「ゼロボン」製作決定
はい、そういうわけでくろのとくろえさんの方で既に発表されてますが、夏コミにて出す本の詳細がひとつ決まりました。いや、くろのさんとメッセでエロい話してたらね? なんかノリと勢いと流れでこういうことにになっちゃったんだよ。
というわけでシャリテクロワール夏コミ新刊「ロックマンゼロ2-逆襲の救世主-読本」略して、「ゼロボン」の表紙をくろのとくろえくろのさんに担当して貰うことになりましたー!!!
もう、本当にありがとうございますですよ。このクソ忙しいときに、修羅場中ですよ修羅場中。

丁度、読本を出すにあたって画像の件とかを話していて、当初の予定では既存のイラストを使いまわす形で表紙は制作するつもりだったんですけどね? その後、私とは特に関係ない別件の話をしている時に、抱き枕カバー風イラストなるものの話で盛り上がって。ルクリュ&シエルの抱き枕カバー風イラストとかいいよねーとか言ってたんですよ。で、私が来年執筆予定の完結編を書くにあたって、人間大のルクリュの資料を欲しがっていたのと、えちぃポーズのルクリュとシエルみたいよー!という欲望満載なこと言ってたら、うっかり、お互いその気になってしまいまして……うん、ノリと勢いって凄いよね。
なので正式に依頼して書いてもらうことにしました。当初は、抱き枕カバー風イラストのポスターを予定してたんですが、これ、表紙にも使えばえちぃ本だと思って買ってく人がいるんじゃね? と、私が実にあさましいこと言ったので表紙にも使ってみることにw でも、ルクリュとシエルって、オメガを除けば逆襲の救世主から登場した唯一の新キャラですし、そう考えるとこの二人が読本の表紙を飾るってのは当然なのかもしれませんね。
ちなみに略して「ゼロボン」は、くろのさん発案です。最初、「ゼロホン」「ゼロボン」で、どちらにしようか迷ったんだけど、濁点あった方がフォントが可愛く見えるかなと思って。ボンバーマンにいそうな名前だよね。

話をした数時間後にはラフが届くという驚異のスピードに簡単しつつ、ラフを見てビックリ。まさか、ここまでエロイ、もとい凄いものが来るとは思わなかった。ラフはくろのさんとこで見れると思うけど、だってこれ色が付くんだよ? モノクロじゃないんだよね? このお尻突き出しちゃってるルクリュがさらにエロくなるんだぜ!? もう、あれですよ。ラフを見た瞬間に閃いてしまいましたよ。
「これ、普通に抱き枕化してもいいんじゃないか?」
半分オリジナルみたいなもんだけど、今は抱き枕専門の印刷所とかありますからね。ちょっとお高いですが、作ろうと思って作れないものじゃないことが判明しまして。当然、売るほどの量を作れるわけもないから、完全な自己満足になるんだけど……っていうか、仮に抱き枕作るとして、夏コミ会場まで買いに行きますという猛者はいたりするんだろうか。私はともかく、くろのさんのファンにはいるかもしれないな。
ただ、実際に抱き枕化するだけの時間があるか、という問題もあるんですよ。単なるポスターと違って、抱き枕には専用の画像サイズがありますからね。例えば一番標準的な1600x450サイズの抱き枕を作る場合、原稿の大きさを1600mmx500mmとして、布代部分を設ける必要があるから実際は1640mmx540mmで作成する必要があるとか、とにかく細かい仕様があるんですよ。なにせ大きな布に出力するわけだしね? このクソ忙しいときに頼んでいる身としては、そこまで指定とかは出来ないなと、そう思いまして。
というか、この絵柄だったらむしろシーツの方が良いかもしれないとか、そんなことまで考えだす始末。両面ならともかく、片面でキャラ二人の枕カバーってのも珍しいと思うし、だったらハルカナソラシーツよろしく、シーツにしてしまうのも……どこかにシーツ制作してくれる印刷屋はないかなー。

だから、本当に抱き枕ないしシーツとして作る場合は、もう一度ばかしくろのさんと話す必要があるかな。問題はそこまでの時間があるかどうか、何気に6月が終わろうとしているんだよね。半年過ぎるの早いな、おい。ゼロボンのイラスト企画が抱き枕になるかシーツになるか、それとも無難にポスターになるかは……まあ、ポスターは安く作れますから、普通に1~2枚作ってもいいと思うんですよ。問題は布だね。こればっかりは制作費だけあればいいってわけでもないから、もうちょっと考えてみます。
おかしいな、いつの間にか布モノ制作にまじになっている自分がいるぞw もう、ルクリュ可愛すぎるよルクリュ。
珍しく一週間置きに物書きの集まりがあったので、新宿は山珍居の近くまで行ってきた。山珍居というのは知る人ぞ知る文芸家や作家たちの聖地で、あのSF作家クラブ発足の地でも知られています。私はあまり新宿に縁がないのと、偉大すぎる店を前に入る勇気がないので未だに来店したことはないのですが、普通に台湾料理屋としても美味しいらしい。

顔を出した集まりでは作家も幾人か来てたけど、その中の一人であるラノベ作家が、今年から刊行を始めたシリーズを打ち切られた旨を報告、いや、ほとんどあれは愚痴だったかな。今年から始めたという時点で刊行数なんてたかが知れてるんだけど、ラノベってのは売れないと1冊ないし2冊で切り捨てますからね。よくあることです。
ラノベって華やかな世界に見えるけど、そんなことは全然ないんですよ。苦労して新人賞とって、本が出せたと思ったら即打ち切り。それにショックを受けて辞める奴もいれば、へこたれずに頑張る奴もいる。デビュー作でヒットする人もいれば、例えば野村美月みたいに何作か書いてやっとヒットに恵まれたなんて人もいるわけで。高橋弥七郎なんかも、デビュー作がウケなかったからシャナ書いたわけだしね。
私はどちらかと言えば、デビュー作から大ヒットするのは良い傾向じゃないと思うんですよね。西尾維新みたいのは別としても、例えばおかゆまさきとか、デビュー作が個性際立った作品過ぎると、後が続かないじゃない? 1作目を超える2作目を書くのは難しく、だからこそあかほりさとるなんかは女性声優に作家と結婚する場合は、2作目もヒットしている奴にしろ、なんて言うわけで。
何作か書いた後にヒットをつかみとった人は、なにせ下積みが長いからちょっとやそっとじゃヘコタレない。1つの作品が評価されれば前の作品も再評価され始めるし、それによって次の作品にもつなげることが出来る。処女作しか持っていない作家とは、手持ちの数が違うんですよ。鎌池和馬のヘビーオブジェクトが売れてるのかはしらないけど、あれにしたってファンはヘビーよりも禁書の新作を強く望んでいるわけだし、大ヒットを飛ばしすぎるというのも、それはそれで考えものです。ヒット作に縛られるから。

愚痴っていたラノベ作家が打ち切りにショックを受けていたのかはしりませんが、こういうのは割り切らないとダメです。ラノベに限らずですが、本は作品であると同時に商品であることを理解しないといけない。好きなものをひたすら書いていたいなら同人誌でも作っていろという話で、自分の書きたいものだけ書いて金を儲けようなんて、本来はおこがましいことなんですよ。この日記でも何度か書いてるけど、大御所や大家はまだしも、新人作家に好きな作品を書く自由なんてないからね? 一発当てたならそのシリーズを書き続けなきゃいけないし、鳴かず飛ばずだとしても今度は売れるものを書けと編集から指示が飛ぶ。そうやって何年、何十年かの年月を経て、やっと自分の書きたいものを書かせてもらえるようになるんです。西尾維新とかあの辺は、特別なんです。
自分の中で何年も温めてきた作品があるとして、それこそ学生の頃から広げ続けてきた世界観があるとする。その思い入れの強い作品で賞を取り、本も出した。しかし売れなくて、僅か2巻で打ち切りとなった。自分の作品が世界が、人々によって否定されたのだ。そんな作家の末路と言ったらない。なにせその作品を書くためだけに作家になったようなものだから、後が続かないのだ。書きたいものを世に出して、それがあっさり打ち切られると、途端に書けなくなってしまう。こんな風に潰れていったラノベ作家が本当に多い。
まあ、今回愚痴っていた知り合いは一度や二度打ち切られたぐらいでへこたれるような奴ではないと思うが、ラノベなんて売れないなんだと再認識させられた。あんまり悲しくないのは、他人事以前に打ち切られた作品が好きじゃなかったからだろうか。あれは人を選ぶって。ああいう突き抜けた作品は。次回作では方向修正するらしいけど、ガラリと雰囲気を変えたら変えたで、それまでついてきた読者が戸惑うよな気がしないでもない。レーベルの色合いってのもあるし、私はあのレーベルでお固いものを書いてもウケないと思うんだけどな。軽い作品が駄目だったから固くしようなんて、少々短絡的すぎやしないか。

なんにせよ不景気な話題ですよ。PHPのスマッシュ文庫は何年持つかという酷い予想をしてきたけど、その場にいる誰もがあれは長続きしないものと考えているんだよね。ラノベレーベルもラノベも無駄に乱立されているけど、生き残れるのはほんの一握りでしかないのです。私は立場上、あんまりラノベと関係ない人になっているけど、それでも無視出来るような状況ではなくなってきてる。どこから破綻するのか、電撃文庫はあのままでいいんだろうかね、本当に。
今週は精神的にかなり参ってて、デス種がなければおそらく乗り切ることが出来なかったと思う。メイリンはどうしてあんなに可愛いんだろうか。私はかなり細かい部分までメイリンを見過ぎているので、アスラン×メイリン+カガリについてはかなり深い部分まで語れます。例えばメイリンがアスランと一緒に脱走したのは、ある意味で彼とカガリの関係を終わらせる意味合いもあったんじゃないかと、そう思うのです。メイリンは別にアスランを奪ったわけじゃないのです。カガリがアスランと別れ、アスランがカガリから離れただけで、メイリンはそんなアスランを支えていただけですから。

まあ、デス種の話はともかくとして、今週は本当にしんどかった。デス種日記にくろのとくろえのくろのさんがコメントくれたけど、時系列上でいえば今日の真夜中、久しぶりにメッセで会話をしました。なんていうか、人生相談? 色々な人に相談して、悲恋堂の店主なんかとは喧嘩にまで発展した話なんだけど、くろのさんに相談してよかったわホント。具体的にどんな話だったのかは、酷く個人的なことだから書かないけど、ちょっとばかし夏コミに影響が出たので、その部分に関しては日曜の日記に詳細載せます。
それで、お互いになんていうか抱えてるものがあったというか、話すとやっぱりスッキリするね。最近はどっちも忙しかったからなかなかそういう機会もなくて、話している最中にノリと勢いでちょっとした企画が決まってしまった。くろのさんところでは時系列上はともかく既に発表されていると思うけど、私は日曜合わせで。7月にしようかと思ったけど、考えてみれば引き伸ばす理由が特になかった。
なんかスカル漫画のネタ企画とかやってるらしいですね。後は特撮のレビューと玩具ですか。私は自慢じゃないけど不器用なので、ああいう玩具の改造とか見ると凄いなー、やってみたいなーとは思うんだけど、なかなかね。ガンプラは買う予定だけど、それだって素組み以上のことは出来ないだろうし。ああいう技術は憧れるというか、物凄い偏見になっちゃうけど絵描きさんだから手先が器用なんだろうか。いや、私が不器用すぎるだけか……

そうそう、そんなくろのさんのブログで超久しぶりにマスクマンのOPを見た。見たと言ってもYouTubeの動画のリンクが貼ってあっただけなんだけど、昔の戦隊ってこういうのだったんだよねぇ。私はマスクマンの次の作品であるライブマンの方に圧倒的な思い入れがあるんだけど、こうして見比べるとOPのロゴの出し方とかはそっくりですね。
ライブマンという作品は戦隊作品史上初のロボット同士による合体が行われた作品で、これは初めてか分からないけど、敵の組織が戦隊ロボを上回るロボット兵器を投入してきた作品でもあります。なにせ敵が天才科学者集団ですからね。ギガボルトのカッコ良さと、ライブロボを叩きのめし、超獣剣を受け止める下りはもう最高ですよ。
私はギンガマン以降の戦隊とはちょっと馴染みが薄いんですけど、役者の低年齢化に合わせてシリアスな作品が減ってきたような印象を覚えます。シンケンジャーは小林靖子がその辺りの割合を上手く書き分けてたみたいだけど、全体的にシリアスで大人も視聴に耐えうる内容が続いている平成ライダーと違い、あくまで戦隊は子供向けを貫いていますよね。私としてはここらでメタルヒーロー系にも復活してもらいたんだけど……そういや、身内がトトメスとかイパネマのような実写魔法少女モノが復活するとか言ってたが、あの話はどうなったんだろうな。実はもう、どこかでやってるのだろうか。
個人的にはロボタックみたいな作品をもう一度やるのもいいと思うんだけどねぇ。あれは声優の影響もあったんだろうけど、熱いときはとことん熱い作品だったじゃないですか。ああいうホームコメディ要素を持った特撮というのも悪くない気がする。勿論、ウインスペクター系列の作品も強く望んでるけどさ。
コメディといえばシャンゼリオンは……あれは、あれ以上に完成された作品はないというほどの傑作だからな。超光戦士シャンゼリオンという特撮作品を見たことない人は、一度見ることをお勧めします。

それにしてもデス種面白いなぁ。同じ内容の日記が3日も4日も連続するのはまずいダルと思って今回は序盤だけにしてみたけど、これは苦手意識があって買わなかった、連合vs.Z.A.F.T.II PLUSをやる時が来たのかもしれない。基本、Gジェネみたいなゲームが好きな人だから、自分でMS動かしたりするのが苦手で。アスラン主人公のメイリンルートとかあればすぐに買うんだけど、そんなもんあったら発売当時に手に入れてるなw まあ、オペ子だからパイロットとしては使えないんだろうな。アスランとの絡みがあるか調べてみるか。
私の創作上における恋愛観の究極はアスメイです。以前、D・N・ANGELに触れた際にも書いたと思いますが、私の中で理想としている恋愛関係は、恋と愛の移り変わりであり、始めに出てきた女より、後から出てきた女とくっつく方が好きなんですよ。これはなにもNTR好きというわけじゃなくて、例えばメモオフ2ndでは伊波健は白河ほたるとくっ付くべきだと考えていたり例外もあるんだけど、基本的には貫く愛より移りゆく恋の方が好きです。

アスメイ、つまりアスラン×メイリンのカップリングは、私が好ましいと思う恋愛関係の要素をすべて持っていて、デス種でアスランが最終的にメイリンへ落ち着いた流れは見事だと思うんですよ。昨日の日記でルナマリアとミーアに触れたわけだけど、この二人とメイリンの違いは、即ちアスランが相手の中にある自分への気持ち、恋愛感情を認識しているかどうかなんです。
メイリンは当初、アスランという人間にそれほど興味を持っていませんでした。ルナマリアと違って英雄としてのアスランというものに対し、事前知識のようなものを彼女は持っていなかった。だからルナのように積極的に接することはなかったし、彼が自分たちの味方であることを理解したのも、おそらく15話からなんでしょう。仲間として、フェイスというトップエリートになった舞い戻ってきたアスランにメイリンは興味を抱きますが、それはまだまだミーハーな所を抜け出せるものじゃなくて、姉であるルナマリアほど積極的ではない。同じパイロットではないメイリンにとって、アスランの情報とは資料がすべてであって、英雄としての実感が湧きにくいんですね。
つまり、ルナマリアはアスランを英雄としてみていたけど、メイリンはエリートとしてアスランを見ていた。この時点で姉妹の認識に差があるわけで、これが結構大きいものとなってくるわけです。近いほど見えないものがあるという奴で、ルナマリアは戦場における英雄としてのアスランは強く意識していたけど、戦闘で絡むことが少ないメイリンはさほどそれを重要視していない。36話の回想もそうですが、メイリンはアスランが苦悩している姿をちゃんと見てきているんですよ。SUIT CDのVol.9でも補足されましたけど、メイリンはアスランの英雄やエリートとしての一面以外をちゃんと見てきた。それはルナも同じかもしれないけど、メイリンは姉ほどアスランに近くなくて、より客観的な視線でアスランを見始めていたんですよ。21話のような場面に遭遇したわけではないけど、メイリンは意外と早く自分の中にあるエリート像ではない、アスラン・ザラという個人を観察するようになるんです。
それは石田彰が分析するように姉に対する張り合いもあったんだろうし、19話の時点では間違いなくそうだった。でも、メイリンはアスランの中にある弱さを見透すことが出来ていた。かつての仲間との間に苦悩し、孤立感を深めていくアスランは、エリートなどではないただの人間であると、ルナマリアがショックを受けたアスランの人間臭さに、メイリンは逆に親しみというか、距離感の縮まりを感じたんじゃないでしょうか? 遠いと思っていた人が、実は結構近かった、みたいな。

メイリン役の折笠さんは、最初はミーハーであり姉との張りあいから始まってはいるけど、それが物語を進めていく内に、恋へと変わっていったのではないかと考えていて、それに関しては完全同意します。ただ、最初から好意を持っていたミーアはともかくとして、メイリンの残念なところはその変わっていた部分が描写しきれておらず、いささか唐突感があるところでしょうか。第3クールのOPとか、いきなりメイリンが加わってきたと思った人も多いんじゃないかな。
ただ、メイリンがアスランに対するヒロインであるという事実は揺ぎ無いものがあり、それに関しては割と明確な解説ができると思います。そもそも、ヒロインでないのなら一緒に脱走する必要がないわけで、言ってしまえば脱走の手引きをするだけでもいいんです。手伝うだけ手伝ってさようなら、付いていかない話の流れだって、作れないことはないでしょう。
36話であるアスラン脱走は、一見するとミーアとメイリンの対比になっています。差し出された手をつかめなかった少女と、その手をつかんだ少女。しかし、もっと言えば手を差し伸べられなかった少女、ルナマリアもいるのです。
自らをラクスたらしめるためにアスランを求めたミーアと、自分の知らぬところでアスランに行動を起こされ、すれ違うことすら出来なかったルアナマリア。どうしてルナマリアでは駄目だったのか? 当時、アスランに対する描写が少なかったメイリンに対し、曲がりなりにもルナマリアはアスランに恋する少女でした。アスランの手助けをするなら、むしろルナマリアの方が適任だったのではないか? という意見も聞かれたほどです。
けれど、あの状況下にいたのがルナマリアだったらどうでしょうか? 彼女は実のところメイリン以上にアスランが追われる理由を知っている少女ですが、であればこそアスランに脱走することを進めなかったのではないかと思います。彼女にとってアスランはザフトの英雄であって、そのアスランがザフトを離れるというのは想像が出来なかったんじゃないかと。故にルナへアスランが手を差し伸べたとして、彼女はその手をつかむだけではなく、逆にアスランを引き戻そうとするのではないかと、そう思うのですよ。ミーアとは違った意味でね。だからこそ、アスランの手がルナマリアへ差し伸べられることはなかった。

メイリンがアスランと一緒に脱走した理由はなんでしょうか? 話の流れ的には成り行きだけど、彼女がアスランを助けた理由は本人にも不明確でした。
「殺されるぐらいなら、行った方がいいです」
メイリンは保安部の人間がアスランを銃殺する可能性に言及していたことを知っており、アスランがジブラルタルに居続ければ殺されてしまうかもしれないと考えています。それは追跡してきた例がすぐさま発砲したことで現実のものとなるのですが、アスランを死なせたくなかったと考えれば、咄嗟の行動にも理由は付きます。
それでもアスランにとってメイリンはほとんど話したことがないルナマリアの妹であって、どうしてそこまでしてくれるのか、それが理解出来ませんでした。危険を冒してまで何故……けれど、メイリン自身は自分の行動理由がわからないという。
互いに自分の気持ちを認識しない中で、もっとも簡単な言葉でそれを表現し、アスランへと伝えたのは意外にもカガリでした。
「お前のこと好きなんだろう、きっと」
アスランがその言葉になにを思ったのかは不明ですが、およそ恋愛感情というものに鈍感なアスランが、他でもないカガリから自身に向けられる強い好意を認識させられたのです。この時点で、アスランはメイリンが自分に恋愛としての好意を持ってくれている存在だと気づくわけですね。半信半疑だったかもしれないけど、そうしてくるとメイリンがどうして自分にここまでしてくれたのか、一応の納得が行くわけですから。
では、アスランにとってのメイリンとはどういう存在だったのでしょうか? これまでは単に艦橋にいるオペレーターで、ルナマリアの妹でしかなかった。じゃあ、これからは? 制作がアスランとカガリのことをどう思っていたのかはアニメ誌のインタビューが詳しいですが、監督と脚本家はアスランとカガリの恋愛関係を否定しています。恋愛感情そのものは、まあ、種の頃のこともありますし否定出来るものではないと思いますが、それにしたってそれほど強いものではない。アスランにとってメイリンは弱い立場から自分を慕ってくれる存在であり、これまでのカガリやルナマリア、覚醒したラクスなんかとは全然違うんですよ。アスランにとってメイリンは守るべき弱者であるにも関わらず、逆に自分が助けられた。アスランは、おそらく初めて他者に寄り掛かることを知ったのではないか? ザフトから逃げるという、ある種アスランの弱さの発露を否定せず、彼と共に逃げてくれた少女、それがメイリンなんです。
アスランは自分がそれほど強い人間であるとは思っていなくて、むしろ人並に弱さも持っています。けれど、カガリはそもそも人として強くあろうとしているから、アスランはそれにあわせて自己を律する必要があるし、弱さや甘えを見せることが出来ない。カガリは自分の弱さをアスランにぶつけることが出来ても、アスランの弱さを受け止めることが出来ないんですよ。それはカガリが大人の男性に囲まれて育ってきたからで、アスランの中にある弱さに気づくことが出来ない。この辺りは、アスランを強い英雄として見ているルナマリアと大差ありませんね。
メイリンは既にトップエリートなどといった偶像からは覚めきっていますし、自分のことは自分で決められる判断力を持っています。それはアスランを保安部から助けた時もそうですし、格納庫でアスランから差し出された手をつかんだ時もそうです。状況に流されているように見えるメイリンですが、よく見るとその場その場の決断は、全部自分でしているんですよ。42話においてAAでアスランの傍にいることを決めた時も。
カガリとメイリンの最大の違いは、アスランのことをどれだけ考えているかということです。カガリだってなにも考えていないわけじゃないけど、彼女にはオーブという国のことが第一であり、その次に元首としての自分のこと、アスランのことはそうした諸々が済んだ後、初めて考えることが出来るんですよ。言ってしまえば、メイリンは身軽なんですね。身軽に、けれどしっかりアスランを見つめることが出来る。36話の回想も、描写不足を補う意味があるにせよ、どれだけメイリンがアスランを見てきたかという表れですから。
気が強い女の子をアスランが好まないというのは、奇しくも石田彰の趣味と似たものがありますが、メイリンはアスランを立てる娘だからね。カガリは築けるはずもない対等を築ことうして失敗し、ルナマリアもまた対等に近いパートナーを目指していた節がある。ミーアなんて、婚約者という存在自体が対等を示していましたから。

アスランがそうした少女たちをどのように感じていたのか、嫌いではなかったにせよ、そこまで好きだったのかどうか、45話でカガリとの関係が終わったとき、アスランはどことなく晴れやかでした。恋愛という縛りがあったからこそ複雑化していた関係性が解消されたことで、案外肩の荷が降りたと感じたのかもしれませんね。二人の関係に恋愛は必要なかったと、そう思ったのかもしれない。確かに、別に好き合ってなくても嫌い合ってなければいいわけですし。
アスランにも弱いところがあって、彼は誰かを守りたいと思うと同時に、誰かに縋りたいと思うことだってある。癒しが欲しい、落ち着きたい、これは脚本家と石田彰が言っていたことですが、本質的にはシンのそれと代わりはないんですよ。想い出の中のマユ、守るべき存在のステラ、傷の舐め合いのルナ、手当たり次第に女性へ縋っている傾向があるシンだけど、それは彼が弱いからで、彼にはルナの持つある種の強さが必要なんです。
アスランの場合は、プライドがそれを邪魔した。彼は自分の弱さを意識しながら、それを発露させることを避けていた。けれどメイリンという、自分の背中を支え、安らぎを与えてくれる存在に出会ったことで、アスランは癒しを得ることが出来た。メイリンに自己主張というものがないわけじゃないけど、決して声高でもないし、間違った判断をする娘でもない。
カガリやルナと違って、急ぐ理由がメイリンにはないんですよ。前者はともかく、後者のルナは自分とアスランの間にパイロットしての差があることを知っているから、それを埋めるためにも積極的にならざるを得なかった。しかし、パイロットではないメイリンにとって、それは埋める必要がない差であって、また、アスランが女性に求めているのもそういうのじゃないんですよ。
アスランがメイリンに感じているのは責任感が強いんだろうけど、それと同時に自分が守るべき存在として彼女を見ているんですね。言ってしまえばメイリンを弱い存在だと思っているんだけど、メイリンもまた自分が弱い存在であることを知っている。だからこそ、メイリンは強さを主張しないんです。弱いなら弱いなりに出来ることがあると、それが分かっているからこそメイリンは公私に渡ってアスランをサポートすることが出来た。まあ、アスランの傍以外に自分の居場所がなかったからでもあるんだけどさ。

劇場版が果たして公開されるのかはともかく、私はアスメイままで行って欲しい。石田彰があそこまで言ってるんだし、もうメイリン以外はあり得ないでしょう。カガリにアスランは必要ないけど、アスランにメイリンは必要なんですよ。
FINAL PLUSのEDがそうだったけど、メイリンはアスランから一歩下がって付いていくことの出来る少女です。あくせくしなくていいんですよね。カガリなんかは常に先へ先へ、アスランよりも前に行こうとするから、それに合わせるのが大変だった。けれど、メイリンは違う。アスランの一歩後ろにいて、彼が迷ったきや、立ち止まってしまいそうになったとき、そっと背中を押して、支えてくれる。強引に引っ張るわけでも、力強く押し出すわけでもない。メイリンとは、そういう少女なんです。
出来る事ならアスランにはこのままメイリンとくっついて欲しいと、切に願います。
DVD-BOXを買ってしまいそうなほどデス種がマイブームなんだけど、予想としては種のBOXほど売れないと思うんだよね。それはデス種が不人気だからというわけではなくて、この作品は放送当時に出たDVDの売り上げが結構良かったんですよ。5年前をどれぐらい昔と捉えるかは人それぞれだろうけど、ファンなら単体でDVDを持っていそうな作品であるし、わざわざBOXを買うってことはないんじゃないかと思う。私みたいに、DVD持ってない人間は別としてね。

昨日の日記でアスラン・ザラについて語ると書きましたが、これにはちょっとしたわけがあります。というのも、今から4ヵ月ぐらい前の話になるんですが、アニメ会社のサンライズがやっているネットラジオで、夜のサンライズアワーというのがあるんですよ。種に出演してた千葉一伸と鳥海勝美がパーソナリティで、主にサンライズ作品の宣伝を兼ねて毎回ゲストを読んでトークするんですが、その番組にアスラン・ザラの中の人である石田彰がやってきまして。その際、アスランの俗に言う女難についての話になり、石田彰的にはどのヒロインが一番好きか、ということに言及したんですよ。
まあ、石田彰的にはメイリンが好きであるという結論だったんですが、これに関しては前々からイベント等でよく言っていることですし、私としては不思議でも何でもなかったんですけど、この話をした際のアスラン及びアスランの周囲の女性達に対する石田彰の分析が凄く面白くって。冷静にして的確で、なんだかんだいってアスランの事良く分かっているなぁと、そう感じました。
なんで、私も石田彰の非の打ち所が無い分析を踏まえつつ、デス種のもうひとつの争点でもあった、結局アスランは誰とくっついたのか、誰が好きだったのかということについて語ってみようと思います。まあ、実のところ先日悲恋堂と議論したばかりなので、それの書き出しみたいなもんなんですけどね。

デス種におけるアスランは、まずカガリ・ユラ・アスハの護衛官アレックス・ディノとして登場し、主要ヒロインとはアレックスとして出会います。カガリは正体知ってるからともかくとして、ルナマリアやメイリンは違いますよね? まあ、話の都合もあるんでしょうが、割とあっさり正体はバレるんですけど。そのタイミングというのが、例えばシンよりも早くアスランと出会ったルナマリアは2話の時点で、カガリがアレックスをアスランと呼びかけたことで疑惑を持ち、メイリンは3話の最後、議長の発言でそれを知ることになります。二人が明確に正体を知るのは4話の後半ですか。
ルナマリアは最初からアスランを強く意識ていて、割と挑発的な言動をしてみせたり、結構積極的な態度で接していました。これはザフトの英雄であるアスランとはどんな人なのかと、まあ、探りを入れる意味もあったのでしょう。現にユニウスセブンでの共闘後は、アスランのことをこちら側の人間として受け入れる姿勢を見せましたしね。アスランがザフトにどれだけ愛着を持っているのかはしりませんが、ルナマリアにせがまれて射撃を見せてやる辺り、まんざらでもない部分があったのでしょう。ルナマリアは白兵戦最強であるアスランの射撃の腕に純粋に感動し、メイリンも呆然と見てしまう。まだ実感はわいてないんでしょうが、英雄としてのアスラン・ザラを僅かながらにも垣間見るんですね。ルナマリアの場合はこの時点でアスランをアスランであると認識して、その点に関してはメイリンよりも一歩先に進んでました。そう、ルナは早かったんですよ。早すぎたゆえに、終わるのもまた早かったと言いますか。これに付いては後述します。

次に登場するヒロインは、放送開始以前にラクツーとか言われていた少女、ミーア・キャンベルです。石田彰の分析によれば、ミーアがアスランのことを好きな理由はラクスという役になりきるがあまり、ラクスの婚約者であるアスランのことも好きにならなければいけないという、いわば役作りの一環のようなものだったのではないか、ということです。これはあながち間違っていないというか、ミーアに関して言えばアスランに対する純粋な好意は半分ぐらいだったんではないかと思う。元々がファンだったという設定があるにせよ、例えば19話で再登場したミーアは、役作りにしては少々過剰にアスランへと接近していましたよね。単にラクス役に慣れただけだとも言えるけど、少なくとも初登場時の謙虚さは抜けて、アスランへの自分なりの好意を明確にしだしたと思う。
そして21話の添い寝イベントが発生するんだけど、これはミーアの言葉をそのまま受け取るなら、ラクス役としてやるべきことをやった、ということになるのかな。けど、ここで問題なのはミーアがアスランに抱かれことをまるで拒否しなかったことで、そもそも自主的にあのような行動に出たことでしょう。アスランのことが嫌いなら例えお役目でも抱かれたくなんてないだろうし、そう考えるとミーアは身体を捧げるほどにはアスランのことを好きだったのではないだろうか。ミーアの貞操観念がどうなってるのかはしらないけど、仮に処女だとすれば相当アスランのことを……ただまあ、ミーアはアスランのことを好きではあったけど、ミーア個人として愛し切ることが出来なかったんじゃないだろうか。36話でアスランの手をとらなかったとき、ミーアは多分後悔はしたんでしょう。後悔はしたけど、それでもアスランに付いていくという選択肢を選ぶことが出来ず、結果として44話の没落に繋がるわけです。
私の中でミーアは、アスランのことを愛し切ることが出来なかった少女ですね。彼女はミーア・キャンベルとして、もっとアスランと接するべきだった。

話をルナマリアに戻しますけど、ルナマリアがアスランに明確な好意を持ったのはおそらく7話です。英雄として、ザフト軍人としての凄さをアスランの中に垣間見て、それが15話でフェイスとしての形になって戻ってきた。初期のメイリンはただのミーハーですけど、ルナマリアは同じモビルスーツパイロットとして、尊敬以上の好意を割と自然に出すことが出来たんですね。15話で突然積極的になったと思われがちですが、それ以前にもフラグ用なものはあったんですよ。
ルナに欠点があったとすれば、それはアスラン・ザラという人物の内面をあまり見なかったことだと思う。まあ、アスランは自分自身の心の中を他者に見せない人でもあったけど、ルナは基本的に英雄としてのアスランと、軍人としてのアスランを見ているんですよ。もちろん、彼の中に悩みや葛藤があることも分かっているんだけど、それがアスランの弱さであることに気づかない。ルナの中で、アスランは強い英雄なわけですから。ルナはアスランのことを尊敬していたし、序盤ではかなりの好意を持っていたんだろうけど、それが概念的な、英雄としての強さに惹かれていたんではないかと、そう思うのです。
ルナマリアがアスランとの間に距離を置き、やがて離れるきっかけとなったのは間違いなく19話と21話ですけど、19話においてルナマリアがミーアに感じたのは最初は嫉妬心で、次に困惑だと考えています。まあ、ミーアというよりラクス・クラインに対してなんですが、アスランの婚約者としての知識はあっても、あんまり実感は湧きにくかったと思うんですよ。連絡を取り合っていなかったという指摘は色々な意味で正しいけど、これはルナにとっての余裕の表れで、今アスランともっとも近い存在は自分だという意識があった。けれど、すぐにラクスことミーアが現れたことでその余裕が揺らぎ、嫉妬を覚えた。そして畳み掛けるようにアスランが今夜ミーアと共に過ごすという事実を知って、急に婚約者としてのラクスの存在を強く認識してしまい、困惑するんですよ。
21話の冒頭は、そうした嫉妬や困惑を、ルナマリア並に仕切り直したかったんだと思うんです。けれどそこにあったのは、アスランの部屋で彼と一夜をともにした、一緒に寝たようにしか見えないラクスことミーアの姿。ルナマリアはミーアの勢いに圧倒されてフラフラになるわけだけど、実はアスランに対して怒っているわけじゃないんですよ。これはミーアが、そしてルナマリア自身も言ってましたが、事実はともかくアスランとラクスが婚約者である以上、久方ぶりにあった二人がそういうことをしていても、なんら不思議なことはない、普通なことなんです。まあ、ルナマリアが性的に潔癖な人であれば、そういうことそれ自体に不潔感を覚えたとも考えられるけど、それが理由のすべてだとも思えない。
ルナマリアにとってアスランは英雄だったけど、21話でとても人間臭い一面を見てしまったんでしょうね。アイドルはトイレに行かないじゃないけど、ルナはアスランを英雄視していて、英雄が性的にふしだらであるはずがないと思い込んでいた。まあ、事実なにもなかったわけだからルナが憤ることはないはずなんですが、ルナはアスランを信じることが出来なかった。仮にルナがミーアとの対決に勝っていれば違ったんでしょうが、ミーアという存在に、ラクスという婚約者に圧倒されてしまったルナには、アスランを信じきれなかった。ルナは負けたんです。ラクスという存在になっていた、ミーア・キャンベルに。
アスランという英雄像が砕かれた結果、ルナマリアとアスランの関係は複雑なものに変化します。元々、アスランはルナのことを自分好意的な後輩ぐらいの認識でしか見ていなかったし、元より女性心理、いわゆる乙女心に鈍感な男です。多分ですが、自分がルナマリアにとっての恋愛対象であり、恋愛感情を向けられていたことにも気づかなかったんではないでしょうか。ミーアはあれで普通の女の子としての感覚を持ってますから、それを察知してルナを追い払うわけですが、アスランはどこまでも鈍感だった。
思うにルナは、自分の気持をもっと正直にぶつければ良かったんですよ。これはシンにも言えることだけど、この二人は明確にアスランへ求めているものがあって、でも英雄であるという認識がそれを邪魔してしまう。英雄なら、英雄と呼ばれるほどの人なら自分でなんとかするはずだ、出来るはずだと、もちろんルナが告白したとしてアスランがそれを受け入れたとも考えづらいんだけど、その後におけるアスランの行動に一定の影響や変化は与えたに違いない。まあ、あれだよね、アスランには年長者としての自覚が足りなかった。英雄としての意識があるのは問題かもしれないけど、虚名にせよ頭の片隅に置いておくべきだったんですよ。自分が他者からどう見られて、なにを期待されているのか。ルナにしろ、シンにしろ、二人はアスランの二重の意味で裏切られたと感じているはずですから。

そうしたルナマリアとミーアに続いて、いよいよメイリン・ホークが現れたわけだけど、長くなったので明日の日記で書くことにします。アスランは何故カガリと別れたのか、そもそもこの二人は好き合っていたのか、どうしてメイリンはアスランにとってのヒロインになれたのかという本題です。まあ、この時点で私がどのヒロイン好きかバレバレですね。アスカガなんて滅んでしまえばいいんだ、ほんと。カガリ・ユラ・アスハほど好きになれないキャラもいないよ。
最近、ガンダムSEED DESTINYをよく観ています。というのも、悲恋堂の店主と色々あって喧嘩して、まあ、喧嘩の内容はまた別の時に語るとして、和解する際に色々と過去のことを思い出しまして。会えば会うだけ無駄話をし続けている我々だが、さて、今までで一番白熱した話題は一体なんだったのか、という話になりましてね。話題というか、議論でしょうか。

「そんなの決まってる」
「えぇ、あれでしょうね」
「機動戦士ガンダムSEED DESTINYだろう」
「D.C.~ダ・カーポ~セカンドシーズンでしょう」
……どうやら見解の相違が発生したらしい。まあ、どちらも同時期のアニメだし、続編としては物凄く酷い出来だっただけに当時なにかと話題には上っていたんだけど、私としてはまだD.C.はマシだと思うんですよ。今更の話ではあるけど、ことしI.F.が作られましたしね? それが例え曲芸商法の一つなのだとしても、公式によって明確な救済処置が取られたことは評価しても良いと思うんですよ。特に、あの頃D.C.S.S.を視聴してやるせない気持ちになっていた私としては。アイシアだって、まあ、感じ方は人それぞれだろうけどD.C.Ⅱでヒロインに昇格しましたしね。あれはどうなんだろうね、アイシアはあくまで純一とくっ付くべきだったとか考えている人はいるんだろうか。この辺り、青空の見える丘とあかね色に染まる坂を思い出さないでもないんだけど、まあ、アイシアはアニメキャラだしなぁ。
今年の……いつだったかにことりメインのFDが発売されて、私も一応買ったんですけどね? CIRCUSのエロゲ買うのも久々だなーとか思いつつ、プレイしてみてビックリ。もう、本当に面白くないのね。七尾奈留に続いてたにはらなつきにも逃げられたらしいCIRCUSだけど、過去画像とかの使い回しを平気でやるから原画の不統一が凄いのよ。今回のFDはことりをかき集めたものだから仕方ないにしても、そもそもエロゲなのにエロイシーンでなにも感じなかった。もはや、私にとってCIRCUSのエロゲは子供騙しにしかならないのだろうかと感じて、ちょっとショック。昔はこんなのを楽しんでたんだなぁ、私。

SEED DESTINY、まあ、種死とかデス種とか、種運命とか言われてますけど、私はデス種という表現を多用してたかな。最近は打つのが面倒だから種死も使ってるけど、そういやなにがどうして種死っていうんだっけ? もう、5年も前の作品だから細かいこととか全然思い出せないや。
私は正直言って、種よりはデス種が好きなんですよ。我ながら酷いことを言うけど、種はフレイが死んだ時点で私の中で残念な作品と化してしまったので。人間爆弾にならなかっただけマシかも知れないけど、それでもフレイには生きていて欲しかった。これは私の中にある、創作物における恋愛観にも関わってくるんだけど、それに付いては明日の日記で詳しく触れます。ここで書いておくべきは、フレイ・アルスターは良いヒロインだったということでしょうか。出来る事なら、キラと再会して欲しかったね。再会が死別なんてあんまりだ。
なんでデス種の方が好きなのかというと、要するにキャラに対する魅力の差です。主人公もそうだけど、そもそもヒロインの可愛らしさが圧倒的じゃないですか? まあ、私が種のヒロインはフレイ以外好きじゃないってのもあるんだけど、ルナマリア、メイリン、ステラ、ミーアといった新規ヒロインは、種のヒロインたちよりも可愛いと思うんですよ。大半がアスラン・ザラとしか絡んでいないという事実は、この際無視するとして。見直してみると、ステラとか結構良い感じです。主に服装とか。

久々にデス種を見て、無性に語りたくなったので日記を書くことにしました。今日は半分ばかりD.C.の話も書いたから、もっと濃い話は明日以降ですね。シン・アスカに関しては非常に長くなるので避けますが、主にアスラン・ザラを語りたい。より正確にいうと、アスランと彼にとってのヒロインについてなんだけど、予め書いておくとカガリ・ユラ・アスハなるヒロイン崩れが好きな人は読まない方がいいです。私、こいつ嫌いですから。
それにしてもガンダムを見るとガンプラを作りたくなってくる。ガイアガンダムでも作ろうかな。実は、デス種のプラモってあまり持ってないんだよね。限定版のデスティニーと、ルナマリアのザクを作ったぐらいか。素組みなんてガンプラじゃないと言われて以来、どうも作る気が起きなくて。良いじゃん、凝った作り方じゃなくても。楽しみ方なんて人それぞれなんだし。
Endless Summer,Endless Radio~真夏のA&G同窓会~というイベントが8月8日にあるんだけど、先週の土曜日にアニスパ先行予約でチケットを取りました。チケット自体は全席指定の6300円なんだけど、手数料が900円以上掛かるとかで実質7000千円を超える値段でした。90年代後期のアニラジ世代の私としては夢のようなイベントだし、なにがなんでも参加したいと思ったからチケット取ったけど、流石に高いよなぁ。

面子に不満はないし、開催地であるCCレモンホールこと渋谷公会堂は、かつてDream Powerが開催された思い出の場所でもあります。Twitterによれば、どういう扱いかはしりませんがおたっきぃ佐々木の参加も確定しているようですし、イベントとしてはこれ以上にないってほど申し分ない。ないのだけど……7220円か。この手数料って、なにの手数料なんですかね? てっきりチケットの発券ができるのかと思いきや、今日はまだチケットが貰えないみたいで、引換券のようなものが出てきました。正式な引き換え期間は7月3日から8月9日らしい。8月9日とか、もうイベント終わってるじゃないか。
あまりイベントに行かなくなったから、どうしてこういうワンクッションが置かれているのかよく分からないんだけど、まさか転売対策というわけでもあるまいし。今日にはもう席番も分かると思っていただけに、肩透かしを食らった気分です。コンビニ引換にしなければよかったのかなぁ。まだ郵送の方が安く済んだ気がする。まあ、払えない額ではないにしろ、ちょっと高すぎやしないかって思わなくもないんだよね。愛が足りないのかな、A&Gに対して。
TBSアニメフェスタと被っているせいか、チケットは割とすんなり取れました。電話が繋がりにくくなっていたけど、それでも10分待たなかったかな。まあ、今の若者受けするような声優陣でもないし、若い奴らはシビックホールに行けばいいんだと思いますよ。棲み分けってやっぱり大事だと思うし。

私は、超A&Gが嫌いなので、Dream Powerに対する思い入れを書くと凄まじいことになります。私がアニスパを好んでいないのは、浅野真澄という声優というか、人間そのものを許容出来ないからでもあるけど、どうやらイベントには来ないみたいで一安心。確かに、90年代当時は声優ですらなかったしね。来られる方が迷惑というか、来ないでください。
逆に来て欲しい声優で言えば、誰がいるでしょうか? 池澤春菜や菊池志穂は来ってよさそうなものだし、やまとなでしこや椎名へきるだって、この枠組に入りそうな気がします。まあ、ドリカンはA&Gじゃなかったという意見もあるけどさ。
超機動放送アニゲマスターが終演した理由は、まあ、レーティングの問題があるにせよ、おた佐々とその周囲で起こった揉め事が関係していて、当時の日記なんかを読むと如何におた佐々が病んでいたかが分かります。色々なところを流れて、今では地元である自由ヶ丘に落ち着いてるらしいけど、かつてアニゲマスターとして名を馳せたアニラジ界のカリスマも、今ではコミケにすら顔を出さないというのだから寂しい話だ。
ドリカンが終わったことに関しては、まあ、終わるべくして終わった番組だと思う。末期のドリカンが如何に酷い内容であったかは、やまとなでしこの部屋を聴けば判るというもので、伊福部崇はもう少し真面目に構成作家をやるべきだったのではないか。別にこむちゃっとカウントダウンが面白いとは言わないし、そもそもオリコン以外のカウントダウンの順位などあってないようなものだ。最近は一部アニソンファンがCDTVを始めとした音楽番組における、アニソンの順位を気にしているようだが、アニラジのランキング番組に限って言えば、まともにランキングを重視して聴いているリスナーなどほとんどいないだろう。であれば、それ以外の部分で番組を盛り上げる必要があり、ドリカンはそれが破綻したのだ。

思い出語りのはずが、当時の二大番組を批判してしまいましたが、それでも私にとって当時のDream Powerは思い入れが強いものです。8月のイベントも楽しみだし、可能であるならばdream power-翼なき者たちへ-を歌って欲しい。かなり長いイベントになるということだし、かつての名曲を披露する機会があったとしても、良いと思うんですよ。カラオケに入っているアニゲの曲は最後のOPだから、新しいだけに新鮮味がないし、久しぶりに超機動放送アニゲマスターとか聴きたいじゃない。
イベントのコンセプトが超機動放送アニゲマスターを再び、という感じらしいから、この際、おた佐々もステージに上げた上で、大爆発して欲しいです。私たちの青春は、まだ終わってなんかいないはずだから。
物書きの集まりに出かけて、電撃文庫で起きた盗作問題の顛末を知る。まあ、なにが恥ずかしいって、電撃の編集者だよね。グループ軽列のレーベルで、今もっとも売れているであろう作品を読んだこともなかったんだから。同じグループだから穏便に済ませるとか、そんな希望的観測も出てたみたいだけど、基本的には別会社でありライバルでもあるわけで。他社の人気作すらチェックしていないとは、電撃の編集も質が落ちたものですね。

まあ、電撃みたいにメディアミックスを頻繁に行っている会社だと、編集者一人に掛かる負担が大きいのかも知れないけど、それにしたって今回の事件はないよねーという話。破綻しているというより、極端に視野が狭まってるんだろうね。大体、最終選考から漏れた作品ということはだよ? 出版するまでに幾度となく手直しはされてるはずなんですよ。その修正過程において、編集や校正が盗作に一切気づかなかったというのがもうね。流石に首は切られないだろうけど、編集者としては恥ずかしくてしょうがないんじゃないかな。自分は被害者であると開き直ることもできるけど、編集に責任がないはずはないんだから。
作者はおそらく筆を折るでしょう。本人の意思は関係なく、作家生命は尽きました。絶筆や断筆を拒んだとしても、少なくとも10年は表だった仕事が出来るとは思えない。ほとぼりが冷めてから名前を変えて再出発も不可能ではないにしろ、処女作でこれをやった以上、現時点で既に作家としては終わっているんですよ。電撃が情けをかける可能性は皆無じゃないけど、エンターブレインはもちろん、周囲の目というものがあります。ここで許せば、会社としての秩序が保てませんし、品位が疑われてしまいますからね。4万部と少し売り上げたことは評価出来ますが、そんな目先の数字に惑わされて手元に置いておくような、そんなふざけた真似を電撃がするとは思えないし、してほしくはない。
故に、もう終わったんですよ、今回の事件は。作者が絶筆するか、それが公式として発表されるかはしりませんが、言いたかないけど作家なんて掃いて捨てるほどいるんです。問題を引き起こした作者に才能がなかったとは言わないけど、世の中には盗作なんぞしなくても面白い文章かける奴がまだまだ沢山いるわけで。まあ、本を一冊も出せないで夢を諦める奴が多い中で、盗作とはいえ一冊世に出して、更には4万部も売り上げたんだから、十分だとは思いますけどね。儚い夢だったんですよ、なにもかも。

上記の話題は若手の作家ないし、昨今の作家志望について話しているときに出たんだけど、最近の作家志望ってのはとにかく本を読まないらしい。驚いたのは、学生レベルの知識として、読んだことのある本が向こう3年のラノベに限定されてしまうというのだ。それこそ灼眼のシャナや禁書目録止まりというわけで、そう言われ見ると件の作者も最近の作品からの盗作が山のように多かった。
衝撃を受けたのは、今時の作家志望がスレイヤーズ魔術士オーフェンなどの傑作シリーズなども読んだことがないということで、そうなってくるとゴクドーくん漫遊記などなにそれな世界である。時代の移り変わりというか、世代交代をまざまざと見せつけられる感じだ。
例えば私がもっとも好きな作家は田中芳樹であるが、今のラノベを読むような世代は銀河英雄伝説など知らないし、アルスラーン戦記など聞いたこともないのだろう。そういや、田中芳樹は昨年病に倒れたらしく、気力と体力がほとんど尽きてしまったらしい。最近は少なからず回復したのか、理論社の児童書の執筆で復帰しているらしいが、60歳前とはいえ元々体強いわけでもないだけに心配である。作家は一度倒れると、尾を引く傾向があるし。
話がずれたが、過去の名作を一切読まず、映画や芝居を鑑賞することもしない今の若い世代に、果たしてまともな話というのは作れるのだろうか。最近出ているラノベや漫画しか読んでいない奴らが、次世代のラノベ作家として続々とデビューするなんてことが、現実のものになってきているのだ。電撃の事件など、そうした状況の中に生まれた一つの過程に過ぎないのではないか。なんとも嘆かわしい、目を覆いたくなるような話である。

そんな若い世代がもっとも影響を受けている作家は、やはり西尾維新だという。私も一時期、戯言シリーズなどは読んでいたことがあるものの、最近はどうにもダメだ。あの文章が読めるかどうかで、世代というのがハッキリ見えてくるのだと思う。清涼院流水なんかもそうだが、私はもう読めなくなりつつある。あれを理解するには、私の感性には若さが足りなすぎる。
秋葉原のメッセサンオー本店で行われた、ロックマンゼロコレクション タイムアタックイベントに参加してきました。ロックマンゼロ2の爆撃機ステージを5分以内にクリアすればポスターが貰えるとかいうイベントだったんですが、私はあのステージが大の苦手なので、とりあえず発売日前に触ってみる目的で行きました。それと、メッセで予約すると特典が付くとのことだったから。

13時から開始のイベントで、私が秋葉に到着したのは12時前後だったかな。まだ時間があると思ったので、先にメロンブックスでkiss×sisの限定版6巻を購入して、いや、ぢたま某好きなんですよ。充電ちゃんとかね。今季のアニメでもkiss×sisだけはなんとなく見てしまう。
まあ、そんな話はともかくとして、買い物を済ませて向かったメッセサンオー本店前には、少なからず人の列が出来ており、イベント待機列に違いないだろうと思い最後尾へ。既に準備は出来ている模様で、メッセサンオーの店員とCAPCOMから派遣されてきたであろうスタッフが列整理等を行ってました。イベント自体は少し早めに開始されたんだけど、なにせ筐体ともいうべきDSが一つしかなかったから、正確には二つ用意されてたんだけど、そっちは体験版だったんですよ。だから、一つのDSで集まった参加者をさばかなくてはいけなくなって、これがまた凄く効率が悪い。私の整理番号は39番と、100枚ぐらい配られたらしい整理番号から考えるとまだマシな部類だったけど、それでも1時間半とかそれぐらいはかかりましたから。
39という数字に「あぁ、ミクか」なんて考えつつ、時間があったので秋葉原を少しブラブラ。身内の買い物を済ませるつもりが、メロンブックスにもアニメイトにもモノが無かったので、仕方無しに虎の穴で購入。同人誌フロアにも行ったんだけど、私の本は置いてませんでした。売り上げ表はこの前届いたけど、思っていたよりは売れていた。まあ、元々納品数が少ないからなんだけどね。そうそう、偶然にも5階か6階でくろのとくろえさんアルフィミィといっしょ!を発見。通販在庫は殆ど残ってないみたいだけど、本店は結構余裕があるみたいでした。

そんなこんなでメッセサンオーに戻ってみたけど、私の番まではまだまだ掛かりそうだった。もう予約も済ませたから帰ってもよかったんだけど、せっかくだからプレイしていきたいなと思い隣のフリープレイで時間をつぶす事に。体験版はロクゼロ1~4のオープニングステージをプレイ出来て、HPもボス並で武装は3に至っては武装も全部揃っているという随分楽なしようでした。サブタンクも満タンだったしね。これで負けるはずないだろうと、オメガをぶっ飛ばしたりしてたら、隣のタイムアタックで珍事が発生。
なんと、整理番号30番台が軒並み姿を表さず、呼べども呼べども周囲にいない。仕方ないから一気に数人すっ飛ばして私の番になりました。どういう事だと思いつつプレイして、案の定ボスにたどり着くこともなく負けたんだけど、参加賞はもらえたから良しとしましょう。爆撃機の中に辿りつければ余裕なんだけど、そこに行く過程がすごく苦手なんですよ。なんだって、もっと楽なステージにしてくれなかったのか。
でもまあ、久しぶりにゼロやって、やっぱり楽しいなとは思いました。あんまりアクションゲームって得意じゃないんだけど、ロクゼロはなにせやりこみましたからね。ロックマンシリーズはどれも好きだけど、それでもゼロだけは別格というかなんというか。プロデューサーの堀之内健曰く、これを機会に続編を作りたいとのことだから、期待してみてもいいのではないかと……ゼクスの続編って意味だったらどうしようw

昨日の日記の反響が凄いことになってるんだけど、これに関しては悲恋堂の店主から一つツッコミを受けたので、もう少し情報を精査しようと思います。でも、ネットで調べるにも限界ってものがあるし、一度現地に飛ばないとダメだよなぁ。さすがに夏コミ合わせでなにか出すのは難しいだろうから、冬コミ合わせか。そういや、原稿があるのにロクゼロコレクションとか予約しちゃって良かったんでしょうかね。予約してから言うなよという話だけど、買ってもしばらくは封印だろうな。今月中に最低でも2冊は仕上げないと流石にやばいし。
夏コミで具体的になにをするかはこれから決めるようなもんだけど、なんていうかこう、絵というものを描くことが出来ない自分に思うところがある。誰も彼もが匙を投げてしまった私の画力だけど、身内以上に致命的な欠陥を抱えているので、こればっかりはどうにもならないんだよね。足りないものは補えるが、欠けているものはどうしようもない。
コミックマーケット78に当選しました!
昨年の冬コミ落選から早半年、およそ1年ぶりとなる夏コミサークル参加になります。
ジャンルコードは「220」、申し込みジャンルはもちろんヨスガノソラハルカナソラ! 今年の夏は、ヨスガ本で乗り切ります!!

懸念していた配置の方ですが、ギャルゲージャンルは今回の夏コミでは東館に配置されるみたいです。まあ、例年通りというか、西館に配置された前回の冬コミがおかしかったわけですからね。私もアンケートには書いたけど、やっぱり苦情というか、不満みたいのが多かったんですかね? まあ、ギャルゲを西館に配置したからといって、特になにが変わったわけでもなかったしね。混雑面にしてもそうだし、参加者は移動の手間が増えて大変だったでしょう。
私が配置されたのはおそらくギャルゲージャンルにおける小説本サークルなどが密集した島でしょうし、これが東館に配置されている時点でギャルゲーは東館に戻ったと考えて良いと思います。東4ホールはお誕生日席の後ろ、同じ島中でも結構良い位置じゃないかな。まったり過ごすには、という意味だけどw 詳しい配置場所、スペース番号などはまた改めて書きますが、兎にも角にも受かって良かった。冬コミの落選は自業自得だと思ってるんだけど、それにしたってヨスガノソラサークルは欠片もなかったし、公式のSphere……というよりCUFFSですか? こちらもまた企業ブースで落選していましたから、ジャンル的には結構厳しいのかなと心配しないでもなかったんだけど、おかげさまでなんとかなったみたいです。
この夏コミがアニメ化直前になるのかは分かりませんが、コミケは発売前、公開前、放送前の作品を取り扱うことをパロディの概念や理念として禁止しているので、これから始まるであろうアニメに関する本というのは出せないのかな。まあ、私が祝アニメ化とか言ったところで心にもないことがバレバレだから、やめた方がいいんだろうけど。あとがきとうで情報に触れるぐらいでしょう。

ヨスガノソラでスペースは取りましたけど、実はヨスガやハルカ直球というわけではありません。一応、予定としては新刊4冊を出すつもりなんですが、ヨスガ本はその内2冊だけ。本来なら1冊にまとめるべきなんでしょうが、いかんせん、内容があまりにもかけ離れているので。1冊目は冬コミに出す予定だった中編小説、ハルと穹の都会帰郷編に、今さっき思いついた委員長の話などを書き加えたものになると思います。いや、誕生日記念で色々考えてたら、急に委員長の魅力を再認識してしまってw 普通の可愛さってのがあるよね、倉永梢には。まだ脳内プロットの段階だけど、委員長の話については書くことが確定しました。そんなに長いものではなく、中編というより短編になるんでしょうが……ページ数どれぐらいかなぁ。出来れば版型はA5本で出したいんだけど。
2冊目はまだ詳細明かせないんですが、かなり実験的なものになると思います。パロディのパロディというか、これは雛形のような作品を今書いている最中だから、近いうちに発表出来ると思います。二次創作とパロディにおける手法の多彩さを、自分なりに表現してみたいという、私の癖みたいなもんですね。ただ、作品や物語的な意味ではあまり癖のないものになると思うし、そうならないだけの理由もあるんだけど、とりあえずしばらくお待ちくださいということで。来週中には発表しますから。
3冊目はヨスガノソラから離れて別作品、rootnukoという新規ブランドが今年の1月に発売した、id [イド] - Rebirth Session -の本を企画しています。多分、短編集になると思いますが、私この作品にはまっちゃいましてね。今時珍しいミステリー&サスペンスをジャンルに持つエロゲで、処女作にしてはいい出来だったんですよ。ミステリーやエロの部分はともかくとして、キャラの個性が凄い魅力的で。書こう、語ろうと考えているうちに時期を逃して、結局日記で取り上げずに終わってしまったんですが、これも折角なので1冊本を出してみようかなと。短編2編を予定しています。

最後の4冊目は、「ロックマンゼロ2-逆襲の救世主-読本」です。これに付いてはCOMIC1のときに出すことが出来なかったこともあり、是非作りたいと思ってはいるのですが、何分挿絵等は全部くろのとくろえさんが持っているので……まあ、要話し合いかな。ただ、くろのさんは今、サークルの新刊やら他所からの依頼やらで凄く忙しそうだから、そう簡単に捕まらないかも。時間があれば完結編の1話でも収録したいんだけど、果たしてどこまでいけるか。冷静に考えて、今から4冊の新刊を用意するなんて無謀もいいところでしょう。
身内が月末のティアに出るんですけど、なんでも新刊を6冊出すらしいんですよ。間に合うのかは知りませんが、身内は完璧主義者だから多分大丈夫だと思います。それに触発されてってわけじゃないんですが、私も新刊4冊ぐらいは頑張ってみようかなと、まあ、そんなことを考えています。無茶苦茶にもほどがあるんですけどねw
まあ、コミケに受かった以上は結果がどうなるにせよ全力を尽くします。それがコミケに受かったものの使命だと思うから。
穹に似てますかねぇ? Na-Ga橋本タカシの描くキャラが似ている訳ないだろうにと思っているんだけど、世間の一部では天使と穹は似ているってことになっているらしい。まあ、アニメ絵で見ると受ける印象に近いものは感じなくもないけど、雰囲気としてはどうなんだろうか。絵描きを否定するような事をいうと萌えキャラなんてのは記号の集大成だから、同じような記号を併せ持ったキャラが集まれば、必然的に似通ったキャラが出来るわけだけど……しかし、この場合、穹が前なのか後なのか、アニメとしては後だから後発キャラになるんだろうか。

穹といえば、私は何年か前にやっていたアニメ、solaが結構好きでした。そもそも、久弥直樹が好きなんですけど、麻枝准と比較は未だに続いているんですかね。ハッキリいうと人気以前の歴然とした実力差があるとおもうんだけど、Angel Beats!は企画の大きさに助けられている感じがする。商業戦略として、Angel Beats!はアニプレックスが途方も無い金をかけて宣伝し、それこそ京都アニメーションと角川の枢軸に対向できるだけの作品として位置づけられているんだけど、単純に作品としての魅力はどうなっているのか、と思うわないこともない。
solaとは話のスケールも登場キャラクターの数も違うから、比較することが間違っているけど、なんかAngel Beats!は構成の縫い目が荒い感じがするんだよね。多少の矛盾や整合性のなさってのは、面白い作品であればそれも気にならないんだけど、Angel Beats!のように世界観そのものを訴えかけるような作品だと、そこが荒かったり脆かったり、雑だったりすると魅力が半減してしまうじゃないですか。
私はAngel Beats!はストーリー性ではなく、キャラクター性が重視されている典型的な作品だと思っているし、それはゲームシナリオの分野で生きてきた麻枝准のある種の限界であるとも考えてるんだけど、核となるテーマを残りの話数でどこまで表現し、収集をつけるのかという点では、アニメ脚本ないし構成者としての力量が問われるでしょうね。

世の中には、外見はあるけど中身はない、中身はあるけど外見がないという作品が沢山あって、アニメでいうならけいおんがそれに当て嵌りますが、ここは分かりやすくライトノベルで例えてみましょう。
ライトノベルというのはごく一部の例外を除いて鉄則というものがあり、必ず表紙に女の子を描かなければいけません。これは割と有名だし、前にも書いた気がするから知ってる人も多いかな。ラノベは大前提として、まず作品より先にイラストで読者の注意を引く必要があるわけで、この場合重要視されるのは中身より外見です。新人作家ないし無名作家であるなら尚更で、外見の華やかさと可愛らしさないしかっこよさで読者を得ることから始めないといけません。中身が重要視されるにも、手に取ってもらわないといけないわけですからね。これが漫画とラノベの大きな違いであり、ラノベと一般文芸の最大の差です。
かつて、谷川流は涼宮ハルヒシリーズが売れたのはいとうのいぢのおかげであると言っていましたが、それは少なからず当たっていると思います。谷川流は間違いなく傑作物にして天才なんだけど、イラストレーターの力が皆無だったかといえば、そんなはずないわけで。谷川流でさえそうなんだから、世の中のライトノベル作家はイラストがなかったら自分の作品など見向きもされない可能性があることを、もう少し理解した方が良いのではないだろうか。いや、大半は理解していると思うけど。
この分野で中身もあって外見もあるという作品が極端に少ないわけは、中身のある作品を書ける奴はそもそもラノベなんて書かないからなんでしょうね。桜庭一樹なんてのが良い例で、あの人は一般文芸ないしエンターテイメントへ進むための足がかりとしてライトノベルを利用しただけであり、自分の実力が認められ、声望が高まった瞬間にあっさりとラノベを切り捨てました。同じことが他のラノベ作家にできるのか、それはメディアワークス文庫が成功しているのかどうかで、自ずと結果として現れてくるのでしょう。

話を一番最初まで戻すけど、アニメ絵で見ると穹と天使は似てなくもない、のかな? イマイチピンと来ないけど、まあ、言いたいことは分からないでもない。アニメの穹の声優が変わったとして、花澤香菜にでもなったらどうしよう。花澤香菜は新人声優では一番好きだけど、それとこれとは話が別というかなんというか。ただ、ヨスガのアニメはフロンティアワークスの作品になると思うから、声優変更があるとも思えないんだけど……むしろ、問題なのはハルだよ、ハル。男が声やるのか女が声やるのか、それすらも想像付かないんだから。
春日野穹bot→URL:http://twitter.com/sora_k_bot
Twitterにおけるパロディのガイドラインというものが出来たそうです。身内経由で聞いた話なのですが、パロディやコメンタリー、ファンアカウントに関するポリシーというものをTwitter側が提示してきたとかなんとか。
URL:http://jptwitterhelp.blogspot.com/2010/05/blog-post_4711.html
キャラクターbotも一応、パロディとして分類されるそうなので、私も早速対応しておきました。

元々、IDの方はbotであることが判るようになってるからともかくとして、名前もそれとわかるように修正済み。昨今、キャラクターbotは乱立の兆しを見せていますし、例えば人気アニメのキャラの場合はこれでもかというぐらい同じキャラがひしめき合っている印象を受けます。デュラララとかとんでもないでしょう?
作ろうと思えば安易に作れるものですし、私の場合は二次創作ではない原作基準だけど、所謂ドリーム小説のように作り手の好きなように呟かせることも可能なわけですから、それに不快感や反感を覚える人というのも、少なからずいるわけなんですよね。特にそれがデュラララのような作品だと、腐女子という存在の価値観も混ざってきますから。連中の中では静雄と臨也でカップリングが組めるらしい。まあ、あれはアニメサイドがそういう風に煽っているのもあるんだろうけど。あれは宜しくないというか、最近は制作側があからさまな悪乗りをしてくることが多いですよね。それが真っ当な商業戦略なのかと思うけど。
まあ、そういったbotが乱立して、原作のセリフを呟いたり二次創作の台詞を混ぜ込んだりしていると、なんだかゴチャゴチャするでしょう? それに最近は、公式がbotを作るなんていう例もあるから、ここらで規定というかルールーを明確なものにしておこうと、そういう動きなんだと私は解釈してます。著作権的な意味合いはこの際スルーしてね。
まあ、ヨスガノソラのbotが増えるとは正直考えにくいけど、だからといって義務を疎かにするわけにもいかないし。アニメ化するとある日突然人気になったりするからね。これも一種の啓蒙活動という奴でしょうか。いや、そこまで高尚なものじゃないか。

さて、予定では先日の雑文に続き、個人的に考える二次創作におけるオリキャラ、オリ設定等について、とてつもなく偉そうな文章を書くつもりだったんですが、というか実際に書いていたんですが、時期が悪いことを思い出してやめました。いや、ちょっとオリキャラとかオリ設定というもので思うところがあったので書こうかと思ったんだけど、今それを書いてしまうと友人を誤解させてしまう気がしたので。予め友人のことではないと断ったとしても、結局は私が如何にオリキャラというものが嫌いかという、私の知り合いにはお馴染みの話題になるわけだから、気分がいいものじゃないでしょう?
本当は書きたいことが山のようにあるし、逆襲の救世主を終えて、改めて自分の中にある二次創作におけるスタンスを確認しておきたかったんだけど、ここは空気を読む場面かなと思って。私は二次創作に置いては極端な思考を持っている人間だけど、まあ、それについて知りたい人はチャットかメッセで直接聞いてください。あなたがオリキャラを加えた二次創作をやっている場合、まず間違いなく気分を悪くすることを言うと思いますが、それに耐えられる方限定。いずれこの日記でも書く予定ではあるけど、今のところ予定は未定ということで。まあ、事は一個人の二次創作におけるスタンスた理念、考えの問題であるから、それが真理であるとか、唯一無二の正答であるなんてことはあり得ないんだけど、私の書き方だとまず間違いなく反感を買いそうなんでね。

「あなたはもう少し、自己顕示欲と高慢ちきな所を直すべきです。それは覇気ですらないんですから」
なんてことは、悲恋堂の店主に言われんでも分かっていることだけど、最近はこの言葉を踏まえた上で自分の在り方というものに悩むことがある。私の得意技というか、敵を倒すための技法がなんであるかを悲恋堂は知っているから、ろくでもない技法をほぼ完全なものにしている私へ釘を刺してくるんだけど……いけない、いけない、これ以上書くとボロを出してしまいそうだ。私の腹黒いことが皆に判ってしまう。もう知られているような気もするけど。
なんか、電撃文庫とファミ通文庫の間で起きた盗作問題に付いての情報をくれと、そんな感じのことを知り合いが言ってきたんだけど、お前もライターの端くれなら自分で調べたらどうなんだと。大体、野次馬根性から情報を欲しがり、自分の優越感を満たしたい奴にどうして私が協力せねばならないのか。私のことを情報集積地点と思っている奴が知り合いに何人かいるみたいだけど、たまには自分で動いてみろ。私を中継ないし仲介に使うな。

まあ、バカテスはともかくとして電撃の……なんていうんですか? 該当作に付いて私はよく知りません。最近、電撃文庫とか読まないんだよね。それなりに売れてるって話は聞いたけど、バカテスのパクリで売れてるってことは今のライトノベルユーザーはバカテスみたいな作品が好みなんですかね。私はライトノベルなんてものは、内容の善し悪しに限らず次元自体は同じだと思っているし、むしろバカテスのような作品が売れている方が健康的でいいと思っているんだけど、これは私の意見というよりとあるライトノベルの大家が言っていた言葉。小難しい内容なんてライトノベルに入らないし、無理に気取る必要もないんだ、というね。私もファミ通作家には何人か知り合いがいるけど、ライトノベルはやっぱり分かりやすくなくちゃ。バカバカしいぐらいがむしろ好ましい。
で、盗作云々ということだけど、電撃もファミ通も同じ角川グループだし、ライトノベルレーベルは横の繋がりが強いから、事を荒立てずに手打ちにするんじゃないですかね。まあ、エンターブレインにはエンターブレインりのプライドがあるし、あくまで他のグループ企業と違って別会社であることを意識はしているみたいだけど、同じグループ内で醜く争っても意味がないし、メディアワークスだって自分とこの作家が盗作したい上は、謝らないわけにはいかないでしょう。新人作家の処女作、なのかな? どんなに少なくても8000部から1万部ぐらいは流通させてると思いますが、謝罪して在庫を全部回収、書き直すのは無理だろうから絶版でしょうね。ほとんど文章似通っているというし、盗作というイメージが付いた作品を出し直すことは出来ないでしょう。
盗作したらしい作者は電撃でも期待の新人で、刊行当初はそれなりに好意的な評価を持って電撃の読者に受け入れられたらしいが、文章の告示にも気づかず絶賛していたのだとすれば、それはそれで情けない話だ。書評ブログにしろなんにしろ、バカテスを読んだことがないなら仕方ないだろうが、過去にバカテスの書評ないしレビューでもしていた日には、顔から火が出るほど恥ずかしいのではないだろうか? 私だったショックでページを閉じてしまいそうだ。

最大の問題は盗作に気付かず賞を上げて、あまつさえ刊行してしまった電撃にあるのだろうが、担当編集はなにやってたんでしょうね。別にラノベの編集だからって他レーベルのラノベも把握している必要はないんだろうけど、校閲だって普通にいるんだから、どこかで気づこうよ。よっぽどのことがない限り、賞を取ったそのままの形で出版されるなんてないんだし、どうせ書き直してるんでしょう? 編集も校閲もなにをしていたんだろう。
同じグループ内ではあるけど別会社で、しかもレーベルに付いているファンというのはそれぞれ違うから、ファンはどう思うんだろうね。バカテスのファンからすれば不快なことだろうし、盗作作品が評価されて好意的な意見で賛美されることほどムカつくことはありませんから、さてどうなることやら。これが日日日とか入間人間みたいな、西尾維新くさい作家とかそういうレベルだったなら良かったんでしょうが……二次創作ならまだしも、オリジナルでこれをやっちゃいけないぜ。
作家志望が必ずやることの一つに、隙な作家の文章をそのままWordなり一太郎なりに打ち込んでみるってのがあるけど、その延長線上でこういう事態が発生することも、まあ、ありますよ。結局、盗作をする人間ってのは自分自身の表現力の欠如を表しているわけですから、つまるところ件の作者には自分でシーンの一つ一つを描写する力がないんでしょうね。セリフ回しにしたところ出そうですし、あるいはもしかしたら、バカテスの大ファンで意識的に真似しているんだとも言えなくはないだろうけど、意識するのと酷似するのは違いますから。

いずれにせよ、私には関係の無い話です。角川書店とは近々間者、もとい知人と会う約束をしているけど、ラノベ関係の話はするつもりはないし。盗作が発覚して騒がれている以上は、メディアワークスとエンターブレインの間で話し合いがもたれるでしょうし、有耶無耶のうちに終わることはないでしょう。まあ、盗作者は筆折ることになると思いますけど、かねかけて売りだそうとした分、電撃も損失が大きいでしょうね。場合によっては作者を守るために動くかもしれないけど、それに対しエンターブレインがどうするのか。なんだ、結構面白そうじゃないか。
悲恋堂の店主に連日連夜の愚痴を言っていたとき、「そういえば、そろそろコミケの当落時期ですね」などと、同人嫌いの店主からは想像もつかない言葉が飛び出してきた。そういえば当落の発表まで10日を切ったが、何故お前がそれを知っているんだと、素直に驚いてしまった。
「だって、去年のこの時期もそんな話題でましたし。毎年ではないにしろ、忘れやしませんよ」
正直な話、私はヨスガのアニメ化だなんだとワタワタしていたせいか、夏コミのことなどすっかり忘れてしまっていた。そういえば私は、ヨスガノソラでスペースを申し込んでいるのである。

まあ、夏コミが受かるか受からないかはともかくとして、ヨスガノソラもアニメ化ともなれば過疎ジャンルではなくなる……のだろうか? エロゲ原作で一大ジャンルを築き上げたものというのはそれなりに数があり、近年で言えばFateや東鳩2の大流行が記憶に新しい。更に過去へと時計の針を巻き戻せばkeyのKanonなどが思い出され、エロゲではないがシスプリなども相当なブームになった。ギャルゲ系のブームを引き継いだのはキミキスであり、アマガミを経由することなくラブプラスへと流れは傾いている。
初音ミクブームの発生と衰退、同人としての流行ジャンルになりきれていないけいおんなどを見ると、最近の同人業界には明確な流行ジャンルが存在しない。これはなんども書いていることであるが、例えば映画が公開されたからといって、テレビ放送が3年も前に終了しているなのはStSが一定以上の人気を保っているのは、如何に最近の作品に勢いや力がないかを証明しているようなものだろう。超電磁砲にしろバカテスにしろ、規模としては些細なものに過ぎない。
私はアニメで大ヒットしたなのはをギャルゲジャンルとして捉えるのはおかしいと思っているのだが、まあ、原作は一応エロゲなのだから間違ってはいないのだろう。ファンディスクのおまけシナリオでも、元ネタとなる原作がある以上はそれを尊重しなくてはいけないはずだ。

ヨスガノソラが同人としてヒットするかどうかは、正直言って未知数だ。情報の少ない現段階だとなにも言えないというのもあるが、そもそもエロゲの同人誌というのは葉鍵や型月といった一大ジャンルはともかく、例えアニメ化した作品であるとしても流行になるとは限らない。近年もっとも高評価を得たエロゲ原作のアニメといえばminoriのefがあるだろうが、さてこの作品は同人誌として盛り上がっただろうか? 横浜紅茶館が頑張ってはいるが、それ以外は? カタログの数ページを使用するようなジャンルにはなっていない。
TVアニメ化した作品でさえこうなのだから、これがOVA化だとすればよりヒットの可能性は削られるだろう。橋本タカシといえば、かつてPiaキャロットへようこそ!!2と3をヒットさせた原画家であり、2に関して言えば発売されたOVAもそれなりに売れた。しかし、それは時代がそうさせた側面もあり、今の世の中OVA作品というものに大きな需要があるとは思えない。うたわれるもののOVAがどれほど売れたのかはしらないが、あれにはそもそもTVアニメとして高評価を得たという実績があるので、また話が違ってくる。
では仮にヨスガノソラがどの形でもいいからアニメ化し、同人業界に火がつくほど人気が出たとしよう。私に言わせれば、エロゲの同人誌というのはエロゲの段階で流行になっているものがほとんどなのだが、そういった事例はこの際無視する。無視した上で、同人誌としての流行となったら? 私は果たして喜ぶべきなのだろうか。
基本的には喜んでいいと思う。昨年の夏コミで水風天も言っていたが、同人誌として盛り上がりを見せてくれる事自体は私も嬉しいと思うし、問題があるとすれば本を片っ端から買うのに手間がかかる、といった程度だろう。こればかりは財力だけで解決出来ることでもない。
深刻にして陰鬱な話をすると、あまりに大きくなり過ぎると今後の私の活動に大きく影響が出てくるので、それが困るといえば困るのだが……まあ、あり得ないだろうから、それは考えないようにしよう。

さて、私の手元には既にコンプエース7月号があるわけだが、一応発売日は明日なのでレビュー自体は今日の24時にでも更新しようと思う。どちらにせよ書くのは向こうが先だけど、今からレビューをまとめておくことにします。後、私はコンプエース読んだ上でこの日記書いてます。それがなにを意味するのかは、まあ、書かずとも分かることでしょう。
遂に山田の時代が来たぜー! 声優が広橋涼とは無難というか予想通りというか、もう少し奇を衒ったキャスティングをしてくるかと思ったけど、広橋涼ならここまで隠す必要があったのだろうか。私は植田佳奈が大嫌いなので、無事にキャスト変更されたのを嬉しく思っているけど、配役も無難なら演技も無難だった。 
適度に可愛く、適度にウザく、それが山田葵の魅力ですね。私は原作だと山田一番好きです。

原作者と身内が親しかった関係で、山田の初期設定を知ってるんですが、キャラとしての骨格自体はそんなに変わっていないように思える。まあ、言うなれば胡散臭さが増した結果、今の山田が出来た感じなんでしょうけど、ウザイと感じる人には本当にウザイキャラだと思うから、結構好悪分かれると思うんだよね。特に同姓受けが悪いんじゃないかと私は考えているんだけど、さてどうなのか。WORKINGはデュラララの影響も合ってか腐女子向けとされている一面もあるから、相馬に対する山田の存在を腐女子がどのように捉えるか、というのには興味がある。
演技の話に戻るけど、私は植田佳奈は嫌いだけど山田に限定して言えば凄い合っていると認めざるを得なかったので、今回の広橋涼には正直助かった感じてます。演技の違いというのはもちろんあるけど、やっぱ音声と映像では受ける印象がだいぶ違いますね。アニメにはキャラクターデザインというものが合って原作とは絵柄も大きく違うわけだけど、音声媒体の場合は原作のイメージのみで構成されるわけだから、言うなれば原作の山田に当てはめた時の声が植田佳奈の場合よく合っていた、ということかな。
アニメの山田はキャラデザにおいて可愛らしさが強調されているので、動きが凄くいいよね。一つ一つの動作、そのテンポがとても弾んでいるというか、同じ表現を繰り返すけど本当に可愛らしい。山田好きやっていてよかったよ、私。
そういや身内がぼやいてたけど、相馬役の神谷浩史はかなり演技の面で苦労しているみたいだ。デュラララの折原臨也と差をつけなければいけない関係上、相馬のキャラがまだ安定していないらしい。シャフトの作品である荒川に関しては絶望みたいな演技をしていれば良いのだろうけど、こっちはそうもいかないから大変だ。

話の展開としては7話で3巻まで来たわけだけど、これは小鳥ちゃんが登場する辺りでアニメは終わるかな。二期やるかはともかく、来週はアニメオリジナル回みたいだ。まあ、典型的なサービス回で温泉みたいだけど、海じゃないのは舞台が北海道だからですかね。季節もおそらく夏ではないだろうし。
そういえばEDに山田が追加されましたけど、OPは特に追加されてませんね。ぽぷらとセットなのはよく一緒にいるからか、それとも山田がヒロインでないから……か? 伊波は小鳥遊に対するヒロインであり、八千代は佐藤に対するヒロインなわけだけど、一応相馬に対するヒロインではある、のか? でも、相馬ってあれで子持ちだしなぁ。そもそも山田は奴のタイプからかけ離れてるし。相馬に関しての裏設定は割と幅広く知られているはずだけど、彼は果たして養育費とか払っているんだったか。実の娘にも5万円出すのは躊躇われると言っていますが、果たして。
そういや山田のトレーラーがこっそり追加されたり、ちゃっかり山田主役のラジオが始まったりするそうですが、アフレコ自体はとっくに終了し、打ち上げまで済ませている作品のラジオをはじめるというのも声優的にはどうなんでしょうね? 番組が終わっても続いているラジオってのは無数にあるけど、役者的にやることすべてが終わった段階でラジオというのも……いや、DVDのキャラクターコメンタリーはまだ録っているのかな? あれはオタク受けはしてるみたいだけど、役者的には本当に辛い作業のように感じる。以前に関智一がアニメ店長のラジオは物凄いキツイ仕事だったと言っていたけど、確かにまあキャラクターでラジオをやるというのは辛いんだろうね。キャラコメはなんていうか京都アニメショーンのらきすたとか、その辺りの派生系なような気もするんだけど、根本はアニメ店長やデ・ジ・キャラットのような作品があるような。

しかし、なんというか……WORKING以外で見ているアニメが俗に言うエロ萌え系ばっかりだということに最近気がついた。B型H系はギャグなのか萌えなのか、エロというより下ネタな気もするけど、実はkiss×sisが結構好きなんだよね。あそこまでやられると逆に清々しいというかなんというか。一騎当千を見ているのは単純にりんしんが好きだからだけど、個人的にはそろそろSFアニメが恋しくなってきた。ロボットアニメでもいいから、なんかないものですかね。この際ガンダムでもギアスでもいいんだが。そういや、昨日聴いたメガマガラジオで喜多村英梨が銀英伝を物凄い古いアニメみたいに扱ってたけど、一応90年代作品なんですけどね。キタエリの年齢的には、十分古い作品なのだろうか。
劇場版名探偵コナンの最新作を観てきました。コナンの映画は大抵身内と観に行くことが多いのですが、実は銀魂も観たかったのでギリギリまでどちらを観るか迷ってた。各映画館共にサービスデーの期間は終わってますから、1800円出して映画2本見られるほど私の財布は潤っていないので。結局コナンにしたのは横浜の109シネマズで銀魂が上映していなかったからなんだけど……身内の行動範囲の問題で川崎までは出られなくて。子供の頃はさ、映画館、特にシネマコンプレックスへ行けばどんな映画でもやっていると思ってたけど、そんなわけないんだよね。アニメ映画は単館上映も多かったから。

今回の映画が楽しいか楽しくなかったかでいえば、私は楽しいと思ったし、身内は面白くないと思ったらしい。まあ、見解の違いに過ぎないけど、身内曰くミステリーとしての要素が皆無であり、なんの謎解きもしていない単なるキャラ映画に成り果てている、とのことである。キャラ映画としての観点から見れば良作かも知れないが、ミステリー的な面白さは皆無であり、誰が犯人なのかさえも、真犯人とその部下含めて一発で分るほど簡単な単純な内容だったという。確かに言われてみれば、今作は一人の人間も死んでおらず、殺人事件が起きていない。単なるパニック映画であり、アクション映画だった。
コナンの映画には一つの法則があって、それを見極めることが出来れば、いや、聴き分けることが出来れば楽に真犯人を見つけることが出来る。一般人には使えない、オタク向けの法則であるが、私は今回もこれを使って犯人を知ったわけだけど、個人的に好きな声優だったので嬉しかった。身内は声優が誰なのかは分からなかったようだが、まあ、奴は声優詳しくないからね。
私は120分という時間の中で無駄なく話をまとめていると感じたし、観やすかったというのが第一印象。飛行船という空間やそこにテロリストが侵入するという内容は、田中芳樹が二十年ぐらい前に書いた「晴れた空から突然に…」を思い出す。確か朝日ソノラマか徳間文庫から出ていたものだったが、あれもまた飛行船が舞台であり、テロリストによる爆弾テロに立ち向かう青年と姪の話だったように記憶している。細菌は出てこなかったが、特殊な薬品だかの影響でモンスター化した人間は出てきたかな。田中芳樹の単発ものとしては結構好きだったので、よく覚えています。

映画の話に戻ると、イマイチ怪盗キッドの役回りが微妙だった気がする。映画は人気が落ちるとキッドを出してくるとは身内の意見ですが、迷宮以外でメインを張れない服部平次と違い、キッドは映画での扱いがいいですね。私に言わせれば、服部は迷宮よりも世紀末の方がよっぽどカッコイイし活躍もしてたけど、世紀末は映画としての質が最上級だったからねぇ。
服部は前作に続いて今作でも出てきますが、その役回りは地味としか言い様がない。服部はキッドと違って行動範囲が関西であるから仕方ないのかも知れないが、どうにも裏方やサポートといった役が多く、身内に言わせれば主役の器ではないらしい。確かに迷宮は本当につまらないというか、くだらない映画だった。
コナンにしてみても遠くにいる服部よりも近くにいるキッドとの協力が目立ち、互いに互いを利用しあっていた。まあ、最終的に真犯人の目論見を潰したのは服部であるし、活躍度合いで言えばキッドには劣るが重要だった……はずである。正直、和葉が連れてきた少年の存在理由と価値はわからなかったけど、まあ、ぽにょの歌を歌っていた娘を声優にすることで話題を作りたかったんでしょう。正直言ってこども店長でも連れてきた方がまだマシな演技力だったと言わざるをえないけど……少年役をやらせるのには無理があったと思う。
読者公募だかで素人の少年少女がモブの子供を演じるのは毎回のことなので気にもなりませんが、下手くそな芸能人というのが相変わらず聴くに耐えない。どちらか一つにしてくれないかと思うし、前作のDAIGOとやらも相当酷かった。まあ、アニメ映画に限らず声優が必要とされる多くの映画に言えることなのではあるが。

私は灰原哀が大好きなんですが、パンフレットに書いて合った閣下のコメントに凄い同意してしまう。今回も凄まじい憑依っぷりを見せてくれた閣下ですが、「私、持っていない……」という台詞をベストに挙げるのは本当にその通りだと思う。ああいう哀ちゃんを見たのは久しぶりというか、服部同じぐらい相棒としては頼り甲斐のある存在だよね。まあ、出番はあまり少なかったけど、少年探偵電が同じテーブルに座るなか、哀ちゃんは常にコナンの隣とか側にいたのが地味に嬉しかった。まあ、4人がけのテーブルだから探偵団+博士という組み合わせになるからなんだけど。
上映終了後は普通に来年の映画が告知されてたけど、よほどのことがない限り観に行くと思います。そろそろ原作にも展開が欲しいんですけどね、買ってない巻が随分と溜まってきましたよ。そろそろ買い時かな。
ヨスガノソラのビジュアルファンブックが高騰しているらしい。私は5セットほど保有しているので別に関係ない話だけど、わざわざ高いamazonやオークションなど利用せずともあるところにはまだ在庫があります。例えばヨスガノソラスレに書いたとらのあなもそのひとつで、
URL:http://www.toranoana.jp/mailorder/article/04/0010/20/85/040010208558.html
この通り、たった2冊ではあるものの在庫が残っている。ちなみに夏ノ雨のVFBも2冊あるのだけど、これは店舗から回収した分を通販に回したのか、それとも完売しないままに人々の記憶から忘れ去られたのかは不明。とにかく探せば在庫はまだあるということだけ書いておこうかなと。

他にもいくつか把握はしているけど、書いていいものかはちょっと迷う。未確認の情報だからというのもあるけど、前述の通りVFBは値段が高騰するほど転売屋の商品化してしまっている感があるから、安易に情報を書いて転売屋の目に止まらせるのもどうかなーと思ってて。
ファンサイトはファン向けの情報を発信する場でもあると私は考えているし、昨日のコミックスの特典情報なんかはそれに当たるんだけど、売れれば重版されるのが普通のコミックスと違って、VFBは再販も未定のグッズですからね。ヨスガノソラのファンサイトとして在庫情報は持っているけど、これをどう扱うべきなのかっていう部分で私の中で迷いがあるんだよね。Sphereの広報であるかたひとマンはmixiやドリパでVFBの再販についてアンケートを取るみたいなこと言ってたけど、再版するならわざわざ出すほどの情報でもないと思うし、逆に再版しないならかなり貴重な情報となってくるわけで……けど、とらのあなレベルの在庫情報なら普通に他の人も把握してそうなもんだけどねぇ。大型店舗では完売しているものと決めつけて意外と見落としているのか、それとも初佳のペーパーなんていらないよってことなのか。後者だったらちょっとイヤだなぁw

穹botを作ってHPのコンテンツを一つ増やした私だけど、ファンサイトとしての在り方には少なからず思い悩むところがあるんですよ。ファンサイトってのは例え公認であっても、公式とは一切関係ないという立場を貫くのが普通だと思うんだけど、私の場合はファンサイトであると同時に同人サイトでもあるから、余計にその点を注意しないといけない気がするんだよね。まあ、私もヨスガの同人誌出したときは色々思うところあって公式に確認取りましたし、御丁寧な御返事を頂いたことに感謝し、挨拶にも行きましたが……基本はさ、同人というか二次創作やる人らは原作側と距離をおかなくちゃいけないと、そういう認識なのです。mixiに登録していて、かたひとマンのページとか覗くこともある私だけど、さすがにヨスガで同人作家やってる私がマイミク申請とかしちゃまずいでしょ?w 向こうがお構いなくとか良いですよ、と言ってくれるならまだしも、Twitterも同じ理由で覗くだけの人やってます。
同人はさ、好意的と否定的、そのどちからしか受け取り用がないと思うのよ。企業的に言えば寛容かそうでないか。仮に好意的な相手であってもベタベタ擦り寄るのは良くないし、否定的な相手ならそもそも同人自体やってはいけないのが、本来筋ってもんですからね。同人やっている連中の勘違いしがちなこととして、自分たちは何でも自由に書くことができるという思い込みがあると思う。無論、オリジナル、つまり一次創作での同人活動はその通りだけど、二次創作でこういう理論や考えを持っている人は、正直どうかと思うんだよね。距離感を持つのは大事だけど、原作なんて全然関係ない、好き勝手やってますというのもそれはそれで良くない傾向だ。同人というのは決して、安易なる創作ではないのだから。

とまあ、この日記を書いている間にとらのあなにあるヨスガノソラのビジュアルファンブックも在庫が1冊となったわけだけど、果たして最後の1冊は誰が手にするのやら。情報を投下したヨスガノソラスレでは特に反応がないけど、転売屋ではなくてファンの手にわたってくれるのを祈るばかりです。
私としては特典として下敷きが付いてくるのをもう1冊欲しいと思っているので、再版するのだとすれば是非店舗での再販を期待したいですね。まあ、現実的に考えて店舗で再版するほど希望が集まるとも思えないんだけど、VFBは何冊ぐらい市場に出回ったのかな。公式と一般合わせて1000部ぐらいはあったんだろうか。2冊1組という関係上、そんなに数を刷ることが出来ないという話だったけど、果たして……まあ、続報を待つことにしましょう。
深夜にTwitterでとある作業を指定たら、くろのとくろえのくろのさんがヘルプのメッセを繋いできたので少しお話。くろのさんのブログに書いてあることだから問題ないと思うけど、私が参加したサンクリで初出のスパロボOG同人誌、「アルフィミィといっしょ!」を再版するらしい。ただ、私とくろのさんがよく利用している印刷所が、最近システムを変えたので、さてどうしたもんかと、そんな感じだったかな。

まあ、同人誌の作業話は私がすることでもないから良いとして、最近のくろのさんはペーパークラフトにハマっているそうな。相変わらず多趣味というか、工作関係が好きな人だと思ったけど、紹介してくれたペーパークラフトのページとか、本当に凄いのね。これはマジで紙なのかと思うぐらいの出来栄えで、ペーパークラフトなのに数千円の値段がついてたりする。はじめて知ったんだけど、ワンフェスとかキャラホビにはペーパークラフトを専門に参加しているところもあるそうで、まさに目から鱗が落ちるような話でした。
私もかつてはガンプラとか作ってたんだけど、最近はカッコいいなぁと思っても自分で買ったり作ったりするようなことはなくなってしまった。私にはあまり技術がないから作ったとしても素組みなんだけど、指先の力が強いせいなのかプラスチックと相性悪いんですよ。すぐにパーツを壊してしまう。単なる不器用だろうと言われればその通りなんだけど、わざわざ購入してまで作ろうって気にはなれないんだよね。最後に買ったガンプラは、おそらくデスティニーガンダムだと思うけど、これも初回限定版を買った割に開封すらしていない気がする。当時は品薄でレア物になっていたはずだけど、今はどうなんだろうね。
しかし、ペーパークラフトか。昔、コミックボンボンの付録にそんなものもあったけど、一度も作ったことがないな。ハマればそれこそ一日だって費やせるほど面白いらしいが……ダメだな、私が図画工作に手を出すとろくなことがおきない。

どうして私はライダーにハマらないのかという話になって、確かに私は面白いとされているダブルをあまり見ていないが、だからといってライダーそのものが嫌いなわけじゃない。ディケイドは毎週観ていたし、それ以前の平成ライダーも結構観ていた方だと思う。ただ、ライダーで二次創作をやるのかと言われれば、おそらく否定してしまうだろう。
これは私のスタンスと言うより感性や感覚の問題になってしまうのだが、私は所謂生モノが凄い苦手で、特撮は半生だけど、なにをどうしても二次創作出来ないんですよ。役者が演じている架空の人物といっても、そもそもは三次元に存在するものじゃないですか。それを二次創作という媒体で、例え文章上であっても書くことに結構な抵抗があるんです。
生モノジャンルというのは同人界でも一番危険なもので、特撮もそれに追随するほどには推奨されないジャンルです。二次創作はまだしも著作権の侵害だけで済むけど、生モノはそれだけで肖像権の侵害になりますからね。
東映特撮に代表されるライダー等のジャンルは、今でこそ電王の影響も合ってか活発化してるけど、ちょっと前まではサイトを運営するにも色々と注意が必要なジャンルで、言ってしまえば電王の影響で無知な腐女子が大量に増加し、それまでの流れやらなにやらをすべて壊してしまった、という状態です。
特撮同人誌が何故危険なのかは、特撮同人のローカルルールというサイトが詳しいですね。ググッた一番上のページはリンク切れになってるから、他のサイトから飛ぶなりして探してみるのがいいと思います。
正直、某リリカルなのはクロスSSスレでライダー系のSSが多いことに私は多少驚いているんですよ。勇気があるというか、オンラインでの特撮同人活動がどれほどリスキーなのかを理解していない。まあ、単なる二次創作であって同人誌じゃないからといえば、それで済むのかも知れないが……済まないか、さすがに。

ライダーもそうだけど、特撮というものはあくまで子供番組です。どんなにハード内容に見えても、あれは数々の制約のもと、子供向けに作っているものなんです。一部深夜とかにやっている奴はともかくとしてね。だから残虐性の高い作品や、排他的な内容の作品は書きづらいし、作品のイメージと言うものを一番壊してはいけないと思う。子供の夢をぶち砕くわけだから。それに演じている役者への影響もあるから……特撮で大手サークルがほぼ存在しないのも、需要以前の問題があるからなんだよね。
私は別に特撮ジャンルで活動をしている同人家を否定しないし、良い作品も沢山あると思う。だけど、私自身がSSだったり同人誌だったりを出すのかと言われれば、解説本とかレビュー本とか、所謂ファン同人誌ならまだしも、二次創作は無理だと思う。正直言って、私は怖いです。こればっかりはどうしようもならない。
丹下桜のラジオでやってる通称ラジオ妻シリーズと呼ばれていたラジオドラマが先週終り、今週からラブプラスのドラマが始まりました。コナミといえばラジオドラマ、CDドラマというほど過去に量産されてきた文化ともいうべきものですが、RADIO・A・La・Modeにもスポンサーが付いたと考えていいんでしょうかね。

そういや、なんだって今までのドラマは妻設定だったんだっけ。確か、金麦がどうとかそういうのは覚えてるけど……丹下桜自身人妻だしなぁ。他のシチュエーションはあなたとワンシーンでもできるし、コンセプトを絞っているという意味では結構良いドラマだった。ラブプラスのドラマは流石に二部構成というわけにもいかなくてED前に流れるだけだったけど、ヒロインの父親役が田中秀幸さんだったのには驚いた。驚いたと同時に、「いや、あなたは凛子の父親役をやるべきだろう」と思ってしまった。それぐらいは配慮してくださいよコナミさん。
私はラブプラスを未だにやったことがないので、イマイチ好きと言えない作品です。丹下桜を業界に戻してくれたことには感謝しますが、そのせいで変に人気が出てしまった感も否めない。人気が出ること自体は悪いことではないんだろうけど、ライブに当選しづらくなったという弊害がね。知り合いのイベンターとよく嘆いています。昔は問答無用の先着順だったんだけど、最近はそれも抽選に変わったらしく、ここ数回は満足に行くことすら出来ない。以前までの宗教じみた雰囲気も薄れて大分良くなったと聞いてるんですが……久しぶりに行きたいよー。当選のコツとかないですかね、とイベンターに聞いたら、「こっちが聞きたい」と返されるほどに倍率が高いらしい。やれやれだ。

坂本真綾の武道館以来、特にライブ系のイベントに参加していなかった私ですが、実は先日のドリパのステージイベントは鑑賞しました。同じ桜でも丹下桜ならぬ野川さくらのミニライブがあったんですよ。それなりに古い付き合いの人しか知らないだろうけど、私はその昔野川さくらのファンをやってましてね。生で見るのはそれこそ数年ぶりというレベルなんですが、折角の機会なんで観てきました。最終ステージだったから、必然的にメーカーの得ショーなんかと被ってたんだけど、今回は知り合いも来ていたので野川さくら優先で。思えば、HOOKのトークショーを聞かないエロゲイベントというのも久しぶりかも知れませんね。
曲目自体は朝方並んでる際にリハーサルが聴こえたので、個人シングルと言うよりは出演したアニメ作品の楽曲を中心に、という感じでした。もっとも、野川さくらは最近アニメの出演数が少ないし、歌もそんなに歌っていないからあまり新しい曲というのがないんですが……それでも最初に歌ったRomantic summerはそれなりに認知度の高い曲だったんじゃないだろうか。瀬戸の花嫁も3年前の作品ですが、話題にはなりましたしね。
元々が桃井はることのユニット曲で、それをソロで歌った感じなんだけどその点には特に触れなかった。続く2曲目も更に1年さかのぼってらぶドルのEDだったんだけど、なんだって同じくユニット曲のEDを歌ったんだろうか。いや、普通にソロで歌ったOPで良かったじゃない。まあ、盛り上がるという意味では確かにEDの曲調があってるし、それを優先させた結果なのだろうか。
段々と年代を戻していく演出なのか3曲目は確かマジカノ歌っていたけど、その次は一転してアラド戦記、今のところ一番新しいレギュラー作品の主題歌を歌ってました。本人曰く熱い曲らしいけどそうだろうか。カッコいいとは思うけど。
驚いたのはアーケードゲーマーふぶきのOPであるthunder of PPを歌ったことで、リハーサルでも聴いてたけど耳を疑った。いや、本人も言ってたけどこのキャラソンに近い初期の色物ソングって滅多に歌わないんですよ。私にとってはカラオケの十八番だけど、まさか本人の生歌で聞けるとは思ってなかったし、確かにラッキーだったかも知れない。

まあ、ライブに参加して楽しんだけど、だからといって野川さくら熱が復活したのかと言われれば、別にそういうわけでもなく……野川さくらに関しては、結構根が深い理由でファンを辞めてますから、イマイチ踏ん切りがつかない。未練もある。だけど、完全に落ちぶれている今の状況を見るに、如何にも私が好きそうな、実際に好きだった声優なんだなぁと思っています。なんでか私の好きな声優は、そういうタイプが多いんだ。
野川さくらに関して語りだすと長いから、これに関してはまたの機会にしましょう。なんだかんだいっても、ミニライブ自体は良かったですよ。最高だった。バスツアーは苦手だからいかないけど、ライブツアーでもあるのなら参加を考えましょう。金と体力に余裕があれば、だけどね。
久しぶりに新宿まで行ってきました。恩師に呼ばれて同じ一門の親友と、新宿中央公園を抜けるようにブラブラと。日差しは暑く、丁度噴水前でフリーマーケットみたいなのをやっていましたね。古着ばかりが置いてあったけど、特に興味はなかったんでスルーしました。目的地の少し手前で軽く昼食を食べて、目当てのメニューの期間が終わっていたことに少し落ち込む。まあ、期間中は少なからず食べたからいいんだけど。

月に一度か二度は恩師と会うことにしている私だけど、ここ最近は原稿の締切だなんだと色々押していたからすっかりご無沙汰してしまった。まあ、正確にいえば先日のSFセミナーで会ってるんだけど、あの日はめちゃくちゃ忙しなかったですからね。ろくに挨拶もできなかったという。
改めて出向いた先では幾人かの先客がいたけど、私の用事といえば顔見世とこの前作った逆襲の救世主下巻を恩師に渡すぐらいだったので、後は先客たちとの会話をしていた。驚いたのは同門の中に私の同人誌の存在を知っている人がいて、兄弟子か弟弟子かも分からない程度の間柄なので、私の作品であると認識はしていなかったようだが、私が作者であると知って大層驚いていた。なんでも上巻を探しているらしい。秋葉の本店にはあると思ったが、既に返送準備に入ってしまったんだろうか。丁度そのときは手持ちの1冊しかなったので、そんな状態の悪いものを渡しても失礼だろうと思い断念。
しかし、世間ってのは狭いですね。ロクゼロクロスはハッキリ言うとアクセス数から考えてそれなりに人気の作品だと思いますけど、それでも同門の人間が読んでいるとは……恥ずかしくはないが、なんか意外だった。何人かプロ作家もいたけど、ネットのSSとか読むものなんですね。新進気鋭の若手ラノベ作家が一人来てたが、今にも倒れそうな顔してたな。6月刊行らしいが間に合うんだろうか。まあ、間に合わなければクビが飛ぶだけだが。新人なんてそんなものです。
私はそんな作家先生方の姿を見て親友と、「作家も大変だねぇ」と他人事のように言っていたわけだけど……これは負け惜しみ、なんだろうか。

ラノベ作家に夢を持っている人間というのは幾人もいて、その数はなかなか減らないどころか常に増えていると言われています。灼眼のシャナとか禁書とか、そういったもののクリアファイル持っているようなガキンチョがプロ物書きの門扉を叩き、弟子にしてくれというわけですが……んー、なんだろうね、それでいいのかなと思わないでもない。
別にラノベ作家を否定するつもりはないし、デビューへの近道としてラノベは確かに有効な手段だと思うけど、あれは本当に商業作家の典型ですからね。ファミ通文庫こと、えんための編集者と話してるときに相手がぼやいてたんだけど、
「最近の若い奴は、こっちが指示して書かせいている原稿を書いているとき、『これが終わったら好きな作品を書いていいんですか?』と聞いてくる。そんなわけないことに、何故気付けないのか」
当たり前の話、ライトノベルは商業エンターテイメントですから書いている作品が売れれば続編を書かなければいけませんし、常に求められるのは作者が書きたいものではなく、出版社が売りたいものです。どうにも最近の若い連中はそれを分かっていないというか、作家は書きたいものを書いてメシを食う職業だと、本気で勘違いしているのが多いらしい。よっぽどの筆力や才能があるならまだしも、普通に考えてそんなの無理に決まってるじゃんと。ラノベは作品ではなく商品であることを、まず第一に理解するべきなんじゃないかと、その話を聞いたときに思った。
後、これは全然違う人から聞いた話だけど、ろくに働きもせず、とにかく小説だけを書きまくってデビューしようとしている人がいて、いわゆる社会人を経験せずに作家になりたがっている人がいるという。社会人になること、組織人となることを否定し、ひたすら小説だけを書く。そういうのに限ってろくな文章なんて書けやしないんですが、私は一度ぐらいは組織に入って、上下及び社会人としての常識、通年、人付き合いの仕方は覚えておくべきだと思う。そんなものが文章を書く上で必要なのかと言われれば、まあ、必要ないんだけど、作家ひとりだけでは本を出版することなんて出来ないということを、社会人にもならずに小説書いている奴はもう少し考えるべきではないかと。

なんか否定的な文章になっちゃったけど、まあ、世の中いろいろですよ。気楽に考えている奴もいれば、堅苦しく考えている奴もいる。結局は運と実力の世界だし、実力に見合った結果が出せても、実力に相応した成果を出せない作家だって沢山いる。ただ、一握りの天才を夢見ている時点で、そいつに目はないというだけで。天才を参考にする時点で、自分が天才でないことに気づき、早く自分の文章を見つけるべきなんだ。
それが出来るか出来ないか、ライトノベルだけ読んでいる若者にはもっと視野を広げてもらいたいですね。

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