動け、進め、選び取れ
2011年2月11日 アニメ・マンガ日記も溜め込むと書くことがなくなるというか、三連休の初日といっても原稿のプロットを打っていただけだから、特に何事もなく過ごしてしまった。しかも、プロットと言ってもオリジナルではなく新しい二次創作だから、生産性の欠片もないことこの上ない。10年ぐらい前からずっと書きたかった作品があって、結末というか展開がまるで思いつかなかったから放置している話があったんだけど、なんの奇跡かふと物語が完成してしまいましてね。忘れないようにまとめているのですよ。
私は基本的に二次創作の物書きだけど、所謂一次創作、オリジナルの原稿も書いてないわけじゃなくて、むしろ最近はその執筆ばかりしているような気がします。まあ、一応は作家志望ということになってるし、いつまでも現状のままでいたくもないからね。色々あったチャンスの数々を棒に振って、それでも作家になることへ固執しているだから私も救われないというかなんというか。この前、知り合いのプロ作家に言われたけど、「何気に引手数多のくせして、なんで作家みたいな職業とも呼べないようなのに拘るの?」と、割と真面目な顔で疑問を呈された。言いたいことはわかるし、普通に考えたら目の前に来た良い話の数々を放り投げて、自分の夢を優先させてきた私の方が異常だってのも分かってはいるんです。物を書く以外に能がないといっても、方向性としては作家以外の方面に向いていたわけだしね。完全に社会人となって高給取りになるというのも、そりゃ選択肢の一つでしょうよ。現実的なことを思えば、作家なんて目指すよりはよっぽどまともってものです。
知り合いの作家で、兼業なしに食えている人間は驚くほど少なくて、田中芳樹の定義でいえば彼らないし彼女らはプロ作家と呼べないのかも知れない。プロ作家とは、作家の収入だけでご飯を食べている人達のことを言いますから。そういう現実に身を置く人達からすれば、夢を叶えたのに食うことが出来ていない人らから見れば、毎月決まった給料を貰える社会人というのは魅力的なんでしょう。ハッキリ言って、作家の年収なんてホワイトカラーの半分にも満たない場合が多いですから、金なんて貯まるわけないんですよ。あかほりさとるみたいな商売人は未だに羽振りよくしてますが、大半の作家なんてのは明日は困らないが来年は困るかも知れないみたいな、そんなギリギリのラインに立っているんです。
知り合いのラノベ作家が、作品を打ち切られたという話を私にしてきた。作家といっても、ついこの前デビューしたようなド新人であるからして、レーベルはともかく有名所などではあり得ない。デビュー作はそれなりに話題になったが、まさしくそのデビュー作が打ち切られたのだという。結局何巻まで出たのか、私はそれを把握してないのだが、もしかすると2~3巻で終わったのかも知れない。新人の作品なのだから、売れなければ打ち切りのは当たり前であるし、出版社が商売で本を出している以上は仕方のないことだ。また次の作品を頑張ればいいと、普通ならそれで話は済むだろう。
しかし、今回はそれで話が終わらなかった。聴くところによると、そのラノベ作家には次の作品がないのだという。これはなにもそいつの創作意欲が尽き果てたとか、発想の泉が枯れてしまったとか、そういうことではない。ネタも、書きたい話もいくらだってあるが、出版社が出してくれないというのだ。出してくれないどころか、書くことさえ許可されずに放置されているという。つまりプロットという名の企画書を提出して、却下され続けている状態といったところか。詳しく調べてみると、同じような状況に陥っている新人作家は何人もいるようで、1作目が売れなかっただけで見捨てられるような、そんな酷い状況になっているらしい。最低でも2作目までは様子をみるというのがこれまでの慣例だったはずだが、某出版社に限ってはそれすらも止めてしまったということか。
確かに毎年何百、何千という数の原稿が新人賞へと届き、幾人かの新人作家がデビューしている現状を考えれば、確かに作家の換えは利くのかも知れない。しかし、1作目で見限るのはどうなのか? それではまるで、出版社に作家を育てる気持ちがないみたいではないか。
新人作家の方はデビューさせてもらった恩もあるし、世渡りなんて上手くもないから他のところにも移れないし、結果的に飼い殺しで潰れていく。既に精神が腐ってる知り合いが何人もいることを考えれば、彼らが言うところの作家なんて目指すもんじゃないというのはよく判るんですけどね……彼らは夢に敗れたわけじゃない。夢を叶えたはずなのに、その先がなかった。私が思うに、まともに取り合ってくれない出版社からはさっさと離れて、別のところに原稿でも持ち込んだほうが利口なんじゃないだろうか。ひたすら原稿を書くだけなんて、そんな単純な時代は今も昔もないのだから。
私は基本的に二次創作の物書きだけど、所謂一次創作、オリジナルの原稿も書いてないわけじゃなくて、むしろ最近はその執筆ばかりしているような気がします。まあ、一応は作家志望ということになってるし、いつまでも現状のままでいたくもないからね。色々あったチャンスの数々を棒に振って、それでも作家になることへ固執しているだから私も救われないというかなんというか。この前、知り合いのプロ作家に言われたけど、「何気に引手数多のくせして、なんで作家みたいな職業とも呼べないようなのに拘るの?」と、割と真面目な顔で疑問を呈された。言いたいことはわかるし、普通に考えたら目の前に来た良い話の数々を放り投げて、自分の夢を優先させてきた私の方が異常だってのも分かってはいるんです。物を書く以外に能がないといっても、方向性としては作家以外の方面に向いていたわけだしね。完全に社会人となって高給取りになるというのも、そりゃ選択肢の一つでしょうよ。現実的なことを思えば、作家なんて目指すよりはよっぽどまともってものです。
知り合いの作家で、兼業なしに食えている人間は驚くほど少なくて、田中芳樹の定義でいえば彼らないし彼女らはプロ作家と呼べないのかも知れない。プロ作家とは、作家の収入だけでご飯を食べている人達のことを言いますから。そういう現実に身を置く人達からすれば、夢を叶えたのに食うことが出来ていない人らから見れば、毎月決まった給料を貰える社会人というのは魅力的なんでしょう。ハッキリ言って、作家の年収なんてホワイトカラーの半分にも満たない場合が多いですから、金なんて貯まるわけないんですよ。あかほりさとるみたいな商売人は未だに羽振りよくしてますが、大半の作家なんてのは明日は困らないが来年は困るかも知れないみたいな、そんなギリギリのラインに立っているんです。
知り合いのラノベ作家が、作品を打ち切られたという話を私にしてきた。作家といっても、ついこの前デビューしたようなド新人であるからして、レーベルはともかく有名所などではあり得ない。デビュー作はそれなりに話題になったが、まさしくそのデビュー作が打ち切られたのだという。結局何巻まで出たのか、私はそれを把握してないのだが、もしかすると2~3巻で終わったのかも知れない。新人の作品なのだから、売れなければ打ち切りのは当たり前であるし、出版社が商売で本を出している以上は仕方のないことだ。また次の作品を頑張ればいいと、普通ならそれで話は済むだろう。
しかし、今回はそれで話が終わらなかった。聴くところによると、そのラノベ作家には次の作品がないのだという。これはなにもそいつの創作意欲が尽き果てたとか、発想の泉が枯れてしまったとか、そういうことではない。ネタも、書きたい話もいくらだってあるが、出版社が出してくれないというのだ。出してくれないどころか、書くことさえ許可されずに放置されているという。つまりプロットという名の企画書を提出して、却下され続けている状態といったところか。詳しく調べてみると、同じような状況に陥っている新人作家は何人もいるようで、1作目が売れなかっただけで見捨てられるような、そんな酷い状況になっているらしい。最低でも2作目までは様子をみるというのがこれまでの慣例だったはずだが、某出版社に限ってはそれすらも止めてしまったということか。
確かに毎年何百、何千という数の原稿が新人賞へと届き、幾人かの新人作家がデビューしている現状を考えれば、確かに作家の換えは利くのかも知れない。しかし、1作目で見限るのはどうなのか? それではまるで、出版社に作家を育てる気持ちがないみたいではないか。
新人作家の方はデビューさせてもらった恩もあるし、世渡りなんて上手くもないから他のところにも移れないし、結果的に飼い殺しで潰れていく。既に精神が腐ってる知り合いが何人もいることを考えれば、彼らが言うところの作家なんて目指すもんじゃないというのはよく判るんですけどね……彼らは夢に敗れたわけじゃない。夢を叶えたはずなのに、その先がなかった。私が思うに、まともに取り合ってくれない出版社からはさっさと離れて、別のところに原稿でも持ち込んだほうが利口なんじゃないだろうか。ひたすら原稿を書くだけなんて、そんな単純な時代は今も昔もないのだから。
見つめた先に欠片が一つ
2011年2月10日 アニメ・マンガ仕事で関わっている文学賞というか新人賞がある話は今週の頭に書いたと思うけど、結局ずっとその作業をするだけで一週間の仕事が終わってしまいました。途方もないかずという程ではなかったにせよ、やはり少人数、というか2人で捌くには投稿数が多すぎましたね。もうちょっと人を回してくれてもいいと思ったけど、まあ、雑用仕事なんてこんなものでしょう。そういったのを専門にしているバイトがいたので、その人と一緒にずっと社内の一角で黙々と作業していました。丁度、同年代というか同学年の同世代だったから、話題には事欠かなかったしね。異性だったけど。
作業自体は物凄い単純なことをしていたので喋りながらも出来たんだけど、世代が同じだと共通点が多くて助かるね。なにせ私は社内では居候の身ですから、孤立はしてなくとも割と孤独な方だから。でまあ、色々話をしたんですよ。昔読んでいた漫画とか、見ていたテレビなんかを。子供の頃に読んでいた少女漫画はなかよしとりぼんのどっちかなんてのは基本的すぎるけど、相手はりぼん派だったかな。なかよしは小学校低学年までだったらしく、私としては少し残念……なんで私が少女漫画の話できるかって? 身内に姉がいると、そういうのも自然と精通してしまうものなんですよ。昔はよく、私の買っていたボンボンと交換して読みあったものです。どの少女漫画が最高だったかというより、少女漫画家では誰が一番かという話に移行しがちだったけど、私はさてなんと言ったかな。武内直子はともかくとして、吉住渉とでも言ったんだったか。そういや、話し相手の知り合いが保育園の保母をやっているそうなんだけど、意外なことに今時のちびっ子にもセーラームーンは人気らしい。プリキュアの間違いじゃないのかと思ったけど、そんなことはないらしい。さすが、セーラームーン程の作品になれば世代を超えて愛されている、ということなんだろうか。驚いたのは小花美穂の近況を聞いたことで、なんかこどものおもちゃ以降は創作意欲が尽き果てたとかで、ここ最近になるまでろくに描いていなかったらしい。まあ、大作を描いた後なんてのはそんなことも珍しくないけど、名前を聞かないと思ったらそういうことになっていたとはね。立川恵もあんな事になっちゃったし、ほんの15年ぐらい前に活躍していた少女漫画家も、今ではほとんど残っていないのかな。年代でいえば、大雑把に言うと種村有菜以前? CLAMPは別格としても、少女漫画界は移り変わりが激しいからね。
漫画の次はテレビの話ということで、主に教育テレビについて話していました。天才てれびくんぐらいなら余裕で初回から見てましたけど、なんかあの番組ってまだやってるらしいですね。ポコ・ア・ポコの最終回とか結構印象的だけど、私はいつまで見てたんだったかな……アリスSOSか、その辺りだろうか? 段々とアニメ路線、もしくはSF路線ともいうべき感じから、ジャニーズ系アイドルやお笑いなどに特化して、歌に踊りにファッションが基本となったことで関心が薄くなったんでしょうね。まだやっていることには驚きだけど、そろそろ放送開始から20年ですか。いっそ、それぐらいまではやって欲しい気もしますけど、教育テレビの番組は前触れもなく終わることが多いですからね。まあ、なんだかんだとおじゃる丸も10年以上やってるし、忍たまの存在も考えればあの辺りの枠は固定と考えてもいいんでしょうけど、何事にも区切りや終焉はありますから。
私が好きだった教育テレビの番組ってのは色々ありますし、比較的どんな番組でも見ていた記憶があります。なんでうちの学校にはポッケが来ないんだとか、そんなことを思ったかどうかは分かりませんけど、一番好きだった番組はなにかと言われれば、虹色定期便を上げるでしょうね。一般的には道徳番組として知られる同シリーズですけど、第1作に限っていえば実はSFドラマでしてね。これがよく作られていて、NHKの完全オリジナルながらも、かなりの完成度だったんですよ。私は当時からSFが大好きだったから、作りこまれた設定含めて大好きだったんでしょう。
教育テレビで忘れちゃいけないのは他に海外ドラマがあって、例えばフルハウスとかアルフとか、ERはちょっと経路が違うけど、あの手の作品も私はよく見ていた記憶がある。最近でいえばパパにはヒ・ミ・ツが好きでしたね。主演俳優が第2シーズンの途中で亡くなってしまうんだけど、新キャラを登場させるなどして本国では第3シーズンまで放送したそうです。なのに、教育テレビでは第2シーズンまでしかやっていないという。NHKに困るところがあるとすれば、主にシリーズの途中放棄ですかね。まあ、完結してないわけじゃなかったから良いんだけどさ。最近じゃiCarlyがいい感じだけど、あれはどちらかと言えばディズニー・チャンネルでやってそうな番組だよね。リアルタイムで観るのは無理だから録画してるけど、個人的に日本オリジナルの投稿コーナーはいらないと思う。
作業自体は物凄い単純なことをしていたので喋りながらも出来たんだけど、世代が同じだと共通点が多くて助かるね。なにせ私は社内では居候の身ですから、孤立はしてなくとも割と孤独な方だから。でまあ、色々話をしたんですよ。昔読んでいた漫画とか、見ていたテレビなんかを。子供の頃に読んでいた少女漫画はなかよしとりぼんのどっちかなんてのは基本的すぎるけど、相手はりぼん派だったかな。なかよしは小学校低学年までだったらしく、私としては少し残念……なんで私が少女漫画の話できるかって? 身内に姉がいると、そういうのも自然と精通してしまうものなんですよ。昔はよく、私の買っていたボンボンと交換して読みあったものです。どの少女漫画が最高だったかというより、少女漫画家では誰が一番かという話に移行しがちだったけど、私はさてなんと言ったかな。武内直子はともかくとして、吉住渉とでも言ったんだったか。そういや、話し相手の知り合いが保育園の保母をやっているそうなんだけど、意外なことに今時のちびっ子にもセーラームーンは人気らしい。プリキュアの間違いじゃないのかと思ったけど、そんなことはないらしい。さすが、セーラームーン程の作品になれば世代を超えて愛されている、ということなんだろうか。驚いたのは小花美穂の近況を聞いたことで、なんかこどものおもちゃ以降は創作意欲が尽き果てたとかで、ここ最近になるまでろくに描いていなかったらしい。まあ、大作を描いた後なんてのはそんなことも珍しくないけど、名前を聞かないと思ったらそういうことになっていたとはね。立川恵もあんな事になっちゃったし、ほんの15年ぐらい前に活躍していた少女漫画家も、今ではほとんど残っていないのかな。年代でいえば、大雑把に言うと種村有菜以前? CLAMPは別格としても、少女漫画界は移り変わりが激しいからね。
漫画の次はテレビの話ということで、主に教育テレビについて話していました。天才てれびくんぐらいなら余裕で初回から見てましたけど、なんかあの番組ってまだやってるらしいですね。ポコ・ア・ポコの最終回とか結構印象的だけど、私はいつまで見てたんだったかな……アリスSOSか、その辺りだろうか? 段々とアニメ路線、もしくはSF路線ともいうべき感じから、ジャニーズ系アイドルやお笑いなどに特化して、歌に踊りにファッションが基本となったことで関心が薄くなったんでしょうね。まだやっていることには驚きだけど、そろそろ放送開始から20年ですか。いっそ、それぐらいまではやって欲しい気もしますけど、教育テレビの番組は前触れもなく終わることが多いですからね。まあ、なんだかんだとおじゃる丸も10年以上やってるし、忍たまの存在も考えればあの辺りの枠は固定と考えてもいいんでしょうけど、何事にも区切りや終焉はありますから。
私が好きだった教育テレビの番組ってのは色々ありますし、比較的どんな番組でも見ていた記憶があります。なんでうちの学校にはポッケが来ないんだとか、そんなことを思ったかどうかは分かりませんけど、一番好きだった番組はなにかと言われれば、虹色定期便を上げるでしょうね。一般的には道徳番組として知られる同シリーズですけど、第1作に限っていえば実はSFドラマでしてね。これがよく作られていて、NHKの完全オリジナルながらも、かなりの完成度だったんですよ。私は当時からSFが大好きだったから、作りこまれた設定含めて大好きだったんでしょう。
教育テレビで忘れちゃいけないのは他に海外ドラマがあって、例えばフルハウスとかアルフとか、ERはちょっと経路が違うけど、あの手の作品も私はよく見ていた記憶がある。最近でいえばパパにはヒ・ミ・ツが好きでしたね。主演俳優が第2シーズンの途中で亡くなってしまうんだけど、新キャラを登場させるなどして本国では第3シーズンまで放送したそうです。なのに、教育テレビでは第2シーズンまでしかやっていないという。NHKに困るところがあるとすれば、主にシリーズの途中放棄ですかね。まあ、完結してないわけじゃなかったから良いんだけどさ。最近じゃiCarlyがいい感じだけど、あれはどちらかと言えばディズニー・チャンネルでやってそうな番組だよね。リアルタイムで観るのは無理だから録画してるけど、個人的に日本オリジナルの投稿コーナーはいらないと思う。
そこにあなたがいたのだから
2011年2月9日 アニメ・マンガ
最近、古いエロゲをなんとなく再プレイすることに凝っています。積んでる作品がいくつもあるくせになにやってるんだって話だけど、感覚的には一度読み終わった本を本棚から引っ張り出して、もう一度読み直すのに近いかも知れない。それでまあ、暁の護衛だったりG線上の魔王だったりと、あれ、よく考えたら全部あかべぇそふとつぅ系列じゃないか。まあ、そういった作品をやっていたりするわけです。私はG線上の魔王はそんなに好きじゃないんだけど、たまたま手の届く範囲にディスクがあったもんで。
暁の護衛はFDまでなら好きなんだけど、続編というか完結編はそんなに好きじゃない。未完成がどうのというより、シナリオのレベルが本当に低いから。作品にあった負の一面をクローズアップしたといっても、なんか中途半端だったしね。それにFDまでのヒロインが軒並み脇役になってしまったのもいただけない。だって、あれだけヒロインがいて、誰のルートからの続編でもないってどうよ。まだパラレルであるとしてくれた方が良かったというか。
まあ、どれが正規ルートであるかなんてのはエロゲで語っても無駄なんでしょうけど、それにしたって……でも、実際に暁の護衛で正ヒロインないしメインシナリオって誰なんだろう? 普通に考えれば麗華なんでしょうけど、海斗の過去に対して密接な繋がりを持っているのはツキですからね。一般的な攻略法としては最初に麗華をやって、最後にツキをやるのがいいと言われてるけど、私はツキが好きだったなぁ。今回、改めてプレイして思ったけど、ツキは一番海斗に合ってるよ。それは単に漫才の相方という意味だけじゃなく、波長というか、結局は生まれが関係しているんだろうけど、互いに気楽というかなんというか。日常的に漫才している二人からは想像も出来ないけど、基本的にどちらも無口であり饒舌などではありえないというのが双方の主人である麗華の評。そのことからも、海斗とツキが特殊な関係にあることが見て取れます。
海斗は基本的に自分の内面を晒すことを潔しとせず、ツキもまた自分の立場から例えイジメに合っていようと我慢するタイプです。互いに自分を押し殺して生活しているわけで、それを唯一開放出来るのが、二人で掛け合いやいたずらをしあっている時というのは、なんとも微笑ましいじゃありませんか。まあ、ツキにしてみれば最初から海斗の存在を怪しいと思っていたわけですから、探りを入れる意味もあったんでしょうけど。
ツキはそのスペックからスキル、キャラクター性と、どれをとっても完璧な存在であり、戦闘能力こそ皆無ですが海斗に匹敵する実力を有しているただ一人のヒロインです。海斗の過去を象徴する存在である杏子が出て来るのもツキルートですし、凄惨としか言いようがない昔の海斗に踏み込むことが出来るのは、同じ場所に生まれ、育ってきたツキだからこそでしょう。
まあ、要するに私はツキが好きなんだという話でしかないんだけど、あれだけ完成されたヒロインってのはそうそういないよ? 単に他のヒロインがレベル低いだけじゃないのかって言われれば否定出来ませんけど。麗華と彩は単なる一目惚れだし、妙だって似たようなものでしょう。萌に関してはなんかわけわからないし。杏子とかその辺はサブヒロインだからともかくとしても、実は暁の護衛ってキャラクター性やシナリオ性という意味でのヒロインの魅力が薄いんじゃないかと思う。ツキにしたって、そんなに濃い内容ではないからね。暁の護衛の欠点はまさにシナリオ面での薄さにあり、それをFDや続編でカバーしようとしたわけだけど、なんか方向性を間違えた気がしないでもない。G線上の魔王が原画家間違えたみたいに、あかべぇ系列のブランドは毎回どこかしら惜しい作品ばっかりな気がする。
なんとなくG線上の魔王もプレイしてみたけど、あれも色々と物足りない。構成は見事ではないにせよ作りこまれている方だと思いますが、有葉の絵がねぇ。声優も豪華だっただけに残念でならない。
まあ、積んでいるエロゲを消化しないといけないから、これぐらいにしておきます。1月分がなかったから、2月分が出る前に追いつかせることも不可能では……ない、か? 原稿忙しいから無理だろうけどね。というか、いい加減に原稿の方を書き進めないといけないから、エロゲなんてやっている場合じゃないんだった。どうにも最近筆のノリが良くないんだけど、この不調の原因はどこにあるのか。病み上がりだからってわけじゃないだろうが、基本的に加速しだすまでが遅いからね。そろそろなんとかしなくちゃいけないとは分かってるんだけど、こればっかりはどうにも……エロゲを封印するなんてことは私にはできませんが、やるときはやらないと後で大変なことになりますから。頑張ってはいるんですけどねぇ、どうにも上手くいかない。から回っている最近の私です。
暁の護衛はFDまでなら好きなんだけど、続編というか完結編はそんなに好きじゃない。未完成がどうのというより、シナリオのレベルが本当に低いから。作品にあった負の一面をクローズアップしたといっても、なんか中途半端だったしね。それにFDまでのヒロインが軒並み脇役になってしまったのもいただけない。だって、あれだけヒロインがいて、誰のルートからの続編でもないってどうよ。まだパラレルであるとしてくれた方が良かったというか。
まあ、どれが正規ルートであるかなんてのはエロゲで語っても無駄なんでしょうけど、それにしたって……でも、実際に暁の護衛で正ヒロインないしメインシナリオって誰なんだろう? 普通に考えれば麗華なんでしょうけど、海斗の過去に対して密接な繋がりを持っているのはツキですからね。一般的な攻略法としては最初に麗華をやって、最後にツキをやるのがいいと言われてるけど、私はツキが好きだったなぁ。今回、改めてプレイして思ったけど、ツキは一番海斗に合ってるよ。それは単に漫才の相方という意味だけじゃなく、波長というか、結局は生まれが関係しているんだろうけど、互いに気楽というかなんというか。日常的に漫才している二人からは想像も出来ないけど、基本的にどちらも無口であり饒舌などではありえないというのが双方の主人である麗華の評。そのことからも、海斗とツキが特殊な関係にあることが見て取れます。
海斗は基本的に自分の内面を晒すことを潔しとせず、ツキもまた自分の立場から例えイジメに合っていようと我慢するタイプです。互いに自分を押し殺して生活しているわけで、それを唯一開放出来るのが、二人で掛け合いやいたずらをしあっている時というのは、なんとも微笑ましいじゃありませんか。まあ、ツキにしてみれば最初から海斗の存在を怪しいと思っていたわけですから、探りを入れる意味もあったんでしょうけど。
ツキはそのスペックからスキル、キャラクター性と、どれをとっても完璧な存在であり、戦闘能力こそ皆無ですが海斗に匹敵する実力を有しているただ一人のヒロインです。海斗の過去を象徴する存在である杏子が出て来るのもツキルートですし、凄惨としか言いようがない昔の海斗に踏み込むことが出来るのは、同じ場所に生まれ、育ってきたツキだからこそでしょう。
まあ、要するに私はツキが好きなんだという話でしかないんだけど、あれだけ完成されたヒロインってのはそうそういないよ? 単に他のヒロインがレベル低いだけじゃないのかって言われれば否定出来ませんけど。麗華と彩は単なる一目惚れだし、妙だって似たようなものでしょう。萌に関してはなんかわけわからないし。杏子とかその辺はサブヒロインだからともかくとしても、実は暁の護衛ってキャラクター性やシナリオ性という意味でのヒロインの魅力が薄いんじゃないかと思う。ツキにしたって、そんなに濃い内容ではないからね。暁の護衛の欠点はまさにシナリオ面での薄さにあり、それをFDや続編でカバーしようとしたわけだけど、なんか方向性を間違えた気がしないでもない。G線上の魔王が原画家間違えたみたいに、あかべぇ系列のブランドは毎回どこかしら惜しい作品ばっかりな気がする。
なんとなくG線上の魔王もプレイしてみたけど、あれも色々と物足りない。構成は見事ではないにせよ作りこまれている方だと思いますが、有葉の絵がねぇ。声優も豪華だっただけに残念でならない。
まあ、積んでいるエロゲを消化しないといけないから、これぐらいにしておきます。1月分がなかったから、2月分が出る前に追いつかせることも不可能では……ない、か? 原稿忙しいから無理だろうけどね。というか、いい加減に原稿の方を書き進めないといけないから、エロゲなんてやっている場合じゃないんだった。どうにも最近筆のノリが良くないんだけど、この不調の原因はどこにあるのか。病み上がりだからってわけじゃないだろうが、基本的に加速しだすまでが遅いからね。そろそろなんとかしなくちゃいけないとは分かってるんだけど、こればっかりはどうにも……エロゲを封印するなんてことは私にはできませんが、やるときはやらないと後で大変なことになりますから。頑張ってはいるんですけどねぇ、どうにも上手くいかない。から回っている最近の私です。
ブラフマン OVERBOOST(2) (CR COMICS)
2011年2月8日 アニメ・マンガ
いつの間にか2巻が出ていたので買ってきました。再開当初や1巻発売時はそれなりの話題を持って迎えられていたけど、2巻はそうでもなさそうですね。特典をつける店舗は前回と殆ど買わないけど、共通特典が廃止されてまんが王倶楽部だけになっていた。後は、とらのあなとCOMIC ZINがそれぞれ描き下ろしを付けてましたね。一番可愛いのが通販でしか買えないまんが王ってのは、私に対する挑戦なんだろうか。とりあえず、とらとZINで買いましたけど、さて残る1枚はどうしようかな。つぐみが可愛すぎるから困る。
ラッシュの電子書籍化への移行が発表されて、そういやCRコミックにはどれぐらい影響があるんでしょうか? さすがにコミックスを出さないなんてことはないでしょうけど、電子書籍の売り上げが芳しくなければコミックス化しても採算が取れないと判断される可能性は大いにあるし、少し不安を覚えます。まあ、ブラフマンに関していえば後2冊もすれば完結するような気がしないでもないけど、基本的に作中の時間経過がゆっくりな作品ですからね。最終的に全5巻ぐらいのボリュームになっても、まあ、おかしくはないのかな。
折角再開することができたんだから、電子書籍に移行しようとも作品が完結するまで、もっといえば打ち切りとかそういうことにならずに書き続けてもらいたいんですけど、貴島煉瓦自身はコンプエースでの連載とか初めてますし、ちょっと雲行きがあやしくはなってきましたよね。一度休載という形になった作品だし、煉瓦の中でブラフマンに関するモチベーションがどんな感じになってるのかは分からないけど、途中で投げ出すことがないようにお願いしたいものです。コンプエースの方はコミカライズでしたっけ? まだ読んでないからなんとも言えないけど、スニーカーや電撃の大賞ってのはねぇ。正直、大賞作品なんてのは毎回出さなくてもいいと思うんだけど、あそこら辺は無理矢理にでも大賞を上げちゃうから、結構微妙なことになってると思う。煉瓦がラノベのコミカライズを担当するのは初めてじゃないけど、あのときは自分が挿絵描いていた作品をそのまま担当しただけだったから、こういう形のコミカライズは、スマガ以来になるのかな。まあ、あれはエロゲだったけど。煉瓦は割と速筆な方だから、連載を複数本抱えていても問題はないはずですが、ブラフマンが救済したときが似たような感じだったので、ちょっとね……杞憂で済めばいいが。
第1巻の時点では、休載前の原稿も入っていたわけだけど、今回はつぐみのおまけ漫画を除けば全部OVERBOOSTになってからの話でした。新キャラである飛鳥翠が鳴と佳耶の秘密を知ってしまうのだけど、その前にちょっと1巻読み直して気付いたのだけど、佳耶の名前の表記が凄くバラバラだった。OVERBOOST以降は佳耶なんだけど、休載前は佳弥だし、連載再開直後は佳那になってた。一体どれが正式表記なんだろうね。煉瓦はこういう所が適当だったりするというか、普通こういうミスは編集が気付くべきなんだけど、コミックス化の時点で何故修正できなかったんだろう。
まあ、それはいいとして、飛鳥翠のキャラクターって結構不思議だよね。織葉の弟である和刃のクラスメイトであり、同時に佳弥のクラスメイトでもあるわけだけど、本人は和刃の事をが好きなため、佳耶に対して少なからず思うところがある、そんな少女。ハッキリ言って物語の本筋にはまったく関係ないキャラだし、茜以上に一般人というカテゴリーに属しているわけだけど、秘密を知られた際も織葉の人徳もとい達観した考え方に影響されてか、大きな問題にはなりませんでした。まあ、その場の勢いで和刃に対して告白とかしてましたけど。
しかし、佳耶の方は和刃と翠のことをどう思ってるんでしょうね? 和刃は自分のことが好きであると指摘されてもまるで動じていませんでしたし、もっといえばその程度のことはとっくに気付いていたんじゃないか、という感じもする。心を読むぐらいの芸当は簡単に出来るだろうし、もっといえばつぐみでさえ気付くほどに和刃は分かりやすかったですし。まあ、佳耶も和刃のことは嫌いではないだろうし、意識していないわけではないんだろうけど、初めて会った際に否定されたときに比べて、ほとんど感情が死んでますからね。始終笑顔を絶やさないというのは、それが素であるというよりは、そういった仮面を作って被っているという感じなんじゃないかと。鳴だって本当は熱いものを持っているのに、初登場時は無気力な面倒臭がりを演じていましたしね。抱え込んでいるものもそうですけど、よく似た2人だと思います。
和刃自身は佳耶のことが好きである以上、翠はクラスメイトないし友人でしかないわけだけど、告白されて動揺しないわけもなく、結構複雑らしい。まあ、想い人である佳耶は鳴と距離を縮めてしまっているし、自分にしたところで想いを伝えるなど素直に気持ちを表現できているわけじゃないからね。別に鳴と佳耶の間に恋愛感情や関係は存在しないだろうけど、ちょっと気になる流れではあります。
しかしまあ、特筆すべき部分はそれぐらいで、話的には特に進みもしなかったかな。サンサーラがさらにパワーアップするらしいということと、響が本格的に動き出し、凛が反逆を企てていることぐらいか。何気に凛が響の実子であることが示俊されてましたけど、こいうのが全部明らかになることはあるのだろうか? まあ、電子書籍を買うかどうか決めかねている部分があるので、今後の展開についてはコミックスが出ないことには始まらない、なんてことにはなるかも知れない。
ラッシュの電子書籍化への移行が発表されて、そういやCRコミックにはどれぐらい影響があるんでしょうか? さすがにコミックスを出さないなんてことはないでしょうけど、電子書籍の売り上げが芳しくなければコミックス化しても採算が取れないと判断される可能性は大いにあるし、少し不安を覚えます。まあ、ブラフマンに関していえば後2冊もすれば完結するような気がしないでもないけど、基本的に作中の時間経過がゆっくりな作品ですからね。最終的に全5巻ぐらいのボリュームになっても、まあ、おかしくはないのかな。
折角再開することができたんだから、電子書籍に移行しようとも作品が完結するまで、もっといえば打ち切りとかそういうことにならずに書き続けてもらいたいんですけど、貴島煉瓦自身はコンプエースでの連載とか初めてますし、ちょっと雲行きがあやしくはなってきましたよね。一度休載という形になった作品だし、煉瓦の中でブラフマンに関するモチベーションがどんな感じになってるのかは分からないけど、途中で投げ出すことがないようにお願いしたいものです。コンプエースの方はコミカライズでしたっけ? まだ読んでないからなんとも言えないけど、スニーカーや電撃の大賞ってのはねぇ。正直、大賞作品なんてのは毎回出さなくてもいいと思うんだけど、あそこら辺は無理矢理にでも大賞を上げちゃうから、結構微妙なことになってると思う。煉瓦がラノベのコミカライズを担当するのは初めてじゃないけど、あのときは自分が挿絵描いていた作品をそのまま担当しただけだったから、こういう形のコミカライズは、スマガ以来になるのかな。まあ、あれはエロゲだったけど。煉瓦は割と速筆な方だから、連載を複数本抱えていても問題はないはずですが、ブラフマンが救済したときが似たような感じだったので、ちょっとね……杞憂で済めばいいが。
第1巻の時点では、休載前の原稿も入っていたわけだけど、今回はつぐみのおまけ漫画を除けば全部OVERBOOSTになってからの話でした。新キャラである飛鳥翠が鳴と佳耶の秘密を知ってしまうのだけど、その前にちょっと1巻読み直して気付いたのだけど、佳耶の名前の表記が凄くバラバラだった。OVERBOOST以降は佳耶なんだけど、休載前は佳弥だし、連載再開直後は佳那になってた。一体どれが正式表記なんだろうね。煉瓦はこういう所が適当だったりするというか、普通こういうミスは編集が気付くべきなんだけど、コミックス化の時点で何故修正できなかったんだろう。
まあ、それはいいとして、飛鳥翠のキャラクターって結構不思議だよね。織葉の弟である和刃のクラスメイトであり、同時に佳弥のクラスメイトでもあるわけだけど、本人は和刃の事をが好きなため、佳耶に対して少なからず思うところがある、そんな少女。ハッキリ言って物語の本筋にはまったく関係ないキャラだし、茜以上に一般人というカテゴリーに属しているわけだけど、秘密を知られた際も織葉の人徳もとい達観した考え方に影響されてか、大きな問題にはなりませんでした。まあ、その場の勢いで和刃に対して告白とかしてましたけど。
しかし、佳耶の方は和刃と翠のことをどう思ってるんでしょうね? 和刃は自分のことが好きであると指摘されてもまるで動じていませんでしたし、もっといえばその程度のことはとっくに気付いていたんじゃないか、という感じもする。心を読むぐらいの芸当は簡単に出来るだろうし、もっといえばつぐみでさえ気付くほどに和刃は分かりやすかったですし。まあ、佳耶も和刃のことは嫌いではないだろうし、意識していないわけではないんだろうけど、初めて会った際に否定されたときに比べて、ほとんど感情が死んでますからね。始終笑顔を絶やさないというのは、それが素であるというよりは、そういった仮面を作って被っているという感じなんじゃないかと。鳴だって本当は熱いものを持っているのに、初登場時は無気力な面倒臭がりを演じていましたしね。抱え込んでいるものもそうですけど、よく似た2人だと思います。
和刃自身は佳耶のことが好きである以上、翠はクラスメイトないし友人でしかないわけだけど、告白されて動揺しないわけもなく、結構複雑らしい。まあ、想い人である佳耶は鳴と距離を縮めてしまっているし、自分にしたところで想いを伝えるなど素直に気持ちを表現できているわけじゃないからね。別に鳴と佳耶の間に恋愛感情や関係は存在しないだろうけど、ちょっと気になる流れではあります。
しかしまあ、特筆すべき部分はそれぐらいで、話的には特に進みもしなかったかな。サンサーラがさらにパワーアップするらしいということと、響が本格的に動き出し、凛が反逆を企てていることぐらいか。何気に凛が響の実子であることが示俊されてましたけど、こいうのが全部明らかになることはあるのだろうか? まあ、電子書籍を買うかどうか決めかねている部分があるので、今後の展開についてはコミックスが出ないことには始まらない、なんてことにはなるかも知れない。
宝箱の中を覗きながら
2011年2月7日 アニメ・マンガ久しぶりに職場へ行きました。先週はなんだかんだと4日間も休んでしまい、小心者の私は内心不安もあったんですけど、さすがに流行病ともなれば仕方がない的な感じで、まあ、温かく迎えてもらえたかも知れない。復帰早々仕事があるということで、居候中の出版社主催している新人賞に届いた原稿をチェックする、簡単なようで難しい仕事を一日中ずっとしてました。これがまた、数がそれほどでもないんだけど綴じ方とか原稿形態の規定が緩かったせいで、結構乱雑でね。要するに、手書き読みにくいって奴です。
一般的に新人賞の投稿作品といえば、まず下読みと呼ばれる方々に原稿が割り振られ、そこから選ばれた作品が初めて選考員や審査員といった人達の眼に触れるわけだけど、私がやったのはそんな下読みに送る原稿をチェックして、まあ、色々するという一番最初の段階です。私も立場的にその賞に少なからず関わっていたので、忙しい編集部に変わって雑用感覚で引き受けたのですが……さすがに1日で片付く量じゃなかった。ライトノベルではないから、投稿数は三桁とかその程度なんだけど、それを私含めて片手にも満たない人数で捌いていくわけですから、これが割と大変なんですよ。
それでまあ、原稿をチラ見程度に読んでいったわけだけど、正直なんとも言えない気分になった。よく、ラノベの新人賞は若い奴ばっかりが送ってくるから読めたもんじゃない作品ばかりだという意見があって、それはその通りなんだけど、ぶっちゃけると普通の文芸とかミステリーとかも大差ないな、と改めて実感した気がする。あんまり偉そうなことはいえないけど、年配層が多く投稿してくるような新人賞だからといって、文章的、もしくは内容的に必ずしも優れているわけじゃないんだよね。まあ、内容に関しては私の趣味も多分に含まれるのかも知れないけど、あれはちょっとなぁ。私も自分の原稿を紛れ込ませるぐらいしたかったのだけど、あいにくと立場的に出来なくて。この辺り、出版社に席を置いている人間のデメリットだよね。さすがに自分のところの賞には出せないだろう。
まあ、あの原稿の束に金の卵があるかどうかは、下読みや選考員に頑張って貰いたいところですが、それなりに読める感じの作品もチラホラあったから、なにかしら出るんじゃないでしょうか。該当作なしなんて珍しいことじゃないけど、やっぱりないと寂しいじゃないの。折角募集したのにさ。
新人賞ってのは大抵は半年以上の募集期間があって、例えば毎年開催のものは1年ぐらいの期間がありますよね? 勿論、作品は徐々に集まって来て、最終的に何百、何千通届きましたーって感じになるわけだけど、原稿の配達が集中する時期ってのがあったりします。一つは勿論、最終締切及びその付近。すべり込みの投稿って奴ですね。宅急便や郵便がどっと届くなんてことは、新人賞を開催している出版社だと珍しくもない光景です。
そしてもう一つは、意外に思われるかも知れませんが募集を掛けた直後です。早いものなら、募集期間の初日に届くものだってある。どうしてそんなことが可能なのかというと、その手の原稿は所謂書きためという奴で、予め用意してあった投稿用作品です。作家志望の場合、そういうのを常にいくつか持っていたりするんですよ。別に問題があるわけじゃないし、よく書けていれば全然構わないんだけど、後から届く作品と決定的に違うものがそれらの原稿にあります。後から送られてくる原稿は、当然ながらその新人賞に送るため書かれた作品であり、募集要項やそのレーベルの色合いなどを少なからず意識したものになっています。というか、大抵の投稿作品ってのはそういうものでしょう。しかし、書きための原稿を送るというのはどんな出版社にも送れるように書かれているものが多いため、そのレーベルっぽさに欠けることが多いのです。当たり前の話、出版社としては自分の会社にあった作品を選びますし、うちに合う合わないというのは確かに存在します。
だから、書きためた原稿を所有している人はここに送っても問題はないではなくて、ここに送ったほうがいいという賞を探したほうが思う。広義のファンタジーとかSFとか書いてあるし大丈夫だよね、なんていう考えはあまり喜ばれないから。
原稿の量が相当なので、今週はこの仕事に縛られっぱなしだと思いますけど、原稿を読む側の立場になってみると、送る側はこうしたほうが良いというのが分かって、かなり勉強になりますね。まあ、こういう仕事するの初めてじゃないけど、簡単に言うと送る側が考える、受け取る側、読む側に対する配慮なんてものは全然役に立たないってこと。原稿は紐で縛ってないほうが嬉しいし、発送手段はレターパックが一番楽。そしてなにより、手書きよりワープロ原稿じゃないと読む気がしない。手書きOKなんてのは、今や建前でしかない時代なんでしょうね。まあ、達筆ならまだしも、ノートに鉛筆書きの原稿とか送ってこないでください。
一般的に新人賞の投稿作品といえば、まず下読みと呼ばれる方々に原稿が割り振られ、そこから選ばれた作品が初めて選考員や審査員といった人達の眼に触れるわけだけど、私がやったのはそんな下読みに送る原稿をチェックして、まあ、色々するという一番最初の段階です。私も立場的にその賞に少なからず関わっていたので、忙しい編集部に変わって雑用感覚で引き受けたのですが……さすがに1日で片付く量じゃなかった。ライトノベルではないから、投稿数は三桁とかその程度なんだけど、それを私含めて片手にも満たない人数で捌いていくわけですから、これが割と大変なんですよ。
それでまあ、原稿をチラ見程度に読んでいったわけだけど、正直なんとも言えない気分になった。よく、ラノベの新人賞は若い奴ばっかりが送ってくるから読めたもんじゃない作品ばかりだという意見があって、それはその通りなんだけど、ぶっちゃけると普通の文芸とかミステリーとかも大差ないな、と改めて実感した気がする。あんまり偉そうなことはいえないけど、年配層が多く投稿してくるような新人賞だからといって、文章的、もしくは内容的に必ずしも優れているわけじゃないんだよね。まあ、内容に関しては私の趣味も多分に含まれるのかも知れないけど、あれはちょっとなぁ。私も自分の原稿を紛れ込ませるぐらいしたかったのだけど、あいにくと立場的に出来なくて。この辺り、出版社に席を置いている人間のデメリットだよね。さすがに自分のところの賞には出せないだろう。
まあ、あの原稿の束に金の卵があるかどうかは、下読みや選考員に頑張って貰いたいところですが、それなりに読める感じの作品もチラホラあったから、なにかしら出るんじゃないでしょうか。該当作なしなんて珍しいことじゃないけど、やっぱりないと寂しいじゃないの。折角募集したのにさ。
新人賞ってのは大抵は半年以上の募集期間があって、例えば毎年開催のものは1年ぐらいの期間がありますよね? 勿論、作品は徐々に集まって来て、最終的に何百、何千通届きましたーって感じになるわけだけど、原稿の配達が集中する時期ってのがあったりします。一つは勿論、最終締切及びその付近。すべり込みの投稿って奴ですね。宅急便や郵便がどっと届くなんてことは、新人賞を開催している出版社だと珍しくもない光景です。
そしてもう一つは、意外に思われるかも知れませんが募集を掛けた直後です。早いものなら、募集期間の初日に届くものだってある。どうしてそんなことが可能なのかというと、その手の原稿は所謂書きためという奴で、予め用意してあった投稿用作品です。作家志望の場合、そういうのを常にいくつか持っていたりするんですよ。別に問題があるわけじゃないし、よく書けていれば全然構わないんだけど、後から届く作品と決定的に違うものがそれらの原稿にあります。後から送られてくる原稿は、当然ながらその新人賞に送るため書かれた作品であり、募集要項やそのレーベルの色合いなどを少なからず意識したものになっています。というか、大抵の投稿作品ってのはそういうものでしょう。しかし、書きための原稿を送るというのはどんな出版社にも送れるように書かれているものが多いため、そのレーベルっぽさに欠けることが多いのです。当たり前の話、出版社としては自分の会社にあった作品を選びますし、うちに合う合わないというのは確かに存在します。
だから、書きためた原稿を所有している人はここに送っても問題はないではなくて、ここに送ったほうがいいという賞を探したほうが思う。広義のファンタジーとかSFとか書いてあるし大丈夫だよね、なんていう考えはあまり喜ばれないから。
原稿の量が相当なので、今週はこの仕事に縛られっぱなしだと思いますけど、原稿を読む側の立場になってみると、送る側はこうしたほうが良いというのが分かって、かなり勉強になりますね。まあ、こういう仕事するの初めてじゃないけど、簡単に言うと送る側が考える、受け取る側、読む側に対する配慮なんてものは全然役に立たないってこと。原稿は紐で縛ってないほうが嬉しいし、発送手段はレターパックが一番楽。そしてなにより、手書きよりワープロ原稿じゃないと読む気がしない。手書きOKなんてのは、今や建前でしかない時代なんでしょうね。まあ、達筆ならまだしも、ノートに鉛筆書きの原稿とか送ってこないでください。
今昔話にするのはまだ早い
2011年2月6日 アニメ・マンガ池袋サンシャインシティで行われたサンシャインクリエイション50に参加してきました。記念すべき50回目の開催なんですが、その割には使用ホール数が2ホール半と従来のサンクリに比べてこれでもかというぐらい規模が縮小していましたね。情報流出の不祥事から2年以上過ぎたわけだけど、その間も勢力を取り戻すどころか、衰退の一途をたどっていたようです。このところは3ホール開催がデフォルトのようになっていましたが、まさか、A23ホールを半分しか使わない日が来ようとはね。さすがにもう、終わりが見えてきたんじゃないでしょうか。
元々年明けのサンクリというのは2月開催じゃなくて1月開催だったんですが、Cレヴォの終了から生じたポスト・レヴォ争いの影響でクリエイション事務局が日程を移動させたという経緯があります。1月開催というのは年末の冬コミが終了してから間もないこともあり、当然大手の参加は少ないですし、新刊を出すところも多くはありません。冬コミで新刊を落としたところが出すぐらいで、イベント開催時期としては確かに微妙ではあったんですよね。それが2月に移ったことでサークルにもいくらか余裕が出来たのか、新年最初のイベントにサンクリを選ぶところも多くなって、一時期はかなり活気に溢れていました。バレンタインが近いということもあって、それをネタにした本やグッズも増える感じで。
だから、2月のサンクリというのは本来年4回開催の中でも結構賑わいを見せていたんですけど、今回の状況からすると、それはもう過去のことと考えたほうがいいみたいです。ハッキリ言って見る影もないほど、イベントとして衰退してしまったと思う。Cレヴォ終了以降、中規模即売会はサンクリぐらいという現状から躍進してきたわけだけど、それもここまでみたいだね。50回記念で、記念本やサンクリ弁当といった企画まで打ち出しているのに、参加サークルは減る一方で、参加者の入りもよくないという現実を見てしまうと……私はサンクリよりもCレヴォが好きだった人だけど、それでもサンクリに思い入れがないわけじゃないから、ちょっと複雑ではあります。ただ、ああいうことを起こしてしまったのは事実ですし、それ以外にも問題がなかったわけじゃないから、仕方ないのかも知れないけど。まあ、問題なんてイベントには大なり小なりあると思いますが、私の贔屓にしているサークルも被害にあったとかで、サンクリには参加しなくなってしまいましたし。影響は確実にあったんですよ。
会場についたのは9時ぐらいで、開場の2時間前ですか。早いかな、とも思ったんですが、私の認識では2月のサンクリはそれなりに人も多い感じだったからね。結果として、ほとんどではないにせよ、あんまり人はいませんでした。カタログと、一応記念本を購入して列で待機。サンクリといえばカタログにやたら偉そうなことが書いてあることで有名ですけど、最近はその論調も控え目になったと思う。それはそれ、これはこれだというのは分かっていても、やっぱり思うところはあるのかな。
私はヨスガ本を買いに来ただけだから、特にこれといった用があるわけではありませんでした。なにせ好きなサークルは一つも出てないし、本当にジャンル買いをしに来たって感じで。調べたところ、書店委託をしないところが多そうだったんでね。後、コピー本とかもありましたし。一箇所はコミケでも壁に配置されるようなサークルだったから並ぶかと思ったんだけど、開場して真っ先に向かってみると、列らしい列もなくてあっさり買えてしまった。その後はまあ、ヨスガ本を回収しながら会場内を見て回ったんだけど……さすがに冬アニメの本は少なかった、というか私の見た限りではなかったような気がする。秋アニメにしたところでなにがあるってわけでもなかったけど、そういやミルキィ本とかなかった気がする。ミルキィは同人誌としての需要がないんですかね? 俺妹はそれなりだったと思うけど、なんていうか息が短い作品ばっかになった。作品をその場限りの消耗品としてアニメ化を続けているのが今のアニメ業界だけど、同人業界もそういった風潮に対する影響を受けているのかもね。一時期のように息が長いジャンルというのが出てこないのは、単純にパロディ元の人気が長続きしないからなんでしょう。考えて見れば、なのはが今も同人ジャンルとしてそれなりの勢力を保っているのは、どんな形にせよ原作が続いているからですし。そう考えると、1クール消費型でアニメ乱発している現状から、人気同人ジャンルが生まれないのも納得出来るのかも知れない。
サンクリが持ち直すかどうか分かりませんけど、同人業界自体そんなに面白い状況にはないんじゃないかって、そんな気がするイベントだった。少なくとも、いい状況や傾向にないことだけは確かだよね。まあ、今回に限ってはワンフェスと開催日が被ったというのもあるんだろうけど、そんなの前例がないわけじゃないし、そもそも参加層が違うでしょう。
パロディが圧倒的な数を占める同人業界にって、やっぱり面白い原作ってのは必要不可欠なんですよ。他力本願に聞こえるかも知れないけど、同人誌には人気作品にあやかるみたいなところがあるから、図々しくもそんなことを思ってしまうわけです。救われない世界だとは思うけど、これが楽しいんだから仕方ない。
元々年明けのサンクリというのは2月開催じゃなくて1月開催だったんですが、Cレヴォの終了から生じたポスト・レヴォ争いの影響でクリエイション事務局が日程を移動させたという経緯があります。1月開催というのは年末の冬コミが終了してから間もないこともあり、当然大手の参加は少ないですし、新刊を出すところも多くはありません。冬コミで新刊を落としたところが出すぐらいで、イベント開催時期としては確かに微妙ではあったんですよね。それが2月に移ったことでサークルにもいくらか余裕が出来たのか、新年最初のイベントにサンクリを選ぶところも多くなって、一時期はかなり活気に溢れていました。バレンタインが近いということもあって、それをネタにした本やグッズも増える感じで。
だから、2月のサンクリというのは本来年4回開催の中でも結構賑わいを見せていたんですけど、今回の状況からすると、それはもう過去のことと考えたほうがいいみたいです。ハッキリ言って見る影もないほど、イベントとして衰退してしまったと思う。Cレヴォ終了以降、中規模即売会はサンクリぐらいという現状から躍進してきたわけだけど、それもここまでみたいだね。50回記念で、記念本やサンクリ弁当といった企画まで打ち出しているのに、参加サークルは減る一方で、参加者の入りもよくないという現実を見てしまうと……私はサンクリよりもCレヴォが好きだった人だけど、それでもサンクリに思い入れがないわけじゃないから、ちょっと複雑ではあります。ただ、ああいうことを起こしてしまったのは事実ですし、それ以外にも問題がなかったわけじゃないから、仕方ないのかも知れないけど。まあ、問題なんてイベントには大なり小なりあると思いますが、私の贔屓にしているサークルも被害にあったとかで、サンクリには参加しなくなってしまいましたし。影響は確実にあったんですよ。
会場についたのは9時ぐらいで、開場の2時間前ですか。早いかな、とも思ったんですが、私の認識では2月のサンクリはそれなりに人も多い感じだったからね。結果として、ほとんどではないにせよ、あんまり人はいませんでした。カタログと、一応記念本を購入して列で待機。サンクリといえばカタログにやたら偉そうなことが書いてあることで有名ですけど、最近はその論調も控え目になったと思う。それはそれ、これはこれだというのは分かっていても、やっぱり思うところはあるのかな。
私はヨスガ本を買いに来ただけだから、特にこれといった用があるわけではありませんでした。なにせ好きなサークルは一つも出てないし、本当にジャンル買いをしに来たって感じで。調べたところ、書店委託をしないところが多そうだったんでね。後、コピー本とかもありましたし。一箇所はコミケでも壁に配置されるようなサークルだったから並ぶかと思ったんだけど、開場して真っ先に向かってみると、列らしい列もなくてあっさり買えてしまった。その後はまあ、ヨスガ本を回収しながら会場内を見て回ったんだけど……さすがに冬アニメの本は少なかった、というか私の見た限りではなかったような気がする。秋アニメにしたところでなにがあるってわけでもなかったけど、そういやミルキィ本とかなかった気がする。ミルキィは同人誌としての需要がないんですかね? 俺妹はそれなりだったと思うけど、なんていうか息が短い作品ばっかになった。作品をその場限りの消耗品としてアニメ化を続けているのが今のアニメ業界だけど、同人業界もそういった風潮に対する影響を受けているのかもね。一時期のように息が長いジャンルというのが出てこないのは、単純にパロディ元の人気が長続きしないからなんでしょう。考えて見れば、なのはが今も同人ジャンルとしてそれなりの勢力を保っているのは、どんな形にせよ原作が続いているからですし。そう考えると、1クール消費型でアニメ乱発している現状から、人気同人ジャンルが生まれないのも納得出来るのかも知れない。
サンクリが持ち直すかどうか分かりませんけど、同人業界自体そんなに面白い状況にはないんじゃないかって、そんな気がするイベントだった。少なくとも、いい状況や傾向にないことだけは確かだよね。まあ、今回に限ってはワンフェスと開催日が被ったというのもあるんだろうけど、そんなの前例がないわけじゃないし、そもそも参加層が違うでしょう。
パロディが圧倒的な数を占める同人業界にって、やっぱり面白い原作ってのは必要不可欠なんですよ。他力本願に聞こえるかも知れないけど、同人誌には人気作品にあやかるみたいなところがあるから、図々しくもそんなことを思ってしまうわけです。救われない世界だとは思うけど、これが楽しいんだから仕方ない。
今日はハルと穹の誕生日でした。予定では久々にネット用のSSでもと思ってたんですが、あいにくと流行病にかかってしまい、文章を書くことが出来なくて。楽しみにしていた方がいたのかは分からないけど、また別の形で公開出来ればと思っています。結局、同人誌になってしまいそうな予感がするんだけど、それじゃあ本末転倒なんだよな……まあ、その辺に関しては色々考えていきましょう。ちなみに月曜から金曜までの日記は病に倒れていたためお休みです。
文章は用意できなかったけど、ハルと穹のお祝いをなにもしないわけにもいかなかったので、製作途中でずっと止まっていた春日野悠botをこの機会に完成させることにしました。
URL:http://twitter.com/haruka_k_bot
折角の誕生日だし、初公開としてはこれ以上に最適なときはないかなって。それに、日頃頑張ってくれている穹botへの、ささやかですが私からのプレゼントという意味もありますし。穹botと私のアカウントのフォロワーを見ればわかると思うんだけど、ハルbotのアカウント自体は、それこそ穹と同時期に取得していたんですよ。けど、穹botの制作に時間が掛かってしまい、続けてハルbotの制作を行うだけの余裕がなくて。だから、アカウントだけ先にとっておいて、長く鍵をかけて放置という状態が続いてました。アニメ化前とか、アニメ終了後とか、そういったときに公開させようかと準備をしていたこともあったんですけど、穹と違ってハルは台詞を用意するだけでも結構問題が発生して、一日二日じゃとても出来そうもないと断念することがしばしばありました。
基本的には穹botと変わらないんだけど、ハルの場合は台詞よりも地の文が多い関係で、それをツイートさせるべきかどうかでかなり悩みました。穹の場合は9割以上が台詞ですけど、ハルでそれをやってしまうと非常に簡素となってしまうというか、面白みがない。それに、穹は基本的にハルとの会話シーンが大多数を占めるけど、ハルは他キャラとの絡みもありますからね。なので、地の文もあったほうが色々と楽しいかなと、そう思って。ただ、地の文ってのは本来台詞ではなく説明とか内心とかの部類だから、botの呟きとして適しているかはまた別問題なんですよ。それに、穹シナリオに限定しても膨大な数がありますからね。必然的にデータの総量が穹の倍じゃ効かなくなる。そこら辺の調整も大変でした。
仕様としては、一応穹シナリオにおけるハルの台詞をほとんどと、地の文もツイートに適していると判断したものを中心に入れてあります。でも、まだ様子見という感じも強くて、地の文ってのは台詞と違って長文の場合が多いから、例えば携帯なんかでTwitterを見ると凄く文字数が多く感じるんですよ。まあ、穹の口数が少なくいから余計に感じてしまうのかも知れないけど、比較するとやっぱりね……必要無さそうなのは徐々に削っていこうと思う。特に湖のシーンにおける呻き声まで入れてしまったから、唐突にハルが呻いたりしてなんか微妙な気分になってしまった。喘ぎ声ならまだしも、見ていて楽しい物じゃないと思うし、これに関しては時間作って調整を行おうかなと。修羅場シーンやえっちぃシーンの台詞は、穹と同じくTwitterの性質上すべてカットしてしまいましたけど、割とギリギリなところで残したものとかもあるから、そういうのを呟いたときは優しい視線で見守ってあげてください。
リプライ機能に関しては、現在未実装になっています。穹のときはシステムボイス集からそれっぽいものを流用することでなんとかなったんだけど、ハルはどうしたもんかな。作中の台詞を全部調べて、使えそうなのを用意するのが一番良いんだろうけど、かなり時間が掛かるよね、それだと。まあ、ないよりはあったほうがいいと思うので、なんとかしますけど。最終目標としてはbot同士の会話を行うことで、これは機能的には可能なんだけど、これは相当手間が掛かる作業なので地道に進めていきます。だって、ハルと穹が会話とかしだしたら素敵じゃないですか? そんな素晴らしい光景を見るためにも、頑張らなくては。
ハルbotの公開をする最中、穹botは誕生日仕様ということでいつかのバースデーメッセージを呟かせてみました。丁度、24時間掛けて2周出来る感じだったので、まあ、上手く言ったかなと。公式サイトで昔公開されていた奴ですけど、ヨスガノソラのゲームファイルにも収録されているから、オリジナルを聴く方法はいくらでもありますね。ミニドラマとか短い穹のボイスは沢山ありますけど、私はバースデーのが一番好きかなぁ。ソイネノソラも好きなんだけど、あれは長いからね。なんかの機会があったら、一度ソイネノソラ仕様ってのもやってはみたいんだけど。まあ、それより先にハルカナソラの台詞を収録しないといけないか。でも、穹ってヨスガとハルカじゃ大分台詞の印象違うから、混ぜると微妙なことになったりしないかな。いや、試す前からそんなこと言ってちゃダメか。
兎にも角にも、ハルと穹、お誕生日おめでとう。今年は二人にとって、いい年になることを祈ります。そして来年も、またお祝いをしましょうね。それでは、今日はこのへんで。
文章は用意できなかったけど、ハルと穹のお祝いをなにもしないわけにもいかなかったので、製作途中でずっと止まっていた春日野悠botをこの機会に完成させることにしました。
URL:http://twitter.com/haruka_k_bot
折角の誕生日だし、初公開としてはこれ以上に最適なときはないかなって。それに、日頃頑張ってくれている穹botへの、ささやかですが私からのプレゼントという意味もありますし。穹botと私のアカウントのフォロワーを見ればわかると思うんだけど、ハルbotのアカウント自体は、それこそ穹と同時期に取得していたんですよ。けど、穹botの制作に時間が掛かってしまい、続けてハルbotの制作を行うだけの余裕がなくて。だから、アカウントだけ先にとっておいて、長く鍵をかけて放置という状態が続いてました。アニメ化前とか、アニメ終了後とか、そういったときに公開させようかと準備をしていたこともあったんですけど、穹と違ってハルは台詞を用意するだけでも結構問題が発生して、一日二日じゃとても出来そうもないと断念することがしばしばありました。
基本的には穹botと変わらないんだけど、ハルの場合は台詞よりも地の文が多い関係で、それをツイートさせるべきかどうかでかなり悩みました。穹の場合は9割以上が台詞ですけど、ハルでそれをやってしまうと非常に簡素となってしまうというか、面白みがない。それに、穹は基本的にハルとの会話シーンが大多数を占めるけど、ハルは他キャラとの絡みもありますからね。なので、地の文もあったほうが色々と楽しいかなと、そう思って。ただ、地の文ってのは本来台詞ではなく説明とか内心とかの部類だから、botの呟きとして適しているかはまた別問題なんですよ。それに、穹シナリオに限定しても膨大な数がありますからね。必然的にデータの総量が穹の倍じゃ効かなくなる。そこら辺の調整も大変でした。
仕様としては、一応穹シナリオにおけるハルの台詞をほとんどと、地の文もツイートに適していると判断したものを中心に入れてあります。でも、まだ様子見という感じも強くて、地の文ってのは台詞と違って長文の場合が多いから、例えば携帯なんかでTwitterを見ると凄く文字数が多く感じるんですよ。まあ、穹の口数が少なくいから余計に感じてしまうのかも知れないけど、比較するとやっぱりね……必要無さそうなのは徐々に削っていこうと思う。特に湖のシーンにおける呻き声まで入れてしまったから、唐突にハルが呻いたりしてなんか微妙な気分になってしまった。喘ぎ声ならまだしも、見ていて楽しい物じゃないと思うし、これに関しては時間作って調整を行おうかなと。修羅場シーンやえっちぃシーンの台詞は、穹と同じくTwitterの性質上すべてカットしてしまいましたけど、割とギリギリなところで残したものとかもあるから、そういうのを呟いたときは優しい視線で見守ってあげてください。
リプライ機能に関しては、現在未実装になっています。穹のときはシステムボイス集からそれっぽいものを流用することでなんとかなったんだけど、ハルはどうしたもんかな。作中の台詞を全部調べて、使えそうなのを用意するのが一番良いんだろうけど、かなり時間が掛かるよね、それだと。まあ、ないよりはあったほうがいいと思うので、なんとかしますけど。最終目標としてはbot同士の会話を行うことで、これは機能的には可能なんだけど、これは相当手間が掛かる作業なので地道に進めていきます。だって、ハルと穹が会話とかしだしたら素敵じゃないですか? そんな素晴らしい光景を見るためにも、頑張らなくては。
ハルbotの公開をする最中、穹botは誕生日仕様ということでいつかのバースデーメッセージを呟かせてみました。丁度、24時間掛けて2周出来る感じだったので、まあ、上手く言ったかなと。公式サイトで昔公開されていた奴ですけど、ヨスガノソラのゲームファイルにも収録されているから、オリジナルを聴く方法はいくらでもありますね。ミニドラマとか短い穹のボイスは沢山ありますけど、私はバースデーのが一番好きかなぁ。ソイネノソラも好きなんだけど、あれは長いからね。なんかの機会があったら、一度ソイネノソラ仕様ってのもやってはみたいんだけど。まあ、それより先にハルカナソラの台詞を収録しないといけないか。でも、穹ってヨスガとハルカじゃ大分台詞の印象違うから、混ぜると微妙なことになったりしないかな。いや、試す前からそんなこと言ってちゃダメか。
兎にも角にも、ハルと穹、お誕生日おめでとう。今年は二人にとって、いい年になることを祈ります。そして来年も、またお祝いをしましょうね。それでは、今日はこのへんで。
そらのおとしもの (11) (角川コミックス・エース 126-26)
2011年1月30日 アニメ・マンガ
私、そらおとではニンフが好きなんですよ。スラングですけど、ニンフルエンザに感染しているって自覚があるぐらいニンフが好きで。まあ、そらおとに嫌いなキャラなんてほとんどいませんし、イカロスだってアストレアだって可愛いとは思うんですけど、それでもやっぱりニンフには敵わない。多分にアニメの影響もなくはないんだろうが、原作は原作で可愛い……はずだったんだけど。いや、ニンフの会話さは微塵も損なわれてないんですけど、なんでしょうね、うん、カオスの次世代級の可愛らしさに圧倒されてしまった。
11巻は基本的にニンフの出番が少ないですね。せいぜい、学園祭のバンドで歌を歌ったぐらいで、まあ、そはらほどではないですけど、アストレアと同じくまったく出番がなかったと思う。あくまでメインはイカロスと、後半に出て来るカオスって感じで。イカロスに関しては、ここに来てやっと人間臭い部分が出てきたというか、会長はさすがに人心の掌握、じゃない、認識力が凄いですね。会長自身、守形先輩との微妙なん関係があるからこそ、イカロスの感情のブレ幅をよく分かっているんでしょうが。
けれどまあ、この話はイカロスのマスターである智樹への感情もさることながら、それ以上にダイダロスの想いが複雑化してきたことに着目すべきだと思う。ダイダロスは元々、何らかの形で智樹と知り合いであり、シナプスにおいて囚われの身である自分を助けてもらうために、イカロスの封印をといて智樹のところ送り込んだということになっています。序盤は夢を通じて智樹にそれを伝え、エンジェロイドを楽しむためではなく、自分を助け出すために使って欲しいと思っていたようですが、イカロスたちが楽しそうにしている姿を見て考えを改めたのか、一度はもう智樹を巻き込むまいと考え眠りに付くことにしました。
それがまあ色々あって、結局は眠る間もなく智樹のことを見守ることになったんですが……自分が作ったエンジェロイドと、智樹が必要以上に仲良くなっていくことへダイダロスは不安というより不満みたいのを、僅かながらに感じているのかも知れません。アニメだとあっさり出会っていましたけど、原作だと多分終盤まで再会することもないんでしょうし。
智樹はダイダロスのことをどこまで覚えているのか不明ですが、彼はエンジェロイドを製作した人物に強い不信感をいだいています。それは、マスターを失って間もなかったニンフに感じたことですが、マスターの命令を利くことを生きがいとするエンジェロイドに強烈な違和感を感じたのでしょう。この辺り、智樹は潔癖な人間なわけですけど、そのエンジェロイドを製作したのは他でもないダイダロスなわけで。ダイダロスがエンジェロイドという存在をどのように捉えているのかは不明ですけど、少なくとも智樹はその存在意義を植えつけた奴をぶん殴ってやりたいと思っているぐらいですから、この2人の間に認識の相違みたいのが発生しても、おかしくはないような気がする。推測や予想は色々できるけど、例えばカオスに対する考え方をとってもね。
カオスはダイダロス制作のエンジェロイドではないけど、セイレーンを吸収して復活した際の反応は恐怖だったよね。まあ、それだけPandoraが凄まじいってことなんだろうけど、確かに復活した直後のカオスは圧倒的なまでの存在感があった。思わずビビッてしまうというのも、分かる気はします。
けど、後に智樹と遭遇したカオスはどうだっただろうか? 愛イコール痛みを否定され、キョトンとした瞳。愛を教えてやるという智樹に手を引かれたときの、驚いたような眼差し。そのすべてがなにも知らない、無知な子供のものだった。智樹が愛を教える中で、カオスは常に肩車をされてるんだけど、それがたまらなく可愛いのなんのって。エンジェロイドとしては生まれてすぐ海に沈められて、外見年齢は幼稚園児ぐらいなのかな? 知能にしても同じ年頃の子供と変わらないように思えるけど、カオスだってちゃんと物事を教えてあげれば大丈夫のはずだったんですよ。それをPandoraによる進化や、セイレーン吸収したという事実のみにとらわれて、ダイダロスとかは焦り過ぎだと思う。
うっかりカオスに転びそうなぐらいカオスが可愛らしい11巻でしたけど、シナプスからトールハンマーのようなもので砲撃されて無事なのでしょうか。砲撃程度で消し飛びはしないと思うけど、一つの愛を知った直後のことですから、一気に絶望へとたたき落とされる可能性は十分にあるよね。この辺り、水無月すうはさすがだよ。私はアニメ版の後半における流れがあまり好きではなかったので、原作がカオスという存在にどのような決着を付けるのかはちょっと興味深いです。出来ることなら、カオスに愛と幸福がもたらされることを願って。
11巻は基本的にニンフの出番が少ないですね。せいぜい、学園祭のバンドで歌を歌ったぐらいで、まあ、そはらほどではないですけど、アストレアと同じくまったく出番がなかったと思う。あくまでメインはイカロスと、後半に出て来るカオスって感じで。イカロスに関しては、ここに来てやっと人間臭い部分が出てきたというか、会長はさすがに人心の掌握、じゃない、認識力が凄いですね。会長自身、守形先輩との微妙なん関係があるからこそ、イカロスの感情のブレ幅をよく分かっているんでしょうが。
けれどまあ、この話はイカロスのマスターである智樹への感情もさることながら、それ以上にダイダロスの想いが複雑化してきたことに着目すべきだと思う。ダイダロスは元々、何らかの形で智樹と知り合いであり、シナプスにおいて囚われの身である自分を助けてもらうために、イカロスの封印をといて智樹のところ送り込んだということになっています。序盤は夢を通じて智樹にそれを伝え、エンジェロイドを楽しむためではなく、自分を助け出すために使って欲しいと思っていたようですが、イカロスたちが楽しそうにしている姿を見て考えを改めたのか、一度はもう智樹を巻き込むまいと考え眠りに付くことにしました。
それがまあ色々あって、結局は眠る間もなく智樹のことを見守ることになったんですが……自分が作ったエンジェロイドと、智樹が必要以上に仲良くなっていくことへダイダロスは不安というより不満みたいのを、僅かながらに感じているのかも知れません。アニメだとあっさり出会っていましたけど、原作だと多分終盤まで再会することもないんでしょうし。
智樹はダイダロスのことをどこまで覚えているのか不明ですが、彼はエンジェロイドを製作した人物に強い不信感をいだいています。それは、マスターを失って間もなかったニンフに感じたことですが、マスターの命令を利くことを生きがいとするエンジェロイドに強烈な違和感を感じたのでしょう。この辺り、智樹は潔癖な人間なわけですけど、そのエンジェロイドを製作したのは他でもないダイダロスなわけで。ダイダロスがエンジェロイドという存在をどのように捉えているのかは不明ですけど、少なくとも智樹はその存在意義を植えつけた奴をぶん殴ってやりたいと思っているぐらいですから、この2人の間に認識の相違みたいのが発生しても、おかしくはないような気がする。推測や予想は色々できるけど、例えばカオスに対する考え方をとってもね。
カオスはダイダロス制作のエンジェロイドではないけど、セイレーンを吸収して復活した際の反応は恐怖だったよね。まあ、それだけPandoraが凄まじいってことなんだろうけど、確かに復活した直後のカオスは圧倒的なまでの存在感があった。思わずビビッてしまうというのも、分かる気はします。
けど、後に智樹と遭遇したカオスはどうだっただろうか? 愛イコール痛みを否定され、キョトンとした瞳。愛を教えてやるという智樹に手を引かれたときの、驚いたような眼差し。そのすべてがなにも知らない、無知な子供のものだった。智樹が愛を教える中で、カオスは常に肩車をされてるんだけど、それがたまらなく可愛いのなんのって。エンジェロイドとしては生まれてすぐ海に沈められて、外見年齢は幼稚園児ぐらいなのかな? 知能にしても同じ年頃の子供と変わらないように思えるけど、カオスだってちゃんと物事を教えてあげれば大丈夫のはずだったんですよ。それをPandoraによる進化や、セイレーン吸収したという事実のみにとらわれて、ダイダロスとかは焦り過ぎだと思う。
うっかりカオスに転びそうなぐらいカオスが可愛らしい11巻でしたけど、シナプスからトールハンマーのようなもので砲撃されて無事なのでしょうか。砲撃程度で消し飛びはしないと思うけど、一つの愛を知った直後のことですから、一気に絶望へとたたき落とされる可能性は十分にあるよね。この辺り、水無月すうはさすがだよ。私はアニメ版の後半における流れがあまり好きではなかったので、原作がカオスという存在にどのような決着を付けるのかはちょっと興味深いです。出来ることなら、カオスに愛と幸福がもたらされることを願って。
そらのおとしもの フォルテ Dreamy Season DXパック
2011年1月29日 アニメ・マンガ
自分への誕生日プレゼントってわけじゃないんですが、久しぶりに一般向けのゲームを買ってみました。あくまでエロゲではないってだけで、そらおとのゲームが一般向けなのかどうかは分かりませんけど、禁書や俺妹といった話題作ではなく、あえてそらおとを買っている辺り私らしいよね。DSのゲームなんて、それこそロクゼロコレクション以来じゃないだろうか? 実は未だにPSPのソフトも1本しか持ってないし、エロゲ以外のゲームを買うことが極端に少ないんですよね。俺妹もノベルゲーとしては面白そうなんですけど、単純にそらおとの方が好きなので。
本当は値引きされている店舗で買おうかと思ったんだけど、あいにくとニンフのテレカがアニメイトでしか付かなくて。メイトは定価販売が基本だから、あんまり利用したくはなかったんだけど、まあ、仕方ないですよ。ニンフの可愛さにはかなわない。皆が俺妹とか引きとって帰る中、私だけそらおとを持って帰るという。まあ、公式サイトからしても、そらおとは全然力入れてないからね。発売したのに未だシステムページが公開されてないし、正直売る気ないんじゃないかと思う。特典もそれなりなんだから、もっと宣伝に力入れても良かったのに。そういや、イカロスTwitterもゲームに付いてはあまり呟いていなかったような気がする。周りも買ってる人は皆無だしなぁ。客層は被ってないはずだけど、さすがに話題作の影に隠れてしまったか。そもそも、そらおとのゲームは話題になるほどでもないからな……いや、出来もそれなりだと思うんだけどね?
前作はPSPから出たわけだけど、あれは酷い出来だという話だったので結局買わなかったんだっけ。それに比べると、今回はアニメ版をメインとしながらも、よく特徴を掴んでいるというか、そらおとを分かっているところが作っていると思う。DSになったことで、システムというか機能面でクオリティは下がってしまったような気もするけど、こればっかりはね。今時、フルボイスでもないってのはゲームを売る上でのネックになるのかも知れないが、まったくボイスがないってわけでもなかったから。やれることはきちんとやってるみたいだし、確かにPSPと比べれば見劣りする部分もありますけど、だからといってショボイ出来とか、そういう感じではないんじゃないかと。
まだ始めたばかりなのでなんとも言えないけど、基本的にはアニメ版を元に構成されており、雰囲気としては普通のノベルゲーに近い。話数ごとに分かれているようで、話の序盤のみボイスが付くという感じで、一応キャラクターの声も聴ける仕様ですね。全何話かはまだ分からないけど、なんでもイカロスのカードが7枚ぐらい紛失して、それを回収するのが全体的なゲームの目的みたいな感じだから、7話ぐらいはあるのかな、と思ってみたり。話を進めていき、その中の選択肢によってヒロインの好感度が上がっていくのは、まあ、ただのギャルゲーですね。なにげに守形先輩とかもパラメーターが存在するのは、やっぱりそういうエンディングもあるってことでいいのだろうか……?
私は、とりあえず最初だからニンフ狙いで進めています。このゲーム、一応DSで出していることを意識してるのか、タッチペンを使ったそらおとらしいミニゲームがあるんだけど、単にヒロインの身体をタッチしたり、撫でたりするだけだからな。これ、好感度上がるとエロい部分を触っても逆に喜んでしまうとか、そういう素敵な関係になれたりしないのだかろうか。いや、さすがにそれはないかな。
そらおとって、エロい作品と思われつつも、実はかなりのソフトエロだと思うんですよ。原作からして乳首描写があるわけじゃないし、アニメだって下着以上のきわどい描写がなされることは滅多にない。BDやDVDだと乳首丸出しみたいなのが売りの今時萌えエロアニメに比べると、結構生やさしい。意外なことだけど、そういうところがまた作品の魅力だったりするんだよね。所詮は中学生レベルのエロ妄想ということで、生々しくないんですよ。ゲームも同じというか、なんかエロい感じがするシーンも逆に可愛気を感じてしまうというか、そんな気がするんです。
私はそんなに携帯ゲーム機をやるほうじゃなくて、持ち歩くこととかめったにない人なので、攻略に関しては気長にやっていこうかと思います。今の若者は皆モンハンとかやってるそうだけど、そういうの一度もやったことないや。誘われたこともあるけど、やりこみゲーってあんまり好きじゃなくて。ゲームやり込む暇があるなら、本の10冊でも読みますよ。まあ、そらおとに関してはとりあえずエンジェロイド3人ぐらいはクリアする予定だから、それが達成されるまではやり続けようと思います。そらはらとか会長は……気が向いたらってことで。
本当は値引きされている店舗で買おうかと思ったんだけど、あいにくとニンフのテレカがアニメイトでしか付かなくて。メイトは定価販売が基本だから、あんまり利用したくはなかったんだけど、まあ、仕方ないですよ。ニンフの可愛さにはかなわない。皆が俺妹とか引きとって帰る中、私だけそらおとを持って帰るという。まあ、公式サイトからしても、そらおとは全然力入れてないからね。発売したのに未だシステムページが公開されてないし、正直売る気ないんじゃないかと思う。特典もそれなりなんだから、もっと宣伝に力入れても良かったのに。そういや、イカロスTwitterもゲームに付いてはあまり呟いていなかったような気がする。周りも買ってる人は皆無だしなぁ。客層は被ってないはずだけど、さすがに話題作の影に隠れてしまったか。そもそも、そらおとのゲームは話題になるほどでもないからな……いや、出来もそれなりだと思うんだけどね?
前作はPSPから出たわけだけど、あれは酷い出来だという話だったので結局買わなかったんだっけ。それに比べると、今回はアニメ版をメインとしながらも、よく特徴を掴んでいるというか、そらおとを分かっているところが作っていると思う。DSになったことで、システムというか機能面でクオリティは下がってしまったような気もするけど、こればっかりはね。今時、フルボイスでもないってのはゲームを売る上でのネックになるのかも知れないが、まったくボイスがないってわけでもなかったから。やれることはきちんとやってるみたいだし、確かにPSPと比べれば見劣りする部分もありますけど、だからといってショボイ出来とか、そういう感じではないんじゃないかと。
まだ始めたばかりなのでなんとも言えないけど、基本的にはアニメ版を元に構成されており、雰囲気としては普通のノベルゲーに近い。話数ごとに分かれているようで、話の序盤のみボイスが付くという感じで、一応キャラクターの声も聴ける仕様ですね。全何話かはまだ分からないけど、なんでもイカロスのカードが7枚ぐらい紛失して、それを回収するのが全体的なゲームの目的みたいな感じだから、7話ぐらいはあるのかな、と思ってみたり。話を進めていき、その中の選択肢によってヒロインの好感度が上がっていくのは、まあ、ただのギャルゲーですね。なにげに守形先輩とかもパラメーターが存在するのは、やっぱりそういうエンディングもあるってことでいいのだろうか……?
私は、とりあえず最初だからニンフ狙いで進めています。このゲーム、一応DSで出していることを意識してるのか、タッチペンを使ったそらおとらしいミニゲームがあるんだけど、単にヒロインの身体をタッチしたり、撫でたりするだけだからな。これ、好感度上がるとエロい部分を触っても逆に喜んでしまうとか、そういう素敵な関係になれたりしないのだかろうか。いや、さすがにそれはないかな。
そらおとって、エロい作品と思われつつも、実はかなりのソフトエロだと思うんですよ。原作からして乳首描写があるわけじゃないし、アニメだって下着以上のきわどい描写がなされることは滅多にない。BDやDVDだと乳首丸出しみたいなのが売りの今時萌えエロアニメに比べると、結構生やさしい。意外なことだけど、そういうところがまた作品の魅力だったりするんだよね。所詮は中学生レベルのエロ妄想ということで、生々しくないんですよ。ゲームも同じというか、なんかエロい感じがするシーンも逆に可愛気を感じてしまうというか、そんな気がするんです。
私はそんなに携帯ゲーム機をやるほうじゃなくて、持ち歩くこととかめったにない人なので、攻略に関しては気長にやっていこうかと思います。今の若者は皆モンハンとかやってるそうだけど、そういうの一度もやったことないや。誘われたこともあるけど、やりこみゲーってあんまり好きじゃなくて。ゲームやり込む暇があるなら、本の10冊でも読みますよ。まあ、そらおとに関してはとりあえずエンジェロイド3人ぐらいはクリアする予定だから、それが達成されるまではやり続けようと思います。そらはらとか会長は……気が向いたらってことで。
さて、今日は私の誕生日でした。年齢の公表は控えさせていただきますが、私もすっかりいい歳になった。まだ二十代だから若いと思い込むことにしたけど、最近の体調不良とかその他諸々のことを考えれば、そうも言ってられないんでしょうね。いつまでも若くないなんて言葉、私としては使いたくもないし、私にとって十代だった頃はそれほど昔ではないと思ってるんだけど、悲しきかな時間というのは否応なしに流れていくものでして。それを私が意識していないといえば、多分嘘になるんでしょうね。
私だって自分が無駄に年を重ねてきたとは思ってないけど、じゃあ、その生涯賭けてなにをしてきたんだと言われれば、正直言葉に詰まる。だから、私にとって年齢に対する焦りというのは確かにある。時間は無限でも、人に分け与えられる分には限りがあるし、それをどのように使うかはその人次第であって、私は果たしてそれを上手く出来ているんだろうか。消費なのか、それとも浪費なのか。時間も金と同じで、不可抗力でもない限り使うことを決断するのは自分でしかないんですよ。いくら、人が人生という学問を学び続ける学生だとしても、積極的に学生でいられる時間は、そう長くはない。
人には誰しも叶えたい夢というものがあって、当然私にもそれはある。私はいつも、とある人の才能に嫉妬していた。羨んでいた。自分にないものを天才性を持っていたその人を超えたくて、同じようなことをしてみては失敗して……その度に自分の力の無さに絶望した。そんな自分を変えたくて、十代の終わりが近づきつつ合った頃、私はなにか一つの道だけでも極めようと思った。極められずとも、高みに行きたいと。多彩な才能を見せつける天才に対して、凡才以下であった私に出来たのはそれぐらいしかなかったから。
所謂プロという存在の門弟となって、私は文章の修行をし始めた。才能がないことは元々分かっていたけど、それでもなにかを掴みとりたくて、本当に必死だったと思う。一門には私なんかより文章の上手い奴がいくらでもいて、ハッキリ言って私なんて実力でいえば下の方だった。技術にしても同期が凄まじい物を書く中で、私のは良くてその切れ端程度。挫折や絶望はしなかったし、それが現実なんだとも思ったけど、不思議と対抗心や悔しさも抱かなかったんだよね。同期はあくまで同期であって、実力の差はあれど立場は同格だし、私の目標というのは別に合ったから。それに、私は古いタイプの本読みだったから、趣味嗜好も違ったしね。
昨年の話になるんだけど、偶然当時の同期たちが写っている写真を見つけました。まあ、小さい空間内でのことだから人数と呼べるほどの人間が集まっていたわけでもないんだけど、気が付いたら私の同期たちはみんないなくなっていた。どこかで生きてはいるんだろうけど、少なくとも作家になった奴はいないし、それ以外のものとなって業界にいる奴は一人もいない。実力も才能もなかった私だけが、何故か最後の最後に残ってしまった。兄弟子たちは同期の付き合いがあるけど、私の場合は私以外の人間が残ってないから……正確には一人だけいて、彼は私の親友だけど、今は文筆とは程遠い仕事に勤しんで、私とはたまに合う程度の関係です。
気にすることはない、そんなものだと師匠は言うし、私も別に思うところはないんだけど、周りから人が次々に消えて言ったことで、逆に道の険しさや厳しさを再実感したとでも言うのかな。なにを持っていたわけでもない私がこの業界に残っているのは、結局私にこれ以外のことが出来なかったからで、才能の欠片もない凡才は自分が学び得たことを活かすことしか、他にやれることがなかったんですよ。お前はこの業界でしか生きて行けないと思ったと師匠に言われたことがあるけど、それは多分事実以外の何物でもなかったんでしょう。
私は同期たちと比べて異才ではなく異質な人間だった。彼らがいまどきのエンターテイメント小説や、ライトノベルを熱く語り、それらを書くような作家になりたいと執筆をする中で、ひたすら私はSFやミステリーなど、ある種古典的なものに傾倒していた。ラノベを読まないわけじゃなかったけど、私にとっての小説というのはSF文庫などがそうだったのだ。そんな奴が他の人間と話が合うわけもないってんで、仲が悪くはないけど仲良くもないと、同期との関係なんてそんなものだったかも知れない。師匠も正統派SFファンが門を叩きに来たのは久しぶりだと言ってたし。
けれど、そんな同期たちも既に消えてしまい、私は最後の一人となってしまった。別に責任感や義務感があるわけじゃないし、そんなものはセンチメンタリズムにすらならないと思ってるけど、私までいなくなれば、私のいた時代そのものが消滅するかのような、そんな錯覚を覚えるんですよ。私みたいな劣等性が思い上がりも甚だしいのかも知れないけど、全滅なんて悲しすぎるじゃないか。
私はまた一つ年を重ね、しかし、まだ夢を叶えるには至っていないけど、目指すべきものがあるのだから逃げずに挑戦し続けようと思います。時が許してくれる限りは。
私だって自分が無駄に年を重ねてきたとは思ってないけど、じゃあ、その生涯賭けてなにをしてきたんだと言われれば、正直言葉に詰まる。だから、私にとって年齢に対する焦りというのは確かにある。時間は無限でも、人に分け与えられる分には限りがあるし、それをどのように使うかはその人次第であって、私は果たしてそれを上手く出来ているんだろうか。消費なのか、それとも浪費なのか。時間も金と同じで、不可抗力でもない限り使うことを決断するのは自分でしかないんですよ。いくら、人が人生という学問を学び続ける学生だとしても、積極的に学生でいられる時間は、そう長くはない。
人には誰しも叶えたい夢というものがあって、当然私にもそれはある。私はいつも、とある人の才能に嫉妬していた。羨んでいた。自分にないものを天才性を持っていたその人を超えたくて、同じようなことをしてみては失敗して……その度に自分の力の無さに絶望した。そんな自分を変えたくて、十代の終わりが近づきつつ合った頃、私はなにか一つの道だけでも極めようと思った。極められずとも、高みに行きたいと。多彩な才能を見せつける天才に対して、凡才以下であった私に出来たのはそれぐらいしかなかったから。
所謂プロという存在の門弟となって、私は文章の修行をし始めた。才能がないことは元々分かっていたけど、それでもなにかを掴みとりたくて、本当に必死だったと思う。一門には私なんかより文章の上手い奴がいくらでもいて、ハッキリ言って私なんて実力でいえば下の方だった。技術にしても同期が凄まじい物を書く中で、私のは良くてその切れ端程度。挫折や絶望はしなかったし、それが現実なんだとも思ったけど、不思議と対抗心や悔しさも抱かなかったんだよね。同期はあくまで同期であって、実力の差はあれど立場は同格だし、私の目標というのは別に合ったから。それに、私は古いタイプの本読みだったから、趣味嗜好も違ったしね。
昨年の話になるんだけど、偶然当時の同期たちが写っている写真を見つけました。まあ、小さい空間内でのことだから人数と呼べるほどの人間が集まっていたわけでもないんだけど、気が付いたら私の同期たちはみんないなくなっていた。どこかで生きてはいるんだろうけど、少なくとも作家になった奴はいないし、それ以外のものとなって業界にいる奴は一人もいない。実力も才能もなかった私だけが、何故か最後の最後に残ってしまった。兄弟子たちは同期の付き合いがあるけど、私の場合は私以外の人間が残ってないから……正確には一人だけいて、彼は私の親友だけど、今は文筆とは程遠い仕事に勤しんで、私とはたまに合う程度の関係です。
気にすることはない、そんなものだと師匠は言うし、私も別に思うところはないんだけど、周りから人が次々に消えて言ったことで、逆に道の険しさや厳しさを再実感したとでも言うのかな。なにを持っていたわけでもない私がこの業界に残っているのは、結局私にこれ以外のことが出来なかったからで、才能の欠片もない凡才は自分が学び得たことを活かすことしか、他にやれることがなかったんですよ。お前はこの業界でしか生きて行けないと思ったと師匠に言われたことがあるけど、それは多分事実以外の何物でもなかったんでしょう。
私は同期たちと比べて異才ではなく異質な人間だった。彼らがいまどきのエンターテイメント小説や、ライトノベルを熱く語り、それらを書くような作家になりたいと執筆をする中で、ひたすら私はSFやミステリーなど、ある種古典的なものに傾倒していた。ラノベを読まないわけじゃなかったけど、私にとっての小説というのはSF文庫などがそうだったのだ。そんな奴が他の人間と話が合うわけもないってんで、仲が悪くはないけど仲良くもないと、同期との関係なんてそんなものだったかも知れない。師匠も正統派SFファンが門を叩きに来たのは久しぶりだと言ってたし。
けれど、そんな同期たちも既に消えてしまい、私は最後の一人となってしまった。別に責任感や義務感があるわけじゃないし、そんなものはセンチメンタリズムにすらならないと思ってるけど、私までいなくなれば、私のいた時代そのものが消滅するかのような、そんな錯覚を覚えるんですよ。私みたいな劣等性が思い上がりも甚だしいのかも知れないけど、全滅なんて悲しすぎるじゃないか。
私はまた一つ年を重ね、しかし、まだ夢を叶えるには至っていないけど、目指すべきものがあるのだから逃げずに挑戦し続けようと思います。時が許してくれる限りは。
刺激されるのは原動力か
2011年1月27日 アニメ・マンガ
復刊ドットコムで、ロックマンメガミックス&ギガミックスBOXセットというのの予約をやっていて、実は買っていなかった私はいい機会だと思って注文しました。まあ、既存のコミックスを書き下ろしの紙箱に入れただけの商品なんですけど、有賀ロックマンは好きだし、私に与えた影響は岩本版と同じく大きいですからね。金のない時期だったので振込ではなく着払いにしたけど、考えて見れば届く頃も金がなかったという事実。まあ、なんとか支払いを済ませて受け取りましたけど、箱そのものにバーコードが記載されていたり、割と商品感覚の強いものでした。
改めてメガミックスを読んでみて、その内容の濃さや物語としての質、そして作品としての深みにどっぷりと浸かってしまった。ロックマンというのはゲームとしてはともかく、物語的にはある種単純なところがあって、それをここまで膨らませたのは本当にすごいよ。もっとも、有賀に言わせればロックマンというシリーズそのものが壮大なものを感じているんだろうけど、あくまで子供向けのゲームだし、Xやゼロほどシナリオ面を重視はしてないじゃないですか? 中身がないのではなく、簡素や簡易、そうした表面にある物語や世界観を広げて膨らませて、どこか殺伐とした、悲壮感漂う作風を成立させたのは有賀ならではの技でしょう。
私はなんといっても史上最強の敵が好きですけど、復活の死神なんかもアフターストーリーとして優れていると思うし、昔ながらのSF的テーマを違和感なく作品に組み込んでいる。特に新装版は復活の死神から史上最強の敵までの流れが見事だね。コサックナンバーズのコピーに対する心境は、彼らだからこそじゃないだろうか。ワイリーナンバーズは勿論、ライトナンバーズにとってもコピーはコピーでしかなかったわけで。スカルの一件を経験した彼らこそが、少なからずコピーのことを理解することが出来た。行いや考えを認めることは出来なくても、それが存在をそのものを認めない理由にはならない。ロック自身、コピーはやり方を間違えただけだと言ってましたし。そして、それはおそらくスカルも同じだったはず。でも、彼らを成功者だとか失敗者だとか、極端な言葉で表現はしたくないよね。生き様を一言で表すことは可能なんだろうけど、一言で済ませることが出来ないからこそ、こうしていくつもの物語が出来ているわけだしさ。
なんかメガミックスを読んだら、無性にロクゼロを書きたくなってきた。私もまだ書き残したのがあるというか、先日くろのとくろえのくろのさんが私の個人誌であるロクゼロクロスに使った画像等をまとめたものをくれたんだけど、あれだけはきちんと完結させたいかなぁと。プロットや構想自体はあるものの、今までで一番長くなりそうだから、なかなか書き始める機会がなくて。
今年はすることも多いし、二次創作に掛けられる時間というものが本当に少ない。ちょっとしたSSじみたものを書く時間さえないというのだから、相当だよね。日記も貯まる一方ですし。まあ、単に私の要領が悪いだけなんだろうけど、何かしら手を打たないと面倒なことになりそうですね。ロクゼロも一応今年再開を考えているし、春は無理でも夏頃に時間が取れたら、なんて思ったりもしてるし。思っているだけで、全然見通しは立ってないんだけどさ。ジャンルとしての鮮度は、まだ持つとは思うんだけど……同人作品としては既に過去のものになっているよね。なんていうか、くろのさんがまとめた画像をくれた際にしみじみ感じたんだけど、実に3年は前の作品じゃないですか。そう考えると、完結編にしろ早めに書かないと忘れ去られちゃうからね。でなくても、クロスジャンルは廃れる一方なのだから。完全な趣味で書いている作品ならともかく、少なからず読者がいた作品だし、それが読まれなくなるというのは悲しいことだよ。
けど、いっそ連載という形より同人誌として一気に作ったほうがいいのかなぁと思っていたりもする。連載する時間がないんだろうね、今の私には。仮に同人誌化するとしたら、おそらく逆襲の比ではない文量になると思うから、それはそれで上中下に分けたりと面倒なんだけど。
実は時間がくて、まだギガミックスの方を読んでないんだよね。ロックマン8が舞台というわけでもなさそうだし、どんな話なのやら。個人的に好きだったロックマン7がレースのほうで一纏めにされてしまったのが少し残念だったかな。そういや、BOXが届いたのは良いんだけど、本の背表紙が傷ついてたり、メガミックスの1巻が思いっきり日焼けで黄ばんでいたりするんだけど、私は新品を買ったんだよね? これで抗議したり、好感を要求するのは、心が狭いんだろうか……でも、これ日焼けの黄ばみってわけでもなさそうなんだよな。週明けに対応を考えてみるか。
改めてメガミックスを読んでみて、その内容の濃さや物語としての質、そして作品としての深みにどっぷりと浸かってしまった。ロックマンというのはゲームとしてはともかく、物語的にはある種単純なところがあって、それをここまで膨らませたのは本当にすごいよ。もっとも、有賀に言わせればロックマンというシリーズそのものが壮大なものを感じているんだろうけど、あくまで子供向けのゲームだし、Xやゼロほどシナリオ面を重視はしてないじゃないですか? 中身がないのではなく、簡素や簡易、そうした表面にある物語や世界観を広げて膨らませて、どこか殺伐とした、悲壮感漂う作風を成立させたのは有賀ならではの技でしょう。
私はなんといっても史上最強の敵が好きですけど、復活の死神なんかもアフターストーリーとして優れていると思うし、昔ながらのSF的テーマを違和感なく作品に組み込んでいる。特に新装版は復活の死神から史上最強の敵までの流れが見事だね。コサックナンバーズのコピーに対する心境は、彼らだからこそじゃないだろうか。ワイリーナンバーズは勿論、ライトナンバーズにとってもコピーはコピーでしかなかったわけで。スカルの一件を経験した彼らこそが、少なからずコピーのことを理解することが出来た。行いや考えを認めることは出来なくても、それが存在をそのものを認めない理由にはならない。ロック自身、コピーはやり方を間違えただけだと言ってましたし。そして、それはおそらくスカルも同じだったはず。でも、彼らを成功者だとか失敗者だとか、極端な言葉で表現はしたくないよね。生き様を一言で表すことは可能なんだろうけど、一言で済ませることが出来ないからこそ、こうしていくつもの物語が出来ているわけだしさ。
なんかメガミックスを読んだら、無性にロクゼロを書きたくなってきた。私もまだ書き残したのがあるというか、先日くろのとくろえのくろのさんが私の個人誌であるロクゼロクロスに使った画像等をまとめたものをくれたんだけど、あれだけはきちんと完結させたいかなぁと。プロットや構想自体はあるものの、今までで一番長くなりそうだから、なかなか書き始める機会がなくて。
今年はすることも多いし、二次創作に掛けられる時間というものが本当に少ない。ちょっとしたSSじみたものを書く時間さえないというのだから、相当だよね。日記も貯まる一方ですし。まあ、単に私の要領が悪いだけなんだろうけど、何かしら手を打たないと面倒なことになりそうですね。ロクゼロも一応今年再開を考えているし、春は無理でも夏頃に時間が取れたら、なんて思ったりもしてるし。思っているだけで、全然見通しは立ってないんだけどさ。ジャンルとしての鮮度は、まだ持つとは思うんだけど……同人作品としては既に過去のものになっているよね。なんていうか、くろのさんがまとめた画像をくれた際にしみじみ感じたんだけど、実に3年は前の作品じゃないですか。そう考えると、完結編にしろ早めに書かないと忘れ去られちゃうからね。でなくても、クロスジャンルは廃れる一方なのだから。完全な趣味で書いている作品ならともかく、少なからず読者がいた作品だし、それが読まれなくなるというのは悲しいことだよ。
けど、いっそ連載という形より同人誌として一気に作ったほうがいいのかなぁと思っていたりもする。連載する時間がないんだろうね、今の私には。仮に同人誌化するとしたら、おそらく逆襲の比ではない文量になると思うから、それはそれで上中下に分けたりと面倒なんだけど。
実は時間がくて、まだギガミックスの方を読んでないんだよね。ロックマン8が舞台というわけでもなさそうだし、どんな話なのやら。個人的に好きだったロックマン7がレースのほうで一纏めにされてしまったのが少し残念だったかな。そういや、BOXが届いたのは良いんだけど、本の背表紙が傷ついてたり、メガミックスの1巻が思いっきり日焼けで黄ばんでいたりするんだけど、私は新品を買ったんだよね? これで抗議したり、好感を要求するのは、心が狭いんだろうか……でも、これ日焼けの黄ばみってわけでもなさそうなんだよな。週明けに対応を考えてみるか。
一つの時代が終わるとき
2011年1月26日 アニメ・マンガなんだか体調が優れなかったので、今日は帰宅早々に寝てしまいました。勿論、夕飯ぐらいは食べましたけど、なんというか身体がダルくて。微熱と頭痛がするぐらいで、明確にどうってわけじゃないんだけど、問題はその程度の病とも言えない状態では仕事を休むわけにも行かなくて。さっさと寝て明日に備えようということで、22時前にはベッドの中にいたと思う。今日日、小学生でもこんな時間には寝ないでしょう。一度、医者にでも見てもらったほうがいいのかも知れませんが、流行病の時期でもありますし、病院なんて行ったら逆に良くない病気を貰ってきそうで。
ほとんど寝て過ごしていたわけだから、これといって日記に書くようなネタが無いんだけど、そういえばコミックラッシュが電子書籍に完全移行するそうですね。今はその試験運用ということで、発売中の2011年3月号が無料で読めるようになっているみたいです。
URL:http://comic-rush.jp/pre/index.html
パソコンやスマートフォンで読めるという話ですけど、紙媒体で始まった漫画雑誌がすべてネットに移行するというのは過去に例がなく、なんというか寝耳に水でした。電子書籍として最初から刊行していたのならともかく、私が受けた衝撃は小さくなかった。ラッシュはかつて月間の漫画雑誌が新創刊されていた時期、その一番手として現れた存在です。売上はそう悪くないものと聞いていましたが、どうやらそれも過去のものだったらしい。確かに最近じゃ人気作品の打ち切りによる紙面変更や、タイアップの減少など雑誌的に宜しくない事象が増えていて、私も正直ブラフマンがやっていなければ買っていないという状態だったんだけど……やっぱり、こんな結果になったか。休刊という名の廃刊でないだけマシと思うか、それとも電子化は最後の悪あがきに過ぎないと近い将来の破滅に目を向けるかは、まあ、人それぞれだろうけどね。今の日本では電子書籍なんてお世辞にも流行ってないし、ほとんど廃れていたラッシュがやっていけるのかといえば、多分それは無理なんじゃないかと私は思う。紙媒体だから買っている層ってのが絶対数として多いとは言わないけど、逆にいえば電子媒体なら別にいらないという人は少なくないでしょう。私は、人がマンガ雑誌にそれほど手軽さというものを求めてないと考えてるんだけど、世の中的にはどうなんでしょうね。
しかし、まあ、ショックですよ。最近はブラフマン以外に読むものもないような雑誌だったけど、なにせ創刊号から持っている数少ない雑誌ですからね。出会いはそう、確かマル天のイベントでしたっけ。当時のスポンサーにジャイブがいて、広井王子原作の蜃気楼帝国をコミカライズする縁で、イベント参加者全員に創刊号をおみやげとしてプレゼントするという、かなり太っ腹なことをやったんですよ。何故かチョロQが特典として付いていたラッシュの一号目は、ブラフマンの全面に押し出した表紙で、思えばブラフマンって創刊時の看板作品だったんだよね。アニメ化の話もあったけど、色々あって休刊して、さらに色々あって再開して、そしたら今度は電子化か。なんというか、やるせないな。
私が他に創刊号から持っている雑誌なんて、それこそメガマガぐらいしかありませんし、ラッシュには思い入れも深いからね。まあ、全号持っているが故にCRコミックスはあまり買わなかったんだけど、これから一体どうなるんだろう。私はスマートフォンとか持っていませんし、そもそも電子書籍というものが好きじゃありません。それに、電子書籍の作品はコミックス化した際の売上を見極めるのが難しいから、コミックスが出ないなんてこともよくありますしね。まあ、これは大手の例だからジャイブがそれをするとは限らないけど、ブラフマンだけのために電子書籍となったラッシュを買うべきかどうか。ハッキリ言うと、既に価格設定すら曖昧になったラッシュは紙媒体ですら買う価値がないに等しかったから、私に対して大きな決断を迫っていると思う。ブラフマンさえ終われば、さっさとおさらば出来る雑誌なんだけどね。変な話、あれだけ再開を祈っていた作品が、今度は離脱のための足かせとなっているのだから、人間なんて勝手なものです。
でも、今後はこういうのが増えるかも知れないね。まだ時代じゃないといっても、10年ぐらいの長い目で見れば、確実に時代は電子書籍でしょう。最近は電車内でも、iPhoneなどのスマートフォンを持っている人が目立つし、決して本を読んでいる人がいないとは言わないけど、文庫本などならともかく、所謂週刊漫画雑誌などを読んでいる人は本当に少なくなったと思う。駅の売店で売っているような雑誌を、電車内ではなく家で読むような人はあまりいないでしょう。いくら電子コミックに抵抗感があろうと、そのうち抗えない時代が来るのです。否応なしに。
ほとんど寝て過ごしていたわけだから、これといって日記に書くようなネタが無いんだけど、そういえばコミックラッシュが電子書籍に完全移行するそうですね。今はその試験運用ということで、発売中の2011年3月号が無料で読めるようになっているみたいです。
URL:http://comic-rush.jp/pre/index.html
パソコンやスマートフォンで読めるという話ですけど、紙媒体で始まった漫画雑誌がすべてネットに移行するというのは過去に例がなく、なんというか寝耳に水でした。電子書籍として最初から刊行していたのならともかく、私が受けた衝撃は小さくなかった。ラッシュはかつて月間の漫画雑誌が新創刊されていた時期、その一番手として現れた存在です。売上はそう悪くないものと聞いていましたが、どうやらそれも過去のものだったらしい。確かに最近じゃ人気作品の打ち切りによる紙面変更や、タイアップの減少など雑誌的に宜しくない事象が増えていて、私も正直ブラフマンがやっていなければ買っていないという状態だったんだけど……やっぱり、こんな結果になったか。休刊という名の廃刊でないだけマシと思うか、それとも電子化は最後の悪あがきに過ぎないと近い将来の破滅に目を向けるかは、まあ、人それぞれだろうけどね。今の日本では電子書籍なんてお世辞にも流行ってないし、ほとんど廃れていたラッシュがやっていけるのかといえば、多分それは無理なんじゃないかと私は思う。紙媒体だから買っている層ってのが絶対数として多いとは言わないけど、逆にいえば電子媒体なら別にいらないという人は少なくないでしょう。私は、人がマンガ雑誌にそれほど手軽さというものを求めてないと考えてるんだけど、世の中的にはどうなんでしょうね。
しかし、まあ、ショックですよ。最近はブラフマン以外に読むものもないような雑誌だったけど、なにせ創刊号から持っている数少ない雑誌ですからね。出会いはそう、確かマル天のイベントでしたっけ。当時のスポンサーにジャイブがいて、広井王子原作の蜃気楼帝国をコミカライズする縁で、イベント参加者全員に創刊号をおみやげとしてプレゼントするという、かなり太っ腹なことをやったんですよ。何故かチョロQが特典として付いていたラッシュの一号目は、ブラフマンの全面に押し出した表紙で、思えばブラフマンって創刊時の看板作品だったんだよね。アニメ化の話もあったけど、色々あって休刊して、さらに色々あって再開して、そしたら今度は電子化か。なんというか、やるせないな。
私が他に創刊号から持っている雑誌なんて、それこそメガマガぐらいしかありませんし、ラッシュには思い入れも深いからね。まあ、全号持っているが故にCRコミックスはあまり買わなかったんだけど、これから一体どうなるんだろう。私はスマートフォンとか持っていませんし、そもそも電子書籍というものが好きじゃありません。それに、電子書籍の作品はコミックス化した際の売上を見極めるのが難しいから、コミックスが出ないなんてこともよくありますしね。まあ、これは大手の例だからジャイブがそれをするとは限らないけど、ブラフマンだけのために電子書籍となったラッシュを買うべきかどうか。ハッキリ言うと、既に価格設定すら曖昧になったラッシュは紙媒体ですら買う価値がないに等しかったから、私に対して大きな決断を迫っていると思う。ブラフマンさえ終われば、さっさとおさらば出来る雑誌なんだけどね。変な話、あれだけ再開を祈っていた作品が、今度は離脱のための足かせとなっているのだから、人間なんて勝手なものです。
でも、今後はこういうのが増えるかも知れないね。まだ時代じゃないといっても、10年ぐらいの長い目で見れば、確実に時代は電子書籍でしょう。最近は電車内でも、iPhoneなどのスマートフォンを持っている人が目立つし、決して本を読んでいる人がいないとは言わないけど、文庫本などならともかく、所謂週刊漫画雑誌などを読んでいる人は本当に少なくなったと思う。駅の売店で売っているような雑誌を、電車内ではなく家で読むような人はあまりいないでしょう。いくら電子コミックに抵抗感があろうと、そのうち抗えない時代が来るのです。否応なしに。
道順を間違えなくても遅刻する
2011年1月25日 アニメ・マンガ今日は一日掛けて、秋葉原や横浜のショップを回っていました。いや、一日掛けてというのは言いすぎかな。あくまで仕事の合間と、仕事帰りの話です。ただまあ、複数のショップで予約していたせいもあってか、相応の時間は掛かりましたね。面倒くさいことこの上なかったし、今にして思え、何店かは秋葉原にしておいても良かったんじゃなかろうか。意外に昼はすいていて、逆に夜の横浜は混んでいるという。まあ、横浜に関してはとらのあなのシステムが宜しくないというのもあるだろうけど。いくらなんでも客を待たせすぎだろう、あれは。
横浜という町には比較的、アニメ系のショップが揃っているわけだけど、BD等の発売日ともなればどこもそれなりに混んでますね。正確には早売りなんですけど、前日にはもう発売していることぐらい、この趣味なら誰でも知っていることでしょう。基本は西口に集中しているショップだけど、アニメイトだけは東口のプラザホテル内にあって、本店並のイベントスペースを確保している結構大きな店舗なんだけど、まあ、客層的には他の店舗と同じく女性が多い。フロアごとの広さは割とゆったりしていて、秋葉原店のように狭さによる圧迫感を感じることはないんだけど、大型店故に客も多くてね。色々なものの発売日ともなれば、会計を済ませるまで30分などというのは珍しくありません。レジは4台ほどありますが、常にそのすべてが稼動しているわけでもないし、予約品をどっさり買っていく人なんてのもいますからね。さらにフェアだ、特典だと様様な付属物も付くから、アニメイトは他の店に比べると会計に時間がかかる傾向にありますね。あくまで、私の感覚ではですけど。
次に西口へ移ってゲーマーズ横浜店だけど、ここはレジ1台にも関わらず、それほど時間を消費しません。単純に利用客が少ないだけではないかと言われればそれまでですが、フロアというかレジ周りが狭いから予約商品探して右往左往なんてことが殆ど無いんですね。少々雑に物を置き過ぎじゃないかとも思うけど、そのスピードはアニメイトとは比較にならないと思う。後、これはゲマ屋にありがちなことだけど、古い特典とかが普通に残っていたりするんですよ。だから、なにかにつけて懐かしいものを貰えたりすることがある。アニメイトだと、まずないよね。どんだけゲマ屋流行ってないんだよという話だけど、正直横浜店まで潰れたらゲマ屋に未来はないと思うから、粘って欲しいものです。
とらのあな横浜店は、とにかくシステムが宜しくない。予約品を箱詰して、その中から手探りで物を探し出すという行為は本当に手間で、時間がかかりすぎている。アニメイトやゲマ屋のように分かりやすく棚においておくわけでもなく、立てて箱詰しているだけなわけだから、一見してどこになにがあるかなんて分からないんですよ。私は引き取るものが一つだったからまだしも、BDやCDなどを大量に予約していたであろう隣のレジの客は、私がレジに並んでいたときからずっと会計中で、私が終わってもまだ物が揃っていなかった。あっち探してこっち探して、スペースや棚がないわけじゃないのに、その活用を全くしてないんですね、とらのあな横浜店は。それなりに広い倉庫もあるし、レジの台数だって少ないわけじゃないのに、全体的に下手くそなイメージがある。でも、それがとらなんだよ。通販のシステムとかも、メロンと比較して大きく溝を開けられているし。全店での店舗引き取りが可能となったのも、つい最近ですからね。それにこれは私の不安でもあるんだけど、とらだけは全巻購入特典が先着なんですよ。つまり、予約していようが特典がなくなった時点で貰えなくなるわけ。全巻キチンと集めてもね。そんな馬鹿な話があるかと思うけど、あると言い張っているのがとらなので。サークルカードがなければ、あんなところで買い物はしません。
ソフマップはエロゲの発売日でもなければ混むことがない店ですし、BDやDVDが出たからといって混雑するようなことはまずありません。多少、値引きがされると言っても特典はテレカが大半ですし、殊更ソフマップでアニメのBD等を買う人は少ないと思う。なので、並ぶことなくスイスイと済ませることが出来た。しかし、エロゲの発売日の際は最高1時かん以上は覚悟しなければいけない。それでも秋葉原のエロゲショップよりはマシなんだけどさ。
しかし、毎月のように何枚も買っているとさすがに堪えるものがあるね。金を消費しすぎて、あろうことかエロゲも買えない事態になってますから。まあ、今月に欲しい物もないから良いんですけど、少しぐらいBDの方を処分しないとやってられませんね。エロゲは買わずとも、DSのゲームとか買わないといけないから。金がないわけじゃないんだけど、ケチとしては貯金を切り崩すことは金があるとは言わないと思っているので。
横浜という町には比較的、アニメ系のショップが揃っているわけだけど、BD等の発売日ともなればどこもそれなりに混んでますね。正確には早売りなんですけど、前日にはもう発売していることぐらい、この趣味なら誰でも知っていることでしょう。基本は西口に集中しているショップだけど、アニメイトだけは東口のプラザホテル内にあって、本店並のイベントスペースを確保している結構大きな店舗なんだけど、まあ、客層的には他の店舗と同じく女性が多い。フロアごとの広さは割とゆったりしていて、秋葉原店のように狭さによる圧迫感を感じることはないんだけど、大型店故に客も多くてね。色々なものの発売日ともなれば、会計を済ませるまで30分などというのは珍しくありません。レジは4台ほどありますが、常にそのすべてが稼動しているわけでもないし、予約品をどっさり買っていく人なんてのもいますからね。さらにフェアだ、特典だと様様な付属物も付くから、アニメイトは他の店に比べると会計に時間がかかる傾向にありますね。あくまで、私の感覚ではですけど。
次に西口へ移ってゲーマーズ横浜店だけど、ここはレジ1台にも関わらず、それほど時間を消費しません。単純に利用客が少ないだけではないかと言われればそれまでですが、フロアというかレジ周りが狭いから予約商品探して右往左往なんてことが殆ど無いんですね。少々雑に物を置き過ぎじゃないかとも思うけど、そのスピードはアニメイトとは比較にならないと思う。後、これはゲマ屋にありがちなことだけど、古い特典とかが普通に残っていたりするんですよ。だから、なにかにつけて懐かしいものを貰えたりすることがある。アニメイトだと、まずないよね。どんだけゲマ屋流行ってないんだよという話だけど、正直横浜店まで潰れたらゲマ屋に未来はないと思うから、粘って欲しいものです。
とらのあな横浜店は、とにかくシステムが宜しくない。予約品を箱詰して、その中から手探りで物を探し出すという行為は本当に手間で、時間がかかりすぎている。アニメイトやゲマ屋のように分かりやすく棚においておくわけでもなく、立てて箱詰しているだけなわけだから、一見してどこになにがあるかなんて分からないんですよ。私は引き取るものが一つだったからまだしも、BDやCDなどを大量に予約していたであろう隣のレジの客は、私がレジに並んでいたときからずっと会計中で、私が終わってもまだ物が揃っていなかった。あっち探してこっち探して、スペースや棚がないわけじゃないのに、その活用を全くしてないんですね、とらのあな横浜店は。それなりに広い倉庫もあるし、レジの台数だって少ないわけじゃないのに、全体的に下手くそなイメージがある。でも、それがとらなんだよ。通販のシステムとかも、メロンと比較して大きく溝を開けられているし。全店での店舗引き取りが可能となったのも、つい最近ですからね。それにこれは私の不安でもあるんだけど、とらだけは全巻購入特典が先着なんですよ。つまり、予約していようが特典がなくなった時点で貰えなくなるわけ。全巻キチンと集めてもね。そんな馬鹿な話があるかと思うけど、あると言い張っているのがとらなので。サークルカードがなければ、あんなところで買い物はしません。
ソフマップはエロゲの発売日でもなければ混むことがない店ですし、BDやDVDが出たからといって混雑するようなことはまずありません。多少、値引きがされると言っても特典はテレカが大半ですし、殊更ソフマップでアニメのBD等を買う人は少ないと思う。なので、並ぶことなくスイスイと済ませることが出来た。しかし、エロゲの発売日の際は最高1時かん以上は覚悟しなければいけない。それでも秋葉原のエロゲショップよりはマシなんだけどさ。
しかし、毎月のように何枚も買っているとさすがに堪えるものがあるね。金を消費しすぎて、あろうことかエロゲも買えない事態になってますから。まあ、今月に欲しい物もないから良いんですけど、少しぐらいBDの方を処分しないとやってられませんね。エロゲは買わずとも、DSのゲームとか買わないといけないから。金がないわけじゃないんだけど、ケチとしては貯金を切り崩すことは金があるとは言わないと思っているので。
新しい風に、古きは飛ばせない
2011年1月24日 アニメ・マンガ1月もほぼ最終週となり、所謂新番組と言われるものが放送を開始して1ヶ月程度過ぎたことになります。私は基本的にドラマを見ない人なので、見ているものといえばNHKでやってるきょうの料理と、後は各局のアニメぐらいなんですけど、今期はどうにも琴線に触れるようなものがない。まあ、昨年の勢いが強すぎたんですかね。あの作品はともかくとして、ミルキィだイカ娘だと、それなりに流行りましたから。そらおとやパンストもありましたし。敢えて断定的な表現をするなら、今期のアニメは前期に劣っていると思う。
まあ、最近はアニメというのもネタ不足な一面がありますから、早々に面白い作品なんて出てきやしないんですけどね。13話未満の1クールが当たり前になって、原作モノも消費物と考えられるようになった世の中、DVDやBDが売れればいという流れだと、どうしたってその場しのぎの作品が多くなってしまう。売れれば2期をやって食いつなげばいいなんて、そりゃあ、原作サイドもアニメ化に対して慎重になり始めるわけですよ。松智洋じゃないけどね。一騎当千みたいにしぶとくアニメ化を続けている成功例もありますし、恋姫無双も……あれ? ふと思ったけど、なんだって三国志が元ネタの作品だけこんなに続いてるんでしょうね。いや、エロいからだろうけど。私の感覚では、どちらも原作のほうが面白いと思うんだけど、この2つはアニメオリジナルでもエロければ売れるという流れを作ってしまった典型的な例だからなぁ。さすがにもう続編はないと思うけど、普通に原作も続いてることを考えると凄いものだ。オリジナルであるが故に、別ものであるからこそ原作に与える影響が皆無というか、アニメ版の恋姫無双がどんなに人気だろうと、エロゲであって百合ゲではない原作から主人公を排除するのは不可能じゃないですか? 一騎当千にしても、男キャラの存在は歴史的に見てもなくてはならない。原作の再現だけがアニメ化じゃないとはいうけど、本当に上手くやったよね。私はそんなに好きではないけど、素直に褒めていい現象だと思う。
ただ、原作と全然違うけど売れたなんてのは過去にもあって、有名所ではスレイヤーズなんかもそうですね。あれはアニメの印象やインパクトが強すぎるが故に、原作との歴然とした差が気にならなくなるといった、非常に珍しい例ですけど。というか、一昔前はそれで通用したんだよ。だから、スタチャはトップに上り詰めることが出来た。
まあ、そんな話はいいとしても今期のアニメ……一応、ほとんどの作品を見ているけど、凄く面白いってのは一本もないよね。ギリギリこれはゾンビですかが悪く無いといった感じで、あれにしたって、それほど良いわけじゃないからなぁ。よくも悪くも富士見書房の作品というか、ヒロインが分かりづらいのと、主人公の個性や能力が鈍いのと、なにより野水伊織の演技がね。スタッフはそらおとと同じだから、その流れを汲んでいるといえばそれまでだけど、野水伊織の演技はないわ。主題歌もそうだけど、正直あのレベルの低さで主演はキツイと思う。もっとも、前述のとおりヒロインが分かりづらいから、今の段階だとサブキャラにも見えなくはないという。いや、実際原作でもヒロインはヘルサイズの方だから、間違ってはいないのか。
他にはなんだろうねぇ、フラクタルやまどかはなにが面白いのかサッパリだし、肌に合わないアニメが多いのかもね。レベルEは確かにそれなりだったけど、あれは原作がそもそも面白いのであって、アニメ的にはさてどうなのよと。私がこれ言うと、お前が言うなと思われるだろうけど、女の子の所謂リョナって好きじゃないんですよ。女の子の殴りあいとか殺しあいとか、だからフリージングがあまり好きじゃなくて。特に私の場合はAT-Xで見てますから、凄惨なシーンも修正ないですからね。そういや、あのアニメは何故か画面が4:3で放送されてるんだけど、この地デジ時代にどうしたんだろう。今時、ソフトを買わないと16:3で見れませんよなんて、流行らないと思うんだけどな。いつの時代の話だって感じだし。まあ、売り方は作品それぞれなんでしょうけど。
そういや、今期のアニメでもなんでもないけど、AT-Xでやっているゆとりちゃんは面白いね。新作どころか、BIGLOBE専用のアニメをTVで放送しているだけだけど、ああいうなにも考えずに見られるギャグアニメっていいよ。最近はさ、ただのギャグアニメのくせに無駄に中身を入れたがるというか、説教臭いものを作り奴が多いから、ゆとりちゃんみたいなのは貴重だよ。少なくとも、今期はBDないしDVDを買うような作品はないってことかな。今は荒れを除けばカンパネラと、そらおとがメインなわけだけど、カンパネラはそろそろ終わるな。OVAが出るって話だけど、早く落ち着いてもらいたいものです。金の消費が半端ないし。
まあ、最近はアニメというのもネタ不足な一面がありますから、早々に面白い作品なんて出てきやしないんですけどね。13話未満の1クールが当たり前になって、原作モノも消費物と考えられるようになった世の中、DVDやBDが売れればいという流れだと、どうしたってその場しのぎの作品が多くなってしまう。売れれば2期をやって食いつなげばいいなんて、そりゃあ、原作サイドもアニメ化に対して慎重になり始めるわけですよ。松智洋じゃないけどね。一騎当千みたいにしぶとくアニメ化を続けている成功例もありますし、恋姫無双も……あれ? ふと思ったけど、なんだって三国志が元ネタの作品だけこんなに続いてるんでしょうね。いや、エロいからだろうけど。私の感覚では、どちらも原作のほうが面白いと思うんだけど、この2つはアニメオリジナルでもエロければ売れるという流れを作ってしまった典型的な例だからなぁ。さすがにもう続編はないと思うけど、普通に原作も続いてることを考えると凄いものだ。オリジナルであるが故に、別ものであるからこそ原作に与える影響が皆無というか、アニメ版の恋姫無双がどんなに人気だろうと、エロゲであって百合ゲではない原作から主人公を排除するのは不可能じゃないですか? 一騎当千にしても、男キャラの存在は歴史的に見てもなくてはならない。原作の再現だけがアニメ化じゃないとはいうけど、本当に上手くやったよね。私はそんなに好きではないけど、素直に褒めていい現象だと思う。
ただ、原作と全然違うけど売れたなんてのは過去にもあって、有名所ではスレイヤーズなんかもそうですね。あれはアニメの印象やインパクトが強すぎるが故に、原作との歴然とした差が気にならなくなるといった、非常に珍しい例ですけど。というか、一昔前はそれで通用したんだよ。だから、スタチャはトップに上り詰めることが出来た。
まあ、そんな話はいいとしても今期のアニメ……一応、ほとんどの作品を見ているけど、凄く面白いってのは一本もないよね。ギリギリこれはゾンビですかが悪く無いといった感じで、あれにしたって、それほど良いわけじゃないからなぁ。よくも悪くも富士見書房の作品というか、ヒロインが分かりづらいのと、主人公の個性や能力が鈍いのと、なにより野水伊織の演技がね。スタッフはそらおとと同じだから、その流れを汲んでいるといえばそれまでだけど、野水伊織の演技はないわ。主題歌もそうだけど、正直あのレベルの低さで主演はキツイと思う。もっとも、前述のとおりヒロインが分かりづらいから、今の段階だとサブキャラにも見えなくはないという。いや、実際原作でもヒロインはヘルサイズの方だから、間違ってはいないのか。
他にはなんだろうねぇ、フラクタルやまどかはなにが面白いのかサッパリだし、肌に合わないアニメが多いのかもね。レベルEは確かにそれなりだったけど、あれは原作がそもそも面白いのであって、アニメ的にはさてどうなのよと。私がこれ言うと、お前が言うなと思われるだろうけど、女の子の所謂リョナって好きじゃないんですよ。女の子の殴りあいとか殺しあいとか、だからフリージングがあまり好きじゃなくて。特に私の場合はAT-Xで見てますから、凄惨なシーンも修正ないですからね。そういや、あのアニメは何故か画面が4:3で放送されてるんだけど、この地デジ時代にどうしたんだろう。今時、ソフトを買わないと16:3で見れませんよなんて、流行らないと思うんだけどな。いつの時代の話だって感じだし。まあ、売り方は作品それぞれなんでしょうけど。
そういや、今期のアニメでもなんでもないけど、AT-Xでやっているゆとりちゃんは面白いね。新作どころか、BIGLOBE専用のアニメをTVで放送しているだけだけど、ああいうなにも考えずに見られるギャグアニメっていいよ。最近はさ、ただのギャグアニメのくせに無駄に中身を入れたがるというか、説教臭いものを作り奴が多いから、ゆとりちゃんみたいなのは貴重だよ。少なくとも、今期はBDないしDVDを買うような作品はないってことかな。今は荒れを除けばカンパネラと、そらおとがメインなわけだけど、カンパネラはそろそろ終わるな。OVAが出るって話だけど、早く落ち着いてもらいたいものです。金の消費が半端ないし。
原稿をカタカタと打ちながら、年末に録画したアニメを観ていました。刀語は原作こそ読んだことはあるのですが、アニメは月イチでの放送だったから見逃すことが多く、もっと言えば1話以外はろくに観たことがなかった。アニマックスでも地上波に遅れて放送していたことは知ってたんだけど、年末にプレイバックと題して9話までを一挙放送するということだったので録画することに。丁度、コミケ前だかコミケ中だったかでリアルタイムで視聴する時間はなかったんだけど、改めて一気見すると見応えがありますね。
月イチ1時間アニメというのは珍しいことのように思えますが、過去に例がないわけでもなく、かつてAT-Xでやっていたフィギュア17などは同局の1時間枠で放送し、地上波では分割して30分ごとにするという方法をとっていました。AT-Xでは比較的1時間のアニメというのが多くて、そういった事例を知っている人間からすれば刀語の1話1時間というのは珍しくはあっても意外ではなく、驚くほどのことではありません。ただ、それを地上波でも実現させたというのは、制作側や放送局の作品に対する力の入れよう、ということなんでしょうか? 10年ほど前になりますが、特撮作品で鉄甲機ミカヅキというのがあって、やはり月イチで1時間ぐらいの作品だったんだけど、あれは元々映画の企画だったものをTVシリーズに変えたものだし、事情がちょっと違うかな。ふと思ったんだけど、フィギュア17も約10年前の作品なんだよね……割と最近のアニメであるという印象が強いのは一応2000年代のアニメだからだけど、ミレニアムとか2000年問題となんかで騒がれていたときから、もうそんなに経ったのか。あんまり実感ないのは、それほど私自身が成長していないから? 無駄に年齢重ねてきたとは思いたくないけど、まあ、フィギュア17は好きな作品だったし、あの頃はCSを導入したばかりの頃だから、色々と思い出深いんでしょうね。1時間制作のアニメだなんて、やっぱりCSは凄い! とか思ってましたから。単純だったというか、後のProject BLUEやMnemosyneはそれほど印象に残ってないのに、フィギュア17は頭に焼き付いてる。そういや、AT-Xの1時間アニメは共通点として全部SF作品ですけど、これにはなんか理由があるんでしょうかね? あまり流行らなかったのか、ここ最近は作られてませんけど。
刀語のプレイバックは二夜連続放送で、とりあえず5話までを見てみました。私は西尾維新という作家には思うところあって、様々な経緯から割と同情的な視線を送ってしまいがちなのですが、作品に関してはそれなりに読んでいる方だと思います。ただ最近は年齢的なこともあってか段々と読めなくなってきて、刀語や化物語に関してはそれほど深くは読み込んでいません。西尾維新という作家の作品には年齢による境界線みたいのがあって、ある程度の年齢になるとまともに読むことが出来ないのではないか? というのが、私の周囲にいる年齢層の高い作家や編集者たちの意見。まあ、第二世代ないし第三世代の作家は濃いからね……西尾維新みたいなタイプは受け付けないんでしょう。清涼院流水もそうだけど、ああいうのが理解出来ないというのは当たり前だと思いますよ。それを古い臭いとか、年寄りだというのは当然の意見だと思うが、ああいうのは別に次世代でも新世代とも違うものなんですよ。西尾にしろ清涼院にしろ、あれは個人の才能や才覚が文体に表現されているだけで、小説における新しい形というわけでは決してない。大体、その狭い分野においても意識差や年代差というものが存在して、例えば西尾維新の著作を頻繁に読む若年層は西尾こそがああいった作風の開祖であると思い込んでいるが、そんなことあるわけもなく、清涼院流水などが存在する。同期作家ですら、舞城王太郎や佐藤友哉みたいのがいるのである。ただ、その三者がアニメ化やライトノベルという分かりやすい形で、その手の読者層の前に姿を表していないだけである。もっとも、講談社のファウスト・メフィスト系のファンというのは既に形成されているから、そこから飛び出してさらに広がりを見せたのが、西尾維新といったところか。しかし、それでも、有川浩や桜庭一樹のような広く一般的ではない、狭い空間における作家であることは否定出来ないだろう。
年配の作家たちで、特に弟子や学生などに物を教える立場にある人が近年言うのだが、今の作家志望、特にライトノベルを目指す若者たちは本当に視野と読書の幅が狭いらしい。曰く、彼らには過去を振りかることがなく、言ってみれば2~3年前の古い作品には見向きもせず、ひたすら今量産されている作品だけを読んでいるというのだ。例えば、西尾維新で言うなら化物語や刀語は読んでも、戯言シリーズは読まないといったところか。電撃文庫等で流行っているような作品を少しかじって、まあ、それで作家を目指すことが悪いとは言わないが、なんとも薄っぺらい話ではある。別に読書力がないわけではないのにだ。
過去の名作、SFなら夏への扉を読ませたとして、彼らはそれを理解できるし、面白いと思うことも出来る。けれど、彼らには進んでそれら過去の名作を、古い作品を、もっと言えばライトノベル以外を読むつもりがない。単純な話、彼らはラノベを読んでラノベ作家を目指しているわけだから、それ以外のものを読むことは、彼らにとって読書ではなく勉強になってしまうのだという。そして、誰しも好き好んで勉強をしたがるものはいないのだ。所謂、エロゲ的なイラストが付いていなければ読む気がしないというのは、なんとも微妙な話である。これもまたジェネレーションギャップなのだろうか。
月イチ1時間アニメというのは珍しいことのように思えますが、過去に例がないわけでもなく、かつてAT-Xでやっていたフィギュア17などは同局の1時間枠で放送し、地上波では分割して30分ごとにするという方法をとっていました。AT-Xでは比較的1時間のアニメというのが多くて、そういった事例を知っている人間からすれば刀語の1話1時間というのは珍しくはあっても意外ではなく、驚くほどのことではありません。ただ、それを地上波でも実現させたというのは、制作側や放送局の作品に対する力の入れよう、ということなんでしょうか? 10年ほど前になりますが、特撮作品で鉄甲機ミカヅキというのがあって、やはり月イチで1時間ぐらいの作品だったんだけど、あれは元々映画の企画だったものをTVシリーズに変えたものだし、事情がちょっと違うかな。ふと思ったんだけど、フィギュア17も約10年前の作品なんだよね……割と最近のアニメであるという印象が強いのは一応2000年代のアニメだからだけど、ミレニアムとか2000年問題となんかで騒がれていたときから、もうそんなに経ったのか。あんまり実感ないのは、それほど私自身が成長していないから? 無駄に年齢重ねてきたとは思いたくないけど、まあ、フィギュア17は好きな作品だったし、あの頃はCSを導入したばかりの頃だから、色々と思い出深いんでしょうね。1時間制作のアニメだなんて、やっぱりCSは凄い! とか思ってましたから。単純だったというか、後のProject BLUEやMnemosyneはそれほど印象に残ってないのに、フィギュア17は頭に焼き付いてる。そういや、AT-Xの1時間アニメは共通点として全部SF作品ですけど、これにはなんか理由があるんでしょうかね? あまり流行らなかったのか、ここ最近は作られてませんけど。
刀語のプレイバックは二夜連続放送で、とりあえず5話までを見てみました。私は西尾維新という作家には思うところあって、様々な経緯から割と同情的な視線を送ってしまいがちなのですが、作品に関してはそれなりに読んでいる方だと思います。ただ最近は年齢的なこともあってか段々と読めなくなってきて、刀語や化物語に関してはそれほど深くは読み込んでいません。西尾維新という作家の作品には年齢による境界線みたいのがあって、ある程度の年齢になるとまともに読むことが出来ないのではないか? というのが、私の周囲にいる年齢層の高い作家や編集者たちの意見。まあ、第二世代ないし第三世代の作家は濃いからね……西尾維新みたいなタイプは受け付けないんでしょう。清涼院流水もそうだけど、ああいうのが理解出来ないというのは当たり前だと思いますよ。それを古い臭いとか、年寄りだというのは当然の意見だと思うが、ああいうのは別に次世代でも新世代とも違うものなんですよ。西尾にしろ清涼院にしろ、あれは個人の才能や才覚が文体に表現されているだけで、小説における新しい形というわけでは決してない。大体、その狭い分野においても意識差や年代差というものが存在して、例えば西尾維新の著作を頻繁に読む若年層は西尾こそがああいった作風の開祖であると思い込んでいるが、そんなことあるわけもなく、清涼院流水などが存在する。同期作家ですら、舞城王太郎や佐藤友哉みたいのがいるのである。ただ、その三者がアニメ化やライトノベルという分かりやすい形で、その手の読者層の前に姿を表していないだけである。もっとも、講談社のファウスト・メフィスト系のファンというのは既に形成されているから、そこから飛び出してさらに広がりを見せたのが、西尾維新といったところか。しかし、それでも、有川浩や桜庭一樹のような広く一般的ではない、狭い空間における作家であることは否定出来ないだろう。
年配の作家たちで、特に弟子や学生などに物を教える立場にある人が近年言うのだが、今の作家志望、特にライトノベルを目指す若者たちは本当に視野と読書の幅が狭いらしい。曰く、彼らには過去を振りかることがなく、言ってみれば2~3年前の古い作品には見向きもせず、ひたすら今量産されている作品だけを読んでいるというのだ。例えば、西尾維新で言うなら化物語や刀語は読んでも、戯言シリーズは読まないといったところか。電撃文庫等で流行っているような作品を少しかじって、まあ、それで作家を目指すことが悪いとは言わないが、なんとも薄っぺらい話ではある。別に読書力がないわけではないのにだ。
過去の名作、SFなら夏への扉を読ませたとして、彼らはそれを理解できるし、面白いと思うことも出来る。けれど、彼らには進んでそれら過去の名作を、古い作品を、もっと言えばライトノベル以外を読むつもりがない。単純な話、彼らはラノベを読んでラノベ作家を目指しているわけだから、それ以外のものを読むことは、彼らにとって読書ではなく勉強になってしまうのだという。そして、誰しも好き好んで勉強をしたがるものはいないのだ。所謂、エロゲ的なイラストが付いていなければ読む気がしないというのは、なんとも微妙な話である。これもまたジェネレーションギャップなのだろうか。
自己を律し、堕落する
2011年1月22日 アニメ・マンガ体調不良を引きずっていたこともあり、今日は一日家でのんびりしていました。先日から溜め込んでいたテキストファイルの整理を始めていて、まあ、フォルダの中には昔書いたプロットとか、書きかけで放棄した作品なんかがゴロゴロしているわけですよ。ボケーッと過ごすのもあれだからと、整理の続きも行ったんですが……たまに書いた覚えのない奴とか出て来たり、書いたはずなのに見当たらなかったりするもんだから、数が多いのも考えものです。まあ、そのおかげで二次創作ならハル×穹の書きかけとか、オリジナルなら使えそうなプロットを2つほど発見できたりと、成果はあったんですけどね。
私は小説的なものを書く際、ほとんどの場合はガチガチにプロットを組んでからはじめます。プロットがなければなにも書けないというわけじゃないんですけど、中編以上の場合はないと必ず詰まるから。なので、基本的にはなにを書くにしてもプロット制作から取り掛かるのが私のスタイルであり、これは別に珍しいことでもないと思う。身内みたいなネット専門の物書きは文章創作術が分からないから、プロットの組み立て方というものが理解出来ないんだそうだけど、それを集中的に修行していた身としては、前段階としてのプロットがないのは割と不安な気分になるんですよ。ライター的な仕事ならまだしも、小説となるとね。
プロットというのはプロからすれば企画書みたいなもんだから、それを持って自分が今書きたいものを編集者に提示し、出版社を納得させなければいけない。専業作家の中にはコンセプトから研究資料まで提出して、その話が売れるであろう理由や可能性を具体的に示す人もいますけど、私はプロじゃないので作品の中身だけをしっかり書くタイプです。まず簡易的な流れを書いたものをサラサラと書いて、それを数ヵ月間寝かせた後に清書用のガチガチとしたものを組み立てていく。私が今回発掘したのは、どちらかと言えばサラサラしたタイプのものですね。こんな話を書きたいと思ったときと、実際にそれが書けるときというのは違うと私は考えているから、まあ、酒じゃないですけど書き頃になるまで寝かせるんですよ。
そんなわけで今はオリジナルのプロットをチラホラと書いてます。程良く熟しているので、そろそろ書けると思うんだけど、私にしては暗い話かも知れない。久しぶりのSFとはいえ、所謂スペースオペラの類ではなく……早川文庫でいうなら、リアル・フィクションって奴ですかね? 別に小難しい話を書くつもりはないし、リアル・フィクションがイコールで薄暗い話ってことじゃないんだろうけど、イメージ的に明るくはないでしょ? 私はハッピーエンド至上主義者だから、不幸な結末とかそういうのが大嫌いなんだけど、今回ばっかりはどう転ぶか分からない。誰かが幸せになる話ってのは、結局のところ違う誰かが不幸になることで、皆が幸せになる話なんてのはなかなかないものなんですよ。大団円なんてのは、所詮主人公とその周りだけがハッピーになることだからね。新ビックリマンの最終回みたいな、ああいうのは例外にしても。
だから今回は、敢えて誰かが悲しむ話しを書いてみようかと思う。むしろ、それが悲しみや同情に価するものなのかというのを試したいというか……私も酷いこと考えているな。一人のキャラを犠牲にして、それが人々の感傷に響くものかどうかを実験しようとしているのだから。本当に酷い奴だね、私って。正直、冒険的というよりは挑戦的な内容なんだけど、ネタの鮮度的に考えると、今書かないと後は腐るだけなんですよ。本当は去年のうちに書くべきだったんだけど、思いついたのが去年だったから自分の中でまだ熟してなくて。とりあえず、プロットが組みあがった時点で悲恋堂の店主にでも読ませるか。奴曰く、「あなたの作品はプロットの時点で『あぁ、読んだ、読んだ』という気分になるから、実のところあなたもそれだけで満足しているじゃないですか?」とのことだけど、確かにまあプロット書き上げた時点でやり遂げた感があるのは事実。まだなにも始まってないのにね。
なんだって書く前の作品について日記を書いたのかといえば、まあ、日記だからいいんじゃないかという思いと、書き始めるに当たっての心構えみたいなものかな。今年はなんとしても書き上げたい作品が2つあるので、まあ、二次創作の方もありますけど、そっちをメインでやっていきたいかなと。テンションを保っていられるうちにね。文章を書くだけが楽しみじゃないにせよ、それぐらいしかすることもないんだから、頑張っていかなくては。
私は小説的なものを書く際、ほとんどの場合はガチガチにプロットを組んでからはじめます。プロットがなければなにも書けないというわけじゃないんですけど、中編以上の場合はないと必ず詰まるから。なので、基本的にはなにを書くにしてもプロット制作から取り掛かるのが私のスタイルであり、これは別に珍しいことでもないと思う。身内みたいなネット専門の物書きは文章創作術が分からないから、プロットの組み立て方というものが理解出来ないんだそうだけど、それを集中的に修行していた身としては、前段階としてのプロットがないのは割と不安な気分になるんですよ。ライター的な仕事ならまだしも、小説となるとね。
プロットというのはプロからすれば企画書みたいなもんだから、それを持って自分が今書きたいものを編集者に提示し、出版社を納得させなければいけない。専業作家の中にはコンセプトから研究資料まで提出して、その話が売れるであろう理由や可能性を具体的に示す人もいますけど、私はプロじゃないので作品の中身だけをしっかり書くタイプです。まず簡易的な流れを書いたものをサラサラと書いて、それを数ヵ月間寝かせた後に清書用のガチガチとしたものを組み立てていく。私が今回発掘したのは、どちらかと言えばサラサラしたタイプのものですね。こんな話を書きたいと思ったときと、実際にそれが書けるときというのは違うと私は考えているから、まあ、酒じゃないですけど書き頃になるまで寝かせるんですよ。
そんなわけで今はオリジナルのプロットをチラホラと書いてます。程良く熟しているので、そろそろ書けると思うんだけど、私にしては暗い話かも知れない。久しぶりのSFとはいえ、所謂スペースオペラの類ではなく……早川文庫でいうなら、リアル・フィクションって奴ですかね? 別に小難しい話を書くつもりはないし、リアル・フィクションがイコールで薄暗い話ってことじゃないんだろうけど、イメージ的に明るくはないでしょ? 私はハッピーエンド至上主義者だから、不幸な結末とかそういうのが大嫌いなんだけど、今回ばっかりはどう転ぶか分からない。誰かが幸せになる話ってのは、結局のところ違う誰かが不幸になることで、皆が幸せになる話なんてのはなかなかないものなんですよ。大団円なんてのは、所詮主人公とその周りだけがハッピーになることだからね。新ビックリマンの最終回みたいな、ああいうのは例外にしても。
だから今回は、敢えて誰かが悲しむ話しを書いてみようかと思う。むしろ、それが悲しみや同情に価するものなのかというのを試したいというか……私も酷いこと考えているな。一人のキャラを犠牲にして、それが人々の感傷に響くものかどうかを実験しようとしているのだから。本当に酷い奴だね、私って。正直、冒険的というよりは挑戦的な内容なんだけど、ネタの鮮度的に考えると、今書かないと後は腐るだけなんですよ。本当は去年のうちに書くべきだったんだけど、思いついたのが去年だったから自分の中でまだ熟してなくて。とりあえず、プロットが組みあがった時点で悲恋堂の店主にでも読ませるか。奴曰く、「あなたの作品はプロットの時点で『あぁ、読んだ、読んだ』という気分になるから、実のところあなたもそれだけで満足しているじゃないですか?」とのことだけど、確かにまあプロット書き上げた時点でやり遂げた感があるのは事実。まだなにも始まってないのにね。
なんだって書く前の作品について日記を書いたのかといえば、まあ、日記だからいいんじゃないかという思いと、書き始めるに当たっての心構えみたいなものかな。今年はなんとしても書き上げたい作品が2つあるので、まあ、二次創作の方もありますけど、そっちをメインでやっていきたいかなと。テンションを保っていられるうちにね。文章を書くだけが楽しみじゃないにせよ、それぐらいしかすることもないんだから、頑張っていかなくては。
手に届く範囲での懐かしさ
2011年1月21日 アニメ・マンガ昨日、食事に出かけた豚野郎(店名)ですけど、その夜にやったテレビ番組で紹介されたとかで、どうやらかなりの混雑になっているみたいですね。さすがテレビ効果といいますか、私は色々とギリギリだったみたいだ。決断というほどのことではないにせよ、食べに行って良かった。これでしばらくは、まともに入店も出来ないほどの繁盛ぶりとなることでしょう。また行く機会があるかは分かりませんが、こういうすべりこみセーフみたいなのは少し気分が良いよね。ささいなことに過ぎないんだけどさ。
良いことの後は悪いことが起きるじゃないけど、なんか昨晩からずっと体調が悪かったです。具体的にいうと、まあ、酷い頭痛に微熱がありまして。風邪って感じはしなかったので、流行りのインフルエンザを疑ったんだけど、それにしては熱の上がり方が大したことない。まあ、私はとある事情から基本的に体温が高くて、にもかかわらず発熱しにくいという変な身体をしているため、高熱で寝込むということが人より少ないほうだと思います。インフルエンザにも、生まれて以来かかったことがないですからね。別に自慢でもなんでもないけど、不健康に生きている割に、意外と身体は健康だったりするんですよ。多少、ガタは来てますが。
そんなもんだから、たまに体調が悪くなると逆に一般人には大したことがなくても、すぐにダウンしてしまう傾向にあって、病は気からじゃないですが、実はメッチャ弱っちいです。幸い、家には常備薬が豊富なのと、サーティワンで買ったアイスクリームの買い置きがあったから、これらで熱を下げることに。私は別に仕事に熱情のすべてを捧げてはいませんが、それにしたって行かなければならないときというのは必ずあるわけで。今日だけは休むわけにもいかなかったので、なんとか治ったことにして仕事へ出掛けました。そんな私を真面目という人もいるけど、悲恋堂の店主に言わせれば「思い込みが激しいだけ」とのこと。まあ、実際にどうしても、張ってでも行かなければいけないときなんて早々ないし、私がそう思っているだけなんですけどね。でも、だからといってほいほい休むのも、それはそれで違うと思うし、情けない気もするからさ。妙な責任感というより、単に頑固なだけなんだろうけど、考えて見れば病欠で今の仕事を休んだのってほとんどないは。ちょっと動けない怪我というか、傷で寝込んでいたことはあったけど。
しかし、アイスとか結構効くもんですね。気持ち程度かと思ってたけど、それなりに熱下がりましたし。地元にサーティワンが出来て、いや、戻ってきてからまだ1年と経ってない気はしますけど、たまに食べると美味しい気もします。20年ぐらい前に一度合ったんだけど、流行らなかったのか、某ドーナツ屋に変わってしまいましてね。それが、小型のショッピングモール的なものが出来るからと、場所は全然違いますが再出店してきたんですよ。まあ、コンビニで売ってるような100円アイスとは比較にならないし、ハーゲンダッツやレディーボーデンと並ぶアイスブランドでしょうね。ただ、ハーゲンダッツがコンビニで、レディーボーデンがスーパーで買えることに比べると、サーティワンは店舗限定みたいな部分があるから、それほど身近存在ではなかったと思う。まあ、再出店してきてからは数ヵ月に一度ぐらいのペースで利用しています。
ただ、私はどちらかと言えばアイスクリームよりソフトクリームの方が好きで、好きなんだけど滅多に食べません。アイスと違って持ち帰りできるものじゃないし、売っている店というのもそんなにありませんからね。ましてや、コンビニにあるようなソフトクリームもどきは好きじゃないから、考えて見れば数年は食べてなかったことになるな。実は最近、昨日今日みたいに体調が優れない日があって、微妙に熱っぽい感じもしたので帰りの横浜で寄り道をしました。ダイヤモンド地下街に下りて、すぐそこに有隣堂のまんが王国があるんですけどね? そこに隣接するように、森永のミルクスタンドがあるんですよ。秋葉原駅にあるような奴とほとんど変わらないんだけど、既製品じゃない軽食みたいのも売っていて、フライドポテトとかそういうのもあるんだけど、ここでソフトクリームを食べることが出来る。身内の話では美味しいという話だったし、冷たいものでも食べれば少しは気分も良くなるんじゃないかと思って、数年ぶりに食べてみることにしました。
まあ、大の男がソフトクリーム食べている姿なんて絵にもなりませんけど、アイスと違って柔らかいミルクソフトは、どことなく懐かしい味でしたね。コーンも美味しかったし、ワッフル系もキライじゃないけど、普通のが私は好きかな。
アイスといえば、セブンティーンアイスってあるじゃないですか? 自販機で買えるアイスとして有名な。子供の頃はあれをよく食べていたんだけど、あれもここ10年ぐらいはご無沙汰かも知れない。自販機自体は、今も色々なところで見かけるんですよ。横浜だとダイエーの横にありますし、例えば池袋サンシャインの文化会館前にもあったと思う。それから、りんかい線の大井町駅、国際展示場方面のホームにもあって、まあ、あこで食べることはまずないと思うけど、たまにはああいうのを買ってみるのも、ありなのかな。
良いことの後は悪いことが起きるじゃないけど、なんか昨晩からずっと体調が悪かったです。具体的にいうと、まあ、酷い頭痛に微熱がありまして。風邪って感じはしなかったので、流行りのインフルエンザを疑ったんだけど、それにしては熱の上がり方が大したことない。まあ、私はとある事情から基本的に体温が高くて、にもかかわらず発熱しにくいという変な身体をしているため、高熱で寝込むということが人より少ないほうだと思います。インフルエンザにも、生まれて以来かかったことがないですからね。別に自慢でもなんでもないけど、不健康に生きている割に、意外と身体は健康だったりするんですよ。多少、ガタは来てますが。
そんなもんだから、たまに体調が悪くなると逆に一般人には大したことがなくても、すぐにダウンしてしまう傾向にあって、病は気からじゃないですが、実はメッチャ弱っちいです。幸い、家には常備薬が豊富なのと、サーティワンで買ったアイスクリームの買い置きがあったから、これらで熱を下げることに。私は別に仕事に熱情のすべてを捧げてはいませんが、それにしたって行かなければならないときというのは必ずあるわけで。今日だけは休むわけにもいかなかったので、なんとか治ったことにして仕事へ出掛けました。そんな私を真面目という人もいるけど、悲恋堂の店主に言わせれば「思い込みが激しいだけ」とのこと。まあ、実際にどうしても、張ってでも行かなければいけないときなんて早々ないし、私がそう思っているだけなんですけどね。でも、だからといってほいほい休むのも、それはそれで違うと思うし、情けない気もするからさ。妙な責任感というより、単に頑固なだけなんだろうけど、考えて見れば病欠で今の仕事を休んだのってほとんどないは。ちょっと動けない怪我というか、傷で寝込んでいたことはあったけど。
しかし、アイスとか結構効くもんですね。気持ち程度かと思ってたけど、それなりに熱下がりましたし。地元にサーティワンが出来て、いや、戻ってきてからまだ1年と経ってない気はしますけど、たまに食べると美味しい気もします。20年ぐらい前に一度合ったんだけど、流行らなかったのか、某ドーナツ屋に変わってしまいましてね。それが、小型のショッピングモール的なものが出来るからと、場所は全然違いますが再出店してきたんですよ。まあ、コンビニで売ってるような100円アイスとは比較にならないし、ハーゲンダッツやレディーボーデンと並ぶアイスブランドでしょうね。ただ、ハーゲンダッツがコンビニで、レディーボーデンがスーパーで買えることに比べると、サーティワンは店舗限定みたいな部分があるから、それほど身近存在ではなかったと思う。まあ、再出店してきてからは数ヵ月に一度ぐらいのペースで利用しています。
ただ、私はどちらかと言えばアイスクリームよりソフトクリームの方が好きで、好きなんだけど滅多に食べません。アイスと違って持ち帰りできるものじゃないし、売っている店というのもそんなにありませんからね。ましてや、コンビニにあるようなソフトクリームもどきは好きじゃないから、考えて見れば数年は食べてなかったことになるな。実は最近、昨日今日みたいに体調が優れない日があって、微妙に熱っぽい感じもしたので帰りの横浜で寄り道をしました。ダイヤモンド地下街に下りて、すぐそこに有隣堂のまんが王国があるんですけどね? そこに隣接するように、森永のミルクスタンドがあるんですよ。秋葉原駅にあるような奴とほとんど変わらないんだけど、既製品じゃない軽食みたいのも売っていて、フライドポテトとかそういうのもあるんだけど、ここでソフトクリームを食べることが出来る。身内の話では美味しいという話だったし、冷たいものでも食べれば少しは気分も良くなるんじゃないかと思って、数年ぶりに食べてみることにしました。
まあ、大の男がソフトクリーム食べている姿なんて絵にもなりませんけど、アイスと違って柔らかいミルクソフトは、どことなく懐かしい味でしたね。コーンも美味しかったし、ワッフル系もキライじゃないけど、普通のが私は好きかな。
アイスといえば、セブンティーンアイスってあるじゃないですか? 自販機で買えるアイスとして有名な。子供の頃はあれをよく食べていたんだけど、あれもここ10年ぐらいはご無沙汰かも知れない。自販機自体は、今も色々なところで見かけるんですよ。横浜だとダイエーの横にありますし、例えば池袋サンシャインの文化会館前にもあったと思う。それから、りんかい線の大井町駅、国際展示場方面のホームにもあって、まあ、あこで食べることはまずないと思うけど、たまにはああいうのを買ってみるのも、ありなのかな。
その拘りは価値あるのものか
2011年1月20日 アニメ・マンガ私は基本的に職場へ弁当を持参していて、昼食は自分の机で弁当を食べていることが圧倒的に多いです。外食や買い食いが殊更嫌いなわけではないのですが、特に稼いでいるわけでもないから金銭的な問題もありますし、なにより勿体無い。飲食に関して金を使うことが好きじゃない。食べ歩きが趣味とか言われることもありますけど、私ほどケチな人間はいませんからね。あなたは色々な意味で金の使い方が下手な人だとは悲恋堂の店主に言われたことですけど、まあ、ケチなくせして万年金欠だからその通りなんでしょう。
弁当持参を常としていても、時にはそれが出来ない場合もあります。寝坊したり、交通機関の乱れから早めに家を出ないときなど、弁当を用意する暇がないときですね。一昔前の私なら昼食ぐらい抜いても生きていけたんですが、最近は食べないとやっていけない部分もあるというか、俗っぽいこというと飯食っているときが一番心休まるとか言うじゃないですか。飯の時間があるから働いていられるというか、仕事に疲れたサラリーマンじゃないけどさ。それに私は朝食を食べない人だから、飲まず食わずで夜まで過ごすにはキツイものがあって。だからまあ、弁当を持っていないときは素直に外食ないし買い食いをすることが多いです。
ただ、私の中にも順位というかハードルの高さというのがあって、外食に行くよりは買い食いの方が頻度は高いと思う。リーマンばっかりの飲食店へ入ることの気後れがないといえば嘘になるだろうけど、それよりなにより外で食事をすることで消費される時間が惜しいんですよね。上記の考えからすれば、食事のときぐらい社外に出たいと思うのが普通かもしれないけど、私はなんていうか外食って忙しない気がしてさ。そのいい例がラーメン屋だろうけど、定食屋さんなんかでもそれは変わらないというかね。だったら、そこらで弁当でも買って、パソコンをカチカチやりながら昼休みを過ごしていたほうがよっぽど気楽なんじゃないかと。幸い、私の周囲は外へ食事に行く人が多いから、周りに対する気兼ねもいらないし。結局、私が弁当持参を続けているのも、その方が楽だからなんでしょうね。金銭的にも精神的も。それに外に出ると、時間があっという間に過ぎてしまうから、なんか存した気分にもなる。要するに出不精なだけじゃないかと言われればそれまでだけど、人が思っているほどに外食とか食べ歩きに熱があるわけでもないんですよ。
なんてことを書いてきましたけど、今日の食事は珍しく外食でした。色々あって弁当を持ってこれず、さて昼はどうしようかなと悩み、気分的にどうも弁当とかそういう感じじゃなかったので。あまりコンビニ弁当とか、おにぎり的なものが好きじゃないのと、かと言ってそこらの店が出している仕出しの弁当って感じもしなかったし、ファーストフードは不健康な食事を控えていこうといった手前、どうにも選ぶ気が起きなくて。
そんなことを考えながらTwitterを眺めてたら、そういうやよくTLで御茶ノ水だったかの豚丼屋が長いこと話題になっていたなということを思い出す。エロゲというか、秋葉原関係者を中心に行く人が多いらしく、まあ、その気になれば御茶ノ水なんて徒歩でも行けますからね。私は面倒臭いから電車ですけど、「外食か……それもいいな」ということで行ってみることにしました。
その気になれば徒歩でも行ける距離ですから電車だと本当に早くて、尚且つ店自体駅から近い場所にあったのですぐに辿り着くことが出来ました。そう、ここがTwitter等で話題の焼豚丼 豚野郎(店名)です。直球ともまた少し違った店名に、主なメニューは豚丼しか存在しないという剛毅な店ですが、1000円未満でボリュームある丼ぶりが食べられるため、地元の学生たちに大人気みたい。私が店についたのは12字5分ぐらいだったと思うけど、ビルの3階にある店から階下まで列は伸びていて、私の後に来た人は並ぶ時間を惜しんだのか、断念して去っていくというのがチラホラ見受けられました。私は自分の前に10人以上いなかったのと、カウンターのみの店という話だから回転率はそれほど悪くないだろうと考えて待つことに。入店したのは12時半ぐらいだったかな? まあ、それなりに待ちましたけど、交通費掛けてきたからには帰るのもあれかなと思って。
メニューは豚丼と、付け合せに味噌汁と温玉があったけど、特に興味もないから中豚丼を頼むことに。680円、チェーン店の丼ぶりと比較すれば高いですけど、作り置きをせずに注文を受けてから肉を焼くから、できたてを食べられました。
まあ、上等な食材を使っているわけでもないし、分類するならB級グルメの一種ですから味は相応でしたけど、炭火焼の肉は香ばしかったし、タレの染みこんだご飯は美味しかったですよ。混んでいる店だし、頻繁に通うことは出来ませんけど、学生人気が高いのも納得のボリュームでしたからね。御茶ノ水とか神保町は学生街ということもあって、こういう店が多いけど、あいにくと神田・秋葉原方面にいる私とは距離的に咬み合わない。昼休みなんて1時間しかないし、12時40分頃出てきた豚丼を10分未満で食べて、ダッシュで職場に戻る感じでしたからね。なかなかどうした、上手く出来ていないものです。
弁当持参を常としていても、時にはそれが出来ない場合もあります。寝坊したり、交通機関の乱れから早めに家を出ないときなど、弁当を用意する暇がないときですね。一昔前の私なら昼食ぐらい抜いても生きていけたんですが、最近は食べないとやっていけない部分もあるというか、俗っぽいこというと飯食っているときが一番心休まるとか言うじゃないですか。飯の時間があるから働いていられるというか、仕事に疲れたサラリーマンじゃないけどさ。それに私は朝食を食べない人だから、飲まず食わずで夜まで過ごすにはキツイものがあって。だからまあ、弁当を持っていないときは素直に外食ないし買い食いをすることが多いです。
ただ、私の中にも順位というかハードルの高さというのがあって、外食に行くよりは買い食いの方が頻度は高いと思う。リーマンばっかりの飲食店へ入ることの気後れがないといえば嘘になるだろうけど、それよりなにより外で食事をすることで消費される時間が惜しいんですよね。上記の考えからすれば、食事のときぐらい社外に出たいと思うのが普通かもしれないけど、私はなんていうか外食って忙しない気がしてさ。そのいい例がラーメン屋だろうけど、定食屋さんなんかでもそれは変わらないというかね。だったら、そこらで弁当でも買って、パソコンをカチカチやりながら昼休みを過ごしていたほうがよっぽど気楽なんじゃないかと。幸い、私の周囲は外へ食事に行く人が多いから、周りに対する気兼ねもいらないし。結局、私が弁当持参を続けているのも、その方が楽だからなんでしょうね。金銭的にも精神的も。それに外に出ると、時間があっという間に過ぎてしまうから、なんか存した気分にもなる。要するに出不精なだけじゃないかと言われればそれまでだけど、人が思っているほどに外食とか食べ歩きに熱があるわけでもないんですよ。
なんてことを書いてきましたけど、今日の食事は珍しく外食でした。色々あって弁当を持ってこれず、さて昼はどうしようかなと悩み、気分的にどうも弁当とかそういう感じじゃなかったので。あまりコンビニ弁当とか、おにぎり的なものが好きじゃないのと、かと言ってそこらの店が出している仕出しの弁当って感じもしなかったし、ファーストフードは不健康な食事を控えていこうといった手前、どうにも選ぶ気が起きなくて。
そんなことを考えながらTwitterを眺めてたら、そういうやよくTLで御茶ノ水だったかの豚丼屋が長いこと話題になっていたなということを思い出す。エロゲというか、秋葉原関係者を中心に行く人が多いらしく、まあ、その気になれば御茶ノ水なんて徒歩でも行けますからね。私は面倒臭いから電車ですけど、「外食か……それもいいな」ということで行ってみることにしました。
その気になれば徒歩でも行ける距離ですから電車だと本当に早くて、尚且つ店自体駅から近い場所にあったのですぐに辿り着くことが出来ました。そう、ここがTwitter等で話題の焼豚丼 豚野郎(店名)です。直球ともまた少し違った店名に、主なメニューは豚丼しか存在しないという剛毅な店ですが、1000円未満でボリュームある丼ぶりが食べられるため、地元の学生たちに大人気みたい。私が店についたのは12字5分ぐらいだったと思うけど、ビルの3階にある店から階下まで列は伸びていて、私の後に来た人は並ぶ時間を惜しんだのか、断念して去っていくというのがチラホラ見受けられました。私は自分の前に10人以上いなかったのと、カウンターのみの店という話だから回転率はそれほど悪くないだろうと考えて待つことに。入店したのは12時半ぐらいだったかな? まあ、それなりに待ちましたけど、交通費掛けてきたからには帰るのもあれかなと思って。
メニューは豚丼と、付け合せに味噌汁と温玉があったけど、特に興味もないから中豚丼を頼むことに。680円、チェーン店の丼ぶりと比較すれば高いですけど、作り置きをせずに注文を受けてから肉を焼くから、できたてを食べられました。
まあ、上等な食材を使っているわけでもないし、分類するならB級グルメの一種ですから味は相応でしたけど、炭火焼の肉は香ばしかったし、タレの染みこんだご飯は美味しかったですよ。混んでいる店だし、頻繁に通うことは出来ませんけど、学生人気が高いのも納得のボリュームでしたからね。御茶ノ水とか神保町は学生街ということもあって、こういう店が多いけど、あいにくと神田・秋葉原方面にいる私とは距離的に咬み合わない。昼休みなんて1時間しかないし、12時40分頃出てきた豚丼を10分未満で食べて、ダッシュで職場に戻る感じでしたからね。なかなかどうした、上手く出来ていないものです。
Sphere新作「イモウトノカタチ」情報公開
2011年1月19日 イモウトノカタチ
先週のSphereスタッフ日記に、今週発売されるPUSH!!に新作の情報が載るという記述があったので買ってきました。Sphereは処女作であるヨスガノソラと、そのファンディスクであるハルカナソラしかだしていないブランドで、完全新作という意味ではおよそ3年ぶりになるのかな? アニメの勢いに任せて、あるいはヨスガを引っ張るのではないかとも思ってたんですけど、やはり放送終了を契機に切り替えていくみたいですね。思い入れが強いだけに複雑ですけど、まあ、仕方ないことでしょう。
そんなわけで公開されたSphereの完全新作、イモウトノカタチです。タイトル自体は先日のイベントで広報が漏らしていましたから、私も事前に知っていました。カタカナタイトルなのはヨスガに習ってというわけじゃないんだろうけど、まさか、継続して妹モノを作るとは思わなかった。だってメイン属性が同じだと、どうしたって春日野穹との比較は避けられないじゃない。穹を超えるのは容易なことじゃないし、てっきり違うもので来ると思ったんですけどね……とりあえず以下が、スタッフなど基本情報になります。
こんな感じになりますけど、シナリオはハルカナソラを担当していた人たちですからいいとしても、原画家も三人体制になるんですね。鈴平ひろは単なる外注でしたから継続して参加しないのは頷けますけど、意外だったのは武藤此史がメイン原画っぽいことです。武藤さんといえば、ensembleというブランドで花と乙女に祝福をという作品を担当していた絵描きさんです。それなりにヒットした作品でFDも作られ、今月末には新作である黙って私のムコになれ!が発売されるので、チェックしている人は多いんじゃないでしょうか? てっきり私はensembleの所属だと思ってから、今回のSphereでの起用は意外だったんですけど、元々フリーなのか、ensembleとの契約がそろそろ切れるかのどちらかといったところかな。
こだまさわという人は、まだ二十歳にも満たない学生のイラストレーターで、SphereというかCUFFSにはグッズイラストへゲスト参加などをしています。絵柄はまあ、ハッシーに近いものがあるというか、如何にも今時の絵描きという感じのイラストを描く人ですけど、これといった実績があるわけでもないから、ほぼ新人みたいなものですかね。
そして三番手として記載されているハッシーこと橋本タカシですが、この並びでいうと今回ハッシーはメイン原画家ではなさそうです。PUSH!!に紹介されているラフも、武藤さんのものでしたし。ただ、制服の設定画などにハッシーのサインが見られることから、基本的な部分ではやはり所属であるハッシーが作っているんだと思う。まあ、参加しないよりはマシですし、良いキャラを描いてくれるのなら、それで構わないんだと分かっているはずなんですが……本音いうと、メインでの起用が良かったかなと。それがハッシーにとっての負担であることも、分かってはいるんですけど。
あらすじに関してはどこまで書いていいのか迷いますが、とりあえず現代の話ではないということです。記事にある大まかなあらすじには書いてないので見落としがちだけど、物語の舞台はロボットなども登場する近未来とのことで、ある種のSF要素があるみたいです。もっとも、ロボットと言っても人形とは限らず、それこそ清掃用のロボットとかかも知れませんけど、わざわざ舞台を近未来にする以上は、設定として意味があるものなんでしょう。メカ少女とか、そっち系のヒロインが出てこないとも限らないし。
まあ、2作目にしてそこまでの冒険はしないと踏んでますけど、話の内容的にもヨスガの時より重たい感じになってますね。ヨスガノソラというのは、両親を事故で無くした双子の兄妹、ハルと穹の物語でしたけど、今作イモウトノカタチは過去の災害で両親を失い、妹とも生き別れてしまった天涯孤独の青年美馬雪人が主人公。つまり、ハルと違って最初の段階でなにもかも失っているわけです。
災害後は施設に預けられ、バイトで学費を稼ぐ勤労学生をやっていた雪人だけど、ある日故郷の町が災害から10年経って復興し、それを機に町の過去の記録等が一般公開されるらしい。災害によって親兄弟を失ったものは多く、身元も分からないような子供もいた。雪人もその一人であり、彼は町に行って過去の記録を見れば、行方不明である生き別れの妹と再会出来るかも知れないと考え、故郷である「鵠見市 白鳥環境特区」へ向かうのでした。
とまあ、これが簡単なあらすじで、この読みにくい町の名前はこくみでしょうか? 鵠はくぐいと読み、白鳥の古い呼び名のことですが、一般的には正鵠を射るといることわざでお馴染みですね。鵠で白鳥なんて意味同じじゃないかとも思うけど、なにかしらの意図があっての名前なんでしょう。
記事で紹介されていたキャラのラフは、ヒロインの一人である瀬名美優樹という少女です。担当の原画家は前述の通り武藤此史ですけど、この少女もまた災害孤児だそうで、義理の両親に引き取られ養女になっていたらしい。最近までお嬢様学校に通っていたという箱入り娘で、鵠見市に来たのは生き別れの兄を探すため。そして主人公とは、故郷の町で運命的な出会いをすると書いてあります。
これだけ読めば、なるほどこの瀬名美優樹が主人公の妹であり、このイモウトノカタチのメインヒロインなのかと思ってしまいますが、よく見てみるとそうではありませんでした。だって、この娘が主人公の妹だなんて、どこにも書いてないのですから。紹介文も、あくまでメインヒロインの一人としか書いてありませんし。極端な話をすれば、まったくの赤の他人である可能性だってあるのです。
PUSH!!の記事によれば、テーマ自体は家族愛とか兄弟愛といった普遍的なものらしいけど、そもそも主人公は妹を探しに行くことを目的として故郷に帰るわけだから、それが早々に果たされるわけはないよね。つまり、主人公の妹候補はまだいるかもしれないってこと。そして、誰が本当の妹なのか、その真実を確かめることが物語の根幹なのではないでしょうか。
まだ発表されたばかりの新作に考えすぎだって言われるかも知れないけど、一度情報が出るとあれこれ考えてしまって、楽しくって止まらないんだよね。妹というか、生き別れの兄妹を探す話として、おねがいツインズという作品があります。私は上記のことを考えながら、おねツイのことをなんとなく思い出してたんだけど、あれもかつて生き別れとなった妹を探しに、生家を訊ねた主人公が、同じように兄を探しに来た少女2人に出会うって話で、果たしてどちらが本当の兄妹で、それが分かったとき3人の関係はどんな風に変わるのかというのがテーマだったんだけど……これもそんな話になるのかな?
おねツイはまあ、無難な形で終わりましたけど、例えばこの作品の場合だと、愛した少女が実は妹だったとか、妹だと思っていた娘が実は赤の他人だったとか、そういう展開を出してくるのは容易に想像ができるし、そのとき主人公はどう思い、どのように決断するのかってのも見所になります。だって、ジャンルが妹探し恋愛AVGとのことですから、妹を探す中で生まれた様々な恋愛がメインとなるわけでしょう? 勿論中には、災害前の幼馴染とか、災害後に知り合ったヒロインみたいのが出て来るかも知れないし、登場するヒロインすべてが妹候補なわけもないんだろうけど、最終的に妹の存在が物語の今回になっている以上は、最終的に妹に帰結することは間違いないはずです。
発売日は2011年の冬ということで、まあ、延期しなければヨスガノソラと同時期に出るんじゃないでしょうか。今回の記事はほとんど速報みたいな感じだけど、5月にはドリパも開催されますし、その頃にはテレカの1枚も販売できる程度には情報も公開されているんじゃないかと。私としては、なにせまだハッシーのキャラも分からない段階ですから、まだなんとも言えない感じです。気になったことがあるとすれば、10年前に鵠見市で起こった災害とは一体なんなのか、ということです。地震なら震災と書くべきだし、日本で町が崩壊するような大火災や大洪水などは考えにくい。となれば、災害そのものにも特別な事情や意味があると考えておいたほうがいいでしょう。それこそ、10年後に環境特区となる程度には色々合ったようですし。まあ、さすがに原発事故とかそういうのじゃないとは思いますけど。
速報というか、第一報としてはこんな感じですかね? 仕様とは今後変更があるかも知れないけど、とりあえず主人公以外にボイスがあって、解像度は1280×720とSphere初のワイド画面になるっぽい。後は普通のエロゲですし、なにか特別なことがあるわけでもなさそうなので、それほど気にすることはなさそうです。まあ、ヨスガノソラを超える作品になるかは分かりませんけど、期待はしているので、それなりに楽しみにしています。
そんなわけで公開されたSphereの完全新作、イモウトノカタチです。タイトル自体は先日のイベントで広報が漏らしていましたから、私も事前に知っていました。カタカナタイトルなのはヨスガに習ってというわけじゃないんだろうけど、まさか、継続して妹モノを作るとは思わなかった。だってメイン属性が同じだと、どうしたって春日野穹との比較は避けられないじゃない。穹を超えるのは容易なことじゃないし、てっきり違うもので来ると思ったんですけどね……とりあえず以下が、スタッフなど基本情報になります。
イモウトノカタチ
ジャンル:妹探し恋愛AVG
原画:武藤此史、こだまさわ、橋本タカシ
シナリオ:なつかぜかおる、朝倉誠理、太刀風雪路
発売日:2011年冬予定
こんな感じになりますけど、シナリオはハルカナソラを担当していた人たちですからいいとしても、原画家も三人体制になるんですね。鈴平ひろは単なる外注でしたから継続して参加しないのは頷けますけど、意外だったのは武藤此史がメイン原画っぽいことです。武藤さんといえば、ensembleというブランドで花と乙女に祝福をという作品を担当していた絵描きさんです。それなりにヒットした作品でFDも作られ、今月末には新作である黙って私のムコになれ!が発売されるので、チェックしている人は多いんじゃないでしょうか? てっきり私はensembleの所属だと思ってから、今回のSphereでの起用は意外だったんですけど、元々フリーなのか、ensembleとの契約がそろそろ切れるかのどちらかといったところかな。
こだまさわという人は、まだ二十歳にも満たない学生のイラストレーターで、SphereというかCUFFSにはグッズイラストへゲスト参加などをしています。絵柄はまあ、ハッシーに近いものがあるというか、如何にも今時の絵描きという感じのイラストを描く人ですけど、これといった実績があるわけでもないから、ほぼ新人みたいなものですかね。
そして三番手として記載されているハッシーこと橋本タカシですが、この並びでいうと今回ハッシーはメイン原画家ではなさそうです。PUSH!!に紹介されているラフも、武藤さんのものでしたし。ただ、制服の設定画などにハッシーのサインが見られることから、基本的な部分ではやはり所属であるハッシーが作っているんだと思う。まあ、参加しないよりはマシですし、良いキャラを描いてくれるのなら、それで構わないんだと分かっているはずなんですが……本音いうと、メインでの起用が良かったかなと。それがハッシーにとっての負担であることも、分かってはいるんですけど。
あらすじに関してはどこまで書いていいのか迷いますが、とりあえず現代の話ではないということです。記事にある大まかなあらすじには書いてないので見落としがちだけど、物語の舞台はロボットなども登場する近未来とのことで、ある種のSF要素があるみたいです。もっとも、ロボットと言っても人形とは限らず、それこそ清掃用のロボットとかかも知れませんけど、わざわざ舞台を近未来にする以上は、設定として意味があるものなんでしょう。メカ少女とか、そっち系のヒロインが出てこないとも限らないし。
まあ、2作目にしてそこまでの冒険はしないと踏んでますけど、話の内容的にもヨスガの時より重たい感じになってますね。ヨスガノソラというのは、両親を事故で無くした双子の兄妹、ハルと穹の物語でしたけど、今作イモウトノカタチは過去の災害で両親を失い、妹とも生き別れてしまった天涯孤独の青年美馬雪人が主人公。つまり、ハルと違って最初の段階でなにもかも失っているわけです。
災害後は施設に預けられ、バイトで学費を稼ぐ勤労学生をやっていた雪人だけど、ある日故郷の町が災害から10年経って復興し、それを機に町の過去の記録等が一般公開されるらしい。災害によって親兄弟を失ったものは多く、身元も分からないような子供もいた。雪人もその一人であり、彼は町に行って過去の記録を見れば、行方不明である生き別れの妹と再会出来るかも知れないと考え、故郷である「鵠見市 白鳥環境特区」へ向かうのでした。
とまあ、これが簡単なあらすじで、この読みにくい町の名前はこくみでしょうか? 鵠はくぐいと読み、白鳥の古い呼び名のことですが、一般的には正鵠を射るといることわざでお馴染みですね。鵠で白鳥なんて意味同じじゃないかとも思うけど、なにかしらの意図があっての名前なんでしょう。
記事で紹介されていたキャラのラフは、ヒロインの一人である瀬名美優樹という少女です。担当の原画家は前述の通り武藤此史ですけど、この少女もまた災害孤児だそうで、義理の両親に引き取られ養女になっていたらしい。最近までお嬢様学校に通っていたという箱入り娘で、鵠見市に来たのは生き別れの兄を探すため。そして主人公とは、故郷の町で運命的な出会いをすると書いてあります。
これだけ読めば、なるほどこの瀬名美優樹が主人公の妹であり、このイモウトノカタチのメインヒロインなのかと思ってしまいますが、よく見てみるとそうではありませんでした。だって、この娘が主人公の妹だなんて、どこにも書いてないのですから。紹介文も、あくまでメインヒロインの一人としか書いてありませんし。極端な話をすれば、まったくの赤の他人である可能性だってあるのです。
PUSH!!の記事によれば、テーマ自体は家族愛とか兄弟愛といった普遍的なものらしいけど、そもそも主人公は妹を探しに行くことを目的として故郷に帰るわけだから、それが早々に果たされるわけはないよね。つまり、主人公の妹候補はまだいるかもしれないってこと。そして、誰が本当の妹なのか、その真実を確かめることが物語の根幹なのではないでしょうか。
まだ発表されたばかりの新作に考えすぎだって言われるかも知れないけど、一度情報が出るとあれこれ考えてしまって、楽しくって止まらないんだよね。妹というか、生き別れの兄妹を探す話として、おねがいツインズという作品があります。私は上記のことを考えながら、おねツイのことをなんとなく思い出してたんだけど、あれもかつて生き別れとなった妹を探しに、生家を訊ねた主人公が、同じように兄を探しに来た少女2人に出会うって話で、果たしてどちらが本当の兄妹で、それが分かったとき3人の関係はどんな風に変わるのかというのがテーマだったんだけど……これもそんな話になるのかな?
おねツイはまあ、無難な形で終わりましたけど、例えばこの作品の場合だと、愛した少女が実は妹だったとか、妹だと思っていた娘が実は赤の他人だったとか、そういう展開を出してくるのは容易に想像ができるし、そのとき主人公はどう思い、どのように決断するのかってのも見所になります。だって、ジャンルが妹探し恋愛AVGとのことですから、妹を探す中で生まれた様々な恋愛がメインとなるわけでしょう? 勿論中には、災害前の幼馴染とか、災害後に知り合ったヒロインみたいのが出て来るかも知れないし、登場するヒロインすべてが妹候補なわけもないんだろうけど、最終的に妹の存在が物語の今回になっている以上は、最終的に妹に帰結することは間違いないはずです。
発売日は2011年の冬ということで、まあ、延期しなければヨスガノソラと同時期に出るんじゃないでしょうか。今回の記事はほとんど速報みたいな感じだけど、5月にはドリパも開催されますし、その頃にはテレカの1枚も販売できる程度には情報も公開されているんじゃないかと。私としては、なにせまだハッシーのキャラも分からない段階ですから、まだなんとも言えない感じです。気になったことがあるとすれば、10年前に鵠見市で起こった災害とは一体なんなのか、ということです。地震なら震災と書くべきだし、日本で町が崩壊するような大火災や大洪水などは考えにくい。となれば、災害そのものにも特別な事情や意味があると考えておいたほうがいいでしょう。それこそ、10年後に環境特区となる程度には色々合ったようですし。まあ、さすがに原発事故とかそういうのじゃないとは思いますけど。
速報というか、第一報としてはこんな感じですかね? 仕様とは今後変更があるかも知れないけど、とりあえず主人公以外にボイスがあって、解像度は1280×720とSphere初のワイド画面になるっぽい。後は普通のエロゲですし、なにか特別なことがあるわけでもなさそうなので、それほど気にすることはなさそうです。まあ、ヨスガノソラを超える作品になるかは分かりませんけど、期待はしているので、それなりに楽しみにしています。
時代を飛び越えた少女が一人
2011年1月18日 アニメ・マンガ同人活動をしているとサイトの更新が疎かになるものらしい。身内の意見であるが、言われてみれば確かにその通りだった。私が個人サークルを作ってから昨年末で2年が経過したわけだけど、年に3回も大きなイベントに参加していると、なかなかサイトに手をつける時間ってなくなるよね。特に私は絵描きではないから、1枚ポンとギャラリーに追加とか出来ないもの。勿論、絵を描くことが執筆作業より簡単だなんて思ってはいないけど、私みたいに長文が基本だとなかなかサイトに載せるようなものが用意できなくて。
ネタ自体は常に持っているというか、例えばハル×穹であれば今も2~3個のストックはあるんだけど、良いネタを思いつくとすぐにそれを同人誌用に回してしまうんですよね。だからサイトに載らないというか、実際今サイトで公開されているSSの一部は、以前の夏コミで出した同人誌からの再録ですし。別にサイト更新するのが嫌なわけじゃないものの、同人誌作っている方が楽しいというか、新刊のネタは常に用意しておく意識みたいのが出来てしまったのかな。そういやコミケとかCOMIC1の告知以外で、昨年サイトを更新した記憶がない。
今年こそはと思わなくもないんだけど、よく考えると個人サイトの利便性とか価値って年々低下している気がする。だって、サイトで出来るようなことって大抵違う場所で出来るじゃないですか。イラストにしろSSにしろpixivとかシステム性に優れた投稿サイトがあるし、ちょっとした話ならTwitterで呟ける。もうちょっと長い話ならブログや日記があるし、ブログをサイト替わりにしている人も最近じゃ少なくないですからね。私が使っているDiaryNoteは機能性が低いからそういうのに不向きだけど、他のところはイラストをはじめ動画とかも貼りつけられるじゃないですか。しかも、さしたる労力を必要とせず。
私は身内が色々な個人サイトを長きに渡って開設していた影響で、見よう見真似でHTMLタグを学んでいった、所謂個人サイト世代に属する人間です。サイト制作の全盛期ぐらいにパソコンを導入したということもあり、まあ、自分のページというものを大事にしているんでしょうね。過去に二度ほどサイトをやっていて、諸事情からそれを閉めた後はCGIチャットのみを稼動させてましたが、考えてみれば新しいサイト、つまりシャリテクロワールを作ったのは同人活動のためだった気もする……うん、だって同人サークル用のサイトなんだから。
同人サークル用に作ったサイトが、同人活動の忙しさから疎かになるってのも本末転倒なのかも知れない。そりゃあ、皆が皆ブログのみに切り替えるわけだよ。イラストとかの保管ならpixivで十分だし、実際にあそこでサークルの新刊情報とか出している人は沢山いますしね。私もその一人だし。そう考えると、もう個人サイトの時代じゃないのかも知れません。私は世代だし、身内の影響もあるからサイト作りの楽しさというのを知っているけど、今の若者は個人でサイトを作成し、更新することの意味や意義を見出せないのかもね。ニコニコ動画とかもそうだけど、個人でなにかをするよりも、集団で群れることの方が面白いのでしょう。特にオタクなんて人種はリアルで孤独なことが多いから、ネット上で大勢の人と一緒にいるというのが嬉しいに違いない。今や掲示板等の文字媒体だけじゃなく、スカイプなら音声での会話も可能ですからね。IRCチャットが廃れるわけですよ。
個人としてサイトを作り、コンテンツを発信していくことが90年代末から00年代中期ぐらいまでは流行っていたわけだけど、今は一つの大きな空間に身を投じて、そこに集う人たちとなにかを作っていくことが主流になりつつあるんでしょうね。そして、そういった場所で活躍なり実績を上げるなりすれば、個人サイトで地道にやっていくよりも簡単に評価され、賞賛を受けることが出来ますし。ニコニコに神と言われる投稿者は、一体何人いるんでしょうね? 皮肉っぽい言い方だけど、少し安易になり過ぎたと思う。サイト持ちが偉いとか、そういうことを言いたいわけじゃないけど、なにもかもが簡略化され、簡単になっていく世の中ってのは……これ、時代に取り残された者の考えなのかな。
サイトの更新は今後の課題ですけど、現在ネット公開用にハル×穹で一本書いてます。この前、原稿のフォルダを整理していたら出てきた書きかけの作品で、季節柄の問題から春のCOMIC1にはそぐわなくて。予定としては2月5日に公開予定だけど、プロットが少し雑だったので現在修正中です。まあ、私らしい話だなとは思うけど、COMIC1に関してはちゃんと別の話を考えていますので、どちらもチャッチャッと書き上げたいですね。
そういや、最近ショックなことがあって、もう誰が言ったかも覚えてないんだけど、「原稿用紙100枚分書こうと、ファイル上では1枚のイラストにも満たない」というTwitterの呟きがグサリと来た。確かにイラストは最低でも数メガありますし、テキストファイルはキロバイトの世界だけどさ……なんていうかこう、やるせなかった。
ネタ自体は常に持っているというか、例えばハル×穹であれば今も2~3個のストックはあるんだけど、良いネタを思いつくとすぐにそれを同人誌用に回してしまうんですよね。だからサイトに載らないというか、実際今サイトで公開されているSSの一部は、以前の夏コミで出した同人誌からの再録ですし。別にサイト更新するのが嫌なわけじゃないものの、同人誌作っている方が楽しいというか、新刊のネタは常に用意しておく意識みたいのが出来てしまったのかな。そういやコミケとかCOMIC1の告知以外で、昨年サイトを更新した記憶がない。
今年こそはと思わなくもないんだけど、よく考えると個人サイトの利便性とか価値って年々低下している気がする。だって、サイトで出来るようなことって大抵違う場所で出来るじゃないですか。イラストにしろSSにしろpixivとかシステム性に優れた投稿サイトがあるし、ちょっとした話ならTwitterで呟ける。もうちょっと長い話ならブログや日記があるし、ブログをサイト替わりにしている人も最近じゃ少なくないですからね。私が使っているDiaryNoteは機能性が低いからそういうのに不向きだけど、他のところはイラストをはじめ動画とかも貼りつけられるじゃないですか。しかも、さしたる労力を必要とせず。
私は身内が色々な個人サイトを長きに渡って開設していた影響で、見よう見真似でHTMLタグを学んでいった、所謂個人サイト世代に属する人間です。サイト制作の全盛期ぐらいにパソコンを導入したということもあり、まあ、自分のページというものを大事にしているんでしょうね。過去に二度ほどサイトをやっていて、諸事情からそれを閉めた後はCGIチャットのみを稼動させてましたが、考えてみれば新しいサイト、つまりシャリテクロワールを作ったのは同人活動のためだった気もする……うん、だって同人サークル用のサイトなんだから。
同人サークル用に作ったサイトが、同人活動の忙しさから疎かになるってのも本末転倒なのかも知れない。そりゃあ、皆が皆ブログのみに切り替えるわけだよ。イラストとかの保管ならpixivで十分だし、実際にあそこでサークルの新刊情報とか出している人は沢山いますしね。私もその一人だし。そう考えると、もう個人サイトの時代じゃないのかも知れません。私は世代だし、身内の影響もあるからサイト作りの楽しさというのを知っているけど、今の若者は個人でサイトを作成し、更新することの意味や意義を見出せないのかもね。ニコニコ動画とかもそうだけど、個人でなにかをするよりも、集団で群れることの方が面白いのでしょう。特にオタクなんて人種はリアルで孤独なことが多いから、ネット上で大勢の人と一緒にいるというのが嬉しいに違いない。今や掲示板等の文字媒体だけじゃなく、スカイプなら音声での会話も可能ですからね。IRCチャットが廃れるわけですよ。
個人としてサイトを作り、コンテンツを発信していくことが90年代末から00年代中期ぐらいまでは流行っていたわけだけど、今は一つの大きな空間に身を投じて、そこに集う人たちとなにかを作っていくことが主流になりつつあるんでしょうね。そして、そういった場所で活躍なり実績を上げるなりすれば、個人サイトで地道にやっていくよりも簡単に評価され、賞賛を受けることが出来ますし。ニコニコに神と言われる投稿者は、一体何人いるんでしょうね? 皮肉っぽい言い方だけど、少し安易になり過ぎたと思う。サイト持ちが偉いとか、そういうことを言いたいわけじゃないけど、なにもかもが簡略化され、簡単になっていく世の中ってのは……これ、時代に取り残された者の考えなのかな。
サイトの更新は今後の課題ですけど、現在ネット公開用にハル×穹で一本書いてます。この前、原稿のフォルダを整理していたら出てきた書きかけの作品で、季節柄の問題から春のCOMIC1にはそぐわなくて。予定としては2月5日に公開予定だけど、プロットが少し雑だったので現在修正中です。まあ、私らしい話だなとは思うけど、COMIC1に関してはちゃんと別の話を考えていますので、どちらもチャッチャッと書き上げたいですね。
そういや、最近ショックなことがあって、もう誰が言ったかも覚えてないんだけど、「原稿用紙100枚分書こうと、ファイル上では1枚のイラストにも満たない」というTwitterの呟きがグサリと来た。確かにイラストは最低でも数メガありますし、テキストファイルはキロバイトの世界だけどさ……なんていうかこう、やるせなかった。