夏空のペルセウス感想レビュー -菱田あやめ編-ねむり姫が目覚めた時に
2012年12月23日 夏空のペルセウス
夏空のペルセウス感想、2回目は菱田あやめです。彼女のルートに入る前に、私は一応ロードで選択肢画面を開くのではなく、ニューゲームで新しくゲームを始めて見ることにしました。もしかしたら、どこかしらで透香ルートが解放されているかも知れないと淡い期待を抱いたのですが、そんなことは決してなく、何をどうしても選択肢が増えることはありませんでした。試しに10分間画面放置とかもしてみたんだけど、どうやらそんな旧世代機ゲームみたいな仕掛けはないらしい。まあ、そんな物合ったら逆にビックリだけど、これでいよいよ最悪の事態について想定しなければいけなくなった。
あやめルートは、先に結論から言ってしまえば人の痛みとはなにか? ということだと思いました。翠が抱えていた物理的と見せた精神的、あるいは感情的な痛みと違い、あやめのそれは心理的な側面の強いものです。あやめは両親を交通事故で亡くしており、それが心の傷となっている少女です。普段のどこか間の抜けた態度からは想像も付きませんが、あやめは共通ルートの時点で「家ではよく寝られない」など、片鱗自体は見せているんですよね。
森羅はそんなあやめの心の傷を癒やしたいと考えるわけですが、このルートは、森羅があやめに好意を持つ理由が少し弱いような気がしました。森羅とあやめは共通パートでラッキースケベ的なイベントはあるものの、個人間としての付き合いは薄い方でしたし、好意を持つ、惚れるまでの過程がやや駆け足だったように思えなくもない。まあ、あやめは村一番の巨乳で、箱入りのお姫様ですから、一目惚れをしたのだと言われても、別段不思議ではないんですけど……翠はさ、昨日の感想にも書いたとおり親戚だし、性格的な面からも好感を持つ部分が多いと思うし、透香は体験版通りならば別の目的があるから、ルートへ進むことへの違和感がないのだけど、あやめだけは唯一そういうのを感じてしまったかも知れない。描写が丁寧じゃないというより、さて、森羅というキャラはあやめに好意を持って、命がけで惚れるのだろうか? なんていう疑問が生まれてしまったんだよね。勿論、あやめも良い子だけどさ。
恋によると、力の強い彼女が他人の精神的な痛みも自分に移すことが出来ると言います。力の弱い森羅は、未だかつてそうした経験はなかったわけだけど、仮にもし自分にも同じ事が出来れば、あやめの心の傷を、両親を失った痛みを癒やせるのではないか? と考えます。過去から今に至るまで、多くの人の痛みを自分に移してきたであろう森羅にとって、痛みが無くなるというのは相手にとっては良いことなのだという大前提があったし、物理的な傷でないのなら自分がそれほど痛みを負うことはないとも思っていました。
あやめに惹かれていることは事実であり、そんな彼女の力になりたい、そして、自分の力を誰かのために使いたいという願望を持っていた森羅は、あやめに対して能力を発動し、その心の傷を、痛みを自分へと移してしまうのです。
ここで、全く関係ない作品ですが、昔ナースエンジェルりりかSOSという魔法少女系のアニメがやっていました。もう、17年も前のアニメだから知っている人も少ないとは思うけど、私が特に好きな話に、敵の幹部デューイと最後の決闘を行うというものがあります。デューイは強敵であるナースエンジェルを倒すべく、敵の親玉であるブロスから不死身の肉体を授かり、あらゆる攻撃を物ともしない脅威の強さを見せ付けました。しかし、りりかの必殺技を何度も食らう内に段々と様子がおかしくなり、遂に激しい痛みに発狂し始めます。そう、デューイは決して不死身になどなったのではなく、ブロスによって身体から痛覚を消されていたに過ぎなかったのです。やがて限界を迎えた身体は崩壊を始め、見捨てることが出来なかったリリカによって助けられます。
この話に置いて重要なのは、リリカの優しさは勿論ですが、人にとって痛みというものが、極めて必要な感覚であるということです。人は痛みを感じることが出来るからこそ、成り立っている部分もある。痛みに気付かない、痛みを忘れてしまった人間は最終的にどうなるか? デューイが死の淵へ落ちそうになったように、必ず壊れるでしょう。
話を夏ペルに戻して、森羅はそういったことへの思慮が足りませんでした。痛みがなくなるのは良いことだ、自分なら両親の死という悲しい記憶とと心の傷を負ったあやめを癒やすことが出来ると考えた森羅は、見事能力を使用して彼女の中にある痛みを、両親が死んだ事によって生まれた強い恐怖心を自分の中へ移すことに成功してしまいます。だけど、森羅が成功を実感する間もなく、あやめはどこか惚けたように帰宅してしまい、次の日は学校に中々現れないなど、早くも変化が現れ始めた。
昼になって登校してきたあやめは、明らかに普段と変わっており、透香よりも自分のやりたいことを、自由気まま、勝手気ままにやるという性格に変貌していました。あまりに変わりように驚く周囲ですが、森羅は当然自分の能力の影響であると思いましたし、恋もそれに気づき、事情を知っている翠でさえ疑い始めます。
そして、この三人によって話し合いの場が持たれ、恋は森羅にあやめの精神的な傷や痛みを移すに当たって、「実験や練習はしたのか?」と尋ねます。そんな発想があるわけもなかった森羅は戸惑いますが、自分の能力について研究をしてきた恋は、精神的な傷や痛みを移すことの危険性を森羅に教えます。彼女自身は、森羅に対して実験を行っていたなど、とんでもないことを言いますが、今はそれよりもあやめのことです。翠の話では、現在のあやめは猟人が事故死する前のテンションに近いとのことで、これは両親が亡くなったという事実が、あやめにとって重しや足枷になり得なくなったことを意味します。それだけ聞くと良いことのように聞こえますが、実際に森羅があやめから移した、いや、奪ったものは、そんな単純ではなかったのだから。森羅は両親の死という、大抵の人にとって究極的な痛み、恐怖心というものをあやめの中から奪ってしまっていたのです。だから、あやめは何に対しても恐れを抱くことがなくなり、学校には遅刻するし、サボるし、周囲が聞いたらビックリするようなこと当然言うし、やるのです。そうした中で、あやめは森羅に告白し、彼を取られまいと彼氏彼女の関係になってしまうのです。
けれど、恐怖心を失ったあやめの人格は、徐々に壊れ始めます。いくら恐怖心が消えたからと言っても、あやめの中から常識などが完全に消えてしまったわけではなく、彼女は自分の言動や行動のギャップの数々に苦しみ、戸惑い始めます。当然、彼女の奇行とも言える姿は狭い村の中ですぐに噂となり、広まってしまう。誰かと話すだけで信じられないような言葉を平気で言ってしまうあやめは、自分に歯止めが利かなくなっていることを悟ったのか、遂には家に引きこもってしまうのです。
あやめが本来持っていたはずの痛み、恐怖心は、ただ両親を失っただけのものではありませんでした。彼女は両親が事故死した車に同乗しており、一人だけ助かった中、救助されるまでの12時間を、死に絶える両親と、その死体と共に過ごしていた言います。絶望的な状況と現実は巨大な恐怖心となり、それが深々とあやめの心に傷を付け、痛みとなっていた。これ以上にないと言うぐらいの。にもかかわらず、森羅はそうした深い事情を知ることもなく、痛みを取り除くのは良いことだと、あやめから恐怖心を奪ったのです。
そして恐怖という痛みを失った徐々に壊れていき、遂には崩壊寸前まで来てしまった。責任を感じざるを得ない森羅はあやめに本当のことを、自分があやめを壊してしまったのだという事実を告げますが。もはや感情を殺すことでしか自分を保てなくなったあやめは、さしたる動揺さえ見せませんでした。けれど、彼女は森羅に言うのです。「責任を取ってください」と。
村の中で完全に居場所を無くしたあやめは、自分と共に逃げて欲しいと森羅に告げます。それが彼女が彼に課した責任の取り方であり、森羅としては応じざるを得ません。だけど、彼は何もせずにあやめと逃げることを潔しとはせず、一計を案じて透香に相談を開始します。上手く行くかは分からないが、彼としては別の責任の取り方を、あやめを元に戻すことをしたかったのでしょう。あやめとの逃亡計画に同意しつつも、彼は独自に行動を開始します。だけどそれと同時に、彼は本当にあやめと逃げることになるのなら、それでも良いかと、妹の恋でさえ捨てていく覚悟を決めていました。自分と恋のために天領村へと逃げてきたのに、その恋を捨てて別の女とまた逃げ出すという。何とも自分勝手な話だし、私も正直オイオイと思ったけど、それほどまでにあやめへの気持ちが強くなっていたのでしょう。
そして逃亡する日、バス停で待っていたあやめの元に駆け寄る森羅。本当ならばここに透香が現れ、彼女と立てた作戦が決行されるはずだったのだけど……そこに現れたのは、凶刃を手にした恋だった。包丁を片手に森羅を切りつけ、自分を捨てて逃げようとする森羅を取り戻しに来たのです。かつてminoriのイベントで、「あやめルートは火サス」と言われていた意味が分かりました。恋はサスペンス劇場も真っ青な憤怒を持って森羅の前に現れ、自分を捨てた彼を許そうとはしません。
その憎悪と迫力に森羅は圧倒されますが、そんな中にあっても、あやめは無感情で、一切の恐怖心を持たずに恋と接しました。だって怖くないから。包丁を向けられても、自分が殺されそうになっても、彼女は怖いと思うことが出来なかった。それは頭の中から骨の髄まで、彼女が壊れてしまっている証明でした。森羅は自分のしでかしたことの重大さを改めて悟る。
あやめはずっと、ここでは無いどこかに行きたかった。両親が死んでしまったときから、元々都会への憧れもあったにせよ、彼女が翠ルートなどで村の外へ出ることを希望していたのには、そうした理由もあるのです。けどそれは、何も都会で無くてもよくて、極端な話、あの世でも構わなかった。死ぬことへの恐怖など、あやめの中からはとっくに消えていたから。
絶望的な状況の中、それでも森羅はあやめに向かって叫びます。彼女を諦めたくない、壊れたまま死んでいこうとする彼女を救いたい一心で。彼の発言自体は本当に陳腐で、大けどそれだけに分かりやすく、心に響くものがあった。自分が森羅のために死ぬこと、森羅が自分のために死ぬこと。誰かのために死ぬこととは、かつてあやめが最低だと思った、両親の最後に被るものでした。あやめが死ぬぐらいなら自分が死ぬと言って、本当に死んでしまったあやめの両親。残された彼女が負った傷と痛みは大きく、大きすぎて、僅かに残った欠片が、彼女の壊れていた恐怖心を呼び起こした。消え去った両親の死に対する恐怖心が、森羅と一緒にいられなくなるという新たな恐怖心によって、置き換えられたのです。
膝を付き泣きじゃくるあやめは、もはや完全に恐怖へ支配されていました。森羅と恋はそれに気付き、だけどあやめを許す気が無い恋はそのまま凶刃を振り下ろす。死は、彼女が望んでいたことのはずだから。
森羅はその凶刃を止め、もはや妹以上にあやめが大切である事実と、あやめを害するなら恋とて許さないと言い切ります。彼は本気で、本気すぎて、だから恋も凶刃をあっさりと、拍子抜けするほどあっさりと引っ込めてしまった。驚く森羅の前に透香が現れ、恋によって排除されていたと思われた彼女は、実のところ恋と一緒に一計を打っていたのです。本来の森羅の作戦は自分が死んだことにして、曲がりなりにも彼氏の死という事実であやめに恐怖心を取り戻させることでしたが、それに気乗りしなかった透香と、事情を知った恋の「ぬるすぎる」という判断から、まるで火サスのような修羅場劇へと急遽変更されたのだという。結果、あやめは見事恐怖心を思い出し、彼女は村を出る必要が無くなったというわけです。
恋はあやめへの敗北を認めていましたが、森羅としては一つだけ気になることがあった。つまり、恋はどこまで本気だったのか? あれは本当に全部芝居だったのか、といういこと。そんな疑問に対し、恋はどこまで明るい笑顔で、「どう思う?」と逆に聞き返すのでした。思わず聞きたくないと返す森羅ですが、長い付き合いである彼には分かってしまったのでしょう。妹はどこまでも、本気だったと言うことに。
あやめルートは、あやめという少女を通して森羅の持つ能力の側面を見せたシナリオでした。痛みを失うこと、恐怖心が無くなることの意味、そんな人間はどうなってしまうのかという、能力の空回りが表現されています。痛みを移すことは、少なくとも相手にとって都合の良いことだと思ってきた森羅の先入観や前提が、ここで大きく崩れるわけです。自分が痛い思いをすれば、誰かしらを助けられると信じていた少年にとって、それは衝撃的な経験だったでしょう。勿論、恋ほどの力があれば別の結果が生まれていたかも知れないけど、要するに森羅は失敗したのです。それを取り戻すために彼は奔走し、悩み、考え、結果連や透香の力を借りて成し遂げることが出来た。
昨日の翠ルートもそうだけど、この二人のシナリオには森羅の能力が間接的、あるいは直接的に絡んでこそいるものの、能力そのものに焦点が当たるわけではありませんでした。あくまでヒロインが抱えているもの、もしくは失ったものに対して森羅が向き合う話であって、それは自分自身には深く言及されてないんですね。彼女たちに対する想いや気持ちは別としても。だから、そういった部分、つまり核心に触れるのは、残り二人のルートで無くてはならなかった。だからこそ、翠やあやめは夏ペルという作品に置いて、脇役でありサブヒロインだったのでしょう。
明日は恋ルートについて書きます。最後にやりたかった彼女のルートを何故先にやることとなったのか、その辺りも含めた上で、恋のシナリオについて書いていこうと思います。私にとっては、遠野恋という少女こそが夏ペルの象徴であり、自分にとっての一番であるという気持ちは変わりません。あらゆることに先んじて、そのことだけは先に書いておきましょう。
あやめルートは、先に結論から言ってしまえば人の痛みとはなにか? ということだと思いました。翠が抱えていた物理的と見せた精神的、あるいは感情的な痛みと違い、あやめのそれは心理的な側面の強いものです。あやめは両親を交通事故で亡くしており、それが心の傷となっている少女です。普段のどこか間の抜けた態度からは想像も付きませんが、あやめは共通ルートの時点で「家ではよく寝られない」など、片鱗自体は見せているんですよね。
森羅はそんなあやめの心の傷を癒やしたいと考えるわけですが、このルートは、森羅があやめに好意を持つ理由が少し弱いような気がしました。森羅とあやめは共通パートでラッキースケベ的なイベントはあるものの、個人間としての付き合いは薄い方でしたし、好意を持つ、惚れるまでの過程がやや駆け足だったように思えなくもない。まあ、あやめは村一番の巨乳で、箱入りのお姫様ですから、一目惚れをしたのだと言われても、別段不思議ではないんですけど……翠はさ、昨日の感想にも書いたとおり親戚だし、性格的な面からも好感を持つ部分が多いと思うし、透香は体験版通りならば別の目的があるから、ルートへ進むことへの違和感がないのだけど、あやめだけは唯一そういうのを感じてしまったかも知れない。描写が丁寧じゃないというより、さて、森羅というキャラはあやめに好意を持って、命がけで惚れるのだろうか? なんていう疑問が生まれてしまったんだよね。勿論、あやめも良い子だけどさ。
恋によると、力の強い彼女が他人の精神的な痛みも自分に移すことが出来ると言います。力の弱い森羅は、未だかつてそうした経験はなかったわけだけど、仮にもし自分にも同じ事が出来れば、あやめの心の傷を、両親を失った痛みを癒やせるのではないか? と考えます。過去から今に至るまで、多くの人の痛みを自分に移してきたであろう森羅にとって、痛みが無くなるというのは相手にとっては良いことなのだという大前提があったし、物理的な傷でないのなら自分がそれほど痛みを負うことはないとも思っていました。
あやめに惹かれていることは事実であり、そんな彼女の力になりたい、そして、自分の力を誰かのために使いたいという願望を持っていた森羅は、あやめに対して能力を発動し、その心の傷を、痛みを自分へと移してしまうのです。
ここで、全く関係ない作品ですが、昔ナースエンジェルりりかSOSという魔法少女系のアニメがやっていました。もう、17年も前のアニメだから知っている人も少ないとは思うけど、私が特に好きな話に、敵の幹部デューイと最後の決闘を行うというものがあります。デューイは強敵であるナースエンジェルを倒すべく、敵の親玉であるブロスから不死身の肉体を授かり、あらゆる攻撃を物ともしない脅威の強さを見せ付けました。しかし、りりかの必殺技を何度も食らう内に段々と様子がおかしくなり、遂に激しい痛みに発狂し始めます。そう、デューイは決して不死身になどなったのではなく、ブロスによって身体から痛覚を消されていたに過ぎなかったのです。やがて限界を迎えた身体は崩壊を始め、見捨てることが出来なかったリリカによって助けられます。
この話に置いて重要なのは、リリカの優しさは勿論ですが、人にとって痛みというものが、極めて必要な感覚であるということです。人は痛みを感じることが出来るからこそ、成り立っている部分もある。痛みに気付かない、痛みを忘れてしまった人間は最終的にどうなるか? デューイが死の淵へ落ちそうになったように、必ず壊れるでしょう。
話を夏ペルに戻して、森羅はそういったことへの思慮が足りませんでした。痛みがなくなるのは良いことだ、自分なら両親の死という悲しい記憶とと心の傷を負ったあやめを癒やすことが出来ると考えた森羅は、見事能力を使用して彼女の中にある痛みを、両親が死んだ事によって生まれた強い恐怖心を自分の中へ移すことに成功してしまいます。だけど、森羅が成功を実感する間もなく、あやめはどこか惚けたように帰宅してしまい、次の日は学校に中々現れないなど、早くも変化が現れ始めた。
昼になって登校してきたあやめは、明らかに普段と変わっており、透香よりも自分のやりたいことを、自由気まま、勝手気ままにやるという性格に変貌していました。あまりに変わりように驚く周囲ですが、森羅は当然自分の能力の影響であると思いましたし、恋もそれに気づき、事情を知っている翠でさえ疑い始めます。
そして、この三人によって話し合いの場が持たれ、恋は森羅にあやめの精神的な傷や痛みを移すに当たって、「実験や練習はしたのか?」と尋ねます。そんな発想があるわけもなかった森羅は戸惑いますが、自分の能力について研究をしてきた恋は、精神的な傷や痛みを移すことの危険性を森羅に教えます。彼女自身は、森羅に対して実験を行っていたなど、とんでもないことを言いますが、今はそれよりもあやめのことです。翠の話では、現在のあやめは猟人が事故死する前のテンションに近いとのことで、これは両親が亡くなったという事実が、あやめにとって重しや足枷になり得なくなったことを意味します。それだけ聞くと良いことのように聞こえますが、実際に森羅があやめから移した、いや、奪ったものは、そんな単純ではなかったのだから。森羅は両親の死という、大抵の人にとって究極的な痛み、恐怖心というものをあやめの中から奪ってしまっていたのです。だから、あやめは何に対しても恐れを抱くことがなくなり、学校には遅刻するし、サボるし、周囲が聞いたらビックリするようなこと当然言うし、やるのです。そうした中で、あやめは森羅に告白し、彼を取られまいと彼氏彼女の関係になってしまうのです。
けれど、恐怖心を失ったあやめの人格は、徐々に壊れ始めます。いくら恐怖心が消えたからと言っても、あやめの中から常識などが完全に消えてしまったわけではなく、彼女は自分の言動や行動のギャップの数々に苦しみ、戸惑い始めます。当然、彼女の奇行とも言える姿は狭い村の中ですぐに噂となり、広まってしまう。誰かと話すだけで信じられないような言葉を平気で言ってしまうあやめは、自分に歯止めが利かなくなっていることを悟ったのか、遂には家に引きこもってしまうのです。
あやめが本来持っていたはずの痛み、恐怖心は、ただ両親を失っただけのものではありませんでした。彼女は両親が事故死した車に同乗しており、一人だけ助かった中、救助されるまでの12時間を、死に絶える両親と、その死体と共に過ごしていた言います。絶望的な状況と現実は巨大な恐怖心となり、それが深々とあやめの心に傷を付け、痛みとなっていた。これ以上にないと言うぐらいの。にもかかわらず、森羅はそうした深い事情を知ることもなく、痛みを取り除くのは良いことだと、あやめから恐怖心を奪ったのです。
そして恐怖という痛みを失った徐々に壊れていき、遂には崩壊寸前まで来てしまった。責任を感じざるを得ない森羅はあやめに本当のことを、自分があやめを壊してしまったのだという事実を告げますが。もはや感情を殺すことでしか自分を保てなくなったあやめは、さしたる動揺さえ見せませんでした。けれど、彼女は森羅に言うのです。「責任を取ってください」と。
村の中で完全に居場所を無くしたあやめは、自分と共に逃げて欲しいと森羅に告げます。それが彼女が彼に課した責任の取り方であり、森羅としては応じざるを得ません。だけど、彼は何もせずにあやめと逃げることを潔しとはせず、一計を案じて透香に相談を開始します。上手く行くかは分からないが、彼としては別の責任の取り方を、あやめを元に戻すことをしたかったのでしょう。あやめとの逃亡計画に同意しつつも、彼は独自に行動を開始します。だけどそれと同時に、彼は本当にあやめと逃げることになるのなら、それでも良いかと、妹の恋でさえ捨てていく覚悟を決めていました。自分と恋のために天領村へと逃げてきたのに、その恋を捨てて別の女とまた逃げ出すという。何とも自分勝手な話だし、私も正直オイオイと思ったけど、それほどまでにあやめへの気持ちが強くなっていたのでしょう。
そして逃亡する日、バス停で待っていたあやめの元に駆け寄る森羅。本当ならばここに透香が現れ、彼女と立てた作戦が決行されるはずだったのだけど……そこに現れたのは、凶刃を手にした恋だった。包丁を片手に森羅を切りつけ、自分を捨てて逃げようとする森羅を取り戻しに来たのです。かつてminoriのイベントで、「あやめルートは火サス」と言われていた意味が分かりました。恋はサスペンス劇場も真っ青な憤怒を持って森羅の前に現れ、自分を捨てた彼を許そうとはしません。
その憎悪と迫力に森羅は圧倒されますが、そんな中にあっても、あやめは無感情で、一切の恐怖心を持たずに恋と接しました。だって怖くないから。包丁を向けられても、自分が殺されそうになっても、彼女は怖いと思うことが出来なかった。それは頭の中から骨の髄まで、彼女が壊れてしまっている証明でした。森羅は自分のしでかしたことの重大さを改めて悟る。
あやめはずっと、ここでは無いどこかに行きたかった。両親が死んでしまったときから、元々都会への憧れもあったにせよ、彼女が翠ルートなどで村の外へ出ることを希望していたのには、そうした理由もあるのです。けどそれは、何も都会で無くてもよくて、極端な話、あの世でも構わなかった。死ぬことへの恐怖など、あやめの中からはとっくに消えていたから。
絶望的な状況の中、それでも森羅はあやめに向かって叫びます。彼女を諦めたくない、壊れたまま死んでいこうとする彼女を救いたい一心で。彼の発言自体は本当に陳腐で、大けどそれだけに分かりやすく、心に響くものがあった。自分が森羅のために死ぬこと、森羅が自分のために死ぬこと。誰かのために死ぬこととは、かつてあやめが最低だと思った、両親の最後に被るものでした。あやめが死ぬぐらいなら自分が死ぬと言って、本当に死んでしまったあやめの両親。残された彼女が負った傷と痛みは大きく、大きすぎて、僅かに残った欠片が、彼女の壊れていた恐怖心を呼び起こした。消え去った両親の死に対する恐怖心が、森羅と一緒にいられなくなるという新たな恐怖心によって、置き換えられたのです。
膝を付き泣きじゃくるあやめは、もはや完全に恐怖へ支配されていました。森羅と恋はそれに気付き、だけどあやめを許す気が無い恋はそのまま凶刃を振り下ろす。死は、彼女が望んでいたことのはずだから。
森羅はその凶刃を止め、もはや妹以上にあやめが大切である事実と、あやめを害するなら恋とて許さないと言い切ります。彼は本気で、本気すぎて、だから恋も凶刃をあっさりと、拍子抜けするほどあっさりと引っ込めてしまった。驚く森羅の前に透香が現れ、恋によって排除されていたと思われた彼女は、実のところ恋と一緒に一計を打っていたのです。本来の森羅の作戦は自分が死んだことにして、曲がりなりにも彼氏の死という事実であやめに恐怖心を取り戻させることでしたが、それに気乗りしなかった透香と、事情を知った恋の「ぬるすぎる」という判断から、まるで火サスのような修羅場劇へと急遽変更されたのだという。結果、あやめは見事恐怖心を思い出し、彼女は村を出る必要が無くなったというわけです。
恋はあやめへの敗北を認めていましたが、森羅としては一つだけ気になることがあった。つまり、恋はどこまで本気だったのか? あれは本当に全部芝居だったのか、といういこと。そんな疑問に対し、恋はどこまで明るい笑顔で、「どう思う?」と逆に聞き返すのでした。思わず聞きたくないと返す森羅ですが、長い付き合いである彼には分かってしまったのでしょう。妹はどこまでも、本気だったと言うことに。
あやめルートは、あやめという少女を通して森羅の持つ能力の側面を見せたシナリオでした。痛みを失うこと、恐怖心が無くなることの意味、そんな人間はどうなってしまうのかという、能力の空回りが表現されています。痛みを移すことは、少なくとも相手にとって都合の良いことだと思ってきた森羅の先入観や前提が、ここで大きく崩れるわけです。自分が痛い思いをすれば、誰かしらを助けられると信じていた少年にとって、それは衝撃的な経験だったでしょう。勿論、恋ほどの力があれば別の結果が生まれていたかも知れないけど、要するに森羅は失敗したのです。それを取り戻すために彼は奔走し、悩み、考え、結果連や透香の力を借りて成し遂げることが出来た。
昨日の翠ルートもそうだけど、この二人のシナリオには森羅の能力が間接的、あるいは直接的に絡んでこそいるものの、能力そのものに焦点が当たるわけではありませんでした。あくまでヒロインが抱えているもの、もしくは失ったものに対して森羅が向き合う話であって、それは自分自身には深く言及されてないんですね。彼女たちに対する想いや気持ちは別としても。だから、そういった部分、つまり核心に触れるのは、残り二人のルートで無くてはならなかった。だからこそ、翠やあやめは夏ペルという作品に置いて、脇役でありサブヒロインだったのでしょう。
明日は恋ルートについて書きます。最後にやりたかった彼女のルートを何故先にやることとなったのか、その辺りも含めた上で、恋のシナリオについて書いていこうと思います。私にとっては、遠野恋という少女こそが夏ペルの象徴であり、自分にとっての一番であるという気持ちは変わりません。あらゆることに先んじて、そのことだけは先に書いておきましょう。
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