実は最終回の上映回に行ったんですよ。たまたまチケットの発売日に新宿行く用事があって、角川シネマ新宿が近かったので買っておいたんです。アニメの最終回先行上映というのは、今時それほど珍しいことではないのだろうけど、私がその手のものに参加するのはこれが初めてで、最初がこの作品になるというのは自分でも少し意外なところがありました。
確かにアニメは毎週視聴していたけど、そこまで思い入れがある訳ではなかったし、正直、チケットを買うことにも迷いがあって、殆どその場の勢いとノリだった気がする。

失われた未来を求めてという作品は今から4年前、2010年の11月末に発売されたエロゲです。当時はそう、ヨスガノソラのアニメが放送していた頃で、私がヨスガ以降のエロゲを探し求めていた時期でもある。
原作を買った理由は、ハッキリ言うと覚えてません。多分、絵が好みだったとか、そういう理由なんだと思うけど、購入自体にそれほど大きな決断や、意味はなかったんだと思います。今はもうないメッセサンオーで予約して、ゆいのテレカが付いてきたんだったかな? とりあえず発売日に新品を店で買ったのは記憶しています。まあ、私はよっぽどのことがないと中古でエロゲは買わないのだけど。
プレイは勿論しました。当時はまだ古いPCか、あるいはノーパソを使っていたと思うけど、それも今のPCに買い換えたときアンインストールしてしまったから、一度切りだったと言っても差し支えはないと思う。私にとっては大量に所有するエロゲの一本で、それほど心に深く残っていた訳ではなかった。
でも、何でか手放さなかったんだよね。手放せなかった、と言った方がいいのか、この4年の間に多数のエロゲ買い、その半分ぐらいは売ってしまった中で、この作品はヨスガノソラと同じ棚の、それも奥の方へ大切に保管されていた。存在を忘れていたこともあったし、なにかの拍子に見かけることもあったけど、それをどうこうしようと思ったことは、つい最近までありませんでした。
転機になったのは、勿論アニメ版の放送が開始したからで、「こんな古い作品を今更どうして」という困惑と同時に、そういえば自分がまだ原作を持っていることを思い出して、それで再インストールをしたんですよね。

まあ、原作の話はともかくとしてもアニメ版。最終回を観てきた訳ですが……私はAT-Xにも加入しているから、そちらの方でも視聴済です。言いたいことは色々あるんだけど、まず最初に、簡潔に言ってしまえば私はこの最終回に納得していません。いつも通り理解は出来るんだけど、それを受け入れることが出来ないと言いますか。
先週までの話をすると、タイムリープを繰り返すゆいは佳織の事故を回避するために奔走を続け、その中で過去の奏との関係性が変わってくる。やがて、ゆいに対する恋愛感情を自覚した奏は、告白してきた佳織を振り、ゆいの元に駆けつけた。佳織の事故は回避され、奏はゆいに告白し、ゆいはそれを受け入れるが……過去が変わったことで、ゆいの存在が未来で作られる事実が消え、ゆいは消滅してしまう。
こんな話でしたね。大体の部分で原作通りですから、これについては何も言うべきことはありません。原作におけるここから先の流れをざっと解説すると、やはりアニメの最終回と同じように奏たちはゆいの記憶を失う訳ですが、ふとした拍子に思い出し、皆で一丸となってゆいの存在を取り戻そうと、失われた未来を求めて歩み始める訳です。
先週までが原作通りなんですから、今週、つまり最終回だって原作準拠で行くんだと私は思ってた。だって、その方が流れとしては自然でしょう?
にもかかわらず、最終回に古川ゆいは登場しなかった。主人公に好きだと告白され、ヒロインであるはずの彼女が登場せず、皆が明確に彼女の存在を思い出すこともなかった。つまり、アニメのゆいは原作と違って復活せずに終わる訳です。
では、一体最終回は何をしていたのか? ゆいが復活しないなら、われめてのアニメはどんな最終回だったのだろうか? なんとビックリ、文化祭を開催していました。無論、それだけであるはずはないけど、先週までの奏たち、便宜上3週目の彼らとでも言うべき主人公たちは、普通に文化祭を開催していた。この時点で、私はあれ?っと思った。

それでも先週が先週ですから、私はゆいエンドを疑うことなく上映回で鑑賞を続けました。だって、それ以外にはあり得ないとさえ確信があったから。
開催された文化祭では佐藤聡美演じるオリジナルキャラ、タイアップの主題歌を歌う声優のために用意された女の子ですが、ゆいのクラスメートである彼女が意外な、ある意味では当然とも言うべき活躍を見せます。要は見せ場ですね。
深沢花梨というのが彼女の名前ですが、花梨はゆいのクラスメートで、席が隣席となったことから親しくなり、フルカワニストを自称するほどにゆいとの仲を大切にしていました。彼女は所謂学生アイドルで、学校でも少なからず浮いた存在です。勿論、クラスで仲間外れとか、のけ者にされてるなんてことはなく、普通に会話をする仲ではあるのだけど、やっぱり特別な存在という認識は合ったんだと思う。
ゆいはあの通りの性格で、現代の事情にも疎いから、アイドルである花梨を強く意識してないんですね。クラスメートで隣席の深沢さん、自分が親しくしている人。ゆいにとって、花梨はアイドルよりも、自分にとって親しい人物であることが重要だった。
そんなゆいを花梨がどれほど好ましく思っていたのか、正確なところは分かりません。しかし、彼女は後夜祭を残すのみとなった文化祭の日に、天文学会を訪れます。確かに存在していたはずの、「友達の話」をするために。
深沢花梨というオリキャラを最大限に活かすのであれば、私もこの瞬間しかないと思っていました。奏が自力で思い出さないのはあれだけど、原作だって未来愛理の助けがあって辿り着けた訳だし、その役目が花梨に変わるだけなのだと、そう理解していた。
花梨は友達だったはずの少女について語り、それは天文学会がここ数日間に抱いていた違和感と合致するものだった。さあ、いよいよゆいの復活に向けて動き出すのかと、おそらく劇場にいた誰もが、TVの前にいた視聴者の殆どがそう思ったはずです。少なくとも私はそう信じていたし、そんな自分を一欠片だって疑っちゃいなかった。
なのに、話は私の想像していなかった方向へと進んでしまった……

未来の奏と愛理が登場したとき、今更何故? と感じたのは事実です。彼らは、視聴者の目線で言えば2週の目の奏たち、1話のラストから、9話のラスト近くまで活躍した、最も長く本編におけるドラマをになった主人公です。ゆいの復活に向けて動き出すはずの話が、何故かいきなり彼らにシフトします。
ゆいを作り、過去へと送り出した奏は、「もう必要ないから」とゆいの実験資料をシュレッダーに掛けます。それが自らメスを入れて解剖したゆいの資料なのか、自ら作り出して過去へ送ったゆいなのか、それとも両方なのか。分からないけど、奏はそのデータを抹消してしまった。
未来の愛理はゆいが佳織を助ければ彼女が消滅すること、ゆいがそれを承知で過去に飛んだこと、それさえも分かった上でゆいを過去に送り込んだ奏を非難します。残酷だと。
「あなたにとってゆいは道具なの?」という、愛理の問いかけ。これが3週目の奏ならば、そんなはずはないと答えたでしょう。何故なら彼にとって、3週目の奏にとって古川ゆいは自分が恋して、告白した少女です。彼にとって、ゆいは道具なんかであるはずがない。
でも、この質問を投げかけられたのは2週目の奏だった。佳織に告白され、その答えを返す前に事故が起きた悲劇の男。彼がゆいを作ったのは、本人が言うように佳織を助けるためだった。どんなに言い訳をしようと、弁解しようと、それは事実であり、彼にとって古川ゆいは「佳織を助けるための道具」以外の何物でもなかったのだから。故に2週目の奏は愛理の言葉を否定せず、殆ど弁解しようともしなかった。
そして、ゆいは成功した。でも、それだけで世界は変わらない。世界がやがて収束するというのは理論と言うよりは理屈でしかないし、いきなり周りの景色が変化するような激変が起こる訳もなく……しかし、それでも佳織は目を覚ました。未来の奏は佳織の目覚めに涙し、彼女の言葉を聞き、そして抱き合った。
その頃、3週目の奏は、過去の奏はゆいの存在を僅かながらにもたぐり寄せ、彼女をまた作るために自分の進路を決めた。そして、それで終わりです。エンディング後のCパートもなく、失われた未来を求めてのアニメは終わってしまいました。

アニメ版の最大の特徴は、その本編において古川ゆいが復活しなかったの一言に尽きると思いました。先週までの流れから、原作通りのゆい復活、ゆいエンドを予想していた私としては呆気にとられ、上映終了後は声になりませんでした。ゆいは辛うじて一言台詞があったけど、あろうことか彼女の復活よりも、植物状態となった佳織の目覚めに焦点が当てられてしまったのです。
勿論、事故に遭った佳織は不幸ですし、ゆいが作られた経緯を踏まえれば、あの佳織が目覚めて幸せになる、というのも必要なことでしょう。視聴者にとっても、あの佳織こそが尤も本編で長く、メインとして登場していた訳ですからね。
だけど、それでも佳織は一度救われたじゃないですか。バス事故という悲惨な未来は、先週ゆいによって回避されたはずで、その時点で佐々木佳織は救われているはずなんです。
なのに、どうして最終回で二度も佳織を救う必要があったのか、それが私には分からない。上の理由があるのだとしても、しかし、それならそんな佳織を救うために命を、存在のすべてを賭けて消滅していった、古川ゆいの立場はどうなるのでしょうか? 自分を道具扱いした男の笑顔のためにその身を犠牲にし、花梨と奏以外には明確に思い出されることもなく、復活して学園祭を楽しむことも出来ず……奏に対する恋心を果たしきることも出来ずに彼女の物語は幕を閉じました。
確かに奏の進路から、未来に対する希望や期待はあるのかも知れない。でも、そこに絶対的なものは存在しなし、何よりも奏以外の協力がないという事実が大きい。原作では前述の通り、奏以外の天文学会の皆がゆいのことを思い出し、ゆいが帰ってこられるようにと力を合わせて頑張るんです。

だって、ゆいは天文学会の仲間だから。

私が好きな、ケニーの台詞があります。ゆいをまた作ることに躊躇いを感じる奏を殴り飛ばした際に発した台詞です。
「なぁ、俺はな……本当に馬鹿なんだよ」

「俺にはみんなの言ってることが全然分からないんだ」

「だけど、お前は分かってるんだろ? なんだか知らないが、お前がキーメンなんだろ?」

「だったら、どうにかしてみせろ! お前は俺より頭がいいんだろ!」

「ゆいちゃんがどうにかして帰ってくるなら、俺はそれをみんなで受け入れたい」
天文学会という場所で結ばれたかけがえのない仲間達。それを象徴するかのようなケニーの発言、見せ場をアニメで観ることは出来ませんでした。だって、皆はゆいのことを思い出さなかったから。受け入れるべき仲間達が、ゆいのことを明確に思い出すことが出来なかったから。
私はどうしても、そこに納得が、いや、許せなかったと言うべきか。
何も原作と結末が違うから、という訳じゃありません。勿論、先週までの流れを考えれば原作通りの結末を迎えるのが普通だと思うし、最善だとも感じています。だけど、それ以上にこの結末は消えていった古川ゆいに対して救いがなさ過ぎます。そして、機能停止をして奏たちの実験材料にされたゆいにとっても。
何故、ゆいは復活できなかったのか? 幾度となく続いた残酷な運命の果てに潰えた彼女が救われず、どうして先週の時点で救われたはずの佳織が、また救われているのか。
違うだろう、佳織がメインヒロインなのだとしても、いや、そうであるならば先週の時点でもっと佳織寄りに書くべきだろう。どうしてゆいを助けて上げなかった。彼女に天文学会の仲間達から、奏から差し伸べられるはずだった救いの手を取り上げてしまったんだ。最終回で救わなければいけないのは、佳織じゃなくてゆいだろう!

上映回後のトークショーは本当に面白かったですよ。Twitterでも呟いたけど、友永朱音司会の小気味良いトークで、出演者たちの仲の良さが伝わってきたと言いますか。でも、友永朱音自身は佐々木佳織がメインヒロインであると明言していたし、締めの挨拶もメインヒロイン役である高田初美に渡していた。つまり、そういうことなのだ。
一応、未放送話数、俗に言う13話は存在するらしいけど、これは所謂サービス回らしいので、きっと海かプールか、温泉にでも行くのでしょう。いずれにせよ肌色満載の話だから、最終回後の後日談、なんてことにはならないと思う。後日談だというなら、むしろ最終回こそ、前回の後日談だった。
円盤はきっと買います。1巻予約しちゃったし、買うしかないと思ってる。だけど、アニメの最終回を受け入れることは、多分出来ないと思う。

なんで、どうしてゆいが残した記憶を、想い出に触れなかったのか。

ゆいを復活させるには、原作をやる以外にはない。でも、私はともかくとして、アニメ視聴者にはハードルが高い話です。なればこそ、最終回でゆいを救う必要があったのに……
ゆいを道具にしたのは奏だけど、使い捨てたのはアニメスタッフなのかも知れない。
最後の最後まで、ゆいは佳織のために犠牲となって終わってしまった。私にはそれがどうしても許せない。ゆいが救われる未来を、『君のいる未来』をこのアニメは描くべきだったのだ。

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