昨日と今日、都内某所で朗読劇というものを観劇していました。私は特に演劇畑というほどではないですが、元々お芝居は結構好きで、主に喜劇とSFを中心に観ることがあります。それは例えば大劇場で上演されるようなものであったり、あるいは小さな、それこそ十数人も入れば一杯といった箱という場合もあります。今回の朗読劇は後者に分類されるもので、しかも普通の芝居でなくて朗読劇ですから、全体的にこざっぱりとした印象でしたね。お世辞にも広い会場じゃないし、窮屈さがなかったと言えば嘘になるけど、それだけに演者との距離が近く、朗読ですか、言葉の一つ一つがズシンと来ましたね。

では、そんな2日間を振り返ってみましょうか。

夏の海で逢いましょうと題された朗読劇は、声優プロダクションのガジェットリンク所属の面々が中心となって行った催し物だ。今の私は既に声優ファンと呼べるほどの存在ではないけれど、今回は少なからず縁があり観客として参加した。観劇は久しぶりだったが、元より芝居は好きだ。朗読劇だと差ほどの違いはあるかも知れないが、だからといって観ない理由にはならない。
公演は全部で三回、28日の夜と、29日の昼と夜。私は全公演を予約したが、結局行くことが出来たのは両日の夜だけだった。つまり、初日と千秋楽ということになる。二日間しかないので当たり前だが、それが却って印象的だったかも知れない。昼公演に行けなかったのは、前日に映画の最速上映を観た際、終電も始発もないようなみなとみらいから、横浜まで歩いたのが原因らしかった。大した距離ではなかったはずだが、どうにも足の裏が痛く、上手く歩けない。実は28日の夜にはそうした異常に気付いていたのだが、筋肉痛か、もしくは歩き詰めで疲れただけだろうと放置していたのだ。
まあ、そんな私の身体が惰弱だという話はどうでも良いとして、まずは28日の夜から。朗読劇の会場になったのは江古田という街にある、小さなイベントスペースだった。兎亭、という名前だったか、駅から少し歩いた、住宅街の中にあるところだ。初見では如何にも迷いそうな場所だったが、事前に朗読劇の主催側が写真付きの道順をブログにアップしていたから、私はそれを参照することで迷わず着くことが出来た。ただ、これもどうでもいい話だが、観劇前に地元で散髪をしていたので、到着時間が少し遅れ、着いた頃には開場時間を僅かに過ぎていたと思う。

予約名を告げて、2000円のチケット代を払う。小さな舞台としては、まずまずの価格だろう。事前に聞いていた公演時間は1時間と少し。大劇場でもない、まさに小屋という場所で行うなら、その時間も納得のいく話だ。イスはパイプイスかと思ったが、色々な大きさ、形をしたものが数種類、小さい順に前から並んでいた。それはそれで面白く、尚且つ最前列も空いていたのでそこに座ろうかと思ったが、最前列のイスは背もたれもないような小さなイスだった為、私は二列目の真ん中へと腰掛けた。お世辞にも座り心地が良いとは言えないが、一時間程度なら我慢出来ないこともない。それに、多少の固さなど面白い芝居の前では気にならなくなるはずだ。
開演時間は少なからず押した。19時開始が、19時10分だったか。まあ、この程度なら誤差の範囲内だろう。飲み物の購入を勧められるも、あいにくと私には持ち合わせがあまりなかった。
朗読劇そのものは、短編というべき話が3本立ての構成だった。連続している訳でもなく、オムニバスでもない、全く関係の無い話。しかし、全体を通してのテーマというのか、そういうのは少なからず見えたように思える。1本につき20分程度、朗読劇としてはこれが長いのかどうか、基準を知らない私にはなんとも言えなかったが、私は元々ラジオドラマを聴いて育った世代なので、話が短く綺麗に、コンパクトに纏まっているのはなかなかに好感が持てる。シンプルなものが好きなのだ。派手さに感動を覚えることは勿論あるし、臨場感に胸をときめかせることもあるだろうが、私の根底はシンプルさを求めている。まあ、友人に言わせればそれは淡泊さの表れなのだというが。

話を朗読劇に戻そう。折角だから、3編それぞれの話について感想を書きたい。

最初に上演された「愛でしょ、愛」は、話の完成度としては最も優れていたように思える。原作は山本文緒の小説だそうで、この人はコバルト文庫で活躍していた少女小説家だ。今も一般文芸で活躍している現役女流作家だが、私はコバルト文庫の方が馴染み深い。まあ、この作品は角川文庫の収録作品らしいが。
話の内容としてはこうだ。田舎に住んでいる母親が、東京で生活している娘の元へ訪ねに行く。東京のデザイン学校に通った後、デザインの仕事をしていると思っていた娘が、親に隠れてレディースコミックで活躍する漫画家になっていたからだ。今日日、なかよしやりぼんでさえ、本当にこれを小学生が読むのかと思ってしまう程だ。本物のレディースコミックなど、それこど下手な成人漫画よりも色気とエロスがある。
母親はそうした現実にショックを受け、娘を問い詰めに行く訳だが、そこで娘の暮らしぶりと仕事ぶり、彼女を慕うアシスタントの言葉を聞くなどして、最終的には考えを改めるというのが話の大筋になる。全体的に性的なもの、まあ、ハッキリ言ってしまうとセックスというものへの考え方がテーマとして見え隠れしており、台詞だけでも何度出てきたか分からない。母親もそうだが、観客だって若い娘さんからそういう言葉が繰り返されるのはショックだったろう。私は……まあ、なんとも言えないが、しかし、この言葉が結構面白いのだ。タイトルにもあるとおり、この話の絶対的なテーマはなのだと思うが、最初は母親が否定し、いやらしく、不潔に感じていたセックスという言葉が、話が終わる頃、つまり母親が娘のことを認め、考えを改める辺りになったら、まるで不快に感じなくなっていたのだ。これはもう、母親役の役者が凄いとしか言い様がない。序盤から終盤に掛けての感情の流れを上手く演じており、観客である私も感情移入していたからこそ、ラストに共感することが出来たのかも知れない。

2本目は「Re:きみに…」というタイトルの作品で、東京ポップシップという劇団が公演していた芝居が原作のようだ。おそらく、原作は声劇ではないのだろう。原作元の公演情報を見た限り、この朗読劇には登場しないキャラと思わしき名前が幾つかあった。それを朗読劇用に脚色したのだろうが、この話も結構良かった。内容としてはありきたりな、どこかにありそうな青春話で、登場人物はすべて学生だ。
主人公がヒロインに呼び出され、愛の告白でもされるのかと思いきや、実際にされたのは相談だった。ヒロインは主人公の親友から告白され、それに悩んでいたというのだ。この親友、別に悪い奴じゃない。いじめられっ子がボクシングに打ち込んで、めきめきと力を付けて今じゃボクシング以外のことは考えられないというスポーツバカ。話だけ聞くと堅物言うイメージがあるものの、少年らしい恋心も持っていたようで、ヒロインに惚れて告白をしたという訳だ。主人公にとっては親友であり、当然気の良い奴だということを知っている。迷うぐらいなら付き合ってみたらどうだと、思わず親友の恋を応援する訳だが、ヒロインは乗り気じゃない。親友……コウイチという名前なのだが、彼のことが嫌いではないのだが、付き合うことが出来ないのだという。
詳しい理由や事情も分からぬまま、しかし、協力することだけは約束して、その日以来主人公とヒロインの仲は深まっていく。よくある話で、二人はこれが縁で仲良くなり、周囲からは付き合っているとしか思えないほどになる。しかし、忘れてはならないのが、この二人の関係はあくまで主人公の親友、コウイチの恋心の上に成り立っているということだ。いつまでも告白の返事をしない訳にはいかない。ヒロインは一つの想いを旨に、その告白を断ることにした。
実は、ヒロインがコウイチの想いに答えることが出来なかったのは、彼女の友人が彼のことを好いていたからだ。自分が受け入れれば、彼に恋する友人との関係が壊れてしまう。主人公に相談を持ちかけた根本的な理由も、そこにあるのだろう。だけど、今のヒロインにとってそれはいい訳に過ぎない。だって彼女は、既に主人公のことが好きになっていたから。そして、主人公もそれは同じだった。
しかし、主人公がヒロインの気持ちに応えると言うことは、即ち親友を裏切ることになる。ヒロインが友人に感じた後ろめたさと、殆ど変わりが無いものだ。主人公は迷い、悩みながら、自分の気持ちに蓋をする決意をするのだが……そこにヒロインの友人たちがやってきて、話は思わぬ方向に進んでいく。オチは敢えて書かないことにするが、決してハッピーエンドという訳じゃなかった。青春ものとしてはありきたりな話だが、主演を務めた役者がなかなかに演技達者で、声の通りが良かった。ヒロインを演じていた娘さんも、若い頃の白鳥由里みたいな瑞々しいヒロインボイスをしており、それも印象に残った。
ところでこの作品、主人公の親友であるコウイチとやらは、遂に出てこないで話が終わった。いや、役者が割り当てられていないだけで実際には出てきているのだが、まるでコウイチの役者もその場にいるような、そんな強いイメージが私の中に残ったのは、主人公を務めた役者の力量だと思う。

そして最後の作品、朗読劇の表題作である「夏の海で逢いましょう」だが、これはネットで台本が公開されていた。元々、声劇用に書かれた作品ということで、まさに朗読劇に打って付けの内容という訳だ。登場人物は先の2本に比べて極めて少なく、主人公の少女と、彼女が出会う女性の2人だけだ。実際の台本にも、それ以上のキャラクターは存在しない。
話の内容も至ってシンプルだ。家庭や学校生活に問題を抱える少女が、大好きだった祖母の死を受け止めきれず、涙を流すことが出来ずにいた。両親や親戚連中はそんな少女を白眼視し、それに耐えきれなくなった少女は通夜の席を抜け出して、近くの浜辺で一人の女性に出会う……
なんというか、この作品は多くを語は野暮といった感じがして、なかなか感想を書きづらい。シンプルで分かりやすく、小綺麗に纏まった良い作品だった。愛しき人の死と、それに対する向き合い方。どの作品もテーマ性は強く、そして重たいものが多かったが、希望や展望という意味では、それなりに明るいラストを迎えていたと思う。10代の少女が抱える葛藤、悩み、息苦しさ。主演を務めたのは石原舞という声優だが、彼女はやはり、心に色々と抱え込んでいる少女を演じるのが上手い。何かを吐き出したい、でも、言葉にすることが出来ない。誰かに聞いて貰いたい。けど、誰も聞いてはくれない。そうした少女の積もり積もった感情と、それを吐露する瞬間はかなり見応えが合ったように思う。
そんな少女の感情を受け止める女性の役者も見事だった。諭す訳でもなく、叱る訳でもなく、しかし、話を聞いてくれる。少女には、そういう存在が必要だったのだ。
少女が枯れていた涙を取り戻し、泣きじゃくるシーンがある。熱の入った演技だと思ったが、顔を上げた石原舞が実際に泣いていたのが印象深かった。あぁ、役者だなと、素直に感じ入ることが出来た。

これらの感想は主に初日のものだが、千秋楽もそれほど違いがある訳じゃ無い。ただ、一度聞いた話だったからか、今度は役者の演技により着目出来たように思う。知り合いが幾人か来ていたので挨拶もしたが、終演後は互いに用があるということで少し話をするだけで分かれた。江古田は軍鶏が美味しいというので興味もあったが、それはまた別の機会にしよう。横浜に帰り、メロンとゲマ屋が閉まっていたのでとらで少し買い物をして、桜木町で友人にCDを渡した後、私は家に帰った。
おそらく年内に芝居を観に行くことなどもうないだろうが、久々に観劇を楽しむことが出来た。また、次回の公演に期待することとしよう。

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