木下工務店PRESENTS 銀河英雄伝説=第1章 銀河帝国編=
2011年1月13日 アニメ・マンガ
平日ですが、昼から芝居を観てきました。日記に使う画像はないかと探してたら、既にDVDの発売が決定しているとは知らなかった。初めに舞台化すると聞いたときは正気かと思いましたけど、いざ行ってみると満員御礼でしたね。あたり一面女子女性ばかりで、私は本当に銀英伝の芝居に来たのかと、なんだか圧倒されてしまった。まあ、昔から女性に人気な作品ではあったし、芝居観賞はどちらかと言えば女性の趣味だとは思うけど、それにしたって男性客の数が少なすぎる。田中芳樹ファンというか、銀英伝ファンはあまり興味がなかったのか、それともチケットが取れなかったのか。多分、後者なんだろうな。
私も最初はこのとんでも企画に難色を示したというか、そんな話題になることもないだろうとチケットも取らずに放置してたんですが、やたらとイケメン俳優を揃えたせいか、その手の女性ファンたちが食いついたらしくてね。いつかも書いた気がしますけど、気付いたときにはチケットが完売していて大慌てしたんですよ。それをとある女流ファンタジー作家、もうベテランもベテランに相談したら、偶然にもチケットを確保することが出来るというので即お願いして。おかげでなんとか観に行くことが出来ました。しかも、関係者席だからかメチャクチャいい場所で観られましたよ。会場である青山劇場にはサクラ大戦歌謡ショウでなんどか行った記憶がありますけど、それも数年前に終了しましたから、割と久しぶりだったかな。帝国劇場や四季劇場とは比較も出来ませんけど、劇場としては結構好きな方です。まあ、そんなに設備がいいわけでもないですけど、可も不可もないところとかがね。着いたときにはもう入場待機列が出来ていて、開場もすぐだったのでさっさと中に入りました。荷物を置いてトイレに行きがてら地下の物販スペースを観ましたけど、イケメン俳優を全面に押しているせいか、ポスターとかそういう感じのグッズが多かったですね。そんなに混んではなかったんだけど、俳優の写真集みたいなパンフレットを買うのもどうかと思ったから、なにも買いませんでした。ちょっと惜しいことをしたかな、という感じもするんだけどね。席に戻ったら隣りに座る客も来てたんだけど、やけにイケメンな男達が現れて少しびっくりした。関係者席だからそういうのが来てもおかしくはないし、休憩時間にロビーで握手を求められてたから、これは名のある若手俳優に違いないと思って帰宅後に調べたら、どうやら平成ライダーや戦隊の主役たちだったらしい。関係者席って凄いなぁ。
肝心の芝居ですけど、基本的には原作の流れを再現していましたね。敢えてネタバレをしていきますと、原作の1巻から2巻までを基本として、完全に帝国側のみを描いた感じでした。同盟側は単語や名前だけ出て来る感じで、ヤン・ウェンリーすら陰も形も出てこないという徹底ぶり。私は原作ファンやって長いですから簡単に思い浮かべることが出来ますけど、劇場に来ていた人らは読んだことも観たこともないひとが多いだろうから、はてさてヤン・ウェンリーとは何者なんだろうと、そんな感じだったのではないだろうか。悪人か前任かすら分からない、分かっているのは主人公であるラインハルトの敵であることぐらいか。
主な変更点としては、始まりであるアスターテ会戦にミッターマイヤーやロイエンタールが参加していたというところでしょうか。あの会戦は本来、ラインハルトの両手足を奪うために仕組まれたもので、帝国軍の双翼はおろか参謀のメックリンガーや艦長のシュタインメッツすらもラインハルトから引き離された、しかし本人はキルヒアイスだけいれば十分だと言い聞いた、そんな話なんですけどね。双翼を重要視するのは分かるけど、あれじゃあラインハルト単体の凄さが伝わらないじゃないか。それに艦隊戦のシーンもおざなりで、ひたすら効果音に合わせて「ファイエル!」と叫んでいるだけ。この辺りも原作読んでるか、ドイツ語に詳しくないとサッパリなんじゃなかろうか。
まあ、艦隊戦を再現できるとは思ってなかったから、それはどうでもいいんですけどね。しかし、白兵戦のシーンも不満があるというか、装甲服を用意できないのはいいとして、装甲擲弾兵が着ているのがまるでドラゴンボールの戦闘服みたいでかなりしょぼかった。さすがにあれはないよ。オフレッサーの戦闘は良かったけど、オフレッサーがトマホークを振り回すのに対して、ロイエンタールとミッターマイヤーは槍って。しかも、罠に嵌めるわけでもなく、2人がかりの直接戦闘で倒してますからね。オフレッサーそのものは自害しましたけど、奴に武人としてそこまでの挟持があったとは。
要塞の描写も本当にちゃちいというか、舞台装置がせりあがっただけって。後、登場人物の少なさもなぁ。リップシュタット戦役に入った段階で、ケンプやミュラー、ケスラーすら登場しないんですからね。特にケンプがいないことには衝撃を受けました。この芝居がどこまでやるのかは知りませんけど、花崗岩のようなおっさんを出す価値はないとでもいいたいのか。それから私が帝国軍で一番好きな、フリッツ・ヨーゼフ・ビッテンフェルトの役者もなんというか、チャラ男過ぎて本当に嫌だった。絶対原作読んでないことが丸分かりの、酷い演技でしたよ。
貰い物のチケットで批判ばっかりするのもどうかと思うけど、銀英伝ファンとしては正直予想通りの碌でも無い舞台だったかなと。原作を再現しているからこそ駄目だったというか、私はファンですから内容を理解できますけど、所見だと絶対に分からない作りになってました。そういや、アニメ版のラインハルトを演じた堀川りょうが特別出演するというから、なに役だろうと思ったらまさかのセバスティアン・ミューゼル、ラインハルトの父親役だった。なにか予感めいたものはしていたけど、まさかあのダメ親父をかつて嫌悪していたラインハルト自身が演じることになるとはね……まあ、女性向けということを配慮してか、道原かつみ版の設定を使うことでそれなりに可哀想な父親ということになってましたけど、堀川りょうはさすがに上手く演じてましたよ。憎むべき相手だったセバスティアンを演じることに、堀川りょうは抵抗とかなかったんだろうか? パンフ買えば、そこら辺のコメントも書いてあったのかな。
聞いた話では、春先にも双翼をメインにした外伝をやるそうですけど、星を砕くものでも上演するんでしょうかね。まあ、観に行くかどうかは、今回の舞台の出来を思えば微妙なんですけど、よく考えてみることにします。
私も最初はこのとんでも企画に難色を示したというか、そんな話題になることもないだろうとチケットも取らずに放置してたんですが、やたらとイケメン俳優を揃えたせいか、その手の女性ファンたちが食いついたらしくてね。いつかも書いた気がしますけど、気付いたときにはチケットが完売していて大慌てしたんですよ。それをとある女流ファンタジー作家、もうベテランもベテランに相談したら、偶然にもチケットを確保することが出来るというので即お願いして。おかげでなんとか観に行くことが出来ました。しかも、関係者席だからかメチャクチャいい場所で観られましたよ。会場である青山劇場にはサクラ大戦歌謡ショウでなんどか行った記憶がありますけど、それも数年前に終了しましたから、割と久しぶりだったかな。帝国劇場や四季劇場とは比較も出来ませんけど、劇場としては結構好きな方です。まあ、そんなに設備がいいわけでもないですけど、可も不可もないところとかがね。着いたときにはもう入場待機列が出来ていて、開場もすぐだったのでさっさと中に入りました。荷物を置いてトイレに行きがてら地下の物販スペースを観ましたけど、イケメン俳優を全面に押しているせいか、ポスターとかそういう感じのグッズが多かったですね。そんなに混んではなかったんだけど、俳優の写真集みたいなパンフレットを買うのもどうかと思ったから、なにも買いませんでした。ちょっと惜しいことをしたかな、という感じもするんだけどね。席に戻ったら隣りに座る客も来てたんだけど、やけにイケメンな男達が現れて少しびっくりした。関係者席だからそういうのが来てもおかしくはないし、休憩時間にロビーで握手を求められてたから、これは名のある若手俳優に違いないと思って帰宅後に調べたら、どうやら平成ライダーや戦隊の主役たちだったらしい。関係者席って凄いなぁ。
肝心の芝居ですけど、基本的には原作の流れを再現していましたね。敢えてネタバレをしていきますと、原作の1巻から2巻までを基本として、完全に帝国側のみを描いた感じでした。同盟側は単語や名前だけ出て来る感じで、ヤン・ウェンリーすら陰も形も出てこないという徹底ぶり。私は原作ファンやって長いですから簡単に思い浮かべることが出来ますけど、劇場に来ていた人らは読んだことも観たこともないひとが多いだろうから、はてさてヤン・ウェンリーとは何者なんだろうと、そんな感じだったのではないだろうか。悪人か前任かすら分からない、分かっているのは主人公であるラインハルトの敵であることぐらいか。
主な変更点としては、始まりであるアスターテ会戦にミッターマイヤーやロイエンタールが参加していたというところでしょうか。あの会戦は本来、ラインハルトの両手足を奪うために仕組まれたもので、帝国軍の双翼はおろか参謀のメックリンガーや艦長のシュタインメッツすらもラインハルトから引き離された、しかし本人はキルヒアイスだけいれば十分だと言い聞いた、そんな話なんですけどね。双翼を重要視するのは分かるけど、あれじゃあラインハルト単体の凄さが伝わらないじゃないか。それに艦隊戦のシーンもおざなりで、ひたすら効果音に合わせて「ファイエル!」と叫んでいるだけ。この辺りも原作読んでるか、ドイツ語に詳しくないとサッパリなんじゃなかろうか。
まあ、艦隊戦を再現できるとは思ってなかったから、それはどうでもいいんですけどね。しかし、白兵戦のシーンも不満があるというか、装甲服を用意できないのはいいとして、装甲擲弾兵が着ているのがまるでドラゴンボールの戦闘服みたいでかなりしょぼかった。さすがにあれはないよ。オフレッサーの戦闘は良かったけど、オフレッサーがトマホークを振り回すのに対して、ロイエンタールとミッターマイヤーは槍って。しかも、罠に嵌めるわけでもなく、2人がかりの直接戦闘で倒してますからね。オフレッサーそのものは自害しましたけど、奴に武人としてそこまでの挟持があったとは。
要塞の描写も本当にちゃちいというか、舞台装置がせりあがっただけって。後、登場人物の少なさもなぁ。リップシュタット戦役に入った段階で、ケンプやミュラー、ケスラーすら登場しないんですからね。特にケンプがいないことには衝撃を受けました。この芝居がどこまでやるのかは知りませんけど、花崗岩のようなおっさんを出す価値はないとでもいいたいのか。それから私が帝国軍で一番好きな、フリッツ・ヨーゼフ・ビッテンフェルトの役者もなんというか、チャラ男過ぎて本当に嫌だった。絶対原作読んでないことが丸分かりの、酷い演技でしたよ。
貰い物のチケットで批判ばっかりするのもどうかと思うけど、銀英伝ファンとしては正直予想通りの碌でも無い舞台だったかなと。原作を再現しているからこそ駄目だったというか、私はファンですから内容を理解できますけど、所見だと絶対に分からない作りになってました。そういや、アニメ版のラインハルトを演じた堀川りょうが特別出演するというから、なに役だろうと思ったらまさかのセバスティアン・ミューゼル、ラインハルトの父親役だった。なにか予感めいたものはしていたけど、まさかあのダメ親父をかつて嫌悪していたラインハルト自身が演じることになるとはね……まあ、女性向けということを配慮してか、道原かつみ版の設定を使うことでそれなりに可哀想な父親ということになってましたけど、堀川りょうはさすがに上手く演じてましたよ。憎むべき相手だったセバスティアンを演じることに、堀川りょうは抵抗とかなかったんだろうか? パンフ買えば、そこら辺のコメントも書いてあったのかな。
聞いた話では、春先にも双翼をメインにした外伝をやるそうですけど、星を砕くものでも上演するんでしょうかね。まあ、観に行くかどうかは、今回の舞台の出来を思えば微妙なんですけど、よく考えてみることにします。
辿り着くための理由と目的
2011年1月12日 アニメ・マンガちょっとした用事で仕事帰りに池袋へ行ったんですけど、結局無駄足に終わってしまって物凄く疲れました。そういや、新年会を池袋じゃなくて秋葉原に買えたせいか、この町へ来るのも随分と久しぶりな気がしますね。最後に来たのは、秋のサンクリでしょうか? よく覚えてませんけど、夜に訪れるなんて機会はそんなにないと思う。パセラ帰りは割と遅い時間になることもあるけど、それだって行くのは昼頃ですからね。まあ、夜の池袋なんて新宿や渋谷並に危険な香りがするからさっさと帰りましたけど、池袋の駅前ってなんか広いイメージがある。
駅と駅前ってのは、その街の特色が出ているというか、例えば渋谷なんかは常に人で溢れかえっている印象があり、逆に新宿はビルが密集している感じですよね。それに比べると池袋駅ってのは目の前が大きな道路だからか、駅と街の距離感みたいのがあるような気がする。車が多いというイメージは特にないけど、広々としているっていうの? 秋葉原みたいなある意味での狭さがないというか、開放感があるよね。秋葉原はあれでいて空間的には狭い部類に入って、昭和通りを考慮しなければ中央通りとその周辺に移動が限定されるから、街としてはそれほど広くないんですよ。アキバblogなんかが秋葉情報を毎時集めることが出来るのも、そうした街としての大きさから来るんじゃないかと思うんだけど、違うかな。
私に馴染みある街といえば、まあ、地元である横浜駅及び駅前だけど、横浜の場合は駅舎に隣接した商業施設が多いから、駅そのものが巨大な空間として成り立っているんだよね。決して駅ナカではないんだけど、横浜駅という場所で揃わないものはないというか、これは結構特殊な方だと思う。そのせいで駅前が飲み屋とゲーセンしかないみたいな状況ではあるけど、それもまた街の特色ということで一つ。最近じゃ川崎も結構面白い街並みになっては来たけど、あそこはどこまでが駅前なのか分からなくなるよね。移動範囲が広すぎるけど、ここいらじゃ一番大きなアーケード街を持っているような気もする。私はチネチッタ近辺と駅の往復ぐらいしかしないけど。ラゾーナもマグマニが消えてから行かなくなってしまったし、そのマグマニも店自体が潰れてしまったからなぁ。一度、時間があるときにでもじっくりみて回りたいとは思ってるんだけど、ラゾーナよりはららぽーと横浜の方が興味ある。確か、あそこで文学少女の映画を観たんだったか。
どこぞのエセ評論家ではないけど、私もそれなりにショッピングセンターなんかが好きで、ああいう空間で遊ぶのが楽しかったりします。所謂、複合商業施設って奴ですが、有名なのは海老名にあるViNA WALKとかですかね? Wikipediaなんかにも載ってますけど、割と近場だから出来た当初から行ってますが、ここ数年はどうだったかな。あそこはデザイン性は本当に優れてるんだけど、ある意味で見てくれだけの施設だから、移動とかそういう面での不具合がありすぎる。まるで迷路といっても差し支えなく、嫌いじゃないんだけど積極的に行けるほど若くもないというか。映画館的にはワーナー・マイカル・シネマズの方に思い入れが強いからね。まあ、あっちにも随分と行ってませんけど、春にでも時間があったら足を延ばすのも悪くないかも知れないなぁ。意味はないけど、チネチッタとか109シネマズばかりってのもあれな気がするし、たまには違うところへ行くのも気分的にありじゃないかと。ららぽーと横浜のTOHOシネマズに行ったときはかなり新鮮な気分だったし。六本木はまあ別ですけどね。あそこはなんていうか、ヒルズにある映画館を意識して作られてますから、他とは色々な意味で違う空間だった。そういや、何年か前にBLEACHの一番最初の映画を観るために、橋本だかにあるMOVIXへ行った記憶があるな。観に行こうと思って放置してたら、いつの間にかそこぐらいでしか上映してなくて。私はあの映画にかなり惚れ込んだ記憶があるけど、あれに出て来る商業施設って八王子かなんかにあるんですよね。なんだ、橋本から近かったんじゃないか。映画公開時と名称が変わったらしいですけど、あそこも一度行ってみたいんだよなぁ。なにか目的があるわけじゃないけど、いや、観て回ることそれ自体が目的なのか。
まあ、必要なのは時間と余裕だよね。どこに行くにしたって電車で行けないことはないけど、それなりに遠くなら半日ないし1日は使うことになるだろうし、そういった意味では明確な理由でもないと行きにくいのかも知れない。例えば、ViNA WALKなら映画を観に行くとか、そういった感じでさ。今の仕事が一段落したら、1ヵ月ぐらい休養したいなという気持ちはあるので、そのときにでも考えてみようかな。春までには、本当に色々と整理しておきたい。今後のこともあるしね。
駅と駅前ってのは、その街の特色が出ているというか、例えば渋谷なんかは常に人で溢れかえっている印象があり、逆に新宿はビルが密集している感じですよね。それに比べると池袋駅ってのは目の前が大きな道路だからか、駅と街の距離感みたいのがあるような気がする。車が多いというイメージは特にないけど、広々としているっていうの? 秋葉原みたいなある意味での狭さがないというか、開放感があるよね。秋葉原はあれでいて空間的には狭い部類に入って、昭和通りを考慮しなければ中央通りとその周辺に移動が限定されるから、街としてはそれほど広くないんですよ。アキバblogなんかが秋葉情報を毎時集めることが出来るのも、そうした街としての大きさから来るんじゃないかと思うんだけど、違うかな。
私に馴染みある街といえば、まあ、地元である横浜駅及び駅前だけど、横浜の場合は駅舎に隣接した商業施設が多いから、駅そのものが巨大な空間として成り立っているんだよね。決して駅ナカではないんだけど、横浜駅という場所で揃わないものはないというか、これは結構特殊な方だと思う。そのせいで駅前が飲み屋とゲーセンしかないみたいな状況ではあるけど、それもまた街の特色ということで一つ。最近じゃ川崎も結構面白い街並みになっては来たけど、あそこはどこまでが駅前なのか分からなくなるよね。移動範囲が広すぎるけど、ここいらじゃ一番大きなアーケード街を持っているような気もする。私はチネチッタ近辺と駅の往復ぐらいしかしないけど。ラゾーナもマグマニが消えてから行かなくなってしまったし、そのマグマニも店自体が潰れてしまったからなぁ。一度、時間があるときにでもじっくりみて回りたいとは思ってるんだけど、ラゾーナよりはららぽーと横浜の方が興味ある。確か、あそこで文学少女の映画を観たんだったか。
どこぞのエセ評論家ではないけど、私もそれなりにショッピングセンターなんかが好きで、ああいう空間で遊ぶのが楽しかったりします。所謂、複合商業施設って奴ですが、有名なのは海老名にあるViNA WALKとかですかね? Wikipediaなんかにも載ってますけど、割と近場だから出来た当初から行ってますが、ここ数年はどうだったかな。あそこはデザイン性は本当に優れてるんだけど、ある意味で見てくれだけの施設だから、移動とかそういう面での不具合がありすぎる。まるで迷路といっても差し支えなく、嫌いじゃないんだけど積極的に行けるほど若くもないというか。映画館的にはワーナー・マイカル・シネマズの方に思い入れが強いからね。まあ、あっちにも随分と行ってませんけど、春にでも時間があったら足を延ばすのも悪くないかも知れないなぁ。意味はないけど、チネチッタとか109シネマズばかりってのもあれな気がするし、たまには違うところへ行くのも気分的にありじゃないかと。ららぽーと横浜のTOHOシネマズに行ったときはかなり新鮮な気分だったし。六本木はまあ別ですけどね。あそこはなんていうか、ヒルズにある映画館を意識して作られてますから、他とは色々な意味で違う空間だった。そういや、何年か前にBLEACHの一番最初の映画を観るために、橋本だかにあるMOVIXへ行った記憶があるな。観に行こうと思って放置してたら、いつの間にかそこぐらいでしか上映してなくて。私はあの映画にかなり惚れ込んだ記憶があるけど、あれに出て来る商業施設って八王子かなんかにあるんですよね。なんだ、橋本から近かったんじゃないか。映画公開時と名称が変わったらしいですけど、あそこも一度行ってみたいんだよなぁ。なにか目的があるわけじゃないけど、いや、観て回ることそれ自体が目的なのか。
まあ、必要なのは時間と余裕だよね。どこに行くにしたって電車で行けないことはないけど、それなりに遠くなら半日ないし1日は使うことになるだろうし、そういった意味では明確な理由でもないと行きにくいのかも知れない。例えば、ViNA WALKなら映画を観に行くとか、そういった感じでさ。今の仕事が一段落したら、1ヵ月ぐらい休養したいなという気持ちはあるので、そのときにでも考えてみようかな。春までには、本当に色々と整理しておきたい。今後のこともあるしね。
ニコニコ動画とUstreamで、ロフトプラスワンで開催していた蒼穹のファフナーのイベントを視聴しました。最近は便利すぎる世の中になったというか、イベントの生中継がネットで出来るんですね。チケット取れなかったときは愕然とした気分になったけど、ネットさえあればタダで観られると言うんだから、ますます出不精になってしまう気がする。まあ、それを抜きにしても会場は女性客だらけだったそうだから、私なんかには居づらい空間だったんだろうけど。ファフナーは放送当時から女性人気高かったけど、さすがに女性は根強いね。声優が来るわけでもないイベントで、よくもあそこまで黄色い歓声を上げられるものだ。
ネタバレ満載みたいなことが書いてあったから、てっきり映画で語られなかった部分とか、そういうのを話してくれると思っていたんですけど、それはあくまで公開中の映画の話もするというだけのことだったらしく、少々期待外れな結果に終わりました。まあ、ゲストに関しては錚々たるメンバーが集まってましたけど、杉作J太郎なんて女性ファンは知らないだろうに。元々、スタチャアニメが好きだったらしいけど、ファフナーを知ったのは放送後にずいぶんと経ってから、パチンコ化されてからだそうです。私は全然知らなかったんだけど、以前にWBCという野球の世界大会みたいのが開催されていて、それのTV放送のスポンサーがファフナーのパチンコ作っているところだったらしく、毎試合の合間にCMが流れていたとかなんとか。なんでもShangri-LaがWBC非公式応援歌などと言われるほど、しつこいCMだったらしいけど、野球に興味もなければパチンコ嫌いでもある私はまったく知らなかった。杉作J太郎はそれでファフナーを知ったそうだけど、今はパチンコで原作に触れるなんてこともあるんですねぇ。ギャンブル嫌いとしては複雑ではあるけど、今回の映画企画自体、パチンコによる収益が大きかったとも言われてるしなぁ。私は色々な意味でああいったものに対する精神的抵抗が強いんだけど、今はパチンコによる商業展開も普通に考えてアニメとか作られているといいますからね。そんなのメディアミックスじゃないと言いたいんだけど、どこもかしこも金がないから、少しでも儲かるものがあるとすぐに飛びついてしまう。銀英伝がパチンコ化したときは悲しかったけど、らいとすたっふはそういうところだと割りきって、結局打ちに行かなかったな。仮にヨスガノソラの台でも出来たら考えますけど、エロゲ原作に限ってそれはないと信じよう。
話をイベントに戻すけど、あんまり特筆すべきことはないというか、映画の話と昔語りが半々といった感じで、期待していたような内容はなにもなかった。こういってはなんだけど、かねだして観に行くほどのものではなかったかなという印象です。興行収入が1億円突破したら続編を作るということで、現在は5000万円らしい。単館上映の映画が公開2週間で5000万ですから、それなりに稼いでるんじゃないでしょうか? まあ、6年も前の作品ですか、なのはやハルヒといった今時の映画作品には勝てないにせよ、十分に健闘している方だと思います。
しかし、イベント会場が新宿の歌舞伎町にあるロフトプラスワンだったんだけど、あそこにも随分長いこと行ってませんね。というか、ここ5年ぐらい行ってないんじゃないか? 私がロフトのオールナイトイベントに参加していた時期を言うと、年がバレるので言いませんけど、あの頃は私も物凄いガキで、まあ、馬鹿なのは今も同じですけど、ロフト系列ではありえないとか言われるほど瑞々しい存在だったな。私がどんだけオタクとして昔からダメな奴だったかという話だけど、ああいう地下イベントみたいのに憧れていた時期もあったんですよ。いつか壇上にいる側の人間になりたいとか、夢見がちだったねぇ。今思うともうちょっとマシなところにしろよって感じですよね。いや、別にロフトが悪いところだとは言わないけど。実は昨年12月頃に仕事の関係で行くかも知れなかったんですが、会場が変わってしまったため結局行けずじまいで。私は会場選ぶ側の人間じゃなかったから、惜しいことをしたな。
なんか、それほどのイベントでもなかったから、イベントの内容で書くことがあまりないですね。つまらなかったわけじゃないんだけど、結局西尾姉弟の安否とか不明な点が多いしなぁ。後日談的なものが出るかも知れないみたいな、そんなことを匂わせてはいましたけど、BDの特典としでるのか、それともドラマCDみたいのが単品で発売されるのか。気になるところではあるけど、続報を待つ以外にすることもないですしね。そういえば、TV本編のDVD-BOXが再版されて、BD-BOXの発売も決まったそうですけど、2クールアニメだしそれなりに値は張るんでしょうね。バンダイビジュアルとはいえスタチャだし、買うかどうかは実際に情報が公開されてから考えることにします。
ネタバレ満載みたいなことが書いてあったから、てっきり映画で語られなかった部分とか、そういうのを話してくれると思っていたんですけど、それはあくまで公開中の映画の話もするというだけのことだったらしく、少々期待外れな結果に終わりました。まあ、ゲストに関しては錚々たるメンバーが集まってましたけど、杉作J太郎なんて女性ファンは知らないだろうに。元々、スタチャアニメが好きだったらしいけど、ファフナーを知ったのは放送後にずいぶんと経ってから、パチンコ化されてからだそうです。私は全然知らなかったんだけど、以前にWBCという野球の世界大会みたいのが開催されていて、それのTV放送のスポンサーがファフナーのパチンコ作っているところだったらしく、毎試合の合間にCMが流れていたとかなんとか。なんでもShangri-LaがWBC非公式応援歌などと言われるほど、しつこいCMだったらしいけど、野球に興味もなければパチンコ嫌いでもある私はまったく知らなかった。杉作J太郎はそれでファフナーを知ったそうだけど、今はパチンコで原作に触れるなんてこともあるんですねぇ。ギャンブル嫌いとしては複雑ではあるけど、今回の映画企画自体、パチンコによる収益が大きかったとも言われてるしなぁ。私は色々な意味でああいったものに対する精神的抵抗が強いんだけど、今はパチンコによる商業展開も普通に考えてアニメとか作られているといいますからね。そんなのメディアミックスじゃないと言いたいんだけど、どこもかしこも金がないから、少しでも儲かるものがあるとすぐに飛びついてしまう。銀英伝がパチンコ化したときは悲しかったけど、らいとすたっふはそういうところだと割りきって、結局打ちに行かなかったな。仮にヨスガノソラの台でも出来たら考えますけど、エロゲ原作に限ってそれはないと信じよう。
話をイベントに戻すけど、あんまり特筆すべきことはないというか、映画の話と昔語りが半々といった感じで、期待していたような内容はなにもなかった。こういってはなんだけど、かねだして観に行くほどのものではなかったかなという印象です。興行収入が1億円突破したら続編を作るということで、現在は5000万円らしい。単館上映の映画が公開2週間で5000万ですから、それなりに稼いでるんじゃないでしょうか? まあ、6年も前の作品ですか、なのはやハルヒといった今時の映画作品には勝てないにせよ、十分に健闘している方だと思います。
しかし、イベント会場が新宿の歌舞伎町にあるロフトプラスワンだったんだけど、あそこにも随分長いこと行ってませんね。というか、ここ5年ぐらい行ってないんじゃないか? 私がロフトのオールナイトイベントに参加していた時期を言うと、年がバレるので言いませんけど、あの頃は私も物凄いガキで、まあ、馬鹿なのは今も同じですけど、ロフト系列ではありえないとか言われるほど瑞々しい存在だったな。私がどんだけオタクとして昔からダメな奴だったかという話だけど、ああいう地下イベントみたいのに憧れていた時期もあったんですよ。いつか壇上にいる側の人間になりたいとか、夢見がちだったねぇ。今思うともうちょっとマシなところにしろよって感じですよね。いや、別にロフトが悪いところだとは言わないけど。実は昨年12月頃に仕事の関係で行くかも知れなかったんですが、会場が変わってしまったため結局行けずじまいで。私は会場選ぶ側の人間じゃなかったから、惜しいことをしたな。
なんか、それほどのイベントでもなかったから、イベントの内容で書くことがあまりないですね。つまらなかったわけじゃないんだけど、結局西尾姉弟の安否とか不明な点が多いしなぁ。後日談的なものが出るかも知れないみたいな、そんなことを匂わせてはいましたけど、BDの特典としでるのか、それともドラマCDみたいのが単品で発売されるのか。気になるところではあるけど、続報を待つ以外にすることもないですしね。そういえば、TV本編のDVD-BOXが再版されて、BD-BOXの発売も決まったそうですけど、2クールアニメだしそれなりに値は張るんでしょうね。バンダイビジュアルとはいえスタチャだし、買うかどうかは実際に情報が公開されてから考えることにします。
ファフナーブームの影響で、ついつい買ってしまいました。なんか、見た目はSFマガジンの増刊みたいですけど、一応角川書店の本になっています。冲方丁といえば早川書房というイメージが強いですけど、アニメ関係をメインに扱うと、どうしても角川書店になっちゃうんですかね? それにしたってこの装丁はどうなんだと思うけど、中身がそれなりに良かったので気にしないことにしましょう。ファフナーの描き下ろし短編があったので買ったとはいえ、それなりに読み物として面白かったです。そういや、最近はこの手のムック本を読んでなかったな。
Preface of 蒼穹のファフナー HEAVEN AND EARTHと題された120枚にも及ぶ描きおろし短編ですが、36字×24行で二段組みだから、ページ数としてはかなり圧縮されていますね。詰め込み過ぎじゃないかとも思うけど、SFマガジンとか読み慣れているせいか、この判型でも普通に読めてしまう自分がいる。やっぱ、小説誌はこういうサイズがいいよね。SF畑の感覚かもしれませんが。
具体的な内容としては映画本編より前の、蒼穹作戦後の2年間における話なんですけど、意外なほど立上芹の出番があって嬉しかった。というか、ほとんど一騎とならぶ物語のメインキャラだったのではないだろうか。ヒロインが真矢であることは当然としても、なんていうか、映画における芹の重要性をここでも書いてるというか、後輩組の主人公格ってやっぱり芹だよね。皆城乙姫の親友であるという点もそうですけど、なにかと一騎に近い部分があるといいますか。話自体は一騎メインで、彼の視点から色々なことが語られていくわけだけど、ほぼ失明状態という身体的ハンデを、文章で上手く表現しているような気はします。真矢やカノンとの微妙な関係や、精神的に成長している剣司など、映画版に続くかなれがしっかりと書かれていた。私は一騎と芹の会話というTV本編ではまずなかった交流が描かれていることを知って買う気になったんだけど、本編と映画の補間という意味でも十分によく出来ていたと思う。
一騎は夢の中で、生命に満ちる海という心象を目撃しました。それは自分がそれまで観てきたどの海とも違い、思わず乙姫ものかと勘違いをしてしまうほどの圧倒感があった。けれど、それは乙姫を表すにはまだ狭く、似ているようで規模の小さいものだった。でも、一騎はそんな海に対して戦慄を覚えてしまう。何故なら、乙姫でない者がこれだけの心象を持っているのだ。驚くのも無理はない。
そして、夢から冷めた一騎が陶芸用の土掘りに山を訪れていると、誰かが山の中にやってくる気配を感じ取る。時刻はまだ明け方であり、普通は人なんていない時間帯。何故か、一騎はそのとき夢で観た生命の海を思い出した。その心象の持ち主が自分のところへ来ると、確信めいたものを実感してしまう。一度は否定したのに、期待なんてしていないはずなのに、それでも一騎は呟いてしまった。
「――総士?」
「乙姫ちゃん?」
そこに現れたの芹だった。虫かごを複数持って、朝の虫取りにやってきたのである。本編では特に絡みがなかった2人だけど、ここでは先輩後輩の間柄ということもあって普通に会話をしていた。芹は相手を苗字ではなく名前で呼ぶ傾向があり、一騎のことは「一騎先輩」と呼び、逆に一騎は芹のことを「立上」と呼び捨てにします。まあ、さして広くもない島で、直接の後輩であるから、それなりに交流はあったんでしょうけど、まさかこの2人がこういう形で会話をするとは思わなかった。しかも、一騎曰く思考回路が似ているとかで、会話は正面衝突してばかり。それでも押しの強い方である芹が主導権を握るけど、行動面においては先輩である一騎のほうが主導する。なかなか良く出来た組み合わせというか、本当に色々な意味で似ていると思った。
芹が一騎のことを乙姫だと思った理由は、その山で初めて乙姫と出会ったからというけど、一騎のほうは特に理由がない、というよりは言葉にして説明できないらしい。まあ、どちらも同じようなものだけど、結局のところ芹も乙姫がいるのではないかという期待を抱いてたんでしょうね。乙姫目撃情報的な噂がこの時期にもう流れていたのかは知りませんけど、そういうの関係なしに、それこそ一騎が総士のことを考えているほどには、芹も乙姫のことを求めているんじゃないかなと。芹と一騎は性格こそ違いますけど、思考や精神的な部分で共通点が多くて、共に皆城兄妹を想っているんですよね。多分、程度の差なんてないぐらい、どちらも強く激しく。芹は島の新しいコアを乙姫とは別の存在であることをハッキリと理解して、その上で島全体が乙姫であると考えています。だから、島にいる限りいつだって乙姫に会えると。そうした芹の想いに一騎は納得しますけど、一騎を乙姫と間違えたことからも、彼女の実体に会いたいという気持ちは捨てきれないんだろうね。芹は明るく振舞っていたし、実際に裏表のない明るさではあったけど、乙姫に対する想いは、一騎が総士に対して向けるものと同じ、巨大なものなんだろうな。
芹と一騎の会話という珍しいものも読めたし、買って損はしない一冊だと思いました。重要視されるのはこの2人の会話だけど、それ以外のキャラが見劣りするわけでもなくて、特にラストの真矢は凄く良かった。一騎だっていい加減気付いているはずだけど、映画で総士は帰ってきちゃったし、これからどうなるんでしょうね? 確か、総士は真矢のことが好きだったはずだし。甲洋もそうですけど、想い人は大抵一騎を好きという。てか、咲良以外の先輩組は全員一騎が好きなのか。なんだ、モテモテじゃないか。
ある意味、乙姫の完全消滅と入れ替わるように総士が帰還したわけで、それに対する芹の想いなんかも気になるよね。この島すべてが乙姫であると定義していた芹だけど、それも完全に消えてしまったわけで、どんな風に心の中を整理するのか、気持ちに決着を付けることは出来るのか、手放しに総士の帰還を喜ぶ余裕はないんじゃないかな。そうした芹の気持ちを理解できるのは、今回このような会話をしたことがある一騎だけだろうけど、彼は大切な親友を取り戻すことの出来た側だから、そういった対比みたいを描いても面白いかも知れない。要するに、後日談がほしいってことなんだけど。
Preface of 蒼穹のファフナー HEAVEN AND EARTHと題された120枚にも及ぶ描きおろし短編ですが、36字×24行で二段組みだから、ページ数としてはかなり圧縮されていますね。詰め込み過ぎじゃないかとも思うけど、SFマガジンとか読み慣れているせいか、この判型でも普通に読めてしまう自分がいる。やっぱ、小説誌はこういうサイズがいいよね。SF畑の感覚かもしれませんが。
具体的な内容としては映画本編より前の、蒼穹作戦後の2年間における話なんですけど、意外なほど立上芹の出番があって嬉しかった。というか、ほとんど一騎とならぶ物語のメインキャラだったのではないだろうか。ヒロインが真矢であることは当然としても、なんていうか、映画における芹の重要性をここでも書いてるというか、後輩組の主人公格ってやっぱり芹だよね。皆城乙姫の親友であるという点もそうですけど、なにかと一騎に近い部分があるといいますか。話自体は一騎メインで、彼の視点から色々なことが語られていくわけだけど、ほぼ失明状態という身体的ハンデを、文章で上手く表現しているような気はします。真矢やカノンとの微妙な関係や、精神的に成長している剣司など、映画版に続くかなれがしっかりと書かれていた。私は一騎と芹の会話というTV本編ではまずなかった交流が描かれていることを知って買う気になったんだけど、本編と映画の補間という意味でも十分によく出来ていたと思う。
一騎は夢の中で、生命に満ちる海という心象を目撃しました。それは自分がそれまで観てきたどの海とも違い、思わず乙姫ものかと勘違いをしてしまうほどの圧倒感があった。けれど、それは乙姫を表すにはまだ狭く、似ているようで規模の小さいものだった。でも、一騎はそんな海に対して戦慄を覚えてしまう。何故なら、乙姫でない者がこれだけの心象を持っているのだ。驚くのも無理はない。
そして、夢から冷めた一騎が陶芸用の土掘りに山を訪れていると、誰かが山の中にやってくる気配を感じ取る。時刻はまだ明け方であり、普通は人なんていない時間帯。何故か、一騎はそのとき夢で観た生命の海を思い出した。その心象の持ち主が自分のところへ来ると、確信めいたものを実感してしまう。一度は否定したのに、期待なんてしていないはずなのに、それでも一騎は呟いてしまった。
「――総士?」
「乙姫ちゃん?」
そこに現れたの芹だった。虫かごを複数持って、朝の虫取りにやってきたのである。本編では特に絡みがなかった2人だけど、ここでは先輩後輩の間柄ということもあって普通に会話をしていた。芹は相手を苗字ではなく名前で呼ぶ傾向があり、一騎のことは「一騎先輩」と呼び、逆に一騎は芹のことを「立上」と呼び捨てにします。まあ、さして広くもない島で、直接の後輩であるから、それなりに交流はあったんでしょうけど、まさかこの2人がこういう形で会話をするとは思わなかった。しかも、一騎曰く思考回路が似ているとかで、会話は正面衝突してばかり。それでも押しの強い方である芹が主導権を握るけど、行動面においては先輩である一騎のほうが主導する。なかなか良く出来た組み合わせというか、本当に色々な意味で似ていると思った。
芹が一騎のことを乙姫だと思った理由は、その山で初めて乙姫と出会ったからというけど、一騎のほうは特に理由がない、というよりは言葉にして説明できないらしい。まあ、どちらも同じようなものだけど、結局のところ芹も乙姫がいるのではないかという期待を抱いてたんでしょうね。乙姫目撃情報的な噂がこの時期にもう流れていたのかは知りませんけど、そういうの関係なしに、それこそ一騎が総士のことを考えているほどには、芹も乙姫のことを求めているんじゃないかなと。芹と一騎は性格こそ違いますけど、思考や精神的な部分で共通点が多くて、共に皆城兄妹を想っているんですよね。多分、程度の差なんてないぐらい、どちらも強く激しく。芹は島の新しいコアを乙姫とは別の存在であることをハッキリと理解して、その上で島全体が乙姫であると考えています。だから、島にいる限りいつだって乙姫に会えると。そうした芹の想いに一騎は納得しますけど、一騎を乙姫と間違えたことからも、彼女の実体に会いたいという気持ちは捨てきれないんだろうね。芹は明るく振舞っていたし、実際に裏表のない明るさではあったけど、乙姫に対する想いは、一騎が総士に対して向けるものと同じ、巨大なものなんだろうな。
芹と一騎の会話という珍しいものも読めたし、買って損はしない一冊だと思いました。重要視されるのはこの2人の会話だけど、それ以外のキャラが見劣りするわけでもなくて、特にラストの真矢は凄く良かった。一騎だっていい加減気付いているはずだけど、映画で総士は帰ってきちゃったし、これからどうなるんでしょうね? 確か、総士は真矢のことが好きだったはずだし。甲洋もそうですけど、想い人は大抵一騎を好きという。てか、咲良以外の先輩組は全員一騎が好きなのか。なんだ、モテモテじゃないか。
ある意味、乙姫の完全消滅と入れ替わるように総士が帰還したわけで、それに対する芹の想いなんかも気になるよね。この島すべてが乙姫であると定義していた芹だけど、それも完全に消えてしまったわけで、どんな風に心の中を整理するのか、気持ちに決着を付けることは出来るのか、手放しに総士の帰還を喜ぶ余裕はないんじゃないかな。そうした芹の気持ちを理解できるのは、今回このような会話をしたことがある一騎だけだろうけど、彼は大切な親友を取り戻すことの出来た側だから、そういった対比みたいを描いても面白いかも知れない。要するに、後日談がほしいってことなんだけど。
ファフナーの映画は今流行のリピーター特典なるものをやっていて、1回目の半券を持って2回目を観に行くと、ボイスCDが貰えるらしいです。川崎でまだやっているかは知りませんが、チネチッタのHPを見る限りでは特に配布終了したとか書いていないので、まだ数はあるのかな? 私はこれといって興味ないけど、2回目はどちらにせよ観に行こうかと思っているので、そのときにでも調べてみることにします。あんまり余裕ないので、そう何回も行けるわけじゃないですが、チネチッタでの最終日とかも行きたいしさ。
今日は立上芹の話ということで、芹はTV本編の中盤以降に登場するキャラクターです。丁度、AT-Xで登場した回の再放送がやってましたけど、初登場は15話「記憶~さけび」になります。人類軍が竜宮島に襲来した際、自らを岩戸より解放させた皆城乙姫が、地上に出て初めて出会った人間が芹でした。芹は中学の生物部に所属しており、山には昆虫の観察かなにかできていました。突然のことに部員たちともはぐれ、一人山を彷徨っていたところに乙姫と遭遇します。乙姫は地上に出てきたばかりで満足に言葉を喋ることも出来ず、どことなく意識もぼんやりとしている感じで、その異様とも思える姿に芹は思わず叫び声を上げてしまう。まあ、無理もない反応ですけど、このことからも2人の出会いは色々な意味で衝撃的なものでした。
やがて人類軍が島の占領を始めた中、芹は逃げ遅れた大人たちに混じって林の一角に腰を下ろしていました。その隣には乙姫もいて、同じ子供ということもあってか一緒に行動していたことがわかります。多分、芹が連れてきたんでしょうね。乙姫はまだぼんやりとしていて、一つ一つ確かめるように言葉を紡いでいます。そんな乙姫の姿に芹は最初こそ戸惑いが隠せませんでしたが、乙姫がまともに喋れるようになるにつれて、段々と会話や交流を深めていきました。乙姫の持つ不思議な雰囲気に芹が関心や興味を示していたというのもあるんでしょうが、一時避難場所において乙姫のことを気にかけていたのは芹だけでしたからね。互いに子供が自分たちしかいなかったというのはもちろんあるんでしょうが、芹もまた自分の話を語り始め、乙姫はそれを聞きたがりました。乙姫にとってはなにもかもが初めてのことばかりでしたけど、人と会話をするという経験が絶対的に不足していたから、気さくに話しかけてくれる芹の存在は大きかったんでしょう。それに生物部における芹の話は、乙姫をして「優しいんだ」と笑顔になるほど、芹の為人がよく現れているものだったから。
夜も更けて大人たちが皆移動してしまった後、芹と乙姫は2人だけで行動することになる。これは外に出たばかりの乙姫がまだ上手く歩けないことが原因だったけど、そういった事情を芹がどこまで察しているかはともかく、「休みながら行こうよ、無理しないで」と温かい言葉を掛けてくれる。状況的に言えば、人類軍が島の中に沢山上陸しているわけですし、芹だって親の安否など不安なことはいっぱいあります。大人たちが2人を置いてさっさと行ってしまった理由は知りませんが、それでも芹は乙姫を見捨てることなく、自分が一緒にいることが当然だと言わんばかりに世話を焼いてあげました。元が生物部だから世話好きなのかは分かりませんけど、まあ、外見年齢でなら乙姫は芹よりも年下ですし、雰囲気からも放っておけない部分があったんでしょうね。そんな優しい芹だからこそ、乙姫はこんなことを言いました。
「ねぇ、一つお願いしていい?」
「いいよ、おんぶでもなんでも」
「ううん……私と、友達になって欲しいの。私、一人も友達いないの」
意外といえば意外なお願いに芹は一瞬驚きましたが、すぐに笑いながらこう言いました。
「なに言ってんの、もうここにいるじゃん」
「……ありがとう、芹ちゃん」
こうして2人は友達になりました。乙姫にとっては最初の友達であり、芹とっても後に最高の親友となる、そんな2人の関係はこんな風に始まったのです。
劇場版の話にやっと移しますが、映画における芹と乙姫の関係はある意味でTVシリーズよりも強い絆となっていました。乙姫の存在が消えてから2年経ち、友達から親友となった少女を失った芹は新しいコアの元へ、毎日足しげく通っています。普通に考えればブリュンヒルトシステムの要であるコアが封印されている岩戸に、パイロットの研修生みたいな立場の芹が入れるはずはないのですが、特例なのかなんのか、虫かご片手に通うことを許可されていたようです。史彦が気を利かせたのか、彼は芹が乙姫の友人であったことを知っている人物ですからね。以前の出来事からも、印象深い存在ではあったのでしょう。芹の存在が新しいコアに対してどんな影響を与えていたのか、それともまったく影響はなかったのか、少なくとも悪影響でなかったのは確かです。勿論、芹は現在のコアが乙姫でないことは理解しているのですが、かつての総士がしていたように、乙姫に語りかけることは芹にとって重要なことだったんでしょう。自分自身のためにも。
芹は口でこそ乙姫は死んだわけではない、島そのものが乙姫なのだと彼女の存在を定義していますが、それでも喪失感のようなものを感じないわけがない。ましてや、芹は少なからず乙姫の影響を受け、感化されている部分もありましたから、その行動や発想には常に乙姫のことが思い出されてしまう。元々、似ている部分があったのか、それとも芹が純粋で純真だったのかは分かりませんけど、芹はどこか乙姫の姿を追い求めていることろがあった。そして、その想いは誰よりもどんな人よりも強く大きなものだった。
例えば、西尾里奈もTV本編では乙姫の友人の1人だったはずですが、劇場版において里奈は乙姫の死を肯定しています。目の前で消えたんですから、そういう解釈があってもおかしくはないだろうし、両親の死を経験している里奈にとって死を受け入れることそれ自体は、あまり難しいことではなかったのでしょう。ましてや、弟である暉が両親の死を受け入れず、否定し続けて自分の殻に篭っていたわけですからね。乙姫の存在に、ある意味で固執している芹に対する苛立ちを見せるのも、分からないではありません。それに、これは重要ですけど、里奈は乙姫の友達ではあったかも知れないけど、親友ではなかったんです。芹との違いはそこであり、芹は乙姫が最初に選び、最後まで親友だったかけがえのない存在だったから。里奈や広登なんかとは絆の強さに差がありすぎた。
敵の再襲来という事実を前に、芹はファフナーのパイロットとしてマークツヴォルフに乗ることになりました。TV本編でも適性率の高い存在として召集されていたことがありましたけど、蒼穹作戦終了後は平和だったこともあり、正式なパイロットとなるのは必要性の薄さから後回しにされていたんでしょう。ファフナーのパイロットは変性意識によってなにかしらの影響をうけるんですが、芹の場合はどちらかといえば攻撃的な、頭突きなどの勢いに任せた行動が見られるようになった。パンフにも書いてありましたが、芹は昆虫観察や採集を趣味にしている元気娘ですけど、後輩組の中ではもっとも聡明にして、落ち着いた性格をしていたりもします。以前に乙姫を糾弾した史彦に反論したように、真矢とは違った意味で人の内面を感じ取ることが出来る娘ですから。
そんな芹だからか、彼女は途中で敵であるフェストゥムがなにかを叫び、訴えているように思い始めてきた。里奈はそれを怒りや憎しみの言葉であると偏見や先入観から断定しますが、芹は乙姫ならそんなことは言わないと否定し、2人の仲に険悪なものが走ってしまう。やがて、芹は先輩組や一騎ですら辿りつけなかった真実、フェストゥムの叫びの意味を理解してしまう。それは痛みや苦しみを訴える言葉であり、そのことに気付いた芹は戦えなくなった。敵の痛みを、苦しみを、そして悲しみを芹は知ってしまったから。敵という存在に里奈ほど強い憎しみをいだいているわけでもなく、暉や広登のように少年らしい正義感や戦意を持っているわけでもない芹には、ファフナーによるこれ以上の戦闘は無理だったんです。
そうした芹の感情が形となって現れたのが、倒したフェストゥムに対する墓でした。史彦は芹の行動に多少の驚きは覚えたようですけど、それもまた芹らしいと思ってくれたのか肯定してくれました。翔子が自爆攻撃を行っただけで嫌がらせを受けるような島ですし、本当であれば芹の行いは偽善を通り越して、顰蹙以上のものを買ってしまうものだったことでしょう。フェストゥムによって親兄弟を失ったものもいるでしょうし、誰かの親兄弟は、狭い島の中で自分にとっての友人、知人であり得るのですから。そう考えれば、敵の墓を作り、その死を悼むという芹の行いは決して良いものではなかったはずです。けれど、史彦がそれを肯定してくれたことで、幾らか救われた部分もあったんだと思う。映画観て思ったけど、史彦は本当に器の拾い、大きな人間になりましたよ。
芹は史彦の要求で、コアが成長期を乗り切る間の代替者となりました。これは不安定なコアを補助する役目でしたが、数週間で同化が始まる可能性が高いという、とても危険なものでした。史彦が芹以外にいないといったのは、やはり彼が芹のことを乙姫にとって重要な存在であるということを強く認識していたからでしょうが、芹もまたそうした役目を拒むことなく、自らシナジェティック・スーツに身を包んでコアの側にいることを望んだ。その結果、芹は乙姫と再会することが出来た。もう一度会いたかった親友との、最後のひとときを得ることが芹には出来たのです。
芹が乙姫に対して募らせていた想いは、単なる親友という関係を超えたものでした。実は劇場版の時間軸になる以前から、乙姫の思念体のようなものが島では目撃されており、実際に史彦や弓子が遭遇しています。でも、芹の前には多分現れなかった。乙姫がなにを思って親友である芹の前に姿を見せなかったのか、それとも見せられなかったのかは分かりませんが、噂になるぐらいですから乙姫と関係の深かった芹の耳に入らないわけもなく、芹が新しいコアのもとに毎日通っていたのは、ひと目でも乙姫に会えるかも知れないという、そうした気持ちもあったからかも知れません。そんな芹の想いが身を結んで、遂に彼女は親友である乙姫と再会するわけですが、その結末には正直グッと来るものがありました。こればっかりは書くこと自体が野暮だと思うので書きませんけど、芹が乙姫との最後の時間をどのように過ごし、それによってどうなったのかは、劇場版の後日談やアフターストーリーにでも期待するとしましょう。とりあえず私は、芹と乙姫の為にもう一度映画を観に行こうと思います。
今日は立上芹の話ということで、芹はTV本編の中盤以降に登場するキャラクターです。丁度、AT-Xで登場した回の再放送がやってましたけど、初登場は15話「記憶~さけび」になります。人類軍が竜宮島に襲来した際、自らを岩戸より解放させた皆城乙姫が、地上に出て初めて出会った人間が芹でした。芹は中学の生物部に所属しており、山には昆虫の観察かなにかできていました。突然のことに部員たちともはぐれ、一人山を彷徨っていたところに乙姫と遭遇します。乙姫は地上に出てきたばかりで満足に言葉を喋ることも出来ず、どことなく意識もぼんやりとしている感じで、その異様とも思える姿に芹は思わず叫び声を上げてしまう。まあ、無理もない反応ですけど、このことからも2人の出会いは色々な意味で衝撃的なものでした。
やがて人類軍が島の占領を始めた中、芹は逃げ遅れた大人たちに混じって林の一角に腰を下ろしていました。その隣には乙姫もいて、同じ子供ということもあってか一緒に行動していたことがわかります。多分、芹が連れてきたんでしょうね。乙姫はまだぼんやりとしていて、一つ一つ確かめるように言葉を紡いでいます。そんな乙姫の姿に芹は最初こそ戸惑いが隠せませんでしたが、乙姫がまともに喋れるようになるにつれて、段々と会話や交流を深めていきました。乙姫の持つ不思議な雰囲気に芹が関心や興味を示していたというのもあるんでしょうが、一時避難場所において乙姫のことを気にかけていたのは芹だけでしたからね。互いに子供が自分たちしかいなかったというのはもちろんあるんでしょうが、芹もまた自分の話を語り始め、乙姫はそれを聞きたがりました。乙姫にとってはなにもかもが初めてのことばかりでしたけど、人と会話をするという経験が絶対的に不足していたから、気さくに話しかけてくれる芹の存在は大きかったんでしょう。それに生物部における芹の話は、乙姫をして「優しいんだ」と笑顔になるほど、芹の為人がよく現れているものだったから。
夜も更けて大人たちが皆移動してしまった後、芹と乙姫は2人だけで行動することになる。これは外に出たばかりの乙姫がまだ上手く歩けないことが原因だったけど、そういった事情を芹がどこまで察しているかはともかく、「休みながら行こうよ、無理しないで」と温かい言葉を掛けてくれる。状況的に言えば、人類軍が島の中に沢山上陸しているわけですし、芹だって親の安否など不安なことはいっぱいあります。大人たちが2人を置いてさっさと行ってしまった理由は知りませんが、それでも芹は乙姫を見捨てることなく、自分が一緒にいることが当然だと言わんばかりに世話を焼いてあげました。元が生物部だから世話好きなのかは分かりませんけど、まあ、外見年齢でなら乙姫は芹よりも年下ですし、雰囲気からも放っておけない部分があったんでしょうね。そんな優しい芹だからこそ、乙姫はこんなことを言いました。
「ねぇ、一つお願いしていい?」
「いいよ、おんぶでもなんでも」
「ううん……私と、友達になって欲しいの。私、一人も友達いないの」
意外といえば意外なお願いに芹は一瞬驚きましたが、すぐに笑いながらこう言いました。
「なに言ってんの、もうここにいるじゃん」
「……ありがとう、芹ちゃん」
こうして2人は友達になりました。乙姫にとっては最初の友達であり、芹とっても後に最高の親友となる、そんな2人の関係はこんな風に始まったのです。
劇場版の話にやっと移しますが、映画における芹と乙姫の関係はある意味でTVシリーズよりも強い絆となっていました。乙姫の存在が消えてから2年経ち、友達から親友となった少女を失った芹は新しいコアの元へ、毎日足しげく通っています。普通に考えればブリュンヒルトシステムの要であるコアが封印されている岩戸に、パイロットの研修生みたいな立場の芹が入れるはずはないのですが、特例なのかなんのか、虫かご片手に通うことを許可されていたようです。史彦が気を利かせたのか、彼は芹が乙姫の友人であったことを知っている人物ですからね。以前の出来事からも、印象深い存在ではあったのでしょう。芹の存在が新しいコアに対してどんな影響を与えていたのか、それともまったく影響はなかったのか、少なくとも悪影響でなかったのは確かです。勿論、芹は現在のコアが乙姫でないことは理解しているのですが、かつての総士がしていたように、乙姫に語りかけることは芹にとって重要なことだったんでしょう。自分自身のためにも。
芹は口でこそ乙姫は死んだわけではない、島そのものが乙姫なのだと彼女の存在を定義していますが、それでも喪失感のようなものを感じないわけがない。ましてや、芹は少なからず乙姫の影響を受け、感化されている部分もありましたから、その行動や発想には常に乙姫のことが思い出されてしまう。元々、似ている部分があったのか、それとも芹が純粋で純真だったのかは分かりませんけど、芹はどこか乙姫の姿を追い求めていることろがあった。そして、その想いは誰よりもどんな人よりも強く大きなものだった。
例えば、西尾里奈もTV本編では乙姫の友人の1人だったはずですが、劇場版において里奈は乙姫の死を肯定しています。目の前で消えたんですから、そういう解釈があってもおかしくはないだろうし、両親の死を経験している里奈にとって死を受け入れることそれ自体は、あまり難しいことではなかったのでしょう。ましてや、弟である暉が両親の死を受け入れず、否定し続けて自分の殻に篭っていたわけですからね。乙姫の存在に、ある意味で固執している芹に対する苛立ちを見せるのも、分からないではありません。それに、これは重要ですけど、里奈は乙姫の友達ではあったかも知れないけど、親友ではなかったんです。芹との違いはそこであり、芹は乙姫が最初に選び、最後まで親友だったかけがえのない存在だったから。里奈や広登なんかとは絆の強さに差がありすぎた。
敵の再襲来という事実を前に、芹はファフナーのパイロットとしてマークツヴォルフに乗ることになりました。TV本編でも適性率の高い存在として召集されていたことがありましたけど、蒼穹作戦終了後は平和だったこともあり、正式なパイロットとなるのは必要性の薄さから後回しにされていたんでしょう。ファフナーのパイロットは変性意識によってなにかしらの影響をうけるんですが、芹の場合はどちらかといえば攻撃的な、頭突きなどの勢いに任せた行動が見られるようになった。パンフにも書いてありましたが、芹は昆虫観察や採集を趣味にしている元気娘ですけど、後輩組の中ではもっとも聡明にして、落ち着いた性格をしていたりもします。以前に乙姫を糾弾した史彦に反論したように、真矢とは違った意味で人の内面を感じ取ることが出来る娘ですから。
そんな芹だからか、彼女は途中で敵であるフェストゥムがなにかを叫び、訴えているように思い始めてきた。里奈はそれを怒りや憎しみの言葉であると偏見や先入観から断定しますが、芹は乙姫ならそんなことは言わないと否定し、2人の仲に険悪なものが走ってしまう。やがて、芹は先輩組や一騎ですら辿りつけなかった真実、フェストゥムの叫びの意味を理解してしまう。それは痛みや苦しみを訴える言葉であり、そのことに気付いた芹は戦えなくなった。敵の痛みを、苦しみを、そして悲しみを芹は知ってしまったから。敵という存在に里奈ほど強い憎しみをいだいているわけでもなく、暉や広登のように少年らしい正義感や戦意を持っているわけでもない芹には、ファフナーによるこれ以上の戦闘は無理だったんです。
そうした芹の感情が形となって現れたのが、倒したフェストゥムに対する墓でした。史彦は芹の行動に多少の驚きは覚えたようですけど、それもまた芹らしいと思ってくれたのか肯定してくれました。翔子が自爆攻撃を行っただけで嫌がらせを受けるような島ですし、本当であれば芹の行いは偽善を通り越して、顰蹙以上のものを買ってしまうものだったことでしょう。フェストゥムによって親兄弟を失ったものもいるでしょうし、誰かの親兄弟は、狭い島の中で自分にとっての友人、知人であり得るのですから。そう考えれば、敵の墓を作り、その死を悼むという芹の行いは決して良いものではなかったはずです。けれど、史彦がそれを肯定してくれたことで、幾らか救われた部分もあったんだと思う。映画観て思ったけど、史彦は本当に器の拾い、大きな人間になりましたよ。
芹は史彦の要求で、コアが成長期を乗り切る間の代替者となりました。これは不安定なコアを補助する役目でしたが、数週間で同化が始まる可能性が高いという、とても危険なものでした。史彦が芹以外にいないといったのは、やはり彼が芹のことを乙姫にとって重要な存在であるということを強く認識していたからでしょうが、芹もまたそうした役目を拒むことなく、自らシナジェティック・スーツに身を包んでコアの側にいることを望んだ。その結果、芹は乙姫と再会することが出来た。もう一度会いたかった親友との、最後のひとときを得ることが芹には出来たのです。
芹が乙姫に対して募らせていた想いは、単なる親友という関係を超えたものでした。実は劇場版の時間軸になる以前から、乙姫の思念体のようなものが島では目撃されており、実際に史彦や弓子が遭遇しています。でも、芹の前には多分現れなかった。乙姫がなにを思って親友である芹の前に姿を見せなかったのか、それとも見せられなかったのかは分かりませんが、噂になるぐらいですから乙姫と関係の深かった芹の耳に入らないわけもなく、芹が新しいコアのもとに毎日通っていたのは、ひと目でも乙姫に会えるかも知れないという、そうした気持ちもあったからかも知れません。そんな芹の想いが身を結んで、遂に彼女は親友である乙姫と再会するわけですが、その結末には正直グッと来るものがありました。こればっかりは書くこと自体が野暮だと思うので書きませんけど、芹が乙姫との最後の時間をどのように過ごし、それによってどうなったのかは、劇場版の後日談やアフターストーリーにでも期待するとしましょう。とりあえず私は、芹と乙姫の為にもう一度映画を観に行こうと思います。
蒼穹のファフナー HEAVEN AND EARTH
2011年1月7日 アニメ・マンガ
川崎チネチッタで蒼穹のファフナー HEAVEN AND EARTHを観てきました。私はふと思い立って映画を観に行くことが多いんだけど、今回もそんな感じです。元々、映画館というかシネコンというものが大好きで、随分前の日記にそれらに対する熱情的なものを書いたこともありましたね。仕事で東京方面へと出るようになってから川崎も随分と行きやすくなったので、ここ数年は特に映画を観る機会が増えたと思います。まあ、チネチッタは割引やサービスデーが少ないので財布的には厳しいですが、空間的には最高だと思うので、よく利用すると映画館です。
私は元々、蒼穹のファフナーという作品はそれほど好きではなくて、決して嫌いじゃないんだけど心の底から好きになることは出来ないという、そんな複雑な感情をずっと抱いていました。当時は種と種死の間に挟まれ、同じ平井絵でしたからなにかと比較されてきたファフナーですが、別にそういうのはどうでも良くて、私って暗い作品が好きじゃないんですよ。所謂、欝な作品っていうの? 基本、ハッピーエンド至上主義だから、登場人物が傷ついたり、死んだりするのが凄い苦手で。世の中にはそういうのが大好きという血も涙もない人もいるそうだけど、なんかこう心が痛くなるというか、観ていられない感じがしてさ。あんま救いないじゃないですか、ファフナーって。特別編は置いておくとしても、TVシリーズなら6話で翔子が死にますし、それ以降もバッタバッタと死んだり倒れたりしていく。それをリアリティで済ませることは簡単だけど、死んでいるのは十代も前半の少年少女なわけですからね。精神が脆い私には辛く悲しいものがありました。
その劇場版ということで、最初はスタチャもネタが無くなったのかと思う程度だったんだけど、別に嫌いな作品ではなかったことと、冲方丁書き下ろしによる完全新作であることが分かり、なんとなく観にいきたくなって。私がこれを言ってしまうと色々不味いんだけど、少なくともマルドゥック・スクランブルよりはファフナーの方が好きだしね。思い立ったら即実行ということで、チネチッタまで観に行ったわけです。TV本編の続編がどんな話なのか、それに対する関心や興味も強かったから。
それでまあ映画なわけだけど、ネタバレ全開で行きますが凄く楽しかった。いや、内容的に楽しいという言葉が適切なのかは分からないけど、続編としてここまで綺麗にまとめたものはないんじゃないかというぐらい、見応えがありました。主人公は変わらず一騎が務めているんだけど、脇のキャラたちもいい味を出してましてね。真矢やカノンは勿論ですが、剣司や復活した咲良も良かった。特に後者は、十代とは思えないほどの相愛関係にあって、その繋がりの強さは丁寧に描かれていたと思う。
ただ、私がこの映画を観に行ったのは主に後輩組が目当てであり、立上芹とか西尾里奈とか、その辺りがどのように成長を遂げたのか、それを知りたかったというのがあります。特に立上芹に関しては、TV本編で一番好きなキャラクターでしたからね。これを再び観ることが出来るというのは、正直言って嬉しかった。この娘と乙姫の関係が本当に好きで、上映後に買った人物相関図で乙姫にとっての親友であると記されていたのは良かったなぁ。
2年というのはそれほど人を変えてしまうだけの時間ではないと思うけど、レギュラー組ではカノンが、そして後輩組では里奈がTV本編と大分違うキャラになってましたね。カノンの場合はいい方向での成長でしたが、里奈の場合は悪い意味での停滞というか、明るい姿は以前と同じなんだけど、その内心には強い不安や不満が渦巻いていたというね。里奈の双子の弟である暉は、TV本編でも一応出ていたキャラです。しかし、失語症ということもあってか喋ることはなく、声優が付いたのは劇場版が初めてでした。蒼穹作戦終了後、一応の平和を手に入れた竜宮島ですが、2年経っても暉の失語症は治ることがなく、里奈はそのことに対する複雑な思いを抱いていた。それが明確な苛立ちに変わったのは、おそらく暉が真矢に喋りはしないものの、自らの意思や感情を伝えたことが原因なんじゃないだろうか?
「こいつは私と同じで――」と、喫茶店において暉の注文を自分と同じものにしようとしていた里奈の口調は、それが当然且つ自然であるかのように慣れたものだった。おそらく2年前から、いや、それ以前から暉はずっとこんな感じだったのだろうし、里奈が代わりに喋って、色々とフォローするということを繰り返してきたのだろう。にもかかわらず、暉は真矢に対しては自分の意志を見せた。これは、里奈にとって少なからずショックだったに違いない。里奈は元々真矢に憧れていた少女であるけど、劇場版に関してはそういった設定がクローズアップされることはあまりない。むしろ、真矢に片思い中である暉が描写されることが格段に多く、里奈が真矢と絡むこと自体、ほんの僅かでしかないのだ。お祭りに行こうとしない暉を里奈が叱咤するシーンは、どうして自分にはなんの反応もしてくれないのかという、ある意味では真矢への嫉妬も含んだものだったようにも思える。無論、里奈が真矢のことを嫌いになったはずもないが、それ以上に暉は里奈にとって重要な存在なのだ。故に自分のほうを振り向いてくれない、自分に意思や感情を見せてくれないことが苛立たしかった。まあ、一方的な姉弟喧嘩と言えばそれまでだけど、今回の里奈は基本的に自分と暉のことしか考えていない節があって、短い時間の中で姉弟の関係性や和解みたいのが描かれたのは面白いと思った。特に医務室で里奈が暉に自分の本音や本心をぶちまけるシーンは最高だったね。前段階としてファフナーに乗ることで言葉を取り戻した暉を里奈は罵倒するわけだけど、あれだって良く言葉を考えてみると、暉のことを心配していっているのが分かりますし、それだけになんとか生還できた暉に涙を見せる里奈というのが際立っていたと思う。
また双子に嵌っているのか言われれば、その通りだとしか答えようがないけど、後輩組では一種のドラマ性があったのはこの2人ぐらいですからね。というのも、ゴウバインと叫んでいる広登はともかく、芹は1人で独立した感じがありましたから、後輩組ってそれほど絡みも多くないんですよ。チームワークのなさは剣司も指摘しているところでしたが。まあ、芹に関しては後述しますけど、あの娘に関しては乙姫の存在が大きすぎたね。
なんか、西尾姉弟に付いて書いただけで凄い分量になったので感想を2回に分けることとします。なので、明日は芹をメインに書きますかね。本当なら一騎とか来栖操について書かなきゃいけないんだろうけど、私はそこまで心惹かれるものがなかったというか、良いキャラだとは思いますが。まあ、触れないわけにはいかないので少しぐらいは書くつもりではいるけど、基本は芹なので。芹と、そして乙姫を観れただけでも劇場版に入った価値がありました。それこそ、もう一度行きたくなるぐらいには。
私は元々、蒼穹のファフナーという作品はそれほど好きではなくて、決して嫌いじゃないんだけど心の底から好きになることは出来ないという、そんな複雑な感情をずっと抱いていました。当時は種と種死の間に挟まれ、同じ平井絵でしたからなにかと比較されてきたファフナーですが、別にそういうのはどうでも良くて、私って暗い作品が好きじゃないんですよ。所謂、欝な作品っていうの? 基本、ハッピーエンド至上主義だから、登場人物が傷ついたり、死んだりするのが凄い苦手で。世の中にはそういうのが大好きという血も涙もない人もいるそうだけど、なんかこう心が痛くなるというか、観ていられない感じがしてさ。あんま救いないじゃないですか、ファフナーって。特別編は置いておくとしても、TVシリーズなら6話で翔子が死にますし、それ以降もバッタバッタと死んだり倒れたりしていく。それをリアリティで済ませることは簡単だけど、死んでいるのは十代も前半の少年少女なわけですからね。精神が脆い私には辛く悲しいものがありました。
その劇場版ということで、最初はスタチャもネタが無くなったのかと思う程度だったんだけど、別に嫌いな作品ではなかったことと、冲方丁書き下ろしによる完全新作であることが分かり、なんとなく観にいきたくなって。私がこれを言ってしまうと色々不味いんだけど、少なくともマルドゥック・スクランブルよりはファフナーの方が好きだしね。思い立ったら即実行ということで、チネチッタまで観に行ったわけです。TV本編の続編がどんな話なのか、それに対する関心や興味も強かったから。
それでまあ映画なわけだけど、ネタバレ全開で行きますが凄く楽しかった。いや、内容的に楽しいという言葉が適切なのかは分からないけど、続編としてここまで綺麗にまとめたものはないんじゃないかというぐらい、見応えがありました。主人公は変わらず一騎が務めているんだけど、脇のキャラたちもいい味を出してましてね。真矢やカノンは勿論ですが、剣司や復活した咲良も良かった。特に後者は、十代とは思えないほどの相愛関係にあって、その繋がりの強さは丁寧に描かれていたと思う。
ただ、私がこの映画を観に行ったのは主に後輩組が目当てであり、立上芹とか西尾里奈とか、その辺りがどのように成長を遂げたのか、それを知りたかったというのがあります。特に立上芹に関しては、TV本編で一番好きなキャラクターでしたからね。これを再び観ることが出来るというのは、正直言って嬉しかった。この娘と乙姫の関係が本当に好きで、上映後に買った人物相関図で乙姫にとっての親友であると記されていたのは良かったなぁ。
2年というのはそれほど人を変えてしまうだけの時間ではないと思うけど、レギュラー組ではカノンが、そして後輩組では里奈がTV本編と大分違うキャラになってましたね。カノンの場合はいい方向での成長でしたが、里奈の場合は悪い意味での停滞というか、明るい姿は以前と同じなんだけど、その内心には強い不安や不満が渦巻いていたというね。里奈の双子の弟である暉は、TV本編でも一応出ていたキャラです。しかし、失語症ということもあってか喋ることはなく、声優が付いたのは劇場版が初めてでした。蒼穹作戦終了後、一応の平和を手に入れた竜宮島ですが、2年経っても暉の失語症は治ることがなく、里奈はそのことに対する複雑な思いを抱いていた。それが明確な苛立ちに変わったのは、おそらく暉が真矢に喋りはしないものの、自らの意思や感情を伝えたことが原因なんじゃないだろうか?
「こいつは私と同じで――」と、喫茶店において暉の注文を自分と同じものにしようとしていた里奈の口調は、それが当然且つ自然であるかのように慣れたものだった。おそらく2年前から、いや、それ以前から暉はずっとこんな感じだったのだろうし、里奈が代わりに喋って、色々とフォローするということを繰り返してきたのだろう。にもかかわらず、暉は真矢に対しては自分の意志を見せた。これは、里奈にとって少なからずショックだったに違いない。里奈は元々真矢に憧れていた少女であるけど、劇場版に関してはそういった設定がクローズアップされることはあまりない。むしろ、真矢に片思い中である暉が描写されることが格段に多く、里奈が真矢と絡むこと自体、ほんの僅かでしかないのだ。お祭りに行こうとしない暉を里奈が叱咤するシーンは、どうして自分にはなんの反応もしてくれないのかという、ある意味では真矢への嫉妬も含んだものだったようにも思える。無論、里奈が真矢のことを嫌いになったはずもないが、それ以上に暉は里奈にとって重要な存在なのだ。故に自分のほうを振り向いてくれない、自分に意思や感情を見せてくれないことが苛立たしかった。まあ、一方的な姉弟喧嘩と言えばそれまでだけど、今回の里奈は基本的に自分と暉のことしか考えていない節があって、短い時間の中で姉弟の関係性や和解みたいのが描かれたのは面白いと思った。特に医務室で里奈が暉に自分の本音や本心をぶちまけるシーンは最高だったね。前段階としてファフナーに乗ることで言葉を取り戻した暉を里奈は罵倒するわけだけど、あれだって良く言葉を考えてみると、暉のことを心配していっているのが分かりますし、それだけになんとか生還できた暉に涙を見せる里奈というのが際立っていたと思う。
また双子に嵌っているのか言われれば、その通りだとしか答えようがないけど、後輩組では一種のドラマ性があったのはこの2人ぐらいですからね。というのも、ゴウバインと叫んでいる広登はともかく、芹は1人で独立した感じがありましたから、後輩組ってそれほど絡みも多くないんですよ。チームワークのなさは剣司も指摘しているところでしたが。まあ、芹に関しては後述しますけど、あの娘に関しては乙姫の存在が大きすぎたね。
なんか、西尾姉弟に付いて書いただけで凄い分量になったので感想を2回に分けることとします。なので、明日は芹をメインに書きますかね。本当なら一騎とか来栖操について書かなきゃいけないんだろうけど、私はそこまで心惹かれるものがなかったというか、良いキャラだとは思いますが。まあ、触れないわけにはいかないので少しぐらいは書くつもりではいるけど、基本は芹なので。芹と、そして乙姫を観れただけでも劇場版に入った価値がありました。それこそ、もう一度行きたくなるぐらいには。
偏りのある作品たちよ
2011年1月6日 アニメ・マンガ昨年は何故か薄桜鬼を最終回まで観ていたんですが、私って意外と女性向けアニメを観る方な気がする。近年で言うと黒執事とか、昔で言うと快感フレーズなんかもそうだけど、変にBL的なものを意識していなければ普通に観られる作品だと思うんですよ、ああいうのって。桜蘭高校ホスト部の一挙放送がキッズステーションで大晦日に行われていましたけど、あれだって女性向けが男性層にもヒットした作品だしね。取り分けて女性向けがすごいってわけじゃないと思いますが、少なくとも偏見を抱くにはよく出来ているものが多いような気がする。
女性向けアニメってのは、なにも美形、美男子、美少年が出てくる作品だけではなくて、例えばちょっと前に流行ったマリア様がみてること、マリみてシリーズは元々少女文庫であるコバルト文庫から刊行されているシリーズです。コバルトは少女小説を出しているところで、もう30年近い歴史のある古参レーベルです。新井素子や久美沙織といった偉大な作家を生み出したかと思えば、90年代には作家を酷使しすぎて次々と潰してしまい、マリみてが登場しなければ存続の危機にあったと言われていますね。
まあ、そんなことはどうでもいいとして、本来少女小説であるマリみてが男性層に受けたことは、その後のアニメ界にかなりの影響を与えたと思います。つまり、男性の必要性というものが浮上したんですね。マリみてだって、別に男性キャラが皆無なわけじゃないけど、所謂主人公、主役としての男性キャラ、レギュラーとしての男性が存在しない作品というのは、それまで皆無でなかったにせよ珍しいことで、これがヒットしたというのは大きかったと思います。かつて、ギャルゲーが一世を風靡した頃、ヒロインを攻略する主人公はなるべく無個性がいいとされ、主人公はプレイヤーの分身として感情移入しやすい存在として作られていました。女性の中に唯一いる男性というのは、所謂ハーレムアニメに散見されることで、分かりやすいものでラブひなやシスプリがそうですけど、サクラ大戦なんかも典型的すぎる作品でしたね。その流れを作ったのは天地無用であるとか言われてますけど、まあ、10年ぐらい前はそういう作品が多かったんですよ。時代性といいますか、当時は本当の意味で恋愛シミュレーションしている奴が多かったというわけで。
そして月日は流れ、そうした流れが2つに分かれました。まず、無個性主人公の終焉です。これはギャルゲブームが廃れたことも原因してるんだけど、変わって台頭してきたエロゲにおける個性的な主人公というものが際立ってきたわけです。これは秋桜の空にというあらゆる属性の原典ともいうべきエロゲが登場したことや、泣きゲーなどストーリーを魅せる作品が数多く出てきたことで、登場人物としての主人公が重要視されるようになった。でも、逆にアニメではマリみてという男性主人公がいなくても成立する作品が出てきたことで、男性キャラそのものが排除され始めたんですね。ストロベリー・パニックが最初かは分かりませんけど、極上生徒会だとか、ストライクウィッチーズもそうですよね。まあ、この辺はほとんどオリジナル作品だからいいんですが、問題はそれが原作モノにも影響してきたことでしょうか。恋姫無双みたいに、まさかの主人公削除でアニメ化とかは記憶に新しいところです。しかも、それなりに売れて3期ぐらいまでアニメやったんだから笑えない。
リリカルなのはシリーズも、StSになってくると申し訳なさ程度に男キャラがいるだけで、ハッキリ言って女性が中心のアニメです。ViVidなんてその極地だし、今のオタク業界は男性キャラというものを必要としていないのではないかとさえ、一時期は考えられてました。その究極がクイーンズブレイドであるわけだし。そして、以前はやったハーレム物は廃れ、現在ではセキレイとか一部の作品だけに見られるものになってしまいましたね。
俗に少女漫画は男性漫画の20年先を行くコンテンツだと言われてますが、まさに昨今の少女だらけのアニメというのは女性向けの手法を使って創りだされているのです。それをゆりだと切り捨てるのは簡単だけど、私は少し違うんじゃないかなとも思う。
話を最初に戻すと、女性向けでも例えば女の子キャラが一人も出ていない作品ってのは面白くないと思うんですよ。古くはふしぎ遊戯なんかがそうですけど、男性たちの中における女性の重要性ってのは創作物でも大きくて、それがメインであってもサブであっても、軽視すべきではないと私は思うのです。本当に男の世界を書きたいとかなら、また違ってきますけど。銀英伝だろうとスクライドだろうと、男の物語における女の存在意義が重要であるように、女性の物語であるから男性はいらないなんて感じにはなってほしくないんですけどね。あれ、また話が戻ってしまった。
女性向けアニメってのは、なにも美形、美男子、美少年が出てくる作品だけではなくて、例えばちょっと前に流行ったマリア様がみてること、マリみてシリーズは元々少女文庫であるコバルト文庫から刊行されているシリーズです。コバルトは少女小説を出しているところで、もう30年近い歴史のある古参レーベルです。新井素子や久美沙織といった偉大な作家を生み出したかと思えば、90年代には作家を酷使しすぎて次々と潰してしまい、マリみてが登場しなければ存続の危機にあったと言われていますね。
まあ、そんなことはどうでもいいとして、本来少女小説であるマリみてが男性層に受けたことは、その後のアニメ界にかなりの影響を与えたと思います。つまり、男性の必要性というものが浮上したんですね。マリみてだって、別に男性キャラが皆無なわけじゃないけど、所謂主人公、主役としての男性キャラ、レギュラーとしての男性が存在しない作品というのは、それまで皆無でなかったにせよ珍しいことで、これがヒットしたというのは大きかったと思います。かつて、ギャルゲーが一世を風靡した頃、ヒロインを攻略する主人公はなるべく無個性がいいとされ、主人公はプレイヤーの分身として感情移入しやすい存在として作られていました。女性の中に唯一いる男性というのは、所謂ハーレムアニメに散見されることで、分かりやすいものでラブひなやシスプリがそうですけど、サクラ大戦なんかも典型的すぎる作品でしたね。その流れを作ったのは天地無用であるとか言われてますけど、まあ、10年ぐらい前はそういう作品が多かったんですよ。時代性といいますか、当時は本当の意味で恋愛シミュレーションしている奴が多かったというわけで。
そして月日は流れ、そうした流れが2つに分かれました。まず、無個性主人公の終焉です。これはギャルゲブームが廃れたことも原因してるんだけど、変わって台頭してきたエロゲにおける個性的な主人公というものが際立ってきたわけです。これは秋桜の空にというあらゆる属性の原典ともいうべきエロゲが登場したことや、泣きゲーなどストーリーを魅せる作品が数多く出てきたことで、登場人物としての主人公が重要視されるようになった。でも、逆にアニメではマリみてという男性主人公がいなくても成立する作品が出てきたことで、男性キャラそのものが排除され始めたんですね。ストロベリー・パニックが最初かは分かりませんけど、極上生徒会だとか、ストライクウィッチーズもそうですよね。まあ、この辺はほとんどオリジナル作品だからいいんですが、問題はそれが原作モノにも影響してきたことでしょうか。恋姫無双みたいに、まさかの主人公削除でアニメ化とかは記憶に新しいところです。しかも、それなりに売れて3期ぐらいまでアニメやったんだから笑えない。
リリカルなのはシリーズも、StSになってくると申し訳なさ程度に男キャラがいるだけで、ハッキリ言って女性が中心のアニメです。ViVidなんてその極地だし、今のオタク業界は男性キャラというものを必要としていないのではないかとさえ、一時期は考えられてました。その究極がクイーンズブレイドであるわけだし。そして、以前はやったハーレム物は廃れ、現在ではセキレイとか一部の作品だけに見られるものになってしまいましたね。
俗に少女漫画は男性漫画の20年先を行くコンテンツだと言われてますが、まさに昨今の少女だらけのアニメというのは女性向けの手法を使って創りだされているのです。それをゆりだと切り捨てるのは簡単だけど、私は少し違うんじゃないかなとも思う。
話を最初に戻すと、女性向けでも例えば女の子キャラが一人も出ていない作品ってのは面白くないと思うんですよ。古くはふしぎ遊戯なんかがそうですけど、男性たちの中における女性の重要性ってのは創作物でも大きくて、それがメインであってもサブであっても、軽視すべきではないと私は思うのです。本当に男の世界を書きたいとかなら、また違ってきますけど。銀英伝だろうとスクライドだろうと、男の物語における女の存在意義が重要であるように、女性の物語であるから男性はいらないなんて感じにはなってほしくないんですけどね。あれ、また話が戻ってしまった。
大切な人と、守りたい人
2011年1月5日 アニメ・マンガ
今日から仕事始めだったわけですが、元より新年気分だったわけでもないから切り替えは割と簡単に出来ました。正月ボケとか五月病なんてのと無縁な性格をしているせいか、まるで昨日も普通に職場通っていたような、そんな感じさえするほど自然だったと思う。まあ、問題がなにもなかったわけじゃないんだけど、こんなもんじゃないかなと。大事にはならなかったしね。さすがに職場は慌ただしかったけど、私は居候の身ですからあまり関係ないという。いつも通り仕事をして、いつも通り帰ってきた感じ。
新年になってまだ一週間も経ってないけど、三が日が終わって仕事が始まると、年始っていう雰囲気でもなくなる。そんな中で遊戯王を観たわけだけど、ここ最近は正月番組の一挙放送とかばかりだったから、毎週放送のアニメを見ると日常に戻った感じがするよね。それに、新年一発目としては、今回の遊戯王は神回過ぎた。
私は歴代の遊戯王シリーズのうち、デュエルモンスターズは観たけどGXは観てなくて、5d’sはある意味久しぶりの遊戯王でした。今の仕事を始めるようになって、帰りの電車が暇だったのと、携帯を買えた際に付いてきたワンセグ機能を試す意味で観始めたのが2年ぐらい前になるのかな? もっと前かも知れないけど、最初期から視聴はしていたと思う。バイクでデュエルだなんてとはじめは思ってたけど、意外にそのスピーディーな展開が今までにないワクワク感みたいのを与えてくれたんだよね。
まあ、新作だから物珍しかったというのもあるんだろうけど、本格的な視聴を決めたのは13話以降、つまり龍亞と龍可の双子が登場してからです。まあ、なんていうか、基本的に男女の双子キャラに弱い私のどストライクに飛び込んできたキャラといいますか、ほとんど一目惚れに近い衝撃をあの2人には受けました。それまではなんともなしに見ていた遊戯王を、真剣に観出した瞬間ともいいますか。そのときはまさか双子がレギュラーキャラだとは思ってなかったけど、次の話から出てくる十六夜アキと同じくメインキャラなのだと分かったときは嬉しかったなぁ。歴代の遊戯王って割と年齢が似通ったメンバーで構成されてたから、龍亞や龍可みたいに年の離れた、謂わば弟や妹みたいなキャラが仲間としているっていうのは凄い新鮮だった。なにせ、チーム5d’sですから、これまでに以上にチームワークや絆というものを大切にしている作品だと思う。
そんな5d’sもWRGP編が終盤へと差し掛かっており、遂に龍亞が6人目のシグナーとして覚醒しました。龍可と違い、仲間たちの中で唯一シグナーではなかった一般人の龍亞ですが、前々から兆候というか伏線みたいなものはありましたよね。パワー・ツール・ドラゴンとシグナーのドラゴンが似ていたこともあり、パーツをパージして進化するのではないか? なんて予想は度々なされていました。けれど、ゴドウィンが持っていたシグナーの痣が遊星へと渡った際、遊星が本来持っていた痣はクロウの物になりました。龍亞がシグナーとなるにはそのタイミングしかなかったため、「龍可と龍亞は2人で1人なんだよ!」をする以外になかったんですが……まさか、新しい痣を作るとは思わなかった。考えて見れば、ダークシグナーだってボマーみたいに新しい奴を作ることができたんだから、シグナーだって同じようなことは出来なくはないのかな?
まあ、それはともかくとしても、凄くいい回だった。双子の繋がりが強すぎて、近くにいるジャックが霞んでしまうほどに。元々、この2人は仲が良く、龍可の話では龍亞は昔から自分を守ってくれるヒーローとのことで、曰く「私の一番大切な人」であるといいます。一方の龍亞も幼少期こそ龍可を疎んじる傾向にあったそうですが、龍可が病に倒れ、正確には妖精世界へと行った際にそのかけがえの無さを実感し、彼女が帰還してからはずっと大事にしてきたようです。龍可はしっかりしているように見えて、大分龍亞という存在に依存していて、龍亞もまた龍可を第一に考えている。私はそういった2人の関係性が大好きで。夏コミでも双子アンソロ買っちゃったぐらいだし。
まあ、多少無理やりな感じもするし、あの痣は一体なんなのかという疑問もあるんだけど、そんなことはどうでもいいや。あの双子がいるだけで、5d’sは私にとって価値ある作品だから。WRGP編って、基本的に双子の活躍する機会がなかったから、今回は本当に久々の見せ場というか、このまま龍亞に勝負を決めてもらいたい、いや、折角なので龍可と2人で勝って欲しいですね。ジャックは散々活躍したし、ここは双子でお願いします。
新年になってまだ一週間も経ってないけど、三が日が終わって仕事が始まると、年始っていう雰囲気でもなくなる。そんな中で遊戯王を観たわけだけど、ここ最近は正月番組の一挙放送とかばかりだったから、毎週放送のアニメを見ると日常に戻った感じがするよね。それに、新年一発目としては、今回の遊戯王は神回過ぎた。
私は歴代の遊戯王シリーズのうち、デュエルモンスターズは観たけどGXは観てなくて、5d’sはある意味久しぶりの遊戯王でした。今の仕事を始めるようになって、帰りの電車が暇だったのと、携帯を買えた際に付いてきたワンセグ機能を試す意味で観始めたのが2年ぐらい前になるのかな? もっと前かも知れないけど、最初期から視聴はしていたと思う。バイクでデュエルだなんてとはじめは思ってたけど、意外にそのスピーディーな展開が今までにないワクワク感みたいのを与えてくれたんだよね。
まあ、新作だから物珍しかったというのもあるんだろうけど、本格的な視聴を決めたのは13話以降、つまり龍亞と龍可の双子が登場してからです。まあ、なんていうか、基本的に男女の双子キャラに弱い私のどストライクに飛び込んできたキャラといいますか、ほとんど一目惚れに近い衝撃をあの2人には受けました。それまではなんともなしに見ていた遊戯王を、真剣に観出した瞬間ともいいますか。そのときはまさか双子がレギュラーキャラだとは思ってなかったけど、次の話から出てくる十六夜アキと同じくメインキャラなのだと分かったときは嬉しかったなぁ。歴代の遊戯王って割と年齢が似通ったメンバーで構成されてたから、龍亞や龍可みたいに年の離れた、謂わば弟や妹みたいなキャラが仲間としているっていうのは凄い新鮮だった。なにせ、チーム5d’sですから、これまでに以上にチームワークや絆というものを大切にしている作品だと思う。
そんな5d’sもWRGP編が終盤へと差し掛かっており、遂に龍亞が6人目のシグナーとして覚醒しました。龍可と違い、仲間たちの中で唯一シグナーではなかった一般人の龍亞ですが、前々から兆候というか伏線みたいなものはありましたよね。パワー・ツール・ドラゴンとシグナーのドラゴンが似ていたこともあり、パーツをパージして進化するのではないか? なんて予想は度々なされていました。けれど、ゴドウィンが持っていたシグナーの痣が遊星へと渡った際、遊星が本来持っていた痣はクロウの物になりました。龍亞がシグナーとなるにはそのタイミングしかなかったため、「龍可と龍亞は2人で1人なんだよ!」をする以外になかったんですが……まさか、新しい痣を作るとは思わなかった。考えて見れば、ダークシグナーだってボマーみたいに新しい奴を作ることができたんだから、シグナーだって同じようなことは出来なくはないのかな?
まあ、それはともかくとしても、凄くいい回だった。双子の繋がりが強すぎて、近くにいるジャックが霞んでしまうほどに。元々、この2人は仲が良く、龍可の話では龍亞は昔から自分を守ってくれるヒーローとのことで、曰く「私の一番大切な人」であるといいます。一方の龍亞も幼少期こそ龍可を疎んじる傾向にあったそうですが、龍可が病に倒れ、正確には妖精世界へと行った際にそのかけがえの無さを実感し、彼女が帰還してからはずっと大事にしてきたようです。龍可はしっかりしているように見えて、大分龍亞という存在に依存していて、龍亞もまた龍可を第一に考えている。私はそういった2人の関係性が大好きで。夏コミでも双子アンソロ買っちゃったぐらいだし。
まあ、多少無理やりな感じもするし、あの痣は一体なんなのかという疑問もあるんだけど、そんなことはどうでもいいや。あの双子がいるだけで、5d’sは私にとって価値ある作品だから。WRGP編って、基本的に双子の活躍する機会がなかったから、今回は本当に久々の見せ場というか、このまま龍亞に勝負を決めてもらいたい、いや、折角なので龍可と2人で勝って欲しいですね。ジャックは散々活躍したし、ここは双子でお願いします。
先日、所用があって高島屋の横浜店にお菓子を買いに行ったんですけど、さすがに年始ということもあって御年賀を買い求める客で溢れかえっていました。別に贈り物が菓子でなければいけない理由はないはずですが、まあ、好みはあるにせよ食べ物ってのは楽なんだろうね。西口の高島屋も、東口のそごうも食品売り場は地下フロアにあるんだけど、そごうが正面入口として地下でありながら空も見える開放的な場所にあるのに比べると、高島屋は本当に地下ですから少し手狭な印象を受けますね。
しかしまあ、ルミネの成城石井なんかも地下にありますが、なんだって百貨店とかその辺の食べ物関係は下の方にあるんでしょうか? 所謂、デパ地下なんて呼ばれる空間ですけど、私はそういう場所が嫌いではないし、割と好きな方でもあります。ケチだから日常的に利用することはありませんけど、祝い事だとか、贈り物なんかをする場合は迷わず百貨店へと足を向ける。特に気取っているわけじゃないし、どちらかといえば単純な発想の表れに過ぎないんですが、なんていうか安心感みたいのがあってさ。横浜っていうところは駅に複数の百貨店や商業施設が直結しているから、買い物するには本当に便利なんですよ。
まあ、そんなわけでお菓子一つ買うにしてもデパ地下に店があるわけで、その中から選ぶというのは結構悩むことでもあります。いつもある程度、なにを買うか決めていくんですけど、今回は事前に「これだ!」というものがなかった。さすがにネタが切れたのか、色々あると言っても基準として自分が食べたことがあり、尚且つ美味しいと感じた物に絞ってますからね。食べたこともない物を送るわけにはいかないし、自分が美味しいと思わなかった物を、好みの差があるとは言え勧めるのはなんか違う気がするので。後、手渡しではなく郵送ないし宅急便で送る関係上、そういうのに耐えうるものじゃないダメだし、日持ちすることも絶対条件です。昔、横浜文明堂でカステラ巻を買おうとしたとき、どれぐらい日持ちをするのかと訊ねて、たった5日間しか持たないと言われたときは驚いたっけ。普通の奴より長持ちするイメージがあったんだけど、実際は逆らしいね。ちなみに、横浜には文明堂と福砂屋があって、文明堂は横浜だったり日本橋だったりと、色々なところがあったりします。
そうして色々悩んだ末に買ったお菓子はというと……なんか、結婚式の引出物みたいになってしまった。悲恋堂の店主に、「あなたは、神戸系の洋菓子が好きなんですか?」と言われたけど、別にそんなことはないと思うんだけどね。例えばモロゾフなんかは、不味いとは思わないけど店的にしっくり来ないところもありますし。まあ、ケーニヒスクローネは好きな方だけど。私は別にブランドや銘柄にこだわっているつもりはないというか、ゴディバは超有名だからイコールで美味いみたいな、そこまで安直ではないと思うんだけど、でもゴディバを不味い思ったこともないな。自分で買ったことは一度もないけど。
要するに食べて美味いのであれば、やたら値段やネームバリューに拘る必要もないのだと私は考えるのだけど、「百貨店にお菓子買いに行ってる時点で、十分拘りがあると思いますけど」と店主には言われた。まあ、反論は出来ないけど、私が年始の挨拶ついでに持ってきたクローネを食べながら言わないでくれ。いつの日かのように、また店主と百貨店とか行きたいんですけどね……なにせ、店主ときたら私の顔を見るなり、「丁度良かった、あなた、私の代わりにおみくじを引いてきてくれませんか?」などと真顔で言う始末。今年もお外に出るつもりはさらさらないらしい。
お菓子その他を発送したんだけど、タペストリーの梱包に凄い手間取った。クロネコヤマトに専用の素材を持ってこさせようと思ったんだけど、滅多に使う人がいないから注文しないと言われて、仕方なく自前でやることに。その際、エアパッキンやら新聞紙やらでくるんで、最終的に高島屋の包装紙を使ったんだけど、これが一昔前のだったからバラの模様が新しいのじゃないのね。これは結構レアだなーとか思いながら、そういや高島屋で長いことお菓子を買ってるけど、一度もバラの包に包まれたことないと気付く。店によっては自前のを使いますし、包装紙一つとっても自社ブランドの名前に自信があるということなのでしょう。まあ、私に言わせれば百貨店でした買い物は、百貨店の包で貰いたいよね、という感じだけど、これもまた人それぞれなのかな。
しかしまあ、ルミネの成城石井なんかも地下にありますが、なんだって百貨店とかその辺の食べ物関係は下の方にあるんでしょうか? 所謂、デパ地下なんて呼ばれる空間ですけど、私はそういう場所が嫌いではないし、割と好きな方でもあります。ケチだから日常的に利用することはありませんけど、祝い事だとか、贈り物なんかをする場合は迷わず百貨店へと足を向ける。特に気取っているわけじゃないし、どちらかといえば単純な発想の表れに過ぎないんですが、なんていうか安心感みたいのがあってさ。横浜っていうところは駅に複数の百貨店や商業施設が直結しているから、買い物するには本当に便利なんですよ。
まあ、そんなわけでお菓子一つ買うにしてもデパ地下に店があるわけで、その中から選ぶというのは結構悩むことでもあります。いつもある程度、なにを買うか決めていくんですけど、今回は事前に「これだ!」というものがなかった。さすがにネタが切れたのか、色々あると言っても基準として自分が食べたことがあり、尚且つ美味しいと感じた物に絞ってますからね。食べたこともない物を送るわけにはいかないし、自分が美味しいと思わなかった物を、好みの差があるとは言え勧めるのはなんか違う気がするので。後、手渡しではなく郵送ないし宅急便で送る関係上、そういうのに耐えうるものじゃないダメだし、日持ちすることも絶対条件です。昔、横浜文明堂でカステラ巻を買おうとしたとき、どれぐらい日持ちをするのかと訊ねて、たった5日間しか持たないと言われたときは驚いたっけ。普通の奴より長持ちするイメージがあったんだけど、実際は逆らしいね。ちなみに、横浜には文明堂と福砂屋があって、文明堂は横浜だったり日本橋だったりと、色々なところがあったりします。
そうして色々悩んだ末に買ったお菓子はというと……なんか、結婚式の引出物みたいになってしまった。悲恋堂の店主に、「あなたは、神戸系の洋菓子が好きなんですか?」と言われたけど、別にそんなことはないと思うんだけどね。例えばモロゾフなんかは、不味いとは思わないけど店的にしっくり来ないところもありますし。まあ、ケーニヒスクローネは好きな方だけど。私は別にブランドや銘柄にこだわっているつもりはないというか、ゴディバは超有名だからイコールで美味いみたいな、そこまで安直ではないと思うんだけど、でもゴディバを不味い思ったこともないな。自分で買ったことは一度もないけど。
要するに食べて美味いのであれば、やたら値段やネームバリューに拘る必要もないのだと私は考えるのだけど、「百貨店にお菓子買いに行ってる時点で、十分拘りがあると思いますけど」と店主には言われた。まあ、反論は出来ないけど、私が年始の挨拶ついでに持ってきたクローネを食べながら言わないでくれ。いつの日かのように、また店主と百貨店とか行きたいんですけどね……なにせ、店主ときたら私の顔を見るなり、「丁度良かった、あなた、私の代わりにおみくじを引いてきてくれませんか?」などと真顔で言う始末。今年もお外に出るつもりはさらさらないらしい。
お菓子その他を発送したんだけど、タペストリーの梱包に凄い手間取った。クロネコヤマトに専用の素材を持ってこさせようと思ったんだけど、滅多に使う人がいないから注文しないと言われて、仕方なく自前でやることに。その際、エアパッキンやら新聞紙やらでくるんで、最終的に高島屋の包装紙を使ったんだけど、これが一昔前のだったからバラの模様が新しいのじゃないのね。これは結構レアだなーとか思いながら、そういや高島屋で長いことお菓子を買ってるけど、一度もバラの包に包まれたことないと気付く。店によっては自前のを使いますし、包装紙一つとっても自社ブランドの名前に自信があるということなのでしょう。まあ、私に言わせれば百貨店でした買い物は、百貨店の包で貰いたいよね、という感じだけど、これもまた人それぞれなのかな。
今日は新年ということで、神田明神に初詣へ行ってきました。秋葉原近辺で仕事をするようになってから、初詣はここで済ませることが多くなってきましたね。本当は色々あって川崎大師にでも行こうかなと思ってたんだけど、知り合いに誘われたこともあって、なにより巫女さんが見たくて出向くことにしました。ほら、川崎大師って寺だから巫女さんいないじゃないですかw これって結構重要なことだと思うのよ。目の保養的な意味で。神聖なところに、なに邪心を抱いてるんだと言われそうだけど、好きなんだから仕方がない。
午後から小さいながらも新年会みたいのに参加する予定があったから、昼前から昼に掛けてのお参りをしてきました。一緒に行った知り合いは昨日、埼玉の鷲宮神社まで行ってきたらしいんだけど、まあ、初詣というかお参りなんてのは何回行っても良いものですからね。というか、寺社仏閣なんてのは観光地でもあるんだから、吉事や凶事、祝い事なんかがなくても頻繁に行っていいはずなんですよ。後藤沙緒里みたいに神社を趣味にしている人もいるわけだし。
確か去年は仕事始めに一人で行ってきたはずだけど、まあ、三が日の最後ということもあってか、それなりに人はいましたね。出店も結構出ていて、私が一昨年腹を下したからあげ屋はよほど繁盛したのか店に誰もいませんでした。
境内から賽銭箱まではさすがに行列で、私は五円玉を片手に少し待つ。少額の賽銭で、しかもありきたりだけど、なんか好きなんだよね。投げ入れてなにを願ったのかは秘密だけど、今年こそはなんて言って毎年同じこと願っている時点で、神頼みも大概アテにならないとは思うけど。賽銭入れた後は境内のメイドを観察しつつ、おみくじを買うことに。知り合いの話では鷲宮には可愛い福娘がいたらしいのですが、神田明神の今年の巫女は……まあ、好みは人それぞれということで。埼玉は遠いから鷲宮未経験なんですが、遠いくせにかなり並ぶともいいますからね。それほどらきすたが好きだったわけでもないから、ちょっと行く気がしない自分がいます。そういや、昨日はニコニコでらきすたの一挙放送がやってから少し見たけど、あれも3年前の作品なんだよね。本放送で完結したAIRを除けば、あれだけ2期とかやってないんでしたっけ。意外な気もしますけど、今更やっても流行らないだろうな。
おみくじは中吉で、それほど良いって程でもないけど、悪いこともこれといって書いてありませんでしたから、まあ、満足しています。これが大吉とかなら記念に持って帰りましたけど、中吉ならと木へ結ぶことに。その際、絵馬が飾ってあるところを見ましたが、知り合い曰く絵馬のレベルでも鷲宮が一歩抜きん出ているらしい。どんだけ凄いんだよ鷲宮神社は。秋葉原の神田明神が敗れるとは、よっぽどなんでしょうね。その後は中央通りへ戻るついでに出店で焼き鳥買ったりしたんだけど、味の方は屋台の味って感じで。少し冷たい部分もあったけど、生ではなかったよ。
秋葉原ではとらのあなとアニメイトに行って、私は特に買うものもなかったので小野大輔のDを買う知り合いの付き添いみたいな感じ。なんかPVが面白いとか言ってたけど、私はCMすら見たことがない。小野大輔って意外と男性にも人気あるよね。私は興味ないけども。
買い物を済ませた後はまだ時間もあったからロイヤルホストで昼食を取ったんだけど、昼時だし混んでるかと思いきやメチャクチャ空いてた。三が日に秋葉のファミレスに来る人なんていないのか、すぐ座れてよかったけどね。適当にハンバーグとか頼んで、ファミレスにしてはなかなか美味いじゃないかと思いながら数十分。私はあまり外食をするほうじゃないけど、クリスマス・イヴにいたデニーズや、近所にあるビッグボーイよりは良いんじゃないかな。凄い差があるってわけじゃないんだけど、値段取るだけのことはあると思うよ。最初は新年会控えていることだし、軽く名物のホットケーキでも食べようと思ってたんだけど、なんか無性にハンバーグ食べたくなってね。ファミレス行くとさ、ハンバーグって大抵あるじゃない。別にそれを食べたから店の味が分かるなんて食通ぶったことは言わないけど、なんとなく食べ比べてみたくなるんだよね。うん、美味しかったですよ。
昼食後は秋葉原のアトレに行って、そういえば聴いたことなかった館内放送の清水愛ボイスを聴いてみることに。エレベーターの案内がそうだったけど、声の中に篭ったそこはかとない可愛らしさがいいですね。ついでに三省堂へ行って知り合いが某声優の書いた小説を探してたんだけど、文庫の棚自体がなくて断念してました。どうやら児童書自体を取り扱ってないらしく、児童書好きとしてはちょっと残念な感じです。まあ、秋葉原みたいなところの駅ビルにある本屋が児童書とか絵本置いてるのも変といえば変だけど、昭和通り口のヨドバシにある有隣堂は、親子連れも多いからか、しっかりとしたコーナー設けてるんですけどね。今度あそこで、新しい児童書を探してみるのも良いかも知れないな。
午後から小さいながらも新年会みたいのに参加する予定があったから、昼前から昼に掛けてのお参りをしてきました。一緒に行った知り合いは昨日、埼玉の鷲宮神社まで行ってきたらしいんだけど、まあ、初詣というかお参りなんてのは何回行っても良いものですからね。というか、寺社仏閣なんてのは観光地でもあるんだから、吉事や凶事、祝い事なんかがなくても頻繁に行っていいはずなんですよ。後藤沙緒里みたいに神社を趣味にしている人もいるわけだし。
確か去年は仕事始めに一人で行ってきたはずだけど、まあ、三が日の最後ということもあってか、それなりに人はいましたね。出店も結構出ていて、私が一昨年腹を下したからあげ屋はよほど繁盛したのか店に誰もいませんでした。
境内から賽銭箱まではさすがに行列で、私は五円玉を片手に少し待つ。少額の賽銭で、しかもありきたりだけど、なんか好きなんだよね。投げ入れてなにを願ったのかは秘密だけど、今年こそはなんて言って毎年同じこと願っている時点で、神頼みも大概アテにならないとは思うけど。賽銭入れた後は境内のメイドを観察しつつ、おみくじを買うことに。知り合いの話では鷲宮には可愛い福娘がいたらしいのですが、神田明神の今年の巫女は……まあ、好みは人それぞれということで。埼玉は遠いから鷲宮未経験なんですが、遠いくせにかなり並ぶともいいますからね。それほどらきすたが好きだったわけでもないから、ちょっと行く気がしない自分がいます。そういや、昨日はニコニコでらきすたの一挙放送がやってから少し見たけど、あれも3年前の作品なんだよね。本放送で完結したAIRを除けば、あれだけ2期とかやってないんでしたっけ。意外な気もしますけど、今更やっても流行らないだろうな。
おみくじは中吉で、それほど良いって程でもないけど、悪いこともこれといって書いてありませんでしたから、まあ、満足しています。これが大吉とかなら記念に持って帰りましたけど、中吉ならと木へ結ぶことに。その際、絵馬が飾ってあるところを見ましたが、知り合い曰く絵馬のレベルでも鷲宮が一歩抜きん出ているらしい。どんだけ凄いんだよ鷲宮神社は。秋葉原の神田明神が敗れるとは、よっぽどなんでしょうね。その後は中央通りへ戻るついでに出店で焼き鳥買ったりしたんだけど、味の方は屋台の味って感じで。少し冷たい部分もあったけど、生ではなかったよ。
秋葉原ではとらのあなとアニメイトに行って、私は特に買うものもなかったので小野大輔のDを買う知り合いの付き添いみたいな感じ。なんかPVが面白いとか言ってたけど、私はCMすら見たことがない。小野大輔って意外と男性にも人気あるよね。私は興味ないけども。
買い物を済ませた後はまだ時間もあったからロイヤルホストで昼食を取ったんだけど、昼時だし混んでるかと思いきやメチャクチャ空いてた。三が日に秋葉のファミレスに来る人なんていないのか、すぐ座れてよかったけどね。適当にハンバーグとか頼んで、ファミレスにしてはなかなか美味いじゃないかと思いながら数十分。私はあまり外食をするほうじゃないけど、クリスマス・イヴにいたデニーズや、近所にあるビッグボーイよりは良いんじゃないかな。凄い差があるってわけじゃないんだけど、値段取るだけのことはあると思うよ。最初は新年会控えていることだし、軽く名物のホットケーキでも食べようと思ってたんだけど、なんか無性にハンバーグ食べたくなってね。ファミレス行くとさ、ハンバーグって大抵あるじゃない。別にそれを食べたから店の味が分かるなんて食通ぶったことは言わないけど、なんとなく食べ比べてみたくなるんだよね。うん、美味しかったですよ。
昼食後は秋葉原のアトレに行って、そういえば聴いたことなかった館内放送の清水愛ボイスを聴いてみることに。エレベーターの案内がそうだったけど、声の中に篭ったそこはかとない可愛らしさがいいですね。ついでに三省堂へ行って知り合いが某声優の書いた小説を探してたんだけど、文庫の棚自体がなくて断念してました。どうやら児童書自体を取り扱ってないらしく、児童書好きとしてはちょっと残念な感じです。まあ、秋葉原みたいなところの駅ビルにある本屋が児童書とか絵本置いてるのも変といえば変だけど、昭和通り口のヨドバシにある有隣堂は、親子連れも多いからか、しっかりとしたコーナー設けてるんですけどね。今度あそこで、新しい児童書を探してみるのも良いかも知れないな。
長期休暇は曜日の感覚がずれるといいますけど、前日に長々と起きていたせいか初夢というものをまったく覚えていない。初日の出も見ませんでしたし、そういったものに対するありがたみを感じないわけじゃないんですけどね。いかんせん、眠気には勝てないというかなんというか。実は元日も家の中は誰もいなかったので、むしろ2日目のほうが正月らしいといえば正月らしかったんですが、それでもいい年になりましたし、子供の頃みたいになにがどうって感じではないかな。
昔は年越しっていうと何時まで起きていても起こられなかったもんですけど、最近は普通に2時とか3時まで起きているのが普通ですからね。若かりし頃は私も眠い目をこすりながらアニラジの深夜放送とか聴いてましたが、身体が慣れたのか成長したのかは知らないけど、いつからか特に眠気も感じなくなってしまったな。まあ、最近は地上波の深夜放送とか全然聴かなくなって、かつては日々の日課だった青春アドベンチャーもご無沙汰なんだけど……そういや、青春アドベンチャーといえば久しぶりに鯨統一郎のタイムスリップシリーズが製作されるようですね。明治維新以降はNHK側のオリジナルものでしたけど、ここ数年は放送されてなかった田村ゆかり主演のあれです。鯨統一郎によればNHK大河ドラマの宣伝を兼ねた姉妹番組らしいけど、近頃は戦国と幕末に話が集中しすぎていたせいか、制作が出来なかったみたいですね。言ってしまえば過去の内容に被る部分、登場人物などが多すぎて、シリーズ物であるがゆえに矛盾が生じてしまうみたいな。大阪夏の陣は安土桃山時代だからいいとしても、来年の平将門とかどうするんだろうね? 結構好きなシリーズだけに、この復活を機に続けてもらいたいんですけど。
しかし、タイムスリップ川中島が割とシリーズ最終回っぽい作りだっただけに、あそこからどうやって再開するのか気になるところですね。原作と違ってラジオドラマ版はコメディというかギャグ要素を重視していて、性的な部分が皆無なんだけど、それはそれで面白いと思うし。原作に関して言えば、鯨統一郎の女子高生に対する感覚が、性に対して大らかというか性急なイメージがあったんじゃなかろうか。
私はラジオドラマというものに対する思い入れが割と強い方で、青春アドベンチャーは正しく私の青春時代を彩ったものの一つであるんだけど、アニメ系のCDドラマ下火になると同時に、こういったものも数が少なくなりましたね。広井王子がQRでラジオをやっていた頃は、毎週のように聴けたものだけど、そういや当人は毎回ネタを考えるのも結構辛いものがあるとか言ってたっけ。
まあ、思い入れというよりは憧れなのかも知れないけど、私自身ドラマCDの脚本を書いた経験はあって、それは商業ベースで売られたものではあるんですが、あの頃は私もまだまだ若く、今だって非才ではあるけど、技術すらなかった頃のものだから、未だに聞き直すことが出来ません。どこにしまいこんだかも忘れてしまいましたしね。メディアミックスではないオリジナルの企画だったから、表には出ていてもそれほど陽の目を見た作品でもないから知っている人は皆無でしょうけど……いや、なんか気恥ずかしさで顔が熱くなってきた。
音だけの媒体っていうのは、人の想像力を試す意味でも非常に有益な媒体だと私は思うんですよ。文章でも映像でもない、音だけの世界。効果音やBGMがあるから小説は分かりやすいけど、決して映像のように視覚的なわけではない。私はそんな音という媒体が昔から大好きで。長らくラジオ好きをやっているのも、そうした理由からなんだと思います。
超A&G+の番組で、主に生放送の奴とかは映像配信も行っていたりしていて、全部の番組が映像付きならいいのにと言っている人をたまに見けますけど、私はそうは思わないんですよね。映像配信を否定するわけじゃないし、画面の中の面白さってのは確かにあるんだけど、ラジオってのはやっぱり音を楽しむものじゃないですか。スタジオを飛び出したロケの映像を流すとかありますけど、あれはもうラジオじゃなくてテレビだよ。
手持ちのラジオが不調というのもあるんだろうけど、折角radikoなんてのもあるんだから、今年はラジオを沢山聴くのも良いかも知れませんね。まあ、AMよりはFMって気分なんだけど、そういやFMおだわらで放送したうたかたはレギュラー化したりしないのかな。あれは結構面白かったし、毎週放送とは言わないからせめてスペシャルでまたやって欲しいね。とりあえずは10日から始まるタイムスリップシリーズに備えようと思うけど、2011年は良いラジオ番組に出会えるといいな。
昔は年越しっていうと何時まで起きていても起こられなかったもんですけど、最近は普通に2時とか3時まで起きているのが普通ですからね。若かりし頃は私も眠い目をこすりながらアニラジの深夜放送とか聴いてましたが、身体が慣れたのか成長したのかは知らないけど、いつからか特に眠気も感じなくなってしまったな。まあ、最近は地上波の深夜放送とか全然聴かなくなって、かつては日々の日課だった青春アドベンチャーもご無沙汰なんだけど……そういや、青春アドベンチャーといえば久しぶりに鯨統一郎のタイムスリップシリーズが製作されるようですね。明治維新以降はNHK側のオリジナルものでしたけど、ここ数年は放送されてなかった田村ゆかり主演のあれです。鯨統一郎によればNHK大河ドラマの宣伝を兼ねた姉妹番組らしいけど、近頃は戦国と幕末に話が集中しすぎていたせいか、制作が出来なかったみたいですね。言ってしまえば過去の内容に被る部分、登場人物などが多すぎて、シリーズ物であるがゆえに矛盾が生じてしまうみたいな。大阪夏の陣は安土桃山時代だからいいとしても、来年の平将門とかどうするんだろうね? 結構好きなシリーズだけに、この復活を機に続けてもらいたいんですけど。
しかし、タイムスリップ川中島が割とシリーズ最終回っぽい作りだっただけに、あそこからどうやって再開するのか気になるところですね。原作と違ってラジオドラマ版はコメディというかギャグ要素を重視していて、性的な部分が皆無なんだけど、それはそれで面白いと思うし。原作に関して言えば、鯨統一郎の女子高生に対する感覚が、性に対して大らかというか性急なイメージがあったんじゃなかろうか。
私はラジオドラマというものに対する思い入れが割と強い方で、青春アドベンチャーは正しく私の青春時代を彩ったものの一つであるんだけど、アニメ系のCDドラマ下火になると同時に、こういったものも数が少なくなりましたね。広井王子がQRでラジオをやっていた頃は、毎週のように聴けたものだけど、そういや当人は毎回ネタを考えるのも結構辛いものがあるとか言ってたっけ。
まあ、思い入れというよりは憧れなのかも知れないけど、私自身ドラマCDの脚本を書いた経験はあって、それは商業ベースで売られたものではあるんですが、あの頃は私もまだまだ若く、今だって非才ではあるけど、技術すらなかった頃のものだから、未だに聞き直すことが出来ません。どこにしまいこんだかも忘れてしまいましたしね。メディアミックスではないオリジナルの企画だったから、表には出ていてもそれほど陽の目を見た作品でもないから知っている人は皆無でしょうけど……いや、なんか気恥ずかしさで顔が熱くなってきた。
音だけの媒体っていうのは、人の想像力を試す意味でも非常に有益な媒体だと私は思うんですよ。文章でも映像でもない、音だけの世界。効果音やBGMがあるから小説は分かりやすいけど、決して映像のように視覚的なわけではない。私はそんな音という媒体が昔から大好きで。長らくラジオ好きをやっているのも、そうした理由からなんだと思います。
超A&G+の番組で、主に生放送の奴とかは映像配信も行っていたりしていて、全部の番組が映像付きならいいのにと言っている人をたまに見けますけど、私はそうは思わないんですよね。映像配信を否定するわけじゃないし、画面の中の面白さってのは確かにあるんだけど、ラジオってのはやっぱり音を楽しむものじゃないですか。スタジオを飛び出したロケの映像を流すとかありますけど、あれはもうラジオじゃなくてテレビだよ。
手持ちのラジオが不調というのもあるんだろうけど、折角radikoなんてのもあるんだから、今年はラジオを沢山聴くのも良いかも知れませんね。まあ、AMよりはFMって気分なんだけど、そういやFMおだわらで放送したうたかたはレギュラー化したりしないのかな。あれは結構面白かったし、毎週放送とは言わないからせめてスペシャルでまたやって欲しいね。とりあえずは10日から始まるタイムスリップシリーズに備えようと思うけど、2011年は良いラジオ番組に出会えるといいな。
束の間にあるのは違う忙しさ
2010年12月30日 アニメ・マンガコミケ2日目……のはずだったんですが、今回はパスしました。基本的にコミケは全日参加だったんだけど、夏に2日目参加だった行きつけのサークルが軒並み1日目に移ってきたこともあって、特に参加する理由が無くなってしまって。緊張感を保つのと、気分的な問題で言えば参加しても良かったんだけど、翌日にはサークル参加を控えているわけだし、体力の温存でもしておこうかなと。金の節約にもなるしね。行けば行ったで企業で無駄遣いをするのは目に見えてるんだし。
昔は中休みなんて言って、2日目は参加しないことが基本だったんですけどね。それが最近じゃサークルが3日間すべてに入り乱れていたこともあって、全日参加が普通のことになっていました。もう何年続けていたのか、最初は参加しなくて良いという事実に戸惑いが隠せなかったというか、本当に大丈夫なのかと妙な不安に苛まれたりね。考えすぎといえばそれまでですけど、まったくおかしな話です。まあ、それまでは3日間行くことが当たり前だったんだから、それを突然止めましょうと言われても違和感が生じるのかもね。
行かないことにした理由はサークル以外にも、企業における買い物が1日目の時点で完売していたからなんですが……今回は欲しい物のハードル高すぎたよ。ねこねことかいつも買っているようなところのグッズは簡単に手に入ったんですけど。抱き枕以外は。私も変わったというか、欲しいグッズが所謂布モノに限定されて来ましたね。企業自体、そういうのばかり出しているわけだけど、昔は抱き枕とか自分が買うとは思ってなかった。まあ、今でもそんなに買ってる方じゃないけど、ヨスガノソラで色々と箍が外れた。結局、Sphereのグッズ通販でも委員長の抱き枕を2枚買ってしまったし。ただ、抱き枕ってねこねこソフトでもない限り、高いですからね。コミケでそれらを買うと、一日の予算がいくらあっても足りない。私は2日目に参加しなかったことで丸一日分の予算を手元に残すことが出来たけど、これも明日にはどうなっていることやら。サークル参加とはいえ、買い物だって沢山する予定ですから、あればあるだけ使ってしまいそうな気もするし。コミケっていうのはそういうところなんですよ、あそこに行くと本当なら買わなくても良いようなものでも買ってしまう。不思議な魔力のようなものがあの空間にはある。メロンやとらでは買う気がしないのに、会場だとかってしまう、そんな本がいくらでもあります。
私は即売会っていうのが結構好きで、もっと言えば同人誌はイベントでしか買わないんですよ。まあ、たまにメロンブックスとか利用しますけど、同人誌はイベントで買うものだと思っているので。即売会にしろ書店にしろ、同人誌を発表する場の一つであることに変わりないけど、私は圧倒的に前者のほうが好きでね。委託に消極的なのかと言われたら、そういうわけでもないと答えるだろうけど、買う側としてはわざわざ書店で買う気がしないのも事実。よく、会場で買えないものは書店で、書店で買えるものは会場で買わないなんてのもありますが、私はどうもその手の細かい算段を立てるのが苦手でね。イベントをどう動くかだけで手一杯というか、書店での買い物まで考えていられないという感じです。
最近じゃ、書店特典なんてのを付ける大手サークルもあるらしくて、書店ごとに違うコピー本が付きますなんて、一体どこのエロゲブランド商法なんでしょうかね? それとも成年向けのエロ漫画かな。会場で特典が付くというのは分かる話なんだけど、同人誌で書店ごとに特典をつけるというのはどうも違う感じがするんだよね。DL販売限定で壁紙付けますとかいうのは、媒体を上手く利用しているなと思って納得もできるんだけど……私の頭は固いんだろうか。感覚の問題なのかも知れないけど、あのサークルのファンは会場でも買って、書店でも買って、同じ本をいくつも買っているのかな。まあ、物が同人誌でなければよくある話だけど、遂に同人もそんなレベルまで来てしまったといことか。てぃんくるや涼香という次元の違う例外を除けば、この頃は企業とサークルの差がなくなってきましたからね。同人グッズとしての布モノは当たり前になってきたし、私だって夏は作った。同人もまた、日々進化を続けていくものなんでしょうね。私としてはある程度の線引きや境界線は必要だと思うんだけど、それこそ古い考えなんだろうか。
サークル参加を翌日に控え、1日に休みを入れたというのに結局寸前までワタワタしてました。あれがないこれがない、申込書が見つからず見本誌登録用シールを用意できなかったので、どうやら会場で買うことになりそうですね。夏コミ出るかはまだ決めてなかったんだけど、申込書を買うなら申し込むだけしてみようかな。当選するかどうかなんて分からないんだし、手数料の1000円ぐらい安いもんだ。まあ、その前にCOMIC1だけどさ。
昔は中休みなんて言って、2日目は参加しないことが基本だったんですけどね。それが最近じゃサークルが3日間すべてに入り乱れていたこともあって、全日参加が普通のことになっていました。もう何年続けていたのか、最初は参加しなくて良いという事実に戸惑いが隠せなかったというか、本当に大丈夫なのかと妙な不安に苛まれたりね。考えすぎといえばそれまでですけど、まったくおかしな話です。まあ、それまでは3日間行くことが当たり前だったんだから、それを突然止めましょうと言われても違和感が生じるのかもね。
行かないことにした理由はサークル以外にも、企業における買い物が1日目の時点で完売していたからなんですが……今回は欲しい物のハードル高すぎたよ。ねこねことかいつも買っているようなところのグッズは簡単に手に入ったんですけど。抱き枕以外は。私も変わったというか、欲しいグッズが所謂布モノに限定されて来ましたね。企業自体、そういうのばかり出しているわけだけど、昔は抱き枕とか自分が買うとは思ってなかった。まあ、今でもそんなに買ってる方じゃないけど、ヨスガノソラで色々と箍が外れた。結局、Sphereのグッズ通販でも委員長の抱き枕を2枚買ってしまったし。ただ、抱き枕ってねこねこソフトでもない限り、高いですからね。コミケでそれらを買うと、一日の予算がいくらあっても足りない。私は2日目に参加しなかったことで丸一日分の予算を手元に残すことが出来たけど、これも明日にはどうなっていることやら。サークル参加とはいえ、買い物だって沢山する予定ですから、あればあるだけ使ってしまいそうな気もするし。コミケっていうのはそういうところなんですよ、あそこに行くと本当なら買わなくても良いようなものでも買ってしまう。不思議な魔力のようなものがあの空間にはある。メロンやとらでは買う気がしないのに、会場だとかってしまう、そんな本がいくらでもあります。
私は即売会っていうのが結構好きで、もっと言えば同人誌はイベントでしか買わないんですよ。まあ、たまにメロンブックスとか利用しますけど、同人誌はイベントで買うものだと思っているので。即売会にしろ書店にしろ、同人誌を発表する場の一つであることに変わりないけど、私は圧倒的に前者のほうが好きでね。委託に消極的なのかと言われたら、そういうわけでもないと答えるだろうけど、買う側としてはわざわざ書店で買う気がしないのも事実。よく、会場で買えないものは書店で、書店で買えるものは会場で買わないなんてのもありますが、私はどうもその手の細かい算段を立てるのが苦手でね。イベントをどう動くかだけで手一杯というか、書店での買い物まで考えていられないという感じです。
最近じゃ、書店特典なんてのを付ける大手サークルもあるらしくて、書店ごとに違うコピー本が付きますなんて、一体どこのエロゲブランド商法なんでしょうかね? それとも成年向けのエロ漫画かな。会場で特典が付くというのは分かる話なんだけど、同人誌で書店ごとに特典をつけるというのはどうも違う感じがするんだよね。DL販売限定で壁紙付けますとかいうのは、媒体を上手く利用しているなと思って納得もできるんだけど……私の頭は固いんだろうか。感覚の問題なのかも知れないけど、あのサークルのファンは会場でも買って、書店でも買って、同じ本をいくつも買っているのかな。まあ、物が同人誌でなければよくある話だけど、遂に同人もそんなレベルまで来てしまったといことか。てぃんくるや涼香という次元の違う例外を除けば、この頃は企業とサークルの差がなくなってきましたからね。同人グッズとしての布モノは当たり前になってきたし、私だって夏は作った。同人もまた、日々進化を続けていくものなんでしょうね。私としてはある程度の線引きや境界線は必要だと思うんだけど、それこそ古い考えなんだろうか。
サークル参加を翌日に控え、1日に休みを入れたというのに結局寸前までワタワタしてました。あれがないこれがない、申込書が見つからず見本誌登録用シールを用意できなかったので、どうやら会場で買うことになりそうですね。夏コミ出るかはまだ決めてなかったんだけど、申込書を買うなら申し込むだけしてみようかな。当選するかどうかなんて分からないんだし、手数料の1000円ぐらい安いもんだ。まあ、その前にCOMIC1だけどさ。
コミックマーケット79 1日目
2010年12月29日 アニメ・マンガコミックマーケット79、冬コミが開催されました。年2回開催のコミケですが、夏と冬どちらが好きかなんてのは毎回のように言われているとこで、私はまあ夏が好きですかね。熱いだけといえばそれまでだし、衣服を着こむことで機動力が損なわれることもないですから。とかいって、もしかしたら夏コミが開催していたときは冬のほうが好きだなんて言ってたかも知れないけど。ビックサイトには多分、秋ドリパ以来になりますが、コミケだと人の数が違いますね。いつもは1人で来るんだけど、1日目は身内が企業ブースに用があるとかで国際展示場駅までは一緒でした。
私はビックサイトの内部と外部を割と知っている方ですが、なんでか知らないけど今回は外の封鎖箇所が増えていましたね。まさか、陸橋が使えなくなっているとは思わなかった。あそこが使えないと会場前の東から西への移動が非常に面倒くさいんだけど、何故か間に警備員を何人も配置して、徹底的に封鎖をしていました。あそこを封鎖することになんの意味があるのか分かりませんが、ゆりかもめ組とかどうやって東に行ってたんでしょうかね? まあ、前回までは最初からあの陸橋を使うことで東待機列へ並ぶための時間を短縮するっていう方法もあったわけだけど、それを規制するっていうのは理由として弱い気がする。狭い陸橋ならまだしも、それなりに広さもあるというのにどういうことなんだろうか。私は別に陸橋を封鎖された程度でそれほど動揺はしませんでしたが、なかなかどうした、コミケも1回開催するごとに色々面倒くさくなって堪りませんね。企業ブースの拡大でトイレの穴場が使えなくなったり、例を上げればキリがないでしょう。
東待機列に私は並んでいたわけですが、そういうあアルファベットごとの列数は夏より増えていた気がする。A列が15列とかだったかな? 私はB1に並んでましたけど、例年よりは後ろの方だった気もする。年末とはいえ29日じゃ平日ダイヤですし、りんかい線も臨時電車とか出してなかったみたいですからね。そもそも、横浜についた時点で京浜東北線乗れませんでしたし。微妙なダイヤ改正が、コミケに対する1分1秒を左右している感じがします。そういや、今回のコミケで変わったことといえば、大井町駅の駅員が静かでしたね。いつもならなにかと面白いことを言って沸かせてくれるんですが、さすがに平日だし自重したのだろうか。まあ、一般客からすれば駅員がなにいってんだって感じだろうし。
最近は参加者も増えたのか、始発で言っても館内で開催の拍手ができなくなりましたね。入口の手前とかその辺で止まってしまうことが多くて、サークル参加組が悠々と買い物を始めているのを眺めてます。私だって3日目はサークル参加ですから特になんとも思いませんが、丁度後ろに並んでいた連中が初参加だったのか、そうした光景にブツクサと文句を言っていました。まあ、ずるいといえばずるいのかも知れませんが、サークル参加者だって本は買いますよ。同人誌好きだからコミケに参加してるんだし。ダミーサークルならまだしも、本さえ出してれば良いんじゃないですかね? オークションとかにチケを出品している輩や、それを利用する奴は論外としてもさ。同人誌を発行することをサークル参加で買い漁ることの免罪符にしているという意見は分かるけど、なにも出さないよりはマシだろうて。そもそも、123ホールと456ホールで列が別れることも知らないような連中がコミケに対する不平不満を言うのもどうかと思うし。初参加者を非難するわけじゃないが、人が開催前でテンション上がってるのに、やれシステムがおかしいだの、こんなのが許されていいわけがないとか、文句あるなら来るなよ。しかも欲しいのはシャッター前の大手限定で、二次創作なんていいからそいつが原画担当したエロゲの本を出せとか、馬鹿馬鹿しいにも程がある。エロゲのグッズが欲しいなら企業にでも行って来い。
10時2分とかには私も会場内でしたが、今回はいつも最初に行っているサークルではなく、別の壁サークルに行きました。ヨスガノソラ本を出すっていうのでね、もう行くしかないじゃないですか。テレカ含めてなんとかなりましたが、数が少ないだけあって手に入るかはギリギリまで分からなかった。ただ、1日目に関してばそれほどヨスガ本というほどものはありませんでしたね。新刊の中でちょろちょろと穹や瑛を描いているというのはありましたけど、描きたかったけど時間の都合で描けなかったという大手もいましたっけ。パンスト本が意外なほど多かったの比べると、ヨスガ本は驚くほど少なかったという印象です。
企業ブースではおなじみの所で少し買い物しただけなので、所謂紙袋とかはそんなになかったんですけど、今じゃサークルでも普通に紙袋がつく時代ですからね。まあ、色々なサークルと企業に行きましたが、ごくごく平凡な1日目だったと思います。そいえば、駅前にフランスドッグ屋が店を構えていましたが、今回は会場内での販売はないといったくせに、西館へ降りるエレベーター横で普通に販売していたのはどういうことだろう。まあ、どちらにせよ食べませんでしたけど。
私はビックサイトの内部と外部を割と知っている方ですが、なんでか知らないけど今回は外の封鎖箇所が増えていましたね。まさか、陸橋が使えなくなっているとは思わなかった。あそこが使えないと会場前の東から西への移動が非常に面倒くさいんだけど、何故か間に警備員を何人も配置して、徹底的に封鎖をしていました。あそこを封鎖することになんの意味があるのか分かりませんが、ゆりかもめ組とかどうやって東に行ってたんでしょうかね? まあ、前回までは最初からあの陸橋を使うことで東待機列へ並ぶための時間を短縮するっていう方法もあったわけだけど、それを規制するっていうのは理由として弱い気がする。狭い陸橋ならまだしも、それなりに広さもあるというのにどういうことなんだろうか。私は別に陸橋を封鎖された程度でそれほど動揺はしませんでしたが、なかなかどうした、コミケも1回開催するごとに色々面倒くさくなって堪りませんね。企業ブースの拡大でトイレの穴場が使えなくなったり、例を上げればキリがないでしょう。
東待機列に私は並んでいたわけですが、そういうあアルファベットごとの列数は夏より増えていた気がする。A列が15列とかだったかな? 私はB1に並んでましたけど、例年よりは後ろの方だった気もする。年末とはいえ29日じゃ平日ダイヤですし、りんかい線も臨時電車とか出してなかったみたいですからね。そもそも、横浜についた時点で京浜東北線乗れませんでしたし。微妙なダイヤ改正が、コミケに対する1分1秒を左右している感じがします。そういや、今回のコミケで変わったことといえば、大井町駅の駅員が静かでしたね。いつもならなにかと面白いことを言って沸かせてくれるんですが、さすがに平日だし自重したのだろうか。まあ、一般客からすれば駅員がなにいってんだって感じだろうし。
最近は参加者も増えたのか、始発で言っても館内で開催の拍手ができなくなりましたね。入口の手前とかその辺で止まってしまうことが多くて、サークル参加組が悠々と買い物を始めているのを眺めてます。私だって3日目はサークル参加ですから特になんとも思いませんが、丁度後ろに並んでいた連中が初参加だったのか、そうした光景にブツクサと文句を言っていました。まあ、ずるいといえばずるいのかも知れませんが、サークル参加者だって本は買いますよ。同人誌好きだからコミケに参加してるんだし。ダミーサークルならまだしも、本さえ出してれば良いんじゃないですかね? オークションとかにチケを出品している輩や、それを利用する奴は論外としてもさ。同人誌を発行することをサークル参加で買い漁ることの免罪符にしているという意見は分かるけど、なにも出さないよりはマシだろうて。そもそも、123ホールと456ホールで列が別れることも知らないような連中がコミケに対する不平不満を言うのもどうかと思うし。初参加者を非難するわけじゃないが、人が開催前でテンション上がってるのに、やれシステムがおかしいだの、こんなのが許されていいわけがないとか、文句あるなら来るなよ。しかも欲しいのはシャッター前の大手限定で、二次創作なんていいからそいつが原画担当したエロゲの本を出せとか、馬鹿馬鹿しいにも程がある。エロゲのグッズが欲しいなら企業にでも行って来い。
10時2分とかには私も会場内でしたが、今回はいつも最初に行っているサークルではなく、別の壁サークルに行きました。ヨスガノソラ本を出すっていうのでね、もう行くしかないじゃないですか。テレカ含めてなんとかなりましたが、数が少ないだけあって手に入るかはギリギリまで分からなかった。ただ、1日目に関してばそれほどヨスガ本というほどものはありませんでしたね。新刊の中でちょろちょろと穹や瑛を描いているというのはありましたけど、描きたかったけど時間の都合で描けなかったという大手もいましたっけ。パンスト本が意外なほど多かったの比べると、ヨスガ本は驚くほど少なかったという印象です。
企業ブースではおなじみの所で少し買い物しただけなので、所謂紙袋とかはそんなになかったんですけど、今じゃサークルでも普通に紙袋がつく時代ですからね。まあ、色々なサークルと企業に行きましたが、ごくごく平凡な1日目だったと思います。そいえば、駅前にフランスドッグ屋が店を構えていましたが、今回は会場内での販売はないといったくせに、西館へ降りるエレベーター横で普通に販売していたのはどういうことだろう。まあ、どちらにせよ食べませんでしたけど。
そらのおとしものf NOT モテ男 クリスマス
2010年12月25日 アニメ・マンガ
クリスマス・イヴの夜からクリスマスの朝にかけて開催されたそらのおとしものfのオールナイトイベント、NOT モテ男 クリスマスに参加してきました。聖夜の六本木ヒルズなんて場違いも甚だしかったんですが、本当にカップルしかいない街だった。地下鉄の駅からエスカレータで地上目指して上ってたんだけど、隣の下りにはカップルしか乗ってないのね。男女、男女、男女、男女、何かの流れ作業みたいに下りてきて、さすがにアウェイを感じずにはいられなかった。まあ、それを含めてのネタイベントなんだけど。
イベント自体は先日放送終了したそらのおとしものf全12話を一挙に上映するというシンプルなものなんだけど、司会進行に仮面プロデューサーが現れたり、ゲストに監督である斎藤久さんやキャラデザの渡邊さんなどが登場して、結構豪華な顔ぶれになりました。上映の合間に雑談という名の各話解説コーナーみたいのがあったんだけど、これが意外と真面目な話も結構あって、色々と興味深かったです。当人らは何気なく話してるつもりなんでしょうけど、聞いている側は思わず驚いてしまうような、そんな情報もあったりしました。
12月24日は公式でイカロスとニンフの誕生日ということになっていて、事前の告知通り2人の誕生日を祝いました。その際に1期13話の映像が使われたんですが、仮面P曰く「所謂ハッピーバースデートゥーユーは1回歌うごとに金が発生する」とのことで、本編では歌うことが出来なかったらしい。なんでも、この歌は著作権が結構複雑らしく、日本では2007年に消滅しているものの海外では生きているとかで、海外販売が出来なくなるということにギリギリのところで気付いて止めになったらしい。本当に収録直前まで声優陣に歌ってもらう予定だったそうなんですが、そんな事情があったとは。仮面Pが言うには、日本での権利が生きてた頃はアニメでおいそれと歌える曲じゃなかったらしいんだけど、あんまりそういう印象ないよね。というか、この歌に著作権があること自体、それほど知られてないんじゃないだろうか。結婚行進曲並に自然なものというか、まあ、これはクラシックですからとっくに権利消えてますが。
そして始まる上映会なわけだけど、2話ずつ上映して10分休憩を挟み、その休憩時間に各話の解説を行っていくという感じで、最初の1話、2話に関しては、やはりOPとEDに話になりましたね。俺のベルはともかくとして、ハートの確率でイカロスたちがそれぞれ異なる水場にいることに関しては斎藤監督から解説があって、まずイカロスは智樹への愛に目覚め、想いが溢れ出ていることから激流とも言うべきダム。ニンフは1期で羽根を失い、全体的に淀んだ気持ちを引きずっているので水たまり。そしてアストレアは馬鹿だから、よく分からないけど上を見つめているということで、とりえず上流の方を向いているという構図らしい。確かにそらおとfは最終回にいたるまで、水場ないし水そのものに関する話が多かったよね。9話が代表的だけど、例えばアストレアは川を居住地にしてますし。
2話のEDに関しては、やはりそらおと自体、1期の2話で名を上げたという自覚があったので、それを越えるものを作らなければいけないという意識みたいなものがあったらしい。原作のオチからどう広げようかという考えから始まって、祭りをやればいいじゃんという結論に至ったらしい。ちなみに納品したら突っ返されたそうですが、本編の内容でもED映像でもなく、サブタイが引っかかったとか。巨乳ってサブタイトルで使えないんですね。性的な単語としては生やさしい部類だと思うけど、なんでなんだろ? 上映会で流しているのはDVD 版でしたから、当然サブタイは修正されていないものでした。
ただ、会場が液晶スクリーンだったこともあってか、やや白がキツメなのが気になった。仮面Pも色々調整してもらったらしいんだけど、それも限界があるというか、映像を楽しむという意味では割と見辛かったと思う。まあ、TVアニメを劇場で流しているわけだから、その辺は仕方ないのかもしれませんが、普通に大きいスクリーンでのそらおとを楽しみに行った身としては、少し残念だったかなと。
第3話のプライドある戦いに関しては、まずプロレスの描写に付いてどのように描くべきかという議論があったそうです。つまり、制作側の世代である昔のプロレスを描くべきなのか、今のK-1など総合格闘技風のプロレスにするべきなのかということで、これは確かに悩むべきところですね。まあ、結局本編ではあんな感じになってましたが、即興で作られた会場の2階席、3階席はベニヤ板で作られた観客の絵だったりと、結構細かいネタが散見していた。ハイライトでは1期のキャラをほとんど出したとかね。あれは静止画ではなく動画としてやりたかったらしいんだけど、アニメとしての限界があったとかで出来なかったようです。
そはらがレフェリーとしてなにをしていいのか分からず、適当な動きをしているところとか、そらおとにはとにかくネタや設定が多いというのが斎藤監督や渡邊さんの感想だった。仮面Pの悪乗りも多いらしいけど、これがまだ序の口と言うんだからそらおとは凄いよ。
第4話はなんといっても合戦のシーン、と思わせておいて、実は最初の方にあった矢が刺さるシーンに監督は以上な拘りを見せていたらしい。タイミング的なものがあったらしく、何回も作り直したとかなんとか。まあ、ニンフが会長にいじめられたり、会長と守形が色々あったりするわけだけど、原作では守形関連の話って掘り下げられるか分からないんでしたっけ? これは12話を上映する前に解説されたんだけど、守形と会長がイチャイチャしていると主に女性ファンが喜ぶらしいです。だから、もしかするとアニメの方でこの2人の関係などが語られるかもしれませんね。女性人気があるというのも、まあ、なんとなくわかる話ですし私も嫌いじゃないです。ある種、悟りきった間柄とでもいうのか、結構どんよりとした事情があるんだろうね。
5話と6話に関しては、やっぱり5話の守形とそはらがシナプスを探索する部分の解説ですか。守形がシナプスの上空を飛行する中で、ちゃんと智樹がダイダロスと会っている場所も存在していたり、智樹は自分の夢じゃないと言ってましたが、実際には夢であり現実でもあるんですよね。こだわりのシーンとしてはオレガノが守形達の後ろを歩いているシーンで、2人が足を止めたから初めて存在に気づくことが出来たというアニメならではの演出だそうです。細かいようだけど、そういうところが丁寧に作られてるよね。漫画では表現しきれなかったシナプスの全容……というよりは一部分ですけど、2期では最初のシリアスパートということもあって、結構気を使っていたみたい。風音日和が初登場したのも5話ですけど、この辺りのSF的設定は原作読んだ当時に愕然とした記憶がある。SFにおいて夢と現実は割とオーソドックスなテーマで、言ってしまえば古典的なものです。最近はネット系のガジェットが発達してきたから仮想現実のほうが主流になってますけど、現実とは誰かの見ている夢である、なんてのは誰もが一度は考えることだと思う。だからこそ、それを今の時代に堂々とやったことに私は感銘を受けたし、ジャンルとしては縮小気味のSF漫画という媒体で、ちゃんとSFやっていることは素直に好感を持てた。
風音日和については後で書くとして、守形がニンフした「俺は現実か?」という質問は怖いよね。守形自身、自分の仮説の恐ろしさを理解していたし、確認することそれ自体に相当の勇気が必要だったと思う。ニンフは守形を現実の存在だといってくれたけど、じゃあ他のみんなは? 智樹やそはら、会長はどうなのか。自分の見ているもの、過ごしている日常が一変してしまうような事実だけに、守形が受けた衝撃はかなりのものだったでしょう。でも、気付くべき要素は存在していたんだよね。1話で大分ゲームが出てきたとき、ニンフは「シナプスで昔流行っていた」と言いました。じゃあ、どうして今は流行ってないのか? 単にブームが過ぎたからではなく、それ以上のものが生まれてしまったから。5話は劇場版の伏線でもあるから、見直すのも悪くないと思います。
7話はカオスが本格的に登場してくるということで、全体的にホラー映画を意識した演出を心がけたそうです。いきなり蝉の死骸がアリの軍隊に運ばれていくシーンから始まり、行き倒れているアストレアに目を奪われがちですが、この時点で既に異様さを出し始めているとのこと。分かりやすいところでは部室のジェイソンとか、会長がカオスとすれ違うシーンでカオスの影に翼のシルエットが浮かび上がったり、EDの水撒きもそうですね。ギャグでありながら随所に細かい演出があって、カオスという存在が現れたことを示しているわけです。智樹に化けたカオスとか、異様であり恐怖の対象であるカオスを印象づけるための演出ですか。ちなみに黙示録編というのは仮面Pが付けたタイトルらしいです。まあ、9話や10話のどこがアポカリプスなんだって話だけど。
8話、「空に響くウタヒメの声」の解説では、一番興味深い話が聞けたかな。前半も中盤も原作と相違ない話だけど、終盤の収拾のつけ方、ウラヌスシステムの登場には賛否どころか反対意見しかなかったらしい。仮面Pをはじめ、ほぼ全員が反対して、原作者の水無月すうもまたやんわりとだけど、「一方が武器を持っていて、片方が持っていない状況はどうなんだろう」みたいな感じに否定的だったそうです。ウラヌスシステムを使うことにこだわっていたのは斎藤監督であり、「意思を持たない機械が助ける」という流れをどうしても描きたかったらしい。結果、イカロスはカオスと心中するつもりだったということを話して水無月すうを納得させたらしいけど、実は監督的にウラヌスシステムを足枷に感じ始めていたとかで、一旦排除したかったとかなんとか。個人的には水無月すうが反対というか否定的だったというのに少し驚いたかな。8話のアニメオリジナル展開は、原作者がしたくても出来なかった演出だという意見が多かっただけに、本当は嫌がっていたということに割とビックリ。個人的には監督と同意見で、良い演出だったと思うんですけどね。仮面Pも「結果としてアームさん大人気になった」とのことだから、監督の意図は伝わってるんだと思う。
後、作画的なことではイカロスの肩部分で問題が発生したらしい。というのも、イカロスは空の女王モードで肩パーツがあるバージョンと無いバージョンがあって、あるバージョンの場合、肩の辺りまで腕の黒い部分で包まれているそうなんですよ。で、カオスを海中に沈めたときに肩パーツ壊れるわけだけど、その際、肩は黒があるバージョン、無いバージョンのどちらを描くのかっていうことで意見が分かれたとか。結局、素肌にしてましたけど。
9話に関してはシリアスが一転してギャグ回なわけですが、トモ子を登場させたことに付いてはまあ、諸般の事情ということで。ただ、シリーズ構成兼全話の脚本を担当している柿原優子が「私、智樹の『風がうんちゃら、潮がうんちゃ』って台詞好きなんですよねー」と言ったため、この台詞に関してはトモ子にそのまま言わせればいいじゃんということで採用されたらしい。
女子に浮輪モドキを付けたのもまた諸般の事情らしいですが、キャラデザの渡邊さん曰く、あれで本当に浮くかどうかは分からないとか。ギャグだけど、イカロスにとって最終話までのテーマであるプロポーズが出てきたのもこの辺ですし、愛に対して思い悩み始めた話でもあるから、重要といえば重要だったりします。そはらが生徒会の書記という設定を再び出したのは11話に向けての準備らしいけど、数字を打ち間違えたことに意味はなかったらしい。だから、11話で大分ゲームの機械を操作するシーンで打ち間違えがあるのではないかと思われたのは、そう思われても仕方ない描写だったと言ってました。
海中にいるカオスのシーンですけど、ウラヌスシステムは一応ダイダロスによって回収されたらしいです。Wikipediaとか見てると海中に放置されたままと解釈されているみたいだけど、実際はダイダロスが修理中らしい。カオスの「あ、光ってる……消えちゃった」というのはウラヌスシステムのこと言っているわけですね。
10話は原作の細かい話を纏め上げているわけだけど、ニンフは当然、アストレアの心境の変化とか、イカロスの溜まりに溜まった智樹への想いとか、記憶の消去はアニメオリジナルですが、良い演出だったのではないかと。敢えてそういう展開にしたと斎藤監督は言ってましたが、話を盛り上げる意味ではこれ以上にないでしょう。ちなみにラストにまた登場した一部の人が喜んだり悲しんだりした成長したカオスですけど、これに関してはサラリとばらしてましたが原作にもある設定だったそうです。なんでも、水無月すう曰くカオスは二段階の変身をするキャラで、最初はニンフほどの大きさまで成長し、次にイカロス並になるという、まるでセルみたいな存在だったとか。ただ、仮面Pの補足では水無月すうはよく設定や展開を変えることがあるので、原作のカオスに変身というか成長設定が残っているとは限らないらしい。ただ、最新号の展開を考えると……カオスが進化する可能性というのは、なくはないと思う。いい意味でも悪い意味でも、子供だから。
11話に関しては、仮面Pにしろ斎藤監督にしろ、結構不満というかそれほど出来に対して納得してないみたいです。もちろん、放送してしまった手前、ハッキリとした表現こそ使ってませんでしたが、まあ、世間的な評価もそれほど高くないですからね。その辺りのことも気にはしているみたい。ただ、2話に伸ばすほどの話ではないと思ったし、1話にまとめたことそれ自体は悪くはなかったのではないかと、そういう感じらしい。足枷だったウラヌスシステムを外したことで、エンジェロイドの共闘とそれぞれの戦いを描きたかったという言葉も、分からないではない話です。イカロスは消え行く記憶と智樹への愛、ニンフは失った羽根を取り戻すこと、そしてアストレアは勝つことが出来なかったカオスへの雪辱戦。ただ、私が微妙に感じる描写として、智樹がニンフだけではなくアストレアのマスターにもなると言ったシーンがあります。別にアストレアのマスターになること自体は良いんですけど、ニンフが智樹の言葉を「どれだけ聴きたかったか」と涙をながすのに対し、アストレアが「ですよね!」と応じるのはどうなのかと。だって、ニンフとアストレアでは智樹に対する想いの度合いが違うじゃないですか。ニンフが智樹が自分のマスターなら、と考えていたのはそれこそ1期の頃からですし、アストレアとは年季が違うよ。仮にアストレアの言葉がニンフの想いを汲みとってのものだとしても……いや、あの馬鹿にそれはないか。
ここでカオスの声優に付いて触れておくと、演じている豊崎愛生はオーディションで決まったらしいです。なんでもアストレアと同時にオーディションをして、アストレアは福原香織ともう一人が激しく争っていたそうです。それが誰だったのかはさすがに明かされませんでしたが、福原香織がキャスティングされた時点でアストレアのキャラがわかりそうなものだという発言はどうなんだろうねw そしてカオスの声優ですけど、重要視したのは誰が一番怖いのかということで、豊崎愛生は満場一致で決まったらしいです。確かに、恐怖の塊みたいな演技ですもんね。
最終話についてですが、元々は1期も14話をラストに持ってきたかったのが色々あって駄目になったそうで、最後は明るく終わりたいって気持ちがスタッフの中にはあるらしい。ウェディングドレスに付いては仮面Pの発案らしくて、当初は昔の香港映画みたいに智樹が花嫁姿のイカロスたちに囲まれるないし追いかけられるなりして、「もう勘弁してくれー!」なんていうオチを考えていたそうなんですが、さすがにそれではアレということで斎藤監督があのような形でまとめたらしい。でも、仮面Pの案も悪くないと思いますけどね? 結局、智樹は答えを出さずに終わってしまいましたから、いっそギャグで締めても良かったんじゃないだろうか。まあ、引っ張ってきたプロポーズに対する一つの答えではあるんだろうけど、イカロスに取っては少し複雑というか、可哀想な結果かな、とも思う。ちなみに会長が予約済みというのは先に書いた、というか本当はこの時に解説されたんですが、守形と会長が絡むと嬉しい女性ファン向けのサービスみたいなものらしい。カオスをあのような形で再登場させたことは、原作との整合性から良いのだろうかとは思うけど、まあ、そらおとスタッフなら上手くやるでしょう。すっかり邪気が抜けてますけど、この辺りは原作のほうがいいかなと思わないでもない。
EDのアイコンに付いてですが、これも直前になって決まったことらしい。最初はそらおとfに引っ掛けて、「f」を入れようとしたらしいんですが、それだと文字的に大きいので、キャラに関係するアイコンを入れてみたんだそうです。後、EDテーマに対して、「作品の趣旨と合ってないのでないか、という質問があった」とのことですが、イカロスbotにその疑問をぶつけたのは他でもない私だったりする。けどまあ、イベントで触れられるぐらいだから、同じような質問多かったのかな。いや、私もED曲当てクイズのときは迷ったんですよ。ヒントが出た際、まっさきに思い浮かんだ曲ではあったんだけど、歌詞に「愛なんて言葉は捨てろ」みたいなのがあって、ここまで愛というものに対してずっと考えてきたのに捨てろはないんじゃないかってことで候補から外したんだけど……監督的には歌詞も爽やかだし違和感ないらしい。まあ、いい歌ではあると思うけど。
特報というか映画化に付いて。さすがにこの時期だと話せることも少なかったんだけど、情報の公開がやけに早かったことは質問コーナーでも指摘されてましたが、一応の理由はあったらしい。普通なら放送の終了と同時に発表するようなもんだけど、なんでも仮面P曰く「ノリで3期より早く映画の企画書を立ててしまった」とのことで、なんとプロデューサーのノリで始まったことらしい。ほとんどダメもとで、どうせ却下されるだろうなーと思ってたら、「予算を組め」と言われたらしく、企画が始まったとか。ちなみに保志総一朗へ映画化が決まったことを伝えたら、「映画はいいですけど3期は?」と当たり前のツッコミを受けたらしい。ここで重要なのは、3期の代わりに映画化を選んだわけではないということですね。BDの売り上げもあるんでしょうが、映画以外の続編も十分に狙えるというわけです。
そして、映画化の企画が通った時期と同じくニュータイプの表紙が決まって、スタッフ的にはこれが凄い意外というか、驚くべきことだったらしい。いくら角川原作とはいえ、ニュータイプの表紙はないだろうと思っていたとかで。斎藤監督は嘘かホントか田舎に何冊か送ったと言ってました。それでまあ、折角ニュータイプの表紙になるわけだし、こんな機会二度もあるとは限らないから、まだなにも決まってないけど発表してしまおうかと、そういう流れだったそうです。
特報に付いては、始め単なるCMを作る予定だったのが、監督たちがどうせなら特報にしてしまえということで深夜にキャッチコピーを仮面Pのところに考えるよう電話してきて、「そらおと史上最大の~とかでいいんじゃ?」と答えたら、出来上がったの見たら「智樹ついにモテ期到来!!」と全然違うものになっていたらしい。
まあ、原作読んでいる人にはどこが映画化されるのか分かりきっているようなものですがと前置きした上で、それを如何に劇場作品に仕上げていくかというのが今後の課題らしい。でも、どういう形になるにせよ、そらおとのスタッフなら大丈夫なんじゃないかと、そんな安心感を与えてくれる作品だと私は思っています。
上映会の後はプレゼントコーナーがあって、なんと渡邊さんが上映中に描き上げたイカロス、ニンフ、アストレアの色紙が3枚出たりと、色々豪華でした。特にニンフは青色がなかったとかで、今回きりの緑髪。欲しかったけど、さすがに当たらなかった。意外とこういう抽選回は当たる確率高いんだけどなーとか思ってたら、最後のほうでグッズが当たってしまいました。イカロスのトートバッグでしたか、普通に売っているようなグッズでしたけど、なんかこういうのが当たると参加した甲斐があったという気になって嬉しいよね。ちなみに当日になって物販も決定して、サイリウムとかアストレアテレカが売ってました。サイリウムなんてなにに使うんだということでテレカを購入しておきました。
実はオールナイトの上映会って初めてで、トークショーとかは経験合ったんだけど、好きなアニメを一晩掛けて観るってのは楽しいものですね。次の機会があるのかは分かりませんが、参加してよかったです。映画はまだまだ先ですけど、3期も視野にはいれているそうだから、今後の展開に期待してこれからもそらのおとしものという作品を応援し続けましょう!
イベント自体は先日放送終了したそらのおとしものf全12話を一挙に上映するというシンプルなものなんだけど、司会進行に仮面プロデューサーが現れたり、ゲストに監督である斎藤久さんやキャラデザの渡邊さんなどが登場して、結構豪華な顔ぶれになりました。上映の合間に雑談という名の各話解説コーナーみたいのがあったんだけど、これが意外と真面目な話も結構あって、色々と興味深かったです。当人らは何気なく話してるつもりなんでしょうけど、聞いている側は思わず驚いてしまうような、そんな情報もあったりしました。
12月24日は公式でイカロスとニンフの誕生日ということになっていて、事前の告知通り2人の誕生日を祝いました。その際に1期13話の映像が使われたんですが、仮面P曰く「所謂ハッピーバースデートゥーユーは1回歌うごとに金が発生する」とのことで、本編では歌うことが出来なかったらしい。なんでも、この歌は著作権が結構複雑らしく、日本では2007年に消滅しているものの海外では生きているとかで、海外販売が出来なくなるということにギリギリのところで気付いて止めになったらしい。本当に収録直前まで声優陣に歌ってもらう予定だったそうなんですが、そんな事情があったとは。仮面Pが言うには、日本での権利が生きてた頃はアニメでおいそれと歌える曲じゃなかったらしいんだけど、あんまりそういう印象ないよね。というか、この歌に著作権があること自体、それほど知られてないんじゃないだろうか。結婚行進曲並に自然なものというか、まあ、これはクラシックですからとっくに権利消えてますが。
そして始まる上映会なわけだけど、2話ずつ上映して10分休憩を挟み、その休憩時間に各話の解説を行っていくという感じで、最初の1話、2話に関しては、やはりOPとEDに話になりましたね。俺のベルはともかくとして、ハートの確率でイカロスたちがそれぞれ異なる水場にいることに関しては斎藤監督から解説があって、まずイカロスは智樹への愛に目覚め、想いが溢れ出ていることから激流とも言うべきダム。ニンフは1期で羽根を失い、全体的に淀んだ気持ちを引きずっているので水たまり。そしてアストレアは馬鹿だから、よく分からないけど上を見つめているということで、とりえず上流の方を向いているという構図らしい。確かにそらおとfは最終回にいたるまで、水場ないし水そのものに関する話が多かったよね。9話が代表的だけど、例えばアストレアは川を居住地にしてますし。
2話のEDに関しては、やはりそらおと自体、1期の2話で名を上げたという自覚があったので、それを越えるものを作らなければいけないという意識みたいなものがあったらしい。原作のオチからどう広げようかという考えから始まって、祭りをやればいいじゃんという結論に至ったらしい。ちなみに納品したら突っ返されたそうですが、本編の内容でもED映像でもなく、サブタイが引っかかったとか。巨乳ってサブタイトルで使えないんですね。性的な単語としては生やさしい部類だと思うけど、なんでなんだろ? 上映会で流しているのはDVD 版でしたから、当然サブタイは修正されていないものでした。
ただ、会場が液晶スクリーンだったこともあってか、やや白がキツメなのが気になった。仮面Pも色々調整してもらったらしいんだけど、それも限界があるというか、映像を楽しむという意味では割と見辛かったと思う。まあ、TVアニメを劇場で流しているわけだから、その辺は仕方ないのかもしれませんが、普通に大きいスクリーンでのそらおとを楽しみに行った身としては、少し残念だったかなと。
第3話のプライドある戦いに関しては、まずプロレスの描写に付いてどのように描くべきかという議論があったそうです。つまり、制作側の世代である昔のプロレスを描くべきなのか、今のK-1など総合格闘技風のプロレスにするべきなのかということで、これは確かに悩むべきところですね。まあ、結局本編ではあんな感じになってましたが、即興で作られた会場の2階席、3階席はベニヤ板で作られた観客の絵だったりと、結構細かいネタが散見していた。ハイライトでは1期のキャラをほとんど出したとかね。あれは静止画ではなく動画としてやりたかったらしいんだけど、アニメとしての限界があったとかで出来なかったようです。
そはらがレフェリーとしてなにをしていいのか分からず、適当な動きをしているところとか、そらおとにはとにかくネタや設定が多いというのが斎藤監督や渡邊さんの感想だった。仮面Pの悪乗りも多いらしいけど、これがまだ序の口と言うんだからそらおとは凄いよ。
第4話はなんといっても合戦のシーン、と思わせておいて、実は最初の方にあった矢が刺さるシーンに監督は以上な拘りを見せていたらしい。タイミング的なものがあったらしく、何回も作り直したとかなんとか。まあ、ニンフが会長にいじめられたり、会長と守形が色々あったりするわけだけど、原作では守形関連の話って掘り下げられるか分からないんでしたっけ? これは12話を上映する前に解説されたんだけど、守形と会長がイチャイチャしていると主に女性ファンが喜ぶらしいです。だから、もしかするとアニメの方でこの2人の関係などが語られるかもしれませんね。女性人気があるというのも、まあ、なんとなくわかる話ですし私も嫌いじゃないです。ある種、悟りきった間柄とでもいうのか、結構どんよりとした事情があるんだろうね。
5話と6話に関しては、やっぱり5話の守形とそはらがシナプスを探索する部分の解説ですか。守形がシナプスの上空を飛行する中で、ちゃんと智樹がダイダロスと会っている場所も存在していたり、智樹は自分の夢じゃないと言ってましたが、実際には夢であり現実でもあるんですよね。こだわりのシーンとしてはオレガノが守形達の後ろを歩いているシーンで、2人が足を止めたから初めて存在に気づくことが出来たというアニメならではの演出だそうです。細かいようだけど、そういうところが丁寧に作られてるよね。漫画では表現しきれなかったシナプスの全容……というよりは一部分ですけど、2期では最初のシリアスパートということもあって、結構気を使っていたみたい。風音日和が初登場したのも5話ですけど、この辺りのSF的設定は原作読んだ当時に愕然とした記憶がある。SFにおいて夢と現実は割とオーソドックスなテーマで、言ってしまえば古典的なものです。最近はネット系のガジェットが発達してきたから仮想現実のほうが主流になってますけど、現実とは誰かの見ている夢である、なんてのは誰もが一度は考えることだと思う。だからこそ、それを今の時代に堂々とやったことに私は感銘を受けたし、ジャンルとしては縮小気味のSF漫画という媒体で、ちゃんとSFやっていることは素直に好感を持てた。
風音日和については後で書くとして、守形がニンフした「俺は現実か?」という質問は怖いよね。守形自身、自分の仮説の恐ろしさを理解していたし、確認することそれ自体に相当の勇気が必要だったと思う。ニンフは守形を現実の存在だといってくれたけど、じゃあ他のみんなは? 智樹やそはら、会長はどうなのか。自分の見ているもの、過ごしている日常が一変してしまうような事実だけに、守形が受けた衝撃はかなりのものだったでしょう。でも、気付くべき要素は存在していたんだよね。1話で大分ゲームが出てきたとき、ニンフは「シナプスで昔流行っていた」と言いました。じゃあ、どうして今は流行ってないのか? 単にブームが過ぎたからではなく、それ以上のものが生まれてしまったから。5話は劇場版の伏線でもあるから、見直すのも悪くないと思います。
7話はカオスが本格的に登場してくるということで、全体的にホラー映画を意識した演出を心がけたそうです。いきなり蝉の死骸がアリの軍隊に運ばれていくシーンから始まり、行き倒れているアストレアに目を奪われがちですが、この時点で既に異様さを出し始めているとのこと。分かりやすいところでは部室のジェイソンとか、会長がカオスとすれ違うシーンでカオスの影に翼のシルエットが浮かび上がったり、EDの水撒きもそうですね。ギャグでありながら随所に細かい演出があって、カオスという存在が現れたことを示しているわけです。智樹に化けたカオスとか、異様であり恐怖の対象であるカオスを印象づけるための演出ですか。ちなみに黙示録編というのは仮面Pが付けたタイトルらしいです。まあ、9話や10話のどこがアポカリプスなんだって話だけど。
8話、「空に響くウタヒメの声」の解説では、一番興味深い話が聞けたかな。前半も中盤も原作と相違ない話だけど、終盤の収拾のつけ方、ウラヌスシステムの登場には賛否どころか反対意見しかなかったらしい。仮面Pをはじめ、ほぼ全員が反対して、原作者の水無月すうもまたやんわりとだけど、「一方が武器を持っていて、片方が持っていない状況はどうなんだろう」みたいな感じに否定的だったそうです。ウラヌスシステムを使うことにこだわっていたのは斎藤監督であり、「意思を持たない機械が助ける」という流れをどうしても描きたかったらしい。結果、イカロスはカオスと心中するつもりだったということを話して水無月すうを納得させたらしいけど、実は監督的にウラヌスシステムを足枷に感じ始めていたとかで、一旦排除したかったとかなんとか。個人的には水無月すうが反対というか否定的だったというのに少し驚いたかな。8話のアニメオリジナル展開は、原作者がしたくても出来なかった演出だという意見が多かっただけに、本当は嫌がっていたということに割とビックリ。個人的には監督と同意見で、良い演出だったと思うんですけどね。仮面Pも「結果としてアームさん大人気になった」とのことだから、監督の意図は伝わってるんだと思う。
後、作画的なことではイカロスの肩部分で問題が発生したらしい。というのも、イカロスは空の女王モードで肩パーツがあるバージョンと無いバージョンがあって、あるバージョンの場合、肩の辺りまで腕の黒い部分で包まれているそうなんですよ。で、カオスを海中に沈めたときに肩パーツ壊れるわけだけど、その際、肩は黒があるバージョン、無いバージョンのどちらを描くのかっていうことで意見が分かれたとか。結局、素肌にしてましたけど。
9話に関してはシリアスが一転してギャグ回なわけですが、トモ子を登場させたことに付いてはまあ、諸般の事情ということで。ただ、シリーズ構成兼全話の脚本を担当している柿原優子が「私、智樹の『風がうんちゃら、潮がうんちゃ』って台詞好きなんですよねー」と言ったため、この台詞に関してはトモ子にそのまま言わせればいいじゃんということで採用されたらしい。
女子に浮輪モドキを付けたのもまた諸般の事情らしいですが、キャラデザの渡邊さん曰く、あれで本当に浮くかどうかは分からないとか。ギャグだけど、イカロスにとって最終話までのテーマであるプロポーズが出てきたのもこの辺ですし、愛に対して思い悩み始めた話でもあるから、重要といえば重要だったりします。そはらが生徒会の書記という設定を再び出したのは11話に向けての準備らしいけど、数字を打ち間違えたことに意味はなかったらしい。だから、11話で大分ゲームの機械を操作するシーンで打ち間違えがあるのではないかと思われたのは、そう思われても仕方ない描写だったと言ってました。
海中にいるカオスのシーンですけど、ウラヌスシステムは一応ダイダロスによって回収されたらしいです。Wikipediaとか見てると海中に放置されたままと解釈されているみたいだけど、実際はダイダロスが修理中らしい。カオスの「あ、光ってる……消えちゃった」というのはウラヌスシステムのこと言っているわけですね。
10話は原作の細かい話を纏め上げているわけだけど、ニンフは当然、アストレアの心境の変化とか、イカロスの溜まりに溜まった智樹への想いとか、記憶の消去はアニメオリジナルですが、良い演出だったのではないかと。敢えてそういう展開にしたと斎藤監督は言ってましたが、話を盛り上げる意味ではこれ以上にないでしょう。ちなみにラストにまた登場した一部の人が喜んだり悲しんだりした成長したカオスですけど、これに関してはサラリとばらしてましたが原作にもある設定だったそうです。なんでも、水無月すう曰くカオスは二段階の変身をするキャラで、最初はニンフほどの大きさまで成長し、次にイカロス並になるという、まるでセルみたいな存在だったとか。ただ、仮面Pの補足では水無月すうはよく設定や展開を変えることがあるので、原作のカオスに変身というか成長設定が残っているとは限らないらしい。ただ、最新号の展開を考えると……カオスが進化する可能性というのは、なくはないと思う。いい意味でも悪い意味でも、子供だから。
11話に関しては、仮面Pにしろ斎藤監督にしろ、結構不満というかそれほど出来に対して納得してないみたいです。もちろん、放送してしまった手前、ハッキリとした表現こそ使ってませんでしたが、まあ、世間的な評価もそれほど高くないですからね。その辺りのことも気にはしているみたい。ただ、2話に伸ばすほどの話ではないと思ったし、1話にまとめたことそれ自体は悪くはなかったのではないかと、そういう感じらしい。足枷だったウラヌスシステムを外したことで、エンジェロイドの共闘とそれぞれの戦いを描きたかったという言葉も、分からないではない話です。イカロスは消え行く記憶と智樹への愛、ニンフは失った羽根を取り戻すこと、そしてアストレアは勝つことが出来なかったカオスへの雪辱戦。ただ、私が微妙に感じる描写として、智樹がニンフだけではなくアストレアのマスターにもなると言ったシーンがあります。別にアストレアのマスターになること自体は良いんですけど、ニンフが智樹の言葉を「どれだけ聴きたかったか」と涙をながすのに対し、アストレアが「ですよね!」と応じるのはどうなのかと。だって、ニンフとアストレアでは智樹に対する想いの度合いが違うじゃないですか。ニンフが智樹が自分のマスターなら、と考えていたのはそれこそ1期の頃からですし、アストレアとは年季が違うよ。仮にアストレアの言葉がニンフの想いを汲みとってのものだとしても……いや、あの馬鹿にそれはないか。
ここでカオスの声優に付いて触れておくと、演じている豊崎愛生はオーディションで決まったらしいです。なんでもアストレアと同時にオーディションをして、アストレアは福原香織ともう一人が激しく争っていたそうです。それが誰だったのかはさすがに明かされませんでしたが、福原香織がキャスティングされた時点でアストレアのキャラがわかりそうなものだという発言はどうなんだろうねw そしてカオスの声優ですけど、重要視したのは誰が一番怖いのかということで、豊崎愛生は満場一致で決まったらしいです。確かに、恐怖の塊みたいな演技ですもんね。
最終話についてですが、元々は1期も14話をラストに持ってきたかったのが色々あって駄目になったそうで、最後は明るく終わりたいって気持ちがスタッフの中にはあるらしい。ウェディングドレスに付いては仮面Pの発案らしくて、当初は昔の香港映画みたいに智樹が花嫁姿のイカロスたちに囲まれるないし追いかけられるなりして、「もう勘弁してくれー!」なんていうオチを考えていたそうなんですが、さすがにそれではアレということで斎藤監督があのような形でまとめたらしい。でも、仮面Pの案も悪くないと思いますけどね? 結局、智樹は答えを出さずに終わってしまいましたから、いっそギャグで締めても良かったんじゃないだろうか。まあ、引っ張ってきたプロポーズに対する一つの答えではあるんだろうけど、イカロスに取っては少し複雑というか、可哀想な結果かな、とも思う。ちなみに会長が予約済みというのは先に書いた、というか本当はこの時に解説されたんですが、守形と会長が絡むと嬉しい女性ファン向けのサービスみたいなものらしい。カオスをあのような形で再登場させたことは、原作との整合性から良いのだろうかとは思うけど、まあ、そらおとスタッフなら上手くやるでしょう。すっかり邪気が抜けてますけど、この辺りは原作のほうがいいかなと思わないでもない。
EDのアイコンに付いてですが、これも直前になって決まったことらしい。最初はそらおとfに引っ掛けて、「f」を入れようとしたらしいんですが、それだと文字的に大きいので、キャラに関係するアイコンを入れてみたんだそうです。後、EDテーマに対して、「作品の趣旨と合ってないのでないか、という質問があった」とのことですが、イカロスbotにその疑問をぶつけたのは他でもない私だったりする。けどまあ、イベントで触れられるぐらいだから、同じような質問多かったのかな。いや、私もED曲当てクイズのときは迷ったんですよ。ヒントが出た際、まっさきに思い浮かんだ曲ではあったんだけど、歌詞に「愛なんて言葉は捨てろ」みたいなのがあって、ここまで愛というものに対してずっと考えてきたのに捨てろはないんじゃないかってことで候補から外したんだけど……監督的には歌詞も爽やかだし違和感ないらしい。まあ、いい歌ではあると思うけど。
特報というか映画化に付いて。さすがにこの時期だと話せることも少なかったんだけど、情報の公開がやけに早かったことは質問コーナーでも指摘されてましたが、一応の理由はあったらしい。普通なら放送の終了と同時に発表するようなもんだけど、なんでも仮面P曰く「ノリで3期より早く映画の企画書を立ててしまった」とのことで、なんとプロデューサーのノリで始まったことらしい。ほとんどダメもとで、どうせ却下されるだろうなーと思ってたら、「予算を組め」と言われたらしく、企画が始まったとか。ちなみに保志総一朗へ映画化が決まったことを伝えたら、「映画はいいですけど3期は?」と当たり前のツッコミを受けたらしい。ここで重要なのは、3期の代わりに映画化を選んだわけではないということですね。BDの売り上げもあるんでしょうが、映画以外の続編も十分に狙えるというわけです。
そして、映画化の企画が通った時期と同じくニュータイプの表紙が決まって、スタッフ的にはこれが凄い意外というか、驚くべきことだったらしい。いくら角川原作とはいえ、ニュータイプの表紙はないだろうと思っていたとかで。斎藤監督は嘘かホントか田舎に何冊か送ったと言ってました。それでまあ、折角ニュータイプの表紙になるわけだし、こんな機会二度もあるとは限らないから、まだなにも決まってないけど発表してしまおうかと、そういう流れだったそうです。
特報に付いては、始め単なるCMを作る予定だったのが、監督たちがどうせなら特報にしてしまえということで深夜にキャッチコピーを仮面Pのところに考えるよう電話してきて、「そらおと史上最大の~とかでいいんじゃ?」と答えたら、出来上がったの見たら「智樹ついにモテ期到来!!」と全然違うものになっていたらしい。
まあ、原作読んでいる人にはどこが映画化されるのか分かりきっているようなものですがと前置きした上で、それを如何に劇場作品に仕上げていくかというのが今後の課題らしい。でも、どういう形になるにせよ、そらおとのスタッフなら大丈夫なんじゃないかと、そんな安心感を与えてくれる作品だと私は思っています。
上映会の後はプレゼントコーナーがあって、なんと渡邊さんが上映中に描き上げたイカロス、ニンフ、アストレアの色紙が3枚出たりと、色々豪華でした。特にニンフは青色がなかったとかで、今回きりの緑髪。欲しかったけど、さすがに当たらなかった。意外とこういう抽選回は当たる確率高いんだけどなーとか思ってたら、最後のほうでグッズが当たってしまいました。イカロスのトートバッグでしたか、普通に売っているようなグッズでしたけど、なんかこういうのが当たると参加した甲斐があったという気になって嬉しいよね。ちなみに当日になって物販も決定して、サイリウムとかアストレアテレカが売ってました。サイリウムなんてなにに使うんだということでテレカを購入しておきました。
実はオールナイトの上映会って初めてで、トークショーとかは経験合ったんだけど、好きなアニメを一晩掛けて観るってのは楽しいものですね。次の機会があるのかは分かりませんが、参加してよかったです。映画はまだまだ先ですけど、3期も視野にはいれているそうだから、今後の展開に期待してこれからもそらのおとしものという作品を応援し続けましょう!
牧野由依コンサート~So Merry&So Peace
2010年12月16日 アニメ・マンガ
12月15日と16日に品川教会のグローリアチャペルで行われた、牧野由依コンサートSo Merry&So Peaceに参加してきました。グローリアチャペルは久しぶりに行ったんですけど、平日の18時半開演というのは日程的に結構無茶がありますよね。遅刻こそしませんでしたけど、昨年の12月といい平日開催は精神的な余裕がなくなるので難しいところです。正直言うと牧野由依でなかったらここまではしませんが、逆に言えば牧野由依であればこれぐらいしてしまうというほどには、好きな声優なんでしょうね。
2日間の開催ということで、両日共に同じ内容なのかと思いきや、それぞれまったく違う内容だったことに驚きました。まず、1日目はほぼ全編に渡って牧野由依の弾き語りで構成されており、どちらかといえばピアノコンサートに近いものでした。私は年末になんの幸運か最前列で見ることができたんだけど、よく考えるとグローリアチャペルという決して広いわけではない会場の最前列ってのは凄いことですよね。チケットが当選したときはあんまり実感がなくて、漠然とした気分だったんだけど、いざ席についてみるとその距離感の近さに口笛の一つも吹きたくなってきた。まあ、吹けないんだけどさ。
クリスマスコンサートということもあってツリーを何本かステージに配置して、綿を雪のように敷き詰めていたんだけど、演出的にそれほど凝っているというわけじゃなく、むしろ教会という空間を最大限に利用している感じだったかな。日本人ってのは宗教意識が薄いから、教会という場所に必要以上の神聖さを覚えるものだし、そういった場所でピアノ弾き語りをすると厳かな気分になるというか、簡単にいえば雰囲気が出るんでしょうね。牧野由依は声優であり歌い手であり、それはよくいるアイドル声優なんてのと変わりはないんだろうけど、それ以上に演奏家としての一面を強く押し出したコンサートだったと思う。単に歌えるだけの人ならいくらでもいるけど、自分で弾き語りが出来る人ってのは、ほとんどいませんからね。そういった意味でも、稀有な存在ですよ。
セットリスト等は会場に貼り出されてなかったので、どこかファンサイトにでも行って確かめて下さいとしかいえないんだけど、私の一番好きな曲は歌わなかったですね。まあ、季節柄というのもあるし、仕方ないんだろうけど。
最前列という場所に座っていて改めて実感したんだけど、牧野由依は本当に歌うこと、演奏することが好きなんでしょうね。日本青年館の時も是非弾いてみたかったというダブルピアノを借りてきたりしてましたけど、なんていうんだろ、一曲歌い終わるごとに見せる表情が、本当に嬉しそうな笑顔なんですよ。心の底から楽しんでいるんだろうなと、肌で感じられるといいますか。だからこちらも自然と温かい気持ちになるというか、応援したくなるんでしょうね。
2日目は椅子をたくさん並べてオーケストラ方式をとっていましたが、これはこれで味があるというか、演奏会のような趣があって良かったと思います。前日と違って後方付近に座っていたんですけど、最前列と違う視点で見れて楽しかった。私はバンドというものにそれほど思い入れがある方じゃなくて、むしろ吹奏楽器に強い憧れを持っているから、今回のような様々な楽器による演奏を聴けたのはとても喜ばしく思いました。私はなにせ音楽的素養が鈍いので、良い演奏を見たり聴いたりすると気持ちが高ぶるんでしょうね。
曲の構成も前日とは違い、ステージの綿も取り除かれたため、まったくの別物という仕上がりになりました。両日共に違う内容というのがどれほど珍しいのかは分かりませんが、私はあまり経験がなかったので、結構新鮮な気分でした。演出を考えたのは別に牧野由依自身ではないんでしょうけど、本人も魅せ方というか、人を楽しませる方法というの分かっている人だから、例えばMCのトーク一つとっても笑いを混ぜることを忘れないし、演者としては本当に素晴らしいと思う。
私は最近声優のイベントというものにほんと行かなくなって、堀江由衣のFCイベントもまた申し込みを忘れてしまったんだけど、それほど衝撃を受けてないというか、別にどうでも良くなっている自分がいるんだけど、牧野由依に対する熱はしばらく冷めそうもないな。いや、これは熱と表現するには少し違うか。単純に私の声優に対する趣味が代わったんでしょうね。代替わりとでも言うべきか。
声優イベントしては、これが今年最後かな。アニメ系のイベントは後一つだけ控えているんだけど、それには声優とか来ないから。終わればコミケを残すのみだし、最後を牧野由依で飾れたのは個人的にも良いことだったのかも知れませんね。来年の予定も色々決めてはいるんですけど、好きな人を間近で見られることの出来る機会というのは大切にしていかないといけませんね。花澤香菜はもうすっかり人気声優になってしまったからともかく、例えば斎藤桃子とかさ。なにやら引退を匂わせているそうだけど、私の精神が死んでしまうので勘弁して欲しいものです。牧野由依もそうだけど、力はあるのだから後はそれを活かす場に恵まれるかどうか、なんですよね。まあ、それもまた来年に持ち越される話です。
2日間の開催ということで、両日共に同じ内容なのかと思いきや、それぞれまったく違う内容だったことに驚きました。まず、1日目はほぼ全編に渡って牧野由依の弾き語りで構成されており、どちらかといえばピアノコンサートに近いものでした。私は年末になんの幸運か最前列で見ることができたんだけど、よく考えるとグローリアチャペルという決して広いわけではない会場の最前列ってのは凄いことですよね。チケットが当選したときはあんまり実感がなくて、漠然とした気分だったんだけど、いざ席についてみるとその距離感の近さに口笛の一つも吹きたくなってきた。まあ、吹けないんだけどさ。
クリスマスコンサートということもあってツリーを何本かステージに配置して、綿を雪のように敷き詰めていたんだけど、演出的にそれほど凝っているというわけじゃなく、むしろ教会という空間を最大限に利用している感じだったかな。日本人ってのは宗教意識が薄いから、教会という場所に必要以上の神聖さを覚えるものだし、そういった場所でピアノ弾き語りをすると厳かな気分になるというか、簡単にいえば雰囲気が出るんでしょうね。牧野由依は声優であり歌い手であり、それはよくいるアイドル声優なんてのと変わりはないんだろうけど、それ以上に演奏家としての一面を強く押し出したコンサートだったと思う。単に歌えるだけの人ならいくらでもいるけど、自分で弾き語りが出来る人ってのは、ほとんどいませんからね。そういった意味でも、稀有な存在ですよ。
セットリスト等は会場に貼り出されてなかったので、どこかファンサイトにでも行って確かめて下さいとしかいえないんだけど、私の一番好きな曲は歌わなかったですね。まあ、季節柄というのもあるし、仕方ないんだろうけど。
最前列という場所に座っていて改めて実感したんだけど、牧野由依は本当に歌うこと、演奏することが好きなんでしょうね。日本青年館の時も是非弾いてみたかったというダブルピアノを借りてきたりしてましたけど、なんていうんだろ、一曲歌い終わるごとに見せる表情が、本当に嬉しそうな笑顔なんですよ。心の底から楽しんでいるんだろうなと、肌で感じられるといいますか。だからこちらも自然と温かい気持ちになるというか、応援したくなるんでしょうね。
2日目は椅子をたくさん並べてオーケストラ方式をとっていましたが、これはこれで味があるというか、演奏会のような趣があって良かったと思います。前日と違って後方付近に座っていたんですけど、最前列と違う視点で見れて楽しかった。私はバンドというものにそれほど思い入れがある方じゃなくて、むしろ吹奏楽器に強い憧れを持っているから、今回のような様々な楽器による演奏を聴けたのはとても喜ばしく思いました。私はなにせ音楽的素養が鈍いので、良い演奏を見たり聴いたりすると気持ちが高ぶるんでしょうね。
曲の構成も前日とは違い、ステージの綿も取り除かれたため、まったくの別物という仕上がりになりました。両日共に違う内容というのがどれほど珍しいのかは分かりませんが、私はあまり経験がなかったので、結構新鮮な気分でした。演出を考えたのは別に牧野由依自身ではないんでしょうけど、本人も魅せ方というか、人を楽しませる方法というの分かっている人だから、例えばMCのトーク一つとっても笑いを混ぜることを忘れないし、演者としては本当に素晴らしいと思う。
私は最近声優のイベントというものにほんと行かなくなって、堀江由衣のFCイベントもまた申し込みを忘れてしまったんだけど、それほど衝撃を受けてないというか、別にどうでも良くなっている自分がいるんだけど、牧野由依に対する熱はしばらく冷めそうもないな。いや、これは熱と表現するには少し違うか。単純に私の声優に対する趣味が代わったんでしょうね。代替わりとでも言うべきか。
声優イベントしては、これが今年最後かな。アニメ系のイベントは後一つだけ控えているんだけど、それには声優とか来ないから。終わればコミケを残すのみだし、最後を牧野由依で飾れたのは個人的にも良いことだったのかも知れませんね。来年の予定も色々決めてはいるんですけど、好きな人を間近で見られることの出来る機会というのは大切にしていかないといけませんね。花澤香菜はもうすっかり人気声優になってしまったからともかく、例えば斎藤桃子とかさ。なにやら引退を匂わせているそうだけど、私の精神が死んでしまうので勘弁して欲しいものです。牧野由依もそうだけど、力はあるのだから後はそれを活かす場に恵まれるかどうか、なんですよね。まあ、それもまた来年に持ち越される話です。
えっちなからだの作り方 (ポプリコミックス 83)
2010年12月15日 アニメ・マンガ
いつの間にか発売されていたので買ってきました。ここ数ヵ月、一つの作品に集中しすぎて他のことが見えていなかった状態なので、出ていたことすら知らなかった。私としたことがまったく、情けない話です。書店をかけずり回ってなんとか特典付きをゲットすることが出来ましたけど、成年向け商業作家では一番好きな人なのに、日々のチェックを怠るとは。前作レンアイショウジョが昨年の12月発売だったことを考えると、期間的には約1年ありましたし、新刊が出てもおかしくはないんですよね。ポプリクラブでの連載は普通に続けていたわけだし。まあ、年内に気付くことが出来てよかったですよ。
私は実のところ、ポプリクラブとか快楽天などの成年向け商業誌を買ったりするほうじゃなくて、LOなどもあまり読んだりしないんですけど、だからこそコミックスを買うことが結構多かったりします。成年向け商業作家は同時に同人作家であることがほとんどだから、まあ、その縁もあって。今作品の作者である獅童ありすもその一人ですね。元々はガンガン系同人、特にスパイラルや魔ロキで活動されていた方で、魔ロキに関しては現在もメインジャンルだったりするんだけど、商業作品はこれで3冊目ですか。エピキュリアンシンドローム、レンアイショウジョとカタカナタイトルでここまで来て、いきなりえっちなからだの作り方とは随分俗な感じになりましたね。直接的なタイトルにしたのは商業的な部分を意識したからでしょうか? 個人的にはカタカナで統一して欲しかったんですけど、まあ、本の内容的にもこっちのほうが合っているのかも知れませんね。
作者である獅童ありすの日記にも書いてあったけど、今作品は分かりやすいエロ話が中心となっていて、物語的な深みというものがありません。全体的に内容が軽いというか、キャラを掘り下げて描くようなタイプの話とは真逆という感じです。そのため、今作品に限っては私好みのキャラというものが存在しませんでした。色々登場してはいますし、それぞれが可愛かったりするわけですが、なんかこう魅力に欠けるといいますか。話が単調であるからして、キャラまで単純になってしまったというわけではないんでしょうけど、言い様のない物足りなさは感じた。そういやロリキャラもいなかったっけ。
全体的な感想としては、ストーリー性が皆無なためか割と簡素な話が目立ったかなと思います。エロ重視ということもあってか、内容的な目新しさはないですし、新鮮味に欠けるといいますか。まあ、エロ漫画にそれらを求めるのはどうかと思うけど、エロを全面に押し出すばかり感覚的にも感情的も軽くなってしまったというか、ハッキリ言うと平凡な作品になってしまった。それまであった作者の作風とか、作品の雰囲気が変わってしまったんですね。レンアイショウジョにあったような悩ましいまでの美しさとか、そういう目を引く部分が今回はまるでなかった。表題作であるえっちなからだの作り方もよくあるネタといえばそれまでだし、年齢高めを目指そうとして空回りしている印象すら受ける。決して面白くなかったわけじゃないんだけど、じゃあ楽しかったのかと言われると、ちょっと考えてしまうっていうの? エロを重視するか、話を重視するかは読み手の個人的な趣味趣向が大きいと思うけど、私は前作までの作品が話ばっかりでエロが薄いなんて感じたことはなかったから、今回の方針転換には少し首を傾げざるをえないんでしょうね。まあ、作品に対する印象なんて人それぞれだろうけど、エピキュリアンにしろレンアイにしろ、十分にエロかった気がするんだけどなぁ。
後、作者は1年前と絵が変わっていないと言ってますけど、私はかなり変わったんじゃないかと思う。違和感を感じるほどではないにせよ、そこら辺もまた私の評価が上がらない要因なのかも知れません。やっぱり私は、エピキュリアンシンドロームが一番好きだな。あれは本当によかったと思う。
ただ、純粋なエロ漫画という意味ではよく出来ている方だと思うし、絵柄が気に入ったなた買う価値は十分にあります。前2作は話的に少な必ず重たい部分もあったので、軽い気持ちでエロを読みたいと思うならば、えっちなからだの作り方は適しているんじゃないかなと。私の場合、どうしても物語性を重視してしまう傾向にあるからこういう感想になってしまったけど、一つ一つの作品単位としてはよく出来ていると思うし、エロくもあったから、後は個人の好みの問題でしょう。メロンブックスやたちばな書店だと特典も付きますし、まだ残っている店舗が多いと思うので、近場に店舗があったり、行く機会があるという人は覗いてみることをお勧めします。
私は実のところ、ポプリクラブとか快楽天などの成年向け商業誌を買ったりするほうじゃなくて、LOなどもあまり読んだりしないんですけど、だからこそコミックスを買うことが結構多かったりします。成年向け商業作家は同時に同人作家であることがほとんどだから、まあ、その縁もあって。今作品の作者である獅童ありすもその一人ですね。元々はガンガン系同人、特にスパイラルや魔ロキで活動されていた方で、魔ロキに関しては現在もメインジャンルだったりするんだけど、商業作品はこれで3冊目ですか。エピキュリアンシンドローム、レンアイショウジョとカタカナタイトルでここまで来て、いきなりえっちなからだの作り方とは随分俗な感じになりましたね。直接的なタイトルにしたのは商業的な部分を意識したからでしょうか? 個人的にはカタカナで統一して欲しかったんですけど、まあ、本の内容的にもこっちのほうが合っているのかも知れませんね。
作者である獅童ありすの日記にも書いてあったけど、今作品は分かりやすいエロ話が中心となっていて、物語的な深みというものがありません。全体的に内容が軽いというか、キャラを掘り下げて描くようなタイプの話とは真逆という感じです。そのため、今作品に限っては私好みのキャラというものが存在しませんでした。色々登場してはいますし、それぞれが可愛かったりするわけですが、なんかこう魅力に欠けるといいますか。話が単調であるからして、キャラまで単純になってしまったというわけではないんでしょうけど、言い様のない物足りなさは感じた。そういやロリキャラもいなかったっけ。
全体的な感想としては、ストーリー性が皆無なためか割と簡素な話が目立ったかなと思います。エロ重視ということもあってか、内容的な目新しさはないですし、新鮮味に欠けるといいますか。まあ、エロ漫画にそれらを求めるのはどうかと思うけど、エロを全面に押し出すばかり感覚的にも感情的も軽くなってしまったというか、ハッキリ言うと平凡な作品になってしまった。それまであった作者の作風とか、作品の雰囲気が変わってしまったんですね。レンアイショウジョにあったような悩ましいまでの美しさとか、そういう目を引く部分が今回はまるでなかった。表題作であるえっちなからだの作り方もよくあるネタといえばそれまでだし、年齢高めを目指そうとして空回りしている印象すら受ける。決して面白くなかったわけじゃないんだけど、じゃあ楽しかったのかと言われると、ちょっと考えてしまうっていうの? エロを重視するか、話を重視するかは読み手の個人的な趣味趣向が大きいと思うけど、私は前作までの作品が話ばっかりでエロが薄いなんて感じたことはなかったから、今回の方針転換には少し首を傾げざるをえないんでしょうね。まあ、作品に対する印象なんて人それぞれだろうけど、エピキュリアンにしろレンアイにしろ、十分にエロかった気がするんだけどなぁ。
後、作者は1年前と絵が変わっていないと言ってますけど、私はかなり変わったんじゃないかと思う。違和感を感じるほどではないにせよ、そこら辺もまた私の評価が上がらない要因なのかも知れません。やっぱり私は、エピキュリアンシンドロームが一番好きだな。あれは本当によかったと思う。
ただ、純粋なエロ漫画という意味ではよく出来ている方だと思うし、絵柄が気に入ったなた買う価値は十分にあります。前2作は話的に少な必ず重たい部分もあったので、軽い気持ちでエロを読みたいと思うならば、えっちなからだの作り方は適しているんじゃないかなと。私の場合、どうしても物語性を重視してしまう傾向にあるからこういう感想になってしまったけど、一つ一つの作品単位としてはよく出来ていると思うし、エロくもあったから、後は個人の好みの問題でしょう。メロンブックスやたちばな書店だと特典も付きますし、まだ残っている店舗が多いと思うので、近場に店舗があったり、行く機会があるという人は覗いてみることをお勧めします。
ぱにぽに 15 初回限定特装版 (SEコミックスプレミアム)
2010年11月28日 アニメ・マンガ
ぱにぽには8巻ぐらいまでがピークだったんじゃないかと思う。ここ数巻は特に酷いというか、なにがなんだかサッパリ判らない。楽しさや面白さを一切放棄した、気怠さとも言うべき展開の数々。オチがない漫画は珍しくないとはいえ、全編に渡ってそれをやる1ページ漫画ってどうなんだろう。それとも私の読解力が足りないだけで、世間一般には素晴らしい作品なんだろうか。どうみてもキャラ萌え以上の魅力がなくなってしまった気がするんだけど。特典のドラマCDも、なんでアニメ版のキャストなの? 出版社違うけど、まろまゆのときはくるみの声とかちゃんと戻したのに。
最初にあった寿司屋の話以外、本当に良く分からなかったというか、誰か説明と解説をしてくれないだろうか。いや、意味は分かるんだけど漫画としての笑いどころが分からないというか、本当に氷川へきるの絵を楽しむだけの作品になってしまった。確かに六号さんとか可愛いし、ベホイミも良い味出してるとは思ったけど……くるみ? あの髪型は似合わないような。全学年出してるからキャラも多くなってきたし、なんて言うか作品として飽和状態なのかも知れないね。8巻がピークとは書いたけど、後はもう作者がなにをしたいのかすら伝わりにくくなってしまったのではないかと。それが段々と崩れてきたものなのか、何巻かを境目に突然そうなったのかは読み直せば分かると思うけど、私は後者のような気がしないでもない。ある時期を境に、急に作風というか物語が破綻した気がする。作画もなんか凄い変化したしね。柏木姉妹とか見ていると凄く顕著に現れていると思う。
まあ、否定的に書いてはいますけど、買わない理由にはならないんだよね。ぱにぽに自体は好きな作品だし、ドラマCDも良く聴きました。アニメ版は独特な演出や声優の変更もあって微妙なんですけど、なんとかこう持ち直してくれないだろうか。パラレル編でシリアスな部分を見せたのは良いけど、カールでしたっけ? ギャグにしたってあの辺りは面白くもなんともないような気がする。長年の伏線に対する投げやり感というか、投げっぱなし過ぎるのではないかと。ぱにぽになんてこんなものだと言われればそれまでだし、まともさや真面目さを求めることに意味なんてないけど、初期や中期に比べると話の動きがなくなってしまった。キャラはこれ以上増やしようがないし、かといって話を進めるための鍵は自分で潰してしまいしたからねぇ。
追記します。
最初にあった寿司屋の話以外、本当に良く分からなかったというか、誰か説明と解説をしてくれないだろうか。いや、意味は分かるんだけど漫画としての笑いどころが分からないというか、本当に氷川へきるの絵を楽しむだけの作品になってしまった。確かに六号さんとか可愛いし、ベホイミも良い味出してるとは思ったけど……くるみ? あの髪型は似合わないような。全学年出してるからキャラも多くなってきたし、なんて言うか作品として飽和状態なのかも知れないね。8巻がピークとは書いたけど、後はもう作者がなにをしたいのかすら伝わりにくくなってしまったのではないかと。それが段々と崩れてきたものなのか、何巻かを境目に突然そうなったのかは読み直せば分かると思うけど、私は後者のような気がしないでもない。ある時期を境に、急に作風というか物語が破綻した気がする。作画もなんか凄い変化したしね。柏木姉妹とか見ていると凄く顕著に現れていると思う。
まあ、否定的に書いてはいますけど、買わない理由にはならないんだよね。ぱにぽに自体は好きな作品だし、ドラマCDも良く聴きました。アニメ版は独特な演出や声優の変更もあって微妙なんですけど、なんとかこう持ち直してくれないだろうか。パラレル編でシリアスな部分を見せたのは良いけど、カールでしたっけ? ギャグにしたってあの辺りは面白くもなんともないような気がする。長年の伏線に対する投げやり感というか、投げっぱなし過ぎるのではないかと。ぱにぽになんてこんなものだと言われればそれまでだし、まともさや真面目さを求めることに意味なんてないけど、初期や中期に比べると話の動きがなくなってしまった。キャラはこれ以上増やしようがないし、かといって話を進めるための鍵は自分で潰してしまいしたからねぇ。
追記します。
FMおだわらにて生放送されたアニラジ、ウタかたを聴きました。今日日珍しくなったコミュニティFMでのアニソン番組で、パーソナリティはアニメ版ヨスガノソラの挿入歌などでもお馴染みの天乙准花さん。実は、ラジオでこの人の声を聴くのは初めてだったりします。私が住んでいる横浜市ではあいにくFMおだわらの電波を受信することは出来ないのですが、サイマルラジオに加盟していることもあってネットで聴くことが出来ました。いや、便利なの世の中になったものだ。
サイマルラジオってのは要するにradikoのFM版みたいなもんで、加盟しているコミュニティFMの番組に限りネットで聴取が可能となるサービスです。元々は出力電波が弱いFMの欠点のカバーするために開始されたんですが、システム的な問題もあってradikoほどクリアな音質というわけではなく、ネットラジオにしては珍しい雑音混じりの放送になっています。特に番組聴いてる最中も感じたんだけど、パーソナリティの叫び声などが聴き取りづらく、そういった意味ではアニソン番組を放送するために適しているとは言い難いかも知れない。まあ、これに関しては24kで音声流しているFMおだわらにも責任があるはずなので、次回放送時には改善されていることを期待します。
番組の方は普通に面白かったですよ。少々、ノリやテンション任せなところも感じましたけど、昔ながらのアニラジって感じがしましたし。天乙准花の地声は私が想像していたより落ち着いた感じで、カッコイイ系だったんだけど、本人曰く歌声と変わらないと言われることがあるらしく、それを気にしてるんだとか。言われてみれば、エアーマン歌っているときの声と同じ感じはするね。それなりに場慣れしているというか、生放送に対する気後れがないのはニコ生における経験があるからでしょうか? 私はニコ生というものを聴いたことがないのでよく分かりませんけど、思っていた以上にちゃんとした番組だった。
けれど、生放送という点を差し引いいても放送事故が多かったかな。曲が流れなかったり、別の曲を流してしまったり、FMおだわらの規模がどれぐらいかは分かりませんけど、細々としたミスや失敗が目立っていたような気もする。Twitterを見る限り、下準備あまりが万全じゃなかったみたいだね。まあ、第2回までの課題ということで。レギュラー化含めた話し合いもたれているようだし。
Twitter上で前々から告知していたこともあって、私もリクエストとか送ったんですけどね。スタッフ側も受け取った云々言ってたし、感触良さそうだったんで採用されるかな、と思ったんだけど、放送中に送ったの含めてリクエスト曲が流れることはありませんでした。番組的にノリのイイ曲が中心だったのと、私のリクエストがカバー曲だったのが原因かな。だって、最近のアニソンと言われて思いついたのがそれしかなかったんだもん。一応、TwitterでもミルキィのOPを投げといたんだけど、そういやこれも駄目だったな。Twitter、事前メール、放送中メールと全部駄目だったわけか……全滅だとさすがに沈むな。投稿リスナーってのはやっぱり投稿が採用されることに意味があると思うのですよ。まあ、リクエストが採用されなかった事自体は私の方に責任があるので、精進していくしかありませんね。
ただ、意外なことにスタッフ側のイチオシと思われたけいおんの曲がなにも流れなかった。というか、ツナグキズナはともかくとして、最近のアニソンとして流れた中で印象深かったのがイカ娘ぐらいしかなかったような。ひだまりや化物語はちょっと前だし。あれ、そう考えると本当に秋アニメはヨスガとイカ娘しか流れてないのか? 最近の曲というのが放送中ないし前期ぐらいまでのアニメと考えていた私って。
私はリクエスト曲こそ流れなかったけど、投稿自体はテーマメールに出したのが採用されました。俺得No.1アニソンということで、これまた最近の楽曲から選んでみたんだけど、私は牧野由依ではスケッチブックを持ったままが一番好きです。番組EDにウンディーネが流れたけど、あの流れでどうしてウンディーネにいってしまったんだろう。まあ、スケブはラジオのEDって感じじゃないけどさ。
しかし、Twitterで何気なく呟いた私の冬コミ参加情報を拾ってもらえるとは思わなかった。でも、考えて見れば天乙准花さんは同人の出身だし、自身も未だにコミケとか参加される方だから、そういう方面に抵抗というのがないんでしょうね。なんか、スペースの方に来るみたいなこと言ってたけど、本当に来たらどうしよう。相手も同人やってる人だと、冗談ですまない場合があるから怖いよね。まあ、そのときは新刊でも渡すけど、ラジオでサークル名まで紹介されちゃったし、これは絶対に本を落とせなくなった。
サイマルラジオってのは要するにradikoのFM版みたいなもんで、加盟しているコミュニティFMの番組に限りネットで聴取が可能となるサービスです。元々は出力電波が弱いFMの欠点のカバーするために開始されたんですが、システム的な問題もあってradikoほどクリアな音質というわけではなく、ネットラジオにしては珍しい雑音混じりの放送になっています。特に番組聴いてる最中も感じたんだけど、パーソナリティの叫び声などが聴き取りづらく、そういった意味ではアニソン番組を放送するために適しているとは言い難いかも知れない。まあ、これに関しては24kで音声流しているFMおだわらにも責任があるはずなので、次回放送時には改善されていることを期待します。
番組の方は普通に面白かったですよ。少々、ノリやテンション任せなところも感じましたけど、昔ながらのアニラジって感じがしましたし。天乙准花の地声は私が想像していたより落ち着いた感じで、カッコイイ系だったんだけど、本人曰く歌声と変わらないと言われることがあるらしく、それを気にしてるんだとか。言われてみれば、エアーマン歌っているときの声と同じ感じはするね。それなりに場慣れしているというか、生放送に対する気後れがないのはニコ生における経験があるからでしょうか? 私はニコ生というものを聴いたことがないのでよく分かりませんけど、思っていた以上にちゃんとした番組だった。
けれど、生放送という点を差し引いいても放送事故が多かったかな。曲が流れなかったり、別の曲を流してしまったり、FMおだわらの規模がどれぐらいかは分かりませんけど、細々としたミスや失敗が目立っていたような気もする。Twitterを見る限り、下準備あまりが万全じゃなかったみたいだね。まあ、第2回までの課題ということで。レギュラー化含めた話し合いもたれているようだし。
Twitter上で前々から告知していたこともあって、私もリクエストとか送ったんですけどね。スタッフ側も受け取った云々言ってたし、感触良さそうだったんで採用されるかな、と思ったんだけど、放送中に送ったの含めてリクエスト曲が流れることはありませんでした。番組的にノリのイイ曲が中心だったのと、私のリクエストがカバー曲だったのが原因かな。だって、最近のアニソンと言われて思いついたのがそれしかなかったんだもん。一応、TwitterでもミルキィのOPを投げといたんだけど、そういやこれも駄目だったな。Twitter、事前メール、放送中メールと全部駄目だったわけか……全滅だとさすがに沈むな。投稿リスナーってのはやっぱり投稿が採用されることに意味があると思うのですよ。まあ、リクエストが採用されなかった事自体は私の方に責任があるので、精進していくしかありませんね。
ただ、意外なことにスタッフ側のイチオシと思われたけいおんの曲がなにも流れなかった。というか、ツナグキズナはともかくとして、最近のアニソンとして流れた中で印象深かったのがイカ娘ぐらいしかなかったような。ひだまりや化物語はちょっと前だし。あれ、そう考えると本当に秋アニメはヨスガとイカ娘しか流れてないのか? 最近の曲というのが放送中ないし前期ぐらいまでのアニメと考えていた私って。
私はリクエスト曲こそ流れなかったけど、投稿自体はテーマメールに出したのが採用されました。俺得No.1アニソンということで、これまた最近の楽曲から選んでみたんだけど、私は牧野由依ではスケッチブックを持ったままが一番好きです。番組EDにウンディーネが流れたけど、あの流れでどうしてウンディーネにいってしまったんだろう。まあ、スケブはラジオのEDって感じじゃないけどさ。
しかし、Twitterで何気なく呟いた私の冬コミ参加情報を拾ってもらえるとは思わなかった。でも、考えて見れば天乙准花さんは同人の出身だし、自身も未だにコミケとか参加される方だから、そういう方面に抵抗というのがないんでしょうね。なんか、スペースの方に来るみたいなこと言ってたけど、本当に来たらどうしよう。相手も同人やってる人だと、冗談ですまない場合があるから怖いよね。まあ、そのときは新刊でも渡すけど、ラジオでサークル名まで紹介されちゃったし、これは絶対に本を落とせなくなった。
コンプエースのCMを確認するためにそらのおとしものを観てたんですけど、普通に好きな作品の一つだったりします。元々がSF好きってのもあるけど、おちゃらけているようでシリアスとギャグの落差をあまり感じさせない、かなりしっかりした作品になっていると思う。作品自体に明確なテーマがいくつかあるから、全体的な話のまとまりが凄くいいんだよね。AT-Xで1期の再放送やってるからそちらも見てるんだけど、当時は中だるみと言われていた部分も、今見るとあまり気にならなくなっていた。というか、ニンフが可愛ければ他にはなにもいらないと思う。
先週から続きニンフ回なわけだけど、メインがニンフというだけであって、話的には前回も今回も第一世代エンジェロイドの三人の心境の変化や明確化が描かれていたように思う。ニンフは未だ精神的に立ち直れていない部分があって、そこを抉られたわけだけど、智樹のおかげでなんとか崩壊するには至らなかった。けどそれはあくまで一時的なものに過ぎず、羽根を失ったことやマスターがいないことはニンフに取って弱点ともいうべき心の傷になっており、それを今後どうするのかが課題として残りました。まあ、智樹がマスターになることで解決するんでしょうけど、ニンフはああいう性格ながらマスターという存在に対する依存心が強いので、智樹はその危うさを案じている印象がある。
一方で自ら鎖を断ち切ったアストレアは、心境的な変化が一番明確に現れたキャラではなかろうか。智樹のことを好きだといった言葉は、本人の言うとおり恋愛というよりは友人としてなんだろうけど、馬鹿が馬鹿なりに考えて、自分で決断できるほど成長したというのは大きいと思う。前回からこっち、色々悩んでもいましたし、これからどうするのかはともかくとしても、今後に期待は出来るんじゃないかと。戦闘シーンもいつになく格好良かったし、一気に存在感が増しました。
ただ、話の根幹としてはやはりイカロスが良い所を持っていったかな。カオスと戦う中で愛について問われ、答えを出すことは出来ないけど内に秘めた想いを爆発させることは出来た。恋にしろ愛にしろ、感情としてそれを理解不能であるイカロスだけど、智樹への想いは本物ですから。それを全力でぶつけたからこそ、カオスに打ち勝つことが出来たのではないか。けど、ウラヌスシステムまで起動したのに追い込まれたというのはどうなんだろ。それだけカオスが強かったというのもあるんだろうが、空の女王としてイカロスの持っていた、圧倒的な力が損なわれてしまった気がする。まあ、自己修復に能力を使い過ぎて攻撃面まで回復できなかったのかも知れないけど。ウラヌスシステムを使ったのも、それがなければカオスと渡り合うことが出来ないぐらいまでのダメージを受けていたと考えるべきかな。大破に近い状況まで破損したけど、もうシステムは使用不能になったんだろうか? イカロス本人に自己修復機能が備わっているのだから、システムの再構築ないし再起動も不可能ではないと思うけど……でも、下手すると海底へ封じ込まれたカオスが吸収する可能性もあるから怖い。そうなったら、誰もカオスを止められなくなる。
カオスはなんていうか、哀れな娘だなぁって感じがした。個人的には嫌いじゃないんだけど、エンジェロイドにしては自己の欲求や欲望が全面に出ているよね。何者にも姿を変えることが出来るのに、誰もが心に持っている感情を理解することが出来ない。カオスはどす黒い性格をしているようで、実はかなり純粋な存在なのかも知れない。間違っても純真ではないだろうが、結局のところカオスは最初から最後まで愛について知りたくて戦っていたように思える。勝ち負けじゃないんですよ、カオスに取って重要なのは。だから、アストレアに腕一本持って行かれても少し驚く程度の反応で済ませていたし、馬鹿だから愛についてわからない彼女を殺すことを躊躇わなかった。ニンフに対してそうであったように。
イカロスをも粉砕する勢いだった攻撃も、マスターの命令がどうというより、自分の感情を優先させていた傾向があるし、カオスには戦闘よりも対話や教育のほうが良いんじゃないかと思う。子供なんだよ、生まれたてで、分からないことだらけだから分かりたいと考える。愛が知りたいと、そう叫び続けたカオスにイカロスが驚いたのは、エンジェロイドであるのにも関わらず、実に自分の欲望へ忠実な行動をしていたからではないだろうか。もちろん、質問そのものの意外さもあったんだろうけど。
そういやカオスの声は豊崎愛生でしたが、これで戸松遥以外はスフィアが全員出ているのかな? 日笠陽子や大亀あすかも出てますが、最近のアニメでは特に若手でキャストが構成されていると思う。
智樹も今回は格好良かったね。戦闘者ではない彼に出来たのはニンフを保護することだったけど、シリアスパートだと途端に格好良くなって、言葉に重みが増すと思う。ダイダロスがある種、技術者としての視点から外れられないのに対し、智樹は地上人として純粋な、いや、純真な存在だろうし。そういった意味では、カオスとも会っておくべきだったのかも知れない。
EDは村下孝蔵の踊り子でしたが、ニンフ回は村下孝蔵が多いですね。1期のときも初恋が流れましたし、私は結構好きな歌手だったので嬉しいです。まあ、シリアス回の後にどうなのかと言われると、人によって色々あると思いますけど、昭和の歌謡曲だって捨てたもんじゃないですよ。
先週から続きニンフ回なわけだけど、メインがニンフというだけであって、話的には前回も今回も第一世代エンジェロイドの三人の心境の変化や明確化が描かれていたように思う。ニンフは未だ精神的に立ち直れていない部分があって、そこを抉られたわけだけど、智樹のおかげでなんとか崩壊するには至らなかった。けどそれはあくまで一時的なものに過ぎず、羽根を失ったことやマスターがいないことはニンフに取って弱点ともいうべき心の傷になっており、それを今後どうするのかが課題として残りました。まあ、智樹がマスターになることで解決するんでしょうけど、ニンフはああいう性格ながらマスターという存在に対する依存心が強いので、智樹はその危うさを案じている印象がある。
一方で自ら鎖を断ち切ったアストレアは、心境的な変化が一番明確に現れたキャラではなかろうか。智樹のことを好きだといった言葉は、本人の言うとおり恋愛というよりは友人としてなんだろうけど、馬鹿が馬鹿なりに考えて、自分で決断できるほど成長したというのは大きいと思う。前回からこっち、色々悩んでもいましたし、これからどうするのかはともかくとしても、今後に期待は出来るんじゃないかと。戦闘シーンもいつになく格好良かったし、一気に存在感が増しました。
ただ、話の根幹としてはやはりイカロスが良い所を持っていったかな。カオスと戦う中で愛について問われ、答えを出すことは出来ないけど内に秘めた想いを爆発させることは出来た。恋にしろ愛にしろ、感情としてそれを理解不能であるイカロスだけど、智樹への想いは本物ですから。それを全力でぶつけたからこそ、カオスに打ち勝つことが出来たのではないか。けど、ウラヌスシステムまで起動したのに追い込まれたというのはどうなんだろ。それだけカオスが強かったというのもあるんだろうが、空の女王としてイカロスの持っていた、圧倒的な力が損なわれてしまった気がする。まあ、自己修復に能力を使い過ぎて攻撃面まで回復できなかったのかも知れないけど。ウラヌスシステムを使ったのも、それがなければカオスと渡り合うことが出来ないぐらいまでのダメージを受けていたと考えるべきかな。大破に近い状況まで破損したけど、もうシステムは使用不能になったんだろうか? イカロス本人に自己修復機能が備わっているのだから、システムの再構築ないし再起動も不可能ではないと思うけど……でも、下手すると海底へ封じ込まれたカオスが吸収する可能性もあるから怖い。そうなったら、誰もカオスを止められなくなる。
カオスはなんていうか、哀れな娘だなぁって感じがした。個人的には嫌いじゃないんだけど、エンジェロイドにしては自己の欲求や欲望が全面に出ているよね。何者にも姿を変えることが出来るのに、誰もが心に持っている感情を理解することが出来ない。カオスはどす黒い性格をしているようで、実はかなり純粋な存在なのかも知れない。間違っても純真ではないだろうが、結局のところカオスは最初から最後まで愛について知りたくて戦っていたように思える。勝ち負けじゃないんですよ、カオスに取って重要なのは。だから、アストレアに腕一本持って行かれても少し驚く程度の反応で済ませていたし、馬鹿だから愛についてわからない彼女を殺すことを躊躇わなかった。ニンフに対してそうであったように。
イカロスをも粉砕する勢いだった攻撃も、マスターの命令がどうというより、自分の感情を優先させていた傾向があるし、カオスには戦闘よりも対話や教育のほうが良いんじゃないかと思う。子供なんだよ、生まれたてで、分からないことだらけだから分かりたいと考える。愛が知りたいと、そう叫び続けたカオスにイカロスが驚いたのは、エンジェロイドであるのにも関わらず、実に自分の欲望へ忠実な行動をしていたからではないだろうか。もちろん、質問そのものの意外さもあったんだろうけど。
そういやカオスの声は豊崎愛生でしたが、これで戸松遥以外はスフィアが全員出ているのかな? 日笠陽子や大亀あすかも出てますが、最近のアニメでは特に若手でキャストが構成されていると思う。
智樹も今回は格好良かったね。戦闘者ではない彼に出来たのはニンフを保護することだったけど、シリアスパートだと途端に格好良くなって、言葉に重みが増すと思う。ダイダロスがある種、技術者としての視点から外れられないのに対し、智樹は地上人として純粋な、いや、純真な存在だろうし。そういった意味では、カオスとも会っておくべきだったのかも知れない。
EDは村下孝蔵の踊り子でしたが、ニンフ回は村下孝蔵が多いですね。1期のときも初恋が流れましたし、私は結構好きな歌手だったので嬉しいです。まあ、シリアス回の後にどうなのかと言われると、人によって色々あると思いますけど、昭和の歌謡曲だって捨てたもんじゃないですよ。
HAPPY HARMONICS
2010年11月23日 アニメ・マンガ
野川さくら にゃっほ~♪LIVE TOUR 2010 ~HAPPY HARMONICS~に参加してきました。当初は一欠片も行く気なんてなかったんだけど、知り合いに誘われたのと春ドリパで久々に拝見した際の懐かしい気持ちが残っていたので、チケットを取ってもらうことに。ただ、頼んだときは深く考えていなかったけど、今現在冬コミ修羅場の真っ只中だったから、本当はライブなんて参加している余裕はなかったんだけどね。あのときはまだ冬コミ当選するか不明だったからなぁ。もっと先々のことを考えて予定を組むべきでした。
世間じゃスフィアが武道館でコンサートやったり、リリカルパーティーがスパアリで開催されたりしてて、どちらかと言えば私もスパアリの方に興味があったんだけど、あそこはイベント会場として遠いですからね。翌日も休みなわけじゃない祝日に参加するには、少しリスクが大きすぎるかなと。せめて横アリでやってくれればと思うんだけど、アニサマとかの影響でスパアリが手軽なものになってから、あんまり横アリでアニメ系のコンサートやイベントをやらなくなった。一応、スパアリよりは安いはずなんですけどね。まあ、その分規模も落ちるけどさ。
私は既に武道館というものにそれほどの価値があるとは思っていなくて、椎名へきるの頃ならまだしも、ここ最近は武道館でコンサートやイベントを開催することは全然珍しいことでは無くなっている。新鮮味や驚きに欠け、「あぁ、武道館か」で済ませられてしまうぐらい、その価値は安っぽいものになってしまった。まあ、武道館とてイベント会場の一つであるからして、そこでイベントが頻発しても不思議でもなんでもないんだけど……1万人規模を越えるホールだと、やっぱり特別感みたいのがあったじゃないですか。それに武道館というある種音楽の殿堂的な場所だからこそある特別感みたいな。アニメのイベントだから損なわれるってわけじゃないんだけど、右も左も武道館でイベント開催とか言われると、なんか微妙な気分になってしまう。これが昔なら武道館でイベント出来るなんて凄いだったのに、今じゃ声優やアニメのイベントがよく行われるせいか、逆に武道館のほうが大したことのない存在に思えてしまって困る。最終的にはドームとか国立競技場も視野に入ってくるんだろうけど、そんなに膨張してなんの意味があるのかとも思う。なんか、この頃は巨大な会場というものに興味を持てなくなった。
野サクのコンサートは品川のステラボールとかいう場所で行われたんだけど、プリンスホテルの敷地内にあるから物凄い場違い感があった。周囲を見渡してもカップルしかいないし、品川の特徴から女性率も高かった。つまり、声オタなんて存在してはいけないってこと。ただ、同行者曰くアニメ系のイベントが行われることは珍しくもないらしく、実際に一度何かのイベントで会場自体には足を運んだことがあるらしい。私はなにせ、ここ数年は声優イベントへ行く回数を減らしてますから、当然ながら初めて来る会場でした。
複合施設の一角にあることもあってか、入場にはやや時間がかかった。ファングループがコール本を配ってたけど、驚いたことに金沢印刷で製本されており、ちゃんとした本になっていた。無料配布のコールブックでよくやるなと思ったけど、参加者が少ないためかなりの冊数が余ったらしい。確かに、座席形式で800席程度の会場だったけど、満員御礼というわけにはいかなかったようだ。これはイベントが重なったというより、単純に本人の人気なんでしょうね。
入場しているときから気付いてたんだけど、大分RPEの生徒が動員されているらしい。RPEってのは野サクが所属している声優事務所のラムズがやってる養成所で、まあ、事務所共々なにかと評判の悪いところです。スタッフと駆り出されている生徒もいれば、客として会場内に入っているのも多いらしく、女性客が散見したのもそれが理由なんでしょう。別に学生をスタッフとしてこき使ったり、サクラとして動員することの是非をこの場で問おうとは思わないけど、それにしたって手際悪すぎた。今回のライブは、当然ながら指定席だったんだけど、いざ同行者と座席に向かうと、既に誰か座ってるのね。これはどう言うことだと思って、直接いって揉め事になるのもあれだからスタッフ探しに行ったんですよ。スタッフに事情を話すのが一番ですから。なのに、これが見つからない。というか、誰がスタッフだか分からない。腕章も付けてないし、それっぽい恰好もしていない。結局、入口付近で席案内している私服のスタッフを捕まえて、訳を説明して連れてきたら、その場に座っていた男女数名に「ごめんねー、こっちに移動してー」と言ってどかしたんだけど、私らにはなにもなかったという。なんで勝手に指定席へ座っていた奴らに謝って、私らには一言もなかったんだろう。しかも、席にあったチラシとか持って行かれちゃってるし。物凄い釈然としない気分になった。
ライブ自体はまあ、そんなに悪くはなかったですよ。随分参加してないので知らないことだらけだったけど、個人的に思い入れがある星の降る丘を聴けたのは嬉しかったし、2時間半弱の内容としては綺麗にまとまっていたとは思う。ただ、面白かったのかと言われると、MC含めて微妙に感じる部分も多かったし、懐かしさによる贔屓目で評価できる程度でしょうか。また行きたいかと言われると、正直そうは思わなかった。逆に私はこの人のファンだったんだなとしみじみ感じてしまったぐらいで、野川さくらという人は完全に私の過去になっていた。そして、私の未来にはいない人なんだと思う。
世間じゃスフィアが武道館でコンサートやったり、リリカルパーティーがスパアリで開催されたりしてて、どちらかと言えば私もスパアリの方に興味があったんだけど、あそこはイベント会場として遠いですからね。翌日も休みなわけじゃない祝日に参加するには、少しリスクが大きすぎるかなと。せめて横アリでやってくれればと思うんだけど、アニサマとかの影響でスパアリが手軽なものになってから、あんまり横アリでアニメ系のコンサートやイベントをやらなくなった。一応、スパアリよりは安いはずなんですけどね。まあ、その分規模も落ちるけどさ。
私は既に武道館というものにそれほどの価値があるとは思っていなくて、椎名へきるの頃ならまだしも、ここ最近は武道館でコンサートやイベントを開催することは全然珍しいことでは無くなっている。新鮮味や驚きに欠け、「あぁ、武道館か」で済ませられてしまうぐらい、その価値は安っぽいものになってしまった。まあ、武道館とてイベント会場の一つであるからして、そこでイベントが頻発しても不思議でもなんでもないんだけど……1万人規模を越えるホールだと、やっぱり特別感みたいのがあったじゃないですか。それに武道館というある種音楽の殿堂的な場所だからこそある特別感みたいな。アニメのイベントだから損なわれるってわけじゃないんだけど、右も左も武道館でイベント開催とか言われると、なんか微妙な気分になってしまう。これが昔なら武道館でイベント出来るなんて凄いだったのに、今じゃ声優やアニメのイベントがよく行われるせいか、逆に武道館のほうが大したことのない存在に思えてしまって困る。最終的にはドームとか国立競技場も視野に入ってくるんだろうけど、そんなに膨張してなんの意味があるのかとも思う。なんか、この頃は巨大な会場というものに興味を持てなくなった。
野サクのコンサートは品川のステラボールとかいう場所で行われたんだけど、プリンスホテルの敷地内にあるから物凄い場違い感があった。周囲を見渡してもカップルしかいないし、品川の特徴から女性率も高かった。つまり、声オタなんて存在してはいけないってこと。ただ、同行者曰くアニメ系のイベントが行われることは珍しくもないらしく、実際に一度何かのイベントで会場自体には足を運んだことがあるらしい。私はなにせ、ここ数年は声優イベントへ行く回数を減らしてますから、当然ながら初めて来る会場でした。
複合施設の一角にあることもあってか、入場にはやや時間がかかった。ファングループがコール本を配ってたけど、驚いたことに金沢印刷で製本されており、ちゃんとした本になっていた。無料配布のコールブックでよくやるなと思ったけど、参加者が少ないためかなりの冊数が余ったらしい。確かに、座席形式で800席程度の会場だったけど、満員御礼というわけにはいかなかったようだ。これはイベントが重なったというより、単純に本人の人気なんでしょうね。
入場しているときから気付いてたんだけど、大分RPEの生徒が動員されているらしい。RPEってのは野サクが所属している声優事務所のラムズがやってる養成所で、まあ、事務所共々なにかと評判の悪いところです。スタッフと駆り出されている生徒もいれば、客として会場内に入っているのも多いらしく、女性客が散見したのもそれが理由なんでしょう。別に学生をスタッフとしてこき使ったり、サクラとして動員することの是非をこの場で問おうとは思わないけど、それにしたって手際悪すぎた。今回のライブは、当然ながら指定席だったんだけど、いざ同行者と座席に向かうと、既に誰か座ってるのね。これはどう言うことだと思って、直接いって揉め事になるのもあれだからスタッフ探しに行ったんですよ。スタッフに事情を話すのが一番ですから。なのに、これが見つからない。というか、誰がスタッフだか分からない。腕章も付けてないし、それっぽい恰好もしていない。結局、入口付近で席案内している私服のスタッフを捕まえて、訳を説明して連れてきたら、その場に座っていた男女数名に「ごめんねー、こっちに移動してー」と言ってどかしたんだけど、私らにはなにもなかったという。なんで勝手に指定席へ座っていた奴らに謝って、私らには一言もなかったんだろう。しかも、席にあったチラシとか持って行かれちゃってるし。物凄い釈然としない気分になった。
ライブ自体はまあ、そんなに悪くはなかったですよ。随分参加してないので知らないことだらけだったけど、個人的に思い入れがある星の降る丘を聴けたのは嬉しかったし、2時間半弱の内容としては綺麗にまとまっていたとは思う。ただ、面白かったのかと言われると、MC含めて微妙に感じる部分も多かったし、懐かしさによる贔屓目で評価できる程度でしょうか。また行きたいかと言われると、正直そうは思わなかった。逆に私はこの人のファンだったんだなとしみじみ感じてしまったぐらいで、野川さくらという人は完全に私の過去になっていた。そして、私の未来にはいない人なんだと思う。