銀のナイフを持ちながら
2011年1月17日 アニメ・マンガ偏食家な私だけど、最近になって自分の体調というものが気になってきた。若い頃はなにをどれだけ食っても死ぬことはなかったけど、そんな若かりし10代の頃とはとっくにおさらばしてますし、こんな食生活を続けていて本当にいいのかと思い始めた今日この頃でして。悲恋堂の店主に話すと、「やっと気付きましたか」と頷いてくれたのだけど、だからといって私は自分の食生活をどのように変えるべきなのかが分からない。店主はいっそ、2~3ヶ月店に下宿しますかなんて言ってるけど、そんな荒療治はごめんです。
私は基本的に野菜を摂取しない生活をずっとしてきて、さらに言えば揚げ物好きだから身体の中は多分ボロボロで、血もドロドロになっていると思います。ここまで偏食な理由は食育がどうとか、そういうのじゃなくて、私の体質的な問題にあるのではないかというのが悲恋堂の結論。味覚以前に、野菜を受け付けない身体になっていると言われると、なんとなくそれが正しいような気もして、どこか納得している自分がいました。店主は勿論、偏食家などではなく、料理の腕も私の5倍じゃ利かないほどですから、何かにつけては私の偏食を治そうと策を講じてきました。店主は面倒くさがりに見えて集中力があるので、一時期は如何にして野菜嫌いに野菜を食べさせるかということばかり研究していたように思う。そして、その尽くが通用しなかったのだけど。
今回、私が自分から偏食を改善しようと思ったのは、勿論年齢的なものもあるけど、ここ最近の体調不良から。日常生活が困難なほど酷いわけではないものの、見えないところの肌荒れとかも気になってきたし、そろそろ体質改善も必要なのかなって。店主に言わせれば、ここまで生きてこられたのが不思議な食生活とのことだけど、そんな不思議が永続的に続くわけもないし、各種病の心配もあります。なにかこう、いい手はないものかと相談したところ、店主は頭を悩ませてしまった。なにせ、今までどんなことをしても私の偏食を治すことが出来なかったのだし、いい加減ネタ切れもいいところだろう。それでも考えてくれる辺り、さすがは店主といったところか。
「どうです、ここは発想の転換をして、食べないというのは?」
「今までとなにも変わらないじゃないか」
「野菜を食べない、というわけじゃありません。野菜以外のものを食べないんです」
店主はいつになく不敵な笑みを浮かべていた。
悲恋堂の店主はなにも飯を食うなと言っているわけじゃなくて、私が好んで食べる揚げ物とか身体に悪そうなものを控えるべきだと考えてきた。つまり、そうったものをしばらく食べないことで身体の毒素を輩出して、そこから徐々に変化をつけていくのはどうだろうか? とのことらしい。昨年末、とある事情からカレーというものを一切食べない生活を始めたんですけど、原理的にはそれと同じようなものですかね。ただ、ひたすら揚げ物に絞った断食を行い、油分みたいなものを全部出してしまおうと、つまりはそういうこと。
「別に肉や魚を食うなと言っているわけじゃないですし、これならあなたにも出来るでしょう」
随分な言われようだが、店主の今までの努力を考えれば、これでもかなり生易しい言い方なのだろう。世捨て人である店主は、基本的に誰かのためになにかをするというのが好きではない。形だけの客商売をやっているとは言え、そもそもが人好きな性格をしていないからね。私とはもう長い思付き合いですが、店主に言わせると「唯一、腐らせたくない縁だと思いました」とのことらしい。まあ、お互いに色々あって今の関係になったわけだけど、出会った当初はこんなにも長い付き合いになるとは思っていなかったな……互いに相手のことが興味なかったし。あの頃は、どちらも単なる客だった。
まあ、大事な親友の助言ですから、とりあえず2月から1ヵ月ぐらい揚げ物を断ってみようかと思います。どうして来月なのかといえば、2月は28日間しかないですからね。通常より短いなら我慢も出来るのではないかと。食べ物に対する禁断症状なんて私は持ち合わせていないはずだし、このまま少しずつ食事の内容を変えていければ、少しは長生きできるんじゃないでしょうか。最初から健康になることを考えるからハードルが高いわけで、まずは不健康なものを辞めることから始めて見ようじゃないか。成功するしないはともかく、やって見る価値はあると思う。
私は基本的に野菜を摂取しない生活をずっとしてきて、さらに言えば揚げ物好きだから身体の中は多分ボロボロで、血もドロドロになっていると思います。ここまで偏食な理由は食育がどうとか、そういうのじゃなくて、私の体質的な問題にあるのではないかというのが悲恋堂の結論。味覚以前に、野菜を受け付けない身体になっていると言われると、なんとなくそれが正しいような気もして、どこか納得している自分がいました。店主は勿論、偏食家などではなく、料理の腕も私の5倍じゃ利かないほどですから、何かにつけては私の偏食を治そうと策を講じてきました。店主は面倒くさがりに見えて集中力があるので、一時期は如何にして野菜嫌いに野菜を食べさせるかということばかり研究していたように思う。そして、その尽くが通用しなかったのだけど。
今回、私が自分から偏食を改善しようと思ったのは、勿論年齢的なものもあるけど、ここ最近の体調不良から。日常生活が困難なほど酷いわけではないものの、見えないところの肌荒れとかも気になってきたし、そろそろ体質改善も必要なのかなって。店主に言わせれば、ここまで生きてこられたのが不思議な食生活とのことだけど、そんな不思議が永続的に続くわけもないし、各種病の心配もあります。なにかこう、いい手はないものかと相談したところ、店主は頭を悩ませてしまった。なにせ、今までどんなことをしても私の偏食を治すことが出来なかったのだし、いい加減ネタ切れもいいところだろう。それでも考えてくれる辺り、さすがは店主といったところか。
「どうです、ここは発想の転換をして、食べないというのは?」
「今までとなにも変わらないじゃないか」
「野菜を食べない、というわけじゃありません。野菜以外のものを食べないんです」
店主はいつになく不敵な笑みを浮かべていた。
悲恋堂の店主はなにも飯を食うなと言っているわけじゃなくて、私が好んで食べる揚げ物とか身体に悪そうなものを控えるべきだと考えてきた。つまり、そうったものをしばらく食べないことで身体の毒素を輩出して、そこから徐々に変化をつけていくのはどうだろうか? とのことらしい。昨年末、とある事情からカレーというものを一切食べない生活を始めたんですけど、原理的にはそれと同じようなものですかね。ただ、ひたすら揚げ物に絞った断食を行い、油分みたいなものを全部出してしまおうと、つまりはそういうこと。
「別に肉や魚を食うなと言っているわけじゃないですし、これならあなたにも出来るでしょう」
随分な言われようだが、店主の今までの努力を考えれば、これでもかなり生易しい言い方なのだろう。世捨て人である店主は、基本的に誰かのためになにかをするというのが好きではない。形だけの客商売をやっているとは言え、そもそもが人好きな性格をしていないからね。私とはもう長い思付き合いですが、店主に言わせると「唯一、腐らせたくない縁だと思いました」とのことらしい。まあ、お互いに色々あって今の関係になったわけだけど、出会った当初はこんなにも長い付き合いになるとは思っていなかったな……互いに相手のことが興味なかったし。あの頃は、どちらも単なる客だった。
まあ、大事な親友の助言ですから、とりあえず2月から1ヵ月ぐらい揚げ物を断ってみようかと思います。どうして来月なのかといえば、2月は28日間しかないですからね。通常より短いなら我慢も出来るのではないかと。食べ物に対する禁断症状なんて私は持ち合わせていないはずだし、このまま少しずつ食事の内容を変えていければ、少しは長生きできるんじゃないでしょうか。最初から健康になることを考えるからハードルが高いわけで、まずは不健康なものを辞めることから始めて見ようじゃないか。成功するしないはともかく、やって見る価値はあると思う。
糸ではない鎖で繋がった関係
2011年1月16日 アニメ・マンガ昨年からpixivやTwitterを活用するようになって、それによる繋がりや交流というものが増えてきました。私は自分がネット文化に疎いとは考えていませんが、リアルとは比較にならないほどの速度で進化を続けるネット社会のすべてを理解しているとも思ってはいません。だから、新しいコンテンツを使って出来た関係性がどれだけ篤いのか、それとも薄いものなのかというのは、常に悩んでいることだったりします。mixiはちょっと事情が異なるけど、Twitterだと分かりやすいのかな。
Twitterというツールの説明は不要だと思うから省きますけど、あれは本当に気軽というか、気楽すぎる一面があると思う。私はなにも不用意な呟きがどうのとか、そういうことを言いたいわけじゃなくて、敢えてこういう表現を使うと、その程度の問題であればmixiだろうが、ブログだろうが、今までいくらでも合ったじゃないですか。2~3年前までは、mixiでの犯罪告白なんてものが話題になっていましたしね。
私が気に掛けているのは、そんな自業自得な問題のことじゃなくて、Twitterにおける人と人の繋がりみたいなもので、こんな風に書くと仰々しく思えるかも知れませんが、Twitterがフォロワーとの交流を楽しむという側面を持っている以上、私は重要なことだと思うんですよ。Twitterで他者と繋がりを持つのはかなり簡単で、フォローボタンひとつ押せば、相手の呟きが自分のTL上に流れてきます。そして相手が自分のこともフォローしてくれれば、相互フォロー完了ということで、晴れて双方向の繋がりが持てるというわけです。
けど、芸能人とか業界人とか、所謂著名人と呼ばれる方々は例外にしても、一般的な観点でいえば、この相互フォローって凄い楽だと思う。Twitterにはフォローされたら、フォローし返しましょうといったマナーのようなものがあるから、よっぽどの事情がない限り、すぐにフォロワーになってくれたりするんだよね。ツイートを拡散させてフォロワー募集を掛けたり、目についた人を片っ端からフォローしていけばある程度のリフォローがなされるから、著名人以外で1000人以上のフォロワーを持っている人はそういうカラクリがあるわけです。私は別に否定しようと思わないし、フォロワーを増やすこともまたTwitterの楽しみ方だと認識しているんだけど、じゃあ、果たしてそうやって作られた繋がりは篤いのかと言われれば……きっと、違いますよね。
私は人間関係に対して小心者な部分があるから、友人や知人といった者に対する線引きがとても苦手です。例えば、自分は友人と思っていても、相手はこちらを知り合い程度にしか考えていないんじゃないかとか、まあ、ありがちですけど、そんなことを常に考えてしまう臆病なところがある。そんな私からするとTwitterのフォロワーというのは、そもそも知り合いと呼んでいいのかすら分からないほど曖昧なもので、不思議なことに言葉を交わすことがあっても、そこにさしたる実体はないのです。
昨年の冬コミで、私のスペースに幾人かフォロワーの方が訊ねてきて、実際にリアルで挨拶を交わす機会というのを得ることが出来ました。それにしたって片手で数えられる程度ではあったんですが、私はここで初めて相手のことを現実の存在として強く認識することが出来たというか、少なくともこれで知り合いぐらいにはなったんじゃないかと、そんなことをぼんやりと考えていました。勿論、相手は私のことを既に友人だと思っているかも知れないし、そうだとすれば失礼な事この上ないとは思うけど、Twitterでの関係性ほど、相手との距離感が掴みにくいものはない。フォロワーはフォロワーであって、友人とも知人とも違うまったく別種の存在なのではないかと、最近考えることが多い。
mixiやpixivだって、それは同じです。招待制だった頃はいざ知れず、今のmixiは開放的ですし、マイミクを作ることもそれほど難しくはない。フォロワーほど気軽ではないでしょうが、著名人の中には限定何名でマイミクにするとか、そんなイベントっぽいことをやっている人もいますよね。pixivに関していえば、私なんかでも50人以上の人がお気に入りに登録してもらえるほど、人に対する繋がりを作ることは簡単だったりします。まあ、マイピクに関してはそうじゃないのかも知れないけど、繋がりを広げ、人数を増やすことに喜びを感じる人なら、どんどん申請をしていくことでしょう。そして、私はそういうのに抵抗があったりする。
私はTwitterというものは自分の呟きを発信すると同時に、誰かの呟きを見るためのツールだと思っていて、そのためにはどうしたって数を絞らないとやっていけないと思うんですよ。著名人が関係者以外をフォローしないのとはまた違うんだろうけど、例えば1400人ぐらいフォローしている穹botのTLを眺めていると、もうなにがなんだか分からないわけで。人間の認識範囲なんてたかが知れてるんだし、1分なし数秒感覚で呟きが更新されていく中で、一体どのように人と深い繋がりや交流を持てばいいのか? そういった懸念から、私は積極的に他者をフォロー出来ないでいるんでしょうね。増やせば増やすだけ、文字通りフォローしきれない状況に陥ると思うから。まったく、悩ましい話です。マイミクやマイピクに関しては、知人以上であるという感情が私の中であるんですけど、相手もそう思っていてくれるとは限らないから、ネットによる人間関係なのに、結局リアルでの対面や遭遇を求めがちなのかもし知れませんね。人の気持ほど見えないものはないと言うけど、いやはやなんともはや。
Twitterというツールの説明は不要だと思うから省きますけど、あれは本当に気軽というか、気楽すぎる一面があると思う。私はなにも不用意な呟きがどうのとか、そういうことを言いたいわけじゃなくて、敢えてこういう表現を使うと、その程度の問題であればmixiだろうが、ブログだろうが、今までいくらでも合ったじゃないですか。2~3年前までは、mixiでの犯罪告白なんてものが話題になっていましたしね。
私が気に掛けているのは、そんな自業自得な問題のことじゃなくて、Twitterにおける人と人の繋がりみたいなもので、こんな風に書くと仰々しく思えるかも知れませんが、Twitterがフォロワーとの交流を楽しむという側面を持っている以上、私は重要なことだと思うんですよ。Twitterで他者と繋がりを持つのはかなり簡単で、フォローボタンひとつ押せば、相手の呟きが自分のTL上に流れてきます。そして相手が自分のこともフォローしてくれれば、相互フォロー完了ということで、晴れて双方向の繋がりが持てるというわけです。
けど、芸能人とか業界人とか、所謂著名人と呼ばれる方々は例外にしても、一般的な観点でいえば、この相互フォローって凄い楽だと思う。Twitterにはフォローされたら、フォローし返しましょうといったマナーのようなものがあるから、よっぽどの事情がない限り、すぐにフォロワーになってくれたりするんだよね。ツイートを拡散させてフォロワー募集を掛けたり、目についた人を片っ端からフォローしていけばある程度のリフォローがなされるから、著名人以外で1000人以上のフォロワーを持っている人はそういうカラクリがあるわけです。私は別に否定しようと思わないし、フォロワーを増やすこともまたTwitterの楽しみ方だと認識しているんだけど、じゃあ、果たしてそうやって作られた繋がりは篤いのかと言われれば……きっと、違いますよね。
私は人間関係に対して小心者な部分があるから、友人や知人といった者に対する線引きがとても苦手です。例えば、自分は友人と思っていても、相手はこちらを知り合い程度にしか考えていないんじゃないかとか、まあ、ありがちですけど、そんなことを常に考えてしまう臆病なところがある。そんな私からするとTwitterのフォロワーというのは、そもそも知り合いと呼んでいいのかすら分からないほど曖昧なもので、不思議なことに言葉を交わすことがあっても、そこにさしたる実体はないのです。
昨年の冬コミで、私のスペースに幾人かフォロワーの方が訊ねてきて、実際にリアルで挨拶を交わす機会というのを得ることが出来ました。それにしたって片手で数えられる程度ではあったんですが、私はここで初めて相手のことを現実の存在として強く認識することが出来たというか、少なくともこれで知り合いぐらいにはなったんじゃないかと、そんなことをぼんやりと考えていました。勿論、相手は私のことを既に友人だと思っているかも知れないし、そうだとすれば失礼な事この上ないとは思うけど、Twitterでの関係性ほど、相手との距離感が掴みにくいものはない。フォロワーはフォロワーであって、友人とも知人とも違うまったく別種の存在なのではないかと、最近考えることが多い。
mixiやpixivだって、それは同じです。招待制だった頃はいざ知れず、今のmixiは開放的ですし、マイミクを作ることもそれほど難しくはない。フォロワーほど気軽ではないでしょうが、著名人の中には限定何名でマイミクにするとか、そんなイベントっぽいことをやっている人もいますよね。pixivに関していえば、私なんかでも50人以上の人がお気に入りに登録してもらえるほど、人に対する繋がりを作ることは簡単だったりします。まあ、マイピクに関してはそうじゃないのかも知れないけど、繋がりを広げ、人数を増やすことに喜びを感じる人なら、どんどん申請をしていくことでしょう。そして、私はそういうのに抵抗があったりする。
私はTwitterというものは自分の呟きを発信すると同時に、誰かの呟きを見るためのツールだと思っていて、そのためにはどうしたって数を絞らないとやっていけないと思うんですよ。著名人が関係者以外をフォローしないのとはまた違うんだろうけど、例えば1400人ぐらいフォローしている穹botのTLを眺めていると、もうなにがなんだか分からないわけで。人間の認識範囲なんてたかが知れてるんだし、1分なし数秒感覚で呟きが更新されていく中で、一体どのように人と深い繋がりや交流を持てばいいのか? そういった懸念から、私は積極的に他者をフォロー出来ないでいるんでしょうね。増やせば増やすだけ、文字通りフォローしきれない状況に陥ると思うから。まったく、悩ましい話です。マイミクやマイピクに関しては、知人以上であるという感情が私の中であるんですけど、相手もそう思っていてくれるとは限らないから、ネットによる人間関係なのに、結局リアルでの対面や遭遇を求めがちなのかもし知れませんね。人の気持ほど見えないものはないと言うけど、いやはやなんともはや。
某出版社が新しい編集部を立ち上げるにあたり、人出不足ということで私に声がかかってきた。その際、今の仕事というか職場にいても将来の経歴的になんの役にも立たないぞという説得を受けたんだけど、まあ、その通りだろうなと思った。世話になっているところを悪く言うつもりはないけど、先がない場所にいるということは分かっているつもりです。それを踏まえても、今回の話というのは私なんかには勿体無いほどであり、待遇も給料も今とは比較にならないほどのものになるだろうと思います。なにせ相手は業界最大手の一角、肩書きとしてはどこに出しても恥ずかしくないものになるでしょう。
まあ、現実的なことを考えて私に大手出版社の編集なんて務まるわけはないし、まだ死にたくなかったので話を聞くだけに済ませました。相手もそれほど本気ではないと思うしね。今の仕事が落ち着いて、それでもまだというならさすがに考えますけど、私には色々と早過ぎる話でした。気に掛けてくれているというか、買ってくれているのは嬉しいんだけど……なんていうのかな、私はまだ夢を追いかけていたいんですよ。我ながら馬鹿な事を言っていると思うけど、完全に中の人になってしまうと物書きとして自立することはほぼ不可能に近いですからね。
とはいえ、年齢的なことを考えると、やっぱり将来に対する不安とか、そういうのはあるわけで。ここで一生を決めてしまうのも、一つの手ではあると思う。いや、普通に考えればそうしたほうがいいはずなんだよ。私は今の仕事が将来的な経歴や経験の上で役に立つとはあまり思ってないけど、改めて他者からそれを指摘されちゃうと堪えるものがある。それは好きでやっていることなのかと訊かれると、嫌いではないとしか答えることの出来ない自分がいるしね。やりがいがないとは言わないけど、単に仕事以外の時間を多く持てるからやっているだけだし、将来性に乏しいという指摘には反論が出来ない。まあ、今やっている仕事がこれからどうなるかなんて、私には別に関係ないことなんだけど、去就は決めておくべきじゃないかという意見を無視することは出来なかった。
なんか、こんなふうに書くと私はどんだけろくでもない仕事をしているんだと思われそうだけど、そんな悪いものじゃないですよ。ただ、人に心配される程度には不安定で、先行き不安どころか先そのものがないんですけど。
年始に神田明神へ初詣に行ったとき思ったんだけど、お参りをする際に願掛けってするじゃないですか? 神様、仏様に対して「今年こそ○○がか叶いますように」みたいな、そういった類の奴をさ。大体、毎年同じようなことを願うわけですけど、毎回同じことを願っている時点で願掛けしたところで、神も仏も叶えてなんてくれない……って、これは初詣行った日の日記に書きましたっけね。よく覚えてないけど、結局自分の夢とか目標を叶えるのは、神仏じゃなくて自分自身なんですよ。なにかを成し遂げるために誰かの力を借りることがあったとしても、それは決して神通力なんかじゃない、生身の話に過ぎない。そんなの当たり前だと思うわれるだろうし、事実としてこれは当然の話しでしかないけど、じゃあ、どれだけの人がそれを理解し、認識して行動できているのか。
こういうことに対して、もっとも眼に見える形で頑張ることが出来るのは、やはりなにかしらのスポーツに取り組んでいる人でしょう。大会でも記録でもいいですが、自分の中で目標を決めて、そこを到達点する事に関して、スポーツほど分かりやすいものはない。少なくとも、人生設計なんかよりはよっぽど見通し良いと思う。でもさ、なにかに向かって突き進むという意味では、スポーツにしろ人生にしろ同じだと私は思うのよ。かつて、人は人生という学問を学び続ける永遠の学生だという言葉を、とある同人誌で読みましたけど、私はそれに共感してしまった。
決めるのは簡単さ、思うことも楽だよ。でも、本当に重要なのは自分がなにをしたいかではなくて、自分はどうなりたいかだと、私はそう思う。
いつまでも若くないんだからという言葉や、私の将来を案じての説得は、本来なら私なんかには勿体無いほどありがたいことで、そういうことを言ってくれる人がいるというだけで、涙が出るほど嬉しい。私がそういう人たちに甘えて、自分のやりたい事をやり続けようとしているのは、実際に愚かなことでしかないのかも知れない。けれど、私はかつて思ってしまった。想像してしまった。こうなりたいと思う自分の姿を。だから私は、無謀であってもまだ頑張りたい。諦めるのは、早過ぎるから。
まあ、現実的なことを考えて私に大手出版社の編集なんて務まるわけはないし、まだ死にたくなかったので話を聞くだけに済ませました。相手もそれほど本気ではないと思うしね。今の仕事が落ち着いて、それでもまだというならさすがに考えますけど、私には色々と早過ぎる話でした。気に掛けてくれているというか、買ってくれているのは嬉しいんだけど……なんていうのかな、私はまだ夢を追いかけていたいんですよ。我ながら馬鹿な事を言っていると思うけど、完全に中の人になってしまうと物書きとして自立することはほぼ不可能に近いですからね。
とはいえ、年齢的なことを考えると、やっぱり将来に対する不安とか、そういうのはあるわけで。ここで一生を決めてしまうのも、一つの手ではあると思う。いや、普通に考えればそうしたほうがいいはずなんだよ。私は今の仕事が将来的な経歴や経験の上で役に立つとはあまり思ってないけど、改めて他者からそれを指摘されちゃうと堪えるものがある。それは好きでやっていることなのかと訊かれると、嫌いではないとしか答えることの出来ない自分がいるしね。やりがいがないとは言わないけど、単に仕事以外の時間を多く持てるからやっているだけだし、将来性に乏しいという指摘には反論が出来ない。まあ、今やっている仕事がこれからどうなるかなんて、私には別に関係ないことなんだけど、去就は決めておくべきじゃないかという意見を無視することは出来なかった。
なんか、こんなふうに書くと私はどんだけろくでもない仕事をしているんだと思われそうだけど、そんな悪いものじゃないですよ。ただ、人に心配される程度には不安定で、先行き不安どころか先そのものがないんですけど。
年始に神田明神へ初詣に行ったとき思ったんだけど、お参りをする際に願掛けってするじゃないですか? 神様、仏様に対して「今年こそ○○がか叶いますように」みたいな、そういった類の奴をさ。大体、毎年同じようなことを願うわけですけど、毎回同じことを願っている時点で願掛けしたところで、神も仏も叶えてなんてくれない……って、これは初詣行った日の日記に書きましたっけね。よく覚えてないけど、結局自分の夢とか目標を叶えるのは、神仏じゃなくて自分自身なんですよ。なにかを成し遂げるために誰かの力を借りることがあったとしても、それは決して神通力なんかじゃない、生身の話に過ぎない。そんなの当たり前だと思うわれるだろうし、事実としてこれは当然の話しでしかないけど、じゃあ、どれだけの人がそれを理解し、認識して行動できているのか。
こういうことに対して、もっとも眼に見える形で頑張ることが出来るのは、やはりなにかしらのスポーツに取り組んでいる人でしょう。大会でも記録でもいいですが、自分の中で目標を決めて、そこを到達点する事に関して、スポーツほど分かりやすいものはない。少なくとも、人生設計なんかよりはよっぽど見通し良いと思う。でもさ、なにかに向かって突き進むという意味では、スポーツにしろ人生にしろ同じだと私は思うのよ。かつて、人は人生という学問を学び続ける永遠の学生だという言葉を、とある同人誌で読みましたけど、私はそれに共感してしまった。
決めるのは簡単さ、思うことも楽だよ。でも、本当に重要なのは自分がなにをしたいかではなくて、自分はどうなりたいかだと、私はそう思う。
いつまでも若くないんだからという言葉や、私の将来を案じての説得は、本来なら私なんかには勿体無いほどありがたいことで、そういうことを言ってくれる人がいるというだけで、涙が出るほど嬉しい。私がそういう人たちに甘えて、自分のやりたい事をやり続けようとしているのは、実際に愚かなことでしかないのかも知れない。けれど、私はかつて思ってしまった。想像してしまった。こうなりたいと思う自分の姿を。だから私は、無謀であってもまだ頑張りたい。諦めるのは、早過ぎるから。
求めているものの落差
2011年1月14日 アニメ・マンガ
オーガストの新作である穢翼のユースティアの体験版が公開されていたのでプレイしてみました。私が公開直後の体験版をやるなんて珍しい事この上ないのですが、この作品に限ってはかなりの興味があったので。最近はエロゲの体験版も容量が大きい物が増えて、これも600MBぐらいあったのかな? 結構時間かかりましたけど、それに見合うだけのボリュームはありましたね。ただ、これは多くの体験版に言えることなんだけど、これをまた製品版が発売されたときに繰り返すのかと思えば、ちょっと面倒くさいかも知れない。
既に公開されている体験版ですから、ネタバレもなにも無いと思うので色々書かせてもらうと、想像していたよりはずっと良かった。オーガストにしては珍しいタイプの、ハッキリ言って薄暗い話だったのでどんなものかと思ったんだけど、雰囲気としては古いegoのエロゲを思い出すような、そんな感じでしたね。純愛ゲーばかり作ってきたオーガストの意欲作というだけあって、世界観設定や舞台などはかなり作りこんでいると思う。ネタがネタだけに抵抗を覚える人も少なくはないだろうけど、人を惹き込むだけの魅力みたいのは確実にあった。
一度崩壊しかけた世界を舞台に、最底辺の地獄に住んでいる人間たちの生活を描いているわけだけど、汚いものの描き方というのがよく出来ているね。べっかんこうという可愛らしい絵を主体とする原画家だけに、ミスマッチというかアンバランスな感じになるのではないかと思ってたんだけど、それほど違和感もなく、これは声優の演技がなせる技でしょうか。さすが豪華声優陣を使っているだけあるわ。背景とかも、程良く腐った町並みになっていますしね。欲を言えばもう少し容姿の汚い下衆とかも描いた方がより雰囲気がでるとおもうんだけど、まあ、醜い奴をわざわざ描く必要もないのかな。陵辱的な展開があるのかは分かりませんけど、文章的なグロテスク描写もあったから、絵的な面でも少し覚悟はしておいたほうが良いかも知れない。ちょっと精神的にきつかったから。まあ、そこら辺は難しい塩梅だろうと思うけど、オーガストがどこまでやるのかってのは興味あるよね。ヘタをするとそれまでのファンを失い掛けない、これは一種の賭けだよ。でも、オーガストがそういった勝負に出たということに関しては、私は評価してもいいと思う。
体験版とはいえ、プロローグ的部分が終わったばかりなので攻略可能ヒロインも半分は顔見せ程度の登場でしたね。良く考えてみれば、聖女とか王族なんてどうやって牢獄の殺し屋が攻略するんだよって思いますけど、彼女たちが牢獄へ来るのではなくて、主人公が上層まで上がるってことかな。前者の場合、よっぽどのことがないとありえないし。その際に思ったんだけど、このエロゲのヒロインたちって牢獄だ娼館だとか良いながら、ほとんどが処女なのではないでしょうか? サブキャラの娼婦たちはともかく、攻略ヒロインに関していえば全員処女っぽいよね。キスもしたことがないティアは当然として、娼婦になる前に身請けされたエリスも貞操守ってそうだし、聖女であるイレーヌは純潔だろう。見た目ロリで尚且つ王族のリシアが経験済みとは思えないし、フィオネみたいな堅物に近い騎士に浮いた話はないだろう。
そう考えれば、娼館街だとか地獄より酷い世界なんて言いながら、ヒロインは処女しかいないことになる。まあ、エロゲにおけるヒロインの膜と純血ほど重要なものはないと言うけど、作品の雰囲気的にはどうなんだろうか……そもそも、サブキャラである娼婦たちと寝る機会はあるのかどうか。オーガストのことだからFDでいう気もするけど、意欲作なんだからいつもと違うことをしそうな気もするし。まあ、ハッキリいえばアイリスのイベントシーンはあるのかってことなんですけどね。あれはちょっと卑怯だよ。非処女確定していてもキャラ的に魅力がありすぎる。
オーガストの作品というのは基本的にシナリオが馬鹿みたいに長いことで有名ですけど、体験版でこの長さなのだから、本編はどれほどのボリュームになるのか。さすがに体験版第二弾が出ることはないだろうけど、3月の発売が楽しみといえば楽しみですね。一応購入を決めていますけど、諸事情で春までは金銭的なカツカツなので、あくまで予定といった感じです。今月もほしい作品は幾つかあるんですが、正直金が足りない。予想以上にヨスガノソラのBDが懐を圧迫していて、痛いどころの騒ぎじゃなくなってます。そういえば、あれもそろそろ2巻が出ようというのに特典がまったく発表されませんね。数字の上ではともかく、目に見えて売れている気がしないというか。そういや、Sphereの公式で新作についての記述がなされたけど、とりあえずPUSH!!を買えばいいらしい。週明けには出ているはずだし、チェックするだけしてみますかね。
既に公開されている体験版ですから、ネタバレもなにも無いと思うので色々書かせてもらうと、想像していたよりはずっと良かった。オーガストにしては珍しいタイプの、ハッキリ言って薄暗い話だったのでどんなものかと思ったんだけど、雰囲気としては古いegoのエロゲを思い出すような、そんな感じでしたね。純愛ゲーばかり作ってきたオーガストの意欲作というだけあって、世界観設定や舞台などはかなり作りこんでいると思う。ネタがネタだけに抵抗を覚える人も少なくはないだろうけど、人を惹き込むだけの魅力みたいのは確実にあった。
一度崩壊しかけた世界を舞台に、最底辺の地獄に住んでいる人間たちの生活を描いているわけだけど、汚いものの描き方というのがよく出来ているね。べっかんこうという可愛らしい絵を主体とする原画家だけに、ミスマッチというかアンバランスな感じになるのではないかと思ってたんだけど、それほど違和感もなく、これは声優の演技がなせる技でしょうか。さすが豪華声優陣を使っているだけあるわ。背景とかも、程良く腐った町並みになっていますしね。欲を言えばもう少し容姿の汚い下衆とかも描いた方がより雰囲気がでるとおもうんだけど、まあ、醜い奴をわざわざ描く必要もないのかな。陵辱的な展開があるのかは分かりませんけど、文章的なグロテスク描写もあったから、絵的な面でも少し覚悟はしておいたほうが良いかも知れない。ちょっと精神的にきつかったから。まあ、そこら辺は難しい塩梅だろうと思うけど、オーガストがどこまでやるのかってのは興味あるよね。ヘタをするとそれまでのファンを失い掛けない、これは一種の賭けだよ。でも、オーガストがそういった勝負に出たということに関しては、私は評価してもいいと思う。
体験版とはいえ、プロローグ的部分が終わったばかりなので攻略可能ヒロインも半分は顔見せ程度の登場でしたね。良く考えてみれば、聖女とか王族なんてどうやって牢獄の殺し屋が攻略するんだよって思いますけど、彼女たちが牢獄へ来るのではなくて、主人公が上層まで上がるってことかな。前者の場合、よっぽどのことがないとありえないし。その際に思ったんだけど、このエロゲのヒロインたちって牢獄だ娼館だとか良いながら、ほとんどが処女なのではないでしょうか? サブキャラの娼婦たちはともかく、攻略ヒロインに関していえば全員処女っぽいよね。キスもしたことがないティアは当然として、娼婦になる前に身請けされたエリスも貞操守ってそうだし、聖女であるイレーヌは純潔だろう。見た目ロリで尚且つ王族のリシアが経験済みとは思えないし、フィオネみたいな堅物に近い騎士に浮いた話はないだろう。
そう考えれば、娼館街だとか地獄より酷い世界なんて言いながら、ヒロインは処女しかいないことになる。まあ、エロゲにおけるヒロインの膜と純血ほど重要なものはないと言うけど、作品の雰囲気的にはどうなんだろうか……そもそも、サブキャラである娼婦たちと寝る機会はあるのかどうか。オーガストのことだからFDでいう気もするけど、意欲作なんだからいつもと違うことをしそうな気もするし。まあ、ハッキリいえばアイリスのイベントシーンはあるのかってことなんですけどね。あれはちょっと卑怯だよ。非処女確定していてもキャラ的に魅力がありすぎる。
オーガストの作品というのは基本的にシナリオが馬鹿みたいに長いことで有名ですけど、体験版でこの長さなのだから、本編はどれほどのボリュームになるのか。さすがに体験版第二弾が出ることはないだろうけど、3月の発売が楽しみといえば楽しみですね。一応購入を決めていますけど、諸事情で春までは金銭的なカツカツなので、あくまで予定といった感じです。今月もほしい作品は幾つかあるんですが、正直金が足りない。予想以上にヨスガノソラのBDが懐を圧迫していて、痛いどころの騒ぎじゃなくなってます。そういえば、あれもそろそろ2巻が出ようというのに特典がまったく発表されませんね。数字の上ではともかく、目に見えて売れている気がしないというか。そういや、Sphereの公式で新作についての記述がなされたけど、とりあえずPUSH!!を買えばいいらしい。週明けには出ているはずだし、チェックするだけしてみますかね。
木下工務店PRESENTS 銀河英雄伝説=第1章 銀河帝国編=
2011年1月13日 アニメ・マンガ
平日ですが、昼から芝居を観てきました。日記に使う画像はないかと探してたら、既にDVDの発売が決定しているとは知らなかった。初めに舞台化すると聞いたときは正気かと思いましたけど、いざ行ってみると満員御礼でしたね。あたり一面女子女性ばかりで、私は本当に銀英伝の芝居に来たのかと、なんだか圧倒されてしまった。まあ、昔から女性に人気な作品ではあったし、芝居観賞はどちらかと言えば女性の趣味だとは思うけど、それにしたって男性客の数が少なすぎる。田中芳樹ファンというか、銀英伝ファンはあまり興味がなかったのか、それともチケットが取れなかったのか。多分、後者なんだろうな。
私も最初はこのとんでも企画に難色を示したというか、そんな話題になることもないだろうとチケットも取らずに放置してたんですが、やたらとイケメン俳優を揃えたせいか、その手の女性ファンたちが食いついたらしくてね。いつかも書いた気がしますけど、気付いたときにはチケットが完売していて大慌てしたんですよ。それをとある女流ファンタジー作家、もうベテランもベテランに相談したら、偶然にもチケットを確保することが出来るというので即お願いして。おかげでなんとか観に行くことが出来ました。しかも、関係者席だからかメチャクチャいい場所で観られましたよ。会場である青山劇場にはサクラ大戦歌謡ショウでなんどか行った記憶がありますけど、それも数年前に終了しましたから、割と久しぶりだったかな。帝国劇場や四季劇場とは比較も出来ませんけど、劇場としては結構好きな方です。まあ、そんなに設備がいいわけでもないですけど、可も不可もないところとかがね。着いたときにはもう入場待機列が出来ていて、開場もすぐだったのでさっさと中に入りました。荷物を置いてトイレに行きがてら地下の物販スペースを観ましたけど、イケメン俳優を全面に押しているせいか、ポスターとかそういう感じのグッズが多かったですね。そんなに混んではなかったんだけど、俳優の写真集みたいなパンフレットを買うのもどうかと思ったから、なにも買いませんでした。ちょっと惜しいことをしたかな、という感じもするんだけどね。席に戻ったら隣りに座る客も来てたんだけど、やけにイケメンな男達が現れて少しびっくりした。関係者席だからそういうのが来てもおかしくはないし、休憩時間にロビーで握手を求められてたから、これは名のある若手俳優に違いないと思って帰宅後に調べたら、どうやら平成ライダーや戦隊の主役たちだったらしい。関係者席って凄いなぁ。
肝心の芝居ですけど、基本的には原作の流れを再現していましたね。敢えてネタバレをしていきますと、原作の1巻から2巻までを基本として、完全に帝国側のみを描いた感じでした。同盟側は単語や名前だけ出て来る感じで、ヤン・ウェンリーすら陰も形も出てこないという徹底ぶり。私は原作ファンやって長いですから簡単に思い浮かべることが出来ますけど、劇場に来ていた人らは読んだことも観たこともないひとが多いだろうから、はてさてヤン・ウェンリーとは何者なんだろうと、そんな感じだったのではないだろうか。悪人か前任かすら分からない、分かっているのは主人公であるラインハルトの敵であることぐらいか。
主な変更点としては、始まりであるアスターテ会戦にミッターマイヤーやロイエンタールが参加していたというところでしょうか。あの会戦は本来、ラインハルトの両手足を奪うために仕組まれたもので、帝国軍の双翼はおろか参謀のメックリンガーや艦長のシュタインメッツすらもラインハルトから引き離された、しかし本人はキルヒアイスだけいれば十分だと言い聞いた、そんな話なんですけどね。双翼を重要視するのは分かるけど、あれじゃあラインハルト単体の凄さが伝わらないじゃないか。それに艦隊戦のシーンもおざなりで、ひたすら効果音に合わせて「ファイエル!」と叫んでいるだけ。この辺りも原作読んでるか、ドイツ語に詳しくないとサッパリなんじゃなかろうか。
まあ、艦隊戦を再現できるとは思ってなかったから、それはどうでもいいんですけどね。しかし、白兵戦のシーンも不満があるというか、装甲服を用意できないのはいいとして、装甲擲弾兵が着ているのがまるでドラゴンボールの戦闘服みたいでかなりしょぼかった。さすがにあれはないよ。オフレッサーの戦闘は良かったけど、オフレッサーがトマホークを振り回すのに対して、ロイエンタールとミッターマイヤーは槍って。しかも、罠に嵌めるわけでもなく、2人がかりの直接戦闘で倒してますからね。オフレッサーそのものは自害しましたけど、奴に武人としてそこまでの挟持があったとは。
要塞の描写も本当にちゃちいというか、舞台装置がせりあがっただけって。後、登場人物の少なさもなぁ。リップシュタット戦役に入った段階で、ケンプやミュラー、ケスラーすら登場しないんですからね。特にケンプがいないことには衝撃を受けました。この芝居がどこまでやるのかは知りませんけど、花崗岩のようなおっさんを出す価値はないとでもいいたいのか。それから私が帝国軍で一番好きな、フリッツ・ヨーゼフ・ビッテンフェルトの役者もなんというか、チャラ男過ぎて本当に嫌だった。絶対原作読んでないことが丸分かりの、酷い演技でしたよ。
貰い物のチケットで批判ばっかりするのもどうかと思うけど、銀英伝ファンとしては正直予想通りの碌でも無い舞台だったかなと。原作を再現しているからこそ駄目だったというか、私はファンですから内容を理解できますけど、所見だと絶対に分からない作りになってました。そういや、アニメ版のラインハルトを演じた堀川りょうが特別出演するというから、なに役だろうと思ったらまさかのセバスティアン・ミューゼル、ラインハルトの父親役だった。なにか予感めいたものはしていたけど、まさかあのダメ親父をかつて嫌悪していたラインハルト自身が演じることになるとはね……まあ、女性向けということを配慮してか、道原かつみ版の設定を使うことでそれなりに可哀想な父親ということになってましたけど、堀川りょうはさすがに上手く演じてましたよ。憎むべき相手だったセバスティアンを演じることに、堀川りょうは抵抗とかなかったんだろうか? パンフ買えば、そこら辺のコメントも書いてあったのかな。
聞いた話では、春先にも双翼をメインにした外伝をやるそうですけど、星を砕くものでも上演するんでしょうかね。まあ、観に行くかどうかは、今回の舞台の出来を思えば微妙なんですけど、よく考えてみることにします。
私も最初はこのとんでも企画に難色を示したというか、そんな話題になることもないだろうとチケットも取らずに放置してたんですが、やたらとイケメン俳優を揃えたせいか、その手の女性ファンたちが食いついたらしくてね。いつかも書いた気がしますけど、気付いたときにはチケットが完売していて大慌てしたんですよ。それをとある女流ファンタジー作家、もうベテランもベテランに相談したら、偶然にもチケットを確保することが出来るというので即お願いして。おかげでなんとか観に行くことが出来ました。しかも、関係者席だからかメチャクチャいい場所で観られましたよ。会場である青山劇場にはサクラ大戦歌謡ショウでなんどか行った記憶がありますけど、それも数年前に終了しましたから、割と久しぶりだったかな。帝国劇場や四季劇場とは比較も出来ませんけど、劇場としては結構好きな方です。まあ、そんなに設備がいいわけでもないですけど、可も不可もないところとかがね。着いたときにはもう入場待機列が出来ていて、開場もすぐだったのでさっさと中に入りました。荷物を置いてトイレに行きがてら地下の物販スペースを観ましたけど、イケメン俳優を全面に押しているせいか、ポスターとかそういう感じのグッズが多かったですね。そんなに混んではなかったんだけど、俳優の写真集みたいなパンフレットを買うのもどうかと思ったから、なにも買いませんでした。ちょっと惜しいことをしたかな、という感じもするんだけどね。席に戻ったら隣りに座る客も来てたんだけど、やけにイケメンな男達が現れて少しびっくりした。関係者席だからそういうのが来てもおかしくはないし、休憩時間にロビーで握手を求められてたから、これは名のある若手俳優に違いないと思って帰宅後に調べたら、どうやら平成ライダーや戦隊の主役たちだったらしい。関係者席って凄いなぁ。
肝心の芝居ですけど、基本的には原作の流れを再現していましたね。敢えてネタバレをしていきますと、原作の1巻から2巻までを基本として、完全に帝国側のみを描いた感じでした。同盟側は単語や名前だけ出て来る感じで、ヤン・ウェンリーすら陰も形も出てこないという徹底ぶり。私は原作ファンやって長いですから簡単に思い浮かべることが出来ますけど、劇場に来ていた人らは読んだことも観たこともないひとが多いだろうから、はてさてヤン・ウェンリーとは何者なんだろうと、そんな感じだったのではないだろうか。悪人か前任かすら分からない、分かっているのは主人公であるラインハルトの敵であることぐらいか。
主な変更点としては、始まりであるアスターテ会戦にミッターマイヤーやロイエンタールが参加していたというところでしょうか。あの会戦は本来、ラインハルトの両手足を奪うために仕組まれたもので、帝国軍の双翼はおろか参謀のメックリンガーや艦長のシュタインメッツすらもラインハルトから引き離された、しかし本人はキルヒアイスだけいれば十分だと言い聞いた、そんな話なんですけどね。双翼を重要視するのは分かるけど、あれじゃあラインハルト単体の凄さが伝わらないじゃないか。それに艦隊戦のシーンもおざなりで、ひたすら効果音に合わせて「ファイエル!」と叫んでいるだけ。この辺りも原作読んでるか、ドイツ語に詳しくないとサッパリなんじゃなかろうか。
まあ、艦隊戦を再現できるとは思ってなかったから、それはどうでもいいんですけどね。しかし、白兵戦のシーンも不満があるというか、装甲服を用意できないのはいいとして、装甲擲弾兵が着ているのがまるでドラゴンボールの戦闘服みたいでかなりしょぼかった。さすがにあれはないよ。オフレッサーの戦闘は良かったけど、オフレッサーがトマホークを振り回すのに対して、ロイエンタールとミッターマイヤーは槍って。しかも、罠に嵌めるわけでもなく、2人がかりの直接戦闘で倒してますからね。オフレッサーそのものは自害しましたけど、奴に武人としてそこまでの挟持があったとは。
要塞の描写も本当にちゃちいというか、舞台装置がせりあがっただけって。後、登場人物の少なさもなぁ。リップシュタット戦役に入った段階で、ケンプやミュラー、ケスラーすら登場しないんですからね。特にケンプがいないことには衝撃を受けました。この芝居がどこまでやるのかは知りませんけど、花崗岩のようなおっさんを出す価値はないとでもいいたいのか。それから私が帝国軍で一番好きな、フリッツ・ヨーゼフ・ビッテンフェルトの役者もなんというか、チャラ男過ぎて本当に嫌だった。絶対原作読んでないことが丸分かりの、酷い演技でしたよ。
貰い物のチケットで批判ばっかりするのもどうかと思うけど、銀英伝ファンとしては正直予想通りの碌でも無い舞台だったかなと。原作を再現しているからこそ駄目だったというか、私はファンですから内容を理解できますけど、所見だと絶対に分からない作りになってました。そういや、アニメ版のラインハルトを演じた堀川りょうが特別出演するというから、なに役だろうと思ったらまさかのセバスティアン・ミューゼル、ラインハルトの父親役だった。なにか予感めいたものはしていたけど、まさかあのダメ親父をかつて嫌悪していたラインハルト自身が演じることになるとはね……まあ、女性向けということを配慮してか、道原かつみ版の設定を使うことでそれなりに可哀想な父親ということになってましたけど、堀川りょうはさすがに上手く演じてましたよ。憎むべき相手だったセバスティアンを演じることに、堀川りょうは抵抗とかなかったんだろうか? パンフ買えば、そこら辺のコメントも書いてあったのかな。
聞いた話では、春先にも双翼をメインにした外伝をやるそうですけど、星を砕くものでも上演するんでしょうかね。まあ、観に行くかどうかは、今回の舞台の出来を思えば微妙なんですけど、よく考えてみることにします。
辿り着くための理由と目的
2011年1月12日 アニメ・マンガちょっとした用事で仕事帰りに池袋へ行ったんですけど、結局無駄足に終わってしまって物凄く疲れました。そういや、新年会を池袋じゃなくて秋葉原に買えたせいか、この町へ来るのも随分と久しぶりな気がしますね。最後に来たのは、秋のサンクリでしょうか? よく覚えてませんけど、夜に訪れるなんて機会はそんなにないと思う。パセラ帰りは割と遅い時間になることもあるけど、それだって行くのは昼頃ですからね。まあ、夜の池袋なんて新宿や渋谷並に危険な香りがするからさっさと帰りましたけど、池袋の駅前ってなんか広いイメージがある。
駅と駅前ってのは、その街の特色が出ているというか、例えば渋谷なんかは常に人で溢れかえっている印象があり、逆に新宿はビルが密集している感じですよね。それに比べると池袋駅ってのは目の前が大きな道路だからか、駅と街の距離感みたいのがあるような気がする。車が多いというイメージは特にないけど、広々としているっていうの? 秋葉原みたいなある意味での狭さがないというか、開放感があるよね。秋葉原はあれでいて空間的には狭い部類に入って、昭和通りを考慮しなければ中央通りとその周辺に移動が限定されるから、街としてはそれほど広くないんですよ。アキバblogなんかが秋葉情報を毎時集めることが出来るのも、そうした街としての大きさから来るんじゃないかと思うんだけど、違うかな。
私に馴染みある街といえば、まあ、地元である横浜駅及び駅前だけど、横浜の場合は駅舎に隣接した商業施設が多いから、駅そのものが巨大な空間として成り立っているんだよね。決して駅ナカではないんだけど、横浜駅という場所で揃わないものはないというか、これは結構特殊な方だと思う。そのせいで駅前が飲み屋とゲーセンしかないみたいな状況ではあるけど、それもまた街の特色ということで一つ。最近じゃ川崎も結構面白い街並みになっては来たけど、あそこはどこまでが駅前なのか分からなくなるよね。移動範囲が広すぎるけど、ここいらじゃ一番大きなアーケード街を持っているような気もする。私はチネチッタ近辺と駅の往復ぐらいしかしないけど。ラゾーナもマグマニが消えてから行かなくなってしまったし、そのマグマニも店自体が潰れてしまったからなぁ。一度、時間があるときにでもじっくりみて回りたいとは思ってるんだけど、ラゾーナよりはららぽーと横浜の方が興味ある。確か、あそこで文学少女の映画を観たんだったか。
どこぞのエセ評論家ではないけど、私もそれなりにショッピングセンターなんかが好きで、ああいう空間で遊ぶのが楽しかったりします。所謂、複合商業施設って奴ですが、有名なのは海老名にあるViNA WALKとかですかね? Wikipediaなんかにも載ってますけど、割と近場だから出来た当初から行ってますが、ここ数年はどうだったかな。あそこはデザイン性は本当に優れてるんだけど、ある意味で見てくれだけの施設だから、移動とかそういう面での不具合がありすぎる。まるで迷路といっても差し支えなく、嫌いじゃないんだけど積極的に行けるほど若くもないというか。映画館的にはワーナー・マイカル・シネマズの方に思い入れが強いからね。まあ、あっちにも随分と行ってませんけど、春にでも時間があったら足を延ばすのも悪くないかも知れないなぁ。意味はないけど、チネチッタとか109シネマズばかりってのもあれな気がするし、たまには違うところへ行くのも気分的にありじゃないかと。ららぽーと横浜のTOHOシネマズに行ったときはかなり新鮮な気分だったし。六本木はまあ別ですけどね。あそこはなんていうか、ヒルズにある映画館を意識して作られてますから、他とは色々な意味で違う空間だった。そういや、何年か前にBLEACHの一番最初の映画を観るために、橋本だかにあるMOVIXへ行った記憶があるな。観に行こうと思って放置してたら、いつの間にかそこぐらいでしか上映してなくて。私はあの映画にかなり惚れ込んだ記憶があるけど、あれに出て来る商業施設って八王子かなんかにあるんですよね。なんだ、橋本から近かったんじゃないか。映画公開時と名称が変わったらしいですけど、あそこも一度行ってみたいんだよなぁ。なにか目的があるわけじゃないけど、いや、観て回ることそれ自体が目的なのか。
まあ、必要なのは時間と余裕だよね。どこに行くにしたって電車で行けないことはないけど、それなりに遠くなら半日ないし1日は使うことになるだろうし、そういった意味では明確な理由でもないと行きにくいのかも知れない。例えば、ViNA WALKなら映画を観に行くとか、そういった感じでさ。今の仕事が一段落したら、1ヵ月ぐらい休養したいなという気持ちはあるので、そのときにでも考えてみようかな。春までには、本当に色々と整理しておきたい。今後のこともあるしね。
駅と駅前ってのは、その街の特色が出ているというか、例えば渋谷なんかは常に人で溢れかえっている印象があり、逆に新宿はビルが密集している感じですよね。それに比べると池袋駅ってのは目の前が大きな道路だからか、駅と街の距離感みたいのがあるような気がする。車が多いというイメージは特にないけど、広々としているっていうの? 秋葉原みたいなある意味での狭さがないというか、開放感があるよね。秋葉原はあれでいて空間的には狭い部類に入って、昭和通りを考慮しなければ中央通りとその周辺に移動が限定されるから、街としてはそれほど広くないんですよ。アキバblogなんかが秋葉情報を毎時集めることが出来るのも、そうした街としての大きさから来るんじゃないかと思うんだけど、違うかな。
私に馴染みある街といえば、まあ、地元である横浜駅及び駅前だけど、横浜の場合は駅舎に隣接した商業施設が多いから、駅そのものが巨大な空間として成り立っているんだよね。決して駅ナカではないんだけど、横浜駅という場所で揃わないものはないというか、これは結構特殊な方だと思う。そのせいで駅前が飲み屋とゲーセンしかないみたいな状況ではあるけど、それもまた街の特色ということで一つ。最近じゃ川崎も結構面白い街並みになっては来たけど、あそこはどこまでが駅前なのか分からなくなるよね。移動範囲が広すぎるけど、ここいらじゃ一番大きなアーケード街を持っているような気もする。私はチネチッタ近辺と駅の往復ぐらいしかしないけど。ラゾーナもマグマニが消えてから行かなくなってしまったし、そのマグマニも店自体が潰れてしまったからなぁ。一度、時間があるときにでもじっくりみて回りたいとは思ってるんだけど、ラゾーナよりはららぽーと横浜の方が興味ある。確か、あそこで文学少女の映画を観たんだったか。
どこぞのエセ評論家ではないけど、私もそれなりにショッピングセンターなんかが好きで、ああいう空間で遊ぶのが楽しかったりします。所謂、複合商業施設って奴ですが、有名なのは海老名にあるViNA WALKとかですかね? Wikipediaなんかにも載ってますけど、割と近場だから出来た当初から行ってますが、ここ数年はどうだったかな。あそこはデザイン性は本当に優れてるんだけど、ある意味で見てくれだけの施設だから、移動とかそういう面での不具合がありすぎる。まるで迷路といっても差し支えなく、嫌いじゃないんだけど積極的に行けるほど若くもないというか。映画館的にはワーナー・マイカル・シネマズの方に思い入れが強いからね。まあ、あっちにも随分と行ってませんけど、春にでも時間があったら足を延ばすのも悪くないかも知れないなぁ。意味はないけど、チネチッタとか109シネマズばかりってのもあれな気がするし、たまには違うところへ行くのも気分的にありじゃないかと。ららぽーと横浜のTOHOシネマズに行ったときはかなり新鮮な気分だったし。六本木はまあ別ですけどね。あそこはなんていうか、ヒルズにある映画館を意識して作られてますから、他とは色々な意味で違う空間だった。そういや、何年か前にBLEACHの一番最初の映画を観るために、橋本だかにあるMOVIXへ行った記憶があるな。観に行こうと思って放置してたら、いつの間にかそこぐらいでしか上映してなくて。私はあの映画にかなり惚れ込んだ記憶があるけど、あれに出て来る商業施設って八王子かなんかにあるんですよね。なんだ、橋本から近かったんじゃないか。映画公開時と名称が変わったらしいですけど、あそこも一度行ってみたいんだよなぁ。なにか目的があるわけじゃないけど、いや、観て回ることそれ自体が目的なのか。
まあ、必要なのは時間と余裕だよね。どこに行くにしたって電車で行けないことはないけど、それなりに遠くなら半日ないし1日は使うことになるだろうし、そういった意味では明確な理由でもないと行きにくいのかも知れない。例えば、ViNA WALKなら映画を観に行くとか、そういった感じでさ。今の仕事が一段落したら、1ヵ月ぐらい休養したいなという気持ちはあるので、そのときにでも考えてみようかな。春までには、本当に色々と整理しておきたい。今後のこともあるしね。
ニコニコ動画とUstreamで、ロフトプラスワンで開催していた蒼穹のファフナーのイベントを視聴しました。最近は便利すぎる世の中になったというか、イベントの生中継がネットで出来るんですね。チケット取れなかったときは愕然とした気分になったけど、ネットさえあればタダで観られると言うんだから、ますます出不精になってしまう気がする。まあ、それを抜きにしても会場は女性客だらけだったそうだから、私なんかには居づらい空間だったんだろうけど。ファフナーは放送当時から女性人気高かったけど、さすがに女性は根強いね。声優が来るわけでもないイベントで、よくもあそこまで黄色い歓声を上げられるものだ。
ネタバレ満載みたいなことが書いてあったから、てっきり映画で語られなかった部分とか、そういうのを話してくれると思っていたんですけど、それはあくまで公開中の映画の話もするというだけのことだったらしく、少々期待外れな結果に終わりました。まあ、ゲストに関しては錚々たるメンバーが集まってましたけど、杉作J太郎なんて女性ファンは知らないだろうに。元々、スタチャアニメが好きだったらしいけど、ファフナーを知ったのは放送後にずいぶんと経ってから、パチンコ化されてからだそうです。私は全然知らなかったんだけど、以前にWBCという野球の世界大会みたいのが開催されていて、それのTV放送のスポンサーがファフナーのパチンコ作っているところだったらしく、毎試合の合間にCMが流れていたとかなんとか。なんでもShangri-LaがWBC非公式応援歌などと言われるほど、しつこいCMだったらしいけど、野球に興味もなければパチンコ嫌いでもある私はまったく知らなかった。杉作J太郎はそれでファフナーを知ったそうだけど、今はパチンコで原作に触れるなんてこともあるんですねぇ。ギャンブル嫌いとしては複雑ではあるけど、今回の映画企画自体、パチンコによる収益が大きかったとも言われてるしなぁ。私は色々な意味でああいったものに対する精神的抵抗が強いんだけど、今はパチンコによる商業展開も普通に考えてアニメとか作られているといいますからね。そんなのメディアミックスじゃないと言いたいんだけど、どこもかしこも金がないから、少しでも儲かるものがあるとすぐに飛びついてしまう。銀英伝がパチンコ化したときは悲しかったけど、らいとすたっふはそういうところだと割りきって、結局打ちに行かなかったな。仮にヨスガノソラの台でも出来たら考えますけど、エロゲ原作に限ってそれはないと信じよう。
話をイベントに戻すけど、あんまり特筆すべきことはないというか、映画の話と昔語りが半々といった感じで、期待していたような内容はなにもなかった。こういってはなんだけど、かねだして観に行くほどのものではなかったかなという印象です。興行収入が1億円突破したら続編を作るということで、現在は5000万円らしい。単館上映の映画が公開2週間で5000万ですから、それなりに稼いでるんじゃないでしょうか? まあ、6年も前の作品ですか、なのはやハルヒといった今時の映画作品には勝てないにせよ、十分に健闘している方だと思います。
しかし、イベント会場が新宿の歌舞伎町にあるロフトプラスワンだったんだけど、あそこにも随分長いこと行ってませんね。というか、ここ5年ぐらい行ってないんじゃないか? 私がロフトのオールナイトイベントに参加していた時期を言うと、年がバレるので言いませんけど、あの頃は私も物凄いガキで、まあ、馬鹿なのは今も同じですけど、ロフト系列ではありえないとか言われるほど瑞々しい存在だったな。私がどんだけオタクとして昔からダメな奴だったかという話だけど、ああいう地下イベントみたいのに憧れていた時期もあったんですよ。いつか壇上にいる側の人間になりたいとか、夢見がちだったねぇ。今思うともうちょっとマシなところにしろよって感じですよね。いや、別にロフトが悪いところだとは言わないけど。実は昨年12月頃に仕事の関係で行くかも知れなかったんですが、会場が変わってしまったため結局行けずじまいで。私は会場選ぶ側の人間じゃなかったから、惜しいことをしたな。
なんか、それほどのイベントでもなかったから、イベントの内容で書くことがあまりないですね。つまらなかったわけじゃないんだけど、結局西尾姉弟の安否とか不明な点が多いしなぁ。後日談的なものが出るかも知れないみたいな、そんなことを匂わせてはいましたけど、BDの特典としでるのか、それともドラマCDみたいのが単品で発売されるのか。気になるところではあるけど、続報を待つ以外にすることもないですしね。そういえば、TV本編のDVD-BOXが再版されて、BD-BOXの発売も決まったそうですけど、2クールアニメだしそれなりに値は張るんでしょうね。バンダイビジュアルとはいえスタチャだし、買うかどうかは実際に情報が公開されてから考えることにします。
ネタバレ満載みたいなことが書いてあったから、てっきり映画で語られなかった部分とか、そういうのを話してくれると思っていたんですけど、それはあくまで公開中の映画の話もするというだけのことだったらしく、少々期待外れな結果に終わりました。まあ、ゲストに関しては錚々たるメンバーが集まってましたけど、杉作J太郎なんて女性ファンは知らないだろうに。元々、スタチャアニメが好きだったらしいけど、ファフナーを知ったのは放送後にずいぶんと経ってから、パチンコ化されてからだそうです。私は全然知らなかったんだけど、以前にWBCという野球の世界大会みたいのが開催されていて、それのTV放送のスポンサーがファフナーのパチンコ作っているところだったらしく、毎試合の合間にCMが流れていたとかなんとか。なんでもShangri-LaがWBC非公式応援歌などと言われるほど、しつこいCMだったらしいけど、野球に興味もなければパチンコ嫌いでもある私はまったく知らなかった。杉作J太郎はそれでファフナーを知ったそうだけど、今はパチンコで原作に触れるなんてこともあるんですねぇ。ギャンブル嫌いとしては複雑ではあるけど、今回の映画企画自体、パチンコによる収益が大きかったとも言われてるしなぁ。私は色々な意味でああいったものに対する精神的抵抗が強いんだけど、今はパチンコによる商業展開も普通に考えてアニメとか作られているといいますからね。そんなのメディアミックスじゃないと言いたいんだけど、どこもかしこも金がないから、少しでも儲かるものがあるとすぐに飛びついてしまう。銀英伝がパチンコ化したときは悲しかったけど、らいとすたっふはそういうところだと割りきって、結局打ちに行かなかったな。仮にヨスガノソラの台でも出来たら考えますけど、エロゲ原作に限ってそれはないと信じよう。
話をイベントに戻すけど、あんまり特筆すべきことはないというか、映画の話と昔語りが半々といった感じで、期待していたような内容はなにもなかった。こういってはなんだけど、かねだして観に行くほどのものではなかったかなという印象です。興行収入が1億円突破したら続編を作るということで、現在は5000万円らしい。単館上映の映画が公開2週間で5000万ですから、それなりに稼いでるんじゃないでしょうか? まあ、6年も前の作品ですか、なのはやハルヒといった今時の映画作品には勝てないにせよ、十分に健闘している方だと思います。
しかし、イベント会場が新宿の歌舞伎町にあるロフトプラスワンだったんだけど、あそこにも随分長いこと行ってませんね。というか、ここ5年ぐらい行ってないんじゃないか? 私がロフトのオールナイトイベントに参加していた時期を言うと、年がバレるので言いませんけど、あの頃は私も物凄いガキで、まあ、馬鹿なのは今も同じですけど、ロフト系列ではありえないとか言われるほど瑞々しい存在だったな。私がどんだけオタクとして昔からダメな奴だったかという話だけど、ああいう地下イベントみたいのに憧れていた時期もあったんですよ。いつか壇上にいる側の人間になりたいとか、夢見がちだったねぇ。今思うともうちょっとマシなところにしろよって感じですよね。いや、別にロフトが悪いところだとは言わないけど。実は昨年12月頃に仕事の関係で行くかも知れなかったんですが、会場が変わってしまったため結局行けずじまいで。私は会場選ぶ側の人間じゃなかったから、惜しいことをしたな。
なんか、それほどのイベントでもなかったから、イベントの内容で書くことがあまりないですね。つまらなかったわけじゃないんだけど、結局西尾姉弟の安否とか不明な点が多いしなぁ。後日談的なものが出るかも知れないみたいな、そんなことを匂わせてはいましたけど、BDの特典としでるのか、それともドラマCDみたいのが単品で発売されるのか。気になるところではあるけど、続報を待つ以外にすることもないですしね。そういえば、TV本編のDVD-BOXが再版されて、BD-BOXの発売も決まったそうですけど、2クールアニメだしそれなりに値は張るんでしょうね。バンダイビジュアルとはいえスタチャだし、買うかどうかは実際に情報が公開されてから考えることにします。
ファフナーブームの影響で、ついつい買ってしまいました。なんか、見た目はSFマガジンの増刊みたいですけど、一応角川書店の本になっています。冲方丁といえば早川書房というイメージが強いですけど、アニメ関係をメインに扱うと、どうしても角川書店になっちゃうんですかね? それにしたってこの装丁はどうなんだと思うけど、中身がそれなりに良かったので気にしないことにしましょう。ファフナーの描き下ろし短編があったので買ったとはいえ、それなりに読み物として面白かったです。そういや、最近はこの手のムック本を読んでなかったな。
Preface of 蒼穹のファフナー HEAVEN AND EARTHと題された120枚にも及ぶ描きおろし短編ですが、36字×24行で二段組みだから、ページ数としてはかなり圧縮されていますね。詰め込み過ぎじゃないかとも思うけど、SFマガジンとか読み慣れているせいか、この判型でも普通に読めてしまう自分がいる。やっぱ、小説誌はこういうサイズがいいよね。SF畑の感覚かもしれませんが。
具体的な内容としては映画本編より前の、蒼穹作戦後の2年間における話なんですけど、意外なほど立上芹の出番があって嬉しかった。というか、ほとんど一騎とならぶ物語のメインキャラだったのではないだろうか。ヒロインが真矢であることは当然としても、なんていうか、映画における芹の重要性をここでも書いてるというか、後輩組の主人公格ってやっぱり芹だよね。皆城乙姫の親友であるという点もそうですけど、なにかと一騎に近い部分があるといいますか。話自体は一騎メインで、彼の視点から色々なことが語られていくわけだけど、ほぼ失明状態という身体的ハンデを、文章で上手く表現しているような気はします。真矢やカノンとの微妙な関係や、精神的に成長している剣司など、映画版に続くかなれがしっかりと書かれていた。私は一騎と芹の会話というTV本編ではまずなかった交流が描かれていることを知って買う気になったんだけど、本編と映画の補間という意味でも十分によく出来ていたと思う。
一騎は夢の中で、生命に満ちる海という心象を目撃しました。それは自分がそれまで観てきたどの海とも違い、思わず乙姫ものかと勘違いをしてしまうほどの圧倒感があった。けれど、それは乙姫を表すにはまだ狭く、似ているようで規模の小さいものだった。でも、一騎はそんな海に対して戦慄を覚えてしまう。何故なら、乙姫でない者がこれだけの心象を持っているのだ。驚くのも無理はない。
そして、夢から冷めた一騎が陶芸用の土掘りに山を訪れていると、誰かが山の中にやってくる気配を感じ取る。時刻はまだ明け方であり、普通は人なんていない時間帯。何故か、一騎はそのとき夢で観た生命の海を思い出した。その心象の持ち主が自分のところへ来ると、確信めいたものを実感してしまう。一度は否定したのに、期待なんてしていないはずなのに、それでも一騎は呟いてしまった。
「――総士?」
「乙姫ちゃん?」
そこに現れたの芹だった。虫かごを複数持って、朝の虫取りにやってきたのである。本編では特に絡みがなかった2人だけど、ここでは先輩後輩の間柄ということもあって普通に会話をしていた。芹は相手を苗字ではなく名前で呼ぶ傾向があり、一騎のことは「一騎先輩」と呼び、逆に一騎は芹のことを「立上」と呼び捨てにします。まあ、さして広くもない島で、直接の後輩であるから、それなりに交流はあったんでしょうけど、まさかこの2人がこういう形で会話をするとは思わなかった。しかも、一騎曰く思考回路が似ているとかで、会話は正面衝突してばかり。それでも押しの強い方である芹が主導権を握るけど、行動面においては先輩である一騎のほうが主導する。なかなか良く出来た組み合わせというか、本当に色々な意味で似ていると思った。
芹が一騎のことを乙姫だと思った理由は、その山で初めて乙姫と出会ったからというけど、一騎のほうは特に理由がない、というよりは言葉にして説明できないらしい。まあ、どちらも同じようなものだけど、結局のところ芹も乙姫がいるのではないかという期待を抱いてたんでしょうね。乙姫目撃情報的な噂がこの時期にもう流れていたのかは知りませんけど、そういうの関係なしに、それこそ一騎が総士のことを考えているほどには、芹も乙姫のことを求めているんじゃないかなと。芹と一騎は性格こそ違いますけど、思考や精神的な部分で共通点が多くて、共に皆城兄妹を想っているんですよね。多分、程度の差なんてないぐらい、どちらも強く激しく。芹は島の新しいコアを乙姫とは別の存在であることをハッキリと理解して、その上で島全体が乙姫であると考えています。だから、島にいる限りいつだって乙姫に会えると。そうした芹の想いに一騎は納得しますけど、一騎を乙姫と間違えたことからも、彼女の実体に会いたいという気持ちは捨てきれないんだろうね。芹は明るく振舞っていたし、実際に裏表のない明るさではあったけど、乙姫に対する想いは、一騎が総士に対して向けるものと同じ、巨大なものなんだろうな。
芹と一騎の会話という珍しいものも読めたし、買って損はしない一冊だと思いました。重要視されるのはこの2人の会話だけど、それ以外のキャラが見劣りするわけでもなくて、特にラストの真矢は凄く良かった。一騎だっていい加減気付いているはずだけど、映画で総士は帰ってきちゃったし、これからどうなるんでしょうね? 確か、総士は真矢のことが好きだったはずだし。甲洋もそうですけど、想い人は大抵一騎を好きという。てか、咲良以外の先輩組は全員一騎が好きなのか。なんだ、モテモテじゃないか。
ある意味、乙姫の完全消滅と入れ替わるように総士が帰還したわけで、それに対する芹の想いなんかも気になるよね。この島すべてが乙姫であると定義していた芹だけど、それも完全に消えてしまったわけで、どんな風に心の中を整理するのか、気持ちに決着を付けることは出来るのか、手放しに総士の帰還を喜ぶ余裕はないんじゃないかな。そうした芹の気持ちを理解できるのは、今回このような会話をしたことがある一騎だけだろうけど、彼は大切な親友を取り戻すことの出来た側だから、そういった対比みたいを描いても面白いかも知れない。要するに、後日談がほしいってことなんだけど。
Preface of 蒼穹のファフナー HEAVEN AND EARTHと題された120枚にも及ぶ描きおろし短編ですが、36字×24行で二段組みだから、ページ数としてはかなり圧縮されていますね。詰め込み過ぎじゃないかとも思うけど、SFマガジンとか読み慣れているせいか、この判型でも普通に読めてしまう自分がいる。やっぱ、小説誌はこういうサイズがいいよね。SF畑の感覚かもしれませんが。
具体的な内容としては映画本編より前の、蒼穹作戦後の2年間における話なんですけど、意外なほど立上芹の出番があって嬉しかった。というか、ほとんど一騎とならぶ物語のメインキャラだったのではないだろうか。ヒロインが真矢であることは当然としても、なんていうか、映画における芹の重要性をここでも書いてるというか、後輩組の主人公格ってやっぱり芹だよね。皆城乙姫の親友であるという点もそうですけど、なにかと一騎に近い部分があるといいますか。話自体は一騎メインで、彼の視点から色々なことが語られていくわけだけど、ほぼ失明状態という身体的ハンデを、文章で上手く表現しているような気はします。真矢やカノンとの微妙な関係や、精神的に成長している剣司など、映画版に続くかなれがしっかりと書かれていた。私は一騎と芹の会話というTV本編ではまずなかった交流が描かれていることを知って買う気になったんだけど、本編と映画の補間という意味でも十分によく出来ていたと思う。
一騎は夢の中で、生命に満ちる海という心象を目撃しました。それは自分がそれまで観てきたどの海とも違い、思わず乙姫ものかと勘違いをしてしまうほどの圧倒感があった。けれど、それは乙姫を表すにはまだ狭く、似ているようで規模の小さいものだった。でも、一騎はそんな海に対して戦慄を覚えてしまう。何故なら、乙姫でない者がこれだけの心象を持っているのだ。驚くのも無理はない。
そして、夢から冷めた一騎が陶芸用の土掘りに山を訪れていると、誰かが山の中にやってくる気配を感じ取る。時刻はまだ明け方であり、普通は人なんていない時間帯。何故か、一騎はそのとき夢で観た生命の海を思い出した。その心象の持ち主が自分のところへ来ると、確信めいたものを実感してしまう。一度は否定したのに、期待なんてしていないはずなのに、それでも一騎は呟いてしまった。
「――総士?」
「乙姫ちゃん?」
そこに現れたの芹だった。虫かごを複数持って、朝の虫取りにやってきたのである。本編では特に絡みがなかった2人だけど、ここでは先輩後輩の間柄ということもあって普通に会話をしていた。芹は相手を苗字ではなく名前で呼ぶ傾向があり、一騎のことは「一騎先輩」と呼び、逆に一騎は芹のことを「立上」と呼び捨てにします。まあ、さして広くもない島で、直接の後輩であるから、それなりに交流はあったんでしょうけど、まさかこの2人がこういう形で会話をするとは思わなかった。しかも、一騎曰く思考回路が似ているとかで、会話は正面衝突してばかり。それでも押しの強い方である芹が主導権を握るけど、行動面においては先輩である一騎のほうが主導する。なかなか良く出来た組み合わせというか、本当に色々な意味で似ていると思った。
芹が一騎のことを乙姫だと思った理由は、その山で初めて乙姫と出会ったからというけど、一騎のほうは特に理由がない、というよりは言葉にして説明できないらしい。まあ、どちらも同じようなものだけど、結局のところ芹も乙姫がいるのではないかという期待を抱いてたんでしょうね。乙姫目撃情報的な噂がこの時期にもう流れていたのかは知りませんけど、そういうの関係なしに、それこそ一騎が総士のことを考えているほどには、芹も乙姫のことを求めているんじゃないかなと。芹と一騎は性格こそ違いますけど、思考や精神的な部分で共通点が多くて、共に皆城兄妹を想っているんですよね。多分、程度の差なんてないぐらい、どちらも強く激しく。芹は島の新しいコアを乙姫とは別の存在であることをハッキリと理解して、その上で島全体が乙姫であると考えています。だから、島にいる限りいつだって乙姫に会えると。そうした芹の想いに一騎は納得しますけど、一騎を乙姫と間違えたことからも、彼女の実体に会いたいという気持ちは捨てきれないんだろうね。芹は明るく振舞っていたし、実際に裏表のない明るさではあったけど、乙姫に対する想いは、一騎が総士に対して向けるものと同じ、巨大なものなんだろうな。
芹と一騎の会話という珍しいものも読めたし、買って損はしない一冊だと思いました。重要視されるのはこの2人の会話だけど、それ以外のキャラが見劣りするわけでもなくて、特にラストの真矢は凄く良かった。一騎だっていい加減気付いているはずだけど、映画で総士は帰ってきちゃったし、これからどうなるんでしょうね? 確か、総士は真矢のことが好きだったはずだし。甲洋もそうですけど、想い人は大抵一騎を好きという。てか、咲良以外の先輩組は全員一騎が好きなのか。なんだ、モテモテじゃないか。
ある意味、乙姫の完全消滅と入れ替わるように総士が帰還したわけで、それに対する芹の想いなんかも気になるよね。この島すべてが乙姫であると定義していた芹だけど、それも完全に消えてしまったわけで、どんな風に心の中を整理するのか、気持ちに決着を付けることは出来るのか、手放しに総士の帰還を喜ぶ余裕はないんじゃないかな。そうした芹の気持ちを理解できるのは、今回このような会話をしたことがある一騎だけだろうけど、彼は大切な親友を取り戻すことの出来た側だから、そういった対比みたいを描いても面白いかも知れない。要するに、後日談がほしいってことなんだけど。
ファフナーの映画は今流行のリピーター特典なるものをやっていて、1回目の半券を持って2回目を観に行くと、ボイスCDが貰えるらしいです。川崎でまだやっているかは知りませんが、チネチッタのHPを見る限りでは特に配布終了したとか書いていないので、まだ数はあるのかな? 私はこれといって興味ないけど、2回目はどちらにせよ観に行こうかと思っているので、そのときにでも調べてみることにします。あんまり余裕ないので、そう何回も行けるわけじゃないですが、チネチッタでの最終日とかも行きたいしさ。
今日は立上芹の話ということで、芹はTV本編の中盤以降に登場するキャラクターです。丁度、AT-Xで登場した回の再放送がやってましたけど、初登場は15話「記憶~さけび」になります。人類軍が竜宮島に襲来した際、自らを岩戸より解放させた皆城乙姫が、地上に出て初めて出会った人間が芹でした。芹は中学の生物部に所属しており、山には昆虫の観察かなにかできていました。突然のことに部員たちともはぐれ、一人山を彷徨っていたところに乙姫と遭遇します。乙姫は地上に出てきたばかりで満足に言葉を喋ることも出来ず、どことなく意識もぼんやりとしている感じで、その異様とも思える姿に芹は思わず叫び声を上げてしまう。まあ、無理もない反応ですけど、このことからも2人の出会いは色々な意味で衝撃的なものでした。
やがて人類軍が島の占領を始めた中、芹は逃げ遅れた大人たちに混じって林の一角に腰を下ろしていました。その隣には乙姫もいて、同じ子供ということもあってか一緒に行動していたことがわかります。多分、芹が連れてきたんでしょうね。乙姫はまだぼんやりとしていて、一つ一つ確かめるように言葉を紡いでいます。そんな乙姫の姿に芹は最初こそ戸惑いが隠せませんでしたが、乙姫がまともに喋れるようになるにつれて、段々と会話や交流を深めていきました。乙姫の持つ不思議な雰囲気に芹が関心や興味を示していたというのもあるんでしょうが、一時避難場所において乙姫のことを気にかけていたのは芹だけでしたからね。互いに子供が自分たちしかいなかったというのはもちろんあるんでしょうが、芹もまた自分の話を語り始め、乙姫はそれを聞きたがりました。乙姫にとってはなにもかもが初めてのことばかりでしたけど、人と会話をするという経験が絶対的に不足していたから、気さくに話しかけてくれる芹の存在は大きかったんでしょう。それに生物部における芹の話は、乙姫をして「優しいんだ」と笑顔になるほど、芹の為人がよく現れているものだったから。
夜も更けて大人たちが皆移動してしまった後、芹と乙姫は2人だけで行動することになる。これは外に出たばかりの乙姫がまだ上手く歩けないことが原因だったけど、そういった事情を芹がどこまで察しているかはともかく、「休みながら行こうよ、無理しないで」と温かい言葉を掛けてくれる。状況的に言えば、人類軍が島の中に沢山上陸しているわけですし、芹だって親の安否など不安なことはいっぱいあります。大人たちが2人を置いてさっさと行ってしまった理由は知りませんが、それでも芹は乙姫を見捨てることなく、自分が一緒にいることが当然だと言わんばかりに世話を焼いてあげました。元が生物部だから世話好きなのかは分かりませんけど、まあ、外見年齢でなら乙姫は芹よりも年下ですし、雰囲気からも放っておけない部分があったんでしょうね。そんな優しい芹だからこそ、乙姫はこんなことを言いました。
「ねぇ、一つお願いしていい?」
「いいよ、おんぶでもなんでも」
「ううん……私と、友達になって欲しいの。私、一人も友達いないの」
意外といえば意外なお願いに芹は一瞬驚きましたが、すぐに笑いながらこう言いました。
「なに言ってんの、もうここにいるじゃん」
「……ありがとう、芹ちゃん」
こうして2人は友達になりました。乙姫にとっては最初の友達であり、芹とっても後に最高の親友となる、そんな2人の関係はこんな風に始まったのです。
劇場版の話にやっと移しますが、映画における芹と乙姫の関係はある意味でTVシリーズよりも強い絆となっていました。乙姫の存在が消えてから2年経ち、友達から親友となった少女を失った芹は新しいコアの元へ、毎日足しげく通っています。普通に考えればブリュンヒルトシステムの要であるコアが封印されている岩戸に、パイロットの研修生みたいな立場の芹が入れるはずはないのですが、特例なのかなんのか、虫かご片手に通うことを許可されていたようです。史彦が気を利かせたのか、彼は芹が乙姫の友人であったことを知っている人物ですからね。以前の出来事からも、印象深い存在ではあったのでしょう。芹の存在が新しいコアに対してどんな影響を与えていたのか、それともまったく影響はなかったのか、少なくとも悪影響でなかったのは確かです。勿論、芹は現在のコアが乙姫でないことは理解しているのですが、かつての総士がしていたように、乙姫に語りかけることは芹にとって重要なことだったんでしょう。自分自身のためにも。
芹は口でこそ乙姫は死んだわけではない、島そのものが乙姫なのだと彼女の存在を定義していますが、それでも喪失感のようなものを感じないわけがない。ましてや、芹は少なからず乙姫の影響を受け、感化されている部分もありましたから、その行動や発想には常に乙姫のことが思い出されてしまう。元々、似ている部分があったのか、それとも芹が純粋で純真だったのかは分かりませんけど、芹はどこか乙姫の姿を追い求めていることろがあった。そして、その想いは誰よりもどんな人よりも強く大きなものだった。
例えば、西尾里奈もTV本編では乙姫の友人の1人だったはずですが、劇場版において里奈は乙姫の死を肯定しています。目の前で消えたんですから、そういう解釈があってもおかしくはないだろうし、両親の死を経験している里奈にとって死を受け入れることそれ自体は、あまり難しいことではなかったのでしょう。ましてや、弟である暉が両親の死を受け入れず、否定し続けて自分の殻に篭っていたわけですからね。乙姫の存在に、ある意味で固執している芹に対する苛立ちを見せるのも、分からないではありません。それに、これは重要ですけど、里奈は乙姫の友達ではあったかも知れないけど、親友ではなかったんです。芹との違いはそこであり、芹は乙姫が最初に選び、最後まで親友だったかけがえのない存在だったから。里奈や広登なんかとは絆の強さに差がありすぎた。
敵の再襲来という事実を前に、芹はファフナーのパイロットとしてマークツヴォルフに乗ることになりました。TV本編でも適性率の高い存在として召集されていたことがありましたけど、蒼穹作戦終了後は平和だったこともあり、正式なパイロットとなるのは必要性の薄さから後回しにされていたんでしょう。ファフナーのパイロットは変性意識によってなにかしらの影響をうけるんですが、芹の場合はどちらかといえば攻撃的な、頭突きなどの勢いに任せた行動が見られるようになった。パンフにも書いてありましたが、芹は昆虫観察や採集を趣味にしている元気娘ですけど、後輩組の中ではもっとも聡明にして、落ち着いた性格をしていたりもします。以前に乙姫を糾弾した史彦に反論したように、真矢とは違った意味で人の内面を感じ取ることが出来る娘ですから。
そんな芹だからか、彼女は途中で敵であるフェストゥムがなにかを叫び、訴えているように思い始めてきた。里奈はそれを怒りや憎しみの言葉であると偏見や先入観から断定しますが、芹は乙姫ならそんなことは言わないと否定し、2人の仲に険悪なものが走ってしまう。やがて、芹は先輩組や一騎ですら辿りつけなかった真実、フェストゥムの叫びの意味を理解してしまう。それは痛みや苦しみを訴える言葉であり、そのことに気付いた芹は戦えなくなった。敵の痛みを、苦しみを、そして悲しみを芹は知ってしまったから。敵という存在に里奈ほど強い憎しみをいだいているわけでもなく、暉や広登のように少年らしい正義感や戦意を持っているわけでもない芹には、ファフナーによるこれ以上の戦闘は無理だったんです。
そうした芹の感情が形となって現れたのが、倒したフェストゥムに対する墓でした。史彦は芹の行動に多少の驚きは覚えたようですけど、それもまた芹らしいと思ってくれたのか肯定してくれました。翔子が自爆攻撃を行っただけで嫌がらせを受けるような島ですし、本当であれば芹の行いは偽善を通り越して、顰蹙以上のものを買ってしまうものだったことでしょう。フェストゥムによって親兄弟を失ったものもいるでしょうし、誰かの親兄弟は、狭い島の中で自分にとっての友人、知人であり得るのですから。そう考えれば、敵の墓を作り、その死を悼むという芹の行いは決して良いものではなかったはずです。けれど、史彦がそれを肯定してくれたことで、幾らか救われた部分もあったんだと思う。映画観て思ったけど、史彦は本当に器の拾い、大きな人間になりましたよ。
芹は史彦の要求で、コアが成長期を乗り切る間の代替者となりました。これは不安定なコアを補助する役目でしたが、数週間で同化が始まる可能性が高いという、とても危険なものでした。史彦が芹以外にいないといったのは、やはり彼が芹のことを乙姫にとって重要な存在であるということを強く認識していたからでしょうが、芹もまたそうした役目を拒むことなく、自らシナジェティック・スーツに身を包んでコアの側にいることを望んだ。その結果、芹は乙姫と再会することが出来た。もう一度会いたかった親友との、最後のひとときを得ることが芹には出来たのです。
芹が乙姫に対して募らせていた想いは、単なる親友という関係を超えたものでした。実は劇場版の時間軸になる以前から、乙姫の思念体のようなものが島では目撃されており、実際に史彦や弓子が遭遇しています。でも、芹の前には多分現れなかった。乙姫がなにを思って親友である芹の前に姿を見せなかったのか、それとも見せられなかったのかは分かりませんが、噂になるぐらいですから乙姫と関係の深かった芹の耳に入らないわけもなく、芹が新しいコアのもとに毎日通っていたのは、ひと目でも乙姫に会えるかも知れないという、そうした気持ちもあったからかも知れません。そんな芹の想いが身を結んで、遂に彼女は親友である乙姫と再会するわけですが、その結末には正直グッと来るものがありました。こればっかりは書くこと自体が野暮だと思うので書きませんけど、芹が乙姫との最後の時間をどのように過ごし、それによってどうなったのかは、劇場版の後日談やアフターストーリーにでも期待するとしましょう。とりあえず私は、芹と乙姫の為にもう一度映画を観に行こうと思います。
今日は立上芹の話ということで、芹はTV本編の中盤以降に登場するキャラクターです。丁度、AT-Xで登場した回の再放送がやってましたけど、初登場は15話「記憶~さけび」になります。人類軍が竜宮島に襲来した際、自らを岩戸より解放させた皆城乙姫が、地上に出て初めて出会った人間が芹でした。芹は中学の生物部に所属しており、山には昆虫の観察かなにかできていました。突然のことに部員たちともはぐれ、一人山を彷徨っていたところに乙姫と遭遇します。乙姫は地上に出てきたばかりで満足に言葉を喋ることも出来ず、どことなく意識もぼんやりとしている感じで、その異様とも思える姿に芹は思わず叫び声を上げてしまう。まあ、無理もない反応ですけど、このことからも2人の出会いは色々な意味で衝撃的なものでした。
やがて人類軍が島の占領を始めた中、芹は逃げ遅れた大人たちに混じって林の一角に腰を下ろしていました。その隣には乙姫もいて、同じ子供ということもあってか一緒に行動していたことがわかります。多分、芹が連れてきたんでしょうね。乙姫はまだぼんやりとしていて、一つ一つ確かめるように言葉を紡いでいます。そんな乙姫の姿に芹は最初こそ戸惑いが隠せませんでしたが、乙姫がまともに喋れるようになるにつれて、段々と会話や交流を深めていきました。乙姫の持つ不思議な雰囲気に芹が関心や興味を示していたというのもあるんでしょうが、一時避難場所において乙姫のことを気にかけていたのは芹だけでしたからね。互いに子供が自分たちしかいなかったというのはもちろんあるんでしょうが、芹もまた自分の話を語り始め、乙姫はそれを聞きたがりました。乙姫にとってはなにもかもが初めてのことばかりでしたけど、人と会話をするという経験が絶対的に不足していたから、気さくに話しかけてくれる芹の存在は大きかったんでしょう。それに生物部における芹の話は、乙姫をして「優しいんだ」と笑顔になるほど、芹の為人がよく現れているものだったから。
夜も更けて大人たちが皆移動してしまった後、芹と乙姫は2人だけで行動することになる。これは外に出たばかりの乙姫がまだ上手く歩けないことが原因だったけど、そういった事情を芹がどこまで察しているかはともかく、「休みながら行こうよ、無理しないで」と温かい言葉を掛けてくれる。状況的に言えば、人類軍が島の中に沢山上陸しているわけですし、芹だって親の安否など不安なことはいっぱいあります。大人たちが2人を置いてさっさと行ってしまった理由は知りませんが、それでも芹は乙姫を見捨てることなく、自分が一緒にいることが当然だと言わんばかりに世話を焼いてあげました。元が生物部だから世話好きなのかは分かりませんけど、まあ、外見年齢でなら乙姫は芹よりも年下ですし、雰囲気からも放っておけない部分があったんでしょうね。そんな優しい芹だからこそ、乙姫はこんなことを言いました。
「ねぇ、一つお願いしていい?」
「いいよ、おんぶでもなんでも」
「ううん……私と、友達になって欲しいの。私、一人も友達いないの」
意外といえば意外なお願いに芹は一瞬驚きましたが、すぐに笑いながらこう言いました。
「なに言ってんの、もうここにいるじゃん」
「……ありがとう、芹ちゃん」
こうして2人は友達になりました。乙姫にとっては最初の友達であり、芹とっても後に最高の親友となる、そんな2人の関係はこんな風に始まったのです。
劇場版の話にやっと移しますが、映画における芹と乙姫の関係はある意味でTVシリーズよりも強い絆となっていました。乙姫の存在が消えてから2年経ち、友達から親友となった少女を失った芹は新しいコアの元へ、毎日足しげく通っています。普通に考えればブリュンヒルトシステムの要であるコアが封印されている岩戸に、パイロットの研修生みたいな立場の芹が入れるはずはないのですが、特例なのかなんのか、虫かご片手に通うことを許可されていたようです。史彦が気を利かせたのか、彼は芹が乙姫の友人であったことを知っている人物ですからね。以前の出来事からも、印象深い存在ではあったのでしょう。芹の存在が新しいコアに対してどんな影響を与えていたのか、それともまったく影響はなかったのか、少なくとも悪影響でなかったのは確かです。勿論、芹は現在のコアが乙姫でないことは理解しているのですが、かつての総士がしていたように、乙姫に語りかけることは芹にとって重要なことだったんでしょう。自分自身のためにも。
芹は口でこそ乙姫は死んだわけではない、島そのものが乙姫なのだと彼女の存在を定義していますが、それでも喪失感のようなものを感じないわけがない。ましてや、芹は少なからず乙姫の影響を受け、感化されている部分もありましたから、その行動や発想には常に乙姫のことが思い出されてしまう。元々、似ている部分があったのか、それとも芹が純粋で純真だったのかは分かりませんけど、芹はどこか乙姫の姿を追い求めていることろがあった。そして、その想いは誰よりもどんな人よりも強く大きなものだった。
例えば、西尾里奈もTV本編では乙姫の友人の1人だったはずですが、劇場版において里奈は乙姫の死を肯定しています。目の前で消えたんですから、そういう解釈があってもおかしくはないだろうし、両親の死を経験している里奈にとって死を受け入れることそれ自体は、あまり難しいことではなかったのでしょう。ましてや、弟である暉が両親の死を受け入れず、否定し続けて自分の殻に篭っていたわけですからね。乙姫の存在に、ある意味で固執している芹に対する苛立ちを見せるのも、分からないではありません。それに、これは重要ですけど、里奈は乙姫の友達ではあったかも知れないけど、親友ではなかったんです。芹との違いはそこであり、芹は乙姫が最初に選び、最後まで親友だったかけがえのない存在だったから。里奈や広登なんかとは絆の強さに差がありすぎた。
敵の再襲来という事実を前に、芹はファフナーのパイロットとしてマークツヴォルフに乗ることになりました。TV本編でも適性率の高い存在として召集されていたことがありましたけど、蒼穹作戦終了後は平和だったこともあり、正式なパイロットとなるのは必要性の薄さから後回しにされていたんでしょう。ファフナーのパイロットは変性意識によってなにかしらの影響をうけるんですが、芹の場合はどちらかといえば攻撃的な、頭突きなどの勢いに任せた行動が見られるようになった。パンフにも書いてありましたが、芹は昆虫観察や採集を趣味にしている元気娘ですけど、後輩組の中ではもっとも聡明にして、落ち着いた性格をしていたりもします。以前に乙姫を糾弾した史彦に反論したように、真矢とは違った意味で人の内面を感じ取ることが出来る娘ですから。
そんな芹だからか、彼女は途中で敵であるフェストゥムがなにかを叫び、訴えているように思い始めてきた。里奈はそれを怒りや憎しみの言葉であると偏見や先入観から断定しますが、芹は乙姫ならそんなことは言わないと否定し、2人の仲に険悪なものが走ってしまう。やがて、芹は先輩組や一騎ですら辿りつけなかった真実、フェストゥムの叫びの意味を理解してしまう。それは痛みや苦しみを訴える言葉であり、そのことに気付いた芹は戦えなくなった。敵の痛みを、苦しみを、そして悲しみを芹は知ってしまったから。敵という存在に里奈ほど強い憎しみをいだいているわけでもなく、暉や広登のように少年らしい正義感や戦意を持っているわけでもない芹には、ファフナーによるこれ以上の戦闘は無理だったんです。
そうした芹の感情が形となって現れたのが、倒したフェストゥムに対する墓でした。史彦は芹の行動に多少の驚きは覚えたようですけど、それもまた芹らしいと思ってくれたのか肯定してくれました。翔子が自爆攻撃を行っただけで嫌がらせを受けるような島ですし、本当であれば芹の行いは偽善を通り越して、顰蹙以上のものを買ってしまうものだったことでしょう。フェストゥムによって親兄弟を失ったものもいるでしょうし、誰かの親兄弟は、狭い島の中で自分にとっての友人、知人であり得るのですから。そう考えれば、敵の墓を作り、その死を悼むという芹の行いは決して良いものではなかったはずです。けれど、史彦がそれを肯定してくれたことで、幾らか救われた部分もあったんだと思う。映画観て思ったけど、史彦は本当に器の拾い、大きな人間になりましたよ。
芹は史彦の要求で、コアが成長期を乗り切る間の代替者となりました。これは不安定なコアを補助する役目でしたが、数週間で同化が始まる可能性が高いという、とても危険なものでした。史彦が芹以外にいないといったのは、やはり彼が芹のことを乙姫にとって重要な存在であるということを強く認識していたからでしょうが、芹もまたそうした役目を拒むことなく、自らシナジェティック・スーツに身を包んでコアの側にいることを望んだ。その結果、芹は乙姫と再会することが出来た。もう一度会いたかった親友との、最後のひとときを得ることが芹には出来たのです。
芹が乙姫に対して募らせていた想いは、単なる親友という関係を超えたものでした。実は劇場版の時間軸になる以前から、乙姫の思念体のようなものが島では目撃されており、実際に史彦や弓子が遭遇しています。でも、芹の前には多分現れなかった。乙姫がなにを思って親友である芹の前に姿を見せなかったのか、それとも見せられなかったのかは分かりませんが、噂になるぐらいですから乙姫と関係の深かった芹の耳に入らないわけもなく、芹が新しいコアのもとに毎日通っていたのは、ひと目でも乙姫に会えるかも知れないという、そうした気持ちもあったからかも知れません。そんな芹の想いが身を結んで、遂に彼女は親友である乙姫と再会するわけですが、その結末には正直グッと来るものがありました。こればっかりは書くこと自体が野暮だと思うので書きませんけど、芹が乙姫との最後の時間をどのように過ごし、それによってどうなったのかは、劇場版の後日談やアフターストーリーにでも期待するとしましょう。とりあえず私は、芹と乙姫の為にもう一度映画を観に行こうと思います。
蒼穹のファフナー HEAVEN AND EARTH
2011年1月7日 アニメ・マンガ
川崎チネチッタで蒼穹のファフナー HEAVEN AND EARTHを観てきました。私はふと思い立って映画を観に行くことが多いんだけど、今回もそんな感じです。元々、映画館というかシネコンというものが大好きで、随分前の日記にそれらに対する熱情的なものを書いたこともありましたね。仕事で東京方面へと出るようになってから川崎も随分と行きやすくなったので、ここ数年は特に映画を観る機会が増えたと思います。まあ、チネチッタは割引やサービスデーが少ないので財布的には厳しいですが、空間的には最高だと思うので、よく利用すると映画館です。
私は元々、蒼穹のファフナーという作品はそれほど好きではなくて、決して嫌いじゃないんだけど心の底から好きになることは出来ないという、そんな複雑な感情をずっと抱いていました。当時は種と種死の間に挟まれ、同じ平井絵でしたからなにかと比較されてきたファフナーですが、別にそういうのはどうでも良くて、私って暗い作品が好きじゃないんですよ。所謂、欝な作品っていうの? 基本、ハッピーエンド至上主義だから、登場人物が傷ついたり、死んだりするのが凄い苦手で。世の中にはそういうのが大好きという血も涙もない人もいるそうだけど、なんかこう心が痛くなるというか、観ていられない感じがしてさ。あんま救いないじゃないですか、ファフナーって。特別編は置いておくとしても、TVシリーズなら6話で翔子が死にますし、それ以降もバッタバッタと死んだり倒れたりしていく。それをリアリティで済ませることは簡単だけど、死んでいるのは十代も前半の少年少女なわけですからね。精神が脆い私には辛く悲しいものがありました。
その劇場版ということで、最初はスタチャもネタが無くなったのかと思う程度だったんだけど、別に嫌いな作品ではなかったことと、冲方丁書き下ろしによる完全新作であることが分かり、なんとなく観にいきたくなって。私がこれを言ってしまうと色々不味いんだけど、少なくともマルドゥック・スクランブルよりはファフナーの方が好きだしね。思い立ったら即実行ということで、チネチッタまで観に行ったわけです。TV本編の続編がどんな話なのか、それに対する関心や興味も強かったから。
それでまあ映画なわけだけど、ネタバレ全開で行きますが凄く楽しかった。いや、内容的に楽しいという言葉が適切なのかは分からないけど、続編としてここまで綺麗にまとめたものはないんじゃないかというぐらい、見応えがありました。主人公は変わらず一騎が務めているんだけど、脇のキャラたちもいい味を出してましてね。真矢やカノンは勿論ですが、剣司や復活した咲良も良かった。特に後者は、十代とは思えないほどの相愛関係にあって、その繋がりの強さは丁寧に描かれていたと思う。
ただ、私がこの映画を観に行ったのは主に後輩組が目当てであり、立上芹とか西尾里奈とか、その辺りがどのように成長を遂げたのか、それを知りたかったというのがあります。特に立上芹に関しては、TV本編で一番好きなキャラクターでしたからね。これを再び観ることが出来るというのは、正直言って嬉しかった。この娘と乙姫の関係が本当に好きで、上映後に買った人物相関図で乙姫にとっての親友であると記されていたのは良かったなぁ。
2年というのはそれほど人を変えてしまうだけの時間ではないと思うけど、レギュラー組ではカノンが、そして後輩組では里奈がTV本編と大分違うキャラになってましたね。カノンの場合はいい方向での成長でしたが、里奈の場合は悪い意味での停滞というか、明るい姿は以前と同じなんだけど、その内心には強い不安や不満が渦巻いていたというね。里奈の双子の弟である暉は、TV本編でも一応出ていたキャラです。しかし、失語症ということもあってか喋ることはなく、声優が付いたのは劇場版が初めてでした。蒼穹作戦終了後、一応の平和を手に入れた竜宮島ですが、2年経っても暉の失語症は治ることがなく、里奈はそのことに対する複雑な思いを抱いていた。それが明確な苛立ちに変わったのは、おそらく暉が真矢に喋りはしないものの、自らの意思や感情を伝えたことが原因なんじゃないだろうか?
「こいつは私と同じで――」と、喫茶店において暉の注文を自分と同じものにしようとしていた里奈の口調は、それが当然且つ自然であるかのように慣れたものだった。おそらく2年前から、いや、それ以前から暉はずっとこんな感じだったのだろうし、里奈が代わりに喋って、色々とフォローするということを繰り返してきたのだろう。にもかかわらず、暉は真矢に対しては自分の意志を見せた。これは、里奈にとって少なからずショックだったに違いない。里奈は元々真矢に憧れていた少女であるけど、劇場版に関してはそういった設定がクローズアップされることはあまりない。むしろ、真矢に片思い中である暉が描写されることが格段に多く、里奈が真矢と絡むこと自体、ほんの僅かでしかないのだ。お祭りに行こうとしない暉を里奈が叱咤するシーンは、どうして自分にはなんの反応もしてくれないのかという、ある意味では真矢への嫉妬も含んだものだったようにも思える。無論、里奈が真矢のことを嫌いになったはずもないが、それ以上に暉は里奈にとって重要な存在なのだ。故に自分のほうを振り向いてくれない、自分に意思や感情を見せてくれないことが苛立たしかった。まあ、一方的な姉弟喧嘩と言えばそれまでだけど、今回の里奈は基本的に自分と暉のことしか考えていない節があって、短い時間の中で姉弟の関係性や和解みたいのが描かれたのは面白いと思った。特に医務室で里奈が暉に自分の本音や本心をぶちまけるシーンは最高だったね。前段階としてファフナーに乗ることで言葉を取り戻した暉を里奈は罵倒するわけだけど、あれだって良く言葉を考えてみると、暉のことを心配していっているのが分かりますし、それだけになんとか生還できた暉に涙を見せる里奈というのが際立っていたと思う。
また双子に嵌っているのか言われれば、その通りだとしか答えようがないけど、後輩組では一種のドラマ性があったのはこの2人ぐらいですからね。というのも、ゴウバインと叫んでいる広登はともかく、芹は1人で独立した感じがありましたから、後輩組ってそれほど絡みも多くないんですよ。チームワークのなさは剣司も指摘しているところでしたが。まあ、芹に関しては後述しますけど、あの娘に関しては乙姫の存在が大きすぎたね。
なんか、西尾姉弟に付いて書いただけで凄い分量になったので感想を2回に分けることとします。なので、明日は芹をメインに書きますかね。本当なら一騎とか来栖操について書かなきゃいけないんだろうけど、私はそこまで心惹かれるものがなかったというか、良いキャラだとは思いますが。まあ、触れないわけにはいかないので少しぐらいは書くつもりではいるけど、基本は芹なので。芹と、そして乙姫を観れただけでも劇場版に入った価値がありました。それこそ、もう一度行きたくなるぐらいには。
私は元々、蒼穹のファフナーという作品はそれほど好きではなくて、決して嫌いじゃないんだけど心の底から好きになることは出来ないという、そんな複雑な感情をずっと抱いていました。当時は種と種死の間に挟まれ、同じ平井絵でしたからなにかと比較されてきたファフナーですが、別にそういうのはどうでも良くて、私って暗い作品が好きじゃないんですよ。所謂、欝な作品っていうの? 基本、ハッピーエンド至上主義だから、登場人物が傷ついたり、死んだりするのが凄い苦手で。世の中にはそういうのが大好きという血も涙もない人もいるそうだけど、なんかこう心が痛くなるというか、観ていられない感じがしてさ。あんま救いないじゃないですか、ファフナーって。特別編は置いておくとしても、TVシリーズなら6話で翔子が死にますし、それ以降もバッタバッタと死んだり倒れたりしていく。それをリアリティで済ませることは簡単だけど、死んでいるのは十代も前半の少年少女なわけですからね。精神が脆い私には辛く悲しいものがありました。
その劇場版ということで、最初はスタチャもネタが無くなったのかと思う程度だったんだけど、別に嫌いな作品ではなかったことと、冲方丁書き下ろしによる完全新作であることが分かり、なんとなく観にいきたくなって。私がこれを言ってしまうと色々不味いんだけど、少なくともマルドゥック・スクランブルよりはファフナーの方が好きだしね。思い立ったら即実行ということで、チネチッタまで観に行ったわけです。TV本編の続編がどんな話なのか、それに対する関心や興味も強かったから。
それでまあ映画なわけだけど、ネタバレ全開で行きますが凄く楽しかった。いや、内容的に楽しいという言葉が適切なのかは分からないけど、続編としてここまで綺麗にまとめたものはないんじゃないかというぐらい、見応えがありました。主人公は変わらず一騎が務めているんだけど、脇のキャラたちもいい味を出してましてね。真矢やカノンは勿論ですが、剣司や復活した咲良も良かった。特に後者は、十代とは思えないほどの相愛関係にあって、その繋がりの強さは丁寧に描かれていたと思う。
ただ、私がこの映画を観に行ったのは主に後輩組が目当てであり、立上芹とか西尾里奈とか、その辺りがどのように成長を遂げたのか、それを知りたかったというのがあります。特に立上芹に関しては、TV本編で一番好きなキャラクターでしたからね。これを再び観ることが出来るというのは、正直言って嬉しかった。この娘と乙姫の関係が本当に好きで、上映後に買った人物相関図で乙姫にとっての親友であると記されていたのは良かったなぁ。
2年というのはそれほど人を変えてしまうだけの時間ではないと思うけど、レギュラー組ではカノンが、そして後輩組では里奈がTV本編と大分違うキャラになってましたね。カノンの場合はいい方向での成長でしたが、里奈の場合は悪い意味での停滞というか、明るい姿は以前と同じなんだけど、その内心には強い不安や不満が渦巻いていたというね。里奈の双子の弟である暉は、TV本編でも一応出ていたキャラです。しかし、失語症ということもあってか喋ることはなく、声優が付いたのは劇場版が初めてでした。蒼穹作戦終了後、一応の平和を手に入れた竜宮島ですが、2年経っても暉の失語症は治ることがなく、里奈はそのことに対する複雑な思いを抱いていた。それが明確な苛立ちに変わったのは、おそらく暉が真矢に喋りはしないものの、自らの意思や感情を伝えたことが原因なんじゃないだろうか?
「こいつは私と同じで――」と、喫茶店において暉の注文を自分と同じものにしようとしていた里奈の口調は、それが当然且つ自然であるかのように慣れたものだった。おそらく2年前から、いや、それ以前から暉はずっとこんな感じだったのだろうし、里奈が代わりに喋って、色々とフォローするということを繰り返してきたのだろう。にもかかわらず、暉は真矢に対しては自分の意志を見せた。これは、里奈にとって少なからずショックだったに違いない。里奈は元々真矢に憧れていた少女であるけど、劇場版に関してはそういった設定がクローズアップされることはあまりない。むしろ、真矢に片思い中である暉が描写されることが格段に多く、里奈が真矢と絡むこと自体、ほんの僅かでしかないのだ。お祭りに行こうとしない暉を里奈が叱咤するシーンは、どうして自分にはなんの反応もしてくれないのかという、ある意味では真矢への嫉妬も含んだものだったようにも思える。無論、里奈が真矢のことを嫌いになったはずもないが、それ以上に暉は里奈にとって重要な存在なのだ。故に自分のほうを振り向いてくれない、自分に意思や感情を見せてくれないことが苛立たしかった。まあ、一方的な姉弟喧嘩と言えばそれまでだけど、今回の里奈は基本的に自分と暉のことしか考えていない節があって、短い時間の中で姉弟の関係性や和解みたいのが描かれたのは面白いと思った。特に医務室で里奈が暉に自分の本音や本心をぶちまけるシーンは最高だったね。前段階としてファフナーに乗ることで言葉を取り戻した暉を里奈は罵倒するわけだけど、あれだって良く言葉を考えてみると、暉のことを心配していっているのが分かりますし、それだけになんとか生還できた暉に涙を見せる里奈というのが際立っていたと思う。
また双子に嵌っているのか言われれば、その通りだとしか答えようがないけど、後輩組では一種のドラマ性があったのはこの2人ぐらいですからね。というのも、ゴウバインと叫んでいる広登はともかく、芹は1人で独立した感じがありましたから、後輩組ってそれほど絡みも多くないんですよ。チームワークのなさは剣司も指摘しているところでしたが。まあ、芹に関しては後述しますけど、あの娘に関しては乙姫の存在が大きすぎたね。
なんか、西尾姉弟に付いて書いただけで凄い分量になったので感想を2回に分けることとします。なので、明日は芹をメインに書きますかね。本当なら一騎とか来栖操について書かなきゃいけないんだろうけど、私はそこまで心惹かれるものがなかったというか、良いキャラだとは思いますが。まあ、触れないわけにはいかないので少しぐらいは書くつもりではいるけど、基本は芹なので。芹と、そして乙姫を観れただけでも劇場版に入った価値がありました。それこそ、もう一度行きたくなるぐらいには。
偏りのある作品たちよ
2011年1月6日 アニメ・マンガ昨年は何故か薄桜鬼を最終回まで観ていたんですが、私って意外と女性向けアニメを観る方な気がする。近年で言うと黒執事とか、昔で言うと快感フレーズなんかもそうだけど、変にBL的なものを意識していなければ普通に観られる作品だと思うんですよ、ああいうのって。桜蘭高校ホスト部の一挙放送がキッズステーションで大晦日に行われていましたけど、あれだって女性向けが男性層にもヒットした作品だしね。取り分けて女性向けがすごいってわけじゃないと思いますが、少なくとも偏見を抱くにはよく出来ているものが多いような気がする。
女性向けアニメってのは、なにも美形、美男子、美少年が出てくる作品だけではなくて、例えばちょっと前に流行ったマリア様がみてること、マリみてシリーズは元々少女文庫であるコバルト文庫から刊行されているシリーズです。コバルトは少女小説を出しているところで、もう30年近い歴史のある古参レーベルです。新井素子や久美沙織といった偉大な作家を生み出したかと思えば、90年代には作家を酷使しすぎて次々と潰してしまい、マリみてが登場しなければ存続の危機にあったと言われていますね。
まあ、そんなことはどうでもいいとして、本来少女小説であるマリみてが男性層に受けたことは、その後のアニメ界にかなりの影響を与えたと思います。つまり、男性の必要性というものが浮上したんですね。マリみてだって、別に男性キャラが皆無なわけじゃないけど、所謂主人公、主役としての男性キャラ、レギュラーとしての男性が存在しない作品というのは、それまで皆無でなかったにせよ珍しいことで、これがヒットしたというのは大きかったと思います。かつて、ギャルゲーが一世を風靡した頃、ヒロインを攻略する主人公はなるべく無個性がいいとされ、主人公はプレイヤーの分身として感情移入しやすい存在として作られていました。女性の中に唯一いる男性というのは、所謂ハーレムアニメに散見されることで、分かりやすいものでラブひなやシスプリがそうですけど、サクラ大戦なんかも典型的すぎる作品でしたね。その流れを作ったのは天地無用であるとか言われてますけど、まあ、10年ぐらい前はそういう作品が多かったんですよ。時代性といいますか、当時は本当の意味で恋愛シミュレーションしている奴が多かったというわけで。
そして月日は流れ、そうした流れが2つに分かれました。まず、無個性主人公の終焉です。これはギャルゲブームが廃れたことも原因してるんだけど、変わって台頭してきたエロゲにおける個性的な主人公というものが際立ってきたわけです。これは秋桜の空にというあらゆる属性の原典ともいうべきエロゲが登場したことや、泣きゲーなどストーリーを魅せる作品が数多く出てきたことで、登場人物としての主人公が重要視されるようになった。でも、逆にアニメではマリみてという男性主人公がいなくても成立する作品が出てきたことで、男性キャラそのものが排除され始めたんですね。ストロベリー・パニックが最初かは分かりませんけど、極上生徒会だとか、ストライクウィッチーズもそうですよね。まあ、この辺はほとんどオリジナル作品だからいいんですが、問題はそれが原作モノにも影響してきたことでしょうか。恋姫無双みたいに、まさかの主人公削除でアニメ化とかは記憶に新しいところです。しかも、それなりに売れて3期ぐらいまでアニメやったんだから笑えない。
リリカルなのはシリーズも、StSになってくると申し訳なさ程度に男キャラがいるだけで、ハッキリ言って女性が中心のアニメです。ViVidなんてその極地だし、今のオタク業界は男性キャラというものを必要としていないのではないかとさえ、一時期は考えられてました。その究極がクイーンズブレイドであるわけだし。そして、以前はやったハーレム物は廃れ、現在ではセキレイとか一部の作品だけに見られるものになってしまいましたね。
俗に少女漫画は男性漫画の20年先を行くコンテンツだと言われてますが、まさに昨今の少女だらけのアニメというのは女性向けの手法を使って創りだされているのです。それをゆりだと切り捨てるのは簡単だけど、私は少し違うんじゃないかなとも思う。
話を最初に戻すと、女性向けでも例えば女の子キャラが一人も出ていない作品ってのは面白くないと思うんですよ。古くはふしぎ遊戯なんかがそうですけど、男性たちの中における女性の重要性ってのは創作物でも大きくて、それがメインであってもサブであっても、軽視すべきではないと私は思うのです。本当に男の世界を書きたいとかなら、また違ってきますけど。銀英伝だろうとスクライドだろうと、男の物語における女の存在意義が重要であるように、女性の物語であるから男性はいらないなんて感じにはなってほしくないんですけどね。あれ、また話が戻ってしまった。
女性向けアニメってのは、なにも美形、美男子、美少年が出てくる作品だけではなくて、例えばちょっと前に流行ったマリア様がみてること、マリみてシリーズは元々少女文庫であるコバルト文庫から刊行されているシリーズです。コバルトは少女小説を出しているところで、もう30年近い歴史のある古参レーベルです。新井素子や久美沙織といった偉大な作家を生み出したかと思えば、90年代には作家を酷使しすぎて次々と潰してしまい、マリみてが登場しなければ存続の危機にあったと言われていますね。
まあ、そんなことはどうでもいいとして、本来少女小説であるマリみてが男性層に受けたことは、その後のアニメ界にかなりの影響を与えたと思います。つまり、男性の必要性というものが浮上したんですね。マリみてだって、別に男性キャラが皆無なわけじゃないけど、所謂主人公、主役としての男性キャラ、レギュラーとしての男性が存在しない作品というのは、それまで皆無でなかったにせよ珍しいことで、これがヒットしたというのは大きかったと思います。かつて、ギャルゲーが一世を風靡した頃、ヒロインを攻略する主人公はなるべく無個性がいいとされ、主人公はプレイヤーの分身として感情移入しやすい存在として作られていました。女性の中に唯一いる男性というのは、所謂ハーレムアニメに散見されることで、分かりやすいものでラブひなやシスプリがそうですけど、サクラ大戦なんかも典型的すぎる作品でしたね。その流れを作ったのは天地無用であるとか言われてますけど、まあ、10年ぐらい前はそういう作品が多かったんですよ。時代性といいますか、当時は本当の意味で恋愛シミュレーションしている奴が多かったというわけで。
そして月日は流れ、そうした流れが2つに分かれました。まず、無個性主人公の終焉です。これはギャルゲブームが廃れたことも原因してるんだけど、変わって台頭してきたエロゲにおける個性的な主人公というものが際立ってきたわけです。これは秋桜の空にというあらゆる属性の原典ともいうべきエロゲが登場したことや、泣きゲーなどストーリーを魅せる作品が数多く出てきたことで、登場人物としての主人公が重要視されるようになった。でも、逆にアニメではマリみてという男性主人公がいなくても成立する作品が出てきたことで、男性キャラそのものが排除され始めたんですね。ストロベリー・パニックが最初かは分かりませんけど、極上生徒会だとか、ストライクウィッチーズもそうですよね。まあ、この辺はほとんどオリジナル作品だからいいんですが、問題はそれが原作モノにも影響してきたことでしょうか。恋姫無双みたいに、まさかの主人公削除でアニメ化とかは記憶に新しいところです。しかも、それなりに売れて3期ぐらいまでアニメやったんだから笑えない。
リリカルなのはシリーズも、StSになってくると申し訳なさ程度に男キャラがいるだけで、ハッキリ言って女性が中心のアニメです。ViVidなんてその極地だし、今のオタク業界は男性キャラというものを必要としていないのではないかとさえ、一時期は考えられてました。その究極がクイーンズブレイドであるわけだし。そして、以前はやったハーレム物は廃れ、現在ではセキレイとか一部の作品だけに見られるものになってしまいましたね。
俗に少女漫画は男性漫画の20年先を行くコンテンツだと言われてますが、まさに昨今の少女だらけのアニメというのは女性向けの手法を使って創りだされているのです。それをゆりだと切り捨てるのは簡単だけど、私は少し違うんじゃないかなとも思う。
話を最初に戻すと、女性向けでも例えば女の子キャラが一人も出ていない作品ってのは面白くないと思うんですよ。古くはふしぎ遊戯なんかがそうですけど、男性たちの中における女性の重要性ってのは創作物でも大きくて、それがメインであってもサブであっても、軽視すべきではないと私は思うのです。本当に男の世界を書きたいとかなら、また違ってきますけど。銀英伝だろうとスクライドだろうと、男の物語における女の存在意義が重要であるように、女性の物語であるから男性はいらないなんて感じにはなってほしくないんですけどね。あれ、また話が戻ってしまった。
大切な人と、守りたい人
2011年1月5日 アニメ・マンガ
今日から仕事始めだったわけですが、元より新年気分だったわけでもないから切り替えは割と簡単に出来ました。正月ボケとか五月病なんてのと無縁な性格をしているせいか、まるで昨日も普通に職場通っていたような、そんな感じさえするほど自然だったと思う。まあ、問題がなにもなかったわけじゃないんだけど、こんなもんじゃないかなと。大事にはならなかったしね。さすがに職場は慌ただしかったけど、私は居候の身ですからあまり関係ないという。いつも通り仕事をして、いつも通り帰ってきた感じ。
新年になってまだ一週間も経ってないけど、三が日が終わって仕事が始まると、年始っていう雰囲気でもなくなる。そんな中で遊戯王を観たわけだけど、ここ最近は正月番組の一挙放送とかばかりだったから、毎週放送のアニメを見ると日常に戻った感じがするよね。それに、新年一発目としては、今回の遊戯王は神回過ぎた。
私は歴代の遊戯王シリーズのうち、デュエルモンスターズは観たけどGXは観てなくて、5d’sはある意味久しぶりの遊戯王でした。今の仕事を始めるようになって、帰りの電車が暇だったのと、携帯を買えた際に付いてきたワンセグ機能を試す意味で観始めたのが2年ぐらい前になるのかな? もっと前かも知れないけど、最初期から視聴はしていたと思う。バイクでデュエルだなんてとはじめは思ってたけど、意外にそのスピーディーな展開が今までにないワクワク感みたいのを与えてくれたんだよね。
まあ、新作だから物珍しかったというのもあるんだろうけど、本格的な視聴を決めたのは13話以降、つまり龍亞と龍可の双子が登場してからです。まあ、なんていうか、基本的に男女の双子キャラに弱い私のどストライクに飛び込んできたキャラといいますか、ほとんど一目惚れに近い衝撃をあの2人には受けました。それまではなんともなしに見ていた遊戯王を、真剣に観出した瞬間ともいいますか。そのときはまさか双子がレギュラーキャラだとは思ってなかったけど、次の話から出てくる十六夜アキと同じくメインキャラなのだと分かったときは嬉しかったなぁ。歴代の遊戯王って割と年齢が似通ったメンバーで構成されてたから、龍亞や龍可みたいに年の離れた、謂わば弟や妹みたいなキャラが仲間としているっていうのは凄い新鮮だった。なにせ、チーム5d’sですから、これまでに以上にチームワークや絆というものを大切にしている作品だと思う。
そんな5d’sもWRGP編が終盤へと差し掛かっており、遂に龍亞が6人目のシグナーとして覚醒しました。龍可と違い、仲間たちの中で唯一シグナーではなかった一般人の龍亞ですが、前々から兆候というか伏線みたいなものはありましたよね。パワー・ツール・ドラゴンとシグナーのドラゴンが似ていたこともあり、パーツをパージして進化するのではないか? なんて予想は度々なされていました。けれど、ゴドウィンが持っていたシグナーの痣が遊星へと渡った際、遊星が本来持っていた痣はクロウの物になりました。龍亞がシグナーとなるにはそのタイミングしかなかったため、「龍可と龍亞は2人で1人なんだよ!」をする以外になかったんですが……まさか、新しい痣を作るとは思わなかった。考えて見れば、ダークシグナーだってボマーみたいに新しい奴を作ることができたんだから、シグナーだって同じようなことは出来なくはないのかな?
まあ、それはともかくとしても、凄くいい回だった。双子の繋がりが強すぎて、近くにいるジャックが霞んでしまうほどに。元々、この2人は仲が良く、龍可の話では龍亞は昔から自分を守ってくれるヒーローとのことで、曰く「私の一番大切な人」であるといいます。一方の龍亞も幼少期こそ龍可を疎んじる傾向にあったそうですが、龍可が病に倒れ、正確には妖精世界へと行った際にそのかけがえの無さを実感し、彼女が帰還してからはずっと大事にしてきたようです。龍可はしっかりしているように見えて、大分龍亞という存在に依存していて、龍亞もまた龍可を第一に考えている。私はそういった2人の関係性が大好きで。夏コミでも双子アンソロ買っちゃったぐらいだし。
まあ、多少無理やりな感じもするし、あの痣は一体なんなのかという疑問もあるんだけど、そんなことはどうでもいいや。あの双子がいるだけで、5d’sは私にとって価値ある作品だから。WRGP編って、基本的に双子の活躍する機会がなかったから、今回は本当に久々の見せ場というか、このまま龍亞に勝負を決めてもらいたい、いや、折角なので龍可と2人で勝って欲しいですね。ジャックは散々活躍したし、ここは双子でお願いします。
新年になってまだ一週間も経ってないけど、三が日が終わって仕事が始まると、年始っていう雰囲気でもなくなる。そんな中で遊戯王を観たわけだけど、ここ最近は正月番組の一挙放送とかばかりだったから、毎週放送のアニメを見ると日常に戻った感じがするよね。それに、新年一発目としては、今回の遊戯王は神回過ぎた。
私は歴代の遊戯王シリーズのうち、デュエルモンスターズは観たけどGXは観てなくて、5d’sはある意味久しぶりの遊戯王でした。今の仕事を始めるようになって、帰りの電車が暇だったのと、携帯を買えた際に付いてきたワンセグ機能を試す意味で観始めたのが2年ぐらい前になるのかな? もっと前かも知れないけど、最初期から視聴はしていたと思う。バイクでデュエルだなんてとはじめは思ってたけど、意外にそのスピーディーな展開が今までにないワクワク感みたいのを与えてくれたんだよね。
まあ、新作だから物珍しかったというのもあるんだろうけど、本格的な視聴を決めたのは13話以降、つまり龍亞と龍可の双子が登場してからです。まあ、なんていうか、基本的に男女の双子キャラに弱い私のどストライクに飛び込んできたキャラといいますか、ほとんど一目惚れに近い衝撃をあの2人には受けました。それまではなんともなしに見ていた遊戯王を、真剣に観出した瞬間ともいいますか。そのときはまさか双子がレギュラーキャラだとは思ってなかったけど、次の話から出てくる十六夜アキと同じくメインキャラなのだと分かったときは嬉しかったなぁ。歴代の遊戯王って割と年齢が似通ったメンバーで構成されてたから、龍亞や龍可みたいに年の離れた、謂わば弟や妹みたいなキャラが仲間としているっていうのは凄い新鮮だった。なにせ、チーム5d’sですから、これまでに以上にチームワークや絆というものを大切にしている作品だと思う。
そんな5d’sもWRGP編が終盤へと差し掛かっており、遂に龍亞が6人目のシグナーとして覚醒しました。龍可と違い、仲間たちの中で唯一シグナーではなかった一般人の龍亞ですが、前々から兆候というか伏線みたいなものはありましたよね。パワー・ツール・ドラゴンとシグナーのドラゴンが似ていたこともあり、パーツをパージして進化するのではないか? なんて予想は度々なされていました。けれど、ゴドウィンが持っていたシグナーの痣が遊星へと渡った際、遊星が本来持っていた痣はクロウの物になりました。龍亞がシグナーとなるにはそのタイミングしかなかったため、「龍可と龍亞は2人で1人なんだよ!」をする以外になかったんですが……まさか、新しい痣を作るとは思わなかった。考えて見れば、ダークシグナーだってボマーみたいに新しい奴を作ることができたんだから、シグナーだって同じようなことは出来なくはないのかな?
まあ、それはともかくとしても、凄くいい回だった。双子の繋がりが強すぎて、近くにいるジャックが霞んでしまうほどに。元々、この2人は仲が良く、龍可の話では龍亞は昔から自分を守ってくれるヒーローとのことで、曰く「私の一番大切な人」であるといいます。一方の龍亞も幼少期こそ龍可を疎んじる傾向にあったそうですが、龍可が病に倒れ、正確には妖精世界へと行った際にそのかけがえの無さを実感し、彼女が帰還してからはずっと大事にしてきたようです。龍可はしっかりしているように見えて、大分龍亞という存在に依存していて、龍亞もまた龍可を第一に考えている。私はそういった2人の関係性が大好きで。夏コミでも双子アンソロ買っちゃったぐらいだし。
まあ、多少無理やりな感じもするし、あの痣は一体なんなのかという疑問もあるんだけど、そんなことはどうでもいいや。あの双子がいるだけで、5d’sは私にとって価値ある作品だから。WRGP編って、基本的に双子の活躍する機会がなかったから、今回は本当に久々の見せ場というか、このまま龍亞に勝負を決めてもらいたい、いや、折角なので龍可と2人で勝って欲しいですね。ジャックは散々活躍したし、ここは双子でお願いします。
先日、所用があって高島屋の横浜店にお菓子を買いに行ったんですけど、さすがに年始ということもあって御年賀を買い求める客で溢れかえっていました。別に贈り物が菓子でなければいけない理由はないはずですが、まあ、好みはあるにせよ食べ物ってのは楽なんだろうね。西口の高島屋も、東口のそごうも食品売り場は地下フロアにあるんだけど、そごうが正面入口として地下でありながら空も見える開放的な場所にあるのに比べると、高島屋は本当に地下ですから少し手狭な印象を受けますね。
しかしまあ、ルミネの成城石井なんかも地下にありますが、なんだって百貨店とかその辺の食べ物関係は下の方にあるんでしょうか? 所謂、デパ地下なんて呼ばれる空間ですけど、私はそういう場所が嫌いではないし、割と好きな方でもあります。ケチだから日常的に利用することはありませんけど、祝い事だとか、贈り物なんかをする場合は迷わず百貨店へと足を向ける。特に気取っているわけじゃないし、どちらかといえば単純な発想の表れに過ぎないんですが、なんていうか安心感みたいのがあってさ。横浜っていうところは駅に複数の百貨店や商業施設が直結しているから、買い物するには本当に便利なんですよ。
まあ、そんなわけでお菓子一つ買うにしてもデパ地下に店があるわけで、その中から選ぶというのは結構悩むことでもあります。いつもある程度、なにを買うか決めていくんですけど、今回は事前に「これだ!」というものがなかった。さすがにネタが切れたのか、色々あると言っても基準として自分が食べたことがあり、尚且つ美味しいと感じた物に絞ってますからね。食べたこともない物を送るわけにはいかないし、自分が美味しいと思わなかった物を、好みの差があるとは言え勧めるのはなんか違う気がするので。後、手渡しではなく郵送ないし宅急便で送る関係上、そういうのに耐えうるものじゃないダメだし、日持ちすることも絶対条件です。昔、横浜文明堂でカステラ巻を買おうとしたとき、どれぐらい日持ちをするのかと訊ねて、たった5日間しか持たないと言われたときは驚いたっけ。普通の奴より長持ちするイメージがあったんだけど、実際は逆らしいね。ちなみに、横浜には文明堂と福砂屋があって、文明堂は横浜だったり日本橋だったりと、色々なところがあったりします。
そうして色々悩んだ末に買ったお菓子はというと……なんか、結婚式の引出物みたいになってしまった。悲恋堂の店主に、「あなたは、神戸系の洋菓子が好きなんですか?」と言われたけど、別にそんなことはないと思うんだけどね。例えばモロゾフなんかは、不味いとは思わないけど店的にしっくり来ないところもありますし。まあ、ケーニヒスクローネは好きな方だけど。私は別にブランドや銘柄にこだわっているつもりはないというか、ゴディバは超有名だからイコールで美味いみたいな、そこまで安直ではないと思うんだけど、でもゴディバを不味い思ったこともないな。自分で買ったことは一度もないけど。
要するに食べて美味いのであれば、やたら値段やネームバリューに拘る必要もないのだと私は考えるのだけど、「百貨店にお菓子買いに行ってる時点で、十分拘りがあると思いますけど」と店主には言われた。まあ、反論は出来ないけど、私が年始の挨拶ついでに持ってきたクローネを食べながら言わないでくれ。いつの日かのように、また店主と百貨店とか行きたいんですけどね……なにせ、店主ときたら私の顔を見るなり、「丁度良かった、あなた、私の代わりにおみくじを引いてきてくれませんか?」などと真顔で言う始末。今年もお外に出るつもりはさらさらないらしい。
お菓子その他を発送したんだけど、タペストリーの梱包に凄い手間取った。クロネコヤマトに専用の素材を持ってこさせようと思ったんだけど、滅多に使う人がいないから注文しないと言われて、仕方なく自前でやることに。その際、エアパッキンやら新聞紙やらでくるんで、最終的に高島屋の包装紙を使ったんだけど、これが一昔前のだったからバラの模様が新しいのじゃないのね。これは結構レアだなーとか思いながら、そういや高島屋で長いことお菓子を買ってるけど、一度もバラの包に包まれたことないと気付く。店によっては自前のを使いますし、包装紙一つとっても自社ブランドの名前に自信があるということなのでしょう。まあ、私に言わせれば百貨店でした買い物は、百貨店の包で貰いたいよね、という感じだけど、これもまた人それぞれなのかな。
しかしまあ、ルミネの成城石井なんかも地下にありますが、なんだって百貨店とかその辺の食べ物関係は下の方にあるんでしょうか? 所謂、デパ地下なんて呼ばれる空間ですけど、私はそういう場所が嫌いではないし、割と好きな方でもあります。ケチだから日常的に利用することはありませんけど、祝い事だとか、贈り物なんかをする場合は迷わず百貨店へと足を向ける。特に気取っているわけじゃないし、どちらかといえば単純な発想の表れに過ぎないんですが、なんていうか安心感みたいのがあってさ。横浜っていうところは駅に複数の百貨店や商業施設が直結しているから、買い物するには本当に便利なんですよ。
まあ、そんなわけでお菓子一つ買うにしてもデパ地下に店があるわけで、その中から選ぶというのは結構悩むことでもあります。いつもある程度、なにを買うか決めていくんですけど、今回は事前に「これだ!」というものがなかった。さすがにネタが切れたのか、色々あると言っても基準として自分が食べたことがあり、尚且つ美味しいと感じた物に絞ってますからね。食べたこともない物を送るわけにはいかないし、自分が美味しいと思わなかった物を、好みの差があるとは言え勧めるのはなんか違う気がするので。後、手渡しではなく郵送ないし宅急便で送る関係上、そういうのに耐えうるものじゃないダメだし、日持ちすることも絶対条件です。昔、横浜文明堂でカステラ巻を買おうとしたとき、どれぐらい日持ちをするのかと訊ねて、たった5日間しか持たないと言われたときは驚いたっけ。普通の奴より長持ちするイメージがあったんだけど、実際は逆らしいね。ちなみに、横浜には文明堂と福砂屋があって、文明堂は横浜だったり日本橋だったりと、色々なところがあったりします。
そうして色々悩んだ末に買ったお菓子はというと……なんか、結婚式の引出物みたいになってしまった。悲恋堂の店主に、「あなたは、神戸系の洋菓子が好きなんですか?」と言われたけど、別にそんなことはないと思うんだけどね。例えばモロゾフなんかは、不味いとは思わないけど店的にしっくり来ないところもありますし。まあ、ケーニヒスクローネは好きな方だけど。私は別にブランドや銘柄にこだわっているつもりはないというか、ゴディバは超有名だからイコールで美味いみたいな、そこまで安直ではないと思うんだけど、でもゴディバを不味い思ったこともないな。自分で買ったことは一度もないけど。
要するに食べて美味いのであれば、やたら値段やネームバリューに拘る必要もないのだと私は考えるのだけど、「百貨店にお菓子買いに行ってる時点で、十分拘りがあると思いますけど」と店主には言われた。まあ、反論は出来ないけど、私が年始の挨拶ついでに持ってきたクローネを食べながら言わないでくれ。いつの日かのように、また店主と百貨店とか行きたいんですけどね……なにせ、店主ときたら私の顔を見るなり、「丁度良かった、あなた、私の代わりにおみくじを引いてきてくれませんか?」などと真顔で言う始末。今年もお外に出るつもりはさらさらないらしい。
お菓子その他を発送したんだけど、タペストリーの梱包に凄い手間取った。クロネコヤマトに専用の素材を持ってこさせようと思ったんだけど、滅多に使う人がいないから注文しないと言われて、仕方なく自前でやることに。その際、エアパッキンやら新聞紙やらでくるんで、最終的に高島屋の包装紙を使ったんだけど、これが一昔前のだったからバラの模様が新しいのじゃないのね。これは結構レアだなーとか思いながら、そういや高島屋で長いことお菓子を買ってるけど、一度もバラの包に包まれたことないと気付く。店によっては自前のを使いますし、包装紙一つとっても自社ブランドの名前に自信があるということなのでしょう。まあ、私に言わせれば百貨店でした買い物は、百貨店の包で貰いたいよね、という感じだけど、これもまた人それぞれなのかな。
今日は新年ということで、神田明神に初詣へ行ってきました。秋葉原近辺で仕事をするようになってから、初詣はここで済ませることが多くなってきましたね。本当は色々あって川崎大師にでも行こうかなと思ってたんだけど、知り合いに誘われたこともあって、なにより巫女さんが見たくて出向くことにしました。ほら、川崎大師って寺だから巫女さんいないじゃないですかw これって結構重要なことだと思うのよ。目の保養的な意味で。神聖なところに、なに邪心を抱いてるんだと言われそうだけど、好きなんだから仕方がない。
午後から小さいながらも新年会みたいのに参加する予定があったから、昼前から昼に掛けてのお参りをしてきました。一緒に行った知り合いは昨日、埼玉の鷲宮神社まで行ってきたらしいんだけど、まあ、初詣というかお参りなんてのは何回行っても良いものですからね。というか、寺社仏閣なんてのは観光地でもあるんだから、吉事や凶事、祝い事なんかがなくても頻繁に行っていいはずなんですよ。後藤沙緒里みたいに神社を趣味にしている人もいるわけだし。
確か去年は仕事始めに一人で行ってきたはずだけど、まあ、三が日の最後ということもあってか、それなりに人はいましたね。出店も結構出ていて、私が一昨年腹を下したからあげ屋はよほど繁盛したのか店に誰もいませんでした。
境内から賽銭箱まではさすがに行列で、私は五円玉を片手に少し待つ。少額の賽銭で、しかもありきたりだけど、なんか好きなんだよね。投げ入れてなにを願ったのかは秘密だけど、今年こそはなんて言って毎年同じこと願っている時点で、神頼みも大概アテにならないとは思うけど。賽銭入れた後は境内のメイドを観察しつつ、おみくじを買うことに。知り合いの話では鷲宮には可愛い福娘がいたらしいのですが、神田明神の今年の巫女は……まあ、好みは人それぞれということで。埼玉は遠いから鷲宮未経験なんですが、遠いくせにかなり並ぶともいいますからね。それほどらきすたが好きだったわけでもないから、ちょっと行く気がしない自分がいます。そういや、昨日はニコニコでらきすたの一挙放送がやってから少し見たけど、あれも3年前の作品なんだよね。本放送で完結したAIRを除けば、あれだけ2期とかやってないんでしたっけ。意外な気もしますけど、今更やっても流行らないだろうな。
おみくじは中吉で、それほど良いって程でもないけど、悪いこともこれといって書いてありませんでしたから、まあ、満足しています。これが大吉とかなら記念に持って帰りましたけど、中吉ならと木へ結ぶことに。その際、絵馬が飾ってあるところを見ましたが、知り合い曰く絵馬のレベルでも鷲宮が一歩抜きん出ているらしい。どんだけ凄いんだよ鷲宮神社は。秋葉原の神田明神が敗れるとは、よっぽどなんでしょうね。その後は中央通りへ戻るついでに出店で焼き鳥買ったりしたんだけど、味の方は屋台の味って感じで。少し冷たい部分もあったけど、生ではなかったよ。
秋葉原ではとらのあなとアニメイトに行って、私は特に買うものもなかったので小野大輔のDを買う知り合いの付き添いみたいな感じ。なんかPVが面白いとか言ってたけど、私はCMすら見たことがない。小野大輔って意外と男性にも人気あるよね。私は興味ないけども。
買い物を済ませた後はまだ時間もあったからロイヤルホストで昼食を取ったんだけど、昼時だし混んでるかと思いきやメチャクチャ空いてた。三が日に秋葉のファミレスに来る人なんていないのか、すぐ座れてよかったけどね。適当にハンバーグとか頼んで、ファミレスにしてはなかなか美味いじゃないかと思いながら数十分。私はあまり外食をするほうじゃないけど、クリスマス・イヴにいたデニーズや、近所にあるビッグボーイよりは良いんじゃないかな。凄い差があるってわけじゃないんだけど、値段取るだけのことはあると思うよ。最初は新年会控えていることだし、軽く名物のホットケーキでも食べようと思ってたんだけど、なんか無性にハンバーグ食べたくなってね。ファミレス行くとさ、ハンバーグって大抵あるじゃない。別にそれを食べたから店の味が分かるなんて食通ぶったことは言わないけど、なんとなく食べ比べてみたくなるんだよね。うん、美味しかったですよ。
昼食後は秋葉原のアトレに行って、そういえば聴いたことなかった館内放送の清水愛ボイスを聴いてみることに。エレベーターの案内がそうだったけど、声の中に篭ったそこはかとない可愛らしさがいいですね。ついでに三省堂へ行って知り合いが某声優の書いた小説を探してたんだけど、文庫の棚自体がなくて断念してました。どうやら児童書自体を取り扱ってないらしく、児童書好きとしてはちょっと残念な感じです。まあ、秋葉原みたいなところの駅ビルにある本屋が児童書とか絵本置いてるのも変といえば変だけど、昭和通り口のヨドバシにある有隣堂は、親子連れも多いからか、しっかりとしたコーナー設けてるんですけどね。今度あそこで、新しい児童書を探してみるのも良いかも知れないな。
午後から小さいながらも新年会みたいのに参加する予定があったから、昼前から昼に掛けてのお参りをしてきました。一緒に行った知り合いは昨日、埼玉の鷲宮神社まで行ってきたらしいんだけど、まあ、初詣というかお参りなんてのは何回行っても良いものですからね。というか、寺社仏閣なんてのは観光地でもあるんだから、吉事や凶事、祝い事なんかがなくても頻繁に行っていいはずなんですよ。後藤沙緒里みたいに神社を趣味にしている人もいるわけだし。
確か去年は仕事始めに一人で行ってきたはずだけど、まあ、三が日の最後ということもあってか、それなりに人はいましたね。出店も結構出ていて、私が一昨年腹を下したからあげ屋はよほど繁盛したのか店に誰もいませんでした。
境内から賽銭箱まではさすがに行列で、私は五円玉を片手に少し待つ。少額の賽銭で、しかもありきたりだけど、なんか好きなんだよね。投げ入れてなにを願ったのかは秘密だけど、今年こそはなんて言って毎年同じこと願っている時点で、神頼みも大概アテにならないとは思うけど。賽銭入れた後は境内のメイドを観察しつつ、おみくじを買うことに。知り合いの話では鷲宮には可愛い福娘がいたらしいのですが、神田明神の今年の巫女は……まあ、好みは人それぞれということで。埼玉は遠いから鷲宮未経験なんですが、遠いくせにかなり並ぶともいいますからね。それほどらきすたが好きだったわけでもないから、ちょっと行く気がしない自分がいます。そういや、昨日はニコニコでらきすたの一挙放送がやってから少し見たけど、あれも3年前の作品なんだよね。本放送で完結したAIRを除けば、あれだけ2期とかやってないんでしたっけ。意外な気もしますけど、今更やっても流行らないだろうな。
おみくじは中吉で、それほど良いって程でもないけど、悪いこともこれといって書いてありませんでしたから、まあ、満足しています。これが大吉とかなら記念に持って帰りましたけど、中吉ならと木へ結ぶことに。その際、絵馬が飾ってあるところを見ましたが、知り合い曰く絵馬のレベルでも鷲宮が一歩抜きん出ているらしい。どんだけ凄いんだよ鷲宮神社は。秋葉原の神田明神が敗れるとは、よっぽどなんでしょうね。その後は中央通りへ戻るついでに出店で焼き鳥買ったりしたんだけど、味の方は屋台の味って感じで。少し冷たい部分もあったけど、生ではなかったよ。
秋葉原ではとらのあなとアニメイトに行って、私は特に買うものもなかったので小野大輔のDを買う知り合いの付き添いみたいな感じ。なんかPVが面白いとか言ってたけど、私はCMすら見たことがない。小野大輔って意外と男性にも人気あるよね。私は興味ないけども。
買い物を済ませた後はまだ時間もあったからロイヤルホストで昼食を取ったんだけど、昼時だし混んでるかと思いきやメチャクチャ空いてた。三が日に秋葉のファミレスに来る人なんていないのか、すぐ座れてよかったけどね。適当にハンバーグとか頼んで、ファミレスにしてはなかなか美味いじゃないかと思いながら数十分。私はあまり外食をするほうじゃないけど、クリスマス・イヴにいたデニーズや、近所にあるビッグボーイよりは良いんじゃないかな。凄い差があるってわけじゃないんだけど、値段取るだけのことはあると思うよ。最初は新年会控えていることだし、軽く名物のホットケーキでも食べようと思ってたんだけど、なんか無性にハンバーグ食べたくなってね。ファミレス行くとさ、ハンバーグって大抵あるじゃない。別にそれを食べたから店の味が分かるなんて食通ぶったことは言わないけど、なんとなく食べ比べてみたくなるんだよね。うん、美味しかったですよ。
昼食後は秋葉原のアトレに行って、そういえば聴いたことなかった館内放送の清水愛ボイスを聴いてみることに。エレベーターの案内がそうだったけど、声の中に篭ったそこはかとない可愛らしさがいいですね。ついでに三省堂へ行って知り合いが某声優の書いた小説を探してたんだけど、文庫の棚自体がなくて断念してました。どうやら児童書自体を取り扱ってないらしく、児童書好きとしてはちょっと残念な感じです。まあ、秋葉原みたいなところの駅ビルにある本屋が児童書とか絵本置いてるのも変といえば変だけど、昭和通り口のヨドバシにある有隣堂は、親子連れも多いからか、しっかりとしたコーナー設けてるんですけどね。今度あそこで、新しい児童書を探してみるのも良いかも知れないな。
長期休暇は曜日の感覚がずれるといいますけど、前日に長々と起きていたせいか初夢というものをまったく覚えていない。初日の出も見ませんでしたし、そういったものに対するありがたみを感じないわけじゃないんですけどね。いかんせん、眠気には勝てないというかなんというか。実は元日も家の中は誰もいなかったので、むしろ2日目のほうが正月らしいといえば正月らしかったんですが、それでもいい年になりましたし、子供の頃みたいになにがどうって感じではないかな。
昔は年越しっていうと何時まで起きていても起こられなかったもんですけど、最近は普通に2時とか3時まで起きているのが普通ですからね。若かりし頃は私も眠い目をこすりながらアニラジの深夜放送とか聴いてましたが、身体が慣れたのか成長したのかは知らないけど、いつからか特に眠気も感じなくなってしまったな。まあ、最近は地上波の深夜放送とか全然聴かなくなって、かつては日々の日課だった青春アドベンチャーもご無沙汰なんだけど……そういや、青春アドベンチャーといえば久しぶりに鯨統一郎のタイムスリップシリーズが製作されるようですね。明治維新以降はNHK側のオリジナルものでしたけど、ここ数年は放送されてなかった田村ゆかり主演のあれです。鯨統一郎によればNHK大河ドラマの宣伝を兼ねた姉妹番組らしいけど、近頃は戦国と幕末に話が集中しすぎていたせいか、制作が出来なかったみたいですね。言ってしまえば過去の内容に被る部分、登場人物などが多すぎて、シリーズ物であるがゆえに矛盾が生じてしまうみたいな。大阪夏の陣は安土桃山時代だからいいとしても、来年の平将門とかどうするんだろうね? 結構好きなシリーズだけに、この復活を機に続けてもらいたいんですけど。
しかし、タイムスリップ川中島が割とシリーズ最終回っぽい作りだっただけに、あそこからどうやって再開するのか気になるところですね。原作と違ってラジオドラマ版はコメディというかギャグ要素を重視していて、性的な部分が皆無なんだけど、それはそれで面白いと思うし。原作に関して言えば、鯨統一郎の女子高生に対する感覚が、性に対して大らかというか性急なイメージがあったんじゃなかろうか。
私はラジオドラマというものに対する思い入れが割と強い方で、青春アドベンチャーは正しく私の青春時代を彩ったものの一つであるんだけど、アニメ系のCDドラマ下火になると同時に、こういったものも数が少なくなりましたね。広井王子がQRでラジオをやっていた頃は、毎週のように聴けたものだけど、そういや当人は毎回ネタを考えるのも結構辛いものがあるとか言ってたっけ。
まあ、思い入れというよりは憧れなのかも知れないけど、私自身ドラマCDの脚本を書いた経験はあって、それは商業ベースで売られたものではあるんですが、あの頃は私もまだまだ若く、今だって非才ではあるけど、技術すらなかった頃のものだから、未だに聞き直すことが出来ません。どこにしまいこんだかも忘れてしまいましたしね。メディアミックスではないオリジナルの企画だったから、表には出ていてもそれほど陽の目を見た作品でもないから知っている人は皆無でしょうけど……いや、なんか気恥ずかしさで顔が熱くなってきた。
音だけの媒体っていうのは、人の想像力を試す意味でも非常に有益な媒体だと私は思うんですよ。文章でも映像でもない、音だけの世界。効果音やBGMがあるから小説は分かりやすいけど、決して映像のように視覚的なわけではない。私はそんな音という媒体が昔から大好きで。長らくラジオ好きをやっているのも、そうした理由からなんだと思います。
超A&G+の番組で、主に生放送の奴とかは映像配信も行っていたりしていて、全部の番組が映像付きならいいのにと言っている人をたまに見けますけど、私はそうは思わないんですよね。映像配信を否定するわけじゃないし、画面の中の面白さってのは確かにあるんだけど、ラジオってのはやっぱり音を楽しむものじゃないですか。スタジオを飛び出したロケの映像を流すとかありますけど、あれはもうラジオじゃなくてテレビだよ。
手持ちのラジオが不調というのもあるんだろうけど、折角radikoなんてのもあるんだから、今年はラジオを沢山聴くのも良いかも知れませんね。まあ、AMよりはFMって気分なんだけど、そういやFMおだわらで放送したうたかたはレギュラー化したりしないのかな。あれは結構面白かったし、毎週放送とは言わないからせめてスペシャルでまたやって欲しいね。とりあえずは10日から始まるタイムスリップシリーズに備えようと思うけど、2011年は良いラジオ番組に出会えるといいな。
昔は年越しっていうと何時まで起きていても起こられなかったもんですけど、最近は普通に2時とか3時まで起きているのが普通ですからね。若かりし頃は私も眠い目をこすりながらアニラジの深夜放送とか聴いてましたが、身体が慣れたのか成長したのかは知らないけど、いつからか特に眠気も感じなくなってしまったな。まあ、最近は地上波の深夜放送とか全然聴かなくなって、かつては日々の日課だった青春アドベンチャーもご無沙汰なんだけど……そういや、青春アドベンチャーといえば久しぶりに鯨統一郎のタイムスリップシリーズが製作されるようですね。明治維新以降はNHK側のオリジナルものでしたけど、ここ数年は放送されてなかった田村ゆかり主演のあれです。鯨統一郎によればNHK大河ドラマの宣伝を兼ねた姉妹番組らしいけど、近頃は戦国と幕末に話が集中しすぎていたせいか、制作が出来なかったみたいですね。言ってしまえば過去の内容に被る部分、登場人物などが多すぎて、シリーズ物であるがゆえに矛盾が生じてしまうみたいな。大阪夏の陣は安土桃山時代だからいいとしても、来年の平将門とかどうするんだろうね? 結構好きなシリーズだけに、この復活を機に続けてもらいたいんですけど。
しかし、タイムスリップ川中島が割とシリーズ最終回っぽい作りだっただけに、あそこからどうやって再開するのか気になるところですね。原作と違ってラジオドラマ版はコメディというかギャグ要素を重視していて、性的な部分が皆無なんだけど、それはそれで面白いと思うし。原作に関して言えば、鯨統一郎の女子高生に対する感覚が、性に対して大らかというか性急なイメージがあったんじゃなかろうか。
私はラジオドラマというものに対する思い入れが割と強い方で、青春アドベンチャーは正しく私の青春時代を彩ったものの一つであるんだけど、アニメ系のCDドラマ下火になると同時に、こういったものも数が少なくなりましたね。広井王子がQRでラジオをやっていた頃は、毎週のように聴けたものだけど、そういや当人は毎回ネタを考えるのも結構辛いものがあるとか言ってたっけ。
まあ、思い入れというよりは憧れなのかも知れないけど、私自身ドラマCDの脚本を書いた経験はあって、それは商業ベースで売られたものではあるんですが、あの頃は私もまだまだ若く、今だって非才ではあるけど、技術すらなかった頃のものだから、未だに聞き直すことが出来ません。どこにしまいこんだかも忘れてしまいましたしね。メディアミックスではないオリジナルの企画だったから、表には出ていてもそれほど陽の目を見た作品でもないから知っている人は皆無でしょうけど……いや、なんか気恥ずかしさで顔が熱くなってきた。
音だけの媒体っていうのは、人の想像力を試す意味でも非常に有益な媒体だと私は思うんですよ。文章でも映像でもない、音だけの世界。効果音やBGMがあるから小説は分かりやすいけど、決して映像のように視覚的なわけではない。私はそんな音という媒体が昔から大好きで。長らくラジオ好きをやっているのも、そうした理由からなんだと思います。
超A&G+の番組で、主に生放送の奴とかは映像配信も行っていたりしていて、全部の番組が映像付きならいいのにと言っている人をたまに見けますけど、私はそうは思わないんですよね。映像配信を否定するわけじゃないし、画面の中の面白さってのは確かにあるんだけど、ラジオってのはやっぱり音を楽しむものじゃないですか。スタジオを飛び出したロケの映像を流すとかありますけど、あれはもうラジオじゃなくてテレビだよ。
手持ちのラジオが不調というのもあるんだろうけど、折角radikoなんてのもあるんだから、今年はラジオを沢山聴くのも良いかも知れませんね。まあ、AMよりはFMって気分なんだけど、そういやFMおだわらで放送したうたかたはレギュラー化したりしないのかな。あれは結構面白かったし、毎週放送とは言わないからせめてスペシャルでまたやって欲しいね。とりあえずは10日から始まるタイムスリップシリーズに備えようと思うけど、2011年は良いラジオ番組に出会えるといいな。
その想い出は本棚の中へ
2011年1月1日 ヨスガノソラ新年明けましておめでとうございます。西暦2011年、一昔前はミレニアムだなんだと騒いでいた2000年も、瞬きする間に11年目へと突入ですか。月日や年月は日々流れ行くものだとしても、なんだかとても早いことのように思えますね。私は結局、コミケ疲れを引きずっていたこともあって、3時前には寝たんだったかな? よく覚えてないけど、少なくとも明け方まで起きていたってことはないでしょう。なんか昨年末は例年にもまして年越し番組が面白くなかった気がするんだけど、さて、正月番組はどうなんだろう。
元旦といっても特にすることがあったわけじゃないので、一日中ずっとアニメの一挙放送を観てました。東京MXでやっていた祝福のカンパネラと迷ったんですが、家の環境だとMXの地デジ放送がはいらないので、AT-Xでやっていたとある科学の超電磁砲を見ることに。実は私、この作品は流し観程度にしか観てなかったから、丁度良いかなと思って。別に美琴や黒子は好きでもないですけど、佐天さんや初春は可愛いからね。まあ、前半に置いて多少の中だるみは感じましたけど、結構楽しめたんじゃないかな。BSなんかもそうですが、昨年末から年始に掛けて、スカパーのアニメ専門チャンネル以外にもアニメの一挙放送とかやっているところが多いですね。ニコニコはともかくとして、年末年始にアニメを沢山観られるというの良いことだと思います。まあ、同じ番組をひたすら見続けるわけだから、途中で飽きを感じないこともなかったけどね。逆に一挙放送に適した作品ってのは、どんなのがあるのかな? カンパネラは割と綺麗にまとまっていますが、あれは単にOVAの販促目的で放送してるんでしょうし。あれも、BDとかまったく売れてないらしいけど、よくOVAなんて出しますね。1巻から揃えている私へのご褒美でしょうか? いや、それは冗談にしても、まったく不思議な話だ。
OVAといえば、超電磁砲の奴も明日放送するとかで、それも楽しみといえば楽しみかも。BDレコーダー買ってから、未だにBDディスクにダビングするという行為を試したことがないので、超電磁砲で試してみるのもいいかも知れません。50GBのディスク1枚あれば足りると思いますし。いい加減、HDDの中身も整理しないといけないしね。
まあ、元旦はずっとアニメを見て過ごしてましたということで、ここらで旧年中に書けなかったことでも書きますか。他の場所でも書くことにはなるけど、コミケのことばかりで1年というものを振り返ってなかったからね。年は明けちゃったけど、振り返ってはいけないってこともないでしょう。要は後ろ向いて立ち止まらなければいいだけの話ですし。
ご存知の方はご存知のとおり、2010年は私にとって色々ありすぎた年でした。ヨスガノソラという作品に始まり、ヨスガノソラという作品に終わったと断言してもいいぐらい、昨年の私はヨスガ一色だったと思う。アニメ化の発表以前から本当もう様々なことがあったけど、発表自体はコミックス1巻の帯でしたから、5月頃ですか? 私は当時からアニメ化の痛烈な批判者、否定者だったこともあって、「放送してもいない作品に言い過ぎだ」とか言わたりしてましたっけ。そこからはもう、アニメ化とそれに続くアニメ版の存在と隣り合わせに過ごしてきたように思う。夏コミでもヨスガノソラでサークル参加してましたけど、こんな風に平和なのも夏までかなぁなんて考えていたりもしてたっけ。
アニメの情報が公開されていくにつれて、私も片っ端から調べ上げたことを日記に書いたりしてましたが、それでまた揉めたりもしたね。Sphereの広報にまで通報している変な人とかいましたけど、そういえばあれが原因でこの日記のコメント欄って閉じたんでしたっけ。なに書いても文句付けてくる奴がいまして、まったく面倒臭かったな。コメント欄閉じたらさっぱり消えましたけど、まあ、その頃から既に戦いは始まっていたのかも知れません。
9月になって、アニメ化前になんとかして聖地巡礼を済ませておこうと、奥木染の元になった栃木県足利市は樺崎町へと1泊2日の小旅行を敢行し、田舎の自然に癒されたりもしました。この頃になると比較的心境も落ち着いてきて、開き直ってアニメ版に期待しようなんて感じになってたんだけど、それもそんなに長くは続かなかったね。アニメ版がまずはお嬢ルートから行くことを最初に書いたのは私だったけど、そこから発生した不安っていうのはくすぶり続けたし、いざ始まったアニメもあんな展開というか、構成になったしね。
アニメも第1話は凄い良くて、その気持を保ったまま徳島で開催されたマチアソビに参加したりもしました。新幹線に乗っての日帰り参加でしたけど、思えばあのときが一番楽しかった。アニメへの期待や、その他諸々の感情はまだマイナスではなくプラスの方向へ傾いていて、有り体に言えば幸せでした。まあ、そんな気持ちを裏切られたなんていうつもりはないけど、その後は酷いものだったしね。色々な意味で。
放送が続いていくにつれて、私の感想も大分感情的なものが多くなって、某大型掲示板でネタにされる頻度も多くなりました。元から嫌がらせ的な行為は受け続けていて、偽物が出たりアドレス晒されたりと色々合ったんだけど、遂にはこの日記の内容が全文転載されるようになったりして、私自身は別に荒れてはなかったけど、心は荒んでいたかも知れません。奈緒編はそういったもののピークでしたね。不満だらけのアニメに対する感情や、掲示板とかに対する苛立ちがあそこで爆発してしまった。まあ、穹ルートが始まる頃にはそうしたことの処理もはじめて、終わる前に片付けることが出来ましたけど、まあ、思い出して気分のいいことでもないか。
手のひらを返すことも出来ないままに終わったアニメ版への想いは複雑で、アニメ化なんてしなければよかったという気持ちは当然あります。売上がどうであろうと私はヨスガノソラのアニメ化は失敗であり、黒歴史に等しいものだと考えていますし、こればっかりは私の中にある価値観その他の問題であって、改めるつもりはありません。けど、全否定するにしても、一欠片でも肯定する部分はあるんじゃないかと、そんな風に思うこともあるんですよね。それらは多分に自分の個人的な都合や心情なんだけど、ヨスガノソラがアニメ化したことで失ったものや、被ったものは多いけれど、僅かでも得られるものはありましたから。新しい出会いや、繋がりとかね。普通に考えれば薄いものなんだろうけど、私をして大事にしたい、大切にしたいと思わせるほどの価値はあったから。
昨年を振り返るとか言いつつ、アニメ版ヨスガノソラについてしか書いてませねんね。もっと個人的な、私的な部分でも色々書くことはあるはずなんだけど、まあ、それについては別の場所で書きます。今年もまだまだヨスガノソラで過ごしていきそうな私だけど、年も明けたことだし少しばかし落ち着いていきたいですね。コミケで知り合いから、もうちょっと感情を抑えたほうがいいと言われましたし。確かに、それが原因で酷い目にあった。
2010年というのは結果良ければそれで良しとは言えないほどに、私にとっては複雑な1年でした。過ぎたこと、終わってしまったことに対して今更なにを言っても仕方がないとは思うけど、これをバネにしたとして、私はどこに行けるのかな? まあ、色々な人に迷惑を掛けたりもしたけど、そういった人らを今度は私が助けられるような、そんな新年にしていきたいものです。
元旦といっても特にすることがあったわけじゃないので、一日中ずっとアニメの一挙放送を観てました。東京MXでやっていた祝福のカンパネラと迷ったんですが、家の環境だとMXの地デジ放送がはいらないので、AT-Xでやっていたとある科学の超電磁砲を見ることに。実は私、この作品は流し観程度にしか観てなかったから、丁度良いかなと思って。別に美琴や黒子は好きでもないですけど、佐天さんや初春は可愛いからね。まあ、前半に置いて多少の中だるみは感じましたけど、結構楽しめたんじゃないかな。BSなんかもそうですが、昨年末から年始に掛けて、スカパーのアニメ専門チャンネル以外にもアニメの一挙放送とかやっているところが多いですね。ニコニコはともかくとして、年末年始にアニメを沢山観られるというの良いことだと思います。まあ、同じ番組をひたすら見続けるわけだから、途中で飽きを感じないこともなかったけどね。逆に一挙放送に適した作品ってのは、どんなのがあるのかな? カンパネラは割と綺麗にまとまっていますが、あれは単にOVAの販促目的で放送してるんでしょうし。あれも、BDとかまったく売れてないらしいけど、よくOVAなんて出しますね。1巻から揃えている私へのご褒美でしょうか? いや、それは冗談にしても、まったく不思議な話だ。
OVAといえば、超電磁砲の奴も明日放送するとかで、それも楽しみといえば楽しみかも。BDレコーダー買ってから、未だにBDディスクにダビングするという行為を試したことがないので、超電磁砲で試してみるのもいいかも知れません。50GBのディスク1枚あれば足りると思いますし。いい加減、HDDの中身も整理しないといけないしね。
まあ、元旦はずっとアニメを見て過ごしてましたということで、ここらで旧年中に書けなかったことでも書きますか。他の場所でも書くことにはなるけど、コミケのことばかりで1年というものを振り返ってなかったからね。年は明けちゃったけど、振り返ってはいけないってこともないでしょう。要は後ろ向いて立ち止まらなければいいだけの話ですし。
ご存知の方はご存知のとおり、2010年は私にとって色々ありすぎた年でした。ヨスガノソラという作品に始まり、ヨスガノソラという作品に終わったと断言してもいいぐらい、昨年の私はヨスガ一色だったと思う。アニメ化の発表以前から本当もう様々なことがあったけど、発表自体はコミックス1巻の帯でしたから、5月頃ですか? 私は当時からアニメ化の痛烈な批判者、否定者だったこともあって、「放送してもいない作品に言い過ぎだ」とか言わたりしてましたっけ。そこからはもう、アニメ化とそれに続くアニメ版の存在と隣り合わせに過ごしてきたように思う。夏コミでもヨスガノソラでサークル参加してましたけど、こんな風に平和なのも夏までかなぁなんて考えていたりもしてたっけ。
アニメの情報が公開されていくにつれて、私も片っ端から調べ上げたことを日記に書いたりしてましたが、それでまた揉めたりもしたね。Sphereの広報にまで通報している変な人とかいましたけど、そういえばあれが原因でこの日記のコメント欄って閉じたんでしたっけ。なに書いても文句付けてくる奴がいまして、まったく面倒臭かったな。コメント欄閉じたらさっぱり消えましたけど、まあ、その頃から既に戦いは始まっていたのかも知れません。
9月になって、アニメ化前になんとかして聖地巡礼を済ませておこうと、奥木染の元になった栃木県足利市は樺崎町へと1泊2日の小旅行を敢行し、田舎の自然に癒されたりもしました。この頃になると比較的心境も落ち着いてきて、開き直ってアニメ版に期待しようなんて感じになってたんだけど、それもそんなに長くは続かなかったね。アニメ版がまずはお嬢ルートから行くことを最初に書いたのは私だったけど、そこから発生した不安っていうのはくすぶり続けたし、いざ始まったアニメもあんな展開というか、構成になったしね。
アニメも第1話は凄い良くて、その気持を保ったまま徳島で開催されたマチアソビに参加したりもしました。新幹線に乗っての日帰り参加でしたけど、思えばあのときが一番楽しかった。アニメへの期待や、その他諸々の感情はまだマイナスではなくプラスの方向へ傾いていて、有り体に言えば幸せでした。まあ、そんな気持ちを裏切られたなんていうつもりはないけど、その後は酷いものだったしね。色々な意味で。
放送が続いていくにつれて、私の感想も大分感情的なものが多くなって、某大型掲示板でネタにされる頻度も多くなりました。元から嫌がらせ的な行為は受け続けていて、偽物が出たりアドレス晒されたりと色々合ったんだけど、遂にはこの日記の内容が全文転載されるようになったりして、私自身は別に荒れてはなかったけど、心は荒んでいたかも知れません。奈緒編はそういったもののピークでしたね。不満だらけのアニメに対する感情や、掲示板とかに対する苛立ちがあそこで爆発してしまった。まあ、穹ルートが始まる頃にはそうしたことの処理もはじめて、終わる前に片付けることが出来ましたけど、まあ、思い出して気分のいいことでもないか。
手のひらを返すことも出来ないままに終わったアニメ版への想いは複雑で、アニメ化なんてしなければよかったという気持ちは当然あります。売上がどうであろうと私はヨスガノソラのアニメ化は失敗であり、黒歴史に等しいものだと考えていますし、こればっかりは私の中にある価値観その他の問題であって、改めるつもりはありません。けど、全否定するにしても、一欠片でも肯定する部分はあるんじゃないかと、そんな風に思うこともあるんですよね。それらは多分に自分の個人的な都合や心情なんだけど、ヨスガノソラがアニメ化したことで失ったものや、被ったものは多いけれど、僅かでも得られるものはありましたから。新しい出会いや、繋がりとかね。普通に考えれば薄いものなんだろうけど、私をして大事にしたい、大切にしたいと思わせるほどの価値はあったから。
昨年を振り返るとか言いつつ、アニメ版ヨスガノソラについてしか書いてませねんね。もっと個人的な、私的な部分でも色々書くことはあるはずなんだけど、まあ、それについては別の場所で書きます。今年もまだまだヨスガノソラで過ごしていきそうな私だけど、年も明けたことだし少しばかし落ち着いていきたいですね。コミケで知り合いから、もうちょっと感情を抑えたほうがいいと言われましたし。確かに、それが原因で酷い目にあった。
2010年というのは結果良ければそれで良しとは言えないほどに、私にとっては複雑な1年でした。過ぎたこと、終わってしまったことに対して今更なにを言っても仕方がないとは思うけど、これをバネにしたとして、私はどこに行けるのかな? まあ、色々な人に迷惑を掛けたりもしたけど、そういった人らを今度は私が助けられるような、そんな新年にしていきたいものです。
コミックマーケット79 3日目~サークル参加編~
2010年12月31日 ヨスガノソラ年の瀬もいよいよ大晦日、今日で2010年も終わりです。世間的には年越しの準備や、新年を迎える支度で忙しいのでしょうが、私的にはまだコミケの3日目でしかありません。しかも、夏に続いてのサークル参加ですから、これが終わらないことには年越しも年明けも関係ないって感じ。コミケが終わらないと1年が終わった気がしないなんてのはよく聞きますが、私も正しくそんな気分でした。カタログの漫画ではハードなスケジュールで軟弱な参加者を排除しようなんて言ってたけど、結局参加者自体は夏や昨年の冬より増えていたのではないかと言われてますね。まあ、詳しいところは私も分かりませんけど。
今回は初めての西館配置ということで、色々と勝手も違って新鮮でした。ギャルゲジャンルが西に配置されたのは昨年の冬も同じですけど、私のサークルは落選してましたからね。スペース入りする前に外で申込書買ったり、西ならではのことが結構多かったと思う。私のスペースは比較的入口から近い位置に配置されてたんだけど、開場前はシャッターも閉まってるから準備中はあまり関係なかったかも。夏と違って宅急便で在庫とかを搬入しなかったから、印刷所が送ってくれた新刊だけを用意すれば良かったんだけど、印刷費の都合で結構な冊数を刷らなければならなかったので、さすがに数が多かった。A5本は版型が小さいこともあってあまり感じ無かったんだけど、200P超えしている新書はそれなりに厚みもあるからね。新書本作ったのは春以来だけど、久々に小説本作ったっていう感じがした。別にA5版だって小説本であることには変りないけど、やっぱり新初版だと見た目も違うといいますか。男性向け同人小説の場合、主に文庫より新書のほうが好まれる傾向あると言うけど、私も新書のほうが好きかなぁ。文庫が嫌いなわけじゃないけど、サイズ的に新書のほうがしっくり来るといいますか。
そんでまあ届いていたダンボールを開けて、新刊のチェックをしたんですが、オカシノソラはほぼ予想通りの出来栄えで、オトギノソラは予想以上の仕上がりって感じだった。オトギノソラは特に装丁重視で製作したんだけど、カバー裏までしっかりと印刷されていて、私がこれまで作った新書では一番書籍っぽいんじゃないかと。中表紙もそうなんだけど、今まで作った本を今回の装丁担当に見せたら、あまりのシンプルさに呆れられて。カバーだけのはずが、結局表紙関係も作ってもらった。ほんと、世話になりっぱなしですね。
オトギノソラのカバーはクリアPP加工を施してるんだけど、これをマットPPにするかどうかは最後まで意見が分かれました。私も出来ることならマットにしたかったんだけど、クリアだと印刷所の加工費がタダだったので、主に予算的な都合で。けど、実際に製本されたのを見てみるとクリアPPでもかなり綺麗というか、ガラスみたいな感じがして凄くいいんじゃないかと思う。床に落としたら、ガラスとか陶器が割れるような、そんな音がしそうじゃない? 結果として、こっちの加工にして正解だったんじゃないかと、そんな気がします。
冬コミは新刊の他にグッズというか、ポスター代わりのタペストリーを製作しました。夏は採算無視に加えて頒布すらしなかった抱き枕カバーを作ったけど、タペストリーはそれほど制作費用がかからなかったので一般分というのを1枚用意してみた。印刷所の都合で3枚以上は刷れなかったこともあって、価格がやや高額になってしまい、売れなかったら売り子にでも上げればいいかと適当なこと考えていたんですが……これがビックリ、売れたんですよ。しかも、開始早々2分ぐらいで。どうやら、最初からタペストリー目当てで来ている人がいたみたいで、私のところみたいな小さいサークルにはありがたい話です。まあ、ヨスガノソラのアニメ化効果も合ったにせよ、おかげさまで用意した新刊はすべて完売することが出来ました! オカシノソラは午前中、オトギノソラは午後一に売れてしまったようで、後から来てくださった方は本当に申し訳ありませんでした。もう10部ぐらい刷っておけば良かったと思わないでもなかったんですが、そもそも今回は冊数を用意したつもりになっていましたから。再販や委託についても訊かれたものの、印刷費の問題で少数再販が出来ないもので……書店にマージン取られる委託も同じ。やっぱりもうちょっと刷っておくべきでしたね。
私は私でヨスガサークルを回って新刊を集めたり、スケブを描いてもらったり、コミカライズ版ヨスガノソラを描いていた水風天のところへ新刊買うついでに挨拶へ行ったりしました。Twitter等で付き合いのある人ですが、忙しい中で応対してくださってとてもありがとうございました。縁があったら、また即売会等でお会いしたいものです。
そういや、てつ×ねこも覗きに行ったんですけど、すれ違いが発生したのか会うことが出来なかった。向こうさんも割とマジで新刊買いに来るみたいな感じだったんですけど、こればっかりは仕方ないよね。コミケだもの。完売したといっても、自分用含めて一応の予備分がほんの僅かながら存在するので、機会があったら渡せればいいなと思っています。
コミケが終わった後は品川まで移動して金勘定もとい遅い昼食をとって、家に帰ったら一人で年越ししてました。丁度家族がアイドルのカウントダウンコンサートに行くとかで、まあ、私も昔はカウントダウンイベントとか参加してましたから、別に文句もありません。結局、年越しの瞬間はなにをしていたのか、普通に自分のチャットにはいましたけど、超A&G+でも聴いてたのかな。アニソン紅白がそれほどでもなかったのもあるけど、まあ、特に実感もないままに年を越してしまった気がしますね。近年はずっとこんな感じですが、それでも来年はいい年になりますようにと思うのは、贅沢なのかな?
なにはともあれ、2010年もお疲れさまでした。また来年、2011年でお会いしましょう。
今回は初めての西館配置ということで、色々と勝手も違って新鮮でした。ギャルゲジャンルが西に配置されたのは昨年の冬も同じですけど、私のサークルは落選してましたからね。スペース入りする前に外で申込書買ったり、西ならではのことが結構多かったと思う。私のスペースは比較的入口から近い位置に配置されてたんだけど、開場前はシャッターも閉まってるから準備中はあまり関係なかったかも。夏と違って宅急便で在庫とかを搬入しなかったから、印刷所が送ってくれた新刊だけを用意すれば良かったんだけど、印刷費の都合で結構な冊数を刷らなければならなかったので、さすがに数が多かった。A5本は版型が小さいこともあってあまり感じ無かったんだけど、200P超えしている新書はそれなりに厚みもあるからね。新書本作ったのは春以来だけど、久々に小説本作ったっていう感じがした。別にA5版だって小説本であることには変りないけど、やっぱり新初版だと見た目も違うといいますか。男性向け同人小説の場合、主に文庫より新書のほうが好まれる傾向あると言うけど、私も新書のほうが好きかなぁ。文庫が嫌いなわけじゃないけど、サイズ的に新書のほうがしっくり来るといいますか。
そんでまあ届いていたダンボールを開けて、新刊のチェックをしたんですが、オカシノソラはほぼ予想通りの出来栄えで、オトギノソラは予想以上の仕上がりって感じだった。オトギノソラは特に装丁重視で製作したんだけど、カバー裏までしっかりと印刷されていて、私がこれまで作った新書では一番書籍っぽいんじゃないかと。中表紙もそうなんだけど、今まで作った本を今回の装丁担当に見せたら、あまりのシンプルさに呆れられて。カバーだけのはずが、結局表紙関係も作ってもらった。ほんと、世話になりっぱなしですね。
オトギノソラのカバーはクリアPP加工を施してるんだけど、これをマットPPにするかどうかは最後まで意見が分かれました。私も出来ることならマットにしたかったんだけど、クリアだと印刷所の加工費がタダだったので、主に予算的な都合で。けど、実際に製本されたのを見てみるとクリアPPでもかなり綺麗というか、ガラスみたいな感じがして凄くいいんじゃないかと思う。床に落としたら、ガラスとか陶器が割れるような、そんな音がしそうじゃない? 結果として、こっちの加工にして正解だったんじゃないかと、そんな気がします。
冬コミは新刊の他にグッズというか、ポスター代わりのタペストリーを製作しました。夏は採算無視に加えて頒布すらしなかった抱き枕カバーを作ったけど、タペストリーはそれほど制作費用がかからなかったので一般分というのを1枚用意してみた。印刷所の都合で3枚以上は刷れなかったこともあって、価格がやや高額になってしまい、売れなかったら売り子にでも上げればいいかと適当なこと考えていたんですが……これがビックリ、売れたんですよ。しかも、開始早々2分ぐらいで。どうやら、最初からタペストリー目当てで来ている人がいたみたいで、私のところみたいな小さいサークルにはありがたい話です。まあ、ヨスガノソラのアニメ化効果も合ったにせよ、おかげさまで用意した新刊はすべて完売することが出来ました! オカシノソラは午前中、オトギノソラは午後一に売れてしまったようで、後から来てくださった方は本当に申し訳ありませんでした。もう10部ぐらい刷っておけば良かったと思わないでもなかったんですが、そもそも今回は冊数を用意したつもりになっていましたから。再販や委託についても訊かれたものの、印刷費の問題で少数再販が出来ないもので……書店にマージン取られる委託も同じ。やっぱりもうちょっと刷っておくべきでしたね。
私は私でヨスガサークルを回って新刊を集めたり、スケブを描いてもらったり、コミカライズ版ヨスガノソラを描いていた水風天のところへ新刊買うついでに挨拶へ行ったりしました。Twitter等で付き合いのある人ですが、忙しい中で応対してくださってとてもありがとうございました。縁があったら、また即売会等でお会いしたいものです。
そういや、てつ×ねこも覗きに行ったんですけど、すれ違いが発生したのか会うことが出来なかった。向こうさんも割とマジで新刊買いに来るみたいな感じだったんですけど、こればっかりは仕方ないよね。コミケだもの。完売したといっても、自分用含めて一応の予備分がほんの僅かながら存在するので、機会があったら渡せればいいなと思っています。
コミケが終わった後は品川まで移動して金勘定もとい遅い昼食をとって、家に帰ったら一人で年越ししてました。丁度家族がアイドルのカウントダウンコンサートに行くとかで、まあ、私も昔はカウントダウンイベントとか参加してましたから、別に文句もありません。結局、年越しの瞬間はなにをしていたのか、普通に自分のチャットにはいましたけど、超A&G+でも聴いてたのかな。アニソン紅白がそれほどでもなかったのもあるけど、まあ、特に実感もないままに年を越してしまった気がしますね。近年はずっとこんな感じですが、それでも来年はいい年になりますようにと思うのは、贅沢なのかな?
なにはともあれ、2010年もお疲れさまでした。また来年、2011年でお会いしましょう。
束の間にあるのは違う忙しさ
2010年12月30日 アニメ・マンガコミケ2日目……のはずだったんですが、今回はパスしました。基本的にコミケは全日参加だったんだけど、夏に2日目参加だった行きつけのサークルが軒並み1日目に移ってきたこともあって、特に参加する理由が無くなってしまって。緊張感を保つのと、気分的な問題で言えば参加しても良かったんだけど、翌日にはサークル参加を控えているわけだし、体力の温存でもしておこうかなと。金の節約にもなるしね。行けば行ったで企業で無駄遣いをするのは目に見えてるんだし。
昔は中休みなんて言って、2日目は参加しないことが基本だったんですけどね。それが最近じゃサークルが3日間すべてに入り乱れていたこともあって、全日参加が普通のことになっていました。もう何年続けていたのか、最初は参加しなくて良いという事実に戸惑いが隠せなかったというか、本当に大丈夫なのかと妙な不安に苛まれたりね。考えすぎといえばそれまでですけど、まったくおかしな話です。まあ、それまでは3日間行くことが当たり前だったんだから、それを突然止めましょうと言われても違和感が生じるのかもね。
行かないことにした理由はサークル以外にも、企業における買い物が1日目の時点で完売していたからなんですが……今回は欲しい物のハードル高すぎたよ。ねこねことかいつも買っているようなところのグッズは簡単に手に入ったんですけど。抱き枕以外は。私も変わったというか、欲しいグッズが所謂布モノに限定されて来ましたね。企業自体、そういうのばかり出しているわけだけど、昔は抱き枕とか自分が買うとは思ってなかった。まあ、今でもそんなに買ってる方じゃないけど、ヨスガノソラで色々と箍が外れた。結局、Sphereのグッズ通販でも委員長の抱き枕を2枚買ってしまったし。ただ、抱き枕ってねこねこソフトでもない限り、高いですからね。コミケでそれらを買うと、一日の予算がいくらあっても足りない。私は2日目に参加しなかったことで丸一日分の予算を手元に残すことが出来たけど、これも明日にはどうなっていることやら。サークル参加とはいえ、買い物だって沢山する予定ですから、あればあるだけ使ってしまいそうな気もするし。コミケっていうのはそういうところなんですよ、あそこに行くと本当なら買わなくても良いようなものでも買ってしまう。不思議な魔力のようなものがあの空間にはある。メロンやとらでは買う気がしないのに、会場だとかってしまう、そんな本がいくらでもあります。
私は即売会っていうのが結構好きで、もっと言えば同人誌はイベントでしか買わないんですよ。まあ、たまにメロンブックスとか利用しますけど、同人誌はイベントで買うものだと思っているので。即売会にしろ書店にしろ、同人誌を発表する場の一つであることに変わりないけど、私は圧倒的に前者のほうが好きでね。委託に消極的なのかと言われたら、そういうわけでもないと答えるだろうけど、買う側としてはわざわざ書店で買う気がしないのも事実。よく、会場で買えないものは書店で、書店で買えるものは会場で買わないなんてのもありますが、私はどうもその手の細かい算段を立てるのが苦手でね。イベントをどう動くかだけで手一杯というか、書店での買い物まで考えていられないという感じです。
最近じゃ、書店特典なんてのを付ける大手サークルもあるらしくて、書店ごとに違うコピー本が付きますなんて、一体どこのエロゲブランド商法なんでしょうかね? それとも成年向けのエロ漫画かな。会場で特典が付くというのは分かる話なんだけど、同人誌で書店ごとに特典をつけるというのはどうも違う感じがするんだよね。DL販売限定で壁紙付けますとかいうのは、媒体を上手く利用しているなと思って納得もできるんだけど……私の頭は固いんだろうか。感覚の問題なのかも知れないけど、あのサークルのファンは会場でも買って、書店でも買って、同じ本をいくつも買っているのかな。まあ、物が同人誌でなければよくある話だけど、遂に同人もそんなレベルまで来てしまったといことか。てぃんくるや涼香という次元の違う例外を除けば、この頃は企業とサークルの差がなくなってきましたからね。同人グッズとしての布モノは当たり前になってきたし、私だって夏は作った。同人もまた、日々進化を続けていくものなんでしょうね。私としてはある程度の線引きや境界線は必要だと思うんだけど、それこそ古い考えなんだろうか。
サークル参加を翌日に控え、1日に休みを入れたというのに結局寸前までワタワタしてました。あれがないこれがない、申込書が見つからず見本誌登録用シールを用意できなかったので、どうやら会場で買うことになりそうですね。夏コミ出るかはまだ決めてなかったんだけど、申込書を買うなら申し込むだけしてみようかな。当選するかどうかなんて分からないんだし、手数料の1000円ぐらい安いもんだ。まあ、その前にCOMIC1だけどさ。
昔は中休みなんて言って、2日目は参加しないことが基本だったんですけどね。それが最近じゃサークルが3日間すべてに入り乱れていたこともあって、全日参加が普通のことになっていました。もう何年続けていたのか、最初は参加しなくて良いという事実に戸惑いが隠せなかったというか、本当に大丈夫なのかと妙な不安に苛まれたりね。考えすぎといえばそれまでですけど、まったくおかしな話です。まあ、それまでは3日間行くことが当たり前だったんだから、それを突然止めましょうと言われても違和感が生じるのかもね。
行かないことにした理由はサークル以外にも、企業における買い物が1日目の時点で完売していたからなんですが……今回は欲しい物のハードル高すぎたよ。ねこねことかいつも買っているようなところのグッズは簡単に手に入ったんですけど。抱き枕以外は。私も変わったというか、欲しいグッズが所謂布モノに限定されて来ましたね。企業自体、そういうのばかり出しているわけだけど、昔は抱き枕とか自分が買うとは思ってなかった。まあ、今でもそんなに買ってる方じゃないけど、ヨスガノソラで色々と箍が外れた。結局、Sphereのグッズ通販でも委員長の抱き枕を2枚買ってしまったし。ただ、抱き枕ってねこねこソフトでもない限り、高いですからね。コミケでそれらを買うと、一日の予算がいくらあっても足りない。私は2日目に参加しなかったことで丸一日分の予算を手元に残すことが出来たけど、これも明日にはどうなっていることやら。サークル参加とはいえ、買い物だって沢山する予定ですから、あればあるだけ使ってしまいそうな気もするし。コミケっていうのはそういうところなんですよ、あそこに行くと本当なら買わなくても良いようなものでも買ってしまう。不思議な魔力のようなものがあの空間にはある。メロンやとらでは買う気がしないのに、会場だとかってしまう、そんな本がいくらでもあります。
私は即売会っていうのが結構好きで、もっと言えば同人誌はイベントでしか買わないんですよ。まあ、たまにメロンブックスとか利用しますけど、同人誌はイベントで買うものだと思っているので。即売会にしろ書店にしろ、同人誌を発表する場の一つであることに変わりないけど、私は圧倒的に前者のほうが好きでね。委託に消極的なのかと言われたら、そういうわけでもないと答えるだろうけど、買う側としてはわざわざ書店で買う気がしないのも事実。よく、会場で買えないものは書店で、書店で買えるものは会場で買わないなんてのもありますが、私はどうもその手の細かい算段を立てるのが苦手でね。イベントをどう動くかだけで手一杯というか、書店での買い物まで考えていられないという感じです。
最近じゃ、書店特典なんてのを付ける大手サークルもあるらしくて、書店ごとに違うコピー本が付きますなんて、一体どこのエロゲブランド商法なんでしょうかね? それとも成年向けのエロ漫画かな。会場で特典が付くというのは分かる話なんだけど、同人誌で書店ごとに特典をつけるというのはどうも違う感じがするんだよね。DL販売限定で壁紙付けますとかいうのは、媒体を上手く利用しているなと思って納得もできるんだけど……私の頭は固いんだろうか。感覚の問題なのかも知れないけど、あのサークルのファンは会場でも買って、書店でも買って、同じ本をいくつも買っているのかな。まあ、物が同人誌でなければよくある話だけど、遂に同人もそんなレベルまで来てしまったといことか。てぃんくるや涼香という次元の違う例外を除けば、この頃は企業とサークルの差がなくなってきましたからね。同人グッズとしての布モノは当たり前になってきたし、私だって夏は作った。同人もまた、日々進化を続けていくものなんでしょうね。私としてはある程度の線引きや境界線は必要だと思うんだけど、それこそ古い考えなんだろうか。
サークル参加を翌日に控え、1日に休みを入れたというのに結局寸前までワタワタしてました。あれがないこれがない、申込書が見つからず見本誌登録用シールを用意できなかったので、どうやら会場で買うことになりそうですね。夏コミ出るかはまだ決めてなかったんだけど、申込書を買うなら申し込むだけしてみようかな。当選するかどうかなんて分からないんだし、手数料の1000円ぐらい安いもんだ。まあ、その前にCOMIC1だけどさ。
コミックマーケット79 1日目
2010年12月29日 アニメ・マンガコミックマーケット79、冬コミが開催されました。年2回開催のコミケですが、夏と冬どちらが好きかなんてのは毎回のように言われているとこで、私はまあ夏が好きですかね。熱いだけといえばそれまでだし、衣服を着こむことで機動力が損なわれることもないですから。とかいって、もしかしたら夏コミが開催していたときは冬のほうが好きだなんて言ってたかも知れないけど。ビックサイトには多分、秋ドリパ以来になりますが、コミケだと人の数が違いますね。いつもは1人で来るんだけど、1日目は身内が企業ブースに用があるとかで国際展示場駅までは一緒でした。
私はビックサイトの内部と外部を割と知っている方ですが、なんでか知らないけど今回は外の封鎖箇所が増えていましたね。まさか、陸橋が使えなくなっているとは思わなかった。あそこが使えないと会場前の東から西への移動が非常に面倒くさいんだけど、何故か間に警備員を何人も配置して、徹底的に封鎖をしていました。あそこを封鎖することになんの意味があるのか分かりませんが、ゆりかもめ組とかどうやって東に行ってたんでしょうかね? まあ、前回までは最初からあの陸橋を使うことで東待機列へ並ぶための時間を短縮するっていう方法もあったわけだけど、それを規制するっていうのは理由として弱い気がする。狭い陸橋ならまだしも、それなりに広さもあるというのにどういうことなんだろうか。私は別に陸橋を封鎖された程度でそれほど動揺はしませんでしたが、なかなかどうした、コミケも1回開催するごとに色々面倒くさくなって堪りませんね。企業ブースの拡大でトイレの穴場が使えなくなったり、例を上げればキリがないでしょう。
東待機列に私は並んでいたわけですが、そういうあアルファベットごとの列数は夏より増えていた気がする。A列が15列とかだったかな? 私はB1に並んでましたけど、例年よりは後ろの方だった気もする。年末とはいえ29日じゃ平日ダイヤですし、りんかい線も臨時電車とか出してなかったみたいですからね。そもそも、横浜についた時点で京浜東北線乗れませんでしたし。微妙なダイヤ改正が、コミケに対する1分1秒を左右している感じがします。そういや、今回のコミケで変わったことといえば、大井町駅の駅員が静かでしたね。いつもならなにかと面白いことを言って沸かせてくれるんですが、さすがに平日だし自重したのだろうか。まあ、一般客からすれば駅員がなにいってんだって感じだろうし。
最近は参加者も増えたのか、始発で言っても館内で開催の拍手ができなくなりましたね。入口の手前とかその辺で止まってしまうことが多くて、サークル参加組が悠々と買い物を始めているのを眺めてます。私だって3日目はサークル参加ですから特になんとも思いませんが、丁度後ろに並んでいた連中が初参加だったのか、そうした光景にブツクサと文句を言っていました。まあ、ずるいといえばずるいのかも知れませんが、サークル参加者だって本は買いますよ。同人誌好きだからコミケに参加してるんだし。ダミーサークルならまだしも、本さえ出してれば良いんじゃないですかね? オークションとかにチケを出品している輩や、それを利用する奴は論外としてもさ。同人誌を発行することをサークル参加で買い漁ることの免罪符にしているという意見は分かるけど、なにも出さないよりはマシだろうて。そもそも、123ホールと456ホールで列が別れることも知らないような連中がコミケに対する不平不満を言うのもどうかと思うし。初参加者を非難するわけじゃないが、人が開催前でテンション上がってるのに、やれシステムがおかしいだの、こんなのが許されていいわけがないとか、文句あるなら来るなよ。しかも欲しいのはシャッター前の大手限定で、二次創作なんていいからそいつが原画担当したエロゲの本を出せとか、馬鹿馬鹿しいにも程がある。エロゲのグッズが欲しいなら企業にでも行って来い。
10時2分とかには私も会場内でしたが、今回はいつも最初に行っているサークルではなく、別の壁サークルに行きました。ヨスガノソラ本を出すっていうのでね、もう行くしかないじゃないですか。テレカ含めてなんとかなりましたが、数が少ないだけあって手に入るかはギリギリまで分からなかった。ただ、1日目に関してばそれほどヨスガ本というほどものはありませんでしたね。新刊の中でちょろちょろと穹や瑛を描いているというのはありましたけど、描きたかったけど時間の都合で描けなかったという大手もいましたっけ。パンスト本が意外なほど多かったの比べると、ヨスガ本は驚くほど少なかったという印象です。
企業ブースではおなじみの所で少し買い物しただけなので、所謂紙袋とかはそんなになかったんですけど、今じゃサークルでも普通に紙袋がつく時代ですからね。まあ、色々なサークルと企業に行きましたが、ごくごく平凡な1日目だったと思います。そいえば、駅前にフランスドッグ屋が店を構えていましたが、今回は会場内での販売はないといったくせに、西館へ降りるエレベーター横で普通に販売していたのはどういうことだろう。まあ、どちらにせよ食べませんでしたけど。
私はビックサイトの内部と外部を割と知っている方ですが、なんでか知らないけど今回は外の封鎖箇所が増えていましたね。まさか、陸橋が使えなくなっているとは思わなかった。あそこが使えないと会場前の東から西への移動が非常に面倒くさいんだけど、何故か間に警備員を何人も配置して、徹底的に封鎖をしていました。あそこを封鎖することになんの意味があるのか分かりませんが、ゆりかもめ組とかどうやって東に行ってたんでしょうかね? まあ、前回までは最初からあの陸橋を使うことで東待機列へ並ぶための時間を短縮するっていう方法もあったわけだけど、それを規制するっていうのは理由として弱い気がする。狭い陸橋ならまだしも、それなりに広さもあるというのにどういうことなんだろうか。私は別に陸橋を封鎖された程度でそれほど動揺はしませんでしたが、なかなかどうした、コミケも1回開催するごとに色々面倒くさくなって堪りませんね。企業ブースの拡大でトイレの穴場が使えなくなったり、例を上げればキリがないでしょう。
東待機列に私は並んでいたわけですが、そういうあアルファベットごとの列数は夏より増えていた気がする。A列が15列とかだったかな? 私はB1に並んでましたけど、例年よりは後ろの方だった気もする。年末とはいえ29日じゃ平日ダイヤですし、りんかい線も臨時電車とか出してなかったみたいですからね。そもそも、横浜についた時点で京浜東北線乗れませんでしたし。微妙なダイヤ改正が、コミケに対する1分1秒を左右している感じがします。そういや、今回のコミケで変わったことといえば、大井町駅の駅員が静かでしたね。いつもならなにかと面白いことを言って沸かせてくれるんですが、さすがに平日だし自重したのだろうか。まあ、一般客からすれば駅員がなにいってんだって感じだろうし。
最近は参加者も増えたのか、始発で言っても館内で開催の拍手ができなくなりましたね。入口の手前とかその辺で止まってしまうことが多くて、サークル参加組が悠々と買い物を始めているのを眺めてます。私だって3日目はサークル参加ですから特になんとも思いませんが、丁度後ろに並んでいた連中が初参加だったのか、そうした光景にブツクサと文句を言っていました。まあ、ずるいといえばずるいのかも知れませんが、サークル参加者だって本は買いますよ。同人誌好きだからコミケに参加してるんだし。ダミーサークルならまだしも、本さえ出してれば良いんじゃないですかね? オークションとかにチケを出品している輩や、それを利用する奴は論外としてもさ。同人誌を発行することをサークル参加で買い漁ることの免罪符にしているという意見は分かるけど、なにも出さないよりはマシだろうて。そもそも、123ホールと456ホールで列が別れることも知らないような連中がコミケに対する不平不満を言うのもどうかと思うし。初参加者を非難するわけじゃないが、人が開催前でテンション上がってるのに、やれシステムがおかしいだの、こんなのが許されていいわけがないとか、文句あるなら来るなよ。しかも欲しいのはシャッター前の大手限定で、二次創作なんていいからそいつが原画担当したエロゲの本を出せとか、馬鹿馬鹿しいにも程がある。エロゲのグッズが欲しいなら企業にでも行って来い。
10時2分とかには私も会場内でしたが、今回はいつも最初に行っているサークルではなく、別の壁サークルに行きました。ヨスガノソラ本を出すっていうのでね、もう行くしかないじゃないですか。テレカ含めてなんとかなりましたが、数が少ないだけあって手に入るかはギリギリまで分からなかった。ただ、1日目に関してばそれほどヨスガ本というほどものはありませんでしたね。新刊の中でちょろちょろと穹や瑛を描いているというのはありましたけど、描きたかったけど時間の都合で描けなかったという大手もいましたっけ。パンスト本が意外なほど多かったの比べると、ヨスガ本は驚くほど少なかったという印象です。
企業ブースではおなじみの所で少し買い物しただけなので、所謂紙袋とかはそんなになかったんですけど、今じゃサークルでも普通に紙袋がつく時代ですからね。まあ、色々なサークルと企業に行きましたが、ごくごく平凡な1日目だったと思います。そいえば、駅前にフランスドッグ屋が店を構えていましたが、今回は会場内での販売はないといったくせに、西館へ降りるエレベーター横で普通に販売していたのはどういうことだろう。まあ、どちらにせよ食べませんでしたけど。
コミケ情報最終更新です。といっても、前回から特に変更があるわけではないのでおさらいみたいなものですね。私の方は売り子さんとの打ち合わせも済ませたので、後は自分の準備を完璧にするぐらいですね。スペースの方は釣銭その他用意したんですが、一般参加の支度が整ってないもんで。結局ギリギリになってしまった。予算の方も結構カツカツで、やっぱりヨスガのBDを大量購入したのが響いてますね。自分の買い物資金を十分に用意することが出来なかった。なので、今年の冬コミは節約を迫られそうです。ヨスガ関連は片っ端から買いたいんだけど、それも上手く行くかどうか。
スペースの方も釣銭は一応用意しましたが、絶対に大丈夫という程でもないので当日は1万円や5000円をお断りすることになるかもしれません。まあ、ピッタリ払うのはコミケの基本マナーみたいなものですけど、最近は新規参加者の増加から大きいお金を持ってくる人が多くって。もっとも、新規関係なく小さいサークルで金を崩そうとする変な人とかいるんだけどね。せめて大手にしてくれよと。いくら釣銭は全額戻ってくるとはいえ、そんなに大金を会場内に持ち込みたくはないので、その辺りのことでいつも悩んでいます。企業行く人はともかく、サークル回る人は両替ぐらいしてきて欲しいものですね。お札より500円玉や100円玉を多く持っていたほうがいいと言うのに、何故大きいお金を持ってくるんだろう。
いきなり金の話なんて面白くもないこと書いてしまいましたが、要するに当日は釣銭が出ないように払ってくれると嬉しいなってことです。その方がお互い楽だしね。それじゃあ、下記が当日の出し物となります。
後、Twitterの方で質問を貰ったので書いておきますが、今回は売り子さんと競技した結果、やはり既刊は持っていかないことにしました。ロクゼロ関連は手持ちの在庫がほとんどないからともかく、るーるーのほんがまだ余っているから持って行くべきか否かを話したんだけど、ヨスガノソラでスペースを取っている関係上、ヨスガ本ならまだしも他ジャンルの既刊を置いて置くのも変だろうということに。まあ、確かに新刊2冊ともヨスガだしね。もっともな意見だったので従うことにしました。なので、当日は新刊及びタペストリーのみの頒布となります。
それでは、もうコミケ直前と言っていい感じですが、当日スペースでお会いできることを楽しみに、私は自分の準備に勤しもうと思います。皆様、コミケではよろしくお願いします!
スペースの方も釣銭は一応用意しましたが、絶対に大丈夫という程でもないので当日は1万円や5000円をお断りすることになるかもしれません。まあ、ピッタリ払うのはコミケの基本マナーみたいなものですけど、最近は新規参加者の増加から大きいお金を持ってくる人が多くって。もっとも、新規関係なく小さいサークルで金を崩そうとする変な人とかいるんだけどね。せめて大手にしてくれよと。いくら釣銭は全額戻ってくるとはいえ、そんなに大金を会場内に持ち込みたくはないので、その辺りのことでいつも悩んでいます。企業行く人はともかく、サークル回る人は両替ぐらいしてきて欲しいものですね。お札より500円玉や100円玉を多く持っていたほうがいいと言うのに、何故大きいお金を持ってくるんだろう。
いきなり金の話なんて面白くもないこと書いてしまいましたが、要するに当日は釣銭が出ないように払ってくれると嬉しいなってことです。その方がお互い楽だしね。それじゃあ、下記が当日の出し物となります。
イベント名:コミックマーケット79詳細に関しては変える必要がないので以前と同じです。簡単にいえば「オカシノソラ」がいつものヨスガ本で、「オトギノソラ」が今回初の試みとなる童話パロディ本になります。自分で言うのもあれですが、どちらも主に装丁がよく出来ていると思うのでスペースの近くにでも来た際は是非お立ち寄りください。午後ならば私もいるかと思います。
日時:2010年12月31日(金) 3日目
会場:東京ビッグサイト
スペース番号:西2ホール と-06b
サークル名:シャリテクロワール
配置場所:http://www.tinami.com/comike/map/?id=0079-3-TOh-06-b
新刊その1
オカシノソラ
ジャンル:ヨスガノソラ
イベント価格:500円
総ページ数:60P
サイズ:A5版
備考:ヨスガノソラ同人誌第3弾。ハル×穹中心の小説2本、「ハルと穹のクリスマスケーキ」及び「変身・魔法少女 ゴスロリ穹たん」を収録。現在、pixivにてサンプル公開中。
URL:http://www.pixiv.net/novel/show.php?id=122855
新刊その2
オトギノソラ
ジャンル:ヨスガノソラ
イベント価格:1000円
総ページ数:208P
サイズ:新書本
備考:ヨスガノソラ同人誌第4弾。子供の頃に誰もが呼んだことのある名作童話、シャルル・ペローの「灰かぶり姫」、グリム兄弟の「白雪姫」、そしてシェヘラザードの「アラジンとふしぎなランプ」をヨスガノソラのキャラクターでパロディ化。 瑛がヒロインの「によめデレラ」、穹がお姫様になる「穹雪姫」、ハルが主人公の「ハルと魔法の指輪」の三本を収録。現在、pixivにてサンプル公開中。
URL:http://www.pixiv.net/novel/show.php?id=122866
会場限定グッズ 先着1名様限定
「春日野穹」タペストリー
価格:6000円
原画:サークル・くろのとくろえ
備考:夏の抱き枕に続くグッズ製作ということで、今回はオカシノソラの表紙絵を使用したタペストリーを用意してみました。印刷所の都合で数を刷れなかったため限定1枚で価格も高めですが、再販の予定は一切無いので欲しい方は是非どうぞ。早い者勝ちなので売れた時点で終了ですが、展示用も作ってはいるのでスペースに来れば見ることは可能です。
当日の諸注意
当日は釣銭不足が予想されます。最近1万円や5千円といったお札を出す方が大変の多いのですが、なるたけ小銭を用意し、釣銭の出ないようにしてくださると、サークルとしても助かりますのでご協力ください。
それと、サークル主であるゼロorMLWは午前中は基本的にスペースにいません。午後からは入る予定ですが、今回は初の西館配置ということもあって忙しなく会場を動いていると思います。火急の用があるとか、どうしても会って話がしたいという物好きは、売り子さんに言ってくれれば連絡も取れますが、東館などにいる場合は早々に戻ってくることも出来ないので、午後にでも再訪してくれるのが確実かと思われます。
後、Twitterの方で質問を貰ったので書いておきますが、今回は売り子さんと競技した結果、やはり既刊は持っていかないことにしました。ロクゼロ関連は手持ちの在庫がほとんどないからともかく、るーるーのほんがまだ余っているから持って行くべきか否かを話したんだけど、ヨスガノソラでスペースを取っている関係上、ヨスガ本ならまだしも他ジャンルの既刊を置いて置くのも変だろうということに。まあ、確かに新刊2冊ともヨスガだしね。もっともな意見だったので従うことにしました。なので、当日は新刊及びタペストリーのみの頒布となります。
それでは、もうコミケ直前と言っていい感じですが、当日スペースでお会いできることを楽しみに、私は自分の準備に勤しもうと思います。皆様、コミケではよろしくお願いします!