちゃんに出会ったことで、彼女には頑張らねばならない理由が出来たのです。けど、本当にそれは真結希自身の気持ちなのだろうか? 雪人に憧れ、恋し、体を捧げたのは真結希ではなくミータです。ミータの行動原理に真結希の意思が介在しないことは、真結希本人が明言したことでもあります。けれど、なにかしら引きずられるところは合ったんじゃないでしょうか? でなきゃ、雪人なんかに惚れるはずがありませんから。
真結希の努力の根底には、美優樹への嫉妬心もありました。妹として、健常者として、雪人と同じ学校に通い、同じ寮で暮らし、親善大使の仕事を共にこなす美優樹の存在は、未だに歩くことすらままならない真結希にとっては、コンプレックスもいいところです。双子なのにどうして自分だけと、運命を呪うこともあったでしょう。だから真結希は頑張るし、美優樹に対して遠慮も容赦もしません。
先にキスをしたのは私と、ちっぽけな優越感を握りしめる真結希は、美優樹が雪人に憧れを抱いているのを察していました。察した上で、美優樹に大胆な行動をする勇気がないことを見抜き、自ら積極的な行動に出たのです。兄妹としての倫理観か、それとも別の理由か、いずれにせよ美優樹は自分の想いを表に出すつもりがない。真結希の推測は当たっていますが、彼女は美優樹に何があったのかを知りません。既に失恋していることや、雪人に女としてみられていないことを知らないのです。
美幸ちゃんが、お兄ちゃんの時間を独り占めするなら、私はお兄ちゃんの気持ちを、独り占めするんだ。
真結希の野望は、既に妹としての範疇を超えているものでした。彼女は美優樹に対してどこかキツい態度を見え隠れさせることが多かったのですが、それは冗談やイタズラ心などではなく、単純に美優樹への嫉妬心があったから。恨んだり、あるいは憎んだりしているかは判断着きませんが、真結希の行動に対する原動力が、そうした負の感情から生まれていることは確かです。主治医である律佳が、そうした真結希の内面にまで気付いてくれていれば良かったのですが、彼女は真結希の症状の方を気に掛けていたからか、真結希の中で渦巻くものの存在を、察知することが出来なかったのかも知れません。
お兄ちゃんたちは、ミータちゃんがいなくなった寂しさを私に会うことで埋めようとしている。
真結希は、雪人や美優樹の目的が、本当のところ自分にないことを感づいていました。美優樹の方はどうか分かりませんけど、雪人に関して言えば、なにせ真結希をミータだと思ってキスしたほどの男です。口にも出しかけていましたし、あの距離なら、真結希が聴いていたとしても不思議じゃない。
突然、双子の妹だと言われても、すぐにそう実感できるわけがない。私みたいに、ずっと会うことに焦がれていたわけじゃないのだから。
その明察は正しく、真結希は雪人がキスをしてくれた理由が、ミータを失った寂しさから来るものであることも看破していました。あのキスがミータに向けたものであることさえ、真結希は承知していたのです。兄が人の心を欠片も理解できないのに比べ、妹はなんという洞察力でしょうか。
でも、私はそれで良いと思っている。
真結希が雪人に向ける想いも、半分はミータに貰ったものだと言います。何故なら、彼女の体が覚えていることは、すべてミータから与えられたものだから。
雪人のこと大好きだと言い切る真結希。しかし、彼女は自分の中に疼いている感情を雪にとぶつけることへ、躊躇いを覚えていました。理性でも道徳でも、ましてや倫理観でもない。ただ、後ろめたいという気持ち。それは、美優樹に対してではありません。
「ミータちゃんは、今後どうなるんですか?」
答えにくかったら答えてくれなくてもいいと前置きした上で、真結希はミータの今後について尋ねました。その質問に意外さを覚えないではない律佳でしたが、それは答えにくいと言うより、聞かせにくい部類のもの。ミータが元の状態で復帰することは絶望的であり、真結希のリハビリが始まった以上はその必要がありません。既にミータは完全分解が始まっており、残されたデータを取っている最中なのだと言います。
そしてそれが終われば、真結希用に載せたシステムを取り払い、本来の使用に戻して介護ロボットとして運用するか……あるいは、別の患者向けに新たなシステムを搭載するか。律佳は、後者の方が可能性は高いといいました。どちらにせよ、ミータが持っていた性格や記憶は残りません。ロボットなのだからそれは当然であり、解体処分されないだけでもマシな方なのかも知れませんが、ミータを人と同じように扱っていた雪人などには、納得出来ない話でしょう。あやか辺りなら、案外すんなり受け入れると思いますが。
真結希にとってそれらは概ね予想通りの答えであり、だからこそ、後ろ暗さは消えなかったのでした。そう、真結希が意識していたのは、後ろめたさや躊躇いを感じていたのは、美優樹ではなくミータに対してでした。既にいないロボットを、かつて雪人を愛した存在を、真結希は気に掛けていたのです。これから自分がしようとしていることを、考えながら。
一方で、美優樹が悩み続けていました。雪人が真結希に、あるいは真結希が雪人にした口付け。家族なら、兄妹ならそれはあり得ないことであり、美優樹の認識から大きく外れた、常識外の行動。それを自らの兄がしたというのだから、信じられるはずもないのでしょう。当たり前の話です。
「お兄さんは非常識です。出会った時からそうでしたけど、今回ばかりは非常識すぎです」
そんな相手に何故惚れたのかと言いたくなりますが、雪人の頭がおかしいことは、今に始まったことじゃないのはその通り。彼には最低限の常識さえも欠如しているんですね。他にも色々ありますが、主人公としてというより、人間として必要なものが、彼には存在しないんです。
「言い訳はいりません。あんな不潔なこと……」
みっともなく言い訳をする雪人に対し、美優樹はハッキリと不潔であると言い切りました。箱入りで、お嬢様学校に通っていた美優樹らしい言葉ですが、それ以上に、家族や兄妹でそんなことをしてはいけないという、倫理観や道徳観もあったのでしょう。
「とにかく、もう二度とあんな真似はしないでください」
美優樹にしてみれば当然の忠告、いえ、警告ですが、それに対する雪人の返答は常軌を逸していました。
「気をつけてはみる」
普通であれば、はっきり「しない」と答える場面です。それが筋であり、道理というものです。でも、雪人は美優樹に責められても、怒鳴られても、曖昧にしか答えませんでした。だって、彼にはそんなこと無理だから。真結希とのキスに、目をそらせないほどの喜びを感じてしまった雪人には、約束なんて出来るはずもないのです。更に言えば、彼は自分の所業をそれほど深刻に考えていませんでした。兄妹喧嘩かと心配するあやかと晴哉に、美優樹は「兄妹ゲンカなんて、それほどのことじゃありません」と虚勢を張ります。実際、悪いのは雪人であって、美優樹に非はありません。対等でない以上は、喧嘩と言うには少し違います。けれど、雪人は――
「俺がやらかしちゃったのは確かなんだけどね」
軽薄な雪人の言動は、美優樹にとって許せないものでした。
「やらかしたって……そんな程度じゃないよね!?」
ムキになって怒鳴り散らす美優樹は、それによってクラス中の注目を受ける羞恥にも耐えねばなりませんでした。しかも、真結希の存在は秘密であるから、親しい友人たちに相談することも出来ない。兄である雪人が、妹の真結希に劣情を催すという事実を。
「本当にいやらしい気持ちでしたんじゃ、ないんだよね?」
何度も何度も、確認を取らずにはいられない美優樹。彼女は雪人と真結希の間に二人だけの世界が築かれつつあるのを知っていたから、自分が置いてけぼりにされるような、そんな不安を抱えていたのです。正直、もう実家に帰りなよと言いたいですが、美優樹はあくまで折角見つかった家族との関係を優先しようとします。だからこそ、それを壊しかねない雪人の異常な行動が見過ごせないのです。
「だから違う! ……と思う……って、何度も言ってるじゃないか」
この期に及んで、雪人は曖昧な答えを崩しません。彼が真に妹たちのことを、家族のことを考えているなら、ここは嘘でも否定するべき所でした。少なくとも、目の前にいる美優樹を救うには、それが一番いい答えだったはずです。
「その曖昧な言い方が引っ掛かるの。はっきり否定してくれれば私もこんなに言わなくてすむのに……」
美優樹はまだ、雪人のことを信じていました。兄のことを、かつて自分が想っていた相手を疑いたくはないと、彼女の常識と倫理観からそう思っていたのでしょう。これは何かの間違いで、間違いでなくてはいけないのだと。でも、そんな妹に対して雪人はどこまでも卑劣な男でした。
「……はっきり肯定した場合は……?」
もはや雪人は、真結希を意識せずにはいられなかったのです。だからこそ、彼は曖昧どころか、もっとも美優樹が望んでいない言葉を口にしてしまった。けど、それこそが彼の本心でもあったのです。
「お兄さん……そんなこと、本気で言ってるの……?」
愕然とする美優樹に対し、雪人はごまかすように視線を逸らします。美優樹の不安は、的中していたのです。だけど、彼女には確認しておかなければ、確かめておかなければ行けないことがありました。
「妹にそんな感情を抱くなんて……まさか、私も……」
美優樹の言葉は、雪人に対する不潔感以外のものが混じっていました。あるいはその答えによっては、美優樹は雪人を許していたかも知れない。
「だ、大丈夫だって。美幸にはそういうの感じないし……」
雪人の口から咄嗟に出た言葉は、紛れもなく彼の本音でした。彼は既に、美優樹を千毬と同レベル程度にしか思っていなかったから。
「私にはって、感じないって……じゃあ、真幸には……!?」
「あ……」
美優樹の追求に本音を漏らした雪人は、それが失言だったことに気付きました。口では曖昧なことを言いながら、結局彼は真結希に劣情を催していたのです。だけど、美優樹がショックを受けたのは、それだけじゃありません。雪人が真結希に向けてい異常とも言える感情、それが自分に向けられないことに、美優樹は激しいショックを覚えていたのです。無理もありません、どんなに雪人のクズっぷりが発覚しようと、美優樹が雪人を好きだったのは、変えようのない事実なのですから。
雪人はこれ以上の追求を避けるために、美優樹を連れて真結希の元に向かいました。真結希の前でなら美優樹は怒らないだろうという、卑怯としか言い様がない計算をした上で、雪人は真結希と美優樹を引き合わせようとしたのでした。全ては自分のため。自分が、これ以上美優樹からなにも言われないため。彼はそのために、真結希さえも利用したのです。二人を引き合わせることでどうなるかなど、雪人は当然考えていません。彼が考えていたのはただ一つ、自分の気持ちが整理できていないことだけであり、この男はどこまでもいつまでも、自分のことだけを優先させていたのです。美優樹が家族幻想に囚われていなかったら、あるいは雪人を見限るのは今だったかも知れません。そうすれば、雪人は一人家族の輪を離れた美優樹を非難するでしょう。自分のことも顧みず、こいつはそういう奴です。
でも、美優樹にはそれが出来なかった。優しい彼女に、実の家族を見捨てることなんて、出来るわけもなかったのです。
美優樹の気持ちを散々踏みにじった雪人は、その自覚をしないままに真結希の病室を訪れます。思った通り、雪人の目論見通りに、美優樹は真結希の前で感情を高ぶらせたりはしませんでした。一々確認する辺り、もうこいつは天然でも何でもないですね。動揺する妹を振り回し、無理矢理ここまで引っ張ってきて。こいつは、妹をなんだと思っているんだろうか?
既に雪人の眼中に、美優樹はいないのかも知れない。彼が見ているのは、病室に入ったその瞬間から、真結希だけになっていた。兄貴面をして着替えを手伝おうとしたり、つい先程まで美優樹から真結希に対する劣情を指摘されていたにも関わらず、遂に人の気持ちを理解できないだけではなく、人の言葉すら分からなくなってしまったんでしょうか? だとしたら、丁度良いことに病院ですし、医者に掛かった方がいいと思いますけど。
リハビリの疲れから赤みがかった頬をした真結希は、雪人がドキッとするほど可愛いものであり、彼がもはや真結希に対する気持ちを隠していないことにも繋がります。美優樹には一欠片だって感じないことを、真結希に対しては素直なまでに発露している。しかし、それは……間違っても雪人が純粋だからじゃありません。
真結希は雪人と美優樹の間にあったやりとりを知りません。知らないからこそ、彼女は自らが抱く野望に乗っ取り、積極的な攻勢を二人に仕掛けます。何気ない言葉に混ぜ込んだ挑発。美優樹も薄々とは気付いているんだろうけど、常識人である彼女にとって、それはあり得ないことです。けれど、こういう言い方をするとあれですが、真結希はそれほど性格がいい娘ではありません。純真無垢に見えるのは、あくまで外見だけの話であって、冷静に考えてみれば、14,5年間ずっと機械に繋がれて、無理矢理生かされていた少女が、まともな性格をしているわけがないんです。一度殺した心が歪みなく再生するものでしょうか? 後に自分で自分のことを肉塊とまで言い切った真結希は、何度も何度も死にたい気持ちを抱えていた全身麻痺の少女は、とっくに壊れていたんじゃ、ないだろうか。
真結希の前であることから、美優樹はなるたけ平静を取り繕います。真結希は言葉の端々で挑発行為を続けますが、雪人は馬鹿なのでよく分かっていませんし、美優樹もさほど気にしてはいない。けど、そのとき廊下で何事かあって、確認のため美優樹は席を外してしまうのです。病室内に居づらかった、というのもあるんでしょうが、真結希と会話することで気持ちがほぐれた部分もあったのでしょう。昨日、あんなことがあったにも関わらず、美優樹は雪人と真結希を二人きりにしてしまいました。これは美優樹らしくない、手痛い失敗でしたね。もっとも、雪人に確認を行わせたところで、彼が要領得ないことは明白なんですけど。
逃げ出した美優樹の心理を難なく察した真結希は、二人きりであるのをいいことに、積極的な攻勢を仕掛け続けます。既に、彼女の中で美優樹は敵ですらないのかも知れません。
「私とキスするのって、そんなにおかしいですか?」
雪人は自分の中かから消えつつある、最初から存在していたかも分からない倫理観を、真結希に求めていました。自分には無理だから、出来ないから、相手にそれをして欲しい。美優樹を黙らせるために真結希を利用したように、雪人はここでも、自分の中にある欲望や衝動の抑え役として、真結希の方から自制するよう望んだのです。
けれど、真結希がそんな役目を引き受けるわけがありません。彼女には野望があり、既に美優樹から雪人を奪い取ることは、彼女の中で決まっていたのだから。
おでこでもいいからとキスを要求する真結希に、雪人は抗うことが出来ません。元々壊れ気味だった人格が、崩壊寸前に達していたのでしょう。彼にはもう理性的な判断はおろか、なにが正しくて、なにが間違っているのかさえ理解できない、いや……そもそも、そういったことを考えていないのではないかとさえ思います。
結局、美優樹が戻ってきたことで事なきを得ますが、彼女が席を外した原因である、外の騒動は分からずじまいでした。病院だし、大方急患かなにかだろうと言うことで落ち着きましたが、雪人は美優樹が戻ってきたのをいいことに、今度は真結希から逃げだそうとします。元々、美優樹の怒りを静め、黙らせるために真結希を利用しに来たというのに、今度はその真結希に対して、雪人は自分を抑えられなくなっていらのです。それを全く拒まない真結希にも問題があるのは事実だけど、雪人は真結希が拒まないからこそ、自分は引かれているのだと勝手に怖がっています。馬鹿じゃないかと思いましたが、そういや雪人は馬鹿でした。
慰霊祭を間近に控え、親善大使としての仕事が忙しくなった雪人と美優樹は、真結希のお見舞いに行くことが出来なくなりました。仕事なんだから仕方ない話ですが、そもそも二人が親善大使になったのはお互いの家族を探すためであり、生き別れとなった真結希さえも見つかった以上は、実のところあまり意味がないものになっているんですよね。美優樹は真面目ですからともかく、雪人はそれをどう思っているのか。馬鹿だから、そうした事実にも気付いていない可能性はありますが。
やっと時間を作れたのは、慰霊祭を明後日に控えた土曜日でした。真結希はすっかりへそを曲げていましたが、美優樹から雪人が真結希のことばかり気にしていたと言われると、機嫌を直します。
「一人になるといつも『真幸-、真幸ー』って、壊れた音楽プレイヤーみたいに呟いてるんだよ?」
美優樹はどうしてその壊れたゴミを、焼却炉に投げてこなかったんでしょうか? 明らかに狂っていますが、バケツの水をぶっかけるなり、平手打ちの1ダースぐらいは食らわしてやるべきではないか。それとも美優樹は、兄が異常者であることに対して諦めてしまったんでしょうか?
寂しかったなどと、子供みたいな表現を使う雪人ですが、美優樹も少なからず寂しかったのは事実です。しかし、そこに真結希からこんな指摘が入りました。
「私はとっても寂しかったのに……美幸ちゃんは少しだけだったんだ?」
「そ、そういうことじゃ……」
「そうだよね、美幸ちゃんはお兄ちゃんが側にいてくれるし、寂しくなんてないよね」
真結希がチラリと見せた、鋭い牙。美優樹は自分に対して向けられた、憎悪にも似た嫉妬心を悟りますが、雪人はそれに気付くことが出来ません。冗談だといってはぐらかす真結希ですが、それが本音であることぐらい、誰が見ても分かることでした。ただ一人、雪人だけは気のせいで済ませましたが。
週明けの慰霊祭に向けて土日はしっかりと休息を取る意味も兼ねて、親善大使の仕事は休みでした。けれど、大事な行事に向けてのおさらいなどをしなければ行けませんし、休みとは言え、明日も真結希のお見舞いに来るのは難しい。真結希はそれに対して特に不平は漏らしませんでしたが、そうなると慰霊祭も挟んで次に会えるのは三日後になります。
いっそ、真結希を慰霊祭に招待することは出来ないか? と雪人は考えますが、真結希はなにせ存在が秘匿されています。事情が許すはずもありません。それでも自分と美優樹の晴れ舞台を家族に見て貰いたいと思う雪人の気持ちも、まあ、分からないではないです。他意は、ないと思いますし。
雪人にとっては一生に一度あるかないかの晴れ舞台だという美優樹に、雪人はあのコンテストならもう一回出ても何とかなると余裕を見せます。
「お兄さんはなにもしてなかったよね? 全部私に押しつけてたよね?」
もう二度と出たくないという美優樹の言葉は、彼女の本心でしょう。あの頃は雪人が実の兄であることを知らず、知らなかったからこそ、彼の無茶苦茶な性格にも許せるところがあった。でも、今は状況が違います。全部私に押しつけた、という美優樹の言葉は、雪人の性格や行動を端的に表しています。確かに、振り返ってみても雪人はなにもしていませんし、努力したのも、頑張ったのも美優樹です。兄妹となって、雪人の異常性に気付きつつあった美優樹には、例え同じコンテストでも、以前のような力は出せないと思っていたのかも知れない。それはまったくもって、正しい認識だと思うけど。
真結希はミータの中にいたこともあってか、美優樹がコンテストの際に苦労していたことを知っていました。まあ、すべてミータがやらかしたことなので当然と言えば当然ですが、半分は自分がしたことのようなものだと真結希は言います。半分は……真結希はミータとのことを話すに当たって、この表現を多用しますが、これは感覚として彼女がミータの記憶を自身の想い出として、分かち合っていると認識しているからでしょう。そういった意味では、真結希はミータなのかも知れません。
律佳に外出許可が貰えないか聞いてくると、美優樹はまた雪人と真結希を二人きりにしてしまいます。親善大使としての激務が、美優樹を油断させていたんでしょうか? しかし、これが完全に、おそらく彼女の人生において最大の失敗だったのです。
「……良かった、二人っきりになれて……」
都合よく美優樹がいなくなったことから、真結希はお願いの前借りと称して、とあることを要求します。
「うん、私、お兄ちゃんとデートがしたいです。私とお兄ちゃんだけで。美幸ちゃんには内緒で」
デートは構わないけど、何故美優樹を? と、雪人が問いただすよりも前に、明日はダメかと聞いてくる真結希。彼女が、勝負に出た瞬間でした。真結希には甘すぎる雪人にとって、それは断れるようなお願いではありませんでした。律佳には言っておくから、こっそり抜け出してきてと言われ、雪人はそれを了承してしまうのです。美優樹がいると真結希は目一杯甘えられないからなどと言い訳をしていますが、彼の中で、既に美優樹への隠し事や嘘は不誠実ではないという認識なんでしょうね。それが彼の言うところの家族なんだからになるのかは知りませんが、雪人はこれでもかと言うぐらいに美優樹を蔑ろにしており、しかも、それ自体に悪意はないんです。何故なら彼は、それを悪いことだとすら思っていないのだから。
律佳は慰霊祭に真結希を連れ出すにしても、面倒を見る人間がいないことから難色を示します。それでもまあ、家族のことですから、上に掛け合ってみると、自分が付添人となることを前提に考えてくれるそうです。真結希は当然喜びますが、美優樹は一つ不自然な点を見いだしました。
「……真幸の外出許可って、女医さんが出してるんじゃないの? 主治医は女医さんなんじゃ…・…?」
小声だったため、その疑問は誰にも聞かれることがありませんでした。馬鹿で脳天気な雪人は気にも留めませんでしたが、律佳が真結希の主治医であることは、本人たちが言ったことであり、疑う余地はありません。ですが、にもかかわらず、真結希の外出には主治医である律佳より上の人間から、許可を貰わねばならないという。それは一体誰なのか? そもそも何故真結希は存在が秘匿されているのか? これもまた、大きな伏線の一つだと思います。
明けて翌日、美優樹は明日に控えた慰霊祭のおさらいをしつつ、今日はどこにも出掛けずゆっくり休むことにしました。彼女は日記をつける習慣があり、親善大使になってからのページを読み返しながら、雪人が兄となったこと、ミータがいなくなったことなどを振り返ります。そして勿論、真結希の存在も。
親善大使になってから1ヵ月、真結希と出会ってからは2週間でしょうか? 色々なことがありすぎて、未だに美優樹は全てを受け止めきれないでいました。真結希に対して家族として接することは出来るようになったものの、自分の中における立ち位置が見出せていないのです。なにせ真結希は双子だから姉も妹もないと、誰かを思い出す発言で煙に巻いていますし、彼女の挑発的な言動もあってか、美優樹は心がささくれ立っています。美優樹は真結希が何度もからかったように真面目であり、常識人ですから、真結希の危うさすら感じる態度や言動が、理解できないのでしょう。雪人と違って馬鹿でないからこその苦悩。雪人なんてきっとなにも考えていないだろうと、美優樹は苦笑します。
親善大使の仕事がなければ、おそらく美優樹は人格的に亀裂が走っていたでしょう。彼女は仕事に逃げることで、真結希のことを始めとした色々な問題から目を背けてきました。逆に仕事がなければ、とっくに限界を迎えて実家に帰っていたかも知れません。彼女にとってはその方が良かったと思いますが、美優樹はそれでも実の家族に未練がありました。結局のところ、美優樹にも神志那の血が流れているわけですから、どこかしらおかしいところはあるのでしょう。それでも義理の両親である瀬名家の人がまともだったからか、こうして常識人に育つことが出来たのだけど、雪人は……
明日の打ち合わせをしようと雪人を探す美優樹ですが、寮長である静夏から今朝から姿を見かけないと言われます。てっきり美優樹と一緒に出掛けたのかと思っていたが、美優樹がいるなら寝坊だろうと言うことで、特に確認もしないまま昼近くになりました。そして美優樹は気付くのです。今日この日が、鵠見市に来てから雪人と会わない初めての日であることに。
雪人は当然のごとく、寝坊などしていませんでした。彼は彼の密約を、真結希との約束を果たすために彼女と出掛けていたのです。美優樹には内緒で、寮の誰にも気付かれないよう朝早く。秘密にお出かけと言えば聞こえはいいかもしれませんが、彼は確実に美優樹を裏切っているのは違いありません。でも、きっと雪人には分からないんでしょうね。彼にとってこれは、裏切るとか裏切らないじゃないんです。だって、美優樹は家族なんだから。雪人は度々、兄妹の意味を調べた方がいいと美優樹に忠告されていました。それは冗談めかした言葉ではあったものの、実は彼にもっとも必要な事だったのかも知れません。
思えば、登場した当初から雪人の家族観、兄妹観は人とずれており、明らかにおかしいものでした。それがどんどん増幅されて、遂にここまで酷くなってしまったのだけど、彼は本当に、家族というものが分かっていないんでしょうね。まあ、実際に家族がいなかったんだから仕方ないのかも知れないけど、分からない、仕方ないで済ませるのもまた雪人ですから、結局彼は自分の理想や勝手な想像を他者に押しつけ、結果として美優樹は振り回されている。もはや真結希よりも、美優樹の方が哀れな存在になりつつありました。
まんまと美優樹を出し抜いた真結希は、自分語りや思い出話をし始めます。律佳に憧れていることや、彼女が災害時に研修医だったこと、その経験を元に、ミータを始めとした各種システムを開発したことなどを話します。もっとも、ミータに関してはあくまで真結希用ではありましたが。
特別な患者だった真結希に、律佳は『君は私の希望だ。必ず治してみせる。だから生きてくれ』と言い続けたそうです。それはまだ真結希の治療法も分からない、つまり彼女が口も聞けなかった頃の話であり、真結希が寝ていると思い込んでいた時に、寝言かうわごとのように言っていた言葉らしい。普段のクールな姿も相成って、真結希はどこかおかしかったそうですが、その言葉に生きる希望を与えられたのも事実です。律佳を一番尊敬しているというのも分かりますし。ですが……
「私も、この人みたいに立派な、誰かのためにいきられるような人になりたいな、って」
真結希の決意は素晴らしいものですが、ならば何故、真結希は今現在暴走をしているのだろうか? 律佳のような聡明な生き方も、出来たはずなのに。
冷静に考えれば、15年間学校に通うことも出来なかった真結希が、医者になれるはずなどありません。普通の職業だって無理でしょう。しかし雪人は馬鹿ですから、自分たちと同じ学校に入ればいいと、理事長が優しいので大丈夫だと、人任せなのを良いことに勝手なことを言い出します。
「……私、今、美幸ちゃんの苦労がわかった気がしました」
美優樹の苦労というか、雪人に対してウンザリしている部分というのは、まさにこういうところなんでしょうけど、真結希はまだ我慢できる範疇のようでした。というより、そんなことで真結希は行く道を引いていられないのです。だって彼女をは、今日という日に勝負を賭けに来たのだから。
1週間のリハビリの成果、自力で車椅子を、僅かではあるも動かせるようになった真結希。レジャーシートを引いて、以前よりも見栄えの良い弁当を作ってきた真結希。全ては雪人のため、彼に見せるためであり、食べさせるためにやったこと。まるで恋人のように、お互いに頬を染めながら食べさせ合う二人。私は、このシーンになにかを思い出しました。でも、そんなはずはないとその考えを打ち消しました。だってそれは、あり得るはずのないことですし。
食事の後、散歩を続ける雪人と真結希。なにを話して良いのか分からない雪人に、真結希はこんな風に切り出しました。
「私には……お兄ちゃんしかいないんです」
兄がいること、それだけを頼りに今まで生きてきたという真結希。ですが彼女は、先程律佳のことを尊敬していると言ったはずです。
「律佳さんを一人の人間としてみることができたから、自分と同じなんだと思えるようになったから、だから尊敬できるようになったんです。」
「それまでは、私は人間じゃなかったから……ただ息をするだけの肉の塊で……そんな私に生きる意味を、人間であることを教えてくれたのがお兄ちゃんです」
正確には、兄がいるという事実が、真結希と同じ境遇で、自分を想ってくれている人がいることが、彼女に生きる意味を与えてくれたと言います。しかし、同じ境遇というなら、美優樹も同じではないのか?
「美幸ちゃんはずるい」
静かに、吐き出すように、それでいて感情のこもらない声。真結希は美優樹がいない今だからこそ、双子の姉妹に向ける憎悪にも似た嫉妬心をさらけ出します。
「なにもしなくてもお兄ちゃんと居られる。お願いなんてしなくても、お兄ちゃんとお出かけできる」
15年間寝たきりだった少女に、普通の人生を歩んできた姉妹に対して、憎しみや恨みの感情を持つなと言うほうが無理なのでしょう。それは誰のせいでもない、でも、運命のいたずらで片付けるには、大きすぎるもの。真結希の持っていないものを、美優樹は全て持っているのだから。歪んでいるようで、真結希は当然の感情を美優樹に向けているのです。
だから彼女は、美優樹から雪人を奪おうとしている。もう待つだけの生活は嫌だから、重なり合わない自分と雪人を結びつけるには、自分がその場所に行くしかないから。雪人が一欠片も理解していなかった、真結希の頑張る理由。人の心情や感情を読み取ることが出来ない雪人には、真結希の抱える不安が分かっていませんでした。彼女がどれほどの孤独を抱え、どれだけの想いを雪人に向けていたのか。こうやって面と向かって、ハッキリ言われるまで、雪人は気付くことが出来なかったのです。
「どうして……どうして私の脚は……動かないの……」
悔しさに涙を流す真結希。それはきっと、雪人や美優樹には理解したくても出来ないものです。程度の差はあるにせよ、15年間を幸せに過ごしてきた二人と、無理矢理生かされ続けてきた真結希には、絶望的なまでに距離があります。そして、生き続けてしまったからこその苦しみが、今も続いているのです。
「いつも思うの……私にしてくれたのと、同じことを美幸ちゃんにも、してるんじゃないか? って」
美優樹がその場に居れば、杞憂であると悲しげに笑ったことでしょう。真結希は、雪人が美優樹を女として見ていない、その事実を知りません。だから焦っているし、急いで雪人の心を奪おうとしている。でも、美優樹にしてみれば自分は雪人にとってただの妹でしかなかったから、寂しく笑う以外に、なにも出来なかったことでしょう。
「好きなの」
留まることを知らない真結希の感情。それが濁流となって雪人を流していく。
「初めて会ったときから……再会したときから、兄だなんて思ったことなかった」
「この人じゃなきゃだめなんだって、私にはこの人しかいないんだって、ずっと思ってた」
ミータの中で、それを見ているだけで真結希は幸せだった。ミータに向けられる笑顔や、叱られているときの言葉さえも自分に向けられているようで、
「お兄ちゃんと一緒にいられるミータちゃんが羨ましくて、途中から割り込んできた美幸ちゃんが憎らしくて」
明確に美優樹が憎いと言い切る真結希。ミータに対して羨ましいと言っているのとは、随分と差がありますけど、なにせミータは自分の半身だし、そもそも機械です。機械に嫉妬する人間など、いるはずはない。
「でも……ミータちゃんが、お兄ちゃんに抱かれて……幸せが伝わってきて……」
ミータのことであるとは言え、やっと雪人と一つに、彼の特別になれたと思った真結希。でも、現実の彼女は、ミータじゃなかった。
「だけど再会したらただの兄と妹で……なんで……大好きなのに……会えたのに、なんで遠いの……なんでなの……」
暴走を続ける真結希は、遂に言ってはいけないことを口にしてしまいます。元々そのつもりで、そうなることを望んでいたことには違いないのだろうけど、彼女は過ちを犯した。
「抱いてよぉ……また抱いてよ……ミータちゃんみたいに抱き締めて……女の子にしてよ……」
「……二度と……離さないで……私をどこにも行かせないで……」
必死で悲痛な訴え。常識や倫理、道徳など全て投げ打った真結希の叫びに、雪人は何故か彼女とミータを重ねていました。この期に及んでも彼は、真結希の中にミータを見つけようとしていました。同じところなんてないと分かっているくせに、ただ、瞳の奥にあるすがってくるような輝きだけが、彼の求めている瞳だったのです。
雪人は自分から、真結希にキスをしました。そして彼は、妹を抱きました。
真結希にとって、ミータとは自身の半身にも近い存在であり、ミータにとって、真結希とは自分の中身とも言うべき存在でした。けれど、その関係は一方的なものであり、片方は相手を知っていたけど、もう片方は相手を知らなかった。故に対等な関係とは言い難く、真結希がミータに後ろめたさを感じていたのは、そうした部分もあったのでしょう。雪人に抱かれたとき、真結希は自分なら寂しさを埋めることが出来ると言いました。何故なら、自分はミータの半身だったから。いなくなった辛さは自分も同じだと言いました。
その言葉は、間違いではないのでしょう。真結希の心に、機能停止したミータという機械に対する、哀悼の意があっても不思議はありません。だけど、真結希はそうした状況と事実を最大限に利用したんです。この子は雪人が自分を通してミータを見ていたことを知っている。自分の中に見出したミータの影を追い、故に自分とキスをしたことも見抜いていました。だから、真結希はミータになったんです。自らミータと重なり合い、傷心の雪人に真結希はミータなのだと錯覚させることで、ぽっかりと空いた彼の心に潜り込んでしまった。
真結希は恐ろしい娘です。彼女は雪人がミータを失った喪失感が、美優樹やあやかなどと言った友人たちとは比べものにならないぐらい大きいことを理解した上で、自分がそれに成り代わろうとした。しかも、雪人はミータに対する罪悪感を覚えると同時に、目の前に居る真結希に対しても、ミータと同じに扱ってしまうことへも罪悪感を感じていたから、その心理を読み取って、徐々にミータから自分に視線と心を移すように誘導したんですね。自らの処女と、体を捧げてまで。その効果は絶大でした。雪人はミータを忘れ、真結希に心を傾けようと思った。真結希をまるで、俺のために用意されていたような、女の子とまで言い切る雪人ですが、それは正しい認識です。ただ、彼が理解していなかったのは、真結希自らがそうなるように仕向けたという事実だけです。
慰霊祭当日。約束通り、真結希は律佳に連れられて会場へとやってきました。美優樹は雪人が真結希と前日に会っていたのではないか、そこまで行かなくても、密かに連絡を取っていたのではないかと思いましたが、親善大使としてのスピーチがあるため、それを表に出すことが出来ません。雪人は既に割り切ったのか、それとも美優樹の存在をこの問題から除外することにしたのか、どちらにせよ彼は取り返しの付かないことをしたのです。流石に自分の行いを誰かのせいにするようなことはしませんでしたが、まさか律佳も、真結希が処女を喪失しているとは思わなかったでしょう。
不信感を抱く美優樹ですが、それを吹き飛ばすような出来事が起きました。会場に、夏場だというのに雪が降ってきたのです。ここに来て明かされる新事実ですが、なんとイモウトノカタチの世界では雪という減少はもう何十年も確認されておらず、雪人たちの世代でそれを見たことがある物はいないというのです。雪のメカニズムを考えるに、そんなことはあり得ないはずなんですが、北国とか、世界的にはどうなってるんでしょうか? まさか、この世界は地球ですらなかったのか。
まあ、そこはあくまでSF設定だろうと考えるにしても、更に信じられないような光景が、雪人と美優樹、そして真結希の前に訪れました。
「はーっ、はっ、はっ、はっ! なにを騒いでおるか、愚民共!」
それはあり得ない、もう聞こえるはずがない声。
「余の復活を祝う式典はここか? くっくっく、ならばなぜ余を待たぬのか? くくく、くはーっはっはっは!!」
文章だけだと、いきなり超ファンタジー世界が出現したかのような印象を受けますが、そんなはずはありません。
「主賓を待ちきれずに始めてしまうとは、それほどまでに私を焦がれていたですか?」
これは、この台詞は。
「ミータっ!!」
「ミータさん!!」
「ミータちゃん!!」
神志那三兄妹が同時に叫んだその人物、いや、ロボットこそ、機能を停止したずのミータだったのです。
切りも良いので、今回はこの辺りにしておきましょうか。多分、次でラストになると思います。まさかミータが復活するとは思いませんでしたが、それだと事前の雑誌情報にあった3P要員が誰になるのか分かりませんでしたし、ある程度の予想はしていたのかも知れない。まだ聴いてないけど、ソフマップ特典のドラマCDを聴くと、結構あからさまだったみたいですね。どうしてミータは復活したのか? 彼女は機能停止したのではなかったのか? 色々な謎は次回に持ち越しだけど、先に言えることがあるとすれば、私の個人的な感想としてこれだけは言っておかなければならない。
ミータは復活するべきじゃなかった。そしてこのシナリオはここから大きく狂いだしたのだ、と。
コメント