スカイ・ワールドも4巻目ということで、結構刊行ペース早いですね。まあ、ラノベはコンテンツとしての速度が求められる媒体だから、それほど珍しいというわけでもないのだろうけど、めっきりラノベというものを買わなくなった私も、この作品は読んでいます。なんていうか、文章に対する安心感があるというか、メタフィクション的な部分を除けば、割としっかりした内容だと思うのですよ。読み手に読ませる小説というか、簡単にいえば文章や物語がイラストに負けていない。これって結構重要なことだと思う。

メタフィクション的な部分といったけど、私の言いたいことは性格にはメタとは違う部類のもの。なんて説明したらいいのかわからないのだけど、例えばラノベ作品がひとつあるとして、その中で22世紀からやってきた、ふしぎなポケットを持つ猫型ロボットの話をしたとしましょうか。誰がどう見てもドラえもんのことだし、中にはぼかさずにドラえもんという単語を持ち出す作品だってあると思います。別にドラえもんでなくても、サザエさんでもアンパンマンでもいいが、これら所謂国民的アニメの話題を作中で持ちだしたとしても、読者はそれほどの違和感を受けないでしょう。
でも、よくよく考えて見ればこれは少しおかしい。何故なら、読者である私たちは読んでいるラノベがフィクション、つまり現実のものでないことを知っています。だけど、ドラえもんやサザエさんといった作品が私達の現実において放送されている作品であることを知っている。でもそれは、ラノベ作品というフィクションの非現実の中にも存在するというのだ。
これが逆だったらどうか? ある日突然、ドラえもんの中で宇宙人、未来人、異世界人に超能力者を探している女子高生の話題が出てきたとしよう。要するに涼宮ハルヒな訳だが、ドラえもんという作品内にハルヒという存在が出てきたとしたら、視聴者たる我々は酷く違和感を覚えるのではないか? ハルヒにドラえもんの話題が出てきても、ほとんど違和感など沸かないにもかかわらずだ。

この感覚の違いを、私は上手く説明できない。知名度の差だと言ってしまえば楽なんだろうが、ラノベにおけるそういった描写に対する抵抗感のようなものがあるのかもしれない。今回、スカイ・ワールドの4巻を読んでいて思ったのだが、この作品は結構ゲームやアニメなどの有名作品を、ぼかすことなく書いてくる。MMORPGと、ゲーム内が舞台の作品だから、過去のゲーム作品をネタにするのは別段おかしなことでないのかもしれないが、ヒロインの一人がBTOOOM!の話題を口にしたとき、私はそれなりに困惑した。
BTOOOM!とは去年アニメを放送していた漫画原作の作品だが、こんなにも最近の作品を、さも当然のように例として出されることへの疑問というのがある。つまり、スカイ・ワールドとはBTOOOM!や、過去に例を出した女神転生や魔導物語など、そういった作品が現実のものとして存在する世界観ということになる。これが、所謂オタク系のパロディ小説なら、単なる手法の一つとして受け入れられるのかもしれないが、スカイ・ワールドはオンラインゲームを舞台にしているとはいえ、割と正統なファンタジー小説だ。そこにふと、自分たちの現実が混ざってくることで、急に作品世界から追い出されるような、冷めた気分になってしまうのはなぜか?
ナルニア国物語のクローゼットの話題ならよくて、どうしてBTOOOM!はダメなのか。自分でも説明ができない感覚だけに、それが良いのか悪いのかさえ分からない。あるいは私だけが感じている、他の人は気にもとめない些細な事なのかもしれないけど、なんかモヤモヤするんだよね。

物語としては今回も文句なしに面白かったです。最近のラノベの例に漏れず、この作品にも恋愛要素や恋愛模様があるのだけど、王道的なファンタジー小説を展開するに際して、それが少しも邪魔になってない、もっと言えば取ってつけたような感じがしないというのは、やっぱり作者の力量なんでしょうね。ラブコメがメインのラノベというのは、主人公がヒロインの誰かを選んだ瞬間に作品が終わってしまうので、難聴やら何やらを駆使して、延々と勘違いや鈍感で話を引き伸ばしていくものですが、スカイ・ワールドに関して言えば、決着が付くんじゃなかろうかと思っている。かすみかサクヤかは、まだ分からないけど。

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