いよいよ夏のコミックマーケット80ということで、1日目に参加してきました。ビッグサイトにはCOMIC1でも行ってますから3ヵ月ぶりぐらいですが、コミケに限定すれば8ヵ月半ぶりですかね? まあ、これは毎年変わらないことなんだけど、年に数回でも必ず行く用事があると、それほど懐かしいという気分は感じなかったりします。地元私鉄の始発に乗って、到着したのが6時過ぎぐらいだったかな? 節電で電車の本数は減っているといいますが、流石にコミケ当日の朝は増やすぐらいの勢いじゃないとやってられないみたいです。

私は5~6年ほど前に企業ブースへの興味を減退させており、ここ数年はもっぱら東館から並ぶことが多いです。東待機列が封鎖された際などは西に並ぶこともありますけど、3日目ならまだしも1日目でそんな事態が起こりうるわけもなく、普通に東の立体駐車場へと赴きました。昨年の冬コミからやぐら橋の先にある東と西を繋ぐ陸橋が封鎖されており、東西間の移動が著しく不便になった待機列ですけど、コンビニに用がないのであれば特に問題はないのかな、という印象。私は信号に捕まるのが嫌で、ゆりかもめ組に混ざって陸橋を利用していたんですけど、なんだって封鎖したんでしょうね? 私のような考えのもとに陸橋を使っていた人は少なくないんだろうけど、それが直接的に大きな問題となっていたのかと言われれば……ただの通路だしなぁ。ゆりかもめ組もあそこが使えないと大変だろうに。
到着した待機列は1日目らしい人の入りで、全体的に女性が目立つのもいつもどおりですね。まあ、基本的にコミケなんてものは男性参加者より女性参加者のほうが多いですから、3日目以外はこれが当たり前の光景だったりする。今年は男女ともにタイバニが流行っているというけれど、女性向けでもノマカプなら男性が並ぶことも十分あり得るから、そこら辺がどうなっているのかは少し気になりましたね。なにせ、今回の冊子版カタログほど役に立たないものはないというほど、皆タイバニに転びましたからw
待機列では1度用足しに出掛けた以外は、ずっと前々日に購入した新約禁書の2巻を読んでました。総集編というか説明会でしたけど、それだけにいい暇つぶしとなり、ほとんど禁書読むだけで整列までの時間を稼げたような気がする。暑さも、まあ、辛いことは辛いんですが、我慢出来ないという程でもなかった。元々が汗っかきなので、細目な水分補給を心がけていましたし。

10時になって拍手と共に開催されたコミケですが、実のところ私に目当てらしい目当ては存在しませんでした。これは3日目にも言えることだったんだけど、前述のタイバニを初めてとした流行りのジャンルというものに今回の私は興味がなく、関心も薄かったので、あくまで贔屓のサークルを回ることだけを考えてた。例外として「C」本だけはジャンル買いしようと思ってたけど、あれはそもそも数が少ないからね。
いつもなら真っ先にいくのは魔法探偵社ことまほたんなんだけど、夏はまどか本ということで、まどかを見たことがない私は興味をそそられず一旦はスルーすることに。ここ最近は、なのは本ばっかり出していたサークルですが、例え流行りものであってもジャンル替えしたのは大きかったらしく、スペースはかなり空いてましたね。あんまりにも空いていたので、後々並んじゃないましたけど、なのはメインでやってるサークルって、ジャンル替えが上手くいかないことって多いよね。まあ、それだけなのはが大きなジャンルだったっていうのもあるんだろうけど、まほたんがあそこまで空いているとは信じられなかった。
最初にまほたん行かなかった私が並んだのは、ささ茶屋という壁サークルです。元は島中でCCさくら本を売っていたサークルなんですが、ここの主催は翡翠亭の主である和泉つばすの妹さんで、その縁あってか毎回翡翠亭の新刊を委託頒布していました。当初はささ茶屋のみで委託の告知をしていたため、その事実は知る人ぞ知るって感じで、あまり混乱もなかったんだけど、なにを思ったのか翡翠亭が昨年委託している事実をHPに書いてしまいまして、その結果ささ茶屋に押しかける人が殺到して大混乱、長蛇の列が出来るという事態が発生しました。なにせ翡翠亭は長時間並ぶことで有名なサークルですし、新刊だけでも先にゲットできるならと考える人も多かったのでしょう。
CCさくら本が欲しかった私としてはいい迷惑ですが、コミケサイドも長蛇の列が出来るサークルに対処しないわけにも行かず、なんと今回の夏コミでは一気に壁サークルまで格上げされました。まあ、ささ茶屋が壁に配置されたことはこれが最初ってわけじゃなかったはずだけど、委託本が売れに売れるから壁配置ってのは、さてどんな気分なのかな……

後は十年以上通っているサークルに顔を出したりしたけど、人気ジャンルに手を出さないと必然的に買うものも少ない。だから、かなり楽な初日だったんだけど、例え私が暇でも他の人はそうじゃないんですよね。移動中の大混雑に巻き込まれ、気付いたら帽子をなくしていました。個人的に気に入っていた帽子なので、なんとか取り戻したいのですが、落し物はすぐに集まる会場で、昼過ぎになっても見つからなかったということは、かなり難しいことになりそうですね。まあ、なんとかしたいなと思ってはいますけど。
平日開催のコンサートってのは牧野由依ではあまり珍しいことではなくて、古くは九段会館、最近ではグローリアチャペルで行われたクリスマス2Daysなんかがありますね。まあ、色々事情はあるんでしょうけど、社会人的に平日の夜から始まるイベントに参加するのは結構面倒もとい大変なことです。私はかつて九段会館で行われたコンサートに仕事の都合上、行くことが出来なかったので、今回は先手を打って早退届を出しておくことに。チケット買ったのに行けないなんて経験は、もうしたくないですからね。普通に受理されて、なんとか間に合わせることが出来ました。

会場となったSHIBUYA-AXは渋谷と原宿の間にあるようなライブハウスで、都内では有数の規模と広さを持つ施設です。純粋な広さでは品川にあるステラボールのほうが広いんですけど、あれは商業施設内にあるライブハウスだから、単独ではSHIBUYA-AXの方が大きいのかな? どちらにせよ、牧野由依のライブハウス公演というのは例がないわけではないですが、結構珍しいことであり、私自身AXを訪れたのは6年ぶりぐらいになると思います。東京方面から新宿周りだったので、必然的に原宿から向かったのですが、隣接する代々木第一体育館でも誰ぞのライブが開催していたらしく、敷地内には出店まで出ていてかなりの賑わいぶりだった。後で調べたのだけど、福山雅治のツアーだったようで、東京公演4Daysの2日目だったらしい。なるほど、だからあんなに幅広い世代の男女がいたわけだ。
そんな代々木第一体育館を横目で見つつ、とこてこ歩いてAXまで。山手線が少し遅れていた関係で、着いたのは17時も少し過ぎたぐらいだったかな? 流石に平日ということもあって、開場1時間前でも100人いなかったと思うけど、一応物販列ができていたので並ぶことに。チャームはともかく今回も色々なものが出ていて、目を引いたのはパンフレット。牧野由依がコンサートグッズでパンフレットを出したのは、確か初めてだったかな? 他の声優のライブだと2~3000円が相場なところを、1500円と安価だったのに意外さを覚えたのですが、なんとビックリA5サイズで。私の先入観かもしれないけど、こういう場合のパンフレットはA4か、最低でもB5はあると思っていましたから。まあ、A4なんてカバンに入れにくいだけだし、A5は手軽だから好きなサイズではあったんですけど、フルカラーとはいえ20PのA5本に1500円……しかも、なんか紙がメチャクチャ安っぽくて、手作りを疑ってしまうほどの質感だった。同じサイズでページ数倍以上のアンソロの価格に悩んでいた身としては、割高というかボロい商売だなぁと思ってみたり。まあ、好きなんだけどさ。

ライブハウスと言っても牧野由依のコンサートは座ってみるのが基本ですから、AXでもシートスタイルでの鑑賞となります。HPで確認してみると750人程度が収容できるらしく、前回の日本橋三井ホールよりも多いですね。まあ、チケットが完売したのか走りませんが、1階席にいた私が確認した限りでは、ほぼ埋まっていたんじゃないかな。椅子はパイプ椅子でない木製のもので、ハッキリ言うとあまり座り心地は良くなかった。洒落っ気はあったけど硬い椅子にずっと座っているというのはね。立つのに比べれば何倍もマシだけど。私は1階席の丁度中央に居たから、見やすさという点ではなかなかだったと思う。ステージが他所のライブハウスより高めなのがAXの特徴だけど、シートスタイルだと余計に高く感じますね。
コンサートが始まって、初っ端から純白のウエディングドレスで登場する牧野由依。お願いジュンブライトで着ていたやつですけど、特にステージ衣装というわけではなく本物のウエディングドレスらしく、移動等が困難らしい。コンサートではありがちな「回って~」という声に、「おまいら難しいこと言うな」と、いつものテンションで応じていた。牧野由依はコンサートMCに定評がある人ですけど、今回も十分笑わしてもらったかな。軽快というよりは軽妙なトークとでも言うのか、話運びが非常に上手い。割となんでも出来る人だよ、牧野由依は。命日ということで作詞家・河井英里の楽曲を歌って、序盤から涙を流していましたけど、ああいうとき安易に頑張ってとか、泣かないでとか、そういう声が上がらないのは良いことだと思う。
今回も無事に行われたクラシックコーナーですけど、曲はダヴィッド・ポッパーの「ハンガリー狂詩曲」でした。ハンガリー狂詩曲といえばフランツ・リストのピアノ独奏が有名ですけど、こっちは元々がチェロのために作曲されたので、当然のことながらチェロとの二重奏だった。リストにそれに比べるとややマイナーながらも名曲であることには変りなく、実際いい感じではあったのだけど……牧野由依のピアノが付け合わせに感じられてしまうほど、チェロの楽曲だったなという気がしないでもない。二重奏が、あまり上手くなかったというべきか。まあ、牧野由依コンサートにおいては重要なコーナーですから、これからも続けてもらいたいですけどね。

最後に発表された、横浜赤レンガ倉庫でのカウント団イベントは、多分行くと思います。コミケともろかぶりしていますが、地元ですし、行って帰って来られないということはないでしょう。ちなみに翌日1日もコンサートを開催とのことで、実質2Daysらしいのですが、会場はさて同じなのか。横浜である限りは、どちらも参加するつもりです。
AT-Xで放送していたから、なんとなく観てしまいました。確か公開は去年の4月頃だったかな? SFセミナー行く前の午前中に鑑賞していた記憶があるけど、あの日はセミナー終わったら鴨居に移動して、ららぽーと横浜でハルヒと文学少女の映画も見たんだっけ。1日に映画を3本観て、しかも間にイベントを挟むなんてハードスケジュールこの上ないですね。よくあんなことが出来たものだ。そういや、劇場版文学少女も最近キッズステーションで放送してたけど、あれに関しては1年以上前だった気がして、TRIGUNとの気分差が不思議です。同じ日に見たはずなのにね。

映画以来、はじめて観直す機会を得たわけですが、AT-XはCMもなければカットも存在しないのでラッキーですね。高い視聴料金を払っている甲斐があるというものだけど、映画そのものは……まあ、こんなもんだったかなと。確か、当時の日記にも書いたと思うけど、TRIGUNにしてはかなり派手さに欠ける内容で、割と物静かな感じなんですよ。主要キャラは全員出てくると言っても、主人公であるバッシュを除けばウルフウッド以外はそれほど活躍するわけじゃないし、焦点が当てられるのはあくまでオリキャラですからね。その辺が、TRIGUNの映画としては微妙だった気がしなくもない。
まあ、最大の違いはTVアニメ版でシリーズ構成及び全話脚本を務めていた黒田洋介が参加しておらず、あろうことか小林靖子に変わったという点でしょうか。これほど正反対な脚本家もいないというか、単なる性別の違い以上にキャラに対する個性付けが異なっていますからね。黒田洋介は萌えキャラばっかり書いているようで、ちゃんと男というものを書くことが出来るわけだけど、さて小林靖子はどうなのかといえば……それほど悪い話ではなかったと思うけどさ。
個人的に好きなシーンは、20年ぶりに再会したバッシュとガスバックのやり取りかな。ガスバックは自分を助け、他人を助けるバッシュの生き方を理解出来ないと、20年前と同じ事を言いました。それは彼が常に奪う側の人間であり、奪い合いの世界に生きてきたからなんだけど、だからといってバッシュそのものを否定はしてないんですね。少なくとも、再会したときの彼はバッシュに対して豪快な笑みを見せるだけの余裕があった。もっとも、いずれは倒さねばならない相手という認識は常にあったようですが。でないと最後の決闘にまで発展しないし。

個人的な立ち位置としては気軽に観られる映画って感じかな。変に重苦しくもなければ、堅苦しくもないから、サッパリとした観られる。同じ日に公開していた劇場版文学少女、あれがキッズステーションで放送したことは前述のとおりですが、改めて見てもあの映画のなにが良かったのかサッパリ分からない。OVAも放送されたとはいえ、いくらなんでもあれは説明不足だよ。そらおとの映画だってTVアニメを2期放送したという前提があったからこそ、あの内容だったわけだしね。
TRIGUNの映画が上映されるにあたって、作者は各キャラクターに関する非常に簡潔な説明を書いたことがあります。詳しい内容は忘れましたが、非常によくまとまっていて、これだけ頭に入れておけば映画を観ることができるというのは、決して嘘ではなかった。ごく基礎的な基本情報さえ覚えておけば、前提なんて必要ないんですよ。そのシンプルさが、私がこの映画をどちらかと言えば好きな部類に入れてしまう理由なのかも知れない。
それに比べると文学少女は……いや、今にして思えば他にやりようがなかったというか、映画にするにしてもあれ以外のエピソードは無理だったのかな。ハルヒはさ、アニメが爆発的にヒットしたし、圧倒的な知名度を持って映画向きのシナリオを選択することが出来たわけじゃないですか。消失は映画でやってこそだと思ったし。でも、文学少女はなぁ……作品がハルヒに劣っているとは思わないけど、ことさら映画にする必要があったのかと言われれば、ちょっと首をかしげてしまう。私がそもそも陰鬱でドロドロした作品好きじゃないってのも大きいんだろうが。

最近はアニメ映画も結構多いわけだけど、そらおとは結局3回だけで打ち止めにしました。同人作業が忙しくて映画どころではなかったというのもありますが、何回も見に行くほど面白くもなかったしね。まあ、ファンブックは買ったし、後はブルーレイが出るのをまとうかと。ブルーレイといえば蒼穹のファフナー、あれのイベント言ったんですけど、ブルーレイとDVDが9月に発売でしたっけ? なんか続編も発表されちゃいましたが、私としては蛇足な感じがしてならない。乙姫もいないしね。芹がどれだけ活躍し、西尾兄妹がどうなっているかってのには興味あるけど、正直主人公面子のその後とかまったく関心ないからなぁ。私の中で、ファフナーって結構微妙な作品なのかも知れない。まあ、今は関係ないけど。
今期はこのアニメが一番熱いね。うさぎドロップとかも良いんだけど、オリジナルでここまでやれるってのは流石サンライズだと思う。変身ヒーローものという今時珍しいジャンルで、ここまでしっかりとした作品を作れるところは他にないでしょう。ただでさえ、今はオリジナルアニメを発表しづらい状況なだけに、私としては良い拾い物をした気分です。全12話と言うところが少なさを感じさせて残念ですが、話の流れによっては分割2期という手もありますし、今から期待大な作品と言ってもいいでしょう。1クールに1つは、こんな作品があるものです。

この作品は前述のとおり変身ヒーローものなんですが、サンライズがこれまでオリジナル作品で培ってきたものの全てが入っているような気がしてならないんですよね。単刀直入に言えばスクライド×コードギアスという感じで、主人公やその敵はアルター能力を思わせる変質的力を持っており、それは変身だったり、身近なものを武器へと変化させたりと、多彩なものがあります。ある特定の事象によって能力に目覚め、それが人外にも適応されてる辺りは如何にもアルター能力者っぽいじゃないですか。
逆に特殊能力を持たない人間はどうするのかといえば、これまたコードギアスに登場したようなナイトメアそっくりの機動兵器に乗り込み、迫り来る怪物と激闘を繰り広げているわけです。まあ、こういう作品のお約束としてそうした機動兵器では敵に歯がたたないことがしばしばなんだけど、それを如何にクリアしていくかというのも見所の一つでね。後はなんかメダロットというかメトロイドみたいな特殊スーツとかも出てくるんだけど、キャラクター造形にあまり陰湿なところがなくて、一応主人公は一人暮らしでそれなりの過去は持ってますけど、カズマほど荒んではおらず、ルルーシュみたいに復讐者として生きているわけでもない。感性や性格としては、常人とそれほど大差ないでしょう。ヒロインもテンプレートタイプのお嬢様と安心感があり、お付きの執事もいい感じに主人公と仲が悪く、要するに王道なんですね、色々な意味で。OPを観るだけでも、この作品がどういった部類に属するものなのか簡単に見て取ることが出来ます。ただ、私が好きなのは実のところ主人公サイドではありません。

OPを観る限り、この作品は主に3つの勢力にわかれています。1つ目は当然、主人公の丹童子アルマやヒロインの藍羽ルリがいるグループであり、2つ目はアルマと同じセイクリッドテイカーである輝島ナイトと、彼を慕う劉翡翠の2人組。そして最後は、かつてナイトと翡翠を実験体として扱っていた研美悠士博士と、そのSPが所属する研究所です。
私はなにを隠そうナイトと翡翠のコンビが大好きで、孤高さ漂う青年と、それを慕う子供という組み合わせによだれ流しまくってます。いや、好きなんですよ、こういう関係。翡翠もまたセイクリッドテイカーで、一人で戦い続けるナイトを気遣って自らも戦おうとするんだけど、ナイトは「お前は戦いの輪に入るな」と翡翠を戦いに巻き込むことを由としていない。そもそも、ナイトが研究所を逃亡したのだって、自らの自由のためとか言いつつも、実は翡翠の、フェイのためだったのではないかと思わせるところがあります。フェイもフェイで、ナイトに対する一番の理解者である旨が公式サイトに書かれていますし、相関図では明確に相棒と記されてますからね。他は殆ど、主人公たちでさえ協力関係にとどまっているのに。
惜しむらくは、フェイが男の子であることぐらいですけど、可愛ければ性別なんて問題ないよね! というぐらいに可愛いやつです。ナイトに対する献身さとか、まだ1話しか出てないのに強烈なインパクトがあった。元よりこういう組み合わせが好きなこともあってか、主人公サイドよりも動向が気になる2人です。

まあ、それでもBD買うほどではないかな。実は色々あって現在金がないんですよね。なんで金がないのかは、後でまとめて書くことにしてますけど、現状は「C」と「俺つば」を集めるので手一杯だと思う。エロゲも買わなくちゃいけないし、コミケ用の資金は余らないだろうから。てか、余っても戻さないといけないし。だから、よっぽど魅力的な特典がつくとかでもない限り……例えば、ナイトとフェイのイチャラブドラマCDとか、そういうのがない限りは買わないと思う。金が十分あれば、間違いなく買っていたであろう作品なんですけどね。いやはやなんともはや、タイミングとは合わないものです。
長く日記を書いていなかったせいか、自分がどの話題を書いて、なんの話を書かなかったというのが全然分からないんですけど、パソコンを買い換えたことはまだ日記にしてないかな? いや、これも結構前の話になるんですけど、遂にパソコン買い換えたんですよ。使用していた6~7年物のNEC製デスクトップが4度目ぐらいの故障に陥って、もう使い続けるのは無理だろうという結論にいたりまして。それまでは借り物のノートPCでしのいでいたんだけど、いつまでも借りっぱなしというわけにもいかないから、意を決して横浜のヨドバシカメラまで行ったのです。

なんでヨドバシで買ったのかというと、単純にポイントが沢山あったから。以前、液晶テレビとブルーレイを購入したときのゴールドカードポイントと、その際に発生したエコポイントが丸々残っていましてね。数万円近くあったから、それを足しにすれば結構良いのが買えるんじゃないかと思って。自作やBTOパソコンを勧められたりもしたんですけど、これといった知識があるわけでもなかったし、まあ、既製品というかメーカー品でいいかなという結論に達しました。前述のようにポイントが沢山あったから、ヨドバシで買ったほうが金額的にお得というのも大きかったんですけど。
最初は前回と同じNECのモデルを買おうとしたんですけど、友人知人からNECはあまりサポートが宜しくない等の不評を聞き、それならこれを機会に脱NECでもしてみるかということに。とはいえ、パソコン買うのなんて7年ぶりぐらいですから、なにを買っていいかなんてさっぱり分からない。NECのままなら、そこの最新モデル買えば済むだけの話だったんですが、他社に乗り換えると決めた以上は選ばなくてはいけない。ポイント以外の購入資金もそれなりに用意してましたし、時間を掛けてじっくりと選ぶことにしました。しかし……
何時間ヨドバシにいたのか、正確なところはよく覚えていないのですけど、あろうことか途中で面倒くさくなり、迷ったときはこれ!という店内のPOPを目にして、その1位はどうなんだろうかと思うように。1位が単に売りたいPCなのか、それとも自信のあるものなのか分からないだけに悩んだのですが、とりあえず話を訊いてみようと、近くにいた専門の店員を捕まえて色々調べてみることに。

そうして買ったのが、1ヵ月前当時の最新モデルであるDynabookのデスクトップPCです。デスクトップと言っても一体型ですから割とスマートな感じに仕上がっており、余計な箱がついてない分、フルHDの大画面を目一杯堪能することが出来ます。まあ、21.5型はフルHDの中でもそこそこぐらいの大きさだと思いますけど、以前に使っていた画面が小さすぎましたからね。購入当初は、ちょっとデカ過ぎやしないかと思ったぐらいです。
ただ、買ったのは先月だったんですが、実際に開封して起動させたのは7月に入ってから。忙しくてなかなか設置することが出来なかったんだけど、同人作業を円滑にすすめるためという必要性に駆られ、旧PCを取り外して使ってみることに。正直、私は執筆とエロゲ、それにネットが出来ればどうでも良いぐらいの感じだったんだけど、蓋を開けてみればちょっと高性能すぎたかも知れない。画面の大きさには慣れてきたけど、処理速度も早いしフリーズというものに遭遇したことがない。これで後は一太郎さえ導入できれば……って感じ。
いや、一太郎自体は持っているんだけど、型が古くてWin7に対応してないんですよね。だからバージョンアップ版を買う必要があるんだけど、ユーザー登録のはがきが見つからなくて買いにいけないという。ジャストシステムからカタログとか届くし、登録自体はしてあるはずなんですけど。今回の同人作業は一太郎なしでなんとか乗り越えましたけど、私はやっぱりあれじゃないと執筆できないかな。まあ、好みと言ってしまえばそれまでですけど、物書きには気分も大事なんです。

ちなみにエロゲやる分には今のところまったく不足してないですね。64bitだとエロゲは起動しないなんて言われてましたけど、実際に色々入れてみると極端に古い作品でもない限りは動くみたい。ただ、800×600ですら小さい画面になってしまう辺りが、なんともいえない物悲しさを感じさせますがw 更に言えば、640×480なんてなった日には小さいなんてレベルを超えてしまっている。まったく、とんでもない話ですね。今はもうフルHDの時代だと思って大きい画面にしてみたけど、大きすぎるのも考えものです。まあ、不便というほどではないのでこれも慣れだと思ってますが……まさか、サイズをでかく出来るわけでもありませんし。強いて言うならHOOKさん、オレポケの新装版もう一度出してくれないかなってことぐらいですかね。武田弘光がエロから完全撤退を余儀なくされる前に完全版が欲しいところです。
あんまり訃報記事を取り上げるのは趣味ではないのだけど……遂に小松左京まで逝ってしまったかぁ。まあ、この人に関しては数年前から体調悪くしていたので、そんなに驚きや衝撃みたいのは少ない。ショックといえば、ショックだけど、年齢も年齢だったしね。しかしまあ、このところは著名人の訃報が相次ぎますね。SF界は1年に一人か二人、偉大なる人物を失っていってる感じ。もっと広い範囲で考えれば、今週だけで何人ってレベルだし、そういう時代に突入してしまったのかも知れないね。

……長々書くことでもないから、ちょっとここまでにしておきます。時代は流れ、世代は変わり、その中で私はなにをすることが出来るのか。悩ましいところです。
なんか色々と書かなければいけないことがあったはずなんだけど、気づけば色々なことが頭の中から抜け落ちていますね。7月寝ても覚めても夏コミ原稿という感じだったから、精神的な余裕が全くなかったのかも知れない。ただ、特に有給を取るわけでもなく限られた時間の中で仕上げたところは、個人的なことながらも評価に値するのかも知れない。かなり、ギリギリの作業だったことは否定のしようもないけど、それでも間に合わせることが出来たのはやっぱり大きいと思う。

まあ、同人の話はまた後日にするとして、今日はpixivのお話。なにやら現代アートがどうとかで揉めているそうですけど、別に事の発端やあらましを書くつもりはありません。詳しく解説しているところはいっぱいあるから詳細はそちらで確認して欲しいんだけど、私の感想としては怒るべきして起こった事件って感じかな。pixivは元々この業界とは門外漢の連中がやっているビジネスですし、時流に乗って大きくなっただけなのだから、こういう問題が起きてもなんら不思議はないんですよ。今までだって表面的には上手くいっていたけど、内面的な不満はくすぶっていましたし、そういったものの積み重ねが現代アート問題という爆弾によって爆発したにすぎない。そもそも、今回の事件はpixivは直接的な主犯ではなく、せいぜい共犯という立場であるのだから、起こしてしまったことはともかくとしても、ちゃんと対応していればそれほど叩かれることもなかったと思うのですよ。それが、ここまで叩かれて移転だ移民だという流れになっているのは、元からpixivに対する不満が大きかったという証拠なわけです。
pixivの対応の不味さは言うまでもないけど、それに関してはある種仕方ないことなんじゃないかと私は思う。何故なら、前述のとおりpixivをやっている連中というのはこの業界における門外漢だから、創作者に対してまともな対応なんて出来るわけもないんですよ。特に企業としてそれをやっていると、どうしても自己保身を図りたくなってしまいますからね。一連の自分は関係ない、悪くないといったpixivの言い訳が通用するのかはともかく、彼らはTwitterや2chといった場所におけるインターネット上のご意見で迷惑をかけたとは言ってるけど、発端となった問題やpixivそのものになにかしらの非があったとは、一言もいってないんですね。だからこそ謝罪をすることはないし、もっと言えば企業面子的に出来ないのです。

なにかに寄生することで成立しているコンテンツというのは、基本的に図々しいものです。開き直りや居直りは日常茶飯事だし、メディア露出が増えれば自分は偉い存在なんだという勘違いをすぐにしてしまう。別に流行っていることや、儲かっていることが凄くないとは言いませんが、それがイコールで偉いことなのかといえば、そんなものは宣伝による錯覚でしかないんですよ。
何故なら、pixivそれ自体はなにかを生産したり、創作しているわけではないから。彼らがしているのはpixivという場の管理であって、自分たちが儲けるための各種企画はともかくとしても、彼らは自らが作り手となったことは一度だってないわけです。しかし、そういった立場にある人間ほど自身は特別な存在であると偉ぶっており、他者を格下に捉え、見下す傾向が強い。彼らは場の提供はしていても、創作や生産のための寄与をしているわけではなく、誰かが投稿してくれるイラストや小説がないとやっていけない、謂わば他人様の作った創作物に対する寄生虫でしかないのですよ。それを理解せずに我が身可愛さに保身ばかり考えているから、批判はされる叩かれる。だって、ほとんどの創作者は別にpixivのために描いているわけじゃないのだから。
私はpixivが絶対悪だとか、今すぐ潰れたほうがいいなんて言うつもりはないけど、もう少し自己の行いや他者への誠意というものを考えなおしたほうが良いんじゃないかと思う。管理者というのは他者を規制し、排除するという強い権限を持っているから、それによって自分が偉く力を持った存在であると思いがちで、それはある一断面から見れば正しい姿ではあるのだけど、全体的に見ればやはり錯覚でしかない、その場でしか通用しない力なんですよ。

けどまあ、この問題によってTINAMIを始めとした類似サイトに完全移行ないし移民が完了するのかと言われれば、難しいことだとは思いますけどね。過去にも似たようなことが各所であったけど、成功した例はほぼないですし。ただ、この度サービス終了を発表したzoomeとか、過去の1chなんかが既存コンテンツに対する後発であったのと違い、TINAMIはイラスト投稿サイトとして特化し始めたのは最近のことながら、存在自体は15年の老舗ですし、なにより運営側が創作分野に深く関わっている人間であることから、ひょっとしたらひょっとするかも知れないですね。それにしても、Twitterというものの存在が日に日に大きくなっていると感じる今日この頃であった。
先日、左手の小指に怪我をしました。折りたたみ式の大きなプラスチックケースに挟んだからなんですけど、夜になっても痛みが引かなかったので病院へ行くことに。自分でも大げさだと思ったけど、家族が小指は脆いから折れている可能性もあるとか脅すもんで。だから、会社へ行く前に地元の整形外科に寄ったんですが、ああいうところってジジババのたまり場になっているケースが多くて、私が行ったところもその例にもれなかった。全員が全員、2階のリハビリルームへ向かったので診察自体は早く終わったんだけど、朝早くから元気なことだ。いや、元気なら病院なんて来ないか。

指自体は特に折れているということもなく、単なる打ち身のたぐいだろうということで大丈夫だったんですが、診察待ち、会計待ちの際に備え付けのテレビを眺める機会がありました。常識的な話、私は平日の午前中は仕事に行っていますからテレビなんて観ることは滅諦にありませんし、一応携帯にワンセグは付いてますけど、あれはあくまでデジタルラジオとFMラジオ用に買ったものだから。
丁度、ジブリの新作であるコクリコ坂の宣伝をしていたんだけど、最近のジブリはなんとも地味な作品ばっかりだしてくるね。宮崎吾朗の2作目ということと、現在のジブリというか宮崎駿の政治姿勢の問題があるから、テレビもなんとなく大々的な特集を組めていないんじゃないかと思う。テレビ欄を見ると、深夜に宣伝番組をやっているぐらいですからね。まあ、観に行くことはないと思いますけど、ジブリもそろそろバトル物を再開してくれないかな。
この前、もののけ姫が金曜ロードショーでやってましたけど、あれは何回観ても面白いね。ナウシカほどグロテスクというわけでもなければ、ラピュタほど壮大ではない。それでいてすっきりした話の内容は後味の良さを視聴者に感じさせると思う。特に主人公であるアシタカの格好良さといったらない。ジブリ一のいい男と言われるだけあって、14年経った今でも十分に通用するキャラクターだ。確かジブリが積極的に俳優・女優をキャスティングし始めたのもこの頃だったと思うが、まだ常識というものが残っていたのか話題性ではない、声の演技を出来る役者を連れてきたように思う。
ジブリ映画というのも、やはり時代によって分けることが出来、このもののけ姫は主に前記のラストだったように思える。宮崎駿の引退作品であるとも言われていたし、それだけに気合の入ったものに仕上がっていた。別に最近のジブリがことさら悪いとは言わないし、ぶっちゃけハウル以外はまともに見たことがないのだけど、ジブリ映画というのはもののけ姫で一度、区切りがついたんだと思う。

アニメ映画というのは世界的に見てもシリーズ物が結構多く、例えばウォルト・ディズニー社はミッキーやドナルドの短編映画をそれぞれ120本以上製作しています。これは、アメリカという国がテレビよりも先に映画で発展した国だからで、アニメもまた映画での上映が始まりなんですね。アカデミー賞に短編アニメーション賞があることからもそれは伺えますし、逆に長編はつい最近になってできたばかりです。短編であればこそ、次々に作ることも出来たのだろう。
では、日本の場合はどうかといえば、基本的に短編アニメ映画でシリーズ化されているものはなく、大抵が60分以上の長編であることが多い。なにが切っ掛けでそうなったのかはわからないけど、ドラえもんは既に30本以上の映画があるはずですし、ポケモンやコナン、アンパンマンなんかも相当数の数があることでしょう。けど、それらの映画が一度でもアカデミー賞へノミネートされたのかといえば、決してそうではなく、過去に受賞経験があるのはそれこそジブリの千と千尋ぐらい。アニメ大国とか、ジャパニメーションなんて言われている割には、あんまりそういう話は聞きませんね。
作家にも稀にいますけど、新人賞はともかくとしても、なにかの文学賞狙いで作品作りをするというのはどうなんだろう。ハリウッドでもアカデミー賞狙いの演技をする俳優、女優なんかが目立つこともあると言うけど、はてさて今回のジブリ映画はその辺のところどう考えているのかな。本気で宮崎吾朗を後継者にするつもりなら、興行収入以外は散々だった前回を踏まえて、何らかの箔付けをしたいところなんでしょうが……これで失敗すれば、もう後がないだろうし。

私は別に虎の子が猫であってもいいと考えている人なので、異才や天才の子供に同じものを求めようとは思いません。誰かが継ぐにしても、まったく同じものを創りだすというのは不可能ですから。しかしまあ、出崎統さんも亡くなってしまったことですし、宮崎駿や富野由悠季には長生きしてもらいたいところだ。この人達が世に出てから何十年と経ったわけだけど、未だに超えた人間が現れないというのもどうなんだろう。庵野や押井は弟子だからともかくとして。
今日は幕張まで、そらおとの映画を観に行きました。私が舞台挨拶を敢えて回避したのは以前の日記にも書いたと思うけど、一度観てしまえば後はその限りではないということで、演者の姿を見に行くのも悪くないかなと思って。関西とかならまだしも、幕張なら他県とは言え近いですからね。昔はよくキャラショーとかゲームショウの度に出かけていたものですが、最近じゃ、それもめっきりご無沙汰な感じ。最後に行ったのは確か、何年か前のワンフェスだったかな? 丁度10年ぐらい前は、ゲームショウも年2回の開催だったから、キャラショーと合わせて年3回は幕張に行く用事があったんですけどね。

久しぶりの海浜幕張と言っても、私が訪れたシネプレックス幕張という映画館はメッセと反対方向の出口にあったため、そっちの景色を眺めるというわけにもいかず、なんとも新鮮な気分だった。だって、海浜幕張には何度も来てるけど、メッセとは違う出口に降りるなんて生まれて初めてですからね。こんな風になっていたのかと、思わず驚いてしまいましたよ。勿論、ここ10年ぐらいの間に変化等を繰り返して、今の形になっているのだとは思いますけど、なにせ初めて見たものだから、見るものすべてが珍しくって。
シネプレックス幕張は、一言で言えば懐かしい雰囲気のシネコンという感じだった。まあ、言い換えれば古臭いってことなんだけど、商業施設内にあって、比較的背の低い位置にあるってのは開放感があって良いよね。外から階段登って、シネプレックスまで直接行けるというのも昔ながらな気がして好感が持てた。最近はビルの上のフロアだとか、シネコンだけで成り立っている施設とかも増えてきたから、こういう雰囲気が残っているというのは意外だった。角川系列の映画館みたいだけど、フードやドリンクの値段が結構安く、チネチッタなんかと比べると100円単位の差があったように思える。ああいう場所で飲み食いすると極端に高いのが特徴ですが、シネプレックスは安いこともあってかフライドポテトとかホットドッグとかを気軽に買って、飲み食いしながら鑑賞しているという人が多かったですね。ポップコーンやナチョスなどのスナックもそうですが、それもまた映画館の楽しみであることは否定しようもない。まあ、私は基本的にケチなので、滅多に買いませんけど、この日はちょっと違いました。

シネプレックス幕張にはそらおと映画の公開を記念して、限定タンブラーとエンジェロイドドリンクなる特製の飲み物を販売していて、タンブラー買うと1ドリンクサービスだというから買ってみたんですよ。そうしたら、エンジェロイドドリンクはサービスの対象外だとか言われて、個人的に凄い微妙な気分に。だって、そらおとのタンブラー買ったら付いてくるサービスなのに、そらおとドリンクは対象外ってどういうことよ。仕方ないので、これも記念だと思って別料金払ってニンフドリンクを注文してみることに。3人娘の中からニンフを選んだのは、私が彼女が好きだからというだけじゃなく、味が一番無難そうだったから。だって、リンゴ水+カルピスとか、不味いわけないじゃないですか。350円という価格も、劇場としてはまあ相場かなと思ったし。ただ、1ドリンクサービスも頼まないと損だと思い、その場で更にカルピスを追加した私。ドリンク2つも抱えて劇場入りしたんだけど、よく良く考えてみればサービスドリンクの方は鑑賞終了後に引き換えても良かったんじゃなかろうかと、ドリンクのカップ2つを手に気付いてしまった。チケット出しにくいもなにもないよね。タンブラーの中にだっていれてもらえるんだから、帰りに注いでもらえば持ち帰ることだって可能だったのに。まったく、私はこういうところで頭が回らないんだから。

私が行った舞台挨拶は上映前のだったので、映画の内容に詳しく触れるとかそういうことはなかったんですが、奇しくも舞台挨拶の数日前に角川シネマ新宿でのイベントが発表されてしまいました。スタッフのトークショーというのはなかなかに興味深いものであり、個人的なことを言えば声優観るより楽しいかも知れない。まあ、幕張にはシネプレックスという映画館に興味があってきたようなものだから、そういった意味では十分元は取ったんですけどね。本屋や百貨店と同じぐらい、映画館という空間が空きだし、たまにはチネチッタ以外に足を伸ばしてみるのも悪くないかなと、そう思った次第。幕張に次行くのは何年後かになるかも知れないけど、そのときはメッセ方面に行ってみたいとこですね。
先月は何故か早川書房の回し者みたいなことしてましたけど、まあ、色々事情があったんですよ。単純な知り合いのよしみというよりは、私が好きだからやったことなんですが、おかげさまで初音ミク特集のSFMも売れまくったようで良かったですね。仮にも創刊50年の歴史で、史上初の重版を果たしたのだから、なにかあってもいいような気がしますけど、そこはまあ早川ですからね。自他共に認めるケチな出版社ですので、多分なにもないでしょう。締まり屋という表現を使うことすら語弊があるのだから、あそこも相当なものです。まあ、私は大変お世話になっているんですけど。

そんな早川書房ですが、先日こんな質問をされました。「あなたは早川書房が出している本で、なにが一番好きですか?」というものです。ミク特集のSFMを買って、早川に興味を持った人から質問されたんだけど、私は少々困惑してしまった。質問としてはありきたりだけど、文庫単位ならまだしも出版社単位ですよ? 例えば、角川書店が出している本でお勧めを教えてくださいとか言われて、まず漫画なのか小説なのか、それすらも判別付かないじゃないですか。質問としてはありきたりだけど、範囲も広がれば大雑把なものになるんだなと、そんなようなことを感じてしまった。
早川書房というのはいくつかの文庫と雑誌、それに単行本を発行している出版社で、代表的なものにSF文庫ミステリー文庫があり、ついでファンタジー文庫や、主に日本人作家のSF等を出すJA文庫があります。他にもノンフィクションとか、ポケットミステリとか、イソラ文庫……は、もうないんだっけ? まあ、色々なものがあるわけですよ。それら全部を引っ括めて好きな本はなにかと言われると、そりゃ答えられなくはないんだけど、個人的にSFとミステリーを同じ土俵で争わせるのは好きじゃない。だってほら、ラノベで例えるなら、もうないけど富士見ミステリー文庫と富士見ファンタジア文庫って全然別物じゃん? いや、今は同じようなもんかも知れないけど、私は今少し細かい単位で好き嫌いを分けたいんですよ。

まあ、個人的な好みで言えばSF文庫が好きですけど、FT文庫、つまりファンタジーなんかも昔はよく読んでましたよ。テリー・ブルックスのランドオーヴァーシリーズなんかが好きだったけど、あれって2009年に続巻が出たらしいね。まあ、今の早川におけるFT事情を考えると、検討はされても本として出ることはないと思うけど、妻を無くした壮年の弁護士が、たまたまギフトカタログで見かけた「魔法の王国売ります!」という記事に興味を示し、私財を叩いて購入するという第1巻のあらすじは心惹かれるものがあったし、是非最新刊も読みたいところなんですが……自分で原書取り寄せて翻訳するしかないのかねぇ。
JA文庫なら桜坂洋のスラムオンラインなんかがお勧めだけど、SF文庫だと迷うね。最近だと彷徨える艦隊が良い感じで、これは銀英伝の艦隊戦シーンが好きな人とかは面白く思えるかも知れないね。先々月のSFセミナーで堺三保が、「彷徨える艦隊は、銀英伝におけるヤン・ウェンリーの奇策部分だけをひたすらやっているような小説だ」と評したのは、なかなか見事な喩えだと思った。まあ、SF文庫はやFT文庫の4倍とか出ているはずですし、一つだけ選ぶとか難しいよね。堅苦しい話も多いけど、最近は新訳版とかも出て読みやすくなってるから、それほど取っ付き難くもないとおもいます。
ミステリーに関しては……私、ミステリーは創元の方が好きだからな。というのも、好きな海外作家がアントニー・バークリーと、フランシス・アイルズだから。ミステリー作家に詳しい人は、クスリとくるかも知れませんが。

とりあえず質問者には「夏への扉」と、アガサ・クリスティーの作品を薦めておきましたが、切っ掛けはなんであれハヤカワ文庫にも目を向けてもらえるようなら嬉しい話です。私も色々書いた甲斐があったというものだ。これ以上は本当に回し者になるから、まあ、またなにかあったときにでも触れるということで。当分はなにもないだろうけど。
6月も終わることだし、ロクゼロのクロスのことでも書きておきますか。まあ、結論から先に書いておくと、あれはもう書く気が起きないので放置しようと思います。物事に絶対はないから、二度と書くつもりはないとか、そういうことは言いませんけど、よっぽどのことがない限りは完結編が日の目を見ることはないでしょう。完結編の告知をしてしまった手前、なんとか書こうとはしていたんですが、色々あって作品に対するモチベーションが下がってね。そう、モチベーションが下がったんですよ。某人の言い回しを借りるなら、ロクゼロクロスでテンションを上げることが出来なくなった? そんなところです。

書けなくなった理由は、他にも対人関係とか色々なものがあるんだけど、暗い話になるので割愛します。ちなみに作品自体を削除するつもりは毛頭ないので、そこら辺はご安心下さい。シャリテクロワールのHPからは改装中ということもあって消してしまいましたけど、pixiv等に行けばネットでは見られるようにしてあるから。まあ、同人誌の再販や改訂版なんかを出すことは絶対にないでしょうから、持っている人は大切にしてくれると嬉しいな。ムック系合わせると全6冊だっけ? あぁ、丁度ヨスガ本と冊数だけは同じなのか。総ページ数は全冊で1000Pぐらいだと思いますけど、よくもまあ、あんなに書いたものだ。
ロクゼロクロスは私が同人として独り立ちした作品でもあるから、想い入れはそれなりに強いんですけどね。今だって別に嫌いになったわけじゃないし、なんの未練もないかと言われれば、多分嘘になると思う。ただ、あの作品は書くのにとてもパワーを使うし、時間だって相当掛けなくちゃいけないからね。下がりきったモチベーションと、上がらないテンションでどうにかするには、ちょっと無茶があるんですよ。同人誌としての先もないしね。
だからまあ、誘い受けでもなんでもなく、ここらで打ち止めにしてしまおうかなと。完結編を楽しみにしてくれていた人には申し訳ないけど、ああいうことになってしまった以上は、私も続ける気が起きないので。誰のせいでもないというよりは、誰のせいでもあるといった感じなんでしょうが、某人の信者に一々説明するのも疲れましたし、某人の発言や行動に対して、今だに引っ掛かりを覚えているのも事実ですからね。そればっかりは、私にはどうすることも出来ないことなので。まあ、プロット自体を破棄するつもりはないから、何年後か知りませんが、気まぐれで書くこともあるでしょう。きっと、多分、そのうち、なんの保証もないけれど。

しかし、今後の同人計画か……夏コミはまあヨスガのアンソロだけで手一杯だけど、そういや去年は3冊だそうとして1冊落としたんだっけ。落としたというか、企画はしてたけど書く時間を取れそうもなかったから制作を中止した本で、rootnukoのid本を出そうとしたんだよね。2010年は個人的にエロゲの不昨年だったんだけど、その中でもidだけは面白くて。処女作ということもあって多少甘い評価をしてたけど、結局プロットまで用意して書くことが出来なかった。自分で言うのもあれだけど、割と良い話だったんだけどね。
同じように今年の夏コミも、本当ならヴァニタスの羊本を出す予定だったんだけど、やはりヨスガアンソロの作業だけで手一杯なところがあって。まあ、書くだけなら出来たんでしょうけど、印刷費の都合とか、そういうのもあるじゃないですか。まあ、ヴァニタス本は完全な小説同人誌として、新書サイズで作ろうと思っていたから、ページ数的にも結構な負担で……それだけ話にボリュームがあった、ということなんだけどさ。
冬コミで出すにはジャンルの需要的にも厳しいと思うんだけど、ネットで公開するには少し惜しい気もして。別にWeb小説を否定するわけじゃないけど、やっぱり、小説は本が良い! という想いが私の中では強いんでしょう。結局のところ、趣味の創作で同人活動をメインにしているのは、本を作るのが楽しいからですし。そりゃ、ネットの方が金かからないのは分かってますけど、同人誌制作って良いものですよ。あの独特な味わいが、私は好きだな。

まあ、ロクゼロに関してはそんな感じで、天地がひっくり返りでもすれば書くかも知れないというレベルです。性質上、私個人の問題というわけでもないから、これ以上の問い合わせを頂いても、私の口からはなにも言えなかったりします。ただ、某人の信者……ファンですか? そういった人たちからの問い合わせなのか分からないようなメールにうんざり、もとい疲れていたのは事実だし、それ以外の人からも沢山質問が来たことも踏まえて、一度しっかり書いておこうかなと、そう思った次第です。具体的なことはあんまりないですけど、とりあえずはこれで勘弁頂ければ幸いです。
電撃文庫から出ている作品に灼眼のシャナというものがあるんですけど、これがこの度3度目のTVアニメ化をするそうです。まあ、発表されたのは随分前だから知っている人は多いと思うけど、私の感覚としては何故今更? という気がしないでもない。原作読んでいる人は知っていると思うけど、シャナってそろそろ完結するんですよ。それに合わせてアニメもラストまで駆け抜けるって言うなら分からないでもないが、ここで問題となるのはアニメ版のシャナが、原作とは似ても似つかぬ駄作であるってことでしょう。

駄作が2回もTVアニメ化して、あまつさえOVAも出すのかよという反論をする人は多いと思うけど、私に言わせればシャナのアニメってのはスレイヤーズと同じことをやろうとして失敗した作品に過ぎません。元々、監督からしてスレイヤーズの渡部高志ですし、なにがやりたかったかというのは明白だと思う。
私の知人にラノベ作家が幾人かいるけど、そのうちの一人曰く「今の作品は視覚的に書かないとウケないとかいうけど、小説というのはあくまで文字を読ませるものであって、文章表現は必ずしも視覚的である必要はない。文章だから楽しめる話というのは、例えそれがラノベであってもあるはずだ」ということらしい。なるほど、と思わないでもないし、アニメ等のメディア展開を前提に書かれている作品はともかくとして、原作をそのままアニメ化するというのは、最初からどこか無理のある行為なんでしょうね。
スレイヤーズというのは最初から軸線がハッキリと別れている作品で、原作があってアニメがあって映画があった。どれも内容は全然違うし、原作とアニメなんてまるで別物と言っていいほどなんだけど、それでも受け入れられたのは時代性というものがあったんじゃないかなと思う。けど、90年代にやった手法が00年代にも通用するかと言われれば、必ずしもそうではないし、シャナのアニメはそこを読み違えたものだったと思う。夢よもう一度なんて考えのもとに、スレイヤーズそのものが再アニメ化されたりしましたけど、無印からTRYと比較して、名作と呼べるほどのものに仕上がっていたでしょうか? 真面目に見ていた人は、各々の抱いた評価があるかと思いますけど、大半の人はスレイヤーズが再アニメ化したことすら忘れているんじゃないか? 私は、そんな気がするのです。

要はなにが言いたいのかというと、シャナの3期なんて企画する辺り、いよいよ電撃も弾切れになってきたのかな? と思う。角川グループ全体ならいざしれず、アスキーメディアワークス単体で考えると、今の電撃にはアニメ化できるだけの人気を持った作品や、それに適した原作というのが少なくなってきていると思うんですよ。ロウきゅーぶやシーキューブなんてアニメ化している辺り、それはどんどん明白になっていて、例えば前者はてぃんくるのイラストを使ってロリ系の絵柄を全面に押し出しているけど、内容自体は割と真面目なスポコンで、そうしたギャップ萌えを楽しむ作品です。一見合わなそうなロリとスポコンですが、小説の場合はイラストが何枚あろうと総容量的に文章のほうが多いですから、あまりくどさを感じることもなく、アンバランスに見えて実はバランスが取れてたりします。しかし、これを映像として始終画面にロリっ娘を映すとなれば均衡が崩れることになり、途端に作品のイメージや面白さが変化してしまうのです。
小説だからこそ通用する話というのは確かにあって、ロウきゅーぶはまさにそういう作品の一つ。おそらく出版社側もそれぐらいのことは理解していると思うんですよ。理解しているからこそ、出演声優にユニット組ませて踊らせてみたり、作品外の要素で儲けようとしているわけ。私は別に、作品の主題歌を主演ないし出演声優が歌うことは否定しないけど、アニメ開始前から声優ユニットを売り出すようなやり方が、原作物のアニメとして正しいのか疑問に覚えます。

先日までやっていた電波女もそうですけど、必ずしもアニメ化する必要のある、アニメで観たほうがいい作品ってのは減ってきている気がするんですよ。それは好意的に解釈すれば、ラノベ的な面白さを追求するあまり、アニメに不向きな作品が増えたとも言えるし、否定的に結論を出せば書き手のレベルが下がって視覚的にも楽しめる作品が減ったとも考えられる。少なくとも、シーキューブやシャナの再アニメ化なんてしている時点で、電撃もそろそろやりつくした感があるんじゃないかなと思う。
最近、CSのテレ朝チャンネルで再放送をやっているので観る機会が多いんですけど、私は平成ライダーの中では555が2番目に好きですかね。というか、この作品以降はディケイドまでまともにライダー見なくなったんですが、当時はハロゲンヒーターだとか散々な言われようだった気がする。バトル的な面白さでは龍騎に劣るものの、作品的な濃さでは上回るんじゃないかな。どちらも井上敏樹脚本の作品だけど、それなりの救いがあった龍騎に比べて、555はなにも残っていないという対照的なところが好きだった。登場人物の裏設定とか、人を見せるライダーだったよね。

私は頭の硬い旧人類ではないから、ライダーは昭和以外認めないとか、平成以外のライダーは化石なんていう、そういう考えとは今のところ無縁です。単純な好みから言えば、やはり世代ということもあってBLACKやRXが好きで、ディケイドに南光太郎本人が登場したときは感動した覚えがあるけど、だからといってライダーはウルトラマンと同じく、シリーズ単位で一括りにしても良いんじゃないかと思う。確かに旧来のウルトラ戦士に比べ、平成のウルトラマンは光の巨人という設定であり、同じようにライダーも表現規制から昭和の頃は当たり前だった改造人間という設定が使えなくなっているけど、そんなものは些細な違いに過ぎないよ。
長くシリーズをやっていると、これは違うとか、こんなものは何々じゃないみたい議論がなされることが特に多くて、ライダーはガンダムと同じぐらい、特にそれが顕著だと思うんですよ。ウルトラマンの場合は設定こそ違えど、やっていることは巨大化して怪獣と戦うという昔ながらのお約束を守り続けてますし、それに対する違和感など発生しようもない。けれど、ライダーやガンダムは新作が発表されるたびに見た目や設定が大きく変わり、同じシリーズでありながら地続きではないんですね。キャラクターの設定という意味では戦隊ヒーローも、その年の流行を取り入れ大きく変化をつけてきますが、やっていることはウルトラマンと同じで変りないですし、その辺の違いがファン心理に大きく影響しているんですかね。
私はシリーズものに対する深いこだわりというのが、実のところあまりない人なので、新作が出ると無条件でそれを受け入れる傾向にあります。勿論、前のほうが面白かったとか、そういう感情を抱くことはありますけど、だからといって新作を否定するほど了見が狭いとも思わない。

しかし、555に話を戻すと、ライダーってのは序盤にやろうとしたことを、後々まで引っ張ることがなかなか出来ない作品だよね。例えば、555は最初の舞台が九州で、バイクでツーリング中のヒロインが、同じくバイクで旅している主人公に出会うといった、どこかロードムービーを思わせる旅物語になっています。事実、序盤数話はそうしたバイクでの移動がメインであり、何話か経過した後に、初めて東京へと舞台が移るのです。訊いたところによると、当初はそうしたロードムービー的な作品にしたかったらしく、それが地方ロケの連続という事情から制作費を圧迫し、序盤で頓挫してしまったとのこと。
私はライダーの制作総予算は知りませんけど、前述のとおりライダーってやりたことを最初にやりまくった挙句、後は無難な作品、展開になることが非常に多くて、最近だと響鬼も同じような感じになってましたね。始終、森の中、山の中でロケをしまくった挙句、予算が底をついて路線変更を余儀なくされたとか。同じような話は初代平成ライダーのクウガにもあるけど、なにか変わったことをやろうとすると、その分だけお金がかかるという良い例ですね。まれに作品なんてのものはタダで作れると勘違いしている人がいますけど、そんな訳はありません。小説だって、ペンと原稿用紙だけあれば書けるもんじゃないのですから。まあ、今はワープロが主流なんだろうけど。

私は今やっているライダーも戦隊も観ていませんし、多分、次回作も観ることはないでしょう。私がそれらを熱心に観ていたのは遠い昔のことであり、仮面ライダー龍騎ですら9年以上前なのです。ただ、たまにCSかなにかで見返してみると、10年経とうと良い作品は色褪せないと思うんですよんね。まあ、単に日本の文明、流行、技術がここ10年であまり変化してなくて、映像の時代や古臭さを感じないからなんでしょうが……まあ、それは昭和ライダーにだって言えることか。そう考えると、丁度中間に当たるBLACKやRXは、昭和臭さや今っぽさのアンバランス具合が非常に良い感じですね。
誰かBLACK好きの人で、私と一緒に倉田てつをがオーナーやってるステーキハウスに行ってくれる人いないかな。いないか、さすがに。遠いし、高いもんね。気軽に行ける距離ではないだけに、いつも二の足を踏んでいる気がする。
よく、日本の中高生がする妄想の一つに「もし、学校がテロリストに占拠されたら?」というものがあります。要は自分の通う学校にテロリストがやってきて、それを自分が格好良く撃退するといった類のものなんですが、試しにGoogleで学校+テロリストで検索をかけると出るわ出るわ、その手の話が山のように現れる。それほど日本の、特に男子学生にとってはポピュラーな妄想なんですけど、実はこれって世界的に珍しいものではなかったりします。むしろ、テロリストという非日本的な題材な時点で、海外な方が活発なぐらいです。

1991年に公開されたアメリカ映画で、「トイ・ソルジャー」という作品があります。若き日のショーン・アスティンが主演の作品ですが、この映画を一言で言うと、アメリカ版学校+テロリストといった感じです。簡単に概要を説明すると、囚人である父親の釈放を目論むテロリストのリーダーが、金持ちの子息ばっかり通う全寮制の男子校を占拠し、それに対して校内でも札付きの悪ガキグループが抵抗を開始するという話。まんま、前述した日本の厨二病的妄想であり、違いがあるとすれば守るべきヒロイン、つまり女生徒がいないことと、全寮制という日本では珍しい空間が舞台ということでしょうか? 日本の男子学生が妄想で済ませるところを、映画にしてしまう辺り、さすがアメリカはスケールが違うと思いますが、学生時代に一度は夢見る妄想だけあって、内容の方もそれなりに楽しむことが出来ます。
ただ、日本の妄想と違う部分としては、決して悪ガキたちはテロリストと殺し合いをしません。特殊能力や武器知識があるわけでもなく、あくまで敵を出し抜き、欺いて、外に展開している軍を引きこもうとするだけです。これは後述しますけど、アメリカと日本における子供という存在に対する考え方の差なんでしょうね。日本の妄想なら主人公達がテロリストから銃器を奪い、敵を殲滅するぐらいの勢いなんですが、この映画での場合、そういう流れにはなりません。もっとも、悪ガキの一人が銃を奪うシーンはあって、暴走の挙句に殺されてしまうのですが、なんとこいつがマフィアのボスの一人息子なのです。
マフィアのボスは囚人であるテロリストリーダーの父親と顔見知りで、彼を通じて息子だけを助けだそうとするのですが、元々マフィアのボスである親を嫌っていた息子は自分だけを助かるのをよしとせず、怒りのあまり暴走して射殺されてしまいます。仲間であった悪ガキたちは抵抗を諦めてしまうほどに気落ちしますが、マフィアのボスである父親は黙っていません。刑務所に手を回し、報いを受けさせるとして囚人を殺してしまうのです。

友人を失った悲しみから立ち直り、仲間と共に反撃を開始する主人公ですが、前にも書いたとおりテロリストのリーダーを撃ち殺すとか、そういう直接的な手段はとらず、実際にリーダーを射殺したのは、悪ガキたちをいつも叱っていた校長……いや、教頭先生だったかな? たまたま学校の外へ用事があってテロに巻き込まれなかったという、日本の妄想なら主人公となりうるシチェーションですが、それを生徒ではなく教師が持っているのです。いつも小馬鹿にしていた教頭が、自分の命を助けたヒーローとなった。ここから分かるように、英雄とは大人がなるものであって、子供に与えられる称号ではないのです。アメリカは英雄願望が強いことで有名ですけど、それは決して子供に当てはまるものではありません。例えば、アメリカ人が日本に抱く疑問として、何故日本のゲームやアニメは少年少女が主人公であることが多いのか? というのがあります。アメコミなんか見るとわかりますけど、中学生とか小学生のスーパーマン的存在が活躍する話って、無効じゃか限り無く皆無に近いんだよね。それはアメリカ人にとって、戦いとは大人がする行為であって、世界を子供に背負わせるという発想がないから。大人には大人の果たすべき責任というものがあり、子供にもまたそれはあるけど、差し当たって世界の宿命や命運は含まれてないんだよね。だからこそ、日本の少年少女主人公は向こうで受けにくいのです。

たまにアニメとか、特にロボットアニメを見ていて思うことなんだけど、10代で人生のすべてを決めてしまっている奴があまりに多いと思うんだよ。15~18歳に間に起こった出来事が、人生で最大級の事件だったとしても、普通ならその後6,70年の人生が残ってるわけじゃない? 10代からそんな調子で、残りの人生どうやって生きて行くんだよとか、そういうくだらない心配をしないでもないんだよね。早く咲いた花ほど、枯れるのも早いっていうし。
公開初日の朝一で観てきたわけだけど、川崎のTOHOシネマズには違う映画を観るために一度行っているから、今回が2回目になりますね。朝の9時前から川崎へ行くなんて、チネチッタでとある舞台挨拶のチケットを買うために並んで以来だけど、そらおとに関しては敢えて舞台挨拶は狙わずに、一般上映を選びました。そういったイベントが嫌いな訳じゃないんですが、どちらかと言えば映画は集中して観たいですからね。初回ぐらいは、じっくりと鑑賞してみようじゃないかと思いまして。まあ、舞台挨拶自体は他でもやるみたいだし、後々から参加するでも問題はないでしょう。後、映画が始まる前に川崎の街で色々なことがあったんだけど、思い出すと不快なのでそれはカットの方向で。詳しくはTwitterの方で御覧ください。

そらおと初の劇場版ですが、話自体は原作に存在するものを使用しており、その内3分の1をアニメオリジナルとしてアレンジ、もとい再構成しているのが今作品になります。原作コミックスとしては丁度9巻から10巻の最初にあたる話で、主人公の智樹がいつの間にか所属扱いにされていた新大陸発見部に、風音日和という少女が入部希望してきたとろこからスタートします。新たに登場したヒロインが軸となって展開される、そらおとでは珍しい長編なんだけど、実はこの日和という少女、原作では結構唐突に登場します。アニメでは台詞ありの状態で1回、台詞無しの顔見せで数回登場しますけど、原作では最初の1回のみであり、正式な登場までは謎多き少女ということになっていた。
アニメというか映画はそんな日和を登場させるに当たって大幅なアレンジを加えており、なんとエンジェルビジョン方式と称した日和視点の総集編を序盤から30分位長したのです。そらおとの1期1話から、日和がそこにいてもおかしくない話だけを抜き出して、彼女がどれだけ智樹のことを観てきたか、というのを描いたわけですね。日和は智樹のことを恋愛対象として好きなんですが、原作だとその理由が特に語られなかったから、そういった不足分を補おうとしたのかも知れない。恋する乙女は如何にして智樹を好きになったのか、みたいなね。ただ、日和の新規映像があるとは言っても基本的には総集編ですから、1期と2期を観てきた人達にとってはなにか新鮮味があるわけでもないし、かといって映画から観るという新規の人向けなのかと言われれば、それに関しても首を傾げてしまう。
というのも、日和視線を挟むことが出来るのって基本的にギャグパートやギャグ回だけなんですよ。だから、イカロスやニンフたちエンジェロイドがどういう存在なのかとか、智樹はどんな経緯や経験の末に彼女たちと暮らしているのかといった、そういう説明は一切無いんだよね。ニンフやアストレアも、日和視点ですからいつの間にかそこにいた感じですし。だから私の個人的な感想としては、単純に制作期間足りなかっただけなんじゃないかと思う。だって、日和自身はある程度唐突に登場しても、話としては成立するもの。原作がそうなんだから。

原作と映画の大きな違いは、視点の複数化にあると思います。つまり原作においては、ほぼ智樹の視点で構成されているが故に、日和は最低限の情報だけでも成り立っているのですが、映画は序盤を日和視点にすることで、徹底的に鑑賞者へ彼女の情報を与え、感情移入をさせようとしているのですね。強引なキャラ立てもあったものだと思うけど、やり方としては別段間違ってもいないでしょう。
序盤の総集編が終わると、映画にも関わらず何故かアイキャッチが挿入され、ここだけ登場のトモ子が出てきます。5月のヤンフェスで藤田咲が、「映画でトモ子が何回きゃる~んといったか数えてみてください」と行ってましたけど、まさか1度だけとは……まあ、原作だと登場してませんからね。このアイキャッチが終わると、視点は本来の主人公である智樹へと戻り、彼の視点から新入部員である日和が描かれるわけです。
原作における日和編は終盤までシリアスにはならず、シリアスに突入した後もギャグパートがあるなど、基本的に楽しげな話が多いのですけど、映画はそれらがあまり再現されていませんでした。予告にあった車窓からとか、結構期待していたんですけどね。日和→智樹を描いている割には、それによって揺れているイカロス以外のエンジェロイドや、そはらのことを全然描いてないんです。あくまでヒロインは日和だけというか、日和編における大事な箇所だけを抜き出して再構成してる印象を受けます。
この点に関しては、総集編やるぐらいなら車窓からやメイドをやってくれよという気持ちが強いので、あまり良かったとは思いません。ましてや、日和入部後の短い話が終わったと思ったら、すぐに戦闘へ突入し、それもあっという間に終わるだけですからね。

序盤の総集編で智樹への想いを募られていた日和ですから、本編で告白するまでの間が短くても、鑑賞者的には唐突でも突然でもありません。けれど、日和はその設定上、告白後に一度退場するキャラですから、車窓やメイド等のイベントやらないと、本編がどうしたって短くなってしまうんですよ。制作側がそこら辺をどう考えていたのかは知らないけれど、私は本編よりも総集編のほうが長く感じた。
しかも、日和編における戦闘は主にニンフがメインとなっており、イカロスやアストレアはどちらかと言えば脇役です。ニンフは物語上のサブヒロインを務めることが非常に多く、この話にしても彼女が長年繋がれていた鎖を、本当の意味で断ち切ったという、かなり重要なものになります。にもかかわらず、日和の設定を変えるなどしてニンフの活躍機会を大幅に奪い、日和と対決するのはあくまでイカロスということにしてしまった。これは、アニメのヒロインがイカロスで構成されているからなのか、メインヒロインであるイカロスの活躍がないのは不味いという大人の事情や判断かは知らないけど、私は少し不服だったりする。そもそも日和の気象兵器設定を、訳の分からない時間干渉能力に変えた事自体、なんの意味があるのかと思ったりね。時計じかけの哀女神というサブタイは綺麗だけど、だからといってそれが本編に上手く絡んでいるわけでもないし、気象兵器が威力の割に地味だから変えられたのかとか、かっこいいサブタイをつけたかったという興業的理由なのかと邪推してしまう。

ニンフが活躍しない時点で最終的な日和の結末も原作とは大きく違いますし、含みを持たせたエンディングであるとはいえ、3期に続かずここで終わってもいいようなラストにはしてありますね。まあ、2期でカオス編を終わらせてしまった時点で、なにをどうすれば3期が作れるのかという疑問はありますけど、そこはあまアニメスタッフの努力次第でしょう。正直、映画というよりは質のいいOVAを見ている印象が強く、話の内容的にも原作を越えるものではなかったんだけど、まだ前売り券は使ってませんし、舞台挨拶等のイベントにも興味はあるから、後2~3回は行ってみるのもいいかなと思っています。
私の手元にもやってきましたよ、初音ミク特集のSFマガジン8月号が。なんか、先日の日記を書いてからというもの、山岸真や堺三保、それに野尻抱介といったSF界のお歴々や、変なところでは三崎尚人みたいな業界人が、私の目の前や周囲に現れては消えて行くというのを繰り返していたんだけど、それだけSFMのミク特集に反響があったのだと思っておきましょう。でなければ、こんな場末の日記なんて誰も見ませんからね。関係者からは謝られる反面、良い宣伝になったとも言われたし、私にしたところで平凡に生きていたら絡む機会もないような人たちと接することが出来たので、実はそれほど気にしていなかったりする。驚きはしたけどさ。

さて、今回のSFMは初音ミク特集なわけですが、その前に1本の読み切りが収録されています。SF作家、神林長平書き下ろしの「いま集合的無意識を、」です。これは初音ミクとかまったく関係ないもので、謂わば先月号で特集されたことの続きだったりします。先月号持っている人なら分かると思うけど、前回のあれはこの書き下ろしを読むことで初めて終了するんです。どうして今月の企画とは関係ない短編がミク特集の前に載っているのかといえば、この時点ではまだSFM7月号だから。
私は一種の演出のようなものだと捉えることにしたけど、これを読むことでSFM7月号は終わり、ミク特集である8月号へと移ることが出来るのです。正直、上手いやり方だと思った。というのも、神林長平の読み切りが載ることは知ってたものの、例のごとく内容までは詳しく知らなかったんですよ。SFファンで彼の名前を知らない人はいないと思うけど、知らない人のために解説すると、戦闘妖精雪風などで知られる第3世代SF作家になります。日本のフィリップ・K・ディックとも言われ、ハードもコメディも書くことの出来る大ベテラン。当然ながら、私の好きな作家の一人でもある。
書き下ろしの内容については、発売したばかりということもあって、どこまで書いていいのか悩むが……幻想的であると同時に、胡散臭いと私は思った。編集から感想を聞かれたときに、私は失礼にもそう言ってしまった。けれど、どうしたことだろうか。読めば読むほど、そうした最初の印象は薄れていき、圧倒的なSF強いテーマ性、そして作者が持つ作家としての技術力にのめり込んでしまうのだ。先月号を読んでいるか否か、もっと言えばとある一人のSF作家を知っているかどうかで感想や印象は大きく変わるのだろうが、題材の凄まじさも含めて是非多くの人に呼んでもらいたい作品だと思う。

私はSFMを読むときは、とある理由からリーダーズ・ストーリイを最初にと決めているのだが、その次に読んだのが神林長平の読切だった。メインはあくまでミク特集なのだから、読み飛ばすか後に回しても良かったものを、最初から順当にと思ったのだろう。カラーページをざっと観て、そして書き下ろし短編を読んで……全てがひっくり返ってしまった。神林長平はこの読切を自分への決着と、若者へのメッセージであると書いている。経験上、年配者から若者に向けて送られる言葉など、大半が説教の類であって、この話もそういった部分がないわけではない。しかし、それ以上に、とある一人のSF作家への想いが滲み出ており、私が当初感じていた胡散臭さは、奇妙な納得感へと変化していた。ネタとして有りか無しと言われれば、神林長平以外がこれをやったら袋叩きもいいところだと思うが、逆に言えば彼だからこそ許される、そんな作品であることは確かなのだ。
それ故に感じる、説得力とは違う一種の納得力。内容自体はとても物静かにも関わらず、読了後に胸を打つ力強さがあった。物書きとしては少々悔しい気もするのだけど、読者としてなら、私のような、私たちのような若い世代こそが読むべき作品なのだろう。
本当は読切に付いてはあまり書かないつもりだったんだけど、気づけばいつもの日記並に書いてますね。SFM元編集長である塩の人がTwitterで言ってましたけど、今回のSFMはとにかく豪華なんですよ。だから書くことがいっぱいあるんですが、後はミクについてのみ書こうと思います。ピーター・ワッツの読切も面白かったものの、誌面のすべてを取り上げていたらきりがないのでね。神林長平について書いたのは、読み飛ばしてもらいたくないと私が思ったからで、例え虐殺器官やハーモニーを知らなくても、一読して欲しいと感じたからです。

まあ、それはともかくとしてメインであるミク特集。表紙の画像は前回も載せましたけど、KEIの描き下ろしですね。KEI自体は早川書房でイラストの仕事をやっていたこともあり、あるいはその繋がりで今回のミク特集に発展したのではないかと私は思っているのですが、掲載される雑誌が雑誌ということもあってか、いつにもましてSFチックな雰囲気が漂ってますね。他のボーカロイド、クリプトン製ならリン・レンやルカも載せるべきか否かという意見はあったらしいけど、あの子らまで出てくると企画趣旨が若干ずれてしまうからね。特にリン・レンは、SFよりもファンタジー的な楽曲が多いから、表紙をミクだけにしたというのは正解だったと思います。
カラーページはまず、初音ミクの生みの親であるクリプトンの佐々木渉インタビューが載っています。定盤ということで基本的なこと、導入的な部分しか触れられてないのだけど、モノクロページから始まる続きは、かなり詳細で読み応えのある内容になっています。勿論、私は熱心な初音ミクファンというわけじゃないから、あるいはこの佐々木氏のインタビュー内容は、以前に他誌でも話したことがあるようなものなのかも知れないけれど、初音ミクを知る、製作者を知るという意味ではかなり分かりやすいものなっている気がする。やはり、音楽ソフトなだけあって、佐々木氏の中にある音楽観などの話題も触れられてるんだけど、これもミクを知る上では非常に興味深い内容だ。
印象に残ったやりとりとして、インタビュアーがこんな質問をしている。
――例えば、「シンギュラリティ」という言葉があります。簡単にいえば、機械が人間を超える特異点を指すんですが、ミクがいずれは「楽器・ツール」を超えて「歌手」として人間には表現できない領域に踏み込むという意識はおありですか?
佐々木 人間を超えるというより、そもそも人間と違うこと、人間になりきれなかった女の子であることが重要だと思ってるんです。肉体存在という唯一無二の実態がない分、劣化コピーではなく初音ミクそのものが個々のユーザーの手元にいて、ユーザーが動かしてあげて、何とか歌える……云々。
本当はもっと長いんですが、私はここに堪らないほどのSFを感じてしまった。初音ミクというのは楽曲制作や二次創作のしやすさを優先するため、本当に基本的な設定外はなにもなく、KEIがコミックラッシュでやっていた漫画も非公式であるとクリプトンが宣言したほどだったのですが、なんていうか上記のやりとりで初音ミクという歌姫本質を垣間見たような気がした。ミクファンにとっては常識的なことなのかも知れないけど、私にはなんか衝撃的で、掻き立てられものがあった気がする。

そろそろ初音ミク特集のメイン企画であると思われる、現役SF作家3人による短編について書きましょうか? インタビューと短編の他にはエッセイなんかもあるんだけど、私はどうにもエッセイの解説というのが苦手でね。少々堅苦しい内容のものも多かったから、気軽に感想というわけにはいかなそうで。だから、とりあえずは短編のほうを書くことにします。
以前の日記でも触れたとおり、今回の初音ミク特集には3人の作家による書き下ろし短編が収録されており、それぞれがVOCALOID、というよりもミクをテーマにしている。発売したばかりなので、詳しいネタバレはさけるが、三者三様とでも言うのか、どれも作家自身の持ち味が強く出ており、なかなかに読み応えがあった。
まず、山本弘の「喪われた惑星の遺産」であるが、これは一言で言えばおバカSFという奴だ。いや、文章自体は至ってまともだし、書いている本人はさぞ真剣に書いたのだろうが、山本弘という人は実に馬鹿馬鹿しい内容を説得力のある真面目くさった文章で、さも壮大な話のように書き上げるプロなのである。彼の持論に「SFの本質はバカである」というのがあるが、金星探査機あかつきを発見した2800万年後の異星人が、異星人的見地からあかつき内に搭載された初音ミクのキャラクターに迫り、研究していくという内容は非常に読み応えがある。海外SFによくある話として、現代にやってきたタイムトラベラーが過去の文化に対する世間知らずを披露し、分からないものだらけの世界で右往左往とするというのがあり、日本で言えば現在人が江戸や戦国などの過去へ行く、などがあるだろうか? 逆に現代人が未来に行ってしまったり、それこそ江戸時代人が現代に来てしまったりと、タイムトラベルものとしては本当にメジャーなものであり、「喪われた惑星の遺産」という作品はそれに近いものがあるのだ。数千万年後の宇宙人は、遠い過去に存在した惑星人たちの文化を紐解くことに真剣であり、その真剣さが初音ミクという存在をよく知る我々には、思わず笑ってしまうような、馬鹿馬鹿しい光景に思えるのだろう。山本弘は自身のブログで、初音ミクは数百年後も残るキャラクターであると、以前この日記でも紹介した、富野由悠季や冲方丁の意見とは真逆の考えを披露していた。しかし、今回の短編は数百年どころか数千万年であり、彼の初音ミクに対する考えや、文化というものに対する想いなどが全体的なテーマとして滲み出ているのだ。そういった意味では、この短編こそ一番初音ミクという存在を全面に出していたのではないかと、私はそう思う。

泉和良の「DIVA の揺らすカーテン」は、視点という意味でなら、前述の短編以上に初音ミクを前に押し出している作品だ。しかし、私はこれが作りの甘い作品のように思えてならない。泉和良は2007年のデビューであり、年齢も35歳と比較的若目だ。彼はハヤカワで一度書いたことはあるものの、基本は講談社BOXと星海社を中心に執筆している男であり、どうにも文章や作風が雰囲気重視になっているように思えるのだ。最近の若い作家にはありがちな傾向で、まあ、流行りでもあるのだろうけど、淡々とした主人公による切々とした話の展開というのは、どうにも私の心に響きにくい。単純な趣味や好みの問題なのかも知れないが、物静かという意味では先の神林長平の読切だってそうであるのに、こちらにはあちらと違い心の奥底にある熱情のようなものがなく、どうにも淡白なのだ。
SF的な話をすると、この作品もジャンルとしては非常にシンプルでありがちだ。前述の「喪われた惑星の遺産」もそうなのだが、この2つに共通することとして、SFとしては非常に分かりやすいネタを、ミクを使って如何に表現しているか、というのがある。ジャンルやネタとしての新鮮味はないのだが、完成されているがゆえに型くずれすることがなく、どちらもまずまずな内容へと仕上がっているのである。「DIVA の揺らすカーテン」自体は、青春というよりは恋愛に傾倒した面が見て取れるが、作品の落とし所としては、まあ、こんなものだろう。長編小説の一部分を切り抜いたかのような印象をうけるのは、おそらく作者が短編を書き慣れていないせいもあるのだろうが、それ故に長編で読んでみたいと思わせる内容であったことは確かだ。まあ、現実的に考えれば難しい話なのかも知れないが、早川書房には是非とも検討していただきたいものである。

野尻抱介の「歌う潜水艦とピアピア動画」は、この短編の中で唯一のシリーズ物であり、前前作の「南極点のピアピア動画」は星雲賞の短編部門を受賞している。初音ミク、というよりはニコニコ動画をモデルにしたパロディ小説であり、先の2作品と決定的に違うのは、初音ミクそのものは登場しないことだろう。出てくるのは、小隅レイというミクをモデルにしたオリジナルのVOCALOIDであり、そういった意味ではミクや動画サイトをネタにはしているが、ミクそのものをテーマとはしてないとも言える。私はこれを機会に、本格的に初音ミクを絡ませるぐらいのことをやってのけるんじゃないかと思ったのだけれど、やはりシリーズ物ということもあってか、内容的には前作、前前作の設定を継承するしかなかったようだ。
ちなみにこの「歌う潜水艦とピアピア動画」は、初音ミク特集どころか今月号のトリを務める作品なのだけど、私にはなんとも感想が書きづらい。別にパロディ小説が嫌いな訳ではないのだが、ネタバレや元ネタ解説をしない方向で話を進めようとすると、あまりに書くことが少なく、魅力も伝えにくい。サブカルというよりは、最近のオタク向け小説と言い切ってしまったほうが適当とも言える内容は、初音ミク目当てに初めてSFMを買った若い読者にも、十分受け入れて貰うことが出来るだろう。
ところで、この野尻抱介であるが、先日ネット上で私の前に突然と姿を表した。実は今月号のSFMは、発売前から増刷と重版が決定し、Amazonがとある条件を出したことから早川書房が踏み切ったとかいう話で、そんな経緯もあってかAmazon上での売上が物凄いことになってたんですよ。趣味雑誌ランキングで1位になったかで、そうなると全てにおいて1位を取りたがるのが、昨今のオタクというかなんというかで、雑誌の総合ランキンの1位を取るみたいな運動が展開されて言ったわけです。まあ、ありがちな話ですよね。
ありがちな話だったけど、書籍という意味では珍しいこともあってか、私は最近の若いオタクはそういうの好きだねぇと、過去のハルヒやハピマテなどを思い出しながらTwitterで呟いてました。すると、突然そこに野尻抱介がやってきて、「運動の旗振りをしているのは自分だが、自分は50歳と若くもないし、ハピマテなんてものも知らないが」と非公式RTをしてきたのです。正直、50歳にもなってなにをしているんだと思わないでもなかったけど、野尻抱介の感覚としては、かつて吾妻ひでおが提唱した「SFを読むのではない、SFするのだ!」という教えを実践してのことらしい。
そう言われてみればなるほど、と思わないでもないけれど、野尻抱介本人がそういう考えのもとに動いていたとしても、それに乗っかっている若年層のオタクたちは、もっと単純に事を考えていると私は思うのだ。これもTwitterで呟いたことであるが、購入や購買によって本やCDの順位を上げることって、今のオタクにとってはある種の「祭り」なんですよね。参加条件は買うだけと簡単だし、貢献した気分も得られやすい。なにより実際に1位や1番をとったときの喜びや嬉しさが、共有しやすいんですよ。大抵がネットで行われていることだから。ブルーレイやDVDの売上を注視して、その結果で作品の価値を決めるという風潮も、今は普通にあるからね。
もっとも、私自身はそういう「祭り」を否定しているわけじゃなくて、それが好みの作品であれば乗っかることもしばしばありますから、今回のSFMに関しては良いんじゃないかと思っています。なにせSFMの増刷や重版自体、創刊史上はじめてのことですし、SFファンとしては嬉しいじゃないですか。これが最初で最後かもしれないけど、少なくとも悪い気なんてするわけがないです。

最後は話が少しずれましたけど、初心者からコアなファンまで、幅広く楽しむことの出来る初音ミク特集だったのではないでしょうか? 初心者の場合、小説誌にありがちな堅苦しさに戸惑いを覚えることもあるでしょうが、めげずにじっくりと読んでいけば、割とすんなり読めるようになるものです。山本弘はブログで、数年も前に星雲賞を取ったのだから、今回の特集は遅すぎるほどではないかと言っていたのだけど、私はそれに半分だけ同意し、もう半分で否定したいと思う。確かにミクが星雲賞の自由部門を、3年か4年前にとったのは事実だ。でも、数年前と今では事情が違うし、当時に出来なかったことが、今なら出来るということもあるだろう。
SFMの編集が、「今がベストタイミングであると信じているからこそ出来た」といった感じのことを言っていたけど、私はその通りだと思った。所謂オタク雑誌や一般誌が初音ミクを取り上げ尽くした今だからこそ、SF専門誌であるSFマガジンが初音ミクという電子の歌姫を特集することに、意味が出てくるのだ。
初音ミクはもはや一つの文化となった。そして我々は、その文化を見つめ直す、あるいは紐解くために、SFという新たな観点を必要としていたのだろう。忘れてならないのは、流行は廃れるが、文化というものは進化する可能性に満ちているということだ。かつて、富野由悠季や冲方丁が初音ミクを論じたときよりも、彼女は着実に成長し、進化している。SFMは私にそういったことを確認する機会を与えてくれたようなもので、期待以上の答えを私は得ることが出来た。だから今、私はとても満足している。
うっかり買ってしまいました。いや、俺つばのアニメ自体は今期2番目ぐらいに好きな作品だったんだけど、まさかBD買うほどまでになるとは思わなかった。最終回は少し納得いかなかったものの、これを注文したのは放送中だったし、多分続巻も買うんじゃないかと思います。ハッキリ言って原作は好きでもなんでもないんだけど、アニメとしては可も不可もないというか、無難にまとまっていたとし。私は奇抜さや大味よりも、無難なアニメを望むのかも知れませんね。エロゲ原作に限って言えば、ですけど。なんか、西又絵ってアニメになると私好みになるから不思議なんですよね。過去のらぶドル然り。

BDは無修正版ということで、TV放送時に掛かっていた修正が解除されているのだけど、乳首はともかく俺つばはパンチラや胸もみなどにも修正を加えるなど、昨今のアニメとしては結構厳しめだったりします。AT-Xでさえ、それは同じでしたし。まあ、他のアニメがおっ開き過ぎなんじゃないかという気もしますが、どちらにせよ私はこの手の無修正商法というのがあまり好きじゃないし、俺つばに関しては修正云々よりも、単純に話が見返したかったから買ったんだと思う。全部録画してるけど、BDにはキャラコメンタリーとかも付くしさ。
昔はオーディオコメンタリーといえば、スタッフないしキャストによる作品解説というのが主だったものだったけど、キャラコメをやるようになったのはいつからなんでしょうね? ぶっちゃけ、声優的には一番きつい仕事らしいけど、まあ、無理もないと思う。台本あるとはいえ、キャラ声とテンションを維持したままでトークしないといけないんだから。
第1巻のキャラコメ鳳兄妹でしたけど、なんだかんだ言って仲の良い兄妹ですね。もっとも、妹は兄ほど相手に対する関心は持ってないみたいだけど、そこら辺は色々複雑ということで。どちらかと言えば、ギャグのようで淡白なやりとりになってましたが、キャラコメなんて中身があってないようなものだからなぁ。私はメインヒロインの中では鳳鳴が一番好きなんだけど、というか隼人周りの話が最も面白いと感じたんでしょうね。ユイとか脇役もいいと思うし、アリスはいつになったら攻略できるんだってぐらいだし。ねぇ、ユイでさえ今度出る奴で攻略可能になるというのに、アリスファンはどうすればいいんだ。

スタッフコメンタリーは聞いてないけど、まあ、機会があったらということで。
最近、自身事故が多いよねぇ。朝も夜もどこかしらでなにかあるって感じで、この前なんて帰宅ラッシュ時に横須賀線、東海道線、京浜東北線、そして湘南新宿ラインが止まったもんだから、まったく酷いもんでしたよ。私は仕事で東京方面まで通ってるんだけど、全部止まるとJRでは横浜に帰りようがないんだよね。方法としては渋谷まで行って東横線に乗るか、あるいは品川に行って京急線に乗り換えることなんだけど、前者は渋谷まで行くのが大変だし、後者だは混雑を超えた大混雑になるのが眼に見えてますからね。まあ、それでも職場に戻るよりはマシかと思って、とりあえずは品川まで行くことにしました。

唯一動いていた山手線で品川まで移動したんだけど、駅のホームからして大混雑で、階段まで行くのに10分はかかったかも知れない。私はまだ良かった方で、中には30分掛けてホームから離脱したという人もいるぐらいだったから、相当なものだったんでしょうね。震災の翌朝を思い出さないでもなかったけど、瞬間的な意味ではこっちの方が上だったかも知れない。コミケ会場だって、ここまでの圧迫率はないですよ。
京急線への乗り換えは案の定凄まじいことになっていたようで、早期の帰宅を諦めたサラリーマンたちで駅前の飲み屋は賑わっていたといいます。私は酒を飲まない人なので、品川の駅ナカであるエキュート内で時間を潰すことに。といっても、飲食物に金を使う気にもなれなかったので、ホームから上がってすぐにあったBOOK EXPRESSへ入ることに。JRの駅構内にある本屋ですけど、横浜や渋谷なんかにもありますね。横浜店はそれほどでもないけど、品川店は結構な規模であり、新刊も充実していました。本屋としてのBOOK EXPRESSの特徴はまさにこの部分にあり、既刊ではなく新刊を中心に多く取り扱っているということです。人気のコミックスなどはある程度の冊数もおいてありますが、基本は最新と直近のみで、偶然通りかかって「お、この新刊出てたんだ」という感じに買っていく人を対象としているんですね。
私は運の悪いことに手持ちの本を職場に忘れてきており、文庫本の1冊でも買って時間を潰そうと考えていました。しかし、ふとコミックスの棚に行くと、そらおとことそらのおとしものの新刊が出ていることを発見。いつの間に、と思ったけど、月始めに出ていたらしい。

そらおとはエースで連載している作品の中でも、1話ごとの内容量というのが物凄くあって、それこそ4話分もあれば単行本1冊は楽に作れてしまうほどだったりします。そのため、コミックスの刊行ペースがとても素早く、月刊誌にも関わらず年間3~4冊は当たり前という驚異の速度です。だって、第1巻の刊行年って2007年ですよ? 月刊誌連載の漫画が、たった4年で12巻も出してるんだから、凄い話だ。
漫画は文庫本に比べると、あっさり読めてしまうものだけど、丁度東海道線の運転が再開されたこともあって、ガタコトと満員電車に揺られながら読んで帰ることに。正直、そらおとは電車内で読むような漫画でないのだけど、まあ、私はそういうのあまり気にしないから。ブックカバーは掛けてあったし。
さて、12巻は前巻からの続きということで、カオス復活篇の途中ですね。智樹と触れ合い、愛というものの暖かみを知ったカオスだったけど、帰ろうとしたおうちであるはずのシナプスから砲撃され、マスターから拒絶されるという悲惨な目に合います。シナプス最強の防空システムと称するZEUSですけど、なんか銀英伝のトールハンマーを思い起こしますね。球体状の物体から放たれる砲火ということで、あまりの威力にカオスは再生したばかりの羽を撃ち抜かれます。続けてハーピーたちが猛攻を加えるわけですが、こいつらって自分より小さいものにしか強がれないよね。アニメの印象が強いのでイマイチ可愛げがないんだけど、自身のマスターに対する想いはそれなりにあるようで。多分というか、ハーピー自身はダイダロスじゃなくて、このマスターの自作なんだと思う。失敗ばかりしているのに廃棄しないのは、そういう事情もあるんだろう。カオスだって同じなはずだけど、使っている技術はダイダロスのものだし、元々命令を訊くような性格をしていなかったので、あまり思い入れが無いのかも知れない。まあ、直接的な原因はセイレーンを食ったことだろうけどね。カオスよりも、セイレーンの方が好きだったんでしょう。カオスに食われている最中、マスターに助けを求めていましたし、ハーピー同様の関係性が合ったのだと思うし。
マスターに拒絶されたカオスは、智樹の元へと向かうのですが、タイミングの悪いことに智樹はエンジェロイドたちに腹を立てており、カオスはその怒りの言語を耳にしてしまいます。智樹はカオスが来ていることなど知りませんし、そもそも彼女がエンジェロイドであることすら知りませんからね。そして、イカロスたちは智樹とカオスが出会っていたことを知らなかった。巡り合わせの悪さが誤解を生み、カオスは暴走して再び海の中へと引きこもってしまいます。彼女の涙に突き動かされたアストレアが追おうとしますが、イカロスと違って耐水圧装甲を積んでいないので、断念するしかなかった。

カオスの成長フラグが立った12巻ですが、他の見所としては智樹の母親が現れたことですかね? まあ、まんま大きいトモ子だけど、親子揃っていい性格をしてました。桜井家って母親の家系だったんですね。父親は地味な感じでしたが、そはらと同じく抑え役らしい。「羽なんか……気にすんな!!」という豪快さは、智樹以上でした。ギャグキャラだったので、再登場やシリアスパートに絡んでくるかは不明だけど、息子が未確認生物と暮らしていても問題とは思わないらしい。少なくとも一晩は両親は家に泊まっていたはずなんですがね。
多分、この刊行ペースであれば秋頃には13巻が出ても不思議はないのだけど、その頃には映画のBDとかも出ているんだろうか。そういや、時系列的には映画の公開がもうすぐだな。
シャリテクロワールが夏コミで発行を予定している同人誌、ヨスガノソラ「春日野兄妹」アンソロジーの参加者が正式に決定しました。企画を始めた際は、果たして参加者が集まるのだろうかと、色々心配や不安にかられていた私ですけど、おかげさまで沢山の方々に賛同していただき、なんとかアンソロを制作できる運びとなりました。本当にもう感謝してもし足りないというか、原作ヨスガと春日野兄妹を愛してくれている人がまだまだ多くて、その意味でも感動していたりします。

「春日野兄妹アンソロ」執筆者ページ
URL:http://www.usamimi.info/~mlwhlw/author.html

以前の日記にも書いたとおり、何人かの方には私が直接メール等で参加をお願いしました。ヨスガノソラを通じて出会った人たちと一緒に、記念になるような本を作りたいというのは私の夢でしたが、今回はそれに応えてもらった形ですね。ヨスガで広がる同人の輪ということで、昨年からこっち活動してきた甲斐が合ったというものです。どの方も原作のヨスガをよく知っている、ハル穹を愛してくれている人たちなので、私は今からどんな原稿が来るのか楽しみでなりません。
そんなわけで大半の執筆者さんは知り合いだったりするんですけど、初めましての方も何人いかいます。告知ページを見て参加を申し込んでくれた方々なんですが、ここだけの話、直接お願いした方以外は参加者集まらないだろうと思っていたので、かなり嬉しかったりする。中には未成年の方もメールくれたりしたんですが、本の内容が一部成年向けとなってしまったため、残念ながらお断りすることに。まあ、そこのところは仕方ないよね。エロゲのアンソロだし。
私含めて執筆者は10人、その内漫画が5にイラストが4、カラーが2つで小説が2つだから……規模としてはそこそこでしょうか? まあ、それでも総ページ数が100を超えることないと思うので、形としてはミニアンソロだろうけど、こればっかりは各人の進行状況にもよりますからね。装丁等の正確なアンソロ詳細を出せるのは、多分締め切り過ぎてからじゃないかなと。

ヨスガノソラは同人ジャンルとしてそれほど盛況というわけではなく、アニメの放送が終了した直後の冬コミはともかくとしても、春のイベントは随分本も少なかったと思います。私はかつて、ヨスガの同人は持って春までだろうみたいなことを書いたけど、それは当たらずとも遠からず、という感じだった。COMIC1では私含めて何冊かの新刊を見かけることもあったけど、片手ほどあるかどうかといったところだったし、先日のサンクリはサッパリでした。まあ、コミケともなればまた違うのかも知れないけど、私が今回のアンソロ企画を夏コミ合わせにした理由には、そういった部分も考えてのことだったりするんですよね。夏コミの当落が確定してから募集を掛けるというのは、スペースは確保されているという安心感がある反面、制作日数は限られてしまいますからね。参加してくれる方の中にも、てっきり冬コミでやるのかと思っていた、と言ってた人もいましたし、時間的問題から参加を断ってきた人もいます。
けど、だからと言って冬コミまで企画を先延ばしにしようとは思わなかった。それは以前の日記にも書いたとおり、Sphereの新作であるイモウトノカタチが出る前に、ヨスガノソラで本を出したかったというのもありますけど、より同人的な話をすると、上記のようなジャンルとしての賞味期限みたいのもありましてね。勿論、私一人で出す本なら、ジャンルが流行っていようが流行っていまいが関係ないのですが、折角沢山の方に参加していただくアンソロなんだから、大勢の人に読んでもらいたいじゃないですか? であれば、冬に出すよりは夏に出したほうが、まだしも効果あるかなと。趣味同人とはいえ、こういう企画は人に読まれてこそだと思いますし。

そんなわけでアンソロは実制作作業へと移行したので、しばらくは日記でも取り上げる機会が少なくなるかも知れません。告知サイトも更新はしたいと思ってるんですが、常時更新出来るコンテンツがあるわけでもないので、なにかないかと現在考え中です。まあ、無理して用意する必要もないかと思うんですけど、それじゃあ寂しいですからね。この日記やTwitterにリンク繋げるという手もあるけど、常にアンソロ関係のことを書いてあるわけでもないから……うーん、週替わりで私の既刊から再録でもしてみようか? DL頒布でいいからして欲しいとイベントごとに言われてるんだけど、なかなかそういう機会に恵まれないもんで。いや、でもそうすると告知サイトの趣旨からずれるな。ちょっと色々考えてみます。
兎にも角にも、参加者も無事集まって制作がスタートした「春日野兄妹」アンソロを、皆様よろしくお願いいたします!
サンクリに行ってきたんですけど、会場30分前に行っても余裕なぐらい落ち着いてましたね。特に用があったわけじゃなくて、贔屓にしているサークルが一つだけ出るというので顔見せ程度の参加だったんだけど、参加者的には「サンクリにしては賑わっている」という感覚だったらしい。私も一瞬は同意したんだけど、よくよく考えればそんなわけあるはずもない。単にホールの規模が小さくなったから、そんな錯覚を覚えるだけですよ。A23ホールを半分しか使わないようなサンクリの参加者が多いわけないじゃないか。

カタログで50回記念が記念開催っぽくなかったと自虐するほどに今のサンクリは落ち込んでいるわけだけど、まあ、事件の尾を引くというよりは静かな衰退を迎えていると表現したほうが、今は正しいのかも知れないね。例大祭は勿論として、まどかやらシュタゲやらのオンリーイベントが盛況な中で、あの手の中規模オールジャンルはあまり需要がないのかも知れない。そもそも、人気ジャンルってものが今の同人界には存在しないからね。カタログ見て驚いたんだけど、遂になのはサークルでさえ消えかかってるんだから。俺妹もここまで残っているふうには見えなかったし、ISもいつまで持つか……まどかは今のところネタ関係の本しか話題にならないから、一過性という気もする。
私は今だにCレヴォの代わりでサンクリに参加しているという気分が抜けきらないから、サンクリに対する思い入れはあまりありません。それでもここまで過疎っていると、果たして年は越せるのかとか、そういう心配はしたくなってしまう。記憶の中で一番サンクリが盛況だったのは、4ホール開催で東方が特に勢いづいていた時だったと思うけど、今じゃ2ホール半にまで規模が落ち込んでいるわけだから、かつての栄華もいいところですね。まあ、数年前が異常だったのであって、今ぐらいがちょうどいいんだと言われれば、そんな気がしないでもないし。
大手というほどの大手は来てなかったけど、無限軌道Aがいたのは珍しかったかもね。あの花の折本をせっせと売ってたけど、そういえば私が贔屓にしているサークルの新刊もあの花だった。同人ジャンルとしては結構人気なんでしょうかね。大流行ってほどではないだろうが、夏コミでは一番本が多いかも知れない。春アニメは、あまり同人向けじゃないのが多いだけに。

贔屓サークル以外は本当に用がなかったので、終わったらさっさと帰りました。横浜でメロンブックスに寄って、クリアファイルでも引換ようかと思ったんだけど、特に買いたいものもなかったから断念。まあ、絵描きもそんなに好きじゃなかったし、なによりれもんと黒もんじゃね。やっぱり、めろんちゃんに限るよ。
帰宅したら昼飯を食べて、ニコ動で生放送されるそらおとの特番を観ることに。本当はバスツアーもイベントも参加したかったんだけど、日曜日の夜22時近くまで新宿にいるというのは、社会人的に次の日きつくなるじゃないですか。新宿からなら電車2本で帰れるけど、確実にてっぺんは超えるだろうし。バスツアーと同時開催って都合もあったんだろうけど、もうちょっと早い時間にして欲しかったというのが本音だったりする。そらおとは作品としては大好きだけど、イベントそれ自体にはあまり執着がないのか、舞台挨拶のチケットも取らなかったしね。まあ、舞台挨拶がそれほど好きじゃないってのもあるんだろうけど。後だろうと先だろうと、映画そのものに集中できなくなるし。
生放送自体は相応に楽しいものだったけど、1時間半と聞いていたのに最後の30分はそらおとfの最終回を流す、謂わば再放送みたいなものだったから、実質1時間程度しかなかったと思う。まあ、そんなものなんだろうが、ちょっと損した気分にならないでもなかった。特に満員で追い出されるようなこともなく、画質もそれなりだったから、たまにはこういうのもありかも知れないね。どうにもニコ動での生放送って好きになれないというか、あんまり得意じゃないんだけど、好きな作品関連だったから、あまり抵抗感みたいのがなかったのかな。

15時から1時間半だから、16時半には放送が終わっていて、その後はアンソロ作業をやったりしつつも、基本的にはのんびりとした休日を過ごしていた気がする。同人誌即売会に行ってきたとは思えないぐらいで、疲れみたいのはなかったかな。ああ、そうそう、アンソロに付いてはメンバーが確定したので明日の日記で書くことにします。色々ありましたけど、予想以上のメンツが集まったということもあって、今から夏コミが楽しみですね。その前に自分の原稿を書けって? うん、その通りだ。ネタは既にあるんだけど、折角のアンソロにそれでいいのかとか、私なりに悩んでいてね。いやはやなんともはや、どうしたものかしら。

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